第1高射群
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第1高射群 1st Air Defence Missile Group | |
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創設 | 1964年(昭和39年)4月1日 |
廃止 | 2023年(令和 5年)3月16日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
部隊編制単位 | 群 |
兵科 | 高射運用 |
所在地 | 埼玉県 狭山市 |
編成地 | 入間 |
上級単位 | 中部航空方面隊 |
担当地域 | 関東地方、甲信越地方、静岡県 |
第1高射群(だい1こうしゃぐん、英称:1st Air Defence Missile Group)とは、中部航空方面隊に属していた高射群である。
概要
[編集]陸上自衛隊から長距離防空を移管した部隊であった。本部は入間基地(埼玉県狭山市)に所在しており、4つの高射隊を傘下に抱えていた。主な任務は、飛来する敵の航空戦力を長射程の地対空ミサイル(SAM)により遠距離で迎撃することであった。
2023年3月に、6個高射群から4個高射群への再編に伴い、第4高射群とともに廃止・統合され、中部高射群となった。
沿革
[編集]陸上自衛隊第101高射大隊
第1高射群
- 1964年(昭和39年)4月1日:陸上自衛隊から航空自衛隊にMIM-3 ナイキ・エイジャックスシステムが移管され「第1高射群」が新編。
- 1971年(昭和46年)6月30日:ナイキ-Jミサイルに更新完了。
- 1992年(平成 4年)3月31日:パトリオット部隊に改編。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2015年(平成27年)頃:北朝鮮による弾道ミサイル発射実験の対応として第1高射隊の一部を防衛省市ヶ谷地区に分派。
- 2016年(平成28年)12月15日:津波被害から装備品を保護するため、武山分屯基地・第2高射隊の機材を長井統制地区(長井海の手公園 ソレイユの丘)に移転[1]。
- 2017年(平成29年)3月27日:第1高射隊「市ヶ谷派遣班(仮)」が正式に「市ヶ谷分遣班」となる[2]。
- 2023年(令和 5年)3月16日:第1高射群と第4高射群が廃止・統合となり、中部高射群に改編[3]。
廃止時の部隊編成
[編集]特記ないものは入間基地に所在していた。
- 第1高射群本部
- 指揮所運用隊
- 峯岡山派遣班(峯岡山分屯基地)
- 第1高射隊(習志野分屯基地)
- 市ヶ谷分遣班(市ヶ谷基地)
- 第2高射隊(武山分屯基地(長井統制地区[1]))
- 第3高射隊(霞ヶ浦分屯基地)
- 第4高射隊
- 整備補給隊
歴代の第1高射群司令
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 山田隆二 | 1964年 | 4月 1日 - 1964年 7月15日第101高射大隊長 (1等陸佐) |
航空幕僚監部防衛部防衛課勤務 |
2 | 諸江義厚 (2等空佐) |
1964年 | 7月16日 - 1966年 7月15日第1高射群副司令 | 中部航空方面隊司令部 |
3 | 田中真夫 | 1966年 | 7月16日 - 1969年 2月16日航空自衛隊第3術科学校第2教育部長 | 防衛施設庁施設部施設企画課 施設連絡官 |
4 | 牧範 | 1969年 | 2月17日 - 1970年 6月30日第3航空団副司令 | 第12飛行教育団司令 兼 防府北基地司令 |
5 | 坂崎孝幸 | 1970年 | 7月 1日 - 1972年 2月15日中部航空方面隊司令部勤務 兼 統合幕僚会議事務局 第2幕僚室勤務 |
航空幕僚監部防衛部副部長 |
6 | 錀山一臣 | 1972年 | 2月16日 - 1973年 9月30日航空自衛隊第3術科学校業務部長 | 輸送航空団副司令 |
7 | 田中榮一 | 1973年10月 | 1日 - 1975年 3月16日中部航空警戒管制団 中部防空管制群司令 |
中部航空警戒管制団付 →1975年6月12日 停年退官 |
8 | 藤田征郎 | 1975年 | 3月17日 - 1976年 8月 1日中部航空方面隊司令部監察官 | 航空自衛隊幹部学校勤務 |
9 | 中西孝雄 (空将補) |
1976年 | 8月 2日 - 1977年 7月31日防衛大学校教授 | 第2航空団司令 兼 千歳基地司令 |
