コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

城野勝博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
城野 勝博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県
生年月日 (1944-08-17) 1944年8月17日(80歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1963年
初出場 1963年
最終出場 1969年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

城野 勝博(じょうの かつひろ、1944年8月17日- )は、佐賀県[1]出身の元プロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手

来歴・人物

[編集]

鳥栖工業高校では、1年生の時、エースとして1960年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、西九州大会決勝に進出するが、鹿島高宮崎昭二投手に完封を喫する。1962年夏にも西九州大会準決勝まで進むが、大崎高に敗退し、甲子園出場はならなかった[2]。卒業後、1963年広島カープへ入団[1]

重い速球と切れの良いシュートを主な武器とし、1年目から一軍で投げた。だが、好投しても打線の援護に恵まれない不運に多く見舞われた事もあって、本来の力を出し切れなかった。1967年に一軍初勝利、10月には大洋ホエールズを相手に初完封を記録するが、その後は低迷。

その後、1969年オフに国貞泰汎内野手との交換トレードで古葉毅とともに南海ホークスへ移籍[1]。しかしここではファーム暮らしに終始し、翌年途中で引退した[1]

二軍では1965年1967年ウエスタン・リーグの最多勝利投手のタイトルを獲得している[1]。また1965年8月19日の対阪神タイガース戦と、1968年9月24日の対南海戦ではノーヒットノーランを達成した。二軍戦において個人で2度のノーヒットノーラン達成は、イースタンとの両リーグ通じて史上初であった[3][4]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1963 広島 4 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 38 8.0 10 0 3 0 0 5 0 0 2 2 2.25 1.63
1964 14 3 0 0 0 0 2 -- -- .000 94 21.0 21 4 15 1 1 6 0 1 12 12 5.14 1.71
1965 13 2 0 0 0 0 2 -- -- .000 99 23.0 20 1 13 2 0 10 0 0 9 8 3.13 1.43
1966 12 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 56 11.1 15 3 8 0 0 3 0 0 10 7 5.73 2.03
1967 19 9 3 1 0 3 5 -- -- .375 270 66.0 55 2 20 1 1 26 1 1 17 15 2.05 1.14
1968 20 9 1 0 0 1 3 -- -- .250 278 62.2 65 9 27 2 4 25 3 0 37 36 5.14 1.47
1969 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 10 2.0 4 1 0 0 0 0 0 0 1 1 4.50 2.00
通算:7年 83 23 4 1 0 4 12 -- -- .250 845 194.0 190 20 86 6 6 75 4 2 88 81 3.76 1.42

背番号

[編集]
  • 58 (1963年)
  • 20 (1964年 - 1966年)
  • 46 (1967年 - 1969年)
  • 24 (1970年 - 同年途中)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、279ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会五十年史」 朝日新聞社編 1968年
  3. ^ 2012年シーズン終了現在、二軍での複数回達成者は、城野の他には読売ジャイアンツ時代の松谷竜二郎だけである。
  4. ^ 『ベースボール・マガジン』2012年11月号、72ページから

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]