1951年の国鉄スワローズ
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1951年の国鉄スワローズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
46勝59敗2分 勝率.438[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 三浦義男 |
経営母体 | 日本国有鉄道 |
監督 | 西垣徳雄 |
« 1950 1952 » |
1951年の国鉄スワローズ(1951ねんのこくてつスワローズ)では、1951年の国鉄スワローズの動向をまとめる。
この年の国鉄スワローズは、西垣徳雄監督の2年目のシーズンである。
概要
[編集]新球団1年目は7位で終えたもののまずまずのスタートを切ったチームは、2年目の金田正一が開幕からローテーションに入り、田原基稔や高橋輝らとともに先発陣の中心となった。チームは開幕から好調で、4月は巨人に次ぐ2位につけた。しかし、打線の貧打やエラーで負ける試合も多く5月以降は成績が下降。それでも前年50近くあった借金を13に減らし、西垣監督の2年目は5位で終えたが優勝の巨人に31.5ゲームを、2位の名古屋(当時は中日新聞社と名古屋鉄道の共同経営)にも13.5ゲーム差をつけられた。カード別では優勝の巨人には4勝14敗と苦戦するも、名古屋には10勝6敗と勝ち越し、阪神には9勝9敗で互角、前年優勝の松竹には9勝11敗と健闘した。金田はこの年20勝を達成し、以降巨人へ移籍する1965年まで14年連続の20勝という偉大な記録を打ち立てセ・リーグを代表するエースにのし上がった。打撃陣は土屋五郎が盗塁王を獲得したこともありチーム盗塁数は142とリーグ2位だったが、安打数リーグ6位、二塁打・三塁打・本塁打すべてリーグ最下位、そして169失策はリーグ6位と振るわなかった。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 中 | 土屋五郎 |
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2 | 遊 | 中村栄 |
3 | 一 | 石川尚任 |
4 | 捕 | 宇佐美一夫 |
5 | 左 | 岩橋利男 |
6 | 三 | 千原雅生 |
7 | 二 | 福田勇一 |
8 | 右 | 初岡栄治 |
9 | 投 | 田原基稔 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 国鉄 | 0.0 | 松竹 | 1.5 | 名古屋 | 3.5 | 名古屋 | 11.0 | 名古屋 | 14.0 | 名古屋 | 18.0 |
3位 | 名古屋 | 2.5 | 大阪 | 2.0 | 松竹 | 7.5 | 松竹 | 14.5 | 松竹 | 19.0 | 大阪 | 20.5 |
4位 | 大洋 | 3.0 | 名古屋 | 4.5 | 大阪 | 9.0 | 大阪 | 15.0 | 大阪 | 19.5 | 松竹 | 27.0 |
5位 | 松竹 | 3.5 | 国鉄 | 大洋 | 12.5 | 大洋 | 18.5 | 国鉄 | 25.0 | 国鉄 | 31.5 | |
6位 | 広島 | 4.0 | 大洋 | 4.5 | 国鉄 | 13.5 | 国鉄 | 18.5 | 大洋 | 25.5 | 大洋 | 37.0 |
7位 | 大阪 | 4.5 | 広島 | 7.5 | 広島 | 17.0 | 広島 | 25.0 | 広島 | 33.5 | 広島 | 41.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 79 | 29 | 6 | .731 | 優勝 |
2位 | 名古屋ドラゴンズ | 62 | 48 | 3 | .564 | 18.0 |
3位 | 大阪タイガース | 61 | 52 | 3 | .540 | 20.5 |
4位 | 松竹ロビンス | 53 | 57 | 5 | .482 | 27.0 |
5位 | 国鉄スワローズ | 46 | 59 | 2 | .438 | 31.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 40 | 64 | 4 | .385 | 37.0 |
7位 | 広島カープ | 32 | 64 | 3 | .333 | 41.0 |
オールスターゲーム1951
[編集]→詳細は「1951年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 選出なし |
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監督推薦 | 金田正一 |
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
土屋五郎 | 盗塁王 | 52個 | 初受賞 |
金田正一 | 最多奪三振 | 233個 | 初受賞 |
ベストナイン |
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選出なし |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1951年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月31日閲覧。
- ^ スワローズ激動の歩み (徳永喜男 ed.), 恒文社, (1980), p. 448
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 名古屋ドラゴンズ | 優勝 | 南海ホークス | 2位 | 西鉄ライオンズ |
3位 | 大阪タイガース | 4位 | 松竹ロビンス | 3位 | 毎日オリオンズ | 4位 | 大映スターズ |
5位 | 国鉄スワローズ | 6位 | 大洋ホエールズ | 5位 | 阪急ブレーブス | 6位 | 東急フライヤーズ |
7位 | 広島カープ | 7位 | 近鉄パールス | ||||
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||