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2022年3月27日 (日) 22:04時点における版

ますだ としお
舛田 利雄
生年月日 (1927-10-05) 1927年10月5日(97歳)
出生地 日本の旗 日本兵庫県神戸市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画
活動期間 1957年 -
活動内容 映画
テレビドラマ
アニメーション映画
配偶者 あり
著名な家族 長男:舛田明廣
長女:舛田紀子
受賞
日本アカデミー賞
優秀監督賞
1980年二百三高地
ブルーリボン賞
監督賞
1989年社葬
その他の賞
毎日映画コンクール
監督賞
1989年『社葬』
報知映画賞
監督賞
1989年『社葬』
京都映画祭
牧野省三賞
1991年
1993年 紫綬褒章
1999年 勲四等旭日小綬章
日本映画批評家大賞
プラチナ大賞
2010年
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舛田 利雄(ますだ としお、1927年昭和2年)10月5日[1] - )は、日本映画監督脚本家である。兵庫県神戸市出身[1]

経歴・人物

多感な青年期 - 映画界へ

1944年に兵庫県立第一神戸中学校(現:県立神戸高校)から、新居浜工業専門学校(現:愛媛大学工学部)に進学するも[1]1945年7月に同学校が行う軍事教練に反発し[要出典]退学処分になる[1]。その1ヶ月後に終戦を終え、大阪外国語大学ロシア語学科(現:大阪大学外国語学部[2]。へ入り直す。当時の舛田は、大の軍人嫌い少年だったという。

大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)ロシア語学科卒業。大学卒業後は教師になるつもりであったが、名作フランス映画の再上映を観て感動し映画に感心を持つ。映画監督を目指し、大学卒業後に上京。

上京後の1949年より新東宝シナリオ塾に入塾しシナリオ学を学ぶ。その翌年1950年8月に新東宝助監督部に入社。中川信夫井上梅次といった監督の下で助監督として働きながら[1]、自分でもシナリオを書く。

新東宝・日活・助監督時代

1954年、舛田は新東宝に入社した時、井上梅次について助監督時代を過ごした。その後、同時期に製作活動を再開した日活に移籍[1]。助監督として井上、市川崑久松静児らに師事する[1]

1957年石原裕次郎主演、井上梅次監督の『鷲と鷹』で助監督を務めたのち監督に昇進。翌年1958年に公開した『心と肉体の旅』で監督デビューを飾る[1]脚本も兼任。監督昇進時、舛田はまだ29歳であり当時の映画界としては異例のスピードであった。

以後、『赤い波止場』、『今日に生きる』など充実した娯楽作を撮り続け、『錆びたナイフ』をはじめとする石原裕次郎主演作品を最も多く(計25作品)演出した監督として日活を支え、日活アクション映画全盛期に数々の作品のメガホンを執り「日活の舛田天皇」とも言われた。

助監督時代には井上梅次の邸宅に一時期、下宿していたこともある。井上の邸宅で下宿しながら、何本か映画のシナリオの「下書き」を書く。舛田の映画の脚本は、井上のシナリオの下書きをして身についたものが、後に役に立った。舛田は4歳年上の井上のことを「梅さん」と呼ぶ。

日本映画界のヒットメーカー

1969年に日活を退社し、フリーになる[1]

1970年黒澤明が諸事情で降板した20世紀フォックス制作の日米合作による戦争大作映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を深作欣二と共同で務める[1]。当時、ハリウッドから降板した黒澤に代わる日本側監督のオファーを日本映画界の名だたる名匠、巨匠らが断るなか舛田自身にもオファーがあり一度は断っていたが、しばらくして再び舛田のもとにオファーがあり「面白そうだから」という理由で日本側監督を引き受け話題となる。

以降は、池田大作原作の映画『人間革命』と『続・人間革命』(脚本家・橋本忍の推薦で参加している)、五島勉原作のパニック特撮『ノストラダムスの大予言』、戦争大作『二百三高地』、『大日本帝国』、『日本海大海戦 海ゆかば』、『零戦燃ゆ』など、大作映画を任される機会が増えていく。

