コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

長井繁夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長井 繁夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県高崎市柴塚町
生年月日 (1948-01-04) 1948年1月4日(76歳)
身長
体重
175 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手外野手一塁手
プロ入り 1969年 ドラフト3位
初出場 1970年4月22日
最終出場 1974年10月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

長井 繁夫(ながい しげお、1948年1月4日 - )は、群馬県高崎市柴塚町出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

[編集]

PL学園では、2年生エース加藤英治を擁し、三塁手として1965年春の甲子園に出場するが、準々決勝で高松商小坂敏彦投手に抑えられ敗退[1]。同年夏は府予選準決勝で福本豊のいた大鉄高に敗れた。同期に福嶋久晃得津高宏がいる。

1965年のドラフト会議近鉄バファローズから3位指名を受けるも拒否し、中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは1年生春からレギュラーとして出場し、在学中全試合出場を果たす。エース宮本幸信を擁し1967年春季リーグに優勝[2]。同年の全日本大学野球選手権大会も決勝で慶大藤原真を打ち崩し優勝。1969年第8回アジア野球選手権大会日本代表。リーグ通算103試合出場、375打数94安打、打率.251、6本塁打、57打点。ベストナイン4回(二塁手)。大学同期に萩原康弘末永正昭がいる。 

1969年のドラフト会議アトムズから3位指名を受け入団。1972年には47試合に出場(うち6試合に二塁手として先発)、打率.241を記録する。同年はジュニアオールスターに出場、イースタンリーグ首位打者も獲得した。しかしその後は打撃面で低迷、一軍では好成績を残すことはできなかった。1975年以降は一軍出場はなく、1976年に現役引退。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1970 ヤクルト 13 15 13 1 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1 0 1 6 0 .077 .200 .077 .277
1971 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1972 47 61 58 5 14 1 1 0 17 1 0 2 1 0 2 0 0 11 1 .241 .267 .293 .560
1973 43 45 41 2 8 1 0 1 12 5 0 0 0 3 1 0 0 12 0 .195 .200 .293 .493
1974 11 10 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
通算:5年 116 132 123 8 23 2 1 1 30 7 0 2 1 3 4 0 1 34 1 .187 .214 .244 .458

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 37 (1970年 - 1976年)

脚注

[編集]
  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「東都大學野球連盟七十年史」 東都大学野球連盟編纂委員会 2001年

関連項目

[編集]