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1978年10月ダイヤ改正では、共通運用となった「白山」「[[ |
1978年10月ダイヤ改正では、共通運用となった「白山」「[[はくたか]]」は[[三相交流|三相]]回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外れることになった。また編成が同年7月以降3MG・3CP化を実施した上で暫定6M4T→8M4Tとなることから<ref group="注" name="sawa_489_formation"/>、サロ481形1000番台と同様に210 kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転装置を装備するグリーン車として1978年に9両、1979年に1両の計10両新製されたのが本番台区分である<ref group="注">489系在来車と編成を組成することから、485系1000番台に装備された制御車からの給電区分変更制御機構はなく、いずれかのクハ489形にMGトラブルが発生した際には手動で給電区分を変更する必要がある。</ref>。また本グループのみ台車はTR69H形を装着する。 |
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1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため[[1991年]]までに廃区分番台となった。 |
1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため[[1991年]]までに廃区分番台となった。 |
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北陸特急では、大阪 - 金沢間に「雷鳥」1往復を増発し4往復となった<ref name="梅原2013_p42">[[#485系物語|485系物語]]p.42</ref>。増発分は共通運用で上野 - 金沢間を北陸本線糸魚川 - 直江津間ならびに信越本線直江津 - 宮内間電化に伴い信越本線経由から上越線経由に変更で運転した「[[ |
北陸特急では、大阪 - 金沢間に「雷鳥」1往復を増発し4往復となった<ref name="梅原2013_p42">[[#485系物語|485系物語]]p.42</ref>。増発分は共通運用で上野 - 金沢間を北陸本線糸魚川 - 直江津間ならびに信越本線直江津 - 宮内間電化に伴い信越本線経由から上越線経由に変更で運転した「[[はくたか]]」に充当された<ref name="梅原2013_p42" /><ref name="JTBtb_196910"/>。これにより向日町運転所配置車は、東は上野、西は大分までの広域運用を行うこととなったほか<ref name="梅原2013_p43">[[#485系物語|485系物語]]p.43</ref>、大阪 - [[新潟駅|新潟]]間臨時特急「[[北越 (列車)|北越]]」も設定され翌1970年3月1日に定期列車化された<ref name="JTBtb_197003">国鉄監修 交通公社の時刻表1970年3月号 日本交通公社出版事業局</ref><ref name="梅原2013_p147">[[#485系物語|485系物語]]p.147</ref><!-- 『485系物語』では2月28日との記載あり -->。 |
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* 運用1:新大阪1735(1015M うずしお3)2025宇野 |
* 運用1:新大阪1735(1015M うずしお3)2025宇野 |
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* 運用2:宇野0840(1012M うずしお1)1132新大阪…大阪1430(2015M 北越)2211新潟 |
* 運用2:宇野0840(1012M うずしお1)1132新大阪…大阪1430(2015M 北越)2211新潟 |
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* 運用2:上野1835(3971M ホームライナー鴻巣3)1930鴻巣(回送)上野2124(3623M ホームライナー古河3)2223古河(回送)上野2354(601M 能登)0750福井(回送)金沢 |
* 運用2:上野1835(3971M ホームライナー鴻巣3)1930鴻巣(回送)上野2124(3623M ホームライナー古河3)2223古河(回送)上野2354(601M 能登)0750福井(回送)金沢 |
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:* 「ホームライナー」運用は平日運転土休日運休 |
:* 「ホームライナー」運用は平日運転土休日運休 |
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このほか、H編成は臨時「[[ |
このほか、H編成は臨時「[[はくたか]]」や車両故障時などの緊急対応で本来投入されない「北越」「加越」「雷鳥」などにも充当された。2000年から2002年までに白山色から国鉄色<ref group="注">雨樋はオリジナルと異なりクリーム4号。</ref>に塗装変更したほか、デジタル列車[[無線機]]・夜行運用対応客室減光装置を搭載する工事を施工。このため通称[[舞浜駅|'''舞浜臨''']]と呼ばれる[[東京ディズニーリゾート]]向け[[京葉線]]直通団体列車など首都圏への波動運用やリバイバル列車にも投入された実績がある。また2001年3月3日ダイヤ改正で「能登」は従来の金沢発着に変更となった。 |
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2004年10月23日に発生した[[新潟県中越地震]]の影響により、同日から2005年3月24日まで年末年始の多客期となる2004年12月30日 - 2005年1月3日を除き「能登」は運休。代替臨時列車として2005年2月11日 - 3月20日の[[金曜日]]・[[土曜日]]・3月20日発で北越急行ほくほく線を経由する「能登91号・92号」が設定されH編成を充当した<ref group="注">ほくほく線経由の運転では方向転換がないため金沢 - 直江津間は通常と逆編成とされた。このため運行開始前後にH編成を大阪まで回送し北方貨物線・大阪経由で方向転換を行ったほか、上野口ホームライナー運用は金沢土曜日発編成が上野に日曜到着後は基本東大宮滞留とし、月曜日 - 金曜日に充当された。また運用の都合上新潟車両センター所属R1・R2編成を充当したケースもあった。</ref>。 |
2004年10月23日に発生した[[新潟県中越地震]]の影響により、同日から2005年3月24日まで年末年始の多客期となる2004年12月30日 - 2005年1月3日を除き「能登」は運休。代替臨時列車として2005年2月11日 - 3月20日の[[金曜日]]・[[土曜日]]・3月20日発で北越急行ほくほく線を経由する「能登91号・92号」が設定されH編成を充当した<ref group="注">ほくほく線経由の運転では方向転換がないため金沢 - 直江津間は通常と逆編成とされた。このため運行開始前後にH編成を大阪まで回送し北方貨物線・大阪経由で方向転換を行ったほか、上野口ホームライナー運用は金沢土曜日発編成が上野に日曜到着後は基本東大宮滞留とし、月曜日 - 金曜日に充当された。また運用の都合上新潟車両センター所属R1・R2編成を充当したケースもあった。</ref>。 |
2021年4月20日 (火) 10:57時点における版
国鉄485系電車 (481系・483系・485系・489系) | |
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配置直後の上沼垂運転区所属車 1987年 秋田 | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 九州旅客鉄道 |
製造所 |
川崎車両→川崎重工業 日立製作所笠戸事業所 日本車輌製造 東急車輛製造(現・総合車両製作所) 汽車製造 近畿車輛 |
製造年 | 1964年 - 1979年 |
製造数 | 1,453両 |
運用開始 | 1964年12月25日 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 |
直流1,500 V 交流20,000 V(50 Hz・60 Hz) |
最高運転速度 | 120 km/h* |
設計最高速度 | 160 km/h |
起動加速度 | 1.3 km/h/s (MT比1:1)- 1.6 km/h/s (同2:1) |
車体 | 普通鋼 |
台車 |
DT32・TR69 インダイレクトマウント空気ばね台車 |
主電動機 | MT54形直流直巻電動機 |
主電動機出力 | 120 kW × 4 |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 22:77(1:3.50) |
定格速度 | 72.0 km/h (全界磁)・116.0 km/h (40 %界磁) |
制御方式 | 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
制御装置 | CS15系制御器 |
制動装置 |
発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 勾配抑速ブレーキ |
保安装置 |
ATS-S(登場時) ATS-P(一部) ATC-L(3000番台の一部) |
備考 | * 基本値。湖西線で130 km/h、津軽海峡線で140 km/h運行を実施。 |
485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。
本項では、交流60 Hz対応の481系・交流50 Hz対応の483系ならびに交流50/60 Hz対応の485系を基本に信越線の協調運転にも対応した489系についても解説を行う。
概要
1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され、上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。
1964年(昭和39年)から関西⇔北陸・九州用に直流/交流60 Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50 Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50・60 Hz両対応となった485系電車が製造され、本系列の統一形式名となった。
1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形補助機関車との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。
本系列は1979年(昭和54年)まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京・大阪・名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽・東北・上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。北海道にも投入されたが、同地の冬期の極寒と乾燥度の高い雪による故障が頻発し(→詳細は#1500番台を参照)、道内専用形式781系と交代する形で撤退した。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)・東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、引続き特急運用に投入された。ただしJR北海道へは改造用種車として付随車のサシ481形ならびにサロ481形が継承されたもののサシ481形1両がオシ24形へ改造されたのみでサロ481形は全車廃車となった。また、1990年代以降では団体専用列車用ジョイフルトレインへの改造も施工された。しかし新幹線の延伸開業などによる運用減少・老朽化・後継系列への置換えにより廃車が進行。2017年3月3日をもって全ての定期運用が終了した[1]。
製造までの経緯
国鉄初の特急型直流電車である151系(旧・20系)は、1958年11月1日より東京 - 大阪・神戸間特急「こだま」として運転を開始した[2]。151系とほぼ同時に急行型の153系(旧・91系)も東京 - 名古屋・大垣間準急「東海」に投入された[2]。
交直流電車では急行型の451系が、1962年10月1日より上野 - 仙台間急行「みやぎの」で運転を開始したが、特急型は当初151系交直流版の新製投入が検討されており、451系と同時に上野 - 仙台間特急として投入する予定であったが[2]、東海道新幹線開業で余剰となる151系に交直流化改造を施工する計画があり[注 1]、既存車両を活用する配慮から新製計画は凍結となった[2]。しかし方針が新幹線開業を機に特急列車網整備へ再転換となり、151系交直流化改造は見送られ山陽本線や上越線に転用された[2]。
この結果、一旦は見送られた交直流特急型電車新製計画が再開[2]。1964年12月25日からは北陸本線系統で交流60 Hz用の481系が、1965年10月1日からは東北本線系統で交流50 Hz用の483系が営業運転を開始した[2]。1968年には交流50 Hz・60 Hz両用の485系へ発展した[3]。
構造
- ※本項では開発された基本構造について解説を行い、詳細な設計変更は各項目を参照のこと。
外観・設備
外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、制御車先頭部は同様のボンネット型を採用した。ただし1972年以降製造の中期形では、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。
床下機器の寸法に合わせ床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10 mm高い1,230 mmとし、屋根高さも151系に比べて120 mm高くなった。運用路線のプラットホーム高さに合せるべく扉にはステップを設置し、東北・北陸などの寒冷地区投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。また側扉は当初は普通鋼製であったが、1968年以降の製造車は内側が無塗装のステンレス製に変更された。
サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、481系・483系では電動自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工され、1968年以降製造された485系では新製時より搭載された。表示器は当初18コマ、中期形以降は40コマ対応となり後に後者へ統一された。
冷房装置は、前期形ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケースに収め先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただしモハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係からAU12形は3基搭載に制限され冷房能力が不足するため車内機器室に床置形のAU41形を3基搭載する。しかし中期形以降では大幅に変更された(詳細は後述)。
主要機器
制御方式は、直流電化区間では架線電源をそのまま使用し、交流電化区間では変圧器で降圧後に整流器で直流にする401系・421系電車からの一貫した手堅い間接式の機器構成を踏襲したMM'ユニット方式による抵抗制御を採用。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器・主整流器などの機器を搭載するが、対応する商用周波数や製造時期などにより、若干の差異がある。
主電動機は定格出力120 kWのMT54系直流直巻電動機を特急形電車としては初めて搭載。歯車比22:77(1:3.50)によりMT比1:1でも20 ‰程度の勾配を登坂可能で経済性が向上し最高運転速度は120 km/hとされた。
台車は揺枕吊を廃止したインダイレクトマウント式空気ばね台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に装着。増備中に何度か改良型へのマイナーチェンジも実施した。
パンタグラフは設計段階でBT饋電方式の交直・交交セクション通過時トラブルを懸念して1基搭載案があったものの[4]直流区間では離線対策から2基搭載使用となった。国鉄末期以降は、130 km/h運転を実施していた湖西線を除いて架線の損耗減少対策から原則として第2パンタグラフの使用中止もしくは撤去した。ただしJR東日本の一部車両では架線霜取のため2基使用する。
編成全体のサービス電源用電動発電機(MG)ならびに空気圧縮機(CP)は、調理用電熱器による電力消費量確保のため食堂車サシ481形が自車給電用として定格容量70 kVAのMGを床下搭載する以外は、151系電車の騒音発生源を客室からできるだけ遠ざけるという設計思想をそのまま反映しており、制御車に搭載する。容量ならびに搭載位置は製造年次で異なるほか、後の3MG・CP化により付随車にも搭載されたほか、1980年代半ば以降は短編成化によりMG・CP未搭載のクハ480形や廃車発生品を搭載する改造車番台区分も存在した。
- 詳細は各系列・改造車の項目を参照のこと。
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新造車
横軽区間用協調機器を搭載する489系を除き主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は481形が483系・485系でも引続き増備された[注 2]。またサロ481形九州配置車は1980年に食堂車の連結が中止されたため1979年以降に洋式トイレ・洗面所を車販準備室に変更する改造を施工したほか、サシ481形は食堂営業廃止による不連結や他形式への改造により1989年に廃形式となった。
481系
交流60 Hz対応車で新製時には向日町運転所(→京都総合運転所→現・吹田総合車両所京都支所)へ集中配置された。
北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間[注 3]交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」として運用を開始した[5]。モハ481形・480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両で11両編成x3本と予備車8両の計41両が新製されたが、車両落成が同年10月末と遅れた影響などにより運転開始は12月25日に延期された。
翌1965年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松間補助機関車連結解消目的の置換えで11両編成x5本と予備車1両の計56両増備された。
本グループ97両は、1975年3月に全車鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)へ転出。電動車のモハ481・480形ユニットは国鉄末期の1985年12月までに全車廃車となった[6]。付随車はサシ481形・サロ481形が国鉄時代に全車廃車となったが、クハ481形は全車がJR東日本へ継承された[6]。
- クハ481形 (1 - 18)
- 制御車。前部ボンネット内にはクハ151形・161形同様に三相交流440 V / 60 Hz / 定格容量150 kVAを出力するMH93-DM55A型電動発電機(MG)[7]と容量2,950 L/minのMH92B-C3000A型空気圧縮機(CP)が搭載される[8]が、以下の相違点がある。
- 運転台は後方に監視窓を設置するものの屋根への造形が若干異なるほか、前灯横左右のマーカーライト[注 4]が省略された。
- 当初は後方防護用として編成最後部となる場合には下部前照灯に赤色フィルターを取付たほか、不時停車時用に交互点滅回路が搭載されたが、ATSの完備等により1966年10月に廃止された。
- ボンネット外気取入グリルがクハ151形の2箇所から3箇所に増設された。
- 1964年新製車の1 - 8は、登場当初スカートを赤色とした以外は151系(181系)に準じた塗装になっていたが、翌1965年増備車の9 - 18より交直両用車であることを示すべく下部ライトケースの上に赤い「ひげ(眉)」と呼ばれる塗装の追加と赤いスカートの付け根にクリーム帯を追加した塗装に変更された。後に1 - 8も同様の塗色に変更され、これが交流60 Hz区間限定編成即ちMM'ユニットが481系を示すことになった。
- 後述する19 - 40ならびに100番台の新製ボンネット車はクロ481形を含み製造時期およびメーカーによってボンネット部・乗務員室側窓窓枠の形状、乗務員室側窓後部に見られる水切り落とし込み部の角度・寸法に若干の差異が存在する。
- 新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守困難なため大半が後述の増備車も含み1970年代前半に撤去された。本グループは山陽新幹線博多開業に伴う1975年3月10日のダイヤ改正で九州地区へ転出後、12・14・17は鹿児島所属時代に、その他は1985年の勝田電車区への再転出後1986年3月までに郡山工場(現・郡山総合車両センター)で検査の際にスカート部がクリーム色に変更されたほか、1977年以降に下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。しかし仙台所ならびに勝田区に転出後の1985年以降に「ひげ (眉)」が復元された。
- 分割民営化時にはJR東日本に承継され、独自塗装への変更や密着連結器への交換などを施工。2000年までに訓練車編成に組成された車両を除き廃車。2007年に最後まで残存した17も廃車となった。
- モハ481形・モハ480形 (1 - 26)
- 北陸[注 5]・山陽・九州特急で運用されたが、1975年3月以降は九州地区のみで運用された。
- 1982年より老朽化に伴う廃車が始まり、1985年に全車廃車となった[6][注 6]。
- サロ481形 (1 - 18)
- 1等車(現・グリーン車)で客室定員は48名。レイアウトは前位側から和式トイレ+洗面所・客室・出入台・専務車掌室・洋式トイレ+洗面所と181系とは異なる。
- 全車1980年から1985年にかけて廃車となったためJRグループへの継承車は存在しない。
- サシ481形 (1 - 9)
- 食堂車。調理に使用する電熱機器類ならびに冷房装置対応用として定格容量70 kVAの自車給電用MGを床下に搭載する[8]。基本構造はサシ151形に準ずるが、回送運転台を調理室側妻面にも設置したほか、当初からFRP製椅子を採用するなどの相違点がある。また、それまでの電車・気動車の食堂車に設置されていた列車位置表示器は本形式より廃止された。
- 1981年までに全車廃車となった。
新製時形態 | 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
スカート | ひげ | スリット | |||||
赤 | 無 | 横 | 向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 4 | 5 - 8 |
有 | 39年第4次債務 | 1965 | 9 - 14 | 15 - 18 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 | 6 - 11 |
39年第4次債務 | 1965 | 12 - 20 | 21 - 26 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 川崎車輌 | 日立製作所 | 汽車会社 |
---|---|---|---|---|---|
向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 7 | ||
39年第4次債務 | 1965 | 8 - 13 | 14 - 18 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|
向日町 | 39年第1次民有車両 | 1964 | 1 - 5 |
39年第4次債務 | 1965 | 6 - 9 |
483系
1965年10月ダイヤ改正で東北本線盛岡電化完成に伴いキハ80系で運転されていた盛岡特急「やまびこ[注 7]」仙台特急「ひばり」電車化用として、1965年 - 1966年の新製後に仙台運転所(現・仙台車両センター)へ集中配置された電動車を交流50 Hz用対応のモハ483・482形とした計52両のグループである。
- クハ481形 (19 - 28)
- 50 Hz対応を示す点からスカートがクリーム色に変更された。
- 1982年の東北新幹線開業による運用減により、19・20・22・24が南福岡電車区(現・南福岡車両区)へ転出したが、その後の検査等で入場時に下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。しかし、仙台所ならびに勝田区へ再転出した1985年以降に「ひげ」を復元した。またこの運用減では21・23・27・28が向日町所へ転出しているが、1986年に上沼垂へ再転出をした。
- 1985年に仙台所残存の25・26と1982年の九州転出車が勝田区に転入。このため上述の上沼垂転出車も含め分割民営化時にはJR東日本に承継された。2000年までに訓練車編成に組成された24・26を除き廃車されたが、この2両も2007年までに廃車。
- 26が鉄道博物館で静態保存されているが、同車はボンネット外気取入グリルが2箇所の変則車である。
- モハ483形・モハ482形 (1 - 15)
- モハ481・480形との大きな差異は搭載する主変圧器で、基本構造は共通する。1982年に8から老朽廃車が開始されたが、12 - 15は1985年に仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)へ転属、JR東日本に承継され1990年に廃車された。
- サロ481形 (19 - 25)
- 本グループは1968年に編成変更により全車クロ481形50番台へ改造された。
- サシ481形 (10 - 14)
- 向日町に配置された1 - 9と併せて本グループまで全車近畿車輛が製造。新製配置された仙台運転所から転属することなく1981年 - 1984年に廃車となった。
新製時形態 | 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 近畿車輛 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
スカート | ひげ | スリット | |||||
クリーム | 有 | 横 | 仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19・20 | 21 - 26 |
39年第5次債務 | 1967 | 27・28 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日本車輌 | 汽車会社 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|---|
仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 1 - 4 | 5 - 8 | |
39年第5次債務 | 9・10 | 11 - 13 | |||
40年第2次民有車両 | 1966 | 14・15 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 汽車会社 |
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仙台 | 39年第4次債務 | 1965 | 19 - 22 |
39年第5次債務 | 23 - 25 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|
仙台 | 39年第1次民有車両 | 1965 | 10 - 13 |
39年第4次債務 | 14 |
485系
電動車ユニットが交流50・60 Hz共用とし国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・484に変更されたグループで、1968年から1979年まで製造された。
製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)油の毒性が問題[注 8]となったため、新造車では1974年(昭和49年)製の1500番台から絶縁油にシリコーン油を使用したTM20形に変更され、それ以前の車両にも交換が施工された。
前期型(1968年 - 1972年)
1972年(昭和47年)製造車[注 9]は台車の枕ばねをベローズ式からダイヤフラム式へ変更したDT32E・TR69E形となった。
- クハ481形 (29 - 40)
- スカートを483系グループの19 - 28と同じ眉付きクリーム色としたほか、1969年(昭和44年)製以降の30 - ならびに後述のクロ481-5は、ボンネット外気取入グリルのスリット形状が横型から縦型に設計変更された。また後方防護用赤色フィルターや不時停車時用交互点滅回路は新造時から未装備である。
- 向日町配置車は1975年(昭和50年)に全車鹿児島運転所へ、1985年(昭和60年)に仙台配置の29・30は向日町所へ転出、1986年(昭和61年)に上沼垂[注 10]へ再転出した。
- 九州地区配置車は1977年(昭和52年)以降「ひげ(眉)」が省略されたが、仙台所ならびに勝田区に再転出した31・32・34・36・38・40は1985年(昭和60年)以降「ひげ」を復元。
- 分割民営化時には29 - 32・34・36・38・40がJR東日本に、その他がJR九州に承継された。両社共に独自塗装への変更や密着連結器への交換などの改造が施工されたが、JR九州では1996年(平成8年)までに、JR東日本では2000年(平成12年)までにジョイフルトレインの種車となった車両を除き廃車された。
- クロ481形 (1 - 5)
- 1968年の奥羽本線山形・磐越西線喜多方電化完成により「やまばと」「あいづ」が本系列化されることになったが、仙台運転所の編成には次の制約が課された。
- このため日本車輌製造で製造され仙台運転所に集中配置されたのが本形式である。定員は36名。車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する。また既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため全長はクハ481形0番台よりも短い21,100 mmとなった。
- 1・2は1975年(昭和50年)に南福岡へ、3 - 5は1983年(昭和58年)に鹿児島車両管理所でクハ481形600番台へ改造施工された上で同所へ転出したが、1両はクロ481形に復元ならびに原番号復帰。全車とも分割民営化時にはJR九州に承継。1995年(平成7年)までに廃車となった。
- クロ481形・クハ481形100番台
- 以下の設計変更が実施されたため番台区分されたグループである。
- クハ481・クロ481とも101 - 103が1971年製造のほかは、すべて1972年製造である。
- クロ481形 (101 - 104)
- 全車仙台運転所に新製配置された[注 12]。1982年(昭和57年)には4両とも南福岡区へ転出、分割民営化でJR九州に承継。1988年(昭和63年)に鹿児島所へ転出。1995年(平成7年)から1996年(平成8年)にかけて全車廃車となった。
- クハ481形 (101 - 126)
- 101 - 104が仙台に、105 - 108・111・112・119 - 124[注 13]が向日町運転所に、109[注 14]・110・113 - 118・125・126が青森運転所に新製配置された。しかし青森配置車は全車1973年(昭和48年)1月までに向日町へ転出。101 - 104も1985年(昭和60年)までに向日町へ転出したためグループ全車が向日町に配置された[注 15]。しかし、分割民営化直前の1986年(昭和61年)11月 - 12月にかけて向日町から以下の10両が転出した。
- この結果102のみがJR東日本に、他はJR西日本に承継されたが、2004年(平成16年)までに全車廃車となった。
- モハ485形・モハ484形 (1 - 96)
- 基本設計はモハ481+480・モハ483+482から踏襲されているが、3電源対応のほか車側表示灯を側扉寄りから車体中央寄りにする設計変更が行われた。
- 向日町運転所には481系の、仙台運転所には483系の増備車として配置されたほか、1972年からは青森運転所(→青森車両センター→現・盛岡車両センター青森派出所)にも配置された。
- 分割民営化時にはJR東日本・JR西日本・JR九州に承継されたが、JR九州では1994年(平成6年)までに、JR東日本では訓練車編成に組みこまれたモハ485-61が2007年(平成19年)に、JR西日本では京都総合運転所配置車が2011年(平成23年)にそれぞれ廃車となり区分消滅した。
- モヤ484-2から復元されたモハ484-61が埼玉県さいたま市の鉄道博物館で静態保存される。
- サハ481形 (1 - 14)
- 高需要から12両化される「ひばり」「やまびこ」用として、1970年から1972年にかけて全車仙台運転所に新製配置された。
- 1972年に1・2はサハ489形へ改造、3 - 11は1975年に南福岡電車区へ転出。1978年に12 - 14はサハ481形100番台と交換する形で向日町運転所へ転出後、1984年 - 1985年にクハ480形へ改造。未改造車は1996年 - 2000年にかけて全車廃車となり区分消滅した。
- サロ481形 (26 - 51)
- 本グループ製造期間中の仙台運転所ではグリーン車がクロ481形に集約されていたため同所への新製配置はない。国鉄時代に3両がサロ181形1050番台へ、4両がクロ480形へ改造された。民営化時には3両がJR北海道に、1両がJR東日本に、6両がJR西日本に、6両がJR九州にそれぞれ承継された。
- サシ481形 (15 - 39)
- 1965年までに製造された1 - 14とは内装に若干の差異があり、客室窓のカーテンがベネシャンブラインドになるなどの設計変更が行われたほか、近畿車輌以外のメーカーも製造に加わった。
- 転属は、車両需給調整から1969年に向日町へ配置された22が1971年に仙台へ、1972年2月に仙台へ配置された29が同年10月に青森へ転出したほかは、1975年3月に向日町配置の23 - 26・30が鹿児島運転所へ転出したのみである。
- 全車国鉄時代に廃車。
新製時形態 | 新製配置 | 予算 | 製造年次 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 東急車輛 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
スカート | ひげ | スリット | |||||||
クリーム | 有 | 横 | 仙台 | 42年第2次債務 | 1968 | 29 | |||
縦 | 43年第4次債務 | 1969 | 30 | ||||||
向日町 | 31・32 | 33・34 | |||||||
43年第5次債務 | 35・36 | ||||||||
44年民有車両 | 1970 | 37・38 | |||||||
45年第1次債務 | 1971 | 39・40 |
車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 九州地区転属 | クハ481改造 | 廃車日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 日車 | 42年第2次債務 | 1968.06.03 | 仙台 | 1975.05.30 南福岡 |
1993.04.23 鹿児島 |
||
2 | 1968.06.04 | 1975.06.06 南福岡 | ||||||
3 | 1968.06.06 | 1983.10.05 鹿児島 |
601 | 1993.11.07 鹿児島 | ||||
4 | 1968.06.06 | 602 | 1993.03.24 鹿児島 |
1988.12.04 クロ481-4に復元 | ||||
5 | 43年第4次債務 | 1969.06.27 | 1983.10.31 鹿児島 |
603 | 1995.03.24 南福岡 |
九州鉄道記念館 静態保存車 |
車両番号 | 製造会社 | 予算 | 落成日 | 新製配置 | 南福岡転属 | 鹿児島転属 | 廃車日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
