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「白糠郡」の版間の差分

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2021年9月6日 (月) 06:48時点における版

北海道白糠郡の位置(緑:白糠町 黄:明治期)

白糠郡(しらぬかぐん)は、北海道釧路国釧路総合振興局

人口7,030人、面積773.13km²、人口密度9.09人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に釧路市の一部(音別町各町・大楽毛各町・星が浦各町・新野各町および鶴野各町・音羽・鳥取大通・鳥取北の一部)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の白糠郡域は、寛永年間以来松前藩によってシラヌカ場所が開かれていた。江戸時代以前から明治時代初頭の交通について、陸上交通は、沿岸部沿いに渡島国箱館から千島国方面に至る道の途上となっており、寛政11年には通行屋(駅逓)ができ、文化2年には十勝国十勝郡大津から釧路郡に至る道(国道38号の前身)が開削されている。また、文化5年から文化7年にかけて白糠郡庶路から阿寒郡を経て釧路・北見国境を越え、北見国網走郡方面への網走越(国道240号の前身など)も白糠在勤の幕吏・大塚忽太郎によって開削された。

江戸時代後期、白糠郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年白糠郡域は天領とされ、翌12年には八王子千人同心原半左衝門以下50人が入地、享和2年シラヌカ場所は東隣のクスリ場所に吸収された。また文化年間になると厳島神社も創建されている。文政4年に白糠郡域は一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。また開国直後の安政4年釧路炭田の開発が開始されている。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して白糠郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の白糠郡の町村(1.白糠村 2.尺別村 紫:釧路市 青:区域が発足時と同じ町村)

参考文献

外部リンク

関連項目