10 | 新野明 (空将補) |
1977年 | 8月 1日 - 1980年 6月30日航空幕僚監部人事教育部人事課長 | 航空幕僚監部人事教育部長 |
11 | 山田稔 (空将補) |
1980年 | 7月 1日 - 1982年 3月15日航空総隊司令部人事部長 | 航空総隊司令部付 →1982年7月1日 退職 |
12 | 矢島精三 | 1982年 ※1983年 1月 1日 空将補昇任 |
3月16日 - 1984年10月31日航空総隊司令部人事部長 | 航空幕僚監部付 →1985年1月1日 退職 |
13 | 石塚鑛司 | 1984年11月 ※1985年 4月 1日 空将補昇任 |
1日 - 1986年12月 4日防衛研修所所員 | 航空自衛隊第4補給処長 |
14 | 横澤彰夫 (空将補) |
1986年12月 | 5日 - 1988年 3月15日航空幕僚監部監理部会計課長 | 中部航空方面隊司令部幕僚長 |
15 | 下村教久 | 1988年 | 3月16日 - 1989年 6月29日防空指揮群司令 兼 府中基地司令 |
北部航空警戒管制団司令 (空将補昇任) |
16 | 後藤龍一 | 1989年 | 6月30日 - 1991年 3月15日航空幕僚監部人事教育部人事課 企画室長 |
西部航空方面隊司令部幕僚長 (空将補昇任) |
17 | 多田農 | 1991年 | 3月16日 - 1992年 8月 1日第6高射群司令 | 退職(空将補昇任) |
18 | 平井澄勇 | 1992年 | 8月 1日 - 1994年11月30日第5高射群司令 | 航空自衛隊幹部学校教育部長 |
19 | 青木初年 | 1994年12月 | 1日 - 1996年 7月31日第6高射群司令 | 航空総隊司令部総務部長 |
20 | 津金澤洋實 | 1996年 | 8月 1日 - 1997年11月30日調達実施本部名古屋支部 岐阜調達管理事務所長 |
航空自衛隊幹部学校研究部長 |
21 | 田中保 | 1997年12月 | 1日 - 2000年 3月31日航空幕僚監部防衛部施設課長 | 南西航空警戒管制隊司令 |
22 | 橋爪俊輔 | 2000年 | 4月 1日 - 2001年 3月26日第2輸送航空隊司令 | 特別航空輸送隊司令 |
23 | 塚田義和 | 2001年 | 3月27日 - 2002年12月 1日航空自衛隊補給本部総務部長 | 航空自衛隊幹部候補生学校副校長 |
24 | 河村和眞 | 2002年12月 | 2日 - 2003年12月 1日第13飛行教育団司令 | 退職(空将補昇任) |
25 | 詫摩浩士 | 2003年12月 | 1日 - 2005年12月 2日航空幕僚監部人事教育部厚生課長 | 防空指揮群司令 兼 府中基地司令 |
26 | 山内賢二 | 2005年12月 | 3日 - 2007年 3月31日航空自衛隊幹部候補生学校副校長 | 航空自衛隊幹部学校研究部長 |
27 | 物部明德 | 2007年 | 4月 1日 - 2009年 4月14日航空幕僚監部総務部総務課 情報公開・個人情報保護室長 |
航空自衛隊補給本部総務部長 |
28 | 池川昭司 | 2009年 | 4月15日 - 2011年 7月31日中部航空方面隊司令部勤務 | 航空支援集団司令部総務部長 |
29 | 桑原中 | 2011年 | 8月 1日 - 2013年 4月 1日航空自衛隊幹部学校主任教官 | 退職(空将補昇任) |
30 | 田中耕太 | 2013年 | 4月 1日 - 2015年 3月24日航空総隊司令部防衛部防衛課長 | 航空教育隊司令 兼 防府南基地司令 |
31 | 伊藤顕 | 2015年 | 3月25日 - 2017年12月19日情報本部画像・地理部長 | 航空幕僚監部総務部総務課長 |
32 | 河野順一 | 2017年12月20日 - 2021年10月 | 4日航空幕僚監部総務部総務課 情報公開・個人情報保護室長 |
中部航空方面隊司令部幕僚長 |
末 | 山田敬 | 2021年10月 | 5日 - 2023年 3月15日北部航空施設隊司令 | 中部高射群司令 |
脚注
[編集]- ^ a b PAC3:高台に移動 津波被害回避で 空自武山分屯基地 /神奈川2016.12.15 2017.10.10閲覧
- ^ 朝雲新聞(平成29年3月30日・第一面)
- ^ 航空自衛隊入間基地に関する令和4年度概算要求の主要事業について2021年(令和3年)9月、防衛省