101 | 日車 | 45年第2次債務 | 1971.06.30 | 仙台 | 1982.12.02 | 1988.03.07 | 1995.03.24 |
102 | 東急 | 46年本予算 | 1971.12.23 | 1982.10.02 | 1988.03.02 | ||
103 | 日立 | 1971.12.22 | 1982.09.25 | 1988.03.01 | 1995.10.05 | ||
104 | 46年第1次債務 | 1972.02.24 | 1982.10.15 | 1988.02.27 | 1996.03.31 |
新製配置 | 予算 | 製造年次 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|
仙台 | 45年第2次債務 | 1971 | 101 | |||
46年本予算 | 102 | 103 | ||||
46年第1次債務 | 1972 | 104 | ||||
青森 | 46年第2次債務 | 125・126 | 109・110・113 - 118 | |||
向日町 | 105・106 | 119 - 124 | 107・108 | 111・112 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日立製作所 | 日本車輌 | 近畿車輛 | 汽車会社 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 仙台 | 1 - 12 | 13 - 17 | ||||
1969 | 18 - 20 | ||||||
向日町 | 24 - 27 | 28 - 30 | 21 - 23 | ||||
1970 | 仙台 | 34 - 36 | 37 - 43 | ||||
向日町 | 31 - 33 | ||||||
1971 | 仙台 | 50 - 53 | 54 - 57 | 47 - 49 | |||
向日町 | 44 - 46 | ||||||
1972 | 仙台 | 58 - 61 | |||||
向日町 | 62 - 64 | 82 - 88 | 65 - 67 | 72 - 74 | |||
青森 | 89 - 96 | 68 - 71 75 - 81 |
製造年次 | 新製配置 | 日本車輌 | 汽車会社 | 東急車輛 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|---|
1970 | 仙台 | 1 - 5 | 6 - 10 | ||
1971 | 11 | 12 | 13 | ||
1972 | 14 |
製造年次 | 新製配置 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 | 東急車輛 | 日本車輌 |
---|---|---|---|---|---|---|
1969 | 向日町 | 26・27・30・31 | 28 - 29 | |||
1970 | 34・35 | 32・33 | ||||
1972 | 41・42 | 46 - 49 | 36・37 | 38・39 | ||
青森 | 40・43 - 45 | 50・51 |
製造年次 | 新製配置 | 近畿車輌 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 川崎重工業 |
---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 仙台 | 15・16 | 17 - 20 | |||
1969 | 21 | |||||
向日町 | 22 - 24 | |||||
1970 | 26 | 25 | ||||
1971 | 仙台 | 28 | 27 | |||
1972 | 29 | |||||
向日町 | 36・37 | 31 | 30 | 33 | ||
青森 | 38・39 | 32 | 34・35 |
中期型(1972年 - 1973年)
1972年下半期から製造されたグループで、向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。また以下に示す大きな設計変更が実施された。
モハ485 | モハ484 |
---|---|
97 | 201 |
↓ | |
135 | 239 |
136 | 601 |
137 | 240 |
↓ | |
145 | 248 |
146 | 602 |
147 | 249 |
↓ | |
206 | 308 |
- クハ481形は将来予想される分割・併合運転を考慮しボンネットを廃止して前面貫通形[注 17]を採用した。
- 構造的にはクハネ581形・583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。正面の列車名表示器は貫通扉幅の制約から小型化された手動式である。
- 営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」[注 18]からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接もしくは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。
- モハ484形は冷房装置は1基で1両全体を冷房できるAU71A形集中式冷房装置へ、その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載へ変更となり、特徴的なきのこ形カバーを持つAU12形や薄板プレスの車内ルーバーは廃止され機能面が優先された。
上述2形式は定員変更も実施されたため新たにクハ481形では200番台、モハ484形では200番台のほか、後述する600番台の番台区分がされたが、モハ485形・サロ481形・サシ481形は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。このためそれまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。
- クハ481形 (201 - 263)
- 上述した貫通型への設計変更のほか、210 kVA MGと容量を2,100 L/minへ変更したMH113-C2000形CPを床下搭載とした[8]上で連結面車体長も21,000 mmと短縮されたが、客室スペースは拡大されたため定員は0・100番台から8名増の64名となったほか、以下の特徴を持つ。
- 本区分は全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る201 - 224・227 - 230・235 - 238・254 - 263の42両が青森運転所に、225・226・231 - 234・239 - 253の21両が向日町運転所に集中配置された。
- 青森配置車の203・204[注 21]・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり、1976年に撤去[注 22]された。
- 運転室への昇降は、201 - 220がはしご式、221以降が階段式である。また階段式車では客室から乗務員室へのドアを右側にオフセットする設計変更が行われた。
- 運転台からの後方監視窓はない。
- 2016年10月2日付でJR九州大分車両センター所属の256が廃車され区分消滅。
- モハ484形 (201 - 308)
- AU71形搭載によりAU41形床置冷房装置収納機器室と業務用室を廃止したため定員が8名増加し72名となった。
- 298の2016年1月28日付廃車により本グループは区分消滅。
- モハ484形 (601・602)
- 200番台に車掌室と業務用室を設けたための番台区分。定員は200番台より8名少ない64名。分割民営化でJR九州に承継されたが2000年に廃車。
- 一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成が上野方先頭車にクロ481形を組み込み、青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結していたため編成中央部付近に専務車掌室を持つ普通車が必要となり本番台区分が製造された。この構造は後の1000・1500番台に承継された。
- モハ485形 (97 - 206)
- 196の2016年1月28日付廃車により本グループは区分消滅。
- サロ481形 (52 - 103)
- 本グループは車籍復活車も含めて民営化時に本形式として継承された車両数は52両中32両。国鉄時代に廃車となったのは4両のみであるほか、他形式への改造も19両と多いのも特徴である。
- また国鉄時代にサロ183-1052へ改造された98は、JR東日本継承後の1988年に本形式へ復元ならびに原番号復帰と同時に座席を2+1などにするグレードアップ化改造を施工された。
- 2004年2月にJR西日本が承継した68・71の廃車により本グループは消滅。
- サシ481形 (40 - 72)
- 国鉄時代に54・55・69 - 71の5両がサロ481-501 - 505へ、52・67の2両は一旦廃車され車籍抹消となった後に車籍復活とスシ24 3・501へ改造された。
- 分割民営化時に車籍を有した車両は、JR東日本に承継された64・68とJR北海道に承継された50の3両。JR東日本所属の2両は1988年にスシ24 504・505へ、50は1989年にスシ24 508へ改造され本形式は消滅した。
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 201 - 204 | 205・206 211・212 |
207・208 213 - 218 227・228 |
209・210 219・220 |
|
向日町 | 225・226 | |||||
1973 | 青森 | 235 258・259 |
221 - 224 254・255 |
229・230 256・257 |
237・238 262・263 |
236 260・261 |
向日町 | 233・234 245・246 |
243・244 | 231・232 251 - 253 |
239 - 242 247 - 250 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 201 - 208 | 209 - 212 221 - 224 |
213 - 216 230 - 233 247・248 602 |
217 - 220 | |
向日町 | 225 - 229 243 - 246 |
234 - 236 | ||||
1973 | 青森 | 293 - 296 | 237 - 239 285 - 288 601 |
289 - 292 | 262 - 264 301 - 308 |
297 - 300 |
向日町 | 256 - 258 273・274 |
240 - 242 271・272 277 |
249 - 255 281 - 284 |
265 - 270 275・276 278 - 280 |
259 - 261 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 97 - 104 | 105 - 108 117 - 120 |
109 - 112 126 - 129 144 - 146 |
113 - 116 | |
向日町 | 121 - 125 140 - 143 |
130 - 132 | ||||
1973 | 青森 | 191 - 194 | 133 - 136 183 - 186 |
187 - 190 | 160 - 162 199 - 206 |
195 - 198 |
向日町 | 154 - 156 171・172 |
147 - 153 169・170 |
147 - 153 179 - 182 |
163 - 168 173 - 178 |
157 - 159 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 52 - 55 | 56・57・59 | 64・72・73 | 58 | |
向日町 | 60 - 63 70・71 |
65・66 | ||||
1973 | 青森 | 101 | 67・99 | 100 | 103 | 102 |
仙台 | 84 - 86 | |||||
向日町 | 79 - 81 91・92 |
68・69 | 74 - 78 97・98 |
87 - 90 93 - 96 |
82・83 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 日本車輌 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|---|
1972 | 青森 | 40・41 | 42・45 | 43・48 54・55 |
44 | |
向日町 | 46・47 | 49・53 | ||||
1973 | 青森 | 70 | 50・68 | 69 | 72 | 71 |
仙台 | 60 | |||||
向日町 | 58・64 | 51・52 63・67 |
56・57 65・66 |
61・62 | 59 |
後期型(1974年 - 1976年)
1974年から製造されたグループ。新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置され、以下の設計変更・改良が行われた。
モハ485 | モハ484 |
---|---|
207 | 309 |
↓ | |
223 | 325 |
224 | 603 |
↓ | |
228 | 607 |
229 | 326 |
↓ | |
248 | 345 |
249 | 608 |
↓ | |
255 | 614 |
- クハ481形は貫通扉を廃止した結果新たに300番台の番台区分を実施。
- 車体長を250 mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250 mmとなり、同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。
- 200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。
- 列車名表示器は大型長方形で側面方向幕連動の電動式に変更。
- 342・348・350の3両は後述の3000番台改造を施工。
- 他形式の車両番号は中期型からの続番。
- MM'ユニットはモハ485-207+モハ484-309からとされたが、本グループではモハ484形600番台が1974年と1975年にわけて製造されたことから右表に示す車番組合せとなった。
- 台車は電動車がDT32E形、付随車はTR69E形。
- クハ481-311・313・315 - 354・サロ481-115 - 133・サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形に変更。
- 普通車座席を従来のT-17系回転クロスシートからR-51系簡易リクライニングシートに変更。
- 一部車両で循環式汚物処理装置準備工事[注 23]を施工。
以後に製造された1000・1500番台は基本的にこのグループの仕様を踏襲する。
- クハ481形 (301 - 354)
- 200番台ベースのデザインであるものの分割・併合を伴う運用の必要性を欠き隙間風などに問題のあった貫通路の廃止と運転室の居住性改善など設計変更による区分で1974年以降に製造された。
- 2015年7月3日にJR東日本仙台車両センター所属の334が廃車され区分消滅[9]。
- モハ484形 (309 - 345・603 - 614)
- 600番台は青森・仙台に新製配置後分割民営時までに各地に転配され603がJR東日本に、604以降はJR西日本に承継[注 24]された。
- モハ485形 (207 - 255)
- 229は1990年3月18日の「にちりん47号」運用中に踏切事故で受けた床の大きな損傷から復旧に際し保留車となっていた23から車体を流用したため冷房装置がAU12形6基の異端車となった。
- サハ481形 (15 - 19)
- 15が仙台運転所に配置されたが、16 - 19は「雷鳥」「しらさぎ」増結用として金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配置された。
- 1978年の東北地区3MG化でサハ481形100番台を捻出する必要性から15は車両交換、16 - 19は転出車補填の形で向日町運転所へ集中配置となったが、1984年以降は先頭車化改造の種車となった。
- サハ481形 (101 - 118)
- 1976年に製造された付随車。基本番台から後位側に車販準備室・業務用室を設置する設計変更により定員が8名減の64名となり番台区分された。
- 新製時は向日町と南福岡に集中配置されたが、床下にMG・CP設置準備工事が施工されていたことから、1978年10月のダイヤ改正で東北特急3MG化のため一部が仙台運転所へ転出した。
- 110・111の2両はクハ182-1・2に改造されたが、1985年3月ダイヤ改正で残りの16両全車が向日町集中配置となった。後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車に改造された。108・109の2両[注 25]が1998年に廃車されて区分消滅した。
- サロ481形 (104 - 133)
- 本グループは国鉄時代に改造された車両も含め分割民営化時には全車車籍を有したほか、制御車化された車両はクロ480-15に改造された130のみで唯一のJR九州承継車でもある。残りの29両はJR東日本とJR西日本が承継しており、以下の改造例がある。
- 1975年に「つばさ」本系列化名義で製造された115・116・122・123・127・128の6両は床下にMG・CP搭載・前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置といった当初から1000番台改造を前提にした仕様変更が実施されており、1978年に1051 - 1056へ改造。またJR東日本継承後に2両がサロ489形1050番台に、1両がサハ481形300番台へ再改造。
- JR西日本が承継した121・133は1997年にサハ481-502・503へ改造。
- グリーン車のまま183・189系化改造を施工された車両が5両存在する。このうちサロ189形改造車3両とサロ183形改造車1両は1989年にサハ481形300番台へ改造され再び本系列化したほか、126・129が本形式から直接サハ481-301・302へ改造された。
- 国鉄時代にサロ183-1053へ改造された112は、JR東日本継承後の1988年に本形式へ復元ならびに原番号復帰と同時に座席を2+1などにするグレードアップ改造を施工。またグレードアップ改造は105 - 107・114・124・125にも施工されたが、106は1998年に、107は1997年に3000番台化リニューアル改造により3106・3107へ改番。
- 原型車はJR西日本が承継した118の2005年12月廃車で消滅。JR東日本では3106・3107が2005年に運用変更で保留車となりならがも車籍を有していたが、2008年10月30日付で廃車となり本形式は廃形式となった。
- サシ481形 (73 - 76)
- 国鉄の在来線用食堂車ならびにサシ481形としてサシ489-9 - 12と共に最終製造ロッドである。73・74は1985年にサロ481-506・507へ改造施工され民営化時にはJR西日本へ継承。75・76は1979年に1000番台対応改造を施工後1986年3月31日付で一旦廃車。分割民営化直前の1987年3月に車籍復活の上でスシ24 502・503へ改造されJR北海道へ継承された。
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 向日町 | 301・302・304 | ||
金沢 | 303・305 306・308 |
307・310 | ||
仙台 | 312・314 | |||
1975 | 青森 | 332 - 337 | 311・313・315 | 342 |
金沢 | 318 - 327 | 343・344 | ||
仙台 | 328 - 331 | 316・317 | 338 - 341 | |
1976 | 青森 | 345 - 352 | ||
仙台 | 353・354 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 309・310 | 603 - 607 | |
向日町 | 311 - 315 | |||
金沢 | 316 - 322 | 323 - 325 | ||
1975 | 青森 | 610・611 | ||
仙台 | 608・609 | |||
金沢 | 329 - 336 | 343 - 345 | ||
南福岡 | 337 - 342 | 326 - 328 | ||
1976 | 青森 | 612 - 614 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 207・208 | 224 - 228 | |
向日町 | 209 - 213 | |||
金沢 | 214 - 220 | 221 - 223 | ||
1975 | 青森 | 251・252 | ||
仙台 | 249・250 | |||
金沢 | 232 - 239 | 246 - 248 | ||
南福岡 | 240 - 245 | 229 - 231 | ||
1976 | 青森 | 253 - 255 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 15 | |||
金沢 | 16・17 | 18 | |||
1975 | 19 | ||||
1976 | 向日町 | 101 - 113 | |||
南福岡 | 114 - 118 |
製造年次 | 新製配置 | 東急車輛 | 川崎重工業 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|
1974 | 仙台 | 114 | ||
金沢 | 108 - 111 | 112・113 | ||
向日町 | 104 - 107 | |||
1975 | 青森 | 130 | ||
秋田 | 122・123 | 115・116 | 127・128 | |
仙台 | 124・125 | 126・129 | ||
金沢 | 117 - 121 | 131・132 | ||
1976 | 青森 | 133 |
製造年次 | 新製配置 | 日立製作所 | 東急車輛 |
---|---|---|---|
1974 | 向日町 | 73・74 | |
金沢 | 75 | ||
仙台 | 76 |
1500番台
1974年に新造されたモノクラス4M2Tの6両編成x3本と予備のMM'ユニット1組・クハ481形2両で構成される計22両の北海道向け特別耐寒耐雪形による番台区分である[10]。
函館本線の電化区間であり道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川[注 26]間では冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」ならびにノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため同系をベースとした新型交流専用特急車が計画されたが、TM14形を含む従来形主変圧器で絶縁・冷却に使われていたPCB油の毒性が判明し、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことと無害なシリコーン油を使用するTM20形主変圧器が開発されたため北海道向けに300番台をベースに以下の設計変更を実施した本グループを1973年度第1次債務で川崎重工業(現・川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造し、暫定投入する事が決定した。
- 台車は耐寒耐雪強化タイプとし、呼吸式軸箱とした上で軸箱支持装置用軸ばねをゴム被覆コイルばねへの変更を実施。電動車では両抱き式耐雪ブレーキならびに鋳鉄製制輪子対応のDT32G形を、クハ481形では踏面清掃装置付のTR69G形を装着した[注 27]。
- 床下機器箱に凍結防止用電熱ヒーターを追加し防雪ならびに粉雪浸入防止シール類を新設。
- モハ484形は専務車掌室・車販準備室設置とした600番台の構造を踏襲。
- クハ481形は300番台と同様の非貫通型であるが、降雪時視認ならびに被視認性向上の観点から運転台上前照灯を2基に増設し計4基としたほか、ワイパーブレードを4本に増強し運転台側面ガラスも熱線入りに変更[10]。
全車札幌運転所へ配置されたが、新製直後から耐寒耐雪装備の試用を兼ねた青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に充当された[注 28]。翌1975年1月から3月にかけてクハ481形前面連結器を自動連結器もしくは密着自動連結器に交換した上で順次札幌へ回送し[注 29]、訓練運転を開始。同年7月18日[注 30]から新設されたエル特急「いしかり[注 31]」7往復に充当された[注 32]。さら運用開始後の1976年に苗穂工場で以下の改造を施工。
しかし本来は本州地区での使用が前提とされた車両であるため冬期には以下のトラブルが多発した。
- 無接点制御装置搭載の711系に対し本系列では主制御器などの電装部品に可動部品や接点が多く侵入した粉雪の融解による絶縁不良や再凍結による動作不良[注 33]。
- 走行中は負圧となる車内に北海道特有の粉雪が出入口や貫通幌隙間から大量に侵入し、凍結した客用扉の不作動[注 34]による遅延・運転打切り・運休が続発。
このため編成をMM'1ユニット減の4両に短縮。運転間隔を2時間から4時間とする計画運休[注 35]による間引きで予備車と折り返し整備時間を確保した[注 36]。
これら各種トラブルの根本的解決はなされず1978年には北海道専用特急電車となる781系試作車を開発。1980年には量産車による置換え完了で同年夏までに本番台は全車が青森運転所に転出。分割民営化時には全車がJR東日本に承継された。
- クハ481-1501 - 1508
- 本州転出後は青森残留車と上沼垂運転区・秋田運転区へ転出する車両に分かれたが、最終的には全車とも一度は新潟へ配置された[注 37]。1986年に新潟へ転属した1502 - 1505・1507の5両はJR化後にグレードアップ改造を施工したほか、3000番台化ならびにジョイフルトレイン化の改造を施工した車両も存在する。
-
クロハ481-3020
(元・クハ481-1501) -
クロ481-1503
-
クハ481-1505
-
クハ481-1507
- 1501
- 青森運転所残留のまま1987年にクロハ481-1020へ改造。1999年にクロハ481-3020にリニューアル改造され2006年に新潟車両センターへ転出。同センターR28編成。2017年4月6日付で廃車[14]。
- 1502・1503
- 上沼垂グレードアップ改造施工車。9両T編成運用後は4両モノクラスのT22編成に再組成されたが、2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」のクロ481-1502・1503へ改造改番。長野総合車両センターN201編成として組成。2015年7月1日付で交直切換機能を直流側に固定しクロ481-5502・5503へ再改番[15]。2017年10月20日付で廃車[16]。
- 1504・1505
- 上沼垂グレードアップ改造施工車。9両T編成運用後は定期運用を持たない波動輸送対応用T19編成に再組成されたが、2002年に勝田車両センターへ編成ごと転出しK60編成へ改番。2013年1月で運用離脱し廃車回送された[17]。
- 1506
- 1992年に秋田へ、1997年に新潟へ転出。2000年にクハ481-3506へリニューアル改造され新潟車両センターR24編成に組成。JR羽越本線脱線事故で脱線大破したため2007年3月31日付で廃車。
- 1507
- 上沼垂グレードアップ改造施工車。9両T編成運用後は4両モノクラスのT21編成に再組成されたが、2006年6月1日付で廃車。
- 1508
- 青森転出後の1982年に広域転配で鹿児島運転所への牽引車運用に充当されたことで電化区間最北端・最南端両方への到来実績がある。
- JR化以降の1987年に秋田へ転出し9両編成を組成、1992年に編成ごと青森へ2度目の転出となり、翌1993年に6両編成化されA12編成として再組成された。2000年に編成ごと新潟車両センターへ転出しT18編成に改番[注 38]。2015年7月10日付で廃車となり新潟市新津鉄道資料館で保存[18]。
車両番号 | 製造会社 落成日 新製配置 |
転属 | 改造 | 廃車 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1501 | 川重 1974.05.23 札幌 |
青森 1980.09.10 |
新潟 2006.03.24 |
クロハ481-1020 1987.12.24 クロハ481-3020 1999.03.24 |
2017.04.06 | ||
1502 | 青森 1980.08.10 |
新潟 1986.09.19 |
長野 2006.05.22 |
クロ481化 2006.05.22 5502・5503へ改番 2015.07.01 |
2017.10.02 | ||
1503 | 新潟 1986.10.28 |
||||||
1504 | 青森 1980.06.11 |
勝田 2002.12.06 |
2013.01.23 | ||||
1505 | 日立 1974.04.25 札幌 |
新潟 1986.09.19 |
|||||
1506 | 青森 1980.09.10 |
秋田 1992.07.01 |
新潟 1997.03.27 |
クハ481-3506 2000.12.12 |
2007.03.31 | ||
1507 | 日立 1974.06.01 札幌 |
青森 1980.09.28 |
新潟 1986.10.15 |
2006.06.01 | |||
1508 | 秋田 1987.07.01 |
青森 1992.07.01 |
新潟 2000.07.02 |
2015.07.10 |
- モハ485・484-1501 - 1507
- 青森転属後は1985年に向日町運転所へ再転出。1986年11月1日には上沼垂運転区へ再々転出し「雷鳥」「白鳥」などの日本海縦貫線運用に充当。全車グレードアップ改造を施工したが、2001年から2002年にかけて運用終了。老朽化ならびに上沼垂配置のMM'ユニットを1000番台・3000番台へ集約化のため廃車となった。
車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 新製配置 | 青森 転属 |
向日町 転属 |
上沼垂 転属 |
廃車日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1501 | 川重 | 1974.05.23 | 札幌 | 1980.09.10 | 1985.02.14 | 1986.11.01 | 2001.07.19 |
1502 | 1980.08.10 | 1985.02.05 | 2001.06.13 | ||||
1503 | 1980.06.11 | 1985.02.14 | 2002.04.02 | ||||
1504 | 日立 | 1974.04.25 | 1980.08.10 | 2001.04.03 | |||
1505 | 1980.09.10 | 2002.04.02 | |||||
1506 | 1974.06.01 | 1980.09.28 | 1985.03.14 | 2001.04.03 | |||
1507 | 1985.02.05 | 2001.11.21 |
1000番台
-
クハ481-1016 公式側
-
クハ481-1015 非公式側
-
モハ484-1032 非公式側
-
モハ484-1023 公式側
-
モハ485-1032
-
クハ481-1015 ジャンパ連結器詳細
助士席側
KE9形 高圧三相引通
運転席側
KE70形 総括制御用(右)
KE76形 給電区分変更制御用(左)
本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北地方を走行する「白鳥」や「いなほ」では雪害による車両故障が多発したことから、1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形として1976年から製造された番台区分である[19]。当初は「つばさ」用として秋田運転区へMM'ユニット24組48両・クハ481形12両・サロ481形6両の計66両が、1978年から1979年にかけて秋田運転区への増発対応用としてMM'ユニット32組64両・クハ481形18両・サロ481形2両の計102両が、青森運転所へ在来車に代わる増備車としてMM'ユニット28組56両・クハ481形13両の計69両、全体で237両が新製されたグループである。
- 新製車のほかに、在来車から改造されたサロ481形1050番台6両と引通線追加など本番台区分との連結対応を施工したサシ481形14両が存在する。
ベースとなった基本番台後期形からは以下の設計変更が行われた。
- 主要機器
- 電動発電機(MG)・電動空気圧縮機(CP)・主電動機の寒冷地仕様強化ならびに器箱密閉化および防水処置・空気ブレーキ装置の機器箱収納化を実施[19][20]。
- モハ484形に搭載される主整流器は当初乾式風冷式のRS22A形もしくはRS40A形を搭載したが、1010・1012・1014・1016・1018・1020・1022・1024はフロン沸騰冷却式のRS45A形を、1979年製造の1081 - 1088は改良型のRS45B形を搭載する。
- サービス電源と圧縮空気確保のため在来車では先頭車のクハ481形へ集約搭載されていたMG・CPを編成内に組成されるサロ481形にも搭載した。ただし183系1000番台で採用確立された本システムを本番台区分では、MGトラブル発生時にクハ481形運転席から給電区分変更制御を可能にしたことから、KE76形ジャンパ連結器1基による給電制御用引通線をKE70形ジャンパ連結器による総括制御用引通線とは別に増設した。
- このため在来車との混結も可能だが、その際には給電区分変更機能などは喪失するほか、給電制御用引通線追設によりクハ481形は片渡りとなり方向転換が不可[注 39]となった。
- 210 kVA MGとCPを搭載するサロ481形ならびに厨房設備に対応する70 kVA MGを搭載するサシ481形では、通常時は自車給電とし、いずれかのクハ481形が搭載するMGに異常が発生した際にはサロ481形搭載MGからの給電区分に切り替える。またサシ481形のMGに異常が発生した場合もサロ481形からの給電となり[注 40]、サロ481形搭載MGに異常が発生した場合はクハ481形からの給電となるバックアップが確保された。
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|
- 主電動機およびMG冷却用風道に夏⇔冬切替およびフィルター交換の容易化を施工[20]。
- 電動台車はブレーキシリンダに防雪カバーを取付けたDT32E形、付随台車はゴムシリンダ式としたTR69H形とし、クハ481形の先頭台車にスノープロウを装着[19]。
- 水揚装置で凍結対策を施工[21]。
- 車内設備
- クハ481形乗務員室の暖房を強化。
- モハ484形は600番台の構造を取入れた専務車掌室を設置[注 41]。
- サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更。
1978年製造のクハ481-1013ならびにモハ485・484-1025以降の車両は以下の設計変更が実施された。
- 簡易リクライニングシートを背もたれが倒れた状態でロックが可能なR-51BN形へ変更。
- モハ484形の屋根上ランボード構造ならびに冷房装置をAU71B形を変更。
- モハ485・484形の車端部に埋め込み型手摺りを設置。
- 屋根布をアルミ蒸着ビニール(銀色)から通常の屋根布(灰色)へ変更。
サロ481形は将来の短編成化やモノクラス化を想定して8両が新製されたのみで、新製時から本番台区分への改造を前提にし、後に1051 - 1056へ改造された115・116・122・123・127・128を加えて14両全車が当初は秋田運転区配置とされた。
本区分番台では食堂車のサシ481形は逼迫する当時の国鉄財政の観点から新製されず、AU13E形冷房装置を搭載する基本番台中期型以降の車両に引通線増設などの対策を計14両へ改造施工し充当した。このうちサシ481形は改番せず原番号のまま、サシ489形からの改造車は横軽協調運転装置を取り外した上でサシ481形80番台への改番を併せて実施。本工事はすべて土崎工場が担当し、全車秋田運転区に配置された[注 42]。
- 1976年施工の6両は、元「にちりん」用編成に充当されていた車両の転用である[注 43]。200番台以降の中型車による「つばさ」暫定本系列化時に南福岡電車区から転入。他の車両が本番台区分に置換え南福岡転出後も残留させ充当した。
