コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

1971年の広島東洋カープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1971年の広島東洋カープ
成績
セントラル・リーグ4位
63勝61敗6分 勝率.508[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場 広島市民球場
球団組織
オーナー 松田耕平
経営母体 松田家(東洋工業創業者一族)
監督 根本陸夫
« 1970
1972 »

テンプレートを表示

1971年の広島東洋カープでは、1971年の広島東洋カープの動向についてまとめる。

この年の広島東洋カープは、根本陸夫監督の4年目のシーズンである。

概要

[編集]

根本監督の4年目は山内一弘の引退を除けば前年とほぼ変わらない戦力でスタートし、この年こそAクラス入りが期待されたが、4月は前年6連覇達成の巨人が開幕後に12連勝でスタートダッシュしたこともあり、7ゲーム差の最下位に転落。それでも5月以降は阪神中日に代わって2位に浮上したりするなど、終始Aクラス争いを演じた。巨人の勢いが落ちた9月以降は阪神やヤクルトに代わって2位定着が期待されたが、最後の最後で大洋に蹴落とされて2年連続で勝ち越しながら4位となった。投手陣では、それまで無名の藤本和宏が先発ローテーションに入り、8月19日には対中日戦で水沼四郎のリードに助けられてノーヒットノーランを達成。それ以外の投手も藤本に刺激されるように勝ち星を伸ばし、2年連続の勝率5割に貢献した。打撃陣では6年目の水谷実雄が外野のレギュラーを獲得し、4年目の井上弘昭も三塁手としてまずまずの成績を残し、4番に座った衣笠祥雄や山内から背番号8を受け継いだ山本浩司は主砲としてこの年も健在だった。しかし、V9へ突き進む巨人の壁は厚く、1975年の初優勝までチームは停滞期に入ることになる。

チーム成績

[編集]

レギュラーシーズン

[編集]
開幕オーダー
1 三村敏之
2 上垣内誠
3 山本一義
4 衣笠祥雄
5 山本浩司
6 国貞泰汎
7 今津光男
8 田中尊
9 大石弥太郎
1971年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 4.5 広島 4.5 広島 8.0 ヤクルト 10.0 大洋 10.0 中日 6.5
3位 阪神 6.0 大洋 7.5 ヤクルト 9.0 中日 12.0 広島 10.5 大洋 8.0
4位 ヤクルト 6.0 ヤクルト 9.5 中日 10.0 広島 12.5 中日 10.5 広島 8.0
5位 中日 6.5 中日 10.0 阪神 11.5 大洋 14.0 阪神 11.0 阪神 12.5
6位 広島 7.0 阪神 10.5 大洋 12.5 阪神 14.5 ヤクルト 12.0 ヤクルト 19.0


1971年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 70 52 8 .574 優勝
2位 中日ドラゴンズ 65 60 5 .520 6.5
3位 大洋ホエールズ 61 59 10 .5083 8.0
4位 広島東洋カープ 63 61 6 .5081 8.0
5位 阪神タイガース 57 64 9 .471 12.5
6位 ヤクルトアトムズ 52 72 6 .419 19.0

[1]

選手・スタッフ

[編集]

オールスターゲーム1971

[編集]
ファン投票 選出なし
監督推薦 大石弥太郎 衣笠祥雄 国貞泰汎 水谷実雄

表彰選手

[編集]
リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
藤本和宏 最優秀防御率 1.71 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
国貞泰汎 二塁手 5年ぶり2度目[注 1]
水谷実雄 外野手 初受賞

ドラフト

[編集]
順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 道原博幸 捕手 芝浦工業大学 入団
2位 劔持節雄 内野手 岡山日本大学高 入団
3位 永射保 投手 指宿商業高 入団
4位 荒谷稔 外野手 広島商業高 拒否
5位 岡義朗 内野手 岡山東商業高 入団
6位 山形和幸 捕手 山口・桜ケ丘高 入団
7位 根建忍 投手 武相高 入団
8位 浜納一志 内野手 鳥取西高 入団
9位 松田節男 外野手 東芝 拒否
10位 若松茂樹 内野手 広島商業高 拒否

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1968年に三塁手部門で受賞しており、通算3度目。

出典

[編集]