コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

能瀬慶子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
のせ けいこ
能瀬 慶子
本名 大澤 慶子
生年月日 (1963-03-16) 1963年3月16日(61歳)
出生地 日本の旗 日本千葉県
身長 160cm
職業 女優タレント
活動期間 1978年 - 1983年
主な作品

ドラマ
赤い嵐
備考
体重 47kg(当時)
テンプレートを表示

能瀬 慶子(のせ けいこ、1963年(昭和38年)3月16日 - )は、日本の元アイドル。現在は、大澤慶子。文京区立窪町小学校文京区立第一中学校東京都立北高等学校卒業[1]東京都文京区出身[2]。身長160cm、B80cm、W60cm、H84cm(1984年4月)[2]

来歴・人物

[編集]

千葉県に生まれ、東京都文京区で育つ。弟が二人居る[1]。1978年(昭和53年)高校在学中に第3回ホリプロタレントスカウトキャラバンで38700人の応募を勝ち抜き優勝[2][3]。同年映画出演を果たし、1979年(昭和54年)にNAV(現・ポニーキャニオン)からシングル『アテンション・プリーズ』で、歌手としてデビュー。1年で4枚のシングルをリリースする。

さらに同年「赤い激突」以来約1年ぶりに復活した赤いシリーズ第8作「赤い嵐」にヒロインとして出演、柴田恭兵との共演で記憶喪失の少女・小池しのぶを演じた。ホリプロの先輩である山口百恵の代名詞とも言える「赤いシリーズ」への出演で、「百恵の妹」として期待された。

しかしながら歌手としても女優としても大ヒットに恵まれず、「赤い嵐」では二重人格による豹変ぶりが当時話題となったものの、記憶喪失時の「ここはどこ、私は誰?」というセリフと演技がバラエティ番組などのコントによってネタにされるなどした。時期を同じくして、ホリプロは能瀬の後輩である比企理恵甲斐智枝美を重点的に売り出すことを決め、能瀬の芸能活動は実質1979年の1年のみとなってしまった。

1983年(昭和58年)20歳で引退した後、ミュージシャンと結婚し3児の母となった。

一時期、湯島天神太鼓保存会の一員として活動していた。

音楽

[編集]

シングル

[編集]
発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
NAV RECORDS
1979年1月5日 EP N-36 A アテンション・プリーズ 喜多条忠 浜田省吾 船山基紀
B フラワー・バス・ステーション
1979年4月5日 EP N-40 A 裸足でヤング ラブ 浜田省吾 船山基紀
B 星空の天使達 喜多条忠 浜田省吾
1979年7月5日 EP N-46 A He Is コットン100% 三浦徳子 大村雅朗
B ハートにシャンプー 有川正沙子 小泉まさみ 大浜和史
1979年9月5日 EP N-48 A 美少女時代 三浦徳子 大村雅朗
B おはようNOVEMBER 小泉まさみ 船山基紀

アルバム

[編集]

オリジナル・アルバム

[編集]
発売日 規格 規格品番 アルバム
NAV RECORDS
1979年6月21日 LP C25A0046N ほほえみプレリュード
No. タイトル 作詞 作曲 編曲
A 1 ほほえみプレリュード(前奏曲) 三浦徳子 加瀬邦彦 船山基紀
2 アテンション・プリーズ 喜多条忠 浜田省吾 船山基紀
3 鏡の国から 野原理香 穂口雄右 渡辺茂樹
4 新しい予感 水上貴子 加瀬邦彦 大村雅朗
5 スローモーション 野原理香 穂口雄右 渡辺茂樹
6 星空の天使達 喜多条忠 浜田省吾 船山基紀
B 1 ボンボヤージ 喜多条忠 浜田省吾 船山基紀
2 カリフォルニア 三浦徳子 小泉まさみ 船山基紀
3 フラワー・バス・ステーション 喜多条忠 浜田省吾 船山基紀
4 裸足でヤングラブ 浜田省吾 船山基紀
5 海の妹 佐藤真由美 大村雅朗

ベスト・アルバム

[編集]
発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム
2002年2月20日 ポニーキャニオン CD PCCA-01651 Myこれ!クション能瀬慶子BEST
2010年5月17日 ポニーキャニオン CD PCCS-00126 Myこれ!Lite 能瀬慶子

出演

[編集]

テレビドラマ

[編集]

映画

[編集]

テレビコマーシャル

[編集]
  • グリコ「プリッツセサミック・ごま味」(榊原郁恵と共演)
  • グリコ・アイスクリーム「ヨーレル」(1979年、1980年は松田聖子に交替)

引退後のテレビ出演

[編集]
  • オールナイトフジ(1988年12月3日、フジテレビ)「懐かしのリクエストコーナー」に生出演、湯島白梅太鼓・湯島天神太鼓保存会女子の部リーダーとして鉢巻とハッピ姿でのソロ出演、デビューきっかけのオーディション番組の話からドラマ「赤い嵐」のエピソードとともに現在の近況を報告した。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 週刊テレビ番組(東京ポスト)1980年2月8日号 p.48「プロフィール」
  2. ^ a b c 「銀座山野楽器 IDOL SPOT 能瀬慶子 ほほえみキラッ!!恵子ちゃん(キャニオンレコード)」『シティロード』1984年4月号、エコー企画、12頁。 
  3. ^ 週刊朝日、1979年1月26日号40頁。

関連項目

[編集]