- 1978年ならびに1979年施工の8両は、組成変更で編成から除外余剰となった仙台運転所から転入したサシ481形1両、金沢運転所から転入したサシ481形5両とサシ489形3両を改造して充当した。
1979年6月19日に川崎重工業が製造したモハ485・484-1085 - 1088・クハ481-1040 - 1043の落成を最後に本系列の製造が終了した。
分割民営時にモハ485・484-1001 - 1006・1025 - 1029がJR西日本に、他はJR東日本に承継された。
- JR西日本承継車はグレードアップ化改造された車両も存在するほか、組換により在来車とユニットを組成したケースも多い。
- JR東日本承継車はクハ481形43両中29両がクロハ481形に、モハ485形は9両がクモハ485形に改造されるなど短編成化に起因する施工例が多く、3000番台化された96両中89両が本番台区分からの改造である
2016年4月現在で仙台車両センターA1・A2編成に組成されるモハ485・484-1032・1077の2組4両とクハ481-1015・1016の2両、計6両が車籍を有していたが、同年6月19日のラストランを最後に運用を離脱、同年8月4日付で廃車された[22]。
モハ485+モハ484 | ||||||
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製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
1976 | 秋田 | 1001 - 1008 1021 - 1024 |
1009 - 1012 | 1013 - 1016 | 1017 - 1020 | |
1978 | 1069 - 1080 | 1042 - 1049 | 1050 - 1053 | |||
青森 | 1038 - 1041 | 1025 - 1030 | 1057 - 1065 | |||
1979 | 1031 - 1037 | 1066 - 1068 | 1054 - 1056 | |||
秋田 | 1081 - 1084 | 1085 - 1088 | ||||
クハ481 | ||||||
製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 川崎重工業 |
1976 | 秋田 | 1001 - 1004 1011・1012 |
1005・1006 | 1007・1008 | 1009・1010 | |
1978 | 1032 - 1037 | 1021 - 1026 | ||||
青森 | 1019・1020 | 1013 -1016 | 1027 -1031 | |||
1979 | 1017・1018 | |||||
秋田 | 1038・1039 | 1040 - 1043 | ||||
サロ481 | ||||||
製造年次 | 配置 | 日立製作所 | 日本車輌 | 東急車輛 | 近畿車輛 | |
1976 | 秋田 | 1001・1002 1006 |
1003 | 1004 | 1005 | |
1979 | 1007・1008 |
489系
信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠は最大66.7 ‰の急勾配区間であるため通過車両はEF63形の推進・牽引による無動力運転となる上に台枠・連結器の強化などの通称横軽対策が必要で電車は最大8両編成までと制限されていたが、1967年に165系電車をベースに開発された169系電車ではEF63形と協調運転を行うことにより12両編成まで増車することが可能となった。また1972年3月15日ダイヤ改正でそれまで客車急行で運転されていた「白山」の特急格上げ[注 44]が決定し、同列車用として485系に協調運転装置を搭載した派生系列が489系である。したがって485系とは基本設計は共通としながらも以下の相違点が存在する。
- 主制御器をEF63形との協調運転時にカム軸が機関車からの指令により途中停止可能なCS15Gに変更。
- 誘導分流器は界磁分流率を変えてEF63形とのノッチ合わせを可能としたIC58-MR130に変更。
- 編成間では485系と共通する総括制御回線とは別途にKE76形ジャンパ連結器による協調制御回線を増設する方式[注 45]を採用したため付随車も489形の別形式となり、協調機能は失われるものの485系との混結運転も可能である。このためクハ489形はクハ481形と異なり片渡りで方向転換ができない構造となったため上り方と下り方で番台区分が異なる。
- 下り協調運転時前方監視のためクハ489形0・200・300番台運転台側面に車掌弁を設置。
- EF63形と連結される上り方のクハ489形500・600・700番台は、直通予備ブレーキを設置し抑速発電ブレーキが不能となった場合に動作する抑圧装置を搭載するほか、連結器カバーが省略され運転席下側にEF63形との協調制御用KE70形ジャンパ連結器を装備する。ボンネットタイプの500番台はクハ180形同様にブレーキホース(BP管)を装着し前面自動連結器が常時剥き出しの状態になるが、連結器カバーの装着は可能である[注 46]。
- 密着連結器を装備する200・300・600・700番台の前面ジャンパ連結器は以下の構成となった。
- 200・300番台:運転席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形 助手席下側にKE9形三相引通
- 600・700番台:運転席下側に協調制御用KE70形とKE9形三相引通 助手席下側に総括制御用KE70形と編成間協調回線用KE76形
1971年 - 1974年までにTc14組28両・Ts28両・MM'ユニット42組84両・TdならびにTが12両の新製車164両と181系・485系からの改造車4両で12両×14編成計168両が落成。本来の目的である信越特急「白山」「あさま」「そよかぜ」のほか、「雷鳥[注 47]」「しらさぎ」「北越」「はくたか」でも運用された。
1978年 - 1979年に編成組成ならびに運用変更の点からサロ489形1000番台10両を追加新造。分割民営化時にはJR東日本へ28両、JR西日本へ108両が承継された。新製車174両のほか国鉄時代にサシ181形からの改造車が2両、サハ481形からの改造車が2両、分割民営化後の1990年にJR東日本がサロ481形から2両を改造編入をしたため総車両数は180両であるが、編成組成や用途変更による他形式への改造や廃車があるため全車両が一斉に揃ったことはなく、サシ489形は1988年に、サハ489形は1991年に廃形式となった。
1997年の北陸新幹線長野暫定開業による信越本線横川 - 軽井沢間廃止で存在意義を失った[注 48]ことや老朽化によりJR東日本所属車のうち長野総合車両所配置車は2000年までに廃車となり、保留車であった新潟車両センター配置のサロ489形2両も2010年までに廃車。JR西日本所属車も他系列への置換えで2012年までにほとんどが廃車となり、2014年10月時点では金沢総合車両所配置のクハ489-1のみが車籍を有していたが、2015年2月13日付で廃車となり廃系列となった[23]。
485系のデザイン過渡期と同時期に製造されたため対応する区分番台が存在しており、以下でそれぞれに新製車について解説を行う。
- 他形式からならびに系列間改造車は以下を参照のこと。
前期型(1971年 - 1972年)
485系0番台に準ずるグループ。ただしクハ489形はクハ481形100番台に準じており、MH129-DM88型210 kVA MG[7]を床下に、ボンネット内部に容量2,950 L/minのMH92B-C3000A型CP[8]を搭載し、下り方0番台・上り方500番台に区分されるほか、1971年製造車と1972年上期製造車では以下の差異が存在する。
- 1971年製造車
- 同年7月に夏期臨時列車への充当目的[注 49]も兼ね向日町運転所へ同所の485系と共通の11両編成で落成・配置されたグループである。
- 同年秋よりEF63形との協調運転テストを行い年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。
- クハ489-1・2・501・502のタイフォンはスカート部に設置。
- 台車はDT32A・TR69A形を装着。
- 1972年上期製造車
- 当初からサハ489形組込の12両編成で落成した「白山」格上げ名義による向日町運転所に配置されたグループである。
- クハ489 - 3 - 5・503[注 50] - 505のタイフォンはボンネット部に設置。
- 台車はこれ以降300・700番台グループまでDT32E・TR69E形を装着。
なお、1971年製造2編成分のサハ489形は1972年に1両を新製。「白山」運転開始から8か月経った同年11月にサハ481形を改造し充当されたが、本グループでは後にCP搭載の追加改造を施工。またサシ489形は編成数に対して1両製造数が足りないが、サシ181形改造の100番台を充当して対応した。
また、サロ489形・サハ489形は1986年までに他形式への改造種車となった。サシ489形は3・4が1985年以降保留車となったままJR西日本に継承。1988年3月にスシ24 1・2へ改造され廃形式となった。一方でクハ489形とMM'ユニットは全車JR西日本が承継。一部は「能登」をJR東日本へ移管する2010年まで運用された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 |
---|---|---|---|---|
モハ489+モハ488 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 - 3 | 4 - 6 |
1972 | 46年本予算 | 7 - 9 | 10 - 15 | |
クハ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・501 | 2・502 |
1972 | 46年本予算 | 3・503 | 4・5・504・505 | |
サロ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1・2 | 3・4 |
1972 | 46年本予算 | 5・6 | 7 - 10 | |
サハ489 | 1972 | 46年本予算 | 1・2 | 3・4 |
サシ489 | 1971 | 45年第2次債務 | 1 | 2 |
1972 | 46年本予算 | 3・4 |
中期型(1972年 - 1973年)
485系200番台と同じく先頭車貫通化や冷房装置変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。
- クハ489形は下り方が200番台、上り方が0・500番台とは異なり+400の600番台に区分されたが、CPを床下搭載とし容量がベースとなるクハ481形200番台同様容量が2,100 L/minへ減少したMH113-C2000型[8]となったことから、横軽区間でパンクさせた空気ばね台車への圧縮空気供給時間を0・500番台と同等にさせるため600番台は2基搭載とした。JR東日本へ継承されたクハ489形は、本グループに属する201 - 203・601 - 603の6両である。JR西日本継承車は、200番台が204・205の廃車で2003年に、600番台が604の廃車で2011年に廃区分番台となった。
- モハ488形は冷房装置を集中式のAU71形へ変更により乗車定員が8名増加となったため200番台に区分されたが、モハ489形は冷房装置をAU13E型へ変更したのみで続番となったことから、それまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。本グループではモハ489-16+モハ488-201 - モハ489-30+モハ488-215の15組30両が該当し、民営化時には全車JR西日本が承継。
- 付随車はモハ489形同様に冷房装置変更のみのため基本番台からの続番を踏襲するが、サハ489形は初期型でCP搭載改造を施工された1 - 4 → 201 - 204に対応して5-を附番し、新製当初からCPを搭載するほか、1986年までに他形式へ改造された。
- サロ489形は13がJR西日本へ、14 - 16がJR東日本へ継承された以外は1986年までにサロ110形へ改造された。
- サシ489形は1986年 - 1987年に全車廃車となったが、民営化後の1989年3月に7が車籍復活と同時にスシ24 507へ改造されJR東日本尾久車両センターへ配置された。
また本区分では1972年下期製造車と1973年製造車では以下の相違が存在する。
- 1972年下期製造車
- 向日町運転所へ「白山」2往復化[注 51]と同所の485系との共通予備車名義により11両×3編成で落成配置されたグループである。
- サハ489形1両はサハ481形改造車を充当。サシ489形1両はサシ181形改造の100番台を充当。
- 1973年製造車
- 「白山」3往復化と間合い運用の「あさま」1往復投入名義で製造された12両×2編成と1972年下期製造車組込用サハ489形2両。同年3月15日より「白山」運用が移管されたこともあり、本グループより新製配置が金沢運転所に変更された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|---|
モハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 16 - 18 | 19 - 21 | 22 |
1973 | 47年第1次債務 | 23 - 25 | 26 - 30 | ||
モハ488 | 1972 | 47年第1次民有 | 201 - 203 | 204 - 206 | 207 |
1973 | 47年第1次債務 | 208 - 210 | 211 - 215 | ||
クハ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 201・601 | 202・602 | 203・603 |
1973 | 47年第1次債務 | 204・604 | 205・605 | ||
サロ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 11・12 | 13・14 | |
1973 | 47年第1次債務 | 15・16 | 17 - 20 | ||
サハ489 | 1973 | 47年第1次債務 | 5 | 6 - 8 | |
サシ489 | 1972 | 47年第1次民有 | 5 | 6 | |
1973 | 47年第1次債務 | 7 | 8 |
後期型(1974年 - 1979年)
1975年3月10日ダイヤ改正で金沢運転所では、「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用が向日町からの移管により担当となること。485系との共通予備車とする目的から1974年に製造された485系300番台に対応するグループ。普通車座席を簡易リクライニングシートにしたほか、以下の設計変更が実施された。
- クハ489形は非貫通型となり、下り方を300番台、上り方を+400の700番台に区分。また700番台は600番台と同様の理由でCPを2基とし、300番台も含めて床下搭載としたことから助手席(1位側)下部のCP用機器搬入口が無く外見上からクハ481形と判別が可能である。全車JR西日本に継承され、300番台は2004年の303廃車で、700番台は2010年9月の702廃車で廃区分番台となった。
- 中間車の車両番号は中期型から続番でるためMM'ユニットはモハ489-31+モハ488-216 - モハ489-42+モハ488-227の12組24両で、民営化時には以下に継承された。
- JR東日本:モハ489-31+モハ488-216 - モハ489-33+モハ488-218・モハ489-35+モハ488-220 - モハ489-40+モハ488-225
- JR西日本:モハ489-34+モハ488-21・モハ489-41+モハ488-226・モハ489-42+モハ488-227
- サハ489形は1985年に9・11が他形式へ改造、10・12は向日町運転所へ転出しJR西日本に継承されたものの保留車扱いで1991年12月1日付で廃車
- サロ489形は21・22・24が1986年にサロ110形へ改造されJR東日本に継承されたほか、23・25 - 28は金沢配置のままJR西日本に継承された。
- サシ489形は9が1986年に余剰廃車[注 54]。10 - 12は1978にサシ481形へ改造されたものの12はサシ489-83として1982年に本形式へ復元。1985年以降は保留車となるが、1987年3月に北長野運転所へ転出しJR東日本へ継承。1988年2月にスシ24 506へ改造された。
形式 | 製造年次 | 予算 | 東急車輛 | 近畿車輛 | 日立製作所 |
---|---|---|---|---|---|
モハ489 | 1974 | 48年第3次民有 | 35 - 37 | 31 - 34 | |
48年第1次債務 | 38 - 40 | ||||
48年第2次債務 | 41・42 | ||||
モハ488 | 48年第3次民有 | 220 - 222 | 216 - 219 | ||
48年第1次債務 | 223 - 225 | ||||
48年第2次債務 | 226・227 | ||||
クハ489 | 48年第3次民有 | 303・703 | 301・302・701・702 | ||
48年第1次債務 | 304・704 | ||||
サロ489 | 48年第3次民有 | 23・24 | 21・22 | ||
48年第1次債務 | 25 - 27 | ||||
48年第2次債務 | 28 | ||||
サハ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
48年第1次債務 | 11・12 | ||||
サシ489 | 48年第3次民有 | 10 | 9 | ||
48年第1次債務 | 11 | ||||
48年第2次債務 | 12 |
サロ489形1000番台
1978年10月ダイヤ改正では、共通運用となった「白山」「はくたか」は三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外れることになった。また編成が同年7月以降3MG・3CP化を実施した上で暫定6M4T→8M4Tとなることから[注 55]、サロ481形1000番台と同様に210 kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転装置を装備するグリーン車として1978年に9両、1979年に1両の計10両新製されたのが本番台区分である[注 56]。また本グループのみ台車はTR69H形を装着する。
1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため1991年までに廃区分番台となった。
車両番号 | 製造会社 | 落成日 | 配置 | 改造後車番 | 施工工場 | 施工日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1001 | 東急 | 1978.09.07 | 金沢 | クロ481-2001 | 吹田 | 1989.02.15 |
1002 | 日車 | 1978.07.06 | クロ480-1001 | 1988.02.08 | ||
1003 | クロ481-2003 | 1989.04.06 | ||||
1004 | サロ489-101 | 松任 | 1988.12.17 | |||
1005 | クロ480-1002 | 吹田 | 1988.02.15 | |||
1006 | 東急 | 1979.03.16 | クロ481-2002 | 1989.03.07 | ||
1007 | 日車 | 1978.07.11 | クロ481-2004 | 1991.06.24 | ||
1008 | クロ480-1003 | 1988.02.05 | ||||
1009 | クロ481-2005 | 1991.02.09 | ||||
1010 | クロ480-1004 | 1988.02.05 |
改造車
485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造もある。特記する場合を除いて施工工場等は、当時の名称で表記する。
クロ481形
- 51 - 57
1968年10月1日のダイヤ改正で東北特急は上野方先頭車をクロ481形とした9両編成に統一されることになり、仙台運転所所属のサロ481形全車[注 57]に郡山工場で施工した先頭車化改造である。
改造は種車の車体一部を分解し、当該台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないためクハ481形0番台よりも全長が短いほか、新製車の0番台も改造車の設計に合わせたことから差異はない[注 58]。
改造後も仙台所属で運用されたが、1975年に7両とも南福岡電車区に転出。国鉄時代に52・54が余剰老朽化で、53が事故で廃車となった。残りはJR九州に承継されたが1995年までに全車廃車となった。
サロ481 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
クロ481 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 |
- 301
1990年にJR九州小倉工場(現・小倉総合車両センター)がクハ481-243へ施工した全室グリーン車化改造。出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓が2分割されており、シートピッチ拡大により窓配置は一致しないほか、座席は落成時が通常の2+2配置とされたものの1991年以降に実施された2+1の3列配置へグレードアップが施工された。1両のみの区分であったが2000年に廃車。
クハ481 | 243 |
---|---|
クロ481 | 301 |
- 2001 - 2005・2101
-
クロ481-2002
旧国鉄色 -
クロ481-2002
しらさぎ色 -
クロ481-2101
スーパー雷鳥色(旧塗り分け)
客室窓配置に相違 -
しらさぎリニューアル以後の客室内
1989年3月11日のダイヤ改正で「スーパー雷鳥」が運転開始されることに伴い、同列車充当金沢運転所R編成用に吹田工場でサロ489形1000番台・サハ481形100番台へ施工した制御車化ならびにグレードアップリニューアル改造である。
2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・搭載機器配置・台車形式が異なるが、以下は共通する施工内容である。
- 前頭部を流線型とし、前面展望を可能とするパノラマ運転台は、客室より低い位置に傾斜角をつけて設置。
- 前灯・尾灯はフロントガラス下部へ並列にまとめてケース内設置としたほか、フロントガラス内上部にも前灯を2基搭載する。
- シートは乗客用扉から運転席に向かって通路を挟み向かって左側が2席、右側が1席の2+1配置[注 59]とした上で床面を150 mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大。
- 塗装はオイスターホワイト(白)を基調とし、JR西日本のコーポレートである青色帯の上にピンク色のピンストライプを巻いた「スーパー雷鳥」専用色に変更。
- 落成直後は側面帯を正面まで回り込む仕様とされたが、短期間のうちに乗務員扉付近とライトケース周囲で帯を分断する仕様に変更し、乗務員扉と客窓間・正面フロントガラス下部運転席側に青色のJRマークを追加した。
- MGは種車の床下搭載をそのまま継承したが、CPは次位に連結されるサロ481形2000番台へ移設となったことから、事実上のユニットとなった。「しらさぎ」転用時にサロ481形2000番台が廃車となったために以後は次位にCP搭載改造を施工したモハ485形500番台+モハ484形ユニットを連結することが限定された。
2001年3月3日のダイヤ改正で683系「サンダーバード」投入により「スーパー雷鳥」が廃止されたため塗装変更と内装リニューアルを施し同年7月12日より「しらさぎ」用Y編成に転用。2003年7月19日に「しらさぎ」も683系へ置換えられたため京都総合運転所へ転出。旧国鉄色へ塗色変更し「雷鳥」用A01 - A06編成に組成され同年9月20日から2011年3月11日まで運用されたのちに全車廃車となった。
クロ481-2001 - 2005・2101改造一覧 | |||||||
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種車 | サロ489 | 1001 | 1006 | 1003 | 1007 | 1009 | |
サハ481 | 118 | ||||||
クロ481 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2101 |
- 2201
1990年から「かがやき」と運用分離されていた「きらめき」も1992年3月14日のダイヤ改正でモノクラス4両→6両グリーン車組込編成で共通運用化されることになり、松任工場でクハ481-224に施工した以下のグリーン車化改造で後述する2300番台とほぼ同様の内容であるが、本区分は種車がクハ481形200番台によるものである。
- 座席を2+1配置12列に変更。
- 妻面ダクトを新形状の物へ交換
- 洗面所部に設置されていた側面方向幕を客室窓上へ移設。
1997年3月22日のダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となったため旧国鉄色に変更し「加越」「北越」に転用。さらに2002年には「加越」専従のK編成に組成されたが、2003年10月1日のダイヤ改正で「加越」が「しらさぎ」に統合され683系化されたことから余剰となり廃車。
- 2301 - 2303
1991年に「かがやき」用S編成へグリーン車連結のため吹田工場でクハ481形300番台を種車にグリーン車化改造を施工した区分。改造内容は前述の2201に準ずる。
1997年3月22日のダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」が廃止となり、2301は旧国鉄色に変更され「加越」「北越」用に、2302・2303は新塗装に変更し「はくたか」用V編成に転用されたが、2002年3月23日のダイヤ改正で「はくたか」の681系置換えにより後述2両も旧国鉄色へ変更した上で2301も含めて「加越」用K編成へ転用された。
2003年に「加越」の「しらさぎ」統合ならびに683系化で余剰となるが、3両とも京都総合運転所へ転出して「雷鳥」用A編成に組成転用された。2009年に「雷鳥」運用減で福知山電車区へ転出し183系化改造が施工されたが、2011年に廃車となった。
- 2351
「スーパー雷鳥」編成に組成されていたクロ481-2001 - 2005・2101は、2001年に「しらさぎ」転用されたが、その際に基本編成は6本→7本になることからクロ481形は1両不足となった。このためクハ489-301に金沢総合車両所で施工したグリーン車化改造である。
2201・2300番台と同様に座席は2+1配置12列の定員36名へ変更したほか、床面を50 mm嵩上げ。車掌室ならびに業務用控室は省略する。2300番台とほぼ同様の改造形態であるが、種車が2300番台はクハ481形300番台であるのに対し本車はクハ489形300番台による区分であり、CPは床下搭載となるために助手席(1位側)下部のCP用機器搬入口が無く、前面ジャンパ連結器もクハ489形時代のままで側面方向幕の客室窓上移設は未施工でトイレ・洗面所設置のままなど相違がある。
2003年7月19日「しらさぎ」683系化で余剰となり廃車。
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クロ480形
- 1 - 15
1984 - 1985年に「有明」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所ならびに小倉工場で鹿児島方に連結される制御車化改造を施工した区分。クロ481形50番台とは異なりクハ481形300番台車に準じた運転台を台枠ごと接合したことから外観および定員などは大きく異なるほか、MG は床下に容量210 kVAタイプを、運転台下にC2000形CPを搭載するほか、台車は種車から流用されており、1 - 14はTR69E、15のみTR69Hを装着する。
- 1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
- 5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。
15両全車がJR九州に承継され11・12は後に半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52となったほか、後年は「かもめ」「にちりん」でも運用。2000年までに廃車となった。
サロ481 | 40 | 43 | 44 | 45 | 53 | 56 | 58 | 64 | 67 | 76 | 78 | 83 | 87 | 103 | 130 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
クロ480 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
- 1001 - 1004・2301
1000番台は1988年に「北越」短編成化に伴い組成された金沢運転所O編成用に吹田工場で改造された区分。種車がサロ489形1000番台のために210 kVA MG・CPを搭載するほか、台車はTR69Hを装着する。0番台同様に前位側トイレ・洗面所区画を台枠ごとカットし新たに別途製造済の運転台を接合したほか、後位側に車掌室・車販準備室のほか電話室を設置する。
2301は1991年に「かがやき」用S編成にグリーン車組込むため1002に転用改造を吹田工場で施工した区分。クロ481形2300番台同様に座席配置を2+1とし床面を50 mm嵩上げ、またトイレ・洗面所のリニューアルにより同部分の小窓を埋込とし、車掌室・車販準備室を撤去した上で方向幕は客室化した部分の客窓上部に移設などグレードアップ化を実施した。
2002年にO・S編成を統合する形で全車「加越」用K編成に転用されたが、2004年の「加越」「しらさぎ」統合ならびに683系化で余剰となり1000番台は廃車。2301は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A10編成に組成されたが、2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。
サロ489 | 1002 | 1005 | 1008 | 1010 |
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クロ480 | 1001 | 1002 ↓ 2301 |
1003 | 1004 |
サロ481形
- 134・135
1983年に鹿児島車両管理所でサロ489形から横軽協調装置を撤去してサロ481形に編入したグループ。基本番台新製車の続番となっているが489系0・500番台グループが種車のためクーラーはAU12形を搭載。2両とも分割民営化時にはJR九州に承継されたが1990年に廃車。
サロ489 | 6 | 8 |
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サロ481 | 134 | 135 |
- 501 - 509
1980年代になると営業休止や短編成化によって編成から外され余剰化したサシ481形を種車に和式グリーン車「だんらん」へ改造した区分で以下の施工がされた。
- 妻面の回送運転台ならびに調理室区画では男子小トイレとガーランド型通風器を撤去。
- ダイニング区画を1・3側に衝立で1卓4名の7室に仕切られた畳敷きの和室に改装。床を嵩上げし各座敷には座敷机と座椅子を設置。2・4位側に650 mm幅の通路を設置し座敷との間には仕切板を、通路窓下には手すりを備えた。
- 調理室区画は種車の食堂自動扉と冷水器を撤去した上でビュフェに全面改装。大型冷蔵庫をはじめとする一部機器は種車から流用されたが、新たに設置された厨房には流し・戸棚・物置・電気コンロ・電子レンジ・ジュースクーラー・コーヒーマシンなどを装備するほか、3位側業務用扉後位側に厨房用換気扇を設置。
- 車体面では調理室区画の開閉可能窓を客室窓と同等の固定窓に変更し窓下に金帯を挿入。
- 外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。
- 床下機器の大幅変更は実施しておらず自車給電用70 kVA MGも残存。
505・507が鷹取工場で。他車が吹田工場で改造施工。1985年3月ダイヤ改正で「雷鳥」へ4号車のサロ481形0番台に続く5号車へ連結されたが、1989年に一部列車の「スーパー雷鳥」化により運用離脱。502 - 505・508・509の6両は後述する2000番台へ再改造されたが、残りの3両は運用離脱後向日町運転所で留置され1993年に廃車された。
- 車両番号の推移は後述の2000番台を参照
- 1051 - 1056
1975年の「つばさ」本系列化時に充当されたサロ481-115・116・122・123・127・128は当初から1000番台車に準じた仕様で製造され、車販準備室設置やMG・CPを搭載し秋田運転区へ新製配置された。この6両は翌1976年の1000番台置換えにより南福岡電車区へ転出したが、1978年の東北地区特急列車増発時に再び秋田運転区へ転出することになり、1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工改番したグループである。
- 1000番台とは行先表示器[注 60]ならびにクーラーの搭載位置と客用扉に相違がある。
1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車。
- 1501 - 1506
本系列への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台[注 61]を181系の運用が終了した1982 - 1983年に盛岡・郡山・土崎の3工場で改造編入したグループ。1500番台新製車との関連は全くない。改造落成後は青森運転所に配置。1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区へ転出した。1990年 - 1991年に老朽車取替のため1506を除きクハ481形1100番台に再改造[注 62]された。
定期「あいづ」ならびに波動運用対応でクハ化が施工されなかった1506は、1997年の「ひたち」モノクラス化により余剰となり幕張へ転出、大宮工場でジョイフルトレイン「ニューなのはな」のクロ484-5へ改造され区分消滅した。
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- 2001 - 2006
JR西日本が1989年と1991年に吹田工場でサロ481形500番台のうち6両を「スーパー雷鳥」用に再改造したための区分。大元となったサシ481形の車体構造を踏襲するが、編成を組成する上で隣接するクロ481形2000・2100番台が当初は富山方先頭車となるため方向転換を実施した上で「スーパー雷鳥」色へ塗装変更を含み以下の改造を施工した。
- クロ481形と連結する業務用室は側窓埋込が行われたが、サシ481形時代に設置されていた妻面の回送運転台用窓は残存。またクロ481形には側面方向幕を搭載しないため新たに方向幕を新設。
- また、1989年改造の2001-2004については、車端部の手すりの撤去と窪みの埋め込みも行われている。1991年に追加改造された2005・2006は手すりを残置。
- 500番台時代の座敷は側窓4枚分はクロ481形へ向かって左側2席・右側1席ならびにシートピッチ1,180 mmの2+1配置6列定員18名のリクライニングシート[注 63]を装備するグリーン客室へ変更した上で床面を150 mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大。
- 客室に続く側窓1区画は埋込とし仕切壁・ビデオデッキ&モニターテレビ機器室・カード式公衆電話室を設置。
- 500番台時代のビュフェをコンビニエンスラウンジに変更。
500番台時代から引き続き外吊式の業務用扉は残存させたが、乗客用扉ならびにトイレ・洗面所は装備しない。また同時に改造されたクロ481形2000・2100番台の種車はサロ489形1000番台・サハ481-118であったことからMG・CP搭載をしていたが、本改造でCPを本車へ移設したため常時次位で連結された。しかし2001年の「しらさぎ」転用では編成対象から外れて廃車されたことから、CPはモハ485形500番台に再移設。台車は新たに改造されるサハ481形600・700番台に転用された。
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クロハ481形
特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。
- 1 - 13
