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東芝野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東芝野球部
チーム名(通称) 東芝、ブレイブアレウス
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1958年
チーム名の遍歴

  • 東芝 (1958 - )
本拠地自治体

練習グラウンド 東芝総合グラウンド(神奈川県横浜市
チームカラー
監督 大河原正人
都市対抗野球大会
出場回数 44回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(7回)
日本産業対抗野球大会
出場回数 2回
最近の出場 1973年
最高成績 ベスト4
社会人野球日本選手権大会
出場回数 32回
最近の出場 2024年
最高成績 優勝(2回)
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

東芝野球部(とうしばやきゅうぶ)は、神奈川県川崎市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。合宿所・練習グラウンドは、神奈川県横浜市に所在する。

運営母体は、電機メーカー東芝。獲得した全国タイトルが、全国の社会人野球チームでENEOSに次ぐ第2位の計10回(全日本アマチュア王座決定戦優勝1回・都市対抗優勝7回・日本選手権優勝2回)を誇り、プロ野球選手や日本代表選手を多数輩出する全国でも屈指の強豪チームである。

概要

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1958年電機メーカー東芝が本店所在地のある神奈川県川崎市を本拠地として創部。列強の居並ぶ神奈川地区においては比較的後発チームであるが、積極的なチーム作りが奏功し、早いうちから全国大会に出場している。

1960年都市対抗野球で初出場(初戦敗退)すると、6回目の挑戦となった1978年都市対抗野球で初優勝を果たした。

1980年日本選手権に初出場(初戦敗退)した。

1983年都市対抗野球で2度目の優勝を遂げると、1988年には都市対抗野球で3度目の優勝、さらに日本選手権で初優勝を果たし、史上初となる同一年2大大会制覇を達成した。

1991年都市対抗野球で4度目の優勝を果たし、1992年日本選手権では2度目の優勝を果たした。

1999年都市対抗野球で5度目の優勝を果たした。秋シーズンから東京都府中市にある府中工場を拠点に活動していた東芝府中野球部を統合し、会社唯一の硬式野球部となり活動を続けている。府中チームと統合後は、全国大会への出場を逃したり、出場しても早期で敗退するなど低迷期を迎えたが、中堅・ベテラン陣の活躍で盛り返し、2007年都市対抗野球で6度目の優勝を勝ち取った。

2004年9月には、川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナーに認定され、地域への活動に積極的に関わるようになった。

2009年、チーム愛称「東芝野球部ブレイブアレウス(BRAVE AREUS)」を制定した[1]。「アレウス」は、ギリシア神話アレースに由来する。

2010年都市対抗野球で7度目の優勝を果たした。

設立・沿革

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練習場

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鶴見駅東口より横浜市営バス13系統(一の瀬・新横浜駅綱島駅行き)で15分、末吉橋で下車し徒歩5分。
東急東横線綱島駅より川崎鶴見臨港バスで15分、末吉橋西で下車し徒歩5分。
小高い丘の上にある。練習場にある観客席のうち、バックネット裏は関係者席であるため一般人は入れない。内野はベンチのような自由席となっており一般観戦が可能である。

主要大会の出場歴・最高成績

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第78回都市対抗野球大会・優勝 (2007年)

主な出身プロ野球選手

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かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督

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脚注

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  1. ^ 発足から現在までの流れ」『東芝野球部:東芝スポーツ』。2024年5月14日閲覧

関連項目

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外部リンク

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