田端謙二郎
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県下益城郡豊野村 |
生年月日 | 1946年5月8日(78歳) |
身長 体重 |
178 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1965年 ドラフト1位 |
初出場 | 1966年4月14日 |
最終出場 | 1968年9月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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田端 謙二郎(たばた けんじろう、1946年5月8日 - )は、熊本県下益城郡豊野村出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]鎮西高校では1963年、2年生の時にエースとして夏の甲子園県予選決勝に進むが、九州学院に惜敗。翌年夏は県予選準決勝で池田純一のいた八代東高に敗れ、甲子園には出場出来なかった。高校同期の小平誠司、1年上の脇坂隆志がプロ入りしている。
卒業後は電電九州に入社。1965年に国鉄の大分鉄道管理局(現・JR九州硬式野球部)に補強されて都市対抗野球に出場。1回戦では優勝候補であるサッポロビールの佐藤元彦と投げ合い完封勝利、準々決勝でも同じく優勝候補の全鐘紡を完投で降す。準決勝で住友金属に敗退する[1]が、大分鉄道管理局チームは小野賞を受賞し(田端個人への表彰ではない)、田端も全鐘紡を抑えた本格派投手としてプロから注目される。
1965年プロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズに1位指名で入団。スライダー、シュートやカーブを武器にオープン戦で好投、4月には初登板初先発を果たす。1967年には開幕から先発陣の一角として起用され、5月14日の対西鉄ダブルヘッダー第2試合で完投勝利を記録するが、その後は結果を残せず登板機会が減少。1971年限りで引退。引退後は近鉄で打撃投手を1989年まで務めた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1966 | 近鉄 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 9 | 1.2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 13.50 | 1.80 |
1967 | 19 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 6 | -- | -- | .143 | 275 | 62.0 | 77 | 10 | 10 | 2 | 5 | 36 | 0 | 1 | 44 | 43 | 6.24 | 1.40 | |
1968 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 39 | 8.2 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 2 | 2.00 | 1.50 | |
通算:3年 | 26 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1 | 7 | -- | -- | .125 | 323 | 72.1 | 92 | 10 | 11 | 2 | 5 | 39 | 0 | 1 | 51 | 48 | 6.00 | 1.42 |
記録
[編集]- 初登板・初先発登板:1966年4月14日、対阪急ブレーブス3回戦(阪急西宮球場)、1回2/3を失点で勝敗つかず
- 初勝利・初先発勝利・初完投:1967年5月14日、対西鉄ライオンズ6回戦(高松市立中央球場)、9回1失点
背番号
[編集]- 22(1966年 - 1970年)
- 47(1971年)
- 81(1977年 - 1985年)
- 91(1986年 - 1989年)
脚注
[編集]- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 田端謙二郎 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)