コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

江崎実生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
えざき みお
江崎実生
本名 江崎雅一
生年月日 (1932-01-03) 1932年1月3日(92歳)
出生地 熊本県熊本市
国籍 日本の旗 日本
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビドラマ
事務所 江崎事務所
テンプレートを表示

江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3日 - )は、日本映画監督熊本県熊本市出身。

来歴・人物

[編集]

熊本大学西洋史学科卒業後、日活に入社[1][2]舛田利雄市川崑などの助監督を務めたのち[1]1964年封切りの『花嫁は十五才』(同年の映画評論ベスト・テンでは第5位にランク)監督デビュー[2][1]。第二回監督作品『太陽西から昇る』(映画芸術ベストテンで第1位)も高評価を得た[1]。プログラムピクチャーにおいてはアクションものや青春、喜劇ものまで様々な作品の監督を務めた。特に『夜霧よ今夜も有難う』、『黄金の野郎ども』などの石原裕次郎主演作品、『黒い賭博師 ダイスで殺せ』、『女の警察』などの小林旭主演作品の監督を多く務め、他にも渡哲也主演『錆びたペンダント』、『無頼非情』など日活アクションを担う主要監督の一人として活躍した[1]1969年2月に結婚、『女子学園 悪い遊び』でも好評価を得た[1]

1970年代に入るとエロスものやナンセンスものも任されるようになるが、成人映画路線への転換はせず、一般映画制作の中断と共に1971年に日活を去り[1]、1972年には沖雅也主演の『高校生無頼控』に始まる高校生無頼控シリーズを監督。1984年に個人事務所江崎事務所を設立し、大映ドラマの『スチュワーデス物語』、『スクールウォーズ』などの監督[3]、2時間ドラマなどテレビドラマの演出を多数務める。

早撮りを得意とする監督の一人であり、早撮りせっかちの異名を持つ。

主な監督・演出作品

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

Vシネマ

[編集]
  • 青い豹 最も危険なヒットマン(1994年)
  • 青い豹2 88は殺しのナンバー(1994年)

テレビアニメ

[編集]

脚本作品

[編集]

映画

[編集]
  • 東京は恋人(1958年9月23日、日活)
  • 今日に生きる(1959年3月10日、日活)
  • 男が爆発する(1959年4月28日、日活)
  • 君は狙われている(1960年6月4日、日活)
  • 暗黒街の静かな男(1961年10月14日、日活)
  • ひとりぼっちの二人だが(1962年11月3日、日活)
  • 金門島にかける橋(1962年11月3日、日活・中央電影)
  • 花嫁は十五才(1964年3月25日、日活)
  • 河内ぞろ あばれ凧(1965年4月18日、日活)
  • マカオの竜(1965年12月18日、日活)
  • 青春大統領(1966年4月27日、日活)
  • 夜霧よ今夜も有難う(1967年3月11日、日活)
  • 七人の野獣(1967年8月1日、日活)
  • 錆びたペンダント(1967年9月14日、日活)
  • 七人の野獣 血の宣言(1967年10月21日、日活)
  • 黄金の野郎ども(1967年12月23日、日活)
  • 男の掟(1968年2月13日、日活)
  • 無頼非情(1968年8月1日、日活)
  • 喜劇 女もつらいわ(1970年5月16日、新国劇映画)
  • 高校生無頼控 感じるウ〜ムラマサ(1973年6月23日、国際放映・東宝)

テレビドラマ

[編集]
  • 009ノ1(フジテレビ、1969年)
  • ターゲットメン(NET、1971年-1972年)
  • プレイガール(東京12チャンネル、1972年-1973年)
  • 伊豆大島殺人ツアー(テレビ東京、1988年)
  • 仮面の女(TBS、1998年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 江崎実生 略歴”. 映画DB. 2022年8月2日閲覧。
  2. ^ a b 江崎實生”. 日本映画監督協会. 2022年8月18日閲覧。
  3. ^ 江崎実生”. ぴあ. 2022年8月18日閲覧。

出典・参考文献

[編集]
  • 黒井和男『日本映画・テレビ監督全集』キネマ旬報社、1988年12月、59 - 60頁。ISBN 487376033X 
  • 『映像メディア作家人名事典』日外アソシエーツ、1991年11月12日、98 - 99頁。ISBN 4816911111 
  • 『日本映画人名事典・監督篇』キネマ旬報社、1997年11月、135頁。ISBN 4873762081 

脚注

[編集]