コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

霞ヶ浦駐屯地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霞ヶ浦分屯基地から転送)
霞ヶ浦駐屯地
同駐屯地のOH-1(2008年5月)
同駐屯地のOH-1(2008年5月)
位置
地図
所在地 茨城県土浦市右籾町2410
座標 北緯36度2分4秒 東経140度11分35秒 / 北緯36.03444度 東経140.19306度 / 36.03444; 140.19306座標: 北緯36度2分4秒 東経140度11分35秒 / 北緯36.03444度 東経140.19306度 / 36.03444; 140.19306
概要
駐屯地司令 関東補給処長 兼務
主要部隊 関東補給処
航空学校霞ヶ浦校
ほか
面積 開設年 = 1953年
テンプレートを表示
霞ヶ浦飛行場
Kasumigaura airfield
霞ヶ浦飛行場の空中写真(2008年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
IATA: ? - ICAO: RJAK
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 茨城県土浦市右籾町
種類 軍用
所有者 防衛省
運営者 陸上自衛隊
標高 25 m (82 ft)
座標 北緯36度02分04秒 東経140度11分35秒 / 北緯36.03444度 東経140.19306度 / 36.03444; 140.19306
地図
空港の位置
空港の位置
RJAK
空港の位置
空港の位置
RJAK
空港の位置
空港の位置
RJAK
空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
06/24 550×15 芝生
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
霞ヶ浦飛行場付近の空中写真。(1984年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

霞ヶ浦駐屯地(かすみがうらちゅうとんち、JGSDF Camp Kasumigaura)は、茨城県土浦市右籾町2410および阿見町に所在し、関東補給処等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。

概要

[編集]

南側に隣接する茨城県道203号荒川沖阿見線を越えた位置に航空学校霞ヶ浦校が使用している霞ヶ浦飛行場が、隷属する分屯地として朝日分屯地がある。駐屯地司令は、関東補給処長が兼務。

戦前の土浦周辺は大日本帝国海軍航空隊(霞ヶ浦海軍航空隊)の一大拠点であり、飛行船ツェッペリン号チャールズ・リンドバーグが降り立ったことでも知られる軍用飛行場である霞ヶ浦海軍飛行場、海軍飛行予科練習生(予科練)が置かれたことでも有名な土浦海軍航空隊(現土浦駐屯地(陸上自衛隊武器学校))などがあった。

第1海軍航空廠では、桜花など海軍戦闘機の開発が行われた。また山本五十六(連合艦隊司令長官・海軍次官)が大佐時代に、当地で副長及び、航空学校教頭などを勤めたことで、銅像が建っている。第一次世界大戦の戦勝国である日本がヴェルサイユ条約に基づきドイツから押収移設した飛行船格納庫があったため、前述のツェッペリン号の停泊地となった。戦後は取り壊されて、現在の霞ヶ浦駐屯地の他、茨城大学農学部キャンパス、井関農機協和発酵キリン東京医科大学茨城医療センター、茨城県立医療大学などになった。

時々間違えられるが、土浦市に所在する関東補給処は霞ヶ浦駐屯地、霞ヶ浦に面している武器学校は土浦駐屯地(所在地は茨城県稲敷郡阿見町)である。以前は最寄りの常磐線荒川沖駅から専用線が敷かれており、昭和50年頃までは年に数回(主に年度末に)貨物列車が通っていた。現在は線路が撤去され、併走の道路が拡幅されている。

沿革

[編集]

保安隊霞ヶ浦駐屯地

  • 1953年(昭和28年)2月11日:保安隊の駐屯地として新設[1]
  • 1954年(昭和29年)
    • 1月20日:
    1. 保安隊武器補給しょうが立川駐屯地(現・東立川駐屯地)から移駐。
    2. 武器補給しょう長に駐屯地部隊長兼務発令[2]
    • 2月11日:武器補給処の開庁式[3]

陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地

  • 1954年(昭和29年)7月1日:陸上自衛隊設置に伴い霞ヶ浦駐屯地が開設される[4][5]
  • 1959年(昭和34年)12月4日:陸上自衛隊航空学校霞ヶ浦分校が設立。
  • 1962年(昭和37年)
    • 1月18日:東部方面航空隊が編成完結。
    1. 東部方面航空隊本部が新編。
    2. 東部方面飛行隊が新編。
    3. 東部方面管制気象隊が新編。
    4. 第1管区隊第1航空隊が第1飛行隊に改編。
    5. 第12飛行隊が新編。
  • 1963年(昭和38年)1月17日:地対空ミサイルナイキ・エイジャックスを装備した陸上自衛隊第101高射大隊(習志野駐屯地)が編成され第3中隊が置かれた。

陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地・航空自衛隊霞ヶ浦分屯基地

  • 1964年(昭和39年)4月1日:ナイキシステムの航空自衛隊への移管により、第101高射大隊が航空自衛隊第1高射群に改編され、第3中隊は第3高射隊に改編。霞ヶ浦分屯基地が開設。
  • 1969年(昭和44年)8月1日:東部方面ヘリコプター隊が新編。
  • 1972年(昭和47年)12月27日:東部方面ヘリコプター隊本部及び付隊、第1飛行隊、東部方面管制気象隊が立川飛行場(現・立川駐屯地)に移駐。
  • 1998年(平成10年)
  • 2002年(平成14年)3月27日:部隊の改編等。
  1. 東部方面後方支援隊新編に伴い、方面武器隊隷下の第306武器野整備中隊を第101全般支援隊に改編。
  2. 航空学校霞ヶ浦分校が霞ヶ浦校に改称。
  • 2008年(平成20年)
    • 3月26日:警務隊改編。第111地区警務隊霞ヶ浦派遣隊を廃止し、第127地区警務隊霞ヶ浦派遣隊に改編。
    • 3月29日:航空自衛隊第3高射隊にPAC-3が配備。
  • 2015年(平成27年)3月26日:会計隊の改編に伴い、第413会計隊が廃止となり、第341会計隊霞ヶ浦派遣隊が配置。
  • 2017年(平成29年)3月27日:第302弾薬中隊がコア部隊として新編。
  • 2018年(平成30年)3月27日:第103補給大隊がコア部隊として新編[6]
  • 2021年(令和03年)3月18日:第341会計隊霞ヶ浦派遣隊が第413会計隊に改編[7]。同部隊は6年ぶりの再編成となる。
  • 2023年(令和05年)3月16日:航空自衛隊の高射部隊の改編により、第3高射隊の上位部隊である第1高射群が中部高射群に改編。

霞ヶ浦駐屯地駐屯部隊・機関

[編集]

東部方面隊隷下部隊・機関

[編集]

防衛大臣直轄部隊・機関

[編集]

配置部隊(霞ヶ浦分屯基地)

[編集]

航空自衛隊中部航空方面隊隷下部隊

[編集]

朝日分屯地

[編集]

朝日分屯地(あさひぶんとんち)は、茨城県稲敷郡阿見町うずら野3-47に所在する関東補給処朝日燃料支処が駐屯する陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地の分屯地である。

概要

[編集]

朝日燃料支処は燃料の補給・保管をしている。霞ヶ浦駐屯地から約3km、常磐線荒川沖駅より約2kmに位置して閑静な住宅街に囲まれている。

駐屯部隊・機関(朝日分屯地)

[編集]

東部方面隊隷下部隊・機関

[編集]

航空管制

[編集]
TWR
122.2MHz,123.1MHz,126.2MHz,138.05MHz,140.5MHz,141.75MHz

最寄の幹線交通

[編集]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 保安庁法施行令の一部を改正する政令(昭和28年政令第18号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1953年2月10日). 2017年6月29日閲覧。
  2. ^ 『官報』本紙 第8144号(昭和29年2月27日)
  3. ^ 朝雲新聞社編集局 編『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』朝雲新聞社、2000年9月15日、251頁。ISBN 978-4750980157 
  4. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)
  5. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1954年6月30日). 2016年6月19日閲覧。
  6. ^ 平成29年度歳出概算要求書(一般会計) (PDF) p.230- 防衛省
  7. ^ “東部方面会計隊 新たな体制でスタート”. 陸上自衛隊東部方面隊広報紙「あづま」令和3年7月25日 第1038号. (2021年7月25日). https://www.mod.go.jp/gsdf/eae/contents/img/aduma/pdf/aduma_1038.pdf 2022年4月20日閲覧。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]