さまざまなジャンルの作品でも常に安定した作風にまとめ上げる確かな演出の腕を買われ、さらに手がけた作品がどれも興行的にも成功したため日本映画界において実力派の映画監督として娯楽作品をコンスタントに手がけてきた。

また『大都会』などの石原プロ作品をはじめとしたテレビ映画の演出も数多く手掛けるほか、筒井康隆作品の初映画化である『俺の血は他人の血』以後、日本SF大賞を受賞した小松左京原作の映画化作『首都消失』など、SF特撮映画の演出も多い。

劇場アニメの監督・監修

1970年代には既にジャンルを問わず数々の劇場大作映画の仕事を手掛け断固たる立場を築いていた舛田であるが、1974年から放送が開始されたテレビアニメ宇宙戦艦ヤマト』に監修としてクレジットされている。

本作の企画段階当時、企画・原案・プロデューサーを務めていた西崎義展が従来のアニメーション作品とは一線を画す高年齢層の鑑賞にも耐えうる劇場映画並のリアリティある作品作りを目指し、そういった製作体制の影響と当時の業界においては、アニメーション作品が格下と見られる時代であった為、市場への売り込みを考慮したセールスアップという双方の目的から劇場映画監督である舛田を制作に誘った事がきっかけである。

こうして『宇宙戦艦ヤマト』のテレビシリーズへの参加を快諾した舛田は西崎から監督とストーリーの監修を依頼されたが、撮影が早まった映画『ノストラダムスの大予言』の撮影のため、企画会議に3度出席しただけで実際にはテレビシリーズには最終的には直接タッチはしなかった。

西崎プロデューサーら制作スタッフの熱意とは裏腹に1974年より放送されたテレビシリーズは商業的に失敗に終わったが、放送終了後に日本国外輸出向けにテレビシリーズを再編集し劇場版として公開する話が持ち上がる。西崎は当初これを最後にアニメから手を引き、ファン向けに1週間だけ限定で劇場公開するつもりだったという。

この劇場版の製作にあたり再び舛田に協力を仰ぎ1975年5月、劇場向けの再編集を開始。当初は5時間の長尺だったが、舛田の監督の下、ヤマト艦長沖田十三の物語に焦点を当てる方針で必要最低限の部分を除きそれ以外は丸ごと削除するなどして、約2時間短縮する等して完成。こうして1977年に公開された劇場版『宇宙戦艦ヤマト』は3時間と長尺ながら、周囲の予想を裏切りアニメーション映画の常識を破る大ヒットを記録する。

翌年1978年には完全新作として『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され、前作を上回る大ヒットとなって「ヤマトブーム」と呼ばれる社会現象が巻き起こる。この作品で舛田は脚本・監督として積極的に制作に参加したため、舛田の意見が随所に反映されており、特にクライマックスの展開は舛田の日活時代の監督作である『零戦黒雲一家』(1962年)に酷似している。また、本作に登場する空間騎兵隊斉藤始は舛田が発案したオリジナルキャラクターである。

その後、1980年には自身が手掛けた戦争大作『二百三高地』と同年同日に公開された「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の劇場版第3作『ヤマトよ永遠に』でも脚本と監督を手掛け、両作品とも大ヒット。実写大作映画とアニメーション大作映画というジャンルの枠を超えた作品を同時に手掛け共にヒットに導くという前例のない偉業を成し遂げ、「明治から未来まで撮る男」として話題となる。

1983年公開の『宇宙戦艦ヤマト 完結編』と2009年公開の『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』では監督から「総監修」という立場に回り(『完結編』では従来通り脚本も手掛けている)、「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」を影で支え続けた[3][出典無効]

『宇宙戦艦ヤマト』以降もアニメーション映画に参加し、1979年公開の劇場版『海のトリトン』では監修を、1982年公開のSF戦争アニメーション映画『FUTURE WAR 198X年』で勝間田具治と共に監督。1985年公開のSFアニメーション映画『オーディーン 光子帆船スターライト』を総監督。1992年から1994年にかけて制作された「劇場版 三国志シリーズ」を監修し、1995年から発売されたOVAYAMATO2520』でも監修を手掛けた。

