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Wikipedia‐ノート:削除依頼/日本海軍の実戦に参加していない潜水艦(波二百一型潜水艦)

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  • 全存続 明白な事実誤認があるため、依頼の前提が間違っていると考えます。これらの艦が参加していないのは「実戦」ではなく「交戦」です。単に交戦しなかっただけで実戦に投入された艦艇を削除しようというのは理解に苦しみます。--Open-box会話2016年1月20日 (水) 13:08 (UTC)[返信]
    • コメント 御教示ありがとうございました。ご説の通りであるなら、なぜ,個々で言及されている記事に、おしなべて「実戦に参加することなく」といった記述がなされているのでしょうか? これらは機械的に「交戦に参加することなく」などと置き換えられるべきだとお考えなのでしょうか?--山田晴通会話2016年1月20日 (水) 21:32 (UTC)[返信]
      • コメント 例えば201を私が書くなら、「第五十二潜水隊に編入されたが本土決戦に至ることはなく、終戦まで訓練に終始し、交戦する機会はなかった。終戦時には…」として、就役、交戦したかどうか、終戦時の状況を分けて記載します。なお記事名ですが、これは新字体と旧字体の違いでしょう。--Open-box会話2016年1月20日 (水) 23:58 (UTC)[返信]
        • コメント 記事の序文に「実戦参加」の文言があることにより誤解を生んだのであれば、それは私のミスです。山田晴通氏に対してお詫び申し上げます。それら「実戦参加」の文言は折を見て削除することにします(記事自体が削除になれば記事を訂正する必要はありませんからね)。124.25.43.242 2016年1月21日 (木) 04:39 (UTC)[返信]
          • コメント 「実戦参加」の文言ですが、私が参考資料として用いた書誌の中で以下のようにあります。
(前略)波201潜型は、本土決戦にさいし一般潜水艦と蛟龍など水中特攻兵器の中間を行くものとして計画され、工事簡易化と量産化がはかられたが、9隻完成した段階で終戦となり、実戦には1隻も参加しなかった。このうち波201潜以下7隻が第6艦隊第52潜水隊に配属されて訓練中であった。 — 丸スペシャル『日本の潜水艦III』p. 48(1980年)
(前略)しかし79隻が計画されたが、終戦までに起工できたのは約半数の39隻にすぎず、完成したのは佐世保工廠の10隻だけであり、実戦にも参加できずに終わったのである。 — 丸スペシャル『日本の潜水艦I』p. 75(1988年)
(前略)多数建造のため構造と艤装の簡易化を図り、全溶接構造とブロック建造方式の採用によって短期間建造を達成し、終戦までに10隻が完成したが、実戦投入には至らなかった。 — 世界の艦船『日本潜水艦史』p. 108(2013年)

また、波二百一型潜水艦では以下のとおり記述しています。

(前略)竣工はすべて1945年(昭和20年)に行われた。本土決戦に備えて保全されたため、太平洋戦争では実戦に投入されることはなかった。終戦時に完成艦は全部で10隻であったが、未完成の艦が29隻あった。計画ではあと40隻建造される予定であった。 — 波二百一型潜水艦#概要

そのようなわけで、権威のある出版社(潮書房と海人社)からリリースされた二次以上の資料からの引用ということではあながち誤りではなく、Wikipediaで過去に用いられて現在まで何の問題にもなっていない表現を山田晴通氏はいきなり採り上げたということになります。依頼の冒頭で「いずれも、実戦に参加していない波二百一型潜水艦の記事で」と記事へのリンクを貼ってあるとおり、山田晴通氏は波二百一型潜水艦の記事を予め読んだ上で削除依頼を出したのでしょうから、この依頼でことさら実戦(あるいは交戦)に拘っている理由がわかりかねます。124.25.43.242 2016年1月22日 (金) 13:46 (UTC)[返信]

124.25.43.242 2016年1月20日 (水) 14:41 (UTC)[返信]

