ヤクルト野球アカデミー
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ヤクルト野球アカデミー(ヤクルトやきゅうアカデミー、ポルトガル語: Centro de Treinamento Yakult、略称: CT Yakult)は、ブラジルサンパウロ州のイビウーナ市にある野球選手の育成施設、野球場。ブラジル野球ソフトボール連盟とヤクルト商工(ヤクルト本社ブラジル現地法人)が共同運営し、12歳から18歳までの選手約40人が全寮制で野球を学んでいる[1]。
1999年、ヤクルト商工がイビウーナに野球場を建設、翌2000年より開校した。敷地面積は約22万平方メートルで、大人用3面・子供用5面のグラウンドやトレーニングルーム・屋内練習場・選手宿舎などを有する。2009年までに300人から350人の卒業生を輩出し、そのうち約50人が日米でプレーしている[2]。
アカデミーの在籍生は近隣の高校に通学するため、来日したブラジル人選手の出身高校は「カントリーキッズ高校」となっている場合が多い[3]。
主な卒業生
[編集](生年順)
- ラファエル・フェルナンデス[4]
- ディエゴ・フランカ
- アンドレ・リエンゾ[5]
- 金伏ウーゴ[6]
- 奥田ペドロ[7]
- 仲尾次オスカル[8]
- チアゴ・ビエイラ[9]
- ルーカス・ホジョ[10]
- ダニエル・ミサキ[11]
関係人物
[編集]- 佐藤允禧 - 校長。1983年以降野球ブラジル代表監督を務め[12]、2013年のワールド・ベースボール・クラシック代表ではコーチを務めた。佐藤滋孝の兄、ツギオ佐藤の父。
- 玉木重雄 - コーチ[8]。
- 瀬間仲ノルベルト - 卒業生として紹介されている[2]が、来日はアカデミー創設と同年だった[13]。
- 片山文男 - 卒業生として紹介されている[2]。
脚注
[編集]- ^ “〈甲子園を夢見て2〉 「ブラジル代表」は日本志向”. 朝日新聞. (2006年7月23日). オリジナルの2016年8月1日時点におけるアーカイブ。 2021年1月26日閲覧。
- ^ a b c “ブラジルで白球追う少年たち=9年目のヤクルト野球アカデミー 全3回”. ニッケイ新聞. (2009年1月10日) 2021年1月26日閲覧。
- ^ 阿佐智 (2019年12月1日). “地球の裏側にもうひとつの野球が。ブラジルからやってきた日系人選手の「プロ初シーズン」。”. Yahoo Japan 2021年10月9日閲覧。
- ^ “白鴎大=ミランダ投手プロ指名=ドラフト会議=ブラジル人留学生では3人目=育成枠でヤクルトへ”. ニッケイ新聞. (2008年10月31日) 2023年1月12日閲覧。
- ^ “伯人初メジャー投手=リエンゾ選手が凱旋帰国=「コロニア野球で規律学んだ」=地元アチバイアで歓迎会”. ニッケイ新聞. (2013年10月8日) 2021年1月26日閲覧。
- ^ 阿佐智 (2018年6月12日). “続・サッカー大国ブラジルから来た野球『還流移民』たち:金伏ウーゴ(栃木ゴールデンブレーブス)・前編”. Yahoo Japan 2021年10月9日閲覧。
- ^ “ブラジルの風が運んだサヨナラ本塁打=高校球児=奥田ペドロ=(中)”. ニッケイ新聞. (2010年2月16日) 2021年10月9日閲覧。
- ^ a b “広島入りの左腕が意気込む=速球武器の仲尾次オスカル=「マエケンのような投手に」=10日から新人合宿で始動”. ニッケイ新聞. (2016年1月7日) 2021年1月26日閲覧。
- ^ 沢田啓明 (2021年1月17日). “巨人ビエイラ、漫画みたいなブラジル時代秘話 “貧困”も片道6時間かけて練習参加、5カ月で球速17kmアップ”. Number Web (文藝春秋) 2021年10月9日閲覧。
- ^ 阿佐智 (2018年6月2日). “ジャパニーズ・ドリームを追いかけて地球の裏側からやってきたブラジル人独立リーガー、ルーカス・ホジョ”. Yahoo Japan 2021年10月9日閲覧。
- ^ “【巨人】ダニエル・ミサキが初練習 最速154キロ右腕の目標はビエイラ”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年8月18日) 2021年10月9日閲覧。
- ^ “越境する日本文化 野球(6)=世代を超える「野球」=非日系への普及も進む”. ニッケイ新聞. (2003年3月12日) 2021年1月26日閲覧。
- ^ “元・中日ドラゴンズ選手、瀬間仲ノルベルトさんが売るパステウ。サンシャインシティ「フェスタ・ド・ブラジル」お店紹介(18)”. Mega★Brasil (2014年9月14日). 2021年1月26日閲覧。