1994年のNFLドラフト
1994年のNFLドラフト | |
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日程 | 1994年4月24日-4月25日 |
開催地 | ニューヨークタイムズスクエア |
会場 | マリオット・マーキス |
指名数 | 7巡222名 |
全体1位指名 | |
ダン・ウィルキンソン(DT) | |
« 1993 1995 »
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1994年のNFLドラフトは、59回目のNFLドラフト。1994年4月24日から25日までの2日間ニューヨークのタイムズスクエアにあるマリオット・マーキスで開催された。このドラフトから7巡までの指名となった [1]。
ドラフト指名順は、完全ウェーバー制で行われた。NFLワーストに終わったシンシナティ・ベンガルズが全体1位指名権でオハイオ州立大学のダン・ウィルキンソンを指名した。ベンガルズは1994年シーズンもNFLワーストに終わり、翌年のドラフトでも全体1位でキジャナ・カーターを指名した[2]。
ドラフト全体2位と7位指名権をインディアナポリス・コルツは持っていた。コルツはドラフト前にジェフ・ジョージをトレードで放出、ジャック・トルドーを解雇してジム・ハーボーを獲得[3]、ドラフト時点ではロースターのQBはハーボーだけであった。ESPNのアナリスト、メル・キッパーは1巡でヒース・シューラーかトレント・ディルファーを獲得するべきだと主張した。コルツは全体2位指名権でマーシャル・フォークを指名、全体3位でシューラーがレッドスキンズに指名された。その後、コルツはトレードアップで全体5位指名権を獲得したためトレント・ディルファーの指名が期待されたがコルツのゼネラルマネージャーのビル・トービンはLBトレブ・アルバーツを指名したため、キッパーはトービンを強く批判した[4]。コルツはこの年AFCチャンピオンシップゲームまで進出したが、1997年には3勝13敗に終わりトービンGMとリンディ・インファントヘッドコーチは解任された[5]。1998年のドラフトで全体1位指名権を獲得し、ペイトン・マニングを獲得した。
ドラフト全体3位でワシントン・レッドスキンズはヒース・シューラーを指名した。1991年にチームは14勝2敗で第26回スーパーボウルを制したがエースQBのマーク・リッピンは1992年に9勝7敗、1993年に3勝7敗と成績が下降し、シーズン途中にリッチ・ギャノンが先発QBとなっていた。1993年シーズン途中にジョン・フリーツに代わって先発QBに昇格したがその年1勝7敗に終わりシーズン終盤には7巡指名されたガス・ファーロットに先発QBの座を奪われ第3QBとなった。シューラーはプロ通算8勝14敗に終わっている。なおシューラーはハイズマン賞の選考でNBA入りを目指したチャーリー・ウォードに次ぐ2番の票を獲得していた[6]。
2巡で指名されたバッキー・ブルックスはNFLネットワークやNFL.comでアナリストを務めた[7]。
7巡でアトランタ・ファルコンズに指名されたジャマール・アンダーソンは1998年にNFCトップの1,846ヤードを走りチームを第33回スーパーボウルに導いた[8]。
ドラフト外でNFL入りしたカート・ワーナーは試合出場することなく、解雇されその後アリーナフットボールやNFLヨーロッパでもプレーしたが一時はドラッグストアの店員としても働いていたが1998年にセントルイス・ラムズの控えQBとなり、翌年エースQBトレント・グリーンがプレシーズンにシーズン絶望となったことからチャンスをつかみ第34回スーパーボウルで優勝、MVPに選ばれた[9]。
指名選手
[編集]指名順位の数字の後の¤はエクスパンションチームに与えられる追加の指名権、*は、FAで失った選手に対して自動的に計算し与えられる補償ドラフトを示す。
1巡指名選手
[編集]2巡指名以降の主な選手
[編集]主な指名権のトレード
[編集]アトランタ・ファルコンズは全体7位指名権と3巡指名権及び1996年のドラフト1巡指名権をインディアナポリス・コルツのQBジェフ・ジョージとトレードした。
ロサンゼルス・ラムズは全体5位指名権をインディアナポリス・コルツの全体7位指名権及び3巡指名権とトレードした。ラムズは全体7位指名権をサンフランシスコ・49ersの全体15位、2巡、3巡指名権とトレードした。
ニューオーリンズ・セインツは全体12位指名権をニューヨーク・ジェッツの全体13位指名権及び3巡指名権とトレードした。
マイアミ・ドルフィンズは全体16位指名権をグリーンベイ・パッカーズの全体20位指名権及び3巡指名権とトレードした。
デンバー・ブロンコスは全体18位指名権、6巡指名権、1995年ドラフト2巡指名権、WRバンス・ジョンソンと引換にミネソタ・バイキングスのOTゲイリー・ジマーマンを獲得した。
フィラデルフィア・イーグルスは全体29位指名権をクリーブランド・ブラウンズの2巡、1995年ドラフト2巡指名権とトレードした。
ドラフト外入団の主な選手
[編集]脚注
[編集]- ^ “When did the NFL draft change to seven rounds?”. ESPN (2023年4月19日). 2023年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月25日閲覧。
- ^ Anthony Cosenza (2023年4月27日). “Looking back on some of the Bengals’ high picks and their misfortunes of the past”. cincyjungle.com. 2024年12月25日閲覧。
- ^ “Free-agent Harbaugh signs with Colts; Trudeau let go”. タンパベイ・タイムズ (1994年4月8日). 2024年12月25日閲覧。
- ^ “'Who the hell is Mel Kiper' turns 25 years old”. indystar.com (2019年4月24日). 2019年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月25日閲覧。
- ^ “COLTS FIRE INFANTE, TOBIN AFTER 3-13 SEASON”. ワシントン・ポスト (1997年12月23日). 2024年12月25日閲覧。
- ^ “Heath Shuler: #8 NFL Draft Bust”. top10busts.com (2014年10月11日). 2024年12月25日閲覧。
- ^ “Bucky Brooks NFL.com Analyst”. nfl.com. 2024年12月25日閲覧。
- ^ “元ファルコンズのアンダーソン氏が逮捕”. 日刊スポーツ (2009年2月10日). 2024年12月25日閲覧。
- ^ 生沢浩 (2017年8月10日). “「アメリカンドリーム」を体現 殿堂入りした苦労人カート・ワーナー”. 共同通信 週刊TURNOVER. 2024年12月25日閲覧。