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石橋冠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いしばし かん
石橋 冠
生年月日 (1936-09-11) 1936年9月11日(88歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
職業 演出家
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1963年 - 2017年
主な作品
テレビドラマ
池中玄太80キロシリーズ』1980年 -'92年
新宿鮫シリーズ』1995 - 2002年
受賞
2003年度芸術選奨文部科学大臣賞
文化庁芸術祭賞大賞 2007年
文化庁芸術祭賞大賞 2010年
ソウル国際ドラマアワード2010・グランプリ
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石橋 冠(いしばし かん、1936年9月11日[1] - )は、日本演出家山田太一倉本聡らの脚本家と組み、多くの作品を手掛けた。日本テレビのディレクターを経て、現在はフリー。夫人は元日本テレビプロデューサーの大井紀子。

経歴

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東京都出身[2]。小学生のときに北海道札幌市に移る[2]北海道札幌南高等学校を経て[2]1960年早稲田大学政治経済学部を卒業し[2]日本テレビに入社[2][3]

「ラブレター」で2003年芸術選奨文部科学大臣賞を受賞[2][3]。「点と線」で2007年度、「なぜ君は絶望と闘えたのか」で2010年度の2度にそれぞれ文化庁芸術祭賞大賞を受賞[3]。「シューシャインボーイ」でソウル国際ドラマアワード2010・グランプリを受賞[3]2011年旭日小綬章[3]

2016年、『人生の約束』で映画監督デビューを果たす[4]

人物

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昨今のテレビドラマについて石橋は、「映像がファッション化し、本来描くべき人間たちの生活とか心情が遠くなってしまったように思われる。テレビドラマの使命は、日常の生活にしっかり寄り添い、そこに生きる人の心情や、他者との絆を丹念に描いて<人生への応援歌>であるべき。その特質が衰退していく気配は、個人的には淋しい。」と述べている[3]。また、「良いドラマは良いサスペンスの文体を持っている」という自論を持つ[5]。見る側にある種の混乱を与えることが大切であり、その点今のテレビドラマはわかりやすさを重視し過ぎている面がある、と主張している[5]

原田芳雄とは1972年のテレビドラマ『冬物語』より長く仕事をしており、原田の告別式の際には石橋蓮司とともに弔辞を読んだ[6]

独身時代、映画監督の岡本喜八の離れに下宿していたことがあり、直接助監督についたことはないが師と仰いでいる[7]。岡本宅の下宿人は牢名主的な俳優中谷一郎を筆頭に、脚本家の長野洋、少し遅れて女優の大谷直子ら多士済々であった。仲代達矢は、住んだことこそないが「いつ行ってもいろんな人がゴロゴロしている家だった」と述懐している。

演出作品

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テレビドラマ

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日本テレビ時代

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フリー以降

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協力プロデューサー

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  • 琥珀(2017年9月、テレビ東京)

映画

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脚注・出典

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  1. ^ 人物辞典 石橋冠
  2. ^ a b c d e f 「<ひと2004>石橋冠さん*芸術選奨の文部科学大臣賞を受賞した*心揺さぶるドラマを」2004年3月11日 北海道新聞朝刊全道 2頁
  3. ^ a b c d e f 演出家・石橋 冠 テレビドラマは視聴者との「対話」 、文化庁月報 > 連載「文化人の気魄」文化庁月報、平成23年9月号(No.516)連載 「文化人の気魄」-文化庁月報(2019年12月4日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  4. ^ a b 江口洋介は短髪!石橋冠監督作「人生の約束」に西田敏行&ビートたけしら主演級ずらり”. 映画.com (2015年3月18日). 2015年3月18日閲覧。
  5. ^ a b 毎日新聞」、2003年6月16日
  6. ^ 石橋蓮司、原田芳雄さんの遺志継ぐ次回作を約束”. Sponichi Annex (2011年7月23日). 2013年6月29日閲覧。
  7. ^ 『kihachiフォービートのアルチザン―岡本喜八全作品集』東宝1992年

関連項目

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外部リンク

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