三橋豊夫
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県比企郡吉見村 |
生年月日 | 1949年4月29日(75歳) |
身長 体重 |
182 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト2位 |
初出場 | 1971年9月6日 |
最終出場 | 1971年9月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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三橋 豊夫(みつはし とよお、1949年4月29日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
[編集]鴻巣高校から日本通運に入社。1970年の都市対抗に出場。1回戦で九州産交を相手に先発し8回2失点と好投するが、リリーフが打たれ9回裏サヨナラ負けを喫する[1]。
1970年ドラフト会議でヤクルトアトムズから2位指名を受けると会社からの慰留があったが交渉の末に入団。大型左腕として期待され、嘗てチームの大エースであった同じ左腕の金田正一が付けていた背番号34を貰うが、一軍登板は1971年9月6日の対巨人戦で王貞治に与えたストレートの四球のみにとどまり、翌年オープン戦の好投後に肘が悪化しリハビリを続けるが1976年限りで引退した。1977年、28歳で立川市教委体育課に入り、市営球場と陸上競技の管理を担当した。ヤクルトのOB会に所属しており、少年野球の指導にもあたっている。
球威は抜群でオーバースローからの大きなカーブ、シュートを武器としたが、制球力に欠けた。ファームで基礎から鍛え直したが安定感はなく、下半身が突っ張って上体だけで投げるピッチングは治らなかった。
現在は植木職人をしていることが、2023年12月15日にNHKのドキュメント72時間で放映された。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1971 | ヤクルト | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 1 | 0.0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | ---- | ---- |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 1 | 0.0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | ---- | ---- |
記録
[編集]背番号
[編集]- 34 (1971年 - 1976年)
脚注
[編集]- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年