湯布院映画祭

2008年、第33回湯布院映画祭にて「何だって面白くしてやる! 特集:舛田利雄のあくなき仕事」として『赤い波止場』『完全な遊戯』『二百三高地』など10本の監督作品が8月28日から8月30日の3日間で、特集上映される[4]。本人出席のシンポジウムも開催され元気な姿を見せた。

舛田が手掛けた作品への出演が多い俳優の丹波哲郎は自身の著書で「舛田はとにかく喧嘩が強い」と書いており、いつも出演するのが楽しみな監督の一人として挙げていた。

助監督時代

公開年 作品名 制作(配給) 脚本 監督 上映時間ほか
1955年 6月14日 春の夜の出来事 日活撮影所
日活
河夢古
中平康
西河克己 モノクロ
スタンダード
93分
8月31日 こころ 長谷部慶治
猪俣勝人
市川崑 モノクロ
スタンダード
122分
1956年 1月21日 ビルマの竪琴 第一部 和田夏十 市川崑 モノクロ
スタンダード
63分
2月12日 ビルマの竪琴 第二部・帰郷篇 和田夏十
市川崑 モノクロ
スタンダード
81分
4月4日 東京の人 前篇 西河克己
田中澄江
寺田信義
西河克己 モノクロ
スタンダード
72分
東京の人 後篇 西河克己
田中澄江
寺田信義
西河克己 モノクロ
スタンダード
54分
6月14日 火の鳥 猪俣勝人
井上梅次
井上梅次 モノクロ
スタンダード
99分
9月11日 ニコヨン物語 井上梅次 井上梅次 モノクロ
スタンダード
95分
1957年 2月24日 危険な関係 岡田達門
井上梅次
井上梅次 モノクロ
スタンダード
95分
1月3日 お転婆三人姉妹 踊る太陽 井上梅次 井上梅次 カラー
スタンダード
83分
5月1日 勝利者 井上梅次
舛田利雄
井上梅次 イーストマン・カラー
スタンダード
98分
9月29日 鷲と鷹 日活 井上梅次 井上梅次 カラー
日活スコープ
115分

監督・監修作品

映画

1950年代

公開年月日 作品名 制作(配給) 脚本 上映時間ほか
1958年 1月9日 心と肉体の旅 日活撮影所
日活
舛田利雄
モノクロ
スタンダード
90分
2月12日 夜霧の第二国道 モノクロ
スタンダード
48分
5月31日 錆びたナイフ 石原慎太郎
舛田利雄
モノクロ
日活スコープ
90分
4月29日 羽田発7時50分 山崎巌 モノクロ
日活スコープ
59分
9月23日 赤い波止場 池田一朗
舛田利雄
モノクロ
日活スコープ
99分
11月12日 完全な遊戯 白坂依志夫 モノクロ
日活スコープ
93分
1959年 1月28日 女を忘れろ 舛田利雄
山崎巌
モノクロ
日活スコープ
97分
3月10日 今日に生きる 山崎巌
江崎実生
カラー
日活スコープ
94分
4月28日 男が爆発する 山崎巌
江崎実生
カラー
日活スコープ
11月1日 天と地を駈ける男 直居鉄哉
横山保朗
カラー
日活スコープ
97分
12月27日 「黒い落葉」より 青春を吹き鳴らせ 中西隆三 モノクロ
日活スコープ
57分

