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1968年の広島東洋カープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1968年の広島東洋カープ
成績
セントラル・リーグ3位
68勝62敗4分 勝率.523[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場 広島市民球場
球団組織
オーナー 松田恒次
経営母体 松田家(東洋工業創業者一族)
監督 根本陸夫
« 1967
1969 »

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1968年の広島東洋カープでは、1968年の広島東洋カープの動向についてまとめる。

この年の広島東洋カープは、根本陸夫監督の1年目のシーズンである。

概要

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東洋工業(現・マツダ)社長の松田恒次が筆頭株主かつオーナーに、恒次の長男で東洋工業副社長の松田耕平がオーナー代行に、監督が根本陸夫になりチーム名が広島東洋カープに改称されたこの年、チームは前年V3の巨人が開幕からもたついたこともあり、6月まで巨人と首位を争った。しかし夏場に12連敗を喫したこともあり阪神に抜かれて3位に転落したが、球団創設以来19年目で初のAクラスとなった。Aクラス入りの原動力となった投手陣は安仁屋宗八外木場義郎が共に20勝をあげ、開幕投手の大石弥太郎白石静生などもそれなりの成績を収めた。打撃陣では若手の手本となるべく、阪神から山内一弘を無償トレードで獲得。山内は全盛期こそ過ぎたものの根本監督の期待に応えて21本塁打を打ち、開幕から3番あるいは4番を打って山本一義衣笠祥雄とともにAクラス入りに貢献した。この年オフのドラフト会議で1975年の初優勝メンバーである法政大学山本浩二をドラフト1位で、同じく中央大学水沼四郎をドラフト2位でそれぞれ獲得するなど、世代交代が急加速していく。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 苑田敏彦
2 古葉竹識
3 山内一弘
4 山本一義
5 衣笠祥雄
6 朝井茂治
7 今津光男
8 田中尊
9 大石弥太郎
1968年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 中日 -- 巨人 -- 広島 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 1.5 広島 2.5 巨人 1.0 広島 6.5 阪神 1.5 阪神 3.0 阪神 5.0
3位 巨人 3.5 中日 6.0 大洋 7.0 サンケイ 8.5 サンケイ 7.0 広島 8.5 広島 9.0
4位 大洋 5.0 阪神 7.0 サンケイ 8.5 阪神 10.5 広島 8.5 サンケイ 11.5 サンケイ 13.0
5位 サンケイ 5.5 サンケイ 8.5 阪神 9.5 大洋 11.0 大洋 15.0 大洋 16.5 大洋 18.0
6位 阪神 5.5 大洋 9.0 中日 13.0 中日 14.5 中日 16.0 中日 23.5 中日 27.0


1968年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 77 53 4 .592 優勝
2位 阪神タイガース 72 58 3 .554 5.0
3位 広島東洋カープ 68 62 4 .523 9.0
4位 サンケイアトムズ 64 66 4 .492 13.0
5位 大洋ホエールズ 59 71 3 .454 18.0
6位 中日ドラゴンズ 50 80 4 .385 27.0

[1]

選手・スタッフ

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オールスターゲーム1968

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ファン投票 安仁屋宗八 山本一義
監督推薦 外木場義郎 田中尊 山内一弘

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
古葉竹識 盗塁王 39個 4年ぶり2度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
山内一弘 外野手 5年ぶり10度目

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 山本浩二 外野手 法政大学 入団
2位 水沼四郎 捕手 中央大学 入団
3位 山口喜司 投手 陸上自衛隊西部 入団
4位 石川政雄 捕手 宇部鴻城高 入団
5位 前保洋 投手 鹿児島玉龍高 拒否・明治大学進学
6位 稲葉光雄 投手 日本軽金属 拒否
7位 益田芳樹 内野手 南宇和高 拒否・中央大学進学
8位 六條誠一 投手 高松第一高 拒否・日本鋼管入社
9位 上林成行 投手 国府高 拒否・法政大学進学

脚注

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出典

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