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「ダイヤル110番」の版間の差分

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*318. 手錠 (10月21日 福田豊土、[[本山可久子]]、保科三良、若村彰、松下達夫、永井玄哉、里木三郎)
*318. 手錠 (10月21日 福田豊土、[[本山可久子]]、保科三良、若村彰、松下達夫、永井玄哉、里木三郎)
*319. 殺人者 (10月28日 [[山東昭子]]、[[上田忠好]]、笠間雪雄、舟橋元、二瓶秀雄、高杉たえ子、太田豊彦)
*319. 殺人者 (10月28日 [[山東昭子]]、[[上田忠好]]、笠間雪雄、舟橋元、二瓶秀雄、高杉たえ子、太田豊彦)
*320. 殺意の部屋 (11月3日 早川純一、[[筈見純]]、[[中野誠也]]、可知靖之、二階堂有希子)
*320. 殺意の部屋 (11月3日 早川純一、[[筈見純]]、[[中野誠也 (俳優)|中野誠也]]、可知靖之、二階堂有希子)
*321. 火の山を守る (11月10日 臼井正明、笠間雪雄、永井玄哉、千波一之)
*321. 火の山を守る (11月10日 臼井正明、笠間雪雄、永井玄哉、千波一之)
*322. 廃坑 (11月17日 浮田左武郎、永井柳太郎、宮川洋一、近江俊輔)
*322. 廃坑 (11月17日 浮田左武郎、永井柳太郎、宮川洋一、近江俊輔)

2022年5月15日 (日) 04:51時点における版

ダイヤル110番
ジャンル 刑事ドラマ
脚本 村山俊郎、井手雅人、向田邦子、池田博、布勢博一、松本昭典、大津皓一、赤坂長義、原島正夫、服部弘、下飯坂菊馬、宮川一郎、今戸公徳、山野利一、春日桂太郎、山田正弘、津瀬宏、西島大、服部弘、伏原高司、蓬萊泰三、増田耕、藤本義一瀬川昌治清水邦夫、土井行夫、内田栄一小松左京、大川久男、長野洋
演出 石橋冠、北川信、高井牧人、中村公一、佐藤孝吉、江守哲郎、大西信義、松村準平、波多腰晋二、小林進、保坂武孝
出演者 玉川伊佐男
松村達雄
川辺久造
製作
制作 日本テレビよみうりテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1957年9月3日〜1964年9月6日
放送時間#放映曜日・放映時間帯を参照
放送分30分
回数364

特記事項:
モノクロームで放送。
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ダイヤル110番』(ダイヤルひゃくとおばん)は、1957年9月3日から1964年9月6日まで、日本テレビよみうりテレビが制作し、日本テレビ系列にて放映された刑事ドラマ。実際の事件に基づいてストーリーを構成した作品で、「日本で初の刑事ドラマ」とされている[1]

概要

アメリカで1957年に放映された実録刑事ドラマ『ドラグネット英語版』にヒントを得て、制作された[1]

ストーリーについては、警視庁による協力のもと、警視庁、警察庁、日本全国の警察署から寄せられた現実の事件などの資料に基づき、構成された。本物のパトカーが使用されたことも評判になった[2]ほか、1958年6月14日には警察庁長官からスポンサーの新三菱重工業へ感謝状が贈られ[注釈 1]1961年9月5日には警察庁長官賞を受賞した[4][1]

オープニングは、警視庁の通信指令室が映った後に係員が受話器を取って「はい、こちら110番」と応じる場面[5]と、「このドラマは、事実に基づいて制作されています」のナレーションから始まる[4]

事件については、血生臭いものだけでなく明るいものや感動的なものなども採用され、お色気は抜きとされた[4]。また、一話完結だけでなく連続ものとしてシリーズ化された作品もあり、「九州シリーズ」「関西シリーズ」「科学捜査シリーズ」「非行少年シリーズ」「もしもあなたがシリーズ」など、銘打たれたものもあった。

主役については設けられず、同じ役者でも役名は回によって違っていたことが主だった[4]。また、視聴率については、当時のベストテンの上位に付けていたことが多かった[4]