民営化後の1987 - 1988年にJR九州小倉工場で計13両が改造された区分。
- 1 - 8は種車がクハ481形200番台。
- 9 - 13は種車がクハ481形300番台
- グリーン席は3列×5席。
1993年に1がクハ481-226に復元。2000年に9 - 13が廃車。残りの車両も2012年までに廃車された。
- 201 - 208
1986 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。200番台区分だが、施工は0番台よりも先の国鉄末期時代であり、全車JR九州に継承。
グリーン室座席は、当初新幹線0系電車廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。 全車がJR九州に承継されたが2012年までに廃車となった。
クロハ481形JR九州所属車改造一覧 | |||||||||||||
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クハ481 | 226 | 232 | 233 | 234 | 239 | 241 | 251 | 262 | 312 | 328 | 329 | 341 | 353 |
クロハ481 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
クハ481 | 236 | 242 | 244 | 248 | 249 | 250 | 252 | 259 | |||||
クロハ481 | 201 | 202 | 203 | 204 | 205 | 206 | 207 | 208 |
- 209 - 215・301・302
1986 - 1987年に「北近畿」用として吹田工場で改造施工されたグループ。200番台は種車がクハ481形200番台、300番台がクハ481形300番台による区分であり、国鉄時代に改造施工が開始されたため九州地区向けとされた201 - 208に続く209から付番された。
グリーン席座席配置は2+2で普通席との仕切部窓を縮小するなど九州地区向け仕様車との差異がある。
1989年に301がクハ481-309へ、1991年に213がクハ481-201へ復元されたほか、クロハ183形800番台に改造された。
クロハ481形JR西日本所属車改造一覧 | |||||||||
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クハ481 | 209 | 210 | 211 | 212 | 201 | 204 | 205 | 309 | 354 |
クロハ481 | 209 | 210 | 211 | 212 | 213 | 214 | 215 | 301 | 302 |
- 303
JR東日本が1989年に土崎工場でクハ481-348に施工した定員16名の半室グリーン室化改造。車番はJR西日本所属車の続番となる303が付番された[注 65]。
秋田運転区へ配置され後述する1022 - 1027グループと共通運用されたが、2000年に復元と同時にリニューアル改造されクハ481-3348となり、既にJR西日本所属車も復元もしくは他形式へ改造されていたため区分消滅した。
クハ481-348→クロハ481-303→クハ481-3348履歴 | ||||
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クハ481-348 | クロハ481-303 | クハ481-3348 | ||
日立製作所 新製 1976.05.22 |
土崎工場 改造 1989.02.24 |
土崎工場 改造 2000.03.30 |
廃車 2015.07.01 | |
配置 | 青森→秋田 | 秋田 | 上沼垂(新潟) |
- 1000番台
1986 - 1989年・1993年に土崎工場と青森運転所でクハ481形1000番台29両と1500番台1両に半室グリーン化改造を施工したグループ。座席はすべて2+2であるが、グリーン定員が2種類存在する。
国鉄時代に改造された9両を含み全車JR東日本が所有したが、施工内容や改造目的に若干の差異があるとともに後に3000番台化やクハ481形への復元。さらに3000番台改造と同時にクハ481形復元など改造経緯が複雑な車両も多く、新潟配置車はグリーン室部分冷房装置をAU13E形からAU112形への交換施工もある。
2015年8月12日に新潟車両センター所属の1029が廃車され区分消滅ならびに廃形式となったが[9]、本グループは以下の4グループに分類される。
- 1001 - 1009
- 国鉄末期の1985年3月14日のダイヤ改正で青森運転所の運用では、編成からサロ481形を外しモノクラス6両化されたが、1986年11月1日ダイヤ改正で「たざわ」運用ならびに間合いで山形 - 秋田間の「つばさ」1往復を秋田運転区から移管されると同時に3・5両への短編成化とグリーン席を設置することとなり1986年に土崎工場で改造されたグリーン室定員12名・普通室定員44名の偶数向き片渡り構造のグループである。
- 青森転出予定の秋田運転区所属車に1986年4月から10月にかけて改造施工し、最初期落成車はクロハ480形とされたが[24]、早期に本形式へ改められた。早期落成車は秋田所属のまま営業運転にも充当されたが、1986年11月1日付で青森運転所に転出、1988年3月13日のダイヤ改正で再び運用移管が行われ全車秋田運転所へ再転出した。
- 秋田再転出後の1989年3月11日ダイヤ改正では後述するグリーン定員16名の1022 - 1027導入により、従来の運用を同グループへ移管。本グループは新たに奥羽本線内発着「つばさ」10往復と「いなほ」1往復に転用。この際に車両需給調整から、1008・1009は定員を1022 - 1027と同一にする変更を施工した[注 66]。
- 山形新幹線開業後は、「つばさ」→「こまくさ」へ充当変更のほか、一部運用を1022 - 1027と共通化を実施。1996年に「いなほ」運用移管により1002・1005・1006・1008・1009は上沼垂運転区へ転出したが、1002は短期間で1023と車両交換で秋田へ再転出[注 67]、1005・1006は転出後まもなく3000番台化改造とクハ481形復元を同時施工[注 68]。1008は2001年に3000番台化改造を施工。
- 1001・1004は2000年に3000番台化改造を施工して上沼垂運転区へ転出。なお1001は方向転換とクハ481形復元を同時施工。
- 秋田に残留した1002・1003・1007は2010年の「かもしか」運用終了に伴い2011年に廃車となり本グループは消滅。
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- 1010 - 1021
- 上述した1001 - 1009落成後も「はつかり」「いなほ」は引き続き6両モノクラス編成とされたが、こちらもグリーン席設置を要望されたことから、青函トンネル開業に伴う1988年3月13日ダイヤ改正での運用開始に向けて1987 - 1988年に土崎工場で改造施工後に青森運転所へ配置されたグリーン室定員16名・普通室定員36名の奇数向き片渡り構造のグループである。本グループ以降はグリーン席シートピッチが標準の1,160 mmより広い1,210 mmに拡大された。
- 本グループでは運用に充当される「はつかり」の一部が函館まで区間延長運転となることから、1012・1013・1015 - 1017・1019はATC-L搭載やCP床下移設などの海峡線乗入対策を併せて施工済である。また1020は種車が唯一の1500番台となるクハ481-1501からの改造車である。
- 1010・1011・1018は1992年に後述する急行「津軽」運用のため青森に転入した車両と交換される形で秋田へ転出。このため偶数向き方向転換改造を施工された。さらに1997年に運用移管で上沼垂運転区へ転出し、1010が2000年に3000番台化改造を施工されたが、羽越本線脱線事故により2007年3月31日付で廃車。
- 1013・1014は「あいづ」充当編成への転用のため仙台車両センターへ転出と同時にクハ481形へ復元。
- 1012・1015 - 1017・1019 - 1021は引き続き青森に残留したが、1996年から1999年にかけて3000番台化改造を施工。2006年に元1020の3020が羽越本線脱線転覆事故の当該となった3010を補完するため新潟へ転出。
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- 1022 - 1027
- 1988年 - 1989年に土崎工場で改造施工後に秋田運転区へ配置されたグループ。客室定員は1010 - 1021と同じだが、編成組成が青森配置車と逆となることから偶数向き片渡り構造になる差異がある。
- 1989年3月11日ダイヤ改正から「たざわ」14往復と山形発着「つばさ」1往復に303ならびに本グループと仕様を合せる改造を施工した1008・1009と共通運用で充当開始。後にグリーン席12名グループと共通運用となり「はつかり」「いなほ」「こまくさ」にも充当された。
- 1996年 - 1997年の「いなほ」運用移管により全車上沼垂運転区へ転出。1024・1027が3000番台化改造を施工された。
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- 1028 - 1030
- 1010 - 1021と同様の「はつかり」「いなほ」共用改造車であるが、この3両のみ改造が1993年に青森運転所で施工された。
- 種車は1992年7月まで上野発着「つばさ」ならびに共通運用で「あいづ」充当されていたサロ481形組込9両編成×3本に組成されており、首都圏への乗入対策としてATS-Pを本形式化以前から搭載していた車両である。上述2列車廃止で急行「津軽」へ転用となり南秋田運転所から青森運転所へ転入、併せて夜行列車での運用を考慮した車内減光装置搭載工事を施工した。1993年9月30日で「津軽」充当を終了。その後に「はつかり」充当の583系運用を本系列へ集約化ならびに波動運用対応を兼ねて青森運転所の他編成と共通の6両編成化する際に奇数向きクハ481形1000番台3両が本形式へ改造施工された。また本グループは、海峡線乗入対策が未施工であるとともに3000番台化改造車は存在しない。
- グリーン座席は1028までが新品を装着したのに対し、本グループは発生品のR27系を装着した。また1029はクハ481-1035時代からシャッター式タイフォンカバーに取っ手を改造で装着した異端車である。
- 首都圏乗入対策が施工されていたことから他車両基地への貸出や波動運用にも充当されたが、3両とも2003年までに定期・波動運用で首都圏乗入が多数存在した上沼垂運転区へ転出した。
- 1029:2000年に共通予備編成として転出。転出後に偶数向き方向転換改造を施工。
- 1028・1030:2003年に「ムーンライトえちご」の165系置換え用として偶数向き方向転換改造を施工した上で転出。
- 新潟転出後の2001年に1029は上沼垂色へ塗装変更されたが、2008年に国鉄色へ再変更。
- 1028・1030は新製時から廃車まで編成を組成する全車を含み国鉄色からの塗装変更経歴がない。
- 1030が2014年に、1028・1029が2015年に廃車となった[9]。
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- 1501
元々は485系への編入を予定して製造されたサロ181-1101。181系運用終了後、サロ481-1501に改造。さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用としてクハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。他の本形式がクハ481形からの改造車であるのに対して、本車のみ種車がサロ481形のため小窓が並ぶ窓配置である。
181系として落成し車体も使用する最後の1両で勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車などで運用されたが、2013年1月に運用離脱。郡山総合車両センターへ廃車回送後され区分消滅した。
サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501履歴 | |||||
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サロ181-1101 | サロ481-1501 | クハ481-1104 | クロハ481-1501 | ||
日本車両 新製 1978.06.21 |
盛岡工場 改造 1983.01.14 |
郡山工場 改造 1990.01.20 |
郡山工場 改造 1993.11.10 |
廃車 2013.01.017 | |
配置 | 新潟 | 青森→勝田 | 勝田 | 仙台→勝田 |
クロハ480形
本形式はクロハ481形同様に客室前位にグリーン室を設置した形式であるが、種車の差異により2種類の番台区分が存在する。
- 基本番台
1986年に「たざわ」用としてクハ481形1000番台を改造したグループ。最初期落成車のみ本形式とされたが、短期間でクロハ481形1000番台に改番された。
- 50番台
1987年 - 1988年に小倉工場でクロ480形へ前位側グリーン席5列を残して後位側を普通車化改造したグループ。52は1992年にクロ480-12へ復元。51は2001年に廃車。
クロ480 | 11 | 12 |
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クロハ480 | 51 | 52 |
クハ481形
- 9・12・22
国鉄時代に簡易リクライニングシートへ交換。
- 25 - 27・30
国鉄時代に郡山工場で下部前照灯をシールドビーム化。
- 501・502
1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため上越新幹線開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5に鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。
- 車体は181系時代のままで屋根上前灯なし。他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
- 検電アンテナは改造当初からクハ481形後期形車と同型のものを搭載した。
- 502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し[注 69]。
- 塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などを施工。
- 当初九州島内専用を前提としてコスト削減のため交直切替スイッチの設置を省略したが、1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車に充当された際に交直切替スイッチがないため小倉で運転打切というトラブルが発生したことからスイッチ取付の追加改造を施工。
落成後1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
- 601 - 603
1983年に東北新幹線開業で保留車となったクロ481-3 - 5へ鹿児島車両管理所で施工された普通車化。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。
- 車掌室部分を客室化。
- 種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
- 座席は、当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートを転用。
3両ともJR九州に承継され1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属したが、601は1995年に廃車。602は1988年にクロ481-4へ復元後1993年に廃車。603は静態保存された。
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- 701
1986年11月のダイヤ改正では特急の増発短編成化によりクハ481形が大量に必要となることから、それに先立ち1985年に金沢運転所所属のサハ489-11へクハ481形300番台に準じた運転台取付改造を松任工場で施工した区分。新製車同様に210 kVAのMGを床下にCPを運転台下に搭載するが、以下の相違点がある。
- 屋根上のAU13E形分散式冷房装置搭載位置。
- 運転室側面窓の後ろがやや間延び。
- トイレと洗面所の位置が逆。
改造後も金沢所属のまま分割民営化時にはJR西日本に承継され、「しらさぎ」「加越」用K編成に組成されたが、2001年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A編成に組成。運用終了により2011年に廃車。
- 751 - 753
1986年に幡生車両所(現・下関総合車両所)でサハ489形をクハ481形へ改造施工した区分。上述の701とは同目的での改造であるが、以下の相違点が発生したための番台区分。
- MG出力が160 kVA。CPは後述の800・850番台も含めて床下搭載としたため助手席下側の機器室搬入口がない。
751・752は「北近畿」充当用[注 70]で種車がサハ489-202・203のためAU12形冷房装置を搭載する。分割民営化時にはJR西日本に承継され1991年に交流機器使用停止措置を施工されクハ183-751・752へ再改造。
753は種車がサハ489-5のためAU13E形冷房装置を搭載する。落成後に上沼垂運転区へ配置され分割民営化時にはJR東日本に承継。2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」のクハ484-702へ再改造され廃区分となった。
- 801・802
701と同目的での改造であるが、「くろしお」充当用として既にクハ480形化改造されていたグループが種車による区分。「北近畿」転用のため1986年に大宮工場で210 kVA MGならびにCPを床下に搭載したことによる改造改番である。
802は1990年に交流機器停止措置を施工しクハ183-801へ再改造。801は1991年に金沢へ転出し「スーパー雷鳥」用R編成に組成されたが[注 71]、2001年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」用A編成に組成。2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。
- 851
上述の801・802との相違はMG出力が160 kVAによる区分で「北近畿」転用後の1987年に吹田工場が施工。1990年にクハ183-851へ再改造。
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- 1101 - 1108
「ひたち」で運用されていたクハ481形初期車置換えのため1989年 - 1991年にかけて郡山工場でサロ481形1000・1500番台の先頭車化と普通車格下げ改造を郡山工場で同時施工したグループ。グリーン車の窓配置がそのまま流用されたため客室窓は小さい。
E653系電車の投入に伴い「ビバあいづ」用にクロハ481-1501へ改造された1両とジョイフルトレイン「せせらぎ」の種車2両以外は1999年 - 2000年に廃車となり廃区分番台となった。
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- ロール式ヘッドマーク改造車
ヘッドマークの盗難防止ならびに交換作業省力化の観点から1970年代初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38へ施工された改造で、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式方向幕システムを搭載した。
- 従来からのヘッドマークも装着可能で、故障時[注 72]にはヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能である。
- 構造上ヘッドマークが奥まった位置となることから晴天の日中などは判読しにくい難点があった。
- 1975年の九州転出後は使用停止となったが、システムならびにクランク差込口は残された[注 73]。
- ロールマークで確認されている列車名
- 「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」
- ビデオカー改造車
1980年よりサービス向上の一環としてビデオ上映を実施することから、鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39へ雛壇式床面化ならびに運転台仕切にスクリーンを設置する改造。客用扉周囲に「ビデオ特急」のステッカーを貼付た。
主に「有明」で運用されたが、JR移行直前に上映中止となりビデオ機器も後に撤去。
- 仙台運転所ボンネット車タイフォン移設工事
仙台運転所に配置されたクハ481-19 - 30・101ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57・101のタイフォンは元々スカート部設置で次の3タイプが存在した。
- カバーなし
- 中折れ式カバー装着
- 回転式タイフォンカバー装着
しかし東北地区では冬期の積雪ならびに氷着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にボンネット部への移設が施工された。
- 屋根上前灯カバーもホイッスル部スリットから雪の浸入による溜帯防止のためカバー後方を切欠いた。そのために向日町配置車との区別が可能になった。
100番台ではクハ481・クロ481-101が唯一スカート部へのタイフォンを設置して落成したが、1973年に他車と同じ位置へ改造された。このため名残としてタイフォン上部に手擦が残存する。
- 向日町運転所100番台車キハ65形連結改造
1986年12月から大阪 - 和倉温泉間にキハ65形改造車で臨時特急「ゆぅトピア和倉」の運転が開始されたが、金沢以西は「雷鳥」に無動力で牽引される方法が採られた。当初は向日町運転所所属のクハ481形200・300番台車で限定運用されたが、1989年3月以降運用上の制約を避けるため同所所属のクハ481-101・103・105・106・111・112・118 - 123へ密着連結器への交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器の設置などを施工[注 74]した改造である。
なお本改造は後述の勝田電車区0番台車2編成併結運転対応改造との相違点として、方向転換を考慮して両渡り構造を採用したが、本系列のみによる分割併合運用に対応させる目的はないため高圧三相引通用KE9形ジャンパ連結器は装備しない。
- 勝田電車区0番台車2編成併結運転対応改造
1993年以降に「ひたち」は2編成併結の14両編成運転を開始したことから、その対応として勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40へ前面スカート一部を欠取り密着連結器への交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器を設置した改造である。
クハ480形
1985年の「くろしお」増発には経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列の転用が決定したが、4両と短編成のため制御車不足が問題となった。これにはサハ481・489形を種車にMG・CPは未搭載とした制御車化改造での対応となり、1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両管理所(→新津車両製作所→現・総合車両製作所新津事業所)での施工により落成した形式である。
- 運転台はクハ481形200番台に準じた貫通型とされたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
- サハ489形からの改造車はAU12形冷房装置搭載の初期車であり同時にCPを撤去。
1986年に「くろしお」が381系電車に再度統一されることになり、全11両のうち1 - 4・7・9 - 11が「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区へ、5・6・8が「北近畿」用として福知山運転所(現・福知山電車区)へ転出した。
南福岡転出の8両は車体改修時に貫通扉埋込みならびに立体型特急マークの装着などの改造が施工されたが、2000年までに全車廃車された。
- 改造施工後の画像は#JR九州改修車を参照
福知山転出の3両は寒冷地対策ならびにMG・CP搭載を施工した上で1986年に8・6がクハ481-801・802へ、1987年に5がクハ481-851へ改造[注 79]。1991年に金沢運転所へ転出した801を除き交流機器使用停止措置を施工されクハ183形へ再改造された。
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クモハ485形
- 1 - 15
1984年 - 1985年にクロ480形0番台と編成組成をするモハ485形15両に以下の改造を鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場で施工。
- 前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
- 運転台後部に110 kVA・MGおよびCPを搭載する機器室としたため定員は16名減の56名。
- 客用扉・デッキを機器室後部に移設。
分割民営化時には全車JR九州に承継。最後まで残存した5が2016年1月18日に廃車され、区分消滅した。
モハ485 | 97 | 98 | 100 | 101 | 102 | 104 | 105 | 109 | 111 | 113 | 116 | 118 | 120 | 134 | 145 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
クモハ485 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
- 101 - 108
1986年に熊本発着「有明」の3両編成用に鹿児島車両管理所・小倉工場でモハ485形へ以下の改造を施工。
- 前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
- 短編成用のため0番台と異なり機器室は未設置とし、MG・CPを省略し定員64名
- 出入台および行先表示器は後位側に移設。
後に「ハウステンボス」へ転用。さらに「K&H」カラーへ変更。最後まで残存した102が2015年1月5日に廃車され、区分消滅した[25]。
モハ485 | 202 | 231 | 240 | 241 | 242 | 243 | 244 | 245 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
クモハ485 | 101 | 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107 | 108 |
- 201 - 207
1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗り入れに伴う付属編成用として吹田・松任の両工場でモハ485形へ以下の改造を施工。
- 前位に切妻貫通型の運転台を設置し制御電動車化。
- 後位車端に電話室を設置。
- 指定席車仕様として座席床面を70 mm嵩上、R55系フリーストップリクライニングシートを1,010 mmピッチで配置し、定員は60名。
- 前位側台車は種車のDT32E形に手ブレーキ装置とスノープロウなどを取付たWDT32形に変更
1995年の付属編成方向転換時に205が運用を外れ休車。1997年には201・203・204は「しらさぎ」運用へ転用された際に分割併合作業軽減化の観点から電気連結器を装着。2001年の編成変更の際にはユニットを組むモハ484形が組み替えられ、2003年まで運用された。
「スーパー雷鳥」用に残存した202・206・207は2001年の運用終了後は休車となり、2003年に205は廃車、残存車は交流機器使用停止措置の上でクモハ183形200番台に改造された。
モハ485 | 219 | 220 | 235 | 236 | 246 | 247 | 239 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
クモハ485 | 201 | 202 | 203 | 204 | 205 | 206 | 207 |
(クモハ183) | 201 | 202 | 203 | 204 | 205 | 206 |
- 1001 - 1009
「たざわ」短編成化のために土崎工場で改造された区分。MG・CPは省略されたが、編成中のMGが1基のみとなることから非常用の電源装置ならびに充電装置を搭載する。
改造工事は秋田所属車へ1986年7月 - 10月に施工。落成後の同年11月1日付で全車青森運転所へ転出し「たざわ」で運用開始。移管により1988年3月13日付で秋田へ再転出となったが、以後は運用減で以下の経歴となった。
- 1001・1009:上沼垂→幕張転出を経て1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」へ改造
- 1002 - 1004・1007:「こまくさ」廃止による休車を経て2004年中に廃車
残存した1005・1006・1008は、引き続き秋田所属のまま「かもしか」で運用されたが、2011年に廃止のため廃車となり廃区分番台となった。
モハ485 | 1017 | 1048 | 1019 | 1072 | 1080 | 1079 | 1073 | 1023 | 1076 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
クモハ485 | 1001 | 1002 | 1003 | 1004 | 1005 | 1006 | 1007 | 1008 | 1009 |
モハ485形
- 501 - 506
「スーパー雷鳥」編成に組成されるクロ481形2000・2100番台は床下にMGを搭載するが、CPは次位に連結されるサロ481形2000番台に移設されていた。しかし、2001年に「しらさぎ」へ転用する際にサロ481形が編成から外れ廃車となることから、新たにクロ481形の次位に連結されるモハ485形へCPを金沢総合車両所で移設したことにより改番した区分である。
本区分は「スーパー雷鳥」へグレードアップする工事を施工した際にトイレ・洗面所を電話室と清涼飲料水自動販売機スペースへ変更していたことから、同時に撤去した床下水タンク跡にCPを搭載する。
「しらさぎ」運用終了後は京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用され2011年までに全車廃車となった。
モハ485 | 234 | 222 | 218 | 232 | 248 | 237 |
---|---|---|---|---|---|---|
501 | 502 | 503 | 504 | 505 | 506 |
モハ484形
- 耐塩害対策施工車
羽越本線ならびに奥羽本線秋田 - 青森間の日本海に近い電化区間では、冬期の強い北西風による塩害で屋根上特別高圧機器に塩分が付着すると絶縁性能低下による短絡が懸念されたことから、同区間で運用される青森・秋田・新潟配置となる車両には碍子に緑色のシリコン樹脂塗料を付着させて対応した。
サハ481形
- モハ485形電装解除車(JR九州)
1992 - 1994年に鹿児島車両所・小倉工場で「ハウステンボス」編成用にモハ485形6両の電装解除をしサハ481形化した改造[注 80]。車番は形式のみ変更を実施。2000年までに全車廃車となった。
モハ485 | 93 | 126 | 153 | 159 | 163 | 195 |
---|---|---|---|---|---|---|
サハ481 |
- 201
1983年に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形へ復元した。車番は新たに201が区分されJR九州に承継されたが1990年に廃車。
- 車両番号の推移は#サハ489形を参照のこと
- 301 - 308
1989年の651系「スーパーひたち」運転開始と同時に通常の「ひたち」は短編成モノクラス化が実施された。そのため車販準備室装備普通車の必要が発生しサハ481形100番台が転用されたが、それでも不足したことから保留車となっていたサロ481形1050番台・サロ183形1050番台・サロ189形50番台を郡山工場で普通車化改造を施工し充当させることになり発生した番台区分である。
種車はサロ183形・189形も含まれるが、これらもサロ481形基本番台からの改造車であり、303を除いて差異はほとんどない。E653系投入による置換えで2000年までに廃車となり区分消滅。
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- 501 - 503
「しらさぎ」用付属編成捻出により「スーパー雷鳥」用編成3本が10両貫通固定編成化されることになり、1997年にサロ481形より金沢総合車両所で改造。外観は種車と大差ないが、グレードアップ化で指定席車両となることから、床面を70 mm嵩上げした上でシートピッチを1,010 mmとしたことで窓配置と座席間隔が一致しない。
2001年に「しらさぎ」へ転用、2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
- 601 - 604
2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用時にサハ481形が4両不足したことから金沢総合車両所でモハ484形を電装解除した区分。種車のAU71形集中式冷房装置も流用されたほか、種車は指定席用グレードアップ改造を施工済。2003年に京都総合運転所へ転出し「雷鳥」で運用されたが、2011年までに全車廃車となった。
602は「かがやき」用S編成時代にトイレ・洗面所を撤去し電話室と自販機が設置されたが本改造時に復元された。
- 701・702・751
2003年の「しらさぎ」「加越」への683系電車投入による「雷鳥」転用で、サハ481形が500・600番台の7両では不足することから、金沢総合車両所でモハ485形を電装解除して充当したための区分。
「雷鳥」では2 - 4号車を指定席用シートピッチ1,010 mm車に統一する必要性から全車モハ485形時代にグレードアップ工事を施工済。また751は種車が1000番台による区分である。2011年までに全車廃車となった。
サハ481形500・600・700番台改造一覧 | |||||||||||
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種車 | サロ481 | 66 | 121 | 131 | |||||||
モハ484 | 333 | 335 | 332 | 331 | |||||||
モハ485 | 227 | 228 | 1029 | ||||||||
サハ481 | 501 | 502 | 503 | 601 | 602 | 603 | 604 | 701 | 702 | 751 |
サシ481形
- 1000番台対応引通線改造車
1000番台は3MG化が行われトラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われ、編成組成するサシ481形では在来車に引通線増設などでの対応になった。このため全車1000番台で構成される秋田運転区に転入した際に土崎工場で施工された改造である。
本来ならサシ481形1000番台ともいえる内容ながらサシ489形からの改造車を除き車番変更は未実施。本グループでは1976年に施工された6両と1978年 - 1979年に施工された8両に分類できる。
- 1976年施工車(6両):57 - 59・61 - 63
1973年に向日町運転所へ新製配置。1975年3月10日のダイヤ改正で山陽新幹線博多開業に伴い南福岡電車区へ転出し「にちりん」用編成に充当されていた[注 43]。長崎本線・佐世保線の電化工事の遅れから休車扱いとなり「つばさ」電車化時1000番台落成までの暫定投入された200番台車44両と同時に南福岡電車区から秋田運転区へ再転出。他の車両が1000番台置換え後に南福岡へ再転出後も秋田残留となることから改造されたグループである。
1982年に秋田配置車が編成から除外された一方で、運用増により向日町へ57 - 59が、編成に食堂車が再組成となった金沢へ61 - 63が転出したが、いずれも1985年3月14日のダイヤ改正で編成から食堂車が除外され余剰となり全車1986年2月 - 3月に廃車された。
サシ481形1000番台対応引通線改造1976年施工車 | |||||
