コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

1964年の国鉄スワローズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1964年の国鉄スワローズ
成績
セントラル・リーグ5位
61勝74敗5分 勝率.452[1]
本拠地
都市 東京都新宿区
球場 明治神宮野球場
球団組織
経営母体 日本国有鉄道
産業経済新聞社(資本提携)
監督 林義一
« 1963
1965 »

テンプレートを表示

1964年の国鉄スワローズ(1964ねんのこくてつスワローズ)では、1964年の国鉄スワローズの動向をまとめる。

この年の国鉄スワローズは、林義一監督の1年目のシーズンである。

概要

[編集]

前年オフに中沢不二雄(当時:野球評論家)から「私の後輩に林義一がいるからコーチとして入団させてほしい」の言葉に対し、業務提携していた産業経済新聞社社長の水野成夫は「中沢が言う人だから監督になってもらおう」と監督に任命したこのシーズン、フランチャイズを後楽園球場から明治神宮野球場に正式変更してシーズンに臨んだ。この年も金田は序盤は好調で、7月16日に前人未到の4000奪三振、そして同月30日には20勝を達成して、「連続20勝」を14年まで伸ばした。しかしやがて林監督との対立が多く、特に8月には露骨に登板拒否する事が頻繁になり、最後はチームも5位に甘んじた。投手陣は打高傾向の中で防御率3.44と健闘し、打撃陣は豊田泰光の活躍で117本塁打とリーグ3位、盗塁数もリーグ4位ながら100個を記録した。林監督の解任は決定的になるも、サンケイ新聞以外の新聞に「林監督解任」の報道がシーズン中に出された事で、産経新聞社の水野社長は林監督の留任を主張、結局林監督は留任となったが、これに怒った金田は当時存在した「B級10年選手」の特権を行使して巨人に移籍、15年所属した国鉄スワローズを去った。そしてこれをきっかけに、国鉄スワローズの身売りは時間の問題と化す。

チーム成績

[編集]

レギュラーシーズン

[編集]
開幕オーダー
1 丸山完二
2 土屋正孝
3 徳武定祐
4 豊田泰光
5 高山忠克
6 町田行彦
7 星山晋徳
8 根来広光
9 金田正一
1964年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大洋 -- 阪神 -- 大洋 -- 大洋 -- 阪神 -- 阪神 --
2位 阪神 2.5 大洋 0.5 阪神 3.5 阪神 5.0 大洋 2.0 大洋 1.0
3位 巨人 3.0 巨人 5.5 巨人 8.5 巨人 8.5 巨人 9.0 巨人 11.0
4位 国鉄 6.0 広島 6.5 広島 11.0 国鉄 12.5 国鉄 15.0 広島 16.5
5位 広島 7.0 国鉄 7.0 国鉄 13.0 広島 13.0 広島 15.5 国鉄 18.5
6位 中日 8.5 中日 10.5 中日 18.0 中日 21.0 中日 24.5 中日 25.0


1964年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪神タイガース 80 56 4 .588 優勝
2位 大洋ホエールズ 80 58 2 .580 1.0
3位 読売ジャイアンツ 71 69 0 .507 11.0
4位 広島カープ 64 73 3 .467 16.5
5位 国鉄スワローズ 61 74 5 .452 18.5
6位 中日ドラゴンズ 57 83 0 .407 25.0

オールスターゲーム1964

[編集]
ファン投票 選出なし
監督推薦 金田正一 根来広光 豊田泰光

できごと

[編集]

選手・スタッフ

[編集]

[2][3]

表彰選手

[編集]
リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
金田正一 最多奪三振 231個 2年連続10度目
ベストナイン
選出なし

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 年度別成績 1964年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月31日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 146 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7