737年の日本
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737年の日本では、737年の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。
他の紀年法
[編集]国家機関
[編集]元正上皇 | 聖武天皇 | ||||||||||||||||
知太政官事 鈴鹿王(9/26-) | |||||||||||||||||
左大臣 藤原武智麻呂(8/29) | |||||||||||||||||
右大臣 藤原武智麻呂(-8/29) | |||||||||||||||||
大納言 橘諸兄(10/11-) | |||||||||||||||||
中納言 多治比県守(-7/20) 多治比廣成(10/11-) | |||||||||||||||||
参議 藤原房前(-5/21) 藤原宇合(-9/3) 藤原麻呂(-8/13) 鈴鹿王(-9/26) 橘諸兄(-10/11) 大伴道足 多治比廣成(9/17-10/11) 藤原豊成(12/26-) | |||||||||||||||||
政治社会
[編集]- 以前から懸案であった新羅との外交問題が表面化し、御前で評議を行わせるなどした。
→「新羅の入寇」を参照
- 天然痘の流行により、官員でも死去するものが相次いだ。議政官では藤原氏の武智麻呂・房前・宇合・豊成の四兄弟と多治比県守が相次いで死去した。この5人の穴埋めのために、存命者の大幅な官位上昇が行われた。
- 6月21日 - 天然痘の流行に鑑み、天下に大赦を行った[1]。
- 8月23日 - 天然痘の流行および右大臣藤原武智麻呂の発病に鑑み、天下に大赦を行った[2]。
- 9月11日 - 天然痘の流行に鑑み、当年の祖を免除した[3]。
自然天文
[編集]- 諸国に天然痘が大流行した。
- 6月3日 - 日食があった[4]。
文化芸術
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『続日本紀』