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車両番号 | 向日町新製配置 | 南福岡転属 | 秋田転属 | 向日町/金沢転属 | 廃車 |
サシ481-57 | 1973.02.19 川重 | 1975.03.10 | 1975.09.16 | 1982.11.14 向日町 | 1986.03.31 |
サシ481-58 | 1973.02.28 東急 | 1986.02.27 | |||
サシ481-59 | 1973.01.01 近車 | ||||
サシ481-61 | 1973.02.20 日立 | 1982.07.04 金沢 | 1986.03.31 | ||
サシ481-62 | 1973.03.12 日立 | ||||
サシ481-63 | 1973.06.14 日車 | 1982.08.27 金沢 |
- 1978年 - 1979年施工車(8両):65 - 67・75・76・81 - 83
1978年10月2日のダイヤ改正では金沢運転所所属の「白山」用489系では「はくたか」共通運用化ならびに食堂車を編成から外したことにより余剰となった[注 81]。一方で東北地区では急行列車の格上げなどで大増発となり、秋田運転区では同改正の運用増で12両編成が従来の6本→12本となることから同年中に以下の6両が改造施工された。
- 65 - 67
- 1973年製造車。1975年3月10日ダイヤ改正で向日町運転所から金沢運転所へ転入。
- 81 - 83
- 1974年にサシ489-10 - 12として金沢運転所へ新製配置。本改造に併せて横軽協調運転装置撤去を施工しサシ481-81 - 83へ改番を実施。
さらに落成が遅れた1000番台新製車に対応させ1979年7月1日ダイヤ改正では12両編成×14本となることから、同年に金沢運転所予備車1両と編成変更で余剰となった仙台運転所所属車1両へ追加改造を施工した。
- 75・76
- サシ481形としては最終製造ロッドとなる1974年製造車。75は金沢運転所へ、76は仙台運転所へ新製配置された。
本グループの8両は1982年に1976年改造施工車と同様の理由で金沢へ再転出したが、83は車両需給調整から横軽協調運転装置を再搭載してサシ489-83への改造を施工。1985年に編成からの食堂車除外で余剰化後は以下に示す複雑な経歴を残した。
- 65・66
- 国鉄時代の1986年3月31日付で廃車
- 67・75・76
- 81・82
- サロ481形500番台→2000番台へ改造 JR西日本が承継
- 83
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サロ489形
- 101
1988年にクロ481-2101への改造が予定されていたサハ481-118にMGを、サロ481-2006へCPを供出するためサロ489-1004に松任工場で撤去工事を施工した区分。サロ489形1000番台は本車を除いてすべて制御車化改造が施工されたため新製時の車体を維持する唯一の車両である。
改造後も引き続き新製配置の金沢運転所で「しらさぎ」「加越」「北越」などに充当されたが、681系・683系への置換えで運用離脱となり2003年に廃車。
- 1051・1052
種車は1975年に製造された「つばさ」本系列化の際に製造されたサロ481-122・116。一旦九州地区で運用されたが、それぞれ1053・1052に改造し秋田へ再転出。1986年に勝田電車区へ転出し「ひたち」で運用されたが、1990年に長野工場で横軽協調装置を搭載する489系化改造を施工。長野配置で運用されたが北陸新幹線の一部先行開通により上沼垂に転出。以後は上沼垂色に変更されT編成に組み込まれる予備車として運用された。2001年にT編成からサロ481形が外された後もVIP対応車で防弾ガラスなどを備えお召列車用としての装備を持つことから長らく保留車となっていたが、2010年10月に廃車。
サロ489形改造一覧 | ||||
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サロ489 | 1004 | サロ481 | 122→1053 | 116→1052 |
101 | サロ489 | 1051[注 84] | 1052 |
モハ489形
- 「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
1989年に金沢運転所所属で「白山」用H編成の6号車に組成されるモハ489-18 - 21へ車両番号は変更せず松任工場で施工された以下の改造である。
- 客室はユニットを組むモハ488形寄り側窓4区画分の定員32名に変更
- 客室に続く側窓1枚分区画は仕切りとし客室側半区画は窓を埋込とし残り半分のラウンジ側は外気取り入れ可能な上段下降式窓へ変更
- 客室寄り側窓2枚分区画はフリーラウンジスペースとして1・3位側に波形テーブルと丸椅子 2・4位側にテーブルとソファを設置
- デッキ寄り側窓2区画は1・3位側が流し台を備えたカウンター 2・4位側が窓を埋込とし冷蔵ケースや商品陳列棚としたコンビニエンススペースとした
- カウンター妻面には冷蔵庫ならびに電子レンジも装備しレトルトや冷凍食品であるもののカレーライス・鰻丼・おでん・たこ焼きなどの軽食を加熱して供した
- 洗面所とトイレは倉庫などの業務用室に変更し電動行先表示機を使用停止
コンビニエンス営業は「白山」のみで行われ、他の列車では専ら車内販売の基地として使用された。
1997年にH編成1本減で18が波動輸送対応用Z01編成に転用されたが1998年に廃車。残りの3両は1997年の「白山」廃止後も引き続きH編成に組成され「能登」で運用され続けたが、コンビニエンス営業が終了となったことから冷蔵ケースや商品陳列棚を撤去し清涼飲料水の自動販売機を設置。2010年の運用終了後は2012年までに廃車となった。
サハ489形
- 51・52→251・252
1972年にサハ481形へ吹田工場で横軽協調装置を搭載する改造が施工されサハ489形50番台に改番されたが、試運転でEF63形との協調運転時にパンクさせる空気ばね台車への空気再供給を短時間で行う改善[注 85]が必要となったことから、翌1973年に吹田工場でCPを搭載して250番台に再改番された区分。
- 201 - 204
サハ489-1 - 4には当初CP未搭載であったが250番台と同理由で1973年に吹田工場で取付施工と改番を実施した。
- このためサハ489形の1 - 4は欠番となった。
上述した250番台を含めて1985年から1986年にかけて他形式へ改造されて区分消滅。
サハ489形0・50→200・250番台改造一覧 | |||||
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サハ481形 新製車 |
サハ489形 改造 |
サハ489形 新製車 |
サハ489形 CP搭載改造 |
他形式への改造 | |
1 1972.02.10 東急 |
201 1973.05.08 吹田 |
クハ480-9 1985.02.21 長野 | |||
2 1972.02.10 東急 |
202 1973.05.24 吹田 |
クハ481-751 1986.05.20 幡生 | |||
3 1972.01.18 近車 |
203 1973.03.30 吹田 |
クハ481-752 1986.07.03 幡生 | |||
4 1972.02.08 近車 |
204 1973.05.31 吹田 |
クハ480-10 1985.03.01 長野 | |||
1 1970.05.15 日車 |
51 1972.11.09 吹田 |
→ | 251 1973.03.07 吹田 |
サハ481-201 1984.02.02 小倉 | |
2 1970.05.15 日車 |
52 1972.11.09 吹田 |
252 1972.04.14 吹田 |
クハ480-11 1984.12.20 長野 |
サシ489形
- 83
元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12。
詳細な改造遍歴は#サシ481形を参照のこと。
- 101・102
1972年に長野工場(現・長野総合車両センター)でサシ181形100番台に施工した489系化転用改造。
- 調理室側妻面に回送運転台を増設。
- 種車の181系用TR69C形台車は枕ばりが低いため改造の上で床面高さを調整。
- 本系列とは車体断面が異なるため外観上にわずかな相違点が残る。
- 内装関係の改造は未施工だったことから、ベネシャンブラインドや「あずさ」充当記念で壁面に飾られた中央東線沿線の名峰レリーフもそのまま残存。
2両とも1986年に廃車。
サシ181形→サシ489形改造一覧 | |||||
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サシ181 | サシ489 | 改造施工工場 | 施工日 | レリーフ | |
102 | 101 | 長野工場 | 1972.02.07 | 槍ヶ岳 | |
103 | 102 | 1978.03.17 | 白馬岳 |
黒磯駅通過用列車選別装置搭載工事
東北本線黒磯駅は、1959年の電化開業時は地上切切換方式の交直接続設備を有しており、1965年の483系運転開始時は同駅に必ず停車しパンタグラフを降下、地上側で電源切替後にパンタグラフを再上昇させ発車する形態を採用した。しかし1968年10月1日ダイヤ改正では一部の特急列車が通過となったことから[注 86]、下り1番線と上り5番線に従来の地上切換設備を残存させたまま新たに車上切換が可能なデットセクションを追設した。本設備は同時に信号動作も行う方式としたために通過運用に充当される青森・秋田・仙台配置のクハ481形・クロ481形には列車選別装置を搭載する工事が施工された。
同改正後の電車特急は、同駅通過・停車問わず車上切換を行うことにより停車列車でも地上切換に比較すると停車時間を短縮できることから、基本的に1993年までは本装置を使用して運転されたほか、保守管理の課題解消を目的に2018年1月に同駅構内を完全直流化。高久寄りに車上切換方式のデットセクションを新設し、地上切換方式を廃止した。
津軽海峡線対応車
1988年3月13日の青函トンネルに伴うダイヤ改正では、盛岡 - 青森間で運転されていた「はつかり」の一部列車を津軽海峡線を経由し函館まで延長運転することになった。延長区間のうち海峡線新中小国信号場 - 木古内間は保安装置をATC-L、最高運転速度を140 km/hとしたことから、当時「はつかり」運用に充当されていた青森運転所所属6両編成×12本のうち1000番台車限定で組成される6本[注 87]に土崎工場で施工された以下の改造である。
- クロハ481形・クハ481形
ATC-Lの搭載ならびに運転台下に設置されていたCPを床下へ移設し1位側CP搬入口グリルを閉鎖。
- クロハ481-1012・1013・1015 - 1017・1019
- クハ481-1006・1010・1016・1020・1022・1030
- モハ484形
第1パンタグラフを高速域での架線追従性に優れたPS26B形へ交換。
- モハ484-1009・1014・1022・1031・1032・1038・1046・1047・1049・1059・1077・1087
1996年以降に本工事を施工した6編成中5編成に3000番台化工事を施工。対象から漏れたクロハ481-1015・クハ481-1016・モハ485・484-1032・1077は2006年に仙台車両センターへ転出。CP床下搭載やPS26B形パンタグラフはそのままでクロハ→クハ復元・ATC-L撤去などの「あいづ」充当改造を郡山総合車両センターで施工した。このほかモハ484形のPS26B形パンタグラフ交換は増結用MM'ユニットの3049・3051・3067へも施工された。
上沼垂運転区所属グレードアップ改造車
JR東日本が日本海縦貫線運用に充当していた上沼垂運転区(現・新潟車両センター)所属の9両編成であるT1 - T8編成へ1988年12月から1990年12月に施工した主に内装をデラックス化する改造工事である。内容は1987年から施工された松本運転所(現・松本車両センター)所属の「あずさ」充当用183系1000番台グレードアップ車に準した以下で解説するものである。
- 外部塗装を白地に緑と青の帯を配する上沼垂色[注 88]へ変更
- 普通車座席を背面テーブル付R55型リクライニングシートへ交換
- 大阪方1 - 3・5・6号車の普通車指定席はシートピッチを970 mmへ拡大し定員4名減
- 新潟方7 - 9号車の普通車自由席はシートピッチ910 mmのままアコモデーション改善を実施
- 4号車に組成されるサロ481形グリーン車はシートピッチをそのままにC席を独立させた1+2配置の3列式とし従来より座面横幅の広いシートへの交換により定員36名に変更
- 指定席車両は座席部分の床を70 mm嵩上げしてセミハイデッキ化ならびに窓を上方へ拡大し内窓カバーパネル(窓キセ)をFRP製に変更
- 荷棚を読書灯付の物に交換
- 仕切ドアを自動ドアに改造し上部にデジタル時計と案内表示器を設置
- 百円硬貨専用→テレホンカード式の公衆電話を新設
- 洗面所をリニューアル
- 該当車の車両番号ならびに編成組成は#新潟車両センター(新ニイ)を参照のこと。
1998年の運用減ならびに3000番台R編成落成により自由席に組成されていた初期型・中期型MM'ユニットならびにクハ481形ボンネット車と753が運用を外れ8編成→5編成に縮小、さらに2001年3月3日ダイヤ改正で9両編成としての運用が終了し廃車となった車両を除き以下の編成に組成された。
- T19編成→勝田車両センターK60編成
- T22編成→T21編成MM'ユニットと6両で長野総合車両センターへ転出しジョイフルトレイン「彩(いろどり)」へ改造
- MM'ユニット3組:新潟残留でそれぞれT14・T16・T17編成に組成[注 89]され定期運用終了する2015年まで充当。
また上沼垂色は、後に同センター配置車両のうちジョイフルトレイン・3000番台車・国鉄色車を除いた車両へ施工し、所属車の標準色ともいえる形で採用された。
「あいづ」用改造
1993年に「あいづ」は郡山発着となった際に独自の改装を施工した専用編成が用意された。その後「あいづデスティネーションキャンペーン」で復活した際も独自改造が行われた専用編成が投入されている。全編成とも仙台車両センターに所属し郡山総合車両センターが改造施工を担当した。
「ビバあいづ」編成
1993年12月1日から郡山 - 会津若松・喜多方間で運転開始された特急「ビバあいづ」に充当された編成。同年7・8月に勝田電車区所属の6両編成を仙台運転所へ転出させ、同年11月までに郡山工場で以下の改造を施工した。
- 銀色をベースとした専用塗装。
- 先頭車運転室屋根上部前灯の撤去。
- クハ481-1104の運転室寄り客室を定員16名のグリーン室に変更しクロハ481-1501に改造。
- 3号車に組み込まれたモハ485-1008を定員0名のフリースペース「インビテーションカー“赤べこ”」に改造。車内は会津若松市の歴史や観光案内、物産品の展示などが行われていたが、1998年12月には再び座席車に復元された。
運転時は常に会津若松滞留となることから、月1回帰所する際は運休もしくは代替快速列車で運転したほか、長期検査時には勝田電車区もしくは青森運転所から本系列を借入して充当した。
2001年12月に上野発着の「あいづ」復活運転に際し首都圏乗入となることからATS-P搭載工事を施工。2002年3月23日のダイヤ改正では磐越西線で土休日ダイヤを設定したことから、土休日の運転に限り列車名を「ホリデービバあいづ」に変更したが、同年11月30日をもって定期運用終了。同年12月7日に運転された「さよならビバあいづ」を最後にすべての運用が終了となり、2003年4月4日付でMM'ユニット1008が廃車。残存した4両は同年3月29日付で勝田電車区に再転出。塗装変更されK40編成として運用されたが2013年に廃車となった。
← 郡山・喜多方 会津若松 →
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クハ481 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | モハ485 | クロハ481 |
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345 | 1008 | 1053 | 1501 |
「あいづデスティネーションキャンペーン」編成
2002年11月8日付で元青森運転所A7編成が仙台運転所へ転入。同年12月1日より列車名を「あいづ」「ホリデーあいづ」に改称して充当されたが、2003年10月1日ダイヤ改正で快速「あいづライナー」に格下げとなった。しかし同列車も2004年10月15日に廃止となり、元A7編成は事実上の休車となった。
2005年7月1日から「あいづデスティネーションキャンペーン」開催に合わせて同日は「オープニングあいづ」として会津若松 → 喜多方を片道運行。翌2日から新宿 - 喜多方間の特急「あいづ」1往復ならびに郡山 - 会津若松・喜多方間の特急「アクセスあいづ」2往復が運転されることになり[注 90]、元A7編成を2005年6月までに後述する改造を施工して充当。同年9月まで運転されたのち同年12月15日付で小山車両センターへ転出した。
2006年も「この夏も会津へ2006キャンペーン」が開催されることになり、元青森運転所A3編成が同年3月23日付で仙台運転所へ転入。同年7月26日まで対応改造を施工して同月29日より上野発着の「あいづ」ならびに仙台発着の「仙台あいづ」に同年9月まで充当された[注 91]。
いずれの編成も以下の共通する改造を郡山総合車両センターで施工した。
- クロハ481形をクハ481形に復元。
- 座席交換とシートピッチの拡大(1,100 mm定員380名 → 319名)。
- 首都圏乗入運用対応のためATS-Pならびにデジタル列車無線機を搭載。
- 2006年度改造車は海峡線用ATC-Lを撤去しATS-Psを追加搭載。
- 外板塗装の変更。
2005年度改造車は、小山転出後に先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を3000番台に準じた1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更・東武形ATSと列車無線ならびに自動放送装置搭載などの再改造を郡山総合車両センターで施工。2006年3月18日から東武鉄道乗入特急「日光・きぬがわ」に投入されたが、253系1000番台の投入に伴い2012年2月10日付で仙台車両センターへ再度転出。「あいづライナー」運用に充当されたが、老朽化により2015年7月3日付で廃車された[9]。
2006年度改造車は仙台所属のまま引き続き快速「あいづライナー」運用へ充当されたが、2007年 - 2010年まで夏期キャンペーン期間のみ「あいづ」へ充当された[注 93][注 94]。2011年6月には国鉄色への塗装変更を施工。2012年2月に「あいづライナー」をA3・A4編成充当に変更した以降は波動対応ならびにA3・A4編成の予備として運用されたが、老朽化により2016年8月4日付で廃車された[22]。
改造 年次 |
← 上野・新宿・郡山・喜多方 会津若松・仙台 →
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クハ481 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | モハ485 | クハ481 | |
2005年 | 334 | 1058 | 1055 | 1017[注 95] | ||
2006年 | 1016 | 1077 | 1032 | 1015[注 96] |
3000番台
1996年から2001年にかけてJR東日本が1000番台車を中心に施工した大幅なリニューアル工事による番台区分。土崎工場(現・秋田総合車両センター)とMM'ユニットの一部のみ青森運転所東派出所[注 97]で9両編成2本・6両編成12本・増結用MM'ユニット3組6両の計96両へ以下に示す改造を施工し、青森運転所と上沼垂運転区に配置された。
- 外装
- 外板塗装を変更。
- 側窓は下方に50 mm拡大。
- 側面行先表示機をLED化。
- クハ・クロハ481形では以下の改造を施工。
- 内装
- 化粧板を張替。
- 平天井化し、灯具カバーをフラットにした
- 出入台照明をダウンライト化。
- 貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化されたタイプに交換。
- 扉ストッパーをキャッチャ式化。
- 客室仕切戸を電気式パルサーチ検知採用により自動化[注 99]。
- 出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。
- 各車両の仕切戸と妻引戸上部に案内・号車番号・禁煙などの各種情報を提示する電光式装置を設置。
- 上記電光式装置と場所に、LEDスクロール方式の案内表示機(次停車駅表示、新聞ニュース表示、天気予報表示等)も併設。
- トイレを真空吸引式洋式に交換。
- 従来の洗面所を撤去しユニット式男子トイレと小スペース用洗面所を新設。
- 車内放送のオルゴールにクラシック音楽を採用[注 100]。
- グリーン車では以下の改装を実施。
- 新幹線200系電車と同様の荷棚へ交換。
- カーテンキセを含めたカバーFRP製へ交換。
- クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工。
- 普通車では以下の改装を実施。
- 機器
- クハ・クロハ481形
- 補助電源をMGからSIVに換装。
- CPを2,500 L/minへ容量増大ならびに三相交流誘導電動機で駆動する静音床下搭載タイプに換装。
- モハ484形
制御装置・方式などは在来車と共通のため混結運用は可能だが営業運転での実績はない。
配置基地別の相違
青森車と新潟車については以下の違いがある。
- 外板塗装
- どちらも白と青を基調にしたものであるが、青森車は若干紫に近い青。新潟車は、側引戸と連結面周辺がアクセント的な要素で緑色に塗装。
- 制御車前面マスク部分の塗装
- 青森車は黄色で「North East Express 485」と「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」のロゴ。さらに乗務員扉前に先頭部と同じロゴが入る。
- 新潟車は緑色で運転台下付近にJRのロゴ。
- 編成
新潟所属R1・2編成の「はくたか」運用終了後は、青森・新潟車共に6両編成で車両構成は同じになったが組成は異なる。
- 2010年12月3日までの編成
号車 1 2 3 4 5 6 青森車・新潟車共通事項
4号車は車いす対応車
5号車は車販準備室・電話室設置青森車 クハ
481モハ
484モハ
485モハ
484モハ
485クロハ
481青森 →号車 6 5 4 3 2 1 新潟車 クハ
481モハ
485モハ
484モハ
485モハ
484クロハ
481← 新潟青森・金沢・新宿 →
- 青森基準で見た場合、編成的にはクロハが先端で同じ位置になるが、MM'ユニットと号車名が逆向きとなる。
- 2010年12月4日以降の編成
号車 1 2 3 4 5 6 青森車
3号車は車いす対応車
2号車は車販準備室・電話室設置
新潟車
4号車は車いす対応車
5号車は車販準備室・電話室設置青森車
6両編成クロハ
481モハ
485モハ
484モハ
485モハ
484クハ
481← 函館・新青森青森 →号車 1 2 3 4 青森車
4両編成クロハ
481モハ
485モハ
484クハ
481← 秋田青森 →号車 6 5 4 3 2 1 新潟車 クハ
481モハ
485モハ
484モハ
485モハ
484クロハ
481← 新潟金沢・新宿・秋田 →
- 東北新幹線新青森延伸開業に伴うダイヤ改正で以下の変更点が発生した。
- なお、青森車の「つがる」運用は2011年4月23日にE751系へ、新潟車の「いなほ」運用は2014年7月11日にE653系1000番台へ置換えられた。
2019年8月現在では以下の車両基地に配置される。
- 盛岡車両センター
- 2012年にジョイフルトレイン「ジパング」用に余剰となっていた青森車両センター所属のモハ485・484-3014を郡山総合車両センターで改造施工し配置。
- 過去の配置基地
新潟車両センター配置車両は、2017年4月までに全車廃車となった[27]。
- 当初は1997年3月22日のダイヤ改正で運転が開始された越後湯沢 - 金沢間の特急「はくたか」充当用[注 101]にサロ481形組込9両編成×2本へ改造施工し、R1・R2編成とした。その他2000年 - 2001年に6両編成×5本へ改造施工しR21 - R25編成とし、48両が配置された。
- 2005年3月1日のダイヤ改正で「はくたか」運用は終了。充当されていた9両のR1・R2編成は6両のR26・27編成へ組成変更となり、余剰車となったMM'ユニット2組4両は増結用に転用、サロ481形2両は保留車となった。
- さらに同年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故によりR24編成が大破。物的証拠として山形県警察に押収されたことから、2006年に青森車両センターから補完名目でクロハ481-3020・クハ481-3350・モハ485・484-3056の4両が転入し増結用MM'ユニットモハ485・484-3040とR28編成を組成。配置総数が52両となった[注 102]。
- 上述事故の捜査終了によりR24編成全車は2007年3月31日付で本区分番台初の廃車となり配置両数は46両に減少。さらに2008年に保留車のサロ481形2両、2014年に増結用MM'ユニット1組2両が、2015年度上半期にR21 - R23・R27編成が、下半期にR25編成が廃車となった。
- 2017年3月3日に新潟-糸魚川間臨時快速1往復の定期運用を終了[29]。同月18日にラストランを実施[30]。R26編成は2017年3月13日 - 14日に長野総合車両センターへ配給回送され[31]、同年4月3日付で廃車[14]。R28編成は同年4月4日に長野総合車両センターへ配給回送され[32]、同月6日付で廃車された[14]。
盛岡車両センター青森派出所配置車両は、2019年1月22日付で最後まで在籍したA6編成6両が廃車となった[33]。
- 組成された6両編成×7本のうち5本と増結用MM'ユニット3組6両は海峡線乗入対応車であったことから、制御車はATC-Lを、モハ484形は青函トンネル140 km/h走行のためPS26B形パンタグラフを搭載した。
- 非対応の制御車は、2006年にクロハ481-3020・クハ481-3350が新潟へ転出。クロハ481-3021・クハ481-3005が2016年12月に廃車
形式
表中の施工工場・配置車両基地は竣工当時の名称で記載し、以下に読み替える。
- 青森東派→青森運転所東派出所
- 青森→青森運転所(2004年4月1日以降は青森車両センター 2016年3月26日以降は盛岡車両センター青森派出所)
- 上沼垂→上沼垂運転区
- 新潟→新潟車両センター
- 盛岡→盛岡車両センター
- モハ485・484形MM'ユニット
- 種車はすべて1000番台で改造後の車番は原番号+2000。
- モハ485形の定員は72名。
- モハ484形の定員は通常車が64名、バリアフリー対応車は58名。
車番 | 竣工 | 施工 | 初期配置 | 転属 | 廃車 | 備考 |
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3009 | 1999.10.07 | 土崎工場 | 青森 | 2011.08.24[34] | ||
3014 | 1998.09.22 | 盛岡 2012年 | ジバング中間車 | |||
3018 | 2000.12.22 | 上沼垂 | 2007.03.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 | ||
3022 | 1997.10.01 | 青森 | 2018.11.2[35] | モハ484形バリアフリー対応車 | ||
3030 | 1998.03.02 | 上沼垂 | 2015.07.10[9] | |||
3031 | 1997.03.29 | 青森 | 2018.12.7[35] | |||
3033 | 1996.12.23 | 上沼垂 | 2017.04.03[14] | |||
3034 | 2001.03.29 | 2015.11.27[36] | ||||
3035 | 1997.12.12 | 青森東派 | 青森 | 2016.12.06[37] | ||
3037 | 2000.01.30 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2015.05.10[38] | ||
3038 | 1998.09.28 | 青森東派 | 青森 | 2011.11.04 | ||
3039 | 2000.09.22 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2015.09.10[9] | ||
3040 | 1997.01.16 | 2017.04.06[14] | モハ484形バリアフリー対応車 | |||
3044 | 2000.12.22 | 2007.03.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 | |||
3046 | 1996.03.29 | 青森 | 2019.01.22[33] | |||
3047 | 1997.10.01 | 青森東派 | 2018.10.10[35] | |||
3049 | 1997.03.28 | 2018.12.7[35] | 保留車 | |||
3050 | 2001.03.29 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2015.11.27[36] | ||
3051 | 1997.11.19 | 青森 | 2011.11 | |||
3054 | 1998.03.02 | 上沼垂 | 2015.07.10[9] | |||
3056 | 1997.11.19 | 青森 | 新潟 2006.03.24 | 2017.04.06[14] | ||
3059 | 1996.03.29 | 青森 | 2019.01.22[33] | モハ484形バリアフリー対応車 | ||
3060 | 1996.03.29 | 上沼垂 | 2017.04.03[14] | |||
3062 | 1996.03.29 | 青森 | 2018.10.10[35] | |||
3065 | 2000.03.30 | 上沼垂 | 2015.07.01[9] | モハ484形バリアフリー対応車 | ||
3066 | 2015.07.01[9] | |||||
3067 | 1996.12.27 | 青森東派 | 青森 | 2016.12.06[37] | ||
3068 | 1999.03.24 | 土崎工場 | 2011.07.05[34] | |||
3070 | 2000.01.31 | 上沼垂 | 2015.05.10[38] | |||
3075 | 2000.09.22 | 2015.09.10[9] | ||||
3081 | 1999.03.24 | 青森東派 | 青森 | 2018.11.2[35] | ||
3086 | 1998.03.13 | 土崎工場 | 上沼垂 | 2014.05.30 | ||
3087 | 1999.10.07 | 青森 | 2011.07.05 |
- クハ481形
- 定員64名。改造施工は全車土崎工場。
- 車番は1000・1500番台からの改造車が原番号+2000、300番台からの改造車が原番号+3000、クロハ481形からの復元改造車はクハ時代の原番号に基づく。
車番 | 竣工 | 改造前車番 | 初期配置 | 廃車 | 備考 |
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3005 | 1997.11.19 | クハ481-1005 | 青森 | 2016.12.06[37] | ATC-L未搭載津軽海峡線非対応車 |
3006 | 1997.03.29 | クハ481-1006 | 2018.12.7[35] | ATC-L搭載津軽海峡線対応車 | |
3010 | 1997.03.29 | クハ481-1010 | 2011.08.24[34] | ||
3011 | 1998.03.02 | クハ481-1011 | 上沼垂 | 2015.07.10[9] | ATS-P搭載車 |
3018 | 2000.01.31 | クロハ481-1001 | 2015.05.10[38] | ||
3020 | 1998.09.22 | クハ481-1020 | 青森 | 2011.11.04 | ATC-L搭載津軽海峡線対応車 |
3022 | 1997.10.01 | クハ481-1022 | 2018.11.2[35] | ||
3026 | 1996.12.13 | クロハ481-1005 | 上沼垂 | (改造) | 2005.05.02クロハ481-3026へ改造 |
3030 | 1996.03.29 | クハ481-1030 | 青森 | 2019.01.22[33] | ATC-L搭載津軽海峡線対応車 |
3034 | 1996.12.13 | クロハ481-1006 | 上沼垂 | 2017.04.03[14] | ATS-P搭載車 |
3037 | 1998.03.02 | クハ481-1037 | (改造) | 2005.05.01クロハ481-3037へ改造 | |
3043 | 2000.09.22 | クハ481-1043 | 2015.09.10[9] | ||
3342 | 2001.03.29 | クハ481-342 | 2015.11.27[36] | ||
3348 | 2000.03.30 | クロハ481-303 | 2015.07.01[9] | ||
3350 | 1999.03.24 | クハ481-350 | 青森 | 2017.04.06[14] | 2006.03.24 新潟へ転属 |
3506 | 2000.12.12 | クハ481-1506 | 上沼垂 | 2007.03.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 |
- クロハ481形
- 定員はグリーン室16名・普通室36名。
- 3026・3037を除き土崎工場でクロハ481形1000番台を種車に改造施工し、車番は原番号+2000。
- 3026[注 103]・3037[注 104]は2006年に新潟車両センターで施工されたクハ481-3026・3037からの改造車でATS-Pを搭載する。
車番 | 竣工 | 改造前車番 | 初期配置 | 廃車 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
3004 | 2000.03.30 | クロハ481-1004 | 上沼垂 | 2015.07.01[9] | |
3008 | 2001.03.29 | クロハ481-1009 | 2015.11.27[36] | ||
3010 | 2000.12.12 | クロハ481-1010 | 2007.03.31 | 羽越本線脱線転覆事故車 | |
3012 | 1996.03.29 | クロハ481-1012 | 青森 | 2019.01.22[33] | ATC-L搭載津軽海峡線対応車 |
3015 | 1998.09.28 | クロハ481-1015 | 2011.11.04 | ||
3016 | 1997.03.29 | クロハ481-1016 | 2018.12.7[35] | ||
3017 | 1997.10.01 | クロハ481-1017 | 2018.11.2[35] | ||
3019 | 1999.10.07 | クロハ481-1019 | 2011.08.24[34] | ||
3020 | 1999.03.24 | クロハ481-1020 | 2017.04.06[14] | 2006.03.24 新潟へ転属 | |
3021 | 1997.11.19 | クロハ481-1021 | 2016.12.06[37] | ATC-L未搭載津軽海峡線非対応車 | |
3024 | 2000.01.31 | クロハ481-1024 | 上沼垂 | 2015.05.10[38] | |
3026 | 2005.05.02 | クハ481-3026 | 新潟 | 2017.04.03[14] | ATS-P搭載車 |
3027 | 2000.09.22 | クロハ481-1027 | 上沼垂 | 2015.09.10[9] | |
3037 | 2005.05.01 | クハ481-3037 | 新潟 | 2015.07.10[9] | ATS-P搭載車 |
- サロ481形
- 車番は原番号+3000。グレードアップ改造が施工されていたサロ481-106・107[注 105]に土崎工場で再改造を施工。定員は2+1配置の3列シートのため36名。
- 「はくたか」「北越」充当用9両のR1・R2編成に組成されていたが、2005年3月1日ダイヤ改正で運用終了。保留車となり2008年10月30日付で廃車。本区分の廃車によりサロ481形は廃形式となった。
