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田端謙二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田端 謙二郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県下益城郡豊野村
生年月日 (1946-05-08) 1946年5月8日(78歳)
身長
体重
178 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1965年 ドラフト1位
初出場 1966年4月14日
最終出場 1968年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田端 謙二郎(たばた けんじろう、1946年5月8日 - )は、熊本県下益城郡豊野村出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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鎮西高校では1963年、2年生の時にエースとして夏の甲子園県予選決勝に進むが、九州学院に惜敗。翌年夏は県予選準決勝で池田純一のいた八代東高に敗れ、甲子園には出場出来なかった。高校同期の小平誠司、1年上の脇坂隆志がプロ入りしている。

卒業後は電電九州に入社。1965年国鉄大分鉄道管理局(現・JR九州硬式野球部)に補強されて都市対抗野球に出場。1回戦では優勝候補であるサッポロビール佐藤元彦と投げ合い完封勝利、準々決勝でも同じく優勝候補の全鐘紡を完投で降す。準決勝で住友金属に敗退する[1]が、大分鉄道管理局チームは小野賞を受賞し(田端個人への表彰ではない)、田端も全鐘紡を抑えた本格派投手としてプロから注目される。

1965年プロ野球ドラフト会議近鉄バファローズに1位指名で入団。スライダーシュートカーブを武器にオープン戦で好投、4月には初登板初先発を果たす。1967年には開幕から先発陣の一角として起用され、5月14日の対西鉄ダブルヘッダー第2試合で完投勝利を記録するが、その後は結果を残せず登板機会が減少。1971年限りで引退。引退後は近鉄で打撃投手を1989年まで務めた。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1966 近鉄 1 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 9 1.2 2 0 1 0 0 1 0 0 3 3 13.50 1.80
1967 19 7 1 0 0 1 6 -- -- .143 275 62.0 77 10 10 2 5 36 0 1 44 43 6.24 1.40
1968 6 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 39 8.2 13 0 0 0 0 2 0 0 4 2 2.00 1.50
通算:3年 26 9 1 0 0 1 7 -- -- .125 323 72.1 92 10 11 2 5 39 0 1 51 48 6.00 1.42

記録

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背番号

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  • 22(1966年 - 1970年)
  • 47(1971年)
  • 81(1977年 - 1985年)
  • 91(1986年 - 1989年)

脚注

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  1. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目

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外部リンク

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