1941年のNFLドラフト
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1941年のNFLドラフト | |
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日程 | 1940年12月10日 |
開催地 | ワシントンD.C. |
会場 | ウィラード・ホテル |
指名数 | 22巡204名 |
全体1位指名 | |
トム・ハーモン(HB) | |
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1941年のNFLドラフト(1941ねんのNFLどらふと)は、1940年12月10日に開催された第6回目のNFLドラフト。ワシントンD.C.のウィラードホテルで開催された[1]。
主な指名選手
[編集]ドラフト全体1位では1940年のハイズマン賞の受賞者、ミシガン大学のトム・ハーモンが指名された[2]。しかしハーモンはベアーズと契約せず、コロンビア・ピクチャーズと契約、映画出演や軍役を経て1946年にロサンゼルス・ラムズと契約、2シーズンプレーした。
2巡と4巡は5チームのみに指名権が与えられた。
8巡で指名されたレン・ヨーンス、9巡で指名されたトニー・カナデオはNFL1940年代オールディケイドチームに選ばれた。
10巡でシカゴ・カージナルスに指名されたレイ・マルーフは1948年のニューヨーク・ジャイアンツ戦でNFLのクォーターバックで初めてQBレイティング158.3のパーフェクトレイティングを出した選手である。
指名選手一覧
[編集]1巡指名選手
[編集]指名順位 | チーム | 選手名 | ポジション | 出身大学 |
1 | シカゴ・ベアーズ | トム・ハーモン | ハーフバック | ミシガン大学 |
2 | シカゴ・カージナルス | ジョン・キンブロー | フルバック | テキサスA&M大学 |
3 | シカゴ・ベアーズ | ノーム・スタンドリー | フルバック | スタンフォード大学 |
4 | クリーブランド・ラムズ | ルディ・ミュシャ | センター | ワシントン大学 |
5 | デトロイト・ライオンズ | ジム・トマソン | ハーフバック | テキサスA&M大学 |
6 | ニューヨーク・ジャイアンツ | ジョージ・フランク | ハーフバック | ミネソタ大学 |
7 | グリーンベイ・パッカーズ | ジョージ・パスクバン | フルバック | ウィスコンシン大学 |
8 | ブルックリン・ドジャース | ディーン・マクアダムズ | ハーフバック | ワシントン大学 |
9 | シカゴ・ベアーズ | ドン・スコット | クォーターバック | オハイオ州立大学 |
10 | ワシントン・レッドスキンズ | フォレスト・エバシェブスキー | クォーターバック | ミシガン大学 |
2巡以降の主な指名選手
[編集]指名順位 | チーム | 選手名 | ポジション | 出身大学 |
13 | シカゴ・カージナルス | ポール・クリストマン | クォーターバック | ミズーリ大学 |
41 | フィラデルフィア・イーグルス | ハワード・ヒッキー | ガード | アーカンソー大学 |
46 | グリーンベイ・パッカーズ | ハーム・ローリッグ | バック | ネブラスカ大学 |
54 | クリーブランド・ラムズ | レイ・プロチャスカ | エンド | ネブラスカ大学 |
67 | ニューヨーク・ジャイアンツ | レン・ヨーンス | ガード | オレゴン州立大学 |
77 | グリーンベイ・パッカーズ | トニー・カナデオ | ランニングバック | ゴンザガ大学 |
83 | シカゴ・カージナルス | レイ・マルーフ | クォーターバック | 南メソジスト大学 |
殿堂入り選手
[編集]この年のドラフトで指名された選手のうち、1名がプロフットボール殿堂入りを果たしている。
- トニー・カナデオ - 1974年殿堂入り
脚注
[編集]- ^ Dan Salomone (2014年10月2日). “NFL Draft headed to Chicago in 2015”. ニューヨーク・ジャイアンツ. 2015年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月30日閲覧。
- ^ “CHICAGO BEARS GET FIRST CALL FOR TOM HARMON”. Sarasota Herald-Tribune (1940年12月10日). 2022年10月21日閲覧。