1960年代

公開年月日 作品名 制作(配給) 脚本 上映時間ほか
1960年 1月31日 やくざの詩 日活 山田信夫 カラー
シネマスコープ
88分
4月29日 青年の樹 カラー
シネマスコープ
88分
8月10日 喧嘩太郎 松浦健郎 カラー
シネマスコープ
88分
12月27日 闘牛に賭ける男 山田信夫
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
94分
1961年 3月26日 生きていた野良犬 舛田利雄 カラー
シネマスコープ
77分
4月23日 用心棒稼業 松浦健郎
中西隆三
カラー
シネマスコープ
78分
7月15日 太陽、海を染めるとき 山田信夫 カラー
シネマスコープ
90分
7月15日 太陽は狂ってる カラー
シネマスコープ
91分
10月24日 暗黒街の静かな男 江崎実生
中西隆三
カラー
シネマスコープ
83分
1962年 1月14日 男と男の生きる街 熊井啓
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
94分
3月4日 上を向いて歩こう 山田信夫 カラー
シネマスコープ
92分
8月12日 零戦黒雲一家 星川清司 カラー
シネマスコープ
110分
11月3日 ひとりぼっちの二人だが 熊井啓
江崎実生
カラー
シネマスコープ
97分
12月26日 花と竜 井手雅人 カラー
シネマスコープ
109分
1963年 4月28日 太陽への脱出 山田信夫
山崎巖
カラー
シネマスコープ
110分
10月4日 狼の王子 田村孟
森川英太朗
モノクロ
シネマスコープ
103分
1964年 1月3日 赤いハンカチ 小川英
山崎巌
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
98分
2月23日 人生劇場 棚田吾郎 カラー
シネマスコープ
105分
5月13日 河内ぞろ どけち虫 笠原良三 モノクロ
シネマスコープ
103分
9月19日 殺人者を消せ 池田一朗 カラー
シネマスコープ
94分
12月6日 河内ぞろ 喧嘩軍鶏 甲斐久尊 モノクロ
シネマスコープ
100分
1965年 3月6日 城取り 池田一朗
舛田利雄
モノクロ
シネマスコープ
134分
7月14日 青春とはなんだ 山田信夫
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
101分
12月29日 赤い谷間の決闘 成沢昌茂
舛田利雄(潤色)
カラー
シネマスコープ
93分
1966年 4月10日 日本任侠伝 血祭り喧嘩状 松浦健郎 カラー
シネマスコープ
89分
7月9日 夜のバラを消せ 下飯坂菊馬
瀬川昌治
池上金男
カラー
シネマスコープ
95分
10月8日 栄光への挑戦 池上金男
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
87分
12月10日 嵐を呼ぶ男 池上金男 カラー
シネマスコープ
95分
1967年 2月25日 星よ嘆くな 勝利の男 山崎巌
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
98分
6月3日 嵐来たり去る 池上金男
星川清司
カラー
シネマスコープ
99分
9月6日 対決 池上金男 カラー
シネマスコープ
96分
10月7日 紅の流れ星 池上金男
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
97分
11月18日 血斗 カラー
シネマスコープ
94分
1968年 1月13日 無頼より 大幹部 池上金男
久保田圭司
カラー
シネマスコープ
94分
5月29日 わが命の唄 艶歌 池上金男 カラー
シネマスコープ
109分
6月22日 昭和のいのち 池上金男
舛田利雄
カラー
シネマスコープ
165分
9月21日 あゝひめゆりの塔 八木保太郎
若井基成
石森史郎
モノクロ
シネマスコープ
125分
1969年 1月22日 地獄の破門状 星川清司 カラー
シネマスコープ
89分
8月23日 大幹部 殴り込み 棚田吾郎 カラー
シネマスコープ
95分
12月31日 嵐の勇者たち 永原秀一 カラー
シネマスコープ
100分