    • コメント 誤解があるようですが、例えば未成であることを理由に自動的に削除依頼をしている訳ではありません。また、網羅的に未成館を点検している訳でもありません。未成でっても特筆性があるものもあれば、完成していようが実戦なり交戦をしていようが特筆性のないものもあるでしょう。あくまでも、それぞれの削除依頼審議で対象としている記事について「Wikipedia:独立記事作成の目安」などに照らして独立記事とすることに、自分としては疑問を感じますと申し上げているに過ぎません。--山田晴通会話2016年1月20日 (水) 21:32 (UTC)[返信]
      • どうも、艦の大小や同型艦艇の有無を判断基準にされているように感じますね。敵とドンパチしていない艦や未成艦艇でも単艦や大型艦ならOK、だけど複数や小型艦艇は不可と理解してよろしいでしょうか。124.25.43.242 2016年1月21日 (木) 04:39 (UTC)[返信]
  • 私が新規に起こした記事で、なおかつ私の記述部分でページ数を問われたものはありません。202.224.70.111さんが仰りたいのは「参考文献にある書誌を全て読んだけど書いてない。どの本の何ページ目にあるのか?」の場合なのでしょうけど、それは参考文献中にある書誌を一通り読んで「事実(真実にあらず)と相違していること」を確認してからの話になります。読んでいないうちから脚注付き記述を要求するのは、書誌の収集(書店での立ち読みや図書館などからの借用も含む)を怠った読み手側の問題であって執筆者側の問題ではありません。ガイドラインに明記されていない事柄については各ポータルで話し合いによる解決という手法がとられていますが、ガイドライン上で認められている手法に対して「これでは不足だから」と執筆者の側に改正を求めたいのであれば、まずはガイドラインの改正から始めるべきでありましょう。もちろん「これこれこの事柄について、参考文献中にある書誌を全て読んだけど書いてない。どのページにあるのか?」の問いがあった場合は、その書誌を持っているという証(奥付の何行目に何と書いてあるかなど)はしてもらいますが回答しますよ。私は超能力者ではありませんので、第九号海防艦でやらかしたような誤読や勘違い、原典では達筆すぎる字の転記ミスはやってしまいます。それと、ガイドライン化されていない私論には、それがどれだけ優れたものであってもガイドラインに反映されない限り従えません。私論が真に優れたものであるならば、それを運営に対して上申し、ガイドラインに取り込んでもらえば良いのです。124.25.43.242 2016年1月20日 (水) 17:44 (UTC)[返信]
    • コメント 「読んでいないうちから脚注付き記述を要求するのは、書誌の収集(書店での立ち読みや図書館などからの借用も含む)を怠った読み手側の問題であって執筆者側の問題ではありません。」というのは、執筆者側の怠慢でしかありません。何かの記述に「出典:ウィキペディア」とだけあり、どこを見たのかもいっさい書いていないものがあるとしたら、ウィキペディアを隅々まで見てからでないと、どの記事を見たのか?と尋ねてはいけないのでしょうか? 大部の本だけを示して、例えば「聖書に書いてある」と出典を示せば、執筆者の責任が果たされていることになるのでしょうか? 少なくとも山田は記事の執筆をする際に、そのようには考えていません。--山田晴通会話2016年1月20日 (水) 21:32 (UTC)[返信]
      • 「山田は記事の執筆をする際に、そのようには考えていません。」というのは、自分がそれしているから君もそれをしろと仰りたいのでしょうか。繰り返しになりますが、ガイドライン上で是としている手法で編集しているものに対して疑問や問題を感じておられるなら、まずはガイドラインの改正から着手していただけませんか?状況により、あるいは人により変化する判断基準に従えという方が無理なように思えます。「どの記事を見たのか?と尋ねてはいけないのでしょうか? 」とありますが、単なる教えて君に対しては冷淡な対応しかできません。最低限「この本を読んだが書いていない。どの本を読めば良いか、書籍で無いなら何処で閲覧できるのか?」とすべきでありましょう。124.25.43.242 2016年1月21日 (木) 04:39 (UTC)[返信]
    • コメント GRとページ要求は別問題です。GRには、向き不向きはあります。この形式の記事でInlineに拘りすぎると[1][2][3]と連打される大変読みにくい記事になることは、比較的容易に予想できるかと。なので、そちらはInlineとの使い分けをやった方がいい記事になりますが、問題としては副次的です。一方ページを要求されるのは、この書き方では仕方ないです。スコープの大きい書籍を複数使用しているので、その部分についての信頼性をわざわざ下げていることになります。今まで問われなかったのは、「たまたま気にする人が見ていなかった」だったり「その出典だったら載ってるだろうね」(個人的にはこっちですが)という判断をしてもらえていただけかと。ついでにお聞きします。Portal:軍事/新着項目を編集しているので引っかかるのですが、執筆者さんは利用者:改名専用会話 / 投稿記録 / 記録さんではありませんか? アップロードした画像が使用されるタイミング、第九号駆潜艇の執筆スタイルを考慮すると偶然とは考えられません。もしアカウントをお持ちなら、履歴分断が発生していることになります。--Open-box会話2016年1月20日 (水) 23:58 (UTC)[返信]
      • はい、改名専用は私ですよ。ページの移動とそれに伴うリンク元の修正、記事の分割提案、画像をコモンズへアップロードするときにこのアカウントを使用しています。これらの行動はIPユーザの状態では出来ませんからね。いわゆるパペット行為はしていませんが何か問題でも?124.25.43.242 2016年1月21日 (木) 04:39 (UTC)[返信]
      • (追記)私が頻繁に用いている書籍の中で、「分厚い」と感じるのは福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』(上下巻+資料篇の3冊構成)と明治百年史叢書ですね。戦史叢書はせいぜい500ページ、世界の艦船は200ページ足らず、丸スペシャルは50ページ前後です。世界の艦船と丸スペシャルは、巻号によってページ数にばらつきはあります。これら以外の書籍のことを仰っているのでしたらご指示ください。各造船所の社史は手ごろなページ数のものを探すほうが困難です。124.25.43.242 2016年1月21日 (木) 04:52 (UTC)[返信]
コメント 「書誌の収集(書店での立ち読みや図書館などからの借用も含む)を怠った読み手側の問題であって執筆者側の問題ではありません」というスタンスには全く賛同できませんが、この議論はWikipedia:独立記事作成の目安に関するものですので、"『inline citationは推奨ですが義務ではありませんし、ましてや強制でもありません』は確かにそのとうりではあるのですが、"から始まるコメントとそれ以降をWikipedia‐ノート:削除依頼/日本海軍の実戦に参加していない潜水艦(波二百一型潜水艦)に移すのが得策ではないかと思いますが、いかがでしょうか? Takabeg会話2016年1月21日 (木) 03:05 (UTC)[返信]
  • 他所で指摘されてしまいましたが、IPユーザには投票資格が在りません。ですが、私は未成艦も含めて全存続と私の意見を表明します。なお、山田晴通氏に対しては以下の事柄について説明をいただきたく思います。