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1972年のヤクルトアトムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1972年のヤクルトアトムズ
成績
セントラル・リーグ4位
60勝67敗3分 勝率.472[1]
本拠地
都市 東京都新宿区
球場 明治神宮野球場
球団組織
オーナー 松園尚巳
経営母体 ヤクルト本社
監督 三原脩
« 1971
1973 »

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1972年のヤクルトアトムズ(1972ねんのヤクルトアトムズ)では、1972年のヤクルトアトムズの動向をまとめる。

この年のヤクルトアトムズは、三原脩監督の2年目のシーズンである。

概要

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三原脩監督・中西太ヘッドコーチ体制になって2年、しかし依然として低迷が続き、特に6月21日大洋戦では2アウトから11点取られ、2日後の23日の巨人戦では1イニング13点を取られるという散々な状態で、6月には広島と最下位争いを演じた。投手陣はチーム防御率は3.73とリーグ最下位に終わり、543失点はリーグワーストだった。しかし終わってみれば4年ぶりの4位、安田猛新人王最優秀防御率のダブル受賞、そして2年目の若松勉首位打者を獲得、新たなスターが誕生した。打撃陣はチーム打率が.254とリーグ1位で、102盗塁は巨人と同数だったが、打高傾向の中でも115本塁打はリーグ最下位、守備面ではリーグ最下位の114失策と、エラーがらみで失点するパターンも多く目立った。カード別では3位の中日や大洋などに大きく勝ち越したものの、優勝の巨人には8勝17敗1分、2位の阪神にも8勝18敗と両球団から16勝しかあげられなかった。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 若松勉
2 武上四郎
3 ロバーツ
4 ロペス
5 船田和英
6 久代義明[注 1]
7 大矢明彦
8 荒川堯
9 松岡弘
1972年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 1.0 阪神 大洋 2.5 阪神 阪神 4.0 阪神 3.5
3位 巨人 2.0 大洋 1.5 阪神 3.0 大洋 4.0 大洋 8.5 中日 7.0
4位 広島 3.0 中日 5.0 中日 4.0 中日 5.0 中日 9.0 ヤクルト 14.5
5位 阪神 4.0 広島 7.5 ヤクルト 13.0 ヤクルト 8.5 ヤクルト 12.0 大洋 17.0
6位 ヤクルト 5.0 ヤクルト 10.0 広島 13.5 広島 12.5 広島 20.5 広島 24.0


1972年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 74 52 4 .587 優勝
2位 阪神タイガース 71 56 3 .559 3.5
3位 中日ドラゴンズ 67 59 4 .532 7.0
4位 ヤクルトアトムズ 60 67 3 .472 14.5
5位 大洋ホエールズ 57 69 4 .452 17.0
6位 広島東洋カープ 49 75 6 .395 24.0

オールスターゲーム1972

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ファン投票 大矢明彦
監督推薦 松岡弘 ロバーツ 若松勉

できごと

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選手・スタッフ

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[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
安田猛 新人王
最優秀防御率 2.08 初受賞
若松勉 首位打者 .329 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
若松勉 外野手 初受賞
ダイヤモンドグラブ賞(新設)
選手名 ポジション
大矢明彦 捕手

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 永尾泰憲 内野手 いすゞ自動車 入団
2位 小田義人 内野手 大昭和製紙 入団
3位 上水流洋 投手 住友金属 入団
4位 山口高志 投手 関西大学 拒否・松下電器入社
5位 鈴木康二朗 投手 日本鉱業日立 入団
6位 水江正臣 投手 津久見高 入団

脚注

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注釈

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  1. ^ 第1打席で山下慶徳に交代

出典

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  1. ^ 年度別成績 1972年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月4日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 147 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7