1970年代

公開年月日 作品名 制作(配給) 脚本 上映時間ほか 備考
1970年 9月25日 トラ・トラ・トラ! エルモ・ウィリアムズ
リチャード・フライシャー
20世紀フォックス
ラリー・フォレスター
小国英雄
菊島隆三
カラー
パナビジョン
144分
リチャード・フライシャー、
深作欣二らと共同監督
1971年 5月22日 暁の挑戦 フジテレビ
新国劇
松竹映配
橋本忍
国弘威雄
池田一朗
カラー
141分
8月12日 スパルタ教育 くたばれ親父 日活 佐治乾
中野顕彰
カラー
シネマスコープ
87分
9月15日 さらば掟 松竹 鴨井達比古 89分 原案・出演
1972年 2月23日 追いつめる 野上龍雄 93分
4月15日 剣と花 池上金男 86分
6月10日 影狩り 石原プロモーション
東宝
(東宝)
カラー
シネマスコープ
90分
10月10日 影狩り ほえろ大砲 石原プロモーション
(東宝)
カラー
シネマスコープ
89分
1973年 10月6日 人間革命 シナノ企画
東宝映像
(東宝)
橋本忍 カラー
シネマスコープ
159分
1974年 8月3日 ノストラダムスの大予言 東宝映像
東宝映画
(東宝)
八住利雄
舛田利雄(潤色)
カラー
シネマスコープ
112分
受話器の声として出演
10月12日 俺の血は他人の血 松竹 舛田利雄 91分
1976年 6月19日 続・人間革命 シナノ企画
東宝映像
(東宝)
橋本忍 カラー
シネマスコープ
159分
1977年 8月6日 宇宙戦艦ヤマト (オフィス・アカデミー
東急レクリエーション
東映洋画)
藤川桂介
山本暎一
カラー
スタンダード
151分
1978年 8月5日 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 東映動画
(東映)
舛田利雄
藤川桂介
山本英明
カラー
スタンダード
151分
松本零士と共同監督
11月3日 テイクオフ 日本ヘラルド映画 100分 総監督
1979年 7月1日 海のトリトン 東映 松岡清治(構成) カラー
スタンダード
74分
監修

1980年代

公開年月日 作品名 制作(配給) 脚本 上映時間ほか 備考
1980年 8月2日 ヤマトよ永遠に オフィス・アカデミー
(東映)
舛田利雄
山本英明
藤川桂介
カラー
ビスタビジョン
145分
松本零士と共同監督
二百三高地 東映東京撮影所
(東映)
笠原和夫 カラー
ビスタビジョン
185分
1981年 3月14日 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち オフィス・アカデミー
(東映)
山本英明 カラー
95分
監修
1982年 8月7日 大日本帝国 東映東京
(東映)
笠原和夫 カラー
ビスタビジョン
180分
ハイティーン・ブギ 東宝映画
(東宝)
永原秀一
舛田利雄
カラー
ビスタビジョン
130分
10月30日 FUTURE WAR 198X年 東映 高田宏治 カラー
ビスタビジョン
125分
勝間田具治と共同監督
1983年 3月19日 宇宙戦艦ヤマト 完結編
(35mm版)
東映動画
(東映)
山本英明
笠原和夫
山本暎一
舛田利雄
西崎義展
カラー
ビスタビジョン
152分
総監修
6月4日 日本海大海戦 海ゆかば 東映 笠原和夫 カラー
ビスタビジョン
131分
11月5日 宇宙戦艦ヤマト 完結編
(70mm版)
東映動画
(東映)
山本英明
笠原和夫
山本暎一
舛田利雄
西崎義展
カラー
ビスタビジョン
163分
総監修
12月24日 エル・オー・ヴィ・愛・N・G 東宝映画
ジャニーズ事務所
(東宝)
高田宏治 カラー
ビスタビジョン
108分
1984年 8月11日 零戦燃ゆ 東宝映画
(東宝)
笠原和夫 カラー
ビスタビジョン
128分
零戦の飛行テストを見守る海軍将校役で出演
1985年 1月25日 愛・旅立ち 東宝 笠原和夫
舛田利雄
カラー
ビスタビジョン
127分
8月10日 オーディーン 光子帆船スターライト ウエスト・ケープ・コーポレーション
東映動画
(東映)
笠原和夫
舛田利雄
山本暎一
カラー
139分
総監督
1986年 11月11日 侠女十三妹 北京電影制片廠
ツジオプチカル研究所
(東京国際ファンタステック映画祭実行委員会)
孟烈
楊啓天
張祖成
カラー
3D
日本・中国合作映画
監修
5月24日 片翼だけの天使 キネマ旬報社
ヘラルド・エース
田村孟 カラー
117分
1987年 1月17日 首都消失 関西テレビ
徳間書店
大映映画
(東宝)
舛田利雄
山浦弘靖
カラー
ビスタビジョン
120分
9月12日 この愛の物語 松竹富士
日本テレビ
つかこうへい カラー
ワイド
117分
1989年 6月10日 社葬 東映京都撮影所
(東映)
松田寛夫 カラー
ワイド
129分