車番 | 竣工 | 改造前車番 | 初期配置 | 廃車 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
3106 | 1998.03.13 | サロ481-106 | 上沼垂 | 2008.10.30 | 旧T3編成から転用 |
3107 | 1997.02.14 | サロ481-107 | 旧T4編成から転用 |
訓練車
1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を訓練用に整備することになった。そのために本系列でもモハ484形を種車にしたモヤ484形訓練車が改造で落成した。
- モヤ484-1・2
- 1がモハ484-60を種車に青森運転所で、2がモハ484-61を種車に郡山工場で改造施工。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載するためのラックを装備する。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別される。
訓練車編成は青森運転所と勝田電車区に以下の2編成[注 106]が配置された。
編成番号 | ← 上野 青森 →
| |||
---|---|---|---|---|
クハ481 | モヤ484 | モハ485 | クハ481 | |
青森運転所A13編成 | 16 | 1 | 60 | 24 |
勝田電車区K26編成 | 26 | 2 | 61 | 17 |
2001年には勝田所属のクハ481-17が60 Hz仕様赤スカートに復元されたが、青森車が2005年に廃車。勝田車も2007年に廃車となった。
金沢運転所所属グレードアップ改造車
JR西日本が1988年3月13日ダイヤ改正で運転開始した「かがやき」「きらめき」に充当する金沢運転所S編成に施工した専用塗装化ならびに内装をデラックス化する改造工事である。
改造内容は上述した上沼垂運転区施工車とほぼ同様であるが、「かがやき」「きらめき」充当車は当初普通車のみで全車指定席であったこと。さらに並行する北陸自動車道高速バスに対抗する観点からシートピッチを1,010 mmへ拡大したが、窓割は従来のままのため座席配置と窓割が一致しない区画が存在するほか、客室窓の上方拡大は未施工でデジタル時計内蔵案内表示器が仕切ドア上部では壁面に設置となった相違点がある。
続いて1989年3月11日ダイヤ改正で運転開始した「スーパー雷鳥」充当用R編成にも施工された。
- グリーン車が連結されることからクロ481形2000・2100番台ならびにサロ481形2000番台を他形式から改造で落成させているが、いずれも2+1の3列配置としクロ481形はパノラマグリーン車とした。このほか床面嵩上げ高を150 mmとし客室窓の上方拡大を施工。肘掛にオーディオパネルを装備[注 107]した。
- 普通車のシートピッチ拡大ならびに床面の70 mm嵩上げは上沼垂車同様に指定席車両にのみ実施で、自由席車両はアコモデーション改善にとどまった。
- 1991年以降に七尾線電化による分割併合運用を予定されていたことから、クモハ485形200番台と連結する中間組込用のクハ481形は200番台に限定され正面貫通路が使用された。
「かがやき」「きらめき」用S編成も1990年以降にクロ480-2301・クロ481-2201・2300番台などの改造グリーン車[注 108]を組込んだが、こちらは座席床面の嵩上げは未施工ならびにオーディオパネルは未装備であり、クロ480-2301を除きシートピッチは1,180 mmである[注 109]。
改造種車は、モハ484形はAU71形、その他の車両は改造車も含めてAU13E形の冷房装置を搭載する中期型以降の車両に限定されており、AU12形を搭載する初期型車両は存在しない。
S編成充当車は1997年に一部が「はくたか」用V編成にならびに「加越」用K編成に、R編成充当車は2001年に一部が「しらさぎ」用Y編成などに転用されたが、いずれも2003年までに金沢での運用を終了。一部は京都総合運転所に転出し「雷鳥」などで運用され、2011年8月までに廃車となった。
JR九州改修車
JR九州が783系以降の新型車との格差解消を目的に1989年以降に施工した以下の改造である。
- 車体
- 機器
- 電源切替回路を使用不能にし、交流専用車化。
- モハ484形の第2パンタグラフを撤去。さらに一部車両では附帯するランボードも撤去。
- 車内
- グリーン座席を3列シートに統一。
- 普通座席をリクライニングシートに交換[注 112]。
- グリーン車ならびに喫煙普通車へ空気清浄機を取付。
- トイレへ換気扇を取付。
- クロ480形を含む5両編成に組込まれるモハ485形はトイレ・洗面所を業務員室・車販準備室に変更。
- デッキ部にカード式公衆電話ならびにアンテナを設置。
- 先頭車
- クハ481形200番台・クハ480形は併結用貫通扉埋込ならびに扉レールを撤去。
- クハ481形300番台・クモハ485形は前面飾り帯を撤去。
- 前面特急マークを金色化[注 113]。
- ヘッドマークは黒を地色とし、白抜き文字で列車名やエンブレムなどを表記する以下の新デザインに変更された。
- 「KAMOME EXPRESS」「MIDORI EXPRESS」「HUIS TEN BOSCH」は新たに作成されたエンブレム[注 114]を表記。
- 「RED EXPRESS」は上側に大きく「RE」のロゴ、下側に列車名を「かもめ」はローマ字で、他列車はひらがなで表記。
- 「きりしま」「ひゅうが」では以下のパターンが存在する。
- 「RED EXPRESS」と同一仕様。
- ロゴ部を2段で「KIRISHIMA EXPRESS」に変更した仕様。
- ロゴ部を「K & H」に変更した仕様。
- 列車名のみ表記。
- ただし諸事情などで国鉄時代にデザインされた文字のみ、またはイラスト入りヘッドマークで運用された実績がある(画像参照)。
本改修は最終的に6種類の塗装バリエーションとした上でJR九州所属全車に施工された。
- KAMOME EXPRESS
- 1990年3月に「かもめ」単独運用充当の7・8両編成へ施工されたJR九州のコーポレートカラーである赤を基調とし、窓周りを連続窓風に黒くした塗装。各所に「かもめ」をモチーフとしたロゴが入れたことから「赤いかもめ」とも呼称された。
- 1996年に783系へ置換えられ消滅。
- MIDORI EXPRESS
- 1990年10月に施工された「みどり」用塗装。赤を基調とするが、「KAMOME EXPRESS」で採用された窓周りの黒塗装は未施工。各所に「みどり」をモチーフとしたロゴを入れたことから「赤いみどり」と呼称された。
- 2000年に783系へ置換えられ消滅。
- RED EXPRESS
- 元々は「みどり」と併結を行う「かもめ」用5両編成へ1990年に施工。赤を基調として各所に「RED EXPRESS」の文字とロゴマークが入る。
- 上述2種とは異なり運用列車の限定制約がないことから「にちりん」「有明」にも充当された。
- 2000年以降は「きりしま」「ひゅうが」でも運用されたが、783系・787系へ置換られ2012年度に消滅。
- HUIS TEN BOSCH → KIRISHIMA & HYUGA
- 1992年に施工。赤を基調とし各所に「HUIS TEN BOSCH」の文字とロゴマークが入る「ハウステンボス」用塗装。
- 1994年に車体基調色を編成内でクモハ485(緑)+モハ484(青)+サハ481(黄)+クハ481(緑)とし、アクセントに赤・青・黄・緑の4色によるブロックパターンを組合わせた新塗装へ変更。
- 2000年に「ハウステンボス」全列車が783系へ統一され、「きりしま」「ひゅうが」へ転用する際にサハ481形は廃車し3両編成化。ロゴマーク等を変更して「KIRISHIMA & HYUGA」塗装となった。
- 2012年度に783系・787系へ置換られ消滅。
- KIRISHIMA EXPRESS
- 1995年に施工された緑を基調とした「きりしま」用塗装で「KIRISHIMA EXPRESS」のロゴが入る。
- 2000年に「ひゅうが」と共通運用となり、「にちりん」用「RED EXPRESS」塗装車と「ハウステンボス」車を転用した「KIRISHIMA & HYUGA」車での運用に変更したため一旦消滅。
- 2004年にRED EXPRESS保留車だった3両のDk9編成へ施工され復活するが、2010年に旧国鉄色への塗装変更で再度消滅[40]。
- 旧国鉄色
- 2000年にミレニアム記念としてDk2編成[注 115]に施工。2010年8月には上述のDk9編成[注 116]、さらに同年12月には大分車両センター所属の増結用MM'ユニットにも施工された[41][注 117]。
- 本グループのDo32編成5両がJR九州で最後に車籍を有する本系列であったが、2015年10月18日に大分駅から小倉総合車両センターへの廃車回送を兼ねたさよなら運転で運用を終了[42]。
ジョイフルトレイン
本系列をベースとしたジョイフルトレインは以下で解説する車両があり、改造と所有はすべてJR東日本である。
なお、編成全体の詳細はジョイフルトレイン(「リゾートエクスプレスゆう」と「NO.DO.KA/のどか」は183系も)を参照。
型式
全車改造車。施工内容は車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用して全く新しい車両構体に載せ換えを実施したケースなど、多種におよぶ。
- モロ485形
- 1 - 9
2以降はすべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。2・4・8・9が公衆電話、3・5・7がトイレ・休息室・更衣室も設置する。
- 1:「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。1998年10月の和式化で定員が33名から28名へ変更。
- サロ189-6→モロ485-1
- 2・3:「宴」の中間電動車。定員はともに28名。
- モハ485-56・37→モロ485-2・3
- 4・5:「華」の中間電動車。定員はともに28名。
- モハ485-87・149→モロ485-4・5
- 6・7:「ニューなのはな」の中間電動車。6は定員が畳敷44・座席64名。7は畳敷40・座席56名。
- モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
- 8:「やまなみ」の中間電動車。定員28名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
- モハ485-58→モロ485-8
- 9:「せせらぎ」の中間電動車。定員32名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
- モハ485-1071→モロ485-9
- 5007・5024
「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能である。3号車(5024・定員28名)にはマッサージチェア・パウダールーム、5号車(5007・定員22名)には車いす対応座席・トイレ・添乗員室を装備。
- モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024→モロ485-5007・5024[15]
- モロ484形
- 1 - 11
パンタグラフ付中間電動車。4以降はすべて新規製造構体に載せ換えたお座敷(和式)電車として落成した。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なりすべて1基搭載に変更されたほか、4 - 8・10・11は低屋根部をミーティングルームとした。
- 1:モハ484-701の項目を参照のこと。
- 2・3:「リゾートエクスプレスゆう」。1998年10月の和式化で定員が39名→32名へ変更。
- サロ189-7・8→モロ484-2・3
- 4・5:「宴」。定員24名。
- モハ484-56・37→モロ484-4・5
- 6・7:「華」。定員24名。
- モハ484-87・251→モロ484-6・7
- 8・9:「ニューなのはな」。定員は畳敷28・座席40名。低屋根部に8は車販準備室・テレホンカード式公衆電話を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を設置。
- モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
- 10:「やまなみ」。定員24名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
- モハ484-58→モロ484-10
- 11:「せせらぎ」。定員32名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
- モハ484-1071→モロ484-11
- 5007・5024
「彩(いろどり)」。構体は種車の物を流用。2号車(5024)は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能。4号車(5007)は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。BOSE社製のスピーカーと液晶ディスプレイを設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは本系列初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである中央本線への乗り入れが可能である。
- モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024→モロ484-5007・5024[15]
- クモロ485形
- 1:クモハ485形700番台を参照。
- 2:「リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名へ変更。トイレ・洗面所を装備。
- サロ189-5→クモロ485-2
- クロ481-5502・5503
「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートとした。運転室背後に談話スペースとし、前面展望映像も投影可能な32V液晶モニタを設置。前面愛称表示機は市販の40Vワイド液晶モニタを搭載する。中央本線狭小トンネル対策から静電アンテナを後位に移設し、屋根上ヘッドライトを撤去した。
- クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503→クロ485-5502・5503[15]
- クロ485形
すべて新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部は展望室とされた。
- 1:「宴」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-25→クロ485-1
- 2:「華」の奇数向き制御車。定員24名。
- クハ481-21→クロ485-2
- 3:「ニューなのはな」の奇数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- サロ481-1007→クロ485-3
- 4:「やまなみ」の奇数向き制御車。定員24名。2012年「ジパング」に再改造。
- クハ481-40→クロ485-4
- 5:「せせらぎ」の奇数向き制御車。定員28名。後述するクロ484-7とともに「やまなみ」との併結運転対応からシャンパ連結器を高圧引き通し用のKE10形から総括制御用のKE70形に設計変更されたほか、外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加された。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
- サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
- クロ484形
3以降は新規製造した構体へ載せ換えてお座敷(和式)電車として落成。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部に展望室を設置。
- 1:クハ484-701の項目を参照のこと。
- 2:「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。1998年10月の和式化で定員が21名から20名へ変更。
- サロ183-1008→クロ484-2
- 3:「宴」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-22→クロ484-3
- 4:「華」の偶数向き制御車。定員24名。
- クハ481-28→クロ484-4
- 5:「ニューなのはな」の偶数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
- サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
- 6:「やまなみ」の偶数向き制御車。定員24名。2012年「ジバング」へ再改造。
- クハ481-34→クロ484-6
- 7:「せせらぎ」の偶数向き制御車。定員28名。2011年「リゾートやまどり」へ再改造。
- サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
- サロ485-1
「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。ドーム型展望席のほか、ステージ・サービスカウンター・AVコントロール室で構成されたイベントスペースを設置。
- サロ481-1002→サロ485-1
- クモハ485-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。165系からの改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形電車)と同じ構造で、運転席を2階[注 118]にし前面展望スペースを備える。2001年10月にカーペット敷き電車「NO.DO.KA/のどか」に改称ならびに普通車化再改造を施工。
- サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
- モハ484-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。パンタグラフ部分は低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上でトイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月の再改造で定員を30名→36名に変更。
- サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
- クハ484-701
元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持つ。MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用ディーゼルエンジンを床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更。
- サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
- モハ485-701+モハ484-702
「きらきらうえつ」のMM'ユニット。モハ485-702は3号車で定員40名、リクライニングシート装備の座席車で業務用室・多目的室を設置する。
モハ484-702は4両編成の2号車の和風ラウンジカーでパンタグラフ部分低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上で茶屋(ミニビュフェ)としたほか18名分のボックス席(フリースペース)と反対側車端部に映像ゾーンを設置。
- モハ485・484-1078→モハ485-701+モハ484-702
- クハ485-701・クハ484-702
「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、新規製造した構体へ載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースを設置。
- クハ481-349→クハ485-701
- サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
- モハ485・484-703・704
2011年に東急車輛製造で「せせらぎ」「やまなみ」の中間電動車ユニットを種車に「リゾートやまどり」用へ再改造して落成。703が2・3号車、704が4・5号車に組成される。ユニット間車両番号統一のためモハ485-702は欠番。
- (モハ485-58)→モロ485-8→モハ485-703
- (モハ485-1071)→モロ485-9→モハ485-704
- (モハ484-58)→モロ484-10→モハ484-703
- (モハ484-1071)→モロ484-11→モハ484-704
- クハ485・484-703
上述の「リゾートやまどり」用制御車。種車は「せせらぎ」用制御車。車両番号統一のためにクハ485-702は欠番となった。
- (サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105)→クロ485-5→クハ485-703
- (サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107)→クロ484-7→クハ484-703
- モハ485・484-3014
盛岡支社所有のジョイフルトレイン「ジパング」用中間電動車。2012年に青森車両センター所属だった増結用MM'ユニットから捻出され郡山総合車両センターで改造。改造に伴う改番は未実施。
- クハ485・484-704
上述の「ジパング」用制御車。種車は「リゾートやまどり」再改造で余剰となった「やまなみ」用クロ485・484形で郡山総合車両センターで普通車化を含んだ再改造を施工された。
- (クハ481-40)→クロ485-4→クハ485-704
- (クハ481-34)→クロ484-6→クハ484-704
他系列への改造車
短編成化による付随車の制御車化改造ならびに余剰となったグリーン車の転用が圧倒的に多く、24系客車化では不足した食堂車の転用が主になる。
181系電車への改造車
「とき」の183系と編成組成共通化に伴うグリーン車の電動車→付随車変更による改造である。改造車両については#113系電車への改造車を参照。
183系電車への改造車
JR東日本では付随車ならびにグリーン車の転用が主となるのに対し、JR西日本では直流区間のみでの運用となることから183系化であるため経緯が異なる。
JR東日本所属車
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JR西日本所属車
- 交流機器の撤去、もしくは使用停止によって183系化された200・700・800番台の改造車。制御回路は485系と共通しており、直流区間内であれば無改造の485系との併結運転も可能であるが、本来の183系であるJR東日本車とはジャンパ連結器が違うことから併結はできない。
189系電車への改造車
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113系電車への改造車
いずれもグリーン車の格下げ改造である。300・350番台は東海道本線東京口で、1350番台は横須賀・総武快速線で運用された。全車JR東日本が継承。
サロ481形→サロ181形→サロ110形300番台 | ||||||||||||
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サロ481 | 26 | 27 | 28 | |||||||||
サロ181 | 1051 | 1052 | 1053 | |||||||||
サロ110 | 302 | 303 | ||||||||||
サロ489形→サロ110形350番台 | ||||||||||||
サロ489 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 10 | 11 | 12 | 7 | 9 | 17 | 18 |
サロ110 | 351 | 352 | 353 | 354 | 355 | 356 | 357 | 358 | 359 | 360 | 361 | 362 |
サロ489・481形→サロ110形1350番台 | ||||||||||||
サロ489 | 19 | 20 | 21 | 22 | 24 | |||||||
サロ481 | 93 | 95 | 96 | |||||||||
サロ110 | 1351 | 1352 | 1353 | 1354 | 1355 | 1356 | 1357 | 1358 |
24系客車への改造車
いずれの改造でも密着自動連結器への交換・ブレーキ装置のCL化・引通回路・車体色の変更が施工された。2020年現在では保留車ではあるもののスシ24 506が車籍を有するほか、一部車両が保存もしくは譲渡されている。
- 「なは」レガートシート車化改造
- 1990年に3両へ車体内外の改造を含み施工された。
- 「トワイライトエクスプレス」用食堂車
- JR西日本宮原総合運転所所属。1988年にイベント用として鷹取工場で改造後、翌年からは「トワイライトエクスプレス」で使用された。2017年3月までに廃車。
- 「北斗星」用食堂車
- 1987年 - 1989年に「北斗星」用とし耐寒耐雪構造強化・青函トンネル通過に伴う出火対策・回送運転台撤去、ダイニング内装のグレードアップと食堂座席定員を40名から28名へ変更[注 119]などの改造が施工された。
- 501 - 503・508がJR北海道札幌運転所に、504 - 507がJR東日本尾久車両センターに配置された。
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保存車・民間転用車両
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本系列では廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例が多いのも特徴である。
静態保存車
画像 | 車番 | 所在地 | 最終配置・経緯 |
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クハ481-26 モハ484-61 |
埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47 鉄道博物館 |
勝田車両センターK26(訓練車)編成に組成。 2007年の廃車後に郡山総合車両センターで整備後[注 121]に搬入。 開館時から展示。 | |
クハ481-1508 | 新潟県新潟市秋葉区新津東町2丁目5-6 新潟市新津鉄道資料館 |
新潟車両センターT18編成に組成。 2015年7月廃車後に搬入[9]。 建屋が完成した同年10月から展示保存[18]。 | |
クハ489-501 | 石川県小松市土居原町772 土居原ボンネット広場 |
金沢総合車両所H01編成大阪・上野方先頭車。 2012年6月1日の廃車後に小松市へ譲渡。 2013年4月より小松駅近くの現在地で保存[注 122]。 | |
クハ489-1 | 京都府京都市下京区観喜寺町 京都鉄道博物館 |
金沢総合車両所H01編成新潟方先頭車。 2015年2月10日に金沢総合車両所から搬出[48]。 同月13日付で廃車[23]。 開館時より展示保存。 | |
クハ481-603 | 福岡県北九州市門司区清滝2丁目3-29 九州鉄道記念館 |
1995年に南福岡電車区を廃車後も小倉工場に留置。 2003年に修復移設し開館時より展示保存。 | |
クハ481-246 | 鹿児島総合車両所Dk01編成に組成。 2013年の廃車後に前頭部のみ保存。 RED EXPRESS色で運転室内部に立ち入ることが可能。 | ||
クハ481-256 | 福岡県北九州市小倉北区金田3丁目1-1 小倉総合車両センター |
大分車両センターDo32編成に組成。 2016年10月2日の廃車[49]と同時に展示保存[50]。 |
保管・転用車
本系列では圧倒的に食堂車が多いが、殆どの車両は転用後の事業終了や閉店、土地再開発、老朽化などの理由により解体された。現存するのは以下の1両のみである。
以下の車両はすべて解体済。
- クロ481-2001
- 吹田総合車両所で保管[51]されていたが後に解体。
- サロ481-41
- 北海道勇払郡むかわ町字汐見にあるドライブインに転用。国鉄分割民営化時にJR北海道へ承継された車両で、1990年の廃車後にサハネ581-14・36と共に移設された。閉店後は現場に放置され、サハネ581形は横転するなどして状態も非常に悪く2005年頃に解体。
- サシ481-43・サロ481-99
- 青森県八戸市の個人が購入。サシ481形は食堂へ転用後2003年頃に、サロ481形は学習塾へ転用後2010年頃にそれぞれ解体。
- サシ481-24・26・30 サロ481-16
- 1986年4月2日西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前にサシ481-26を転用したイタリアンレストラン「ヴェズビオ」がオープンした[52]。同店はおりからのバブル景気とイタリア料理ブームに乗り、支店を南宮崎駅前にサシ481-30を、同年11月21日には川内駅にサロ481-16を使い開業、小倉駅前にはサシ481-24を使ったフレンチレストラン「トランドール」も開店させた[52]。経営母体は国鉄九州総局で分割民営化後はJR九州へ承継されたが、景気の後退による利用者減少や施設老朽化ならびに駅前再開発により閉店後に解体。
- サシ481-27
- モハネ583・582-95・サロ455-31・キハ58 92・キユニ28 20と共に宮城県大崎市の「たかともワンダーファーム」が館内施設として購入し、同車はレストランとして営業を行っていたが、2008年9月に車体腐食のため解体。
- サシ489-1・2
- 1988年4月より[53]、京浜東北線蒲田駅前で「グルメステーション蒲田」に転用。その後ラーメン店に改装されるも再び閉店。駅前再開発により1997年2月解体[54]。
- サシ489-9
- 茨城県鹿嶋市で個人経営のレストランに転用されたが、車体の腐食が激しくなり2008年7月解体。
事故廃車
余剰・老朽化以外による事故廃車は本系列全体で18両ある。
- モハ485-117・モハ484-221・クロ481-53
- 1981年6月7日13時53分頃に発生した長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故の当該車両。同年7月27日付で廃車となったが、国鉄時代に発生した唯一の事故廃車である。
- モハ489-220 - 222・モハ488-35 - 37・クハ489-202・602・サロ489-14
- 長野総合車両所所属N302編成。1996年11月24日17時05分頃長野駅構内で特急「あさま88号」として発車した当該編成に構内回送中の189系電車9両編成が接触。窓ガラス10数枚と車体側面に損傷を受けた程度であったが、翌年に迫った北陸新幹線先行開業(長野新幹線)による余剰が決定していたことと経年から修繕せずにそのまま廃車[注 123]。
- モハ485+484-3018・3044・クハ481-3506・クロハ481-3010
- 新潟車両センター所属R24編成。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故の当該編成。警察の保全命令解除後に2007年3月31日付で全車廃車。2013年4月22日、JR東日本は新潟県中越地震・東日本大震災の被災車両と共に福島県白河市の総合研修センターで保存すると発表した[55]。
運用実績
国鉄時代
北陸特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北・山陽方面をはじめ四国を除く全国の電車特急に充当された。その後は新幹線の開業により、短距離・短編成の特急列車に充当され民営化に至った。
北海道地区
1974年4月 - 1980年9月、札幌運転所に配置。詳細は1500番台を参照。ただし、分割民営化時にJR北海道へ承継された車両がある。詳細は後述。
東日本地区
東北を中心とした東日本地区での使用車両は、以下の車両基地に配置された。
- 仙台運転所(→仙台電車区→仙台車両センター)
- 青森運転所(→青森車両センター→盛岡車両センター青森派出所)
- 秋田運転区(→南秋田運転所→秋田車両センター)
- 勝田電車区(→勝田車両センター)
- 上沼垂運転区(→新潟車両センター)
1965年に483系48両が仙台運転所に配置され、同年10月1日の東北本線仙台 - 盛岡間電化に伴うダイヤ改正より上野 - 盛岡間「やまびこ」1往復、上野 - 仙台間「ひばり」2往復での運転を開始した[56]。当初は、8両編成x2本が1本充当、10両編成x3本が2本充当とし、それぞれ1編成ずつが予備。サロ481形2両が増結用を兼ねた予備車として運用された[56]。
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1968年10月日ダイヤ改正により、奥羽本線米沢 - 山形間が交流20,000 V・50 Hzで電化され、上野 - 山形間の特急「やまばと」が電車化された[3]。これに合わせて交流50 Hz・60 Hz両用の485系が初投入され、仙台運転所に45両が配置された[3]。また「ひばり」も2往復から6往復に「やまびこ」1往復が増発され本系列による運用となった[3]。このほか「やまばと」に併結していた会津若松発着編成は「あいづ」として独立させ、改正に先立ち同年9月17日から本系列で運転開始となった[注 124]。
- 奥羽本線福島 - 米沢間では板谷峠区間に平均33.3 ‰、赤岩駅付近には最大38.0 ‰の急勾配があり、MM'ユニット1組が故障した際も上り勾配で起動可能なMT比2:1にする必要が生じた[58]。仙台運転所の10両編成は6M4TのためMT比2:1を満たせず、奥羽本線は変電所容量からMM'ユニットは3組までに制限されたため8M4Tの12両編成の組成が不可であったこと[58]。さらに「あいづ」も磐越西線内ホーム有効長の関係から9両まで制約もあり、MT比2:1で1等車・食堂車を組み込んだ編成組成が要求された。このため仙台運転所編成は、サロ481形に先頭車化改造を施工した7両と新製車4両のクロ481形を落成させ上野方先頭車として組込んだ6M3Tの9両編成に組成変更した[58]。
- 上述した組成変更に対応して、同年6月までにクロ481-1 - 4とクハ481-29を落成させダイヤ改正前の6月11日から9両編成での運転が行われた。ただし夏期繁忙期の7月19日 - 9月24日までは、早期落成したMM'ユニット5組を活用し、仙台方クハ481形の次位に組込み11両編成での運転を実施。
- 配置は9両編成x10本と予備車7両の計97両となったが、10編成すべてで「ひばり」6往復・「やまびこ」1往復・「やまばと」2往復・「あいづ」1往復に充当となったことから[59]、当初は「ひばり」1往復を季節列車とし、1969年6月に9両編成x1本を増備。同年10月1日ダイヤ改正で定期列車化した[60]。
- 仙台運転所運用(1969年10月)
- 運用1:仙台1830(24M ひばり6)2228上野
- 運用2:上野0900(13M ひばり2)1258仙台1420(20M ひばり4)1818上野【1856(8023M ひばり51)2258仙台】
- 運用3:【仙台0543(8012M ひばり51)0955】上野1100(15M ひばり3)1458仙台1600(22M ひばり5)1958上野
- 運用4:上野0730(11M ひばり1)1128仙台1220(18M ひばり3)1618上野1700(1015M やまばと2)2135山形
- 運用5:山形0755(1012M やまばと1)1230上野1320(1011M やまばと1)1755山形
- 運用6:山形1235(1016M やまばと2)1710上野…東京1825(23M ひばり6)2225仙台
- 運用7:仙台0900(14M ひばり2)1258上野1415(1013M あいづ)1750会津若松
- 運用8:会津若松1035(1014M あいづ)1410上野1500(19M ひばり4)1858仙台
- 運用9:仙台0730(12M ひばり1)1130東京1255(17M やまびこ)1915盛岡
- 運用10:盛岡0900(16M やまびこ)1520東京…上野1630(21M ひばり5)2028仙台
- 斜体:1968年10月1日 - 1969年9月30日は季節列車(6012M・6011M)
- 【】:臨時列車で運転日以外は上野口で夜間滞留
1970年7月1日ダイヤ改正では、高需要のため同年5・7月にモハ485・484-34 - 39・サハ481-1 - 6を新製配置し、「ひばり」3往復と「やまびこ」1往復を12両編成化[61]。予備車の活用も含め12両編成x5本で4運用充当、9両編成x7本で6運用充当となり、「ひばり」1往復が増発された。
- 本改正に先立ち同年6月21日から、既存の9両編成も含み順次3号車のサシ481形と4・5号車のMM'ユニットを入替て食堂車を6号車にする組成変更が実施された[61]。
さらに同年9月11日にはモハ485・484-40 - 43・サハ481-7 - 10が落成、10月1日ダイヤ改正では12両編成x9本で8運用充当、9両編成は編成両数制約のある「あいづ」と送り込みならびに帰所を兼ねた「ひばり」1往復のみの2運用充当となった[62]。
1972年3月15日ダイヤ改正では、1971年2月以降に46両の新製と向日町運転所からサシ481-22の転入による大量増備が行われ「やまびこ」2往復「ひばり」2往復[注 125]「やまばと」1往復が増発された[63]。
- 本改正に向けた増備車のうちクロ481形・クハ481形は設計変更を行った100番台となった。
- ダイヤ改正までの車両有効活用の面から、臨時列車も増発。中には滞留先を入れ替える夜行運転による充当も行われたほか、後述する青森運転所への配置開始後には全電化区間をキハ81系気動車で運転していた「ひたち」臨時2往復に充当しており、本系列としては初めて常磐線での営業運転が実施されたした[64]。
本改正後の同年6月15日から新たに青森運転所へサロ481形を組込んだ12両編成x3本と予備車9両の計45両が配置され[65]、当初は仙台運転所からの運用移管で「ひばり」3往復と「やまびこ」臨時2往復を担当した[64]。
- 出入所運用がなかったため車両は仙台運転所へ常駐による対応となった。
1972年10月2日ダイヤ改正では、同年8月5日に交流電化された羽越本線新津 - 秋田間ならびに奥羽本線秋田 - 青森間でキハ81・82系気動車で運転されていた「白鳥」「いなほ」と間合い運用で充当されていた「ひたち」の本系列化[66][注 126]ならびにさらなる増発ともに一部列車のエル特急化が行われ、以下の変更が実施された[67]。
- 青森運転所[65]
- 配置を131両まで拡大し以下の運用を担当。
- 13両編成(2本充当)
- 「白鳥」大阪 - 青森1往復
- 12両編成(7本充当)
- 「いなほ」上野 - 秋田・青森(上越線・羽越本線経由)2往復
- 「やまびこ」上野 - 盛岡3往復
- 「ひばり」上野 - 仙台4往復
- 仙台運転所[66]
-
- 12両編成(9本充当)
- 「やまびこ」東京・上野 - 盛岡2往復
- 「ひばり」東京・上野 - 仙台6往復
- 「やまばと」上野 - 山形3往復
- 9両編成(4本充当)
仙台運転所運用では、「ひばり」への9両編成充当が終了し、「あいづ」は「ひたち」と共通運用に変更となった。青森運転所への増備は改正後も続き、11月1日から「やまびこ」は休日運転1往復を含む3往復充当に変更。翌1973年3月24日からは「はつかり」季節列車1往復にも充当された。
- 「白鳥」は大阪 - 青森間で直流1500 V・交流20,000 V・50 / 60 Hzの3種類電化方式区間を通過するため481系・483系は使用できず、3電源対応の485系を活かす初めての列車となった[65]。
- 青森運転所の運用は長距離かつ仙台・盛岡・秋田などで停泊が続き1週間近く帰所できず[注 127]、不定期列車の運休日には丸一日上野口で停泊や折り返し間合時間を長めに取られる物も存在した。これは首都圏側に配置車両がなかったため車両故障や雪による遅延でダイヤが混乱した際、後続の折り返し列車に停泊編成を充当させることで定時性確保や不用意な運休を避けるための措置である。しかし運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため青森 - 上野で回送列車を仕立てたり仙台運転所の車両で代走させるなどして対応した。
1973年1月にはサロ481-84 - 86を仙台運転所へ新製配置。同月31日から12両編成に組込「ひばり」2運用3往復がグリーン車2両組込13両編成での運転が開始され[68]、東北特急の編成は以下の5種類になった。
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1973年3月31日をもって東京 - 上野間の回送線を使用した特急運転が東北・上越新幹線工事の影響で廃止されることになり[注 128]、「やまびこ」「ひばり」の東京駅乗り入れが中止。同年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」「ひばり」2往復「ひたち」1往復を12両編成で増発し[69]、「やまびこ」運用をすべて青森運転所へ集約。1974年4月1日からは「ひたち」運用の12両編成充当を1往復から3往復に増強し[70]、1975年3月10日ダイヤ改正で「ひたち」はさらに2往復増発で8往復体制となり、東北特急は以下の体制となった[71]。
- 青森運転所
-
- 13両編成(2本充当)
- 「白鳥」大阪 - 青森1往復
- 12両編成(16本充当)
- 「はつかり」上野 - 青森(東北本線経由)2往復
- 「いなほ」上野 - 秋田・青森(上越線・羽越本線経由)2往復
- 「やまびこ」上野 - 盛岡5往復
- 「ひばり」上野 - 仙台4往復
- 「やまばと」上野 - 山形1往復
- 仙台運転所
-
- 13両編成(2本充当)
- 「ひばり」上野 - 仙台3往復
- 12両編成(9本充当)
- 「ひばり」上野 - 仙台3往復
- 「やまばと」上野 - 山形2往復
- 「ひたち」上野 - 山形2往復
- 「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)5往復
- 「あいづ」上野 - 会津若松1往復
- 9両編成(3本充当)
- 「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)3往復
- 「あいづ」上野 - 会津若松1往復
- 度重なる増備にも関わらず、車両不足や運用に余裕がないなどの諸事情で本来特急列車として運転されるところを455・457系電車による急行列車として運転された列車に臨時急行「エコーもりおか」と仙台 - 青森の「くりこま」がある。詳細についてはこちらも参照。
- 同年5月以降は仙台運転所12両編成に組成されていたクロ481形とサハ481形は、翌1976年から運転される「かもめ」「みどり」へ転用のためクハ481形とサロ481形に差替えられた。
1975年11月には、奥羽本線秋田電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」を電車化[72]。秋田運転区に当初は200番台、翌年から1000番台が投入されるが、この頃が東北方面本系列特急のピークである。
- 「つばさ」は1日2往復運転のために本来3編成でも運用が可能なところ、有効時間帯の見直しも含め4編成での運用を行った。これは豪雪地帯である奥羽本線内で雪による遅延に備え、当初は在来車による運行を考慮したためである。このため秋田運転区には、12両編成x5本と予備車のMM'ユニット1組2両・クハ481形2両・サロ481形1両・サシ481形1両計66両、1976年4月の1000番台置換え後は12両編成×6本の計72両が配置された。
- 運用1:秋田0840(1042M つばさ1)1616上野
- 運用2:上野0804(1041M つばさ1)1539秋田
- 運用3:秋田1340(1044M つばさ2)2115上野
- 運用4:上野1204(1043M つばさ2)1939秋田
- 従来の東北特急では、583系を含みグリーン車が上野寄り1・2号車のどちらかもしくは双方に組成されていたのに対し「つばさ」では6号車に組成された。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、トラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更するには編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。
1978年10月2日ダイヤ改正では、「はつかり」1往復「ひばり」2往復「ひたち」3往復「やまばと」1往復区間延長→「つばさ」増発を実施したが、東北本線・高崎線で規格ダイヤが導入され特急列車の所要時間が軒並み増大した[73]。なお本改正では、食堂車を営業休止する列車も設定されたほか、上野口特急グリーン車連結位置に関して信越・上越方面の列車も含めて連結位置を統一する動きがあり、仙台運転所のクロ481形組込9両編成と臨時列車として設定されていた183系1000番台7両編成の「白根」を除き6号車、2両組込編成では6・7号車に統一されたことを含め以下の編成変更や運用移管が行われた。
- 青森運転所(12両編成x22本 予備車5両)
- 12両編成はグリーン車を6月から順次6号車に変更
- 「白鳥」用13両編成は改正前の8月8日からグリーン車1両を減車し、同月15日から6号車に変更。
- 「やまばと」1往復ならびに秋田発着「いなほ」を秋田運転区へ移管
- 運用は17編成で以下の列車に充当
- 「白鳥」大阪 - 青森1往復
- 「はつかり」上野 - 青森(東北本線経由)3往復
- 「いなほ」上野 - 青森(上越線・羽越本線経由)2往復
- 「やまびこ」上野 - 盛岡4往復
- 「ひばり」上野 - 仙台4往復
- 秋田運転区(12両編成x12本)
- 運用は9編成で以下の列車に充当
- 「つばさ」上野 - 秋田(奥羽本線経由)3往復
- 「いなほ」上野 - 秋田(上越線・羽越本線経由)1往復
- 「やまばと」上野 - 山形3往復
- 1979年7月1日より2編成増備で秋田発着「いなほ」1往復を増発。
- 仙台運転区(12両編成x15本 9両編成x6本 予備車5両)
- 13両編成は改正前の5月26日から随時サハ481形を抜き取り12両へ短縮。さらに9月21日からクロ481形をクハ481形に置換えてグリーン車2両組込編成は消滅した。
- 従来から在籍していた12両編成も9月21日からグリーン車連結位置を変更。
- 9両編成はサシ481形→サハ481形に置換え。
- 「やまばと」運用を秋田運転区へ移管。
- 12両編成は12本で以下の列車に充当。
- 「ひばり」上野 - 仙台(東北本線経由)11往復
- 「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)6往復
- 9両編成は4本で以下の列車に充当。
- 「ひたち」上野 - 平・原ノ町・仙台(常磐線経由)5往復
- 「あいづ」上野 - 会津若松1往復
1982年の東北・上越新幹線大宮暫定開業に伴い上野発着「いなほ」は「鳥海」に改称し1往復のみ残置。奥羽本線・磐越西線直通特急の一部と「ひたち」を除き軒並み廃止・削減され、主力は食堂車を不連結とした編成に再組成した上で以下の新幹線連絡列車となった[74]。
- 盛岡 - 青森(東北本線経由)「はつかり」
- 盛岡 - 秋田・青森(田沢湖線・奥羽本線経由)「たざわ」
- 新潟 - 秋田・青森「いなほ」
1985年3月14日ダイヤ改正による東北・上越新幹線上野開業では東北特急は新幹線連絡の性格を強め短編成化が実施されると共に以下の変更を実施[75]。
- 「やまばと」全廃
- 「鳥海」臨時列車格下げ
- 「白鳥」運用を向日町運転所に移管
- 東北本線経由で本系列による上野発着列車は「つばさ」と共通運用の「あいづ」各1往復。
- 常磐線急行「ときわ」はすべて「ひたち」に格上げし運用を勝田電車区に移管 下り12本・上り11本を増発し下り24本・上り23本の運転体制に変更
- これにより仙台運転所の本系列配置がゼロになると共に九州からクハ481形初期ボンネット車が多数転入した。
1986年11月1日ダイヤ改正では上沼垂運転区に72両を配置。9両編成x8本を組成し、以下の運用に充当された[76]。
- 運用1:新潟0904(4018M 雷鳥18)1556大阪
- 運用2:大阪1040(5001M 白鳥)2340青森
- 運用3:青森0450(5002M 白鳥)1801大阪
- 運用4:大阪0750(4003M 雷鳥3)1437新潟1700(1018M 北越8)2045金沢
- 運用5:金沢0744(1013M 北越3)1142新潟1315(4030M 雷鳥30)2005大阪
- 運用6:大阪1150(4013M 雷鳥13)1844新潟
- 臨時1:新潟1119(8021M いなほ81)1402酒田1503(8024M いなほ84)新潟
- 臨時2:新潟(回送)長岡0841(9030M 北越80)1128金沢1633(9035M 北越85)1742長岡(回送)新潟
この体制で国鉄分割民営化を迎えた。
西日本地区
1964年に481系の第1陣となる41両が向日町運転所へ新製配置され、1964年12月25日より「雷鳥」「しらさぎ」の各1往復に11両編成で営業運転を開始した[77][78][79]。東海道新幹線が開業した1964年10月1日ダイヤ改正で「雷鳥」「しらさぎ」の列車ダイヤは設定されていたが、車両落成がダイヤ改正後の同年10月末となったことから運休扱いとなり、試運転を経て12月からの営業運転開始となった[77]。
- 運用1:大阪1230(2001M 雷鳥)1715富山1815(2004M しらさぎ)2240名古屋
- 運用2:名古屋0800(2003M しらさぎ)1225富山1335(2002M 雷鳥)1820大阪
一方、東海道新幹線開業により新大阪 - 博多へ運転区間を変更した「つばめ」「はと」は、九州内交流電化区間では下関 - 門司間がEF30形、門司 - 博多間がED73形の両電気機関車による牽引とし車内電源用にサヤ420形電源車を連結した上で直流用151系で運転されたが[80]、翌1965年には481系増備車56両が落成。11両編成x8本と予備車9両の計97両配置となり、同年10月1日ダイヤ改正で「つばめ」「はと」を置換え[注 129]。運用は6編成充当で「つばめ」は運転区間を名古屋 - 熊本へ延長した[57][81]。1966年10月1日改正では1運用増により「雷鳥」は2往復へ増発された[82]。
- 運用1:大阪1800(2003M 第二雷鳥)2240富山
- 運用2:富山0645(2002M 第一雷鳥)1130大阪1240(2001M 第一雷鳥)1710富山1810(2012M しらさぎ)2235名古屋
- 運用3:名古屋0915(3M つばめ)2206熊本
- 運用4:熊本0805(4M つばめ)2052名古屋
- 運用5:名古屋0800(2011M しらさぎ)1225富山1335(2004M 第二雷鳥)1820大阪
- 運用6:新大阪1330(5M はと)2215博多
- 運用7:博多0755(6M はと)1640新大阪
1968年10月1日のダイヤ改正では、南福岡電車区の581・583系配置両数が141両となり、「つばめ」「はと」運用を移管[83]。引換に向日町運転所の九州特急運用は1967年10月1日ダイヤ改正でキハ82系から581系へ置換えられた大阪 - 大分間「みどり」に充当となったほか、北陸特急では「雷鳥」が2往復から3往復、「しらさぎ」が1往復から2往復増発に充当された[59][83]。
また本改正から最高運転速度が110→120 km/hへアップされたことから、各列車の所要時間も短縮された。
- 運用1:大阪1800(2005M 雷鳥3)2218富山
- 運用2:富山0645(2002M 雷鳥1)1105大阪1230(2003M 雷鳥2)1645富山
- 運用3:富山0555(22M しらさぎ1)0959名古屋1315(23M しらさぎ2)1714富山1750(24M しらさぎ2)2153名古屋
- 運用4:名古屋0815(21M しらさぎ1)1214富山1325(2004M 雷鳥2)1747大阪
- 運用5:大阪0945(2001M 雷鳥1)1400富山1545(2006M 雷鳥2)2007大阪
- 運用6:新大阪0928(1M みどり)1905大分
- 運用7;大分1005(2M みどり)1942新大阪
上述した「みどり」を除いた山陽九州昼行特急は以下の系列が充当された[84]。
- 583系(南福岡電車区担当)
- 「つばめ」名古屋 - 熊本1往復(「金星」と共通運用)
- 「はと」新大阪 - 博多・熊本(博多発着は「月光」と熊本発着は「明星」と共通運用)
- 181系(向日町運転所担当)
1969年10月1日ダイヤ改正に対応して、向日町運転所に初めて485系35両を新製配置[85]。11両編成x3本のほか、MM'ユニット1組は481系予備車9両と新たな編成を組成し、11両編成x13本で11編成を運用に充当した[85]。
山陽特急では、「うずしお」3往復のうち下り3号・上り1号の1往復に本系列を充当[85]、初の全区間直流運転列車となった[60]。捻出された181系は「しおじ」新大阪 - 下関間1往復増発用に転用[85]。
北陸特急では、大阪 - 金沢間に「雷鳥」1往復を増発し4往復となった[86]。増発分は共通運用で上野 - 金沢間を北陸本線糸魚川 - 直江津間ならびに信越本線直江津 - 宮内間電化に伴い信越本線経由から上越線経由に変更で運転した「はくたか」に充当された[86][60]。これにより向日町運転所配置車は、東は上野、西は大分までの広域運用を行うこととなったほか[87]、大阪 - 新潟間臨時特急「北越」も設定され翌1970年3月1日に定期列車化された[88][89]。
- 運用1:新大阪1735(1015M うずしお3)2025宇野
- 運用2:宇野0840(1012M うずしお1)1132新大阪…大阪1430(2015M 北越)2211新潟
- 運用3:新潟0700(2016M 北越)1449大阪1800(2007M 雷鳥4)2219富山
- 運用4:富山0645(2002M 雷鳥1)1105大阪1240(2005M 雷鳥3)1654富山
- 運用5:富山0555(22M しらさぎ1)0959名古屋1315(23M しらさぎ2)1714富山1750(24M しらさぎ2)2153名古屋
- 運用6:名古屋0815(21M しらさぎ1)1214富山1325(2004M 雷鳥2)1747大阪
- 運用7:大阪0945(2003M 雷鳥2)1359富山1545(2008M 雷鳥4)2007大阪
- 運用8:新大阪0928(1M みどり)1905大分
- 運用9;大分1005(2M みどり)1942新大阪
- 運用10:大阪0810(2001M 雷鳥1)1147金沢1330(1022M はくたか)2010上野
- 運用11:上野0710(1021M はくたか)1425金沢1510(2006M 雷鳥3)1857大阪
- 「北越」は1970年2月28日までは列車番号8015M・8016Mで運転
また「雷鳥」は1970年10月2日ダイヤ改正では運用見直しで1往復増の5往復化[62]。1971年にはサハ489形を組み込まない489系早期落成車11両編成x2本が配置された。これにより485系運用に余裕が出たことから、「雷鳥」は同年7月30日から6往復化[90]。さらに尾久・金沢・大分で夜間滞留車による「はくたか」や「みどり」の間合いで臨時夜行特急として大阪 - 大分「夕月」ならびに上野 - 富山「はくたか51号」にも充当された。
1972年3月15日には山陽新幹線新大阪 - 岡山間暫定開業に伴うダイヤ改正が実施された[63][91]。向日町運転所への485系増備はないものの代わりに信越本線横川 - 軽井沢間でEF63形との協調運転に対応した前年から製造開始された489系が12両x4編成と485系と共通運用される11両編成x1本を組成。12両編成は3編成を充当し、送り込みと帰所を兼ねた「雷鳥」との共通運用で上野 - 金沢間「白山」の運転を開始した[92]。これにより「雷鳥」は8往復運転となった[63]。
- 489系運用1:大阪1830(4029M 雷鳥10)2245富山‥金沢
- 489系運用2:金沢0700(3006M 白山)1334上野1425(3005M 白山)2053金沢
- 489系運用3:金沢‥富山0715(4012M 雷鳥1)1130大阪1230(4021M 雷鳥6)1640富山1715(4030M 雷鳥10)2130大阪
また同年夏期には東京・上野 - 中軽井沢間季節特急「そよかぜ」2往復にも充当されたほか、さらに増備が続き同年11月までに12両編成x6本まで増強。同月24日から従来の「白山」は上り「白山1号」下り「白山2号」へ変更の上で2往復化[注 130]、「雷鳥」は2往復増の10往復運転となった[93]。
- 489系運用4:大阪0900(4015M 雷鳥2)1225金沢1255(3008M 白山2)1942上野
- 489系運用5:上野0925(3007M 白山1)1555金沢1640(4026M 雷鳥8)2010大阪
なお「白山」運用は1973年4月1日付で金沢運転所へ移管。車両は段階的な転出が1974年4月までに実施された。
1969年10月から運転されていた「はくたか」は交流区間が商用周波数60 Hzのため金沢で「雷鳥」を介して共通運用が組まれたが、冬期は豪雪地帯の上越線を経由するため下り「はくたか」は大幅遅延も多く、その影響は上り「雷鳥」にまで波及してしまうことから、本ダイヤ改正から上り「はくたか」発車時刻を下り「はくたか」到着時刻より遅くする以下の変更を実施した[63]。
- 改正前
- 上野0710(1021M はくたか)1425金沢1510(2006M 雷鳥3)1857大阪
- 大阪0810(2001M 雷鳥1)1147金沢1330(1022M はくたか)2010上野
- 改正後
- 上野0830(3001M はくたか)1450金沢1610(4022M 雷鳥6)1944大阪
- 大阪1030(4015M 雷鳥3)1353金沢1515(3002M はくたか)2139上野
下り「はくたか」が遅延した場合には下り「雷鳥3号」から上り「はくたか」に入る予定の編成を上り「雷鳥6号」で大阪に戻し、遅延した下り「はくたか」は最初から遅延を前提に上り「はくたか」として上野に送り返す運用変更により「雷鳥」の定時運行が確保された。しかし「はくたか」の遅延が慢性化すると折り返し運用が続き当該編成が向日町に戻ることができず、検修の問題から車両交換に伴う回送列車を向日町 - 金沢に仕立てたほか金沢運転所の489系による代走など弊害が発生した[94]。
山陽九州特急の多くは岡山発着になり、大阪発着では「うずしお」が廃止となるが、「しおじ」は残存した[95]。また岡山 - 博多・熊本「つばめ」と岡山 - 下関「はと」ほか[96]、以下の列車に充当された。
- 「みどり」新大阪・大阪 - 大分2往復
- 「しおじ」新大阪 - 広島1往復
- 「つばめ」岡山 - 博多2往復
- 「はと」岡山 - 下関1往復
さらに同年4月27日からは「みどり」の間合い運用で日豊本線博多 - 大分間「にちりん」1往復にも充当[97]。初の全区間交流運転となる九州島内運用も開始された。
- 大阪0825(1M みどり)1753大分2038(4014M にちりん2)2333博多
- 博多0753(4013M にちりん2)1050大分1120(2M みどり)2038新大阪
- 博多口では「つばめ」と共通運用を実施。
また本改正では1968年以降中断していた181系の関東地区転用による置換えを含め向日町運転所配置車は段階的な増備を実施し、小刻みな運用変更ならびに増発も行われた。
- 1972年3月15日:11両編成x15本 13編成充当
- 1972年4月27日:11両編成x17本 15編成充当
- 1972年5月4日:11両編成x18本 16編成充当
- 1972年10月2日:11両編成x21本 19編成充当
- 1973年3月1日:11両編成x31本 29編成充当
- 1973年4月1日:11両編成x32本 30編成充当
- 1973年5月30日:11両編成x33本 30編成充当
- 1973年7月1日:11両編成x35本 30編成充当
また上述した編成には、共通予備としてサハ489形を除外した489系11両編成は1974年3月まで1ないし2編成が含まれるほか、1973年5月25日をもって向日町運転所の181系運用は終了。その結果、充当定期列車は以下となった[98]。
- 「はくたか」上野 - 金沢(上越線経由)1往復
- 「北越」大阪・金沢 - 新潟3往復
- 「雷鳥」大阪 - 金沢・富山7往復
- 「しらさぎ」名古屋 - 富山3往復
- 「みどり」大阪・岡山 - 大分2往復
- 「つばめ」岡山 - 博多・熊本4往復
- 「しおじ」新大阪・大阪 - 広島・下関3往復
- 「はと」岡山 - 下関5往復
- 「にちりん」博多 - 大分1往復
1973年10月1日ダイヤ改正では以下の変更を実施[69]。
- 大阪0705(1M なは)2004西鹿児島0800(2M なは)2101大阪
- 大阪発着「みどり」は列車番号を33M・34Mへ変更。
- 「北越」の金沢発着1往復・大阪発着1往復を金沢運転所489系へ運用移管
- 「雷鳥」充当を9往復へ増強
- 「つばめ」充当を5往復へ増強
本系列は11両編成x35本と予備のMM'ユニット1組とクハ481形1両の計364両を配置。運用には30編成が充当された。
1974年4月25日ダイヤ改正では日豊本線南宮崎電化で「日向」へも充当された[99]。
- 大阪0725(31M 日向)2017宮崎0930(32M 日向)2243大阪
向日町配置車は11両編成x37本計382両で定期32運用が組まれ新潟・上野・宮崎・西鹿児島とさらに広域運用が行われた[注 131]。
1975年3月10日の山陽新幹線博多開業に伴うダイヤ改正により、山陽本線昼行特急は全廃となった[71][101]。向日町運転所の485系は407両のうち204両が余剰となり、余剰車の大多数が九州へ転用された[101]。
向日町配置車は北陸運用充当車を除いて南福岡と鹿児島ならびに青森・金沢へ転出した結果、11両編成x13本計141両まで減少したものの翌1976年には12両化のためサハ481-101 - 113が新製配置された[注 132]。また1981年の神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)開催中は三ノ宮 - 富山間臨時特急「ポートピア」に充当された[102]。
- 富山0546(9040M ポートピア)1025三ノ宮1702(9043M ポートピア)2200富山
1982年11月15日の東北・上越新幹線暫定開業に伴うダイヤ改正により大幅運用減となった東北地区から23両、運用見直しで金沢運転所から10両、南福岡電車区から3両が転入し12両編成x16本計192両となったが、1984年以降サシ481形を編成から外す一方で一部編成ではサロ481形500番台を組み込むなどの組成変更を実施。1985年3月14日のダイヤ改正では再び東北地区とから余剰車が大量転入し273両まで増加したものの1986年11月1日のダイヤ改正で民営化を見据えた日本海縦貫線の特急運用見直しにより44両が上沼垂運転区へ転出。また余剰車の一部が廃車もしくは車種間改造を施工され同所から転出。民営化時には保留車5両を含む194両が配置された。
金沢運転所への車両配置は、1973年4月1日付で向日町から「白山」「雷鳥」の運用移管による489系転入が起源で、増備により「北越」「あさま」のほか、季節特急「そよかぜ」にも充当された。
1975年3月10日ダイヤ改正で「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更。「しらさぎ」5往復への充当と米原発着の「加越」運転開始に伴い485系も配置された。その後、金沢運転所の北陸本線運用では485系・489系の混結運用を開始。横軽区間が介在するため489系限定の「白山」は1978年7月に3MG化と食堂車を廃止し暫定10両編成に変更。同年10月2日より「白山」と上越線経由の「はくたか」は共通運用化し、1979年4月20日から再び12両編成に変更[注 55]。
1982年の上越新幹線開業で「はくたか」は廃止、「白山」は食堂車を復活させたものの1985年には再廃止など4回の編成組成を経て、分割民営化を前に「あさま」用189系補完のため27両が長野第一運転区[注 82]へ転出し、民営化時には485系・489系併せて187両が配置された。
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また、1985年3月14日ダイヤ改正では紀勢本線特急「くろしお」を4往復増発する際、他地区で余剰となっていた485系44両を日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)に配置し充当したが、諸事情により翌1986年11月1日ダイヤ改正で福知山運転区と南福岡電車区に全車転出した。詳細はこちらを参照のこと。
九州地区
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「有明」
-
「にちりん」
-
「かもめ」
後方4両は「みどり」 -
「みどり」
前方8両は「かもめ」
九州地区で運用は1965年10月1日ダイヤ改正で本州から乗入の「つばめ」「はと」が起源であるが[57]、向日町運転所所属車による本州からの直通運用のみで、島内のみ運行される列車への充当は、1972年4月27日から「みどり」の間合い運用で博多 - 大分間の「にちりん」増発1往復分への投入からである[97]。
1975年3月10日の山陽新幹線博多開業によるダイヤ改正で本州から昼行特急は全廃[97]。余剰車が向日町運転所から南福岡電車区と鹿児島運転所に転入し、以下の列車に充当された。
- 南福岡電車区
- 「にちりん」博多・小倉 - 宮崎3往復
- 鹿児島運転所
- 「有明」小倉・博多 - 西鹿児島7往復
- 「にちりん」博多・小倉 - 大分・宮崎4往復
南福岡転入車の運用数が少ないのは、当初同年電化完成であった長崎本線・佐世保線への充当が予定されていためであり、電化の遅れにより充当予定車は一時的に秋田運転区へ転出し「つばさ」本系列化に充当された。
- 詳細は#奥羽本線・長崎本線・佐世保線電化を参照。
1000番台落成により秋田転出車の再転入と共に青森運転所や仙台運転所からも車両が転入するが、後に一部は本州に再転出した。なお九州地区に新製配置された車両は長崎本線・佐世保線電化用名義のMM'ユニット9組18両[注 134]とサハ481-114 - 118の5両のみである。
長崎本線・佐世保線全線電化に伴う1976年7月1日ダイヤ改正では、小倉・博多発着で本系列初の併結列車となる「かもめ」「みどり」が運転開始となり、南福岡配置車により充当された[104]。
分割併合は肥前山口で行っていたが、1986年11月の改正ではすべて分離運転となった。
- この体制は民営化後に783系による運用が開始するまで継続した。
1980年代に入ると九州内でのサシ481形食堂営業が1980年9月30日で終了。初期車の置換えが始まり、鹿児島所属の481系MM'ユニットならびにサシ481形AU12形分散式冷房装置搭載車は1985年までに淘汰された。またモハ484形第2パンタグラフの撤去も開始された[注 135]。
1984年2月改正では九州内の583系運用が終了[105]。1985年3月[75]および1986年11月[76]の改正では充当列車は変わらないものの急行列車からの格上げや増発により運用数が大幅に増加した。また増発による短編成化も推進され先頭車化改造や半室グリーン車化が推進され「有明」では3両編成も組成された。
JR化直前の1987年3月21日からは、熊本発着「有明」のうち2往復を毎日運転の臨時普通列車として、当時非電化だった豊肥本線水前寺[注 136]まで熊本機関区[注 137]所属のDE10形ディーゼル機関車[注 138]で下りは牽引、上りは推進により延長運転を開始した[107]。
- サービス電源は併結改造を施工したスハフ12形[注 139]を、同年7月以降は三相交流440 Vで出力容量275 kVAのディーゼル発電機ならびに自動空気ブレーキと電気指令式ブレーキの相互読替装置などを搭載する改造を施工したヨ28001・28002を連結して対応した。
- JR化直後の1987年5月6日以降は水前寺延長運転を5往復に増発[注 140]。
- 1988年3月13日ダイヤ改正により一部列車を783系充当に変更。また水前寺延長を定期列車化し、引続き1994年7月まで行われた。
分割民営化時にはJR九州に324両が承継された。
広域転配
485系で3電源方式を採用した真の狙いは、電源方式を選ばない特性から全国に渡る広域転配を可能にしたことである。実際に、国鉄時代には以下のような広域転配が何度となく行われた。
山陽新幹線博多開業
山陽新幹線博多開業により山陽本線の昼行特急は全廃され、新幹線連絡の「有明」「にちりん」が増発されることになった。そのため北陸方面で運用する車両を除き、向日町運転所所属車が南福岡電車区・鹿児島運転所・青森運転所・金沢運転所へ転出した。
- 鹿児島にはモハ481・480形を含む初期車11両編成×7本の77両、南福岡にはクハ481形・モハ484形は200番台に限定した中期型以降「にちりん」充当用11両編成×6本とサシ481形を除外した10両編成×3本ならびに予備のMM'ユニット3組6両・サロ481形8両の110両に振分けられた。
- 青森にはクハ481-249・250[注 141]とサシ481-64の計3両、金沢にはサシ481-65 - 67の3両が転出した。
- これは長崎本線・佐世保線電化時に運転開始の「かもめ」「みどり」は分割・併合運用を行うことが予定されており、さらにはサシ481形が編成に組成されないこと。青森・金沢転出車は別途新造車ならびに他車両基地からの転入車と併せて運用移管や増発もしくは予備車増強という目的があった。
- 車両を上述した鹿児島向け・南福岡向け・青森ならびに金沢転出・向日町残留に振分けするため半年近く前から編成替えや運用に細心の注意を払い準備した。転出目的の回送列車を極力減らし、そのまま改正ダイヤでの新列車運転をスムーズに行うため前日に九州地区・下関・広島で運用が終了する編成は軒並み転出車で運転された。
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奥羽本線・長崎本線・佐世保線電化
奥羽本線羽前千歳 - 秋田間電化は1976年度に予定されており、キハ181系で運行されていた「つばさ」は耐寒設備を強化した本系列1000番台を新製し置換える計画であったが、工事は早期完了し1975年11月に電化開業の見通しに変更された。
一方で長崎本線・佐世保線電化は1975年に完成予定であったが、工事の遅れから1976年7月に延期された。そこで「つばさ」用1000番台落成までの約半年の間、山陽新幹線博多開業によって向日町から南福岡に転属したものの休車扱いとなっていた「かもめ」「みどり」充当用200番台車を一時的に秋田運転区へ転出させ「つばさ」に充当する計画が立案された。しかし、この転用は以下の理由が絡み合う複雑なものであった。
- 長崎・佐世保特急は分割併合のためクハ481形200番台の使用を予定していたが、逆に東北地区では隙間風の侵入や居住性で乗務員からの不評も多く300番台の投入が要求されていたため車両交換を伴う必要。
- 「みどり」は4両編成でかつグリーン車連結のためクロ481形が、「かもめ」は組成上サハ481形が必要なため仙台所属車を転用。
- 転入前の向日町時代と各列車の編成が大きく異なる。
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このため南福岡配置車は以下に分類された。
- 南福岡残留車:「にちりん」充当用11両編成×6本[注 43]。
- 仙台転入車:「かもめ」「みどり」充当用で同所のクロ481-1・2・51 - 57とサハ481-3 - 11が1975年5月から6月にかけて南福岡に転入。クロ481形は全車、サハ481形は「にちりん」充当用6両[注 43]を除き両列車運転開始まで休車。
- クロ481形は方向転換も実施するため郡山工場で事前に両渡り構造への改造を施工[注 142]
- 秋田転出車:「つばさ」充当用。
- 青森転出車:サロ481-98(車両需給調整)
- 仙台転出車:クハ481-243・244・サロ481-92 - 97
- 仙台転出車は、クロ481形・サハ481形との車両交換名目のほか、別途製造されたMM'ユニットと組合せ増発と予備車確保の目的による。
また東北地区先頭車取替名義で青森運転所へクハ481形300番台を新製配置し、捻出された200番台を転用したほか、サロ481形6両は後の1000番台改造を前提とした設計変更を行った6両が新製され、南福岡からの転入車を合わせて以下の車両が秋田運転区に配置された。
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翌1976年春に1000番台が落成。秋田に配置されたことにより、1000番台対応引き通し線追加改造を施工したサシ481形を除いた全車が南福岡に再転入し、同年7月1日から「かもめ」「みどり」に充当された。
- このほかにサロ481-98が青森から、さらにクハ481形では東北地区へ300番台投入による捻出で青森から209・211・213・214・249・250が、仙台から243・244が南福岡に転入。またサハ481-114 - 118の5両が新製配置された。
1978年10月改正と特急増発
1978年10月の白紙ダイヤ改正では、急行列車の特急格上げで増収を図り、特急が36本増えた代わりに急行が57本削減された。特に東北地区は利用率が高かったために増発が集中、大量の485系が必要になった。
また、首都圏対北陸を運行する「白山」「はくたか」は増発も行われると同時に信越特急「あさま」上越特急「とき」とのグリーン車連結位置の共通化・食堂車の不連結・3MG化が実施された。そのため次の車両が新造されることになるが、一部列車の増発は車両落成の遅れから1979年7月1日にずれ込んだ。
- 485系1000番台167両(クハ481形 - 31両、サロ481形 - 2両、MM'ユニット64組128両)を青森運転所と秋田運転区に集中配置。
- サロ489形1000番台10両を金沢運転所に配置。
東北地区への1000番台集中投入により、捻出された青森運転所の在来車は、仙台運転所と金沢運転所に転出することになった。
- 青森→金沢転属車(44両)
- クハ481形6両、MM'ユニット19組38両
- 青森→仙台転属車(34両)
- クハ481形7両、MM'ユニット13組26両、サロ481形1両
さらに仙台運転所の9両編成からサシ481形をサハ481形へ置換えることになったが、同時に3MG化も実施したためにMG・CP搭載準備工事が施工されていた向日町運転所の100番台と車両交換を行った。
- 仙台→向日町転属のサハ481-12 - 15
- 向日町→仙台転属のサハ481-101 - 107
- 仙台転入車が多いのは13両編成置換え分も含むため。
- 仙台転入車は1985年3月に向日町へ全車出戻り転属。
- サハ481形補充のために金沢所属の16 - 19も向日町転属となった。
また逼迫する国鉄財政の中で新製費を抑えるため、不足するグリーン車や食堂車は改造で対応することになった。このため以下の改造が施工された。
- サロ481形1000番台化改造:6両(南福岡電車区→秋田運転区)
- サシ481形1000番対応引通線追加改造:5両(金沢運転所4両・仙台運転所1両→秋田運転区)
- サシ489形→サシ481形1000番対応引通線追加改造:3両(金沢運転所→秋田運転区)
- サロ481形→サロ181形改造:3両(鹿児島運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- サロ481形→サロ183形改造:4両(南福岡電車区・金沢運転所・青森運転所→新潟運転所上沼垂支所)
- サロ481形→サロ189形改造:3両(金沢運転所→長野運転所)
さらに2年後の1980年には、北海道で使用されていた1500番台22両が札幌運転所から青森運転所に転属してくると玉突きで200番台車が青森から南福岡電車区に転属した。また仙台運転所からもクハ481形200番台2両とサロ481形1両、MM'ユニット4組8両の計11両が南福岡に転属。これらの車両は、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で九州地区の増発に充当された。
東北・上越新幹線開業
1982年11月15日のダイヤ改正では、6月に開業した東北新幹線の増発と上越新幹線の大宮暫定開業により、本系列を充当する在来線特急は以下の変更を実施した。
- 首都圏と直結する「ひばり」「やまびこ」「とき」「はくたか」は全廃。その他の特急は大幅削減。主力は新幹線連絡列車に移行。
- 常磐特急「ひたち」は余剰車を使って増発。
- 北陸・九州地区で増発を実施。
- 「白山」の食堂車復活。
このために青森運転所・秋田運転区・仙台運転所を中心に他地区へ次のような広域転配が実施された。
- 青森運転所からの転出車両
- 青森運転所→向日町運転所(8両)
- MM'ユニット4組8両
- 青森運転所→南福岡電車区(43両)
- MM'ユニット15組30両 サロ481形13両
- 青森運転所→鹿児島運転所(22両)
- MM'ユニット10組20両 サロ481形2両
- 青森運転所→向日町運転所(8両)
- 秋田運転区からの転出車両
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- サシ481形11両(ただし1両はサシ489形に改造して転属)
- 秋田運転区→向日町運転所(3両)
- サシ481形3両
- 秋田運転区→金沢運転所(11両)
- 仙台運転所からの転出車両
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
- MM'ユニット2組4両 クハ481形4両 サロ481形4両
- 仙台運転所→南福岡電車区(16両)
- クハ481形12両 クロ481形4両
- 仙台運転所→鹿児島運転所(14両)
- MM'ユニット7組14両
- 仙台運転所→向日町運転所(12両)
鹿児島への転出は中間車のみで、老朽化していたモハ481形・480形の取替がその目的であったと言われている。これらの転属車と引換えにモハ481形・480形ユニットは大量廃車が進み、翌年末には3ユニット6両のみが残存、1985年に全廃となった。
東北地区内では次のような転属が行われた。
- 青森運転所→仙台運転所:MM'ユニット6組12両
- 青森運転所→秋田運転区:クハ481形1000番台12両
- 秋田運転区→青森運転所:1000番台MM'ユニット3組6両 サロ481形1050番台3両
「ひたち」編成ではサシ→サハ置換えのためにサハ481-112 - 114が南福岡電車区から仙台運転所への転出を実施。 さらに運用の終了した181系から1978年製のサロ181形1100番台の485系化改造が 施工されたほか、「あさま」増発用に485系の189系化改造も施工された。
- サロ181形→サロ481形改造:6両(新潟運転所上沼垂支所→青森運転所)
- モハ485・484形→モハ189・188形改造:ユニット4組8両(青森運転所→長野運転所)
分割民営化前・短編成化
1985年3月14日のダイヤ改正では東北・上越新幹線上野開業後も残存した「つばさ」1往復・「あいづ」・常磐特急「ひたち」・信越特急「あさま」「白山」・近距離運転の新特急を除き上野乗り入れが打ち切られたが、捻出された車両で他地区での増発を行った。また短編成化の推進によって不足する先頭車の確保も要求されたが、本系列はすでに製造が終了しており、これらには食堂車やグリーン車を含めた余剰車の再利用、つまり改造も含めた以下の広域転配が行われた。
- 東北地区特急列車運用の見直しと短編成化
東北地区では車両の余剰化が激しく、今回の改正では編成替えのために向日町への転出と南福岡・鹿児島への転出が多数を占めることになる。また、「ひたち」は急行「ときわ」を全廃し格上げが行われる増発が図られることになるが、同時に仙台運転所から勝田電車区への移管となるための転属が行われた。増発用車両は青森・仙台・向日町の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット形からボンネット形への置換えが行われ、九州地区から大量に初期車が転入した。これは短編成化した際の座席確保の点から、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネット車を、短編成列車に非ボンネット車を充当させるのが目的で、引換えに東北地区からはクハ481形200・300番台が軒並み向日町や九州地区に転出した。
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また、1000番台の東北地区から他地域転出が初めて行われ、青森運転所や秋田運転区からMM'ユニットのみが向日町運転所に転出した。同時に1500番台のMM'ユニットも全車青森から向日町に転出したが、翌年全車が上沼垂に再転出した。
- 「雷鳥」をはじめとする北陸特急からの食堂車の廃止と和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)の導入
向日町ベースでは食堂車の廃止が行われ、サシ481形改造の和式グリーン車サロ481形500番台「だんらん」の連結、並びに編成替えと増発に必要な車両が青森、秋田、仙台から転入している。翌1986年3月に余剰となったサロ・サシ481形が廃車となったが、一部車両は分割民営化直前に車籍を復活させた。
- 「くろしお」増発分に余剰車投入
気動車急行「きのくに」を置換える形で「くろしお」を4往復増発することになったが、本来381系電車を投入すべきところを経費節減のために余剰化していた本系列の投入で対処した[注 144]。
紀勢本線は季節や区間によって乗客数の変動が大きいため4両編成を2本併結して対応することになった。その際に不足する先頭車は短編成のためMG・CPはクハ481形からの供給で充分と判断されサハ481形・489形から改造のクハ480形を充当。またモハ484形は車掌室装備の600番台に限定した上で4両編成×11本を組成することになり以下の44両が日根野電車区へ配置された。
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しかし、天王寺 - 新宮の所要時間は振子式の381系と比べ1時間半ほど長く[注 145]、従来の気動車急行列車と大差がなく苦情も多発したため381系による置換えが決定、翌1986年11月1日のダイヤ改正で運用を終了。一部のクハ481形はクロハ481形に、クハ480形はMG・CP搭載を施工しクハ481形へ改造の上で「北近畿」運用へ充当される福知山運転区転出車[注 146]と九州地区転出車に分けられた。
- 九州地区の短編成化と初期車老朽化による置換え
1984年2月のダイヤ改正で増発を行った際には短編成化による先頭車不足から、東北・上越新幹線開業による保留車をクハ481形に改造対応した。さらに本改正では、モハ485形→クモハ485形・サロ481形に運転台を取付けクロ480形にするなどの短編成化改造を多数施工し対応した。モハ485形→クモハ485形への改造は、定員数の問題からモハ484形200番台のユニットが充当されたために鹿児島運転所の初期車は南福岡車と交換が行われたほか、青森運転所からMM'ユニット9組18両が転入。また、東北地区にボンネット形クハを大量供出した見返りに非ボンネットクハ16両が南福岡電車区に転入した。
この後、先頭車化改造や半室グリーン車のクロハ481形への改造が頻繁に行われるようになり、短編成化はさらに推進された。そして、国鉄分割民営化時に安定した承継と列車運行を前提とした1986年11月1日国鉄ダイヤ改正では、分社化後の車両運用や供給も考慮された車両転配が行われた。本系列に関しては、些細な転配を除くと以下の特徴がある。
- 「あさま」用として200番台車を中心にした489系27両が金沢運転所から長野第一運転区[注 82]に転出
- 日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行い、新潟運転所上沼垂支所を上沼垂運転区として独立させ青森運転所・秋田運転区・勝田電車区・向日町運転所・金沢運転所からの転入車72両を配置。「雷鳥」「白鳥」「北越」の運用を担当。
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1987年4月の分割民営化で、483系8両・485系1,083両・489系136両がJR4社に承継された。
会社 | 車両 基地 |
Mc | M | M' | Tc (T'c) |
Tsc (T'sc) |
Thsc | Ts | T | Td | 計 | 備考 |
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JR北海道 | 札幌運転所 | 6 | 1 | 7 | 全車保留車 | |||||||
JR東日本 | 青森運転所 | 9 | 31 | 40 | 22 | 9 | 2 | 2 | 115 | Tは増結車 Tdは保留車 | ||
秋田運転区 | 28 | 28 | 24 | 4 | 84 | 全車1000番台 | ||||||
勝田電車区 | 50 4 |
50 4 |
36 | 18 | 154 8 |
この書体は483系 | ||||||
北長野運転所 | 9 | 9 | 6 | 3 | 1 | 28 | 全車489系 Tdは保留車 | |||||
上沼垂運転区 | 24 | 24 | 16 | 8 | 72 | |||||||
JR西日本 | 金沢運転所 | 25 33 |
25 33 |
26 20 |
7 16 |
2 | 83 104 |
この書体は489系 Tdは保留車 | ||||
向日町運転所 | 60 | 60 | 38 2 |
30 | 2 2 |
190 4 |
この書体は489系 Tは保留車 | |||||
福知山運転所 | 18 | 18 | 9 | 9 | 54 | |||||||
JR九州 | 南福岡電車区 | 23 | 48 | 71 | 21 (8) |
10 (15) |
8 | 10 | 10 | 224 | ( )は480形 | |
鹿児島運転所 | 29 | 29 | 28 | 14 | 100 |
国鉄分割・民営化後
最終落成車でも製造から35年以上を経た老朽化・後継形式への更新・アスベスト問題[注 147]などの要因により廃車が進行し、JR北海道・JR西日本・JR九州からは所属車両が既に全廃。JR東日本所属車は2020年4月1日現在で16両が車籍を有するが[109]、定期運用は終了しており臨時運用のみに充当される。
分割民営化時(1987年4月1日)→2020年4月1日 車両数推移 | ||||
---|---|---|---|---|
483系 | 485系 | 489系 | 会社別残存率 | |
JR北海道 | 7→0 | 0 % | ||
JR東日本 | 8→0 | 425→16 | 28→0 | 3.5 % |
JR西日本 | 327→0 | 108→0 | 0 % | |
JR九州 | 324→0 | 0 % | ||
系列別総計 | 8→0 | 1,083→16 | 136→0 | |
系列別残存率 | 0 % | 1.5 % | 0 % |
分割民営化後会社別車両数推移 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西暦 | JR北海道 | JR東日本 | JR西日本 | JR九州 | 総計 | |||
485系 | 483系 | 485系 | 489系 | 485系 | 489系 | 485系 | ||
1987年 | 7 | 8 | 425 | 28 | 327 | 108 | 324 | 1,227 |
1988年 | 7 | 8 | 423 | 27 | 331 | 102 | 324 | 1,222 |
1989年 | 7 | 8 | 425 | 27 | 333 | 100 | 324 | 1,224 |
1990年 | 6 | 2 | 399 | 27 | 334 | 99 | 302 | 1,169 |
1991年 | 0 | 0 | 382 | 29 | 309 | 98 | 302 | 1,120 |
1992年 | 380 | 29 | 300 | 95 | 288 | 1,092 | ||
1993年 | 370 | 29 | 299 | 95 | 263 | 1,056 | ||
1994年 | 368 | 29 | 291 | 95 | 256 | 1,039 | ||
1995年 | 361 | 29 | 291 | 95 | 231 | 1,007 | ||
1996年 | 361 | 29 | 250 | 94 | 216 | 950 | ||
1997年 | 361 | 29 | 244 | 94 | 203 | 931 | ||
1998年 | 342 | 4 | 241 | 92 | 182 | 861 | ||
1999年 | 326 | 4 | 238 | 86 | 180 | 834 | ||
2000年 | 296 | 4 | 234 | 86 | 110 | 730 | ||
2001年 | 283 | 2 | 234 | 86 | 76 | 636 | ||
2002年 | 260 | 2 | 206 | 61 | 76 | 605 | ||
2003年 | 252 | 2 | 193 | 55 | 76 | 578 | ||
2004年 | 244 | 2 | 120 | 43 | 73 | 482 | ||
2005年 | 238 | 2 | 93 | 40 | 73 | 446 | ||
2006年 | 238 | 2 | 85 | 39 | 73 | 437 | ||
2007年 | 228 | 2 | 85 | 39 | 73 | 427 | ||
2008年 | 226 | 2 | 85 | 39 | 73 | 425 | ||
2009年 | 224 | 2 | 85 | 39 | 73 | 423 | ||
2010年 | 224 | 2 | 58 | 32 | 73 | 389 | ||
2011年 | 224 | 0 | 27 | 9 | 69 | 329 | ||
2012年 | 201 | 0 | 9 | 33 | 243 | |||
2013年 | 191 | 1 | 8 | 200 | ||||
2014年 | 173 | 1 | 8 | 182 | ||||
2015年 | 135 | 0 | 5 | 140 | ||||
2016年 | 93 | 1 | 94 | |||||
2017年 | 75 | 0 | 75 | |||||
2018年 | 54 | 54 | ||||||
2019年 | 26 | 26 | ||||||
2020年 | 16 | 16 |
JR北海道
1500番台の本州転出後、分割民営化直前に以下の車両が札幌運転所に転入しJR北海道に承継されたが、営業運転には投入されず他系列への改造種車もしくは廃車となった。
- サシ481-50
- 1987年3月27日に青森運転所から転入。当初は車籍抹消後レストランに転用するという計画もあったが、「北斗星」1往復(3号・4号)を季節列車から定期格上げの際に食堂車組込が必要となり、1989年に苗穂工場でスシ24 508へ改造された。2008年3月のダイヤ改正まで運用され同年4月30日付で廃車となった。
- サロ481-37・41・47・60・63・94
- 仙台から転入した94を除いた5両は、1986年3月31日に一旦廃車扱いとなり分割民営化直前の1987年3月6日に車籍復活した元向日町運転所所属車。真偽不明だがジョイフルトレインの種車に使われるという計画もあったものの1990年に全車廃車となった。
一方営業運転では、青函トンネル開業時にはそれまで青森発着とされていた東北新幹線連絡特急の一部を函館まで延長運転することになり、1987年12月6日から青森 - 函館間で1日1往復の試運転を開始。トンネルが開業した1988年3月13日から2002年11月30日までは「はつかり」で、それ以後は「白鳥」でJR東日本青森車両センター所属の津軽海峡線走行対応車が乗り入れたが、2016年3月26日の北海道新幹線新函館北斗開業によるダイヤ改正で「白鳥」が全廃されたことから本系列の運用は終了した。
- 当初は1000番台が投入されたが、後に3000番台のみで運転された。また車両故障時には運用の都合から函館運輸所の789系での代走となったケースもある。
- JR北海道と東日本の乗務員交代は原則として蟹田で行われたが、一部列車は青森で行われた。
JR東日本
JR中で最も多い461両が継承された。主に東北・上越新幹線との連絡特急列車や快速列車などのフィーダー輸送に充当されてきた。新幹線の開業や後継車両の導入により数を減らし2020年4月1日現在では16両が車籍を有する。
一部車両は同社の客車によるジョイフルトレインを置換える改造がされており、2020年現在では定期運用を持たないジョイフルトレインのみが配置される。
全般検査は秋田・新潟・長野配置車両を除き郡山総合車両センターが担当する。
なおJR西日本所属車も以前は「白鳥」「雷鳥」「北越」「白山」などで乗入れていたが、2010年3月13日のダイヤ改正で「能登」が不定期格下げになったことにより乗り入れは終了した。
高崎車両センター(髙タカ)
ジョイフルトレイン「リゾートやまどり」「華」の6両編成2本計12両。
盛岡車両センター(盛モリ)
ジョイフルトレイン「ジパング」4両編成1本。
過去の配置車両基地
車両基地は本系列の配置終了時点の名称で解説を行う。
盛岡車両センター青森派出所(盛アオ)
1972年6月に増発する東北特急に対し仙台運転所の運用を補完する形で12両編成×3本と予備車8両を新製し計44両[注 148]で配置が開始され、当初は「ひばり」3往復ならびに臨時「やまびこ」を担当。白新線・羽越本線電化開業に伴う同年10月2日のダイヤ改正による「エル特急」設定に伴い運用が大幅に増加。最盛期の1978年から1980年にかけてには12両編成×22本と予備車5両の計269両で「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「やまばと」「いなほ」「白鳥[注 149]」などの東北特急へ同所の583系174両と共に広域運用を担当したが、東北新幹線の開業により運用を縮小。分割民営化時点では、6両モノクラス編成×11本・「たざわ」用5両編成×4本・3両編成×5本・増結用MM'ユニット5組10両とサハ481形2両・保留車サシ481形2両の計115両が配置されていた。
全般検査は当初盛岡工場が担当していたが、1985年に閉鎖廃止となったことから郡山工場(現・郡山総合車両センター)へ移管された。また入出場は原則自走による回送で行われていたが、2002年12月2日の東北新幹線八戸延伸開業後は、同センター所属の双頭型両用連結器を装備したEF81 134・136・139・141のいずれかに牽引され、青森 - (奥羽本線)- 秋田 - (羽越本線) - 新津 - (信越本線) - 宮内 - (上越線) - 高崎 - (高崎線) - 大宮 - (東北本線) - 田端信号場 - (田端貨物線) - 三河島 - (常磐線) - 馬橋 - (武蔵野貨物支線) - 南流山 - (武蔵野線) - 武蔵浦和 - (武蔵野貨物支線) - 与野 - (東北本線) - 郡山のルートで配給列車による無動力回送へ変更された。
- これは青森 - 盛岡間を第三セクター化した青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道経由とすると自社線内のみの運転が必須となる配給列車は設定できず、仮に設定できた場合でも線路使用料が発生するほか、貨物列車による甲種車両輸送ではJR貨物に輸送費を支払う必要があることに起因する。このため倍以上の迂回となっても費用削減が可能であり、さらには同センター所属の本系列は波動対応のA10 - A12編成を除くと首都圏内を走行する際に必要なATS-Pを搭載しておらず、田端信号場を経由するのは方転・機回しの手間を省略する目的によるものである。
2018年10月1日の時点ではA1・A5・A6の6両編成3本とMM'ユニット2組4両の3000番台計22両配置となったが[110]、2019年1月22日付で最後まで在籍したA6編成6両が廃車となり配置が終了した[33]。
以下は前身の青森運転所→青森車両センター時代を含む1982年以降の主な運用推移である。
- 1982年11月15日:上越新幹線大宮暫定開業による変更
- 「白鳥」
- 「鳥海」(新設)
- 「はつかり」
- 「いなほ」(秋田運転区と共管)
大阪発着「白鳥」「鳥海」のみサロ481形・サシ481形組込12両編成×6本を充当するほか、福井発着「白鳥」「はつかり」「いなほ」は9両編成×11本を充当。他車両基地と転出入を行ったもののMM'ユニット9組18両とサシ481形16両が余剰となり保留車となった。
- 1985年3月14日:東北新幹線上野開業による変更
- 「はつかり」
- 「いなほ」
- 「つばさ」
- 「むつ」
全編成からサロ481形・サシ481形を外し6両モノクラス化するとともにMM'ユニットが全車1000番台化された。「白鳥」は向日町運転所へ、「鳥海」は秋田運転区へ移管。車両配置は6両編成×15本と保留車のサロ481形3両・サシ481形17両の計110両配置となった。
- 1986年11月1日:分割民営化直前国鉄最後のダイヤ改正による変更
- 「はつかり」
- 「いなほ」
- 「つばさ」(山形発着1往復)
- 「たざわ」(秋田運転区から移管)
「むつ」は廃止。秋田運転区から転入のクロハ481形組込3・5両編成により「たざわ」「つばさ」に充当。
- 1988年3月13日:青函トンネル開業に伴うダイヤ改正による変更
- 「はつかり」
- 「いなほ」
- 津軽線普通列車:蟹田 - 青森
「たざわ」「つばさ」運用を秋田運転区へ再移管し充当用3・5両編成ならびに増結用車は転出。編成をクロハ481形組込6両編成×12本へ変更し、うち6本は海峡線乗入対策を施工し函館発着の「はつかり」へ充当。このほか、1990年に勝田電車区からの転入車により訓練車4両編成を配置。
- 1992年7月1日:山形新幹線開業に伴うダイヤ改正による変更
- 「はつかり」
- 「いなほ」
- 津軽線普通列車:蟹田 - 青森
- 急行「津軽」
- 「津軽」への充当はこれ以前に運用されていた583系電車のリニューアル工事に伴うもので工事が完了する1993年9月30日までの期間限定とされ、南秋田運転所との間で以下の車両転配が行われた。
- 南秋田への転出
- 「いなほ」充当7往復中5往復の運用移管を含んだ車両交換の形で青函非対応となるA10 -A12の6両編成×3本が秋田運転区へ転出。
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- 南秋田からの転入
- 同改正で廃止された上野発着「つばさ」ならびに共通運用の「あいづ」に充当されていたATS-P搭載の9両編成×3本[注 150]。転入と同時にA10 -A12の編成番号を付番し、「津軽」運用に充当したが、終了後にMM'ユニット1組とサロ481形をカットした上でクハ481形1000番台をクロハ481形への改造ならびに一部車両交換の上で他の6両編成と共通化。編成番号を継続させ「はつかり」4往復増と波動輸送に転用。
- サロ481-1001・1005・1008は保留車となったが、MM'ユニットはその後増結用や他編成と数度の組換を実施し、モハ485・484-1021・1035・1057の3組6両が1996年3月12日付で南秋田運転所へ再転出した。
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- 1996年3月30日:秋田新幹線の工事・開業準備に伴うダイヤ改正による変更
「いなほ」運用を新潟車両センターへ移管。以後は「はつかり」運用のみ担当。配置車両は6両のA1 - A12編成12本・4両の訓練車A13編成・サロ481形保留車3両の計79両となった。
また本改正と前後して3000番台化改造工事が開始され、同年3月29日に第一陣のA6編成が竣工、同年4月21日の「はつかり14号」から運用を開始[111]。また2度の転配が行われ、3000番台増結用MM'ユニットの捻出補完としてモハ485・484-1021・1035・1057[注 151]が1997年3月27日付で南秋田運転所から再転入。6月には上沼垂運転区のクハ481-1005と本運転所所属のクハ481-342を車両交換する形の転出入が行われた[注 152]。
- 1999年12月4日:海峡線運用を3000番台車のみへ変更に伴うダイヤ改正
- 2000年3月11日:E751系「スーパーはつかり」運転開始に伴うダイヤ改正
3000番台化改造工事は1999年10月までに海峡線乗入6両編成×5本・海峡線非対応6両編成×2本・増結用MM'ユニット3組6両の計48両へ施工。工事完了後の同年12月4日のダイヤ改正では定期運用を海峡線充当が3000番台車で4本、盛岡 - 青森間専従が在来車と3000番台で4本とする運用変更を実施した。
さらに2000年3月11日には盛岡 - 青森間の一部列車をE751系による「スーパーはつかり」へ置換えたことから、盛岡 - 青森間限定運用も海峡線非対応の3000番台×2本での充当となった。
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定期運用を失った在来車編成5本は、予備ならびに臨時列車などの波動輸送担当となったが、以下の2編成が転出した。
- A12編成:2000年7月に上沼垂運転区へ転出(共通予備T18編成)
- A7編成:2002年11月に仙台運転所へ転出(「あいづ」充当転用)
保留車のサロ481形は1001が2001年7月13日付で、1005・1008は同年8月23日付で廃車された。
- 2002年12月2日:東北新幹線八戸延伸開業に伴うダイヤ改正よる変更
以下の変更を実施。
上述列車には3000番台6両編成×7本と増結用MM'ユニット3組6両の計48両を充当し、以下の運用が組まれた。
- 海峡線対応編成運用4仕業(A1・A2・A4・A5・A6編成)
- 「白鳥」5往復 「つがる」1.5往復
- 津軽線普通列車:蟹田→青森1本
- 海峡線非対応編成運用1仕業(A8・A9編成)
- 「つがる」2往復
- 津軽線普通列車:蟹田 - 青森1往復
このほか、予定臨時「つがる」運用に2往復もしくは3往復に海峡線対応・非対応を問わず充当された。
3000番台を除いた在来車では、波動対応1000番台6両編成×3本・訓練車4両編成×1本が配置されており、3000番台と併せて計70両配置となったが、1000番台編成からA10・A11編成は2003年3月までに転出した。
- A10編成:2003年1月に上沼垂運転区へ転出(「ムーンライトえちご」K1編成転用)
- A11編成:2003年3月に上沼垂運転区へ転出(「ムーンライトえちご」K2編成転用)
1000番台6両編成は、実質的には転用未定のまま海峡線ならびに波動運用対応のほか臨時「つがる」充当用とした予備車を兼ねるA3編成1本のみの状態で、2006年3月に同編成は「あいづ」充当により仙台へ転出したほか、羽越本線脱線転覆事故による車両補充のため3000番台A9編成に組成されていたモハ485・484-3056[注 153]・クハ481-3350・クロハ481-3020の計4両が新潟車両センターへ転出した。
2004年4月1日付で青森車両センターに組織変更ならびに改称時点では、A1・A2・A4・A5・A6・A8の3000番台6両編成×6本と増結用MM'ユニット4組8両ならびに訓練車のA13編成で計48両となったが、A13編成は2005年に廃車となった。
- 2010年12月4日:東北新幹線新青森開業による変更
JR北海道函館運輸所の789系とグリーン車連結位置を合せるために編成ごと方向転換を実施[注 154]。また「つがる」は秋田発着の「かもしか」を統合。さらに毎日運転の臨時列車扱いで大館発着を新設し4両編成化。以下の運用ならびに組成へ変更。
- 6両編成運用2仕業(A1・A5・A6編成)
- 新青森 - 函館間「白鳥」定期2往復1仕業 予定臨時2往復1仕業
- 4両編成運用3仕業(A2・A4・A8編成)
- 増結用MM'ユニット7組14両
4両編成運用は2011年4月23日にE751系へ置換えたため余剰となったが、E751系は予備車がないためA8編成のみ残存。検修・故障時などに浅虫温泉快速1往復と大館発着「つがる」2往復に限定充当された。
- 大館発着「つがる」は2014年3月15日のダイヤ改正で廃止され間合いの浅虫温泉快速も充当終了。以後は秋田発着2往復運用[注 155]の予備車とされた。
余剰車のうちA4編成に組成されていたモハ485・484-3014は、ジョイフルトレイン『ジパング』へ再改造され盛岡車両センターへ転出。A4編成の制御車2両・A2編成・増結用MM'ユニット4組8両の計14両が廃車され、配置は増結用MM'ユニット2組4両・保留MM'ユニット1組2両を含み28両へ減少した。
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- 2016年3月26日北海道新幹線新函館北斗開業よる変更
組織変更により青森車両センターから盛岡車両センター青森派出所へなると同時に本系列を充当する唯一の定期特急「白鳥」が廃止。また「つがる」も5往復→3往復による運用減とE751系を秋田車両センターへの転出と運用移管を実施し本系列の予備充当が終了となったことから、すべての運用が終了。ただし車両は検査期限が残っていたため引き続き配置されたが[35]、以下のスケジュールで廃車となった
- 2016年12月6日
A8編成と増結用MM'ユニットモハ485・484-3067の計6両[37][114]。
- 2018年10月10日
A1編成からモハ485・484-3062、A5編成からモハ485・484-3047のMM'ユニット2組4両[35][112]。
- 2018年11月2日
A5編成残り4両および増結用MM'ユニットモハ485・モハ484-3081[113]。
- 2018年12月7日
A1編成残り4両および保留車のMM'ユニットモハ485・モハ484-3049[113]。
- 2019年1月22日
A6編成6両[33]。
秋田車両センター(秋アキ)
1976年に奥羽本線全線電化による「つばさ」本系列置換えで1000番台の新製投入が予定されていたが、電化開業が1975年11月になった。一方で電化工事遅れから長崎本線・佐世保線用として南福岡に配置されたものの休車なっていた在来車50両の有効活用ならびに青森からクハ481形200番台10両の転入車と新製されたサロ481形6両の計66両で秋田運転区時代に配置を開始。翌1976年に在来車は引通線追加など1000番台対応改造を施工したサシ481形を除き南福岡電車区へ再転出、1000番台新製車に置換えられ12両編成×6本の72両が配置された。
当初は「つばさ」2往復のみを担当したが、1978年10月2日ダイヤ改正で1000番台対応改造済サシ481形を除き全車1000番台による12両編成×12本計144両で「つばさ」3往復・「やまばと」3往復・秋田発着「いなほ」1往復を担当。翌1979年7月1日ダイヤ改正では秋田発着「いなほ」が2往復担当となり、12両編成×14本と予備のクハ481形2両計170両配置となった。
1982年6月の東北新幹線大宮暫定開業に伴い食堂車が編成から外され11両編成となりサシ481形は向日町ならびに金沢へ転出。同年11月の上越新幹線開業によるダイヤ改正ではサロ481形組込9両・モノクラス6両の短編成化を実施。編成増対応として青森からクハ481形が転入し新たに「たざわ」「はつかり」「あいづ」などに充当される広域運用が組まれたほか、1985年には青森運転所から臨時「鳥海」の運用を移管され専用のサロ481形組込7両編成も組成されたが、民営化後に勝田電車区と共管になり1988年に廃止。
1987年の民営化後は、6両編成用に一部のクハ481形→クロハ481形への改造、さらに青森からモハ485形→クモハ485形への改造施工車の転入により3・5両編成が組成されたが、運用面では1992年7月の山形新幹線開業で「つばさ」「あいづ」への充当を終了。余剰となった9両編成×3本は青森運転所へ転出し急行「津軽」ならびに波動輸送対応に転用。新たに「こまくさ」に充当されるも秋田新幹線の開業により「たざわ」廃止ならびに「はつかり」運用を青森へ、「いなほ」運用を上沼垂運転区へ移管などで縮小。
1997年以降に国鉄色から秋田色もしくはかもしか色と呼ばれる専用色に変更。1999年3月13日の山形新幹線新庄延伸開業によるダイヤ改正以降は「かもしか」のみの運用となり、配置車は廃車や他車両基地への転出により減少した。
2004年の南秋田運転所[注 156]から秋田車両センターへ組織変更ならびに改称後は、保留車となっていたMcM'ユニット4組が廃車され3両編成×3本のみの配置となったが、2010年12月4日の東北新幹線新青森開業に伴うダイヤ改正により「かもしか」は「つがる」に吸収される発展的解消と同時に青森車両センターに運用移管となったため定期運用が消滅[注 157]。その後は波動輸送対応で団体列車・臨時列車で運用[115]されたが、2011年10月に全車が廃車となり配置車両が消滅した。
なお、本センター配置車両は国鉄時代に1000番台対応改造工事を施工したサシ481-57 - 59・61 - 63・65 - 67・75・76・81 - 83の14両、民営化後に青森から転入したクハ481-346 - 349[注 158]・351・352・1506・1508の8両、多客期増結用とされたサハ481-108・109[注 159]の2両を除きすべて1000番台車で構成されており、全般検査は後述する新潟車両センター所属車と同様に秋田総合車両センターで実施されていた。
2005年 秋田車両センター3両編成 | |||
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← 秋田 青森 →
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クロハ481 | モハ484 | クモハ485 | 廃車日 |
1003 | 1023 | 1008 | 2011.10.07 |
1007 | 1080 | 1005 | 2011.10.14 |
1002 | 1079 | 1006 | 2011.10.27 |
仙台車両センター(仙セン)
1965年10月1日のダイヤ改正で「ひばり」2往復・「やまびこ」1往復用として483系44両で運用開始。1968年10月1日改正からは「やまばと」「あいづ」、1972年からは「ひたち」にも充当。1973年10月1日改正で「やまびこ」を青森運転所へ移管するものの以後は増発され続ける「ひばり」「ひたち」「やまばと」に対応し最盛期の1978年には12両編成×15本・9両編成×6本・予備車6両の計240両が配置された。1982年11月の東北新幹線開業に伴うダイヤ改正で「やまばと」「あいづ」は秋田運転区へ運用移管。「ひばり」は予定臨時1往復のみとなり以後は「ひたち」に12両編成×10本が定期運用となり、余剰車は483系MM'ユニットとサシ481形の初期車一部が廃車となったほかは、他の車両基地へ転出した。しかし残存した「ひたち」運用も1985年3月のダイヤ改正で勝田電車区へ移管となり、余剰となったサロ481形4両とサシ481形11両のみ残存となったものの1986年中にサロ481形は3両がサロ110形へ改造、1両が札幌運転所へ転出。サシ481形は全車廃車となり本系列の配置は一旦終了した
民営化後の