提供は、新三菱重工業理研科学小野薬品と、一社ずつで変遷し、45分時代は田辺製薬ニッカウヰスキーの二社提供となったが、最後はヤクルト本社の一社提供となった。

緊急通報用電話番号の「110番」を「ひゃくとおばん」と読むのは、本ドラマに由来するという[3]。緊急通報用電話番号が設定されたのは1948年で、当初は番号は地域ごとに不統一であった(東京では1948年より110番であった)が、1954年に全国の緊急通報用電話番号が110番に統一された。

なお、本作は奥村公延(当時は「奥村進」名義)の俳優デビュー作でもある。

放映データ

  • 放映期間:1957年9月3日〜1964年9月6日
  • 放映話数:364回
  • 放映形式:モノクロ16mmフィルム、モノクロVTR

放映曜日・放映時間帯

  • 毎週火曜日22:15〜22:45(1957年9月3日〜1957年9月24日)
  • 毎週日曜日17:15〜17:45(1957年10月6日〜1957年10月13日)
  • 毎週日曜日20:30〜21:00(1957年10月20日〜1958年5月4日)
  • 毎週土曜日22:30〜23:00(1958年5月10日〜1958年8月2日)
  • 毎週土曜日22:00〜22:30(1958年8月9日〜1958年8月23日)
  • 毎週火曜日20:30〜21:00(1958年9月2日〜1959年9月29日)
  • 毎週火曜日22:00〜22:30(1959年10月6日〜1961年9月26日)
  • 毎週火曜日21:30〜22:00(1961年10月3日〜1962年4月17日)
  • 毎週火曜日22:00〜22:30(1962年4月24日〜1962年9月25日)
  • 毎週日曜日21:45〜22:30(1962年10月7日〜1963年10月6日)
  • 毎週日曜日21:30〜22:00(1963年10月13日〜1964年9月6日)

スタッフ

出演者

サブタイトル

※日付の後ろの名前は主な出演者。

放送局

脚注

注釈

  1. ^ 110番(緊急通報用電話番号)を全国に認知させた功績をたたえてという[3]

出典

  1. ^ a b c 日本テレビ編『日テレドラマ半世紀』114ページ より。
  2. ^ ダイヤル110番”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月23日閲覧。
  3. ^ a b 石森則和 (2011年1月12日). “こちらダイヤル110番”. 文化放送報道部ブログ. 文化放送. 2020年10月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年 p.87
  5. ^ 『大衆とともに25年 写真集』日本テレビ放送網、1978年 p.56
  6. ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』ISBN 978-4-86249-271-5 2016年 196頁
  7. ^ 東方出版『まぼろしの大阪テレビ 全番組表集成~1000日の空中博覧会~』ISBN 978-4-86249-271-5 2016年 197頁
  8. ^ 北日本新聞』1959年4月14日付朝刊、テレビ欄。
日本テレビ 日曜20時台後半枠
前番組 番組名 次番組
プロ野球中継
(20:00 - 21:00)
ダイヤル110番
(1957年10月 - 1958年5月)
プロ野球中継
(20:00 - 21:00)
日本テレビ系 土曜22時台後半枠
ダイヤル110番
(1958年5月 - 8月)
-----
日本テレビ系 土曜22時台前半枠
-----
ダイヤル110番
(1958年8月)
日本テレビ系 火曜20時台後半枠
ダイヤル110番
(1958年9月 - 1959年9月)
日本テレビ系 火曜22時台前半枠
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(22:00 - 22:45)
※月曜21:00に移動
ダイヤル110番
(1959年10月 - 1961年9月)
日本テレビ系 火曜21時台後半枠
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21:45-テレビスポーツ
ダイヤル110番
(1961年10月 - 9月)
21:30-テレビスポーツ
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ダイヤル110番
(1962年10月 - 1963年10月)
21:30-ダイヤル110番
※15分繰上げ
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22:10-スポーツニュース
※以上30分ずつ繰下げ
22:15-オリンピックエピソード
日本テレビ系 日曜21時台後半枠
21:30-きょうの出来事
21:40-スポーツニュース
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ダイヤル110番
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前番組 番組名 次番組
(なし)
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(1964年4月~9月)
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(月曜21:30 - 22:00)