1990年代以降

公開年月日 作品名 制作(配給) 脚本 上映時間ほか 備考
1991年 1月26日 動天 トーメン
(東映)
芦沢俊郎
笠原和夫
舛田利雄
カラー
ビスタビジョン
123分
12月14日 江戸城大乱 東映
フジテレビジョン
(東映)
高田宏治 カラー
ビスタビジョン
114分
12月23日 必殺!5 黄金の血 松竹
朝日放送
京都映画撮影所
(松竹)
吉田剛 カラー
スタンダード
104分
1992年 10月3日 天国の大罪 東映
テレビ朝日
(東映)
松田寛夫 カラー
ビスタビジョン
115分
1月25日 三国志 第一部 英雄たちの夜明け シナノ企画
(東映)
笠原和夫 カラー
ビスタビジョン
138分
監修
1993年 3月20日 三国志 第二部 長江燃ゆ! カラー
ビスタビジョン
155分
1994年 4月9日 三国志 完結編 遥かなる大地 カラー
ビスタビジョン
147分
2009年 12月12日 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 エナジオ
(東宝)
石原武龍
冨岡淳広
西崎義展
カラー
ビスタビジョン
135分
総監修
2012年 1月28日 宇宙戦艦ヤマト 復活篇 ディレクターズカット版 カラー
ビスタビジョン
123分

テレビドラマ

テレビアニメ

テレビドキュメンタリー

教育ビデオ

  • 実録、管理職。Do your best(1991年、社員教育研究所) - 監修

ビデオアニメ

コマーシャルフィルム

脚本

本節では舛田が監督等を兼任していないもののみを挙げる。

公開年月日 作品名 制作(配給) 脚本 監督 上映時間ほか
1955年 8月9日 三つの顔 日活 井上梅次
舛田利雄
井上梅次 モノクロ
スタンダード
100分
1956年 1月8日 悪の報酬 陶山鉄
舛田利雄
野口博志 モノクロ
スタンダード
84分
12月19日 月蝕 井上梅次
舛田利雄
井上梅次 モノクロ
スタンダード
103分
1975年 7月12日 東京湾炎上 東宝映像
東宝映画
(東宝)
大野靖子
舛田利雄
石田勝心 カラー
シネマスコープ
87分

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 東宝特撮映画全史 1983, p. 540, 「特撮映画スタッフ名鑑」
  2. ^ 大阪大学
  3. ^ 『いま語るべき宇宙戦艦ヤマト』 牧村康正、山田哲久著 講談社刊 2014年9月9日発行
  4. ^ 第33回 湯布院映画祭”. 湯布院映画祭. 2017年8月12日閲覧。
  5. ^ 暗黒流砂 - allcinema
  6. ^ 新幹線殺人事件 - テレビドラマデータベース
  7. ^ 夜の大捜査網脱出 - テレビドラマデータベース
  8. ^ 京都埋蔵金殺人事件 - テレビドラマデータベース

参考文献

  • M.TAKEHARA『いま語るべき宇宙戦艦ヤマト-ロマン宇宙戦記40年の軌跡-』竹書房、2014年12月4日。ISBN 978-4801900752 
  • 牧村康正、山田哲久『宇宙戦艦ヤマトをつくった男 西崎義展の狂気』講談社、2015年9月9日。ISBN 978-4062196741 
  • 舛田利雄、佐藤利明高護『Hotwax責任編集 映画監督 舛田利雄〜アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて〜』株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年10月25日。ISBN 978-4-401-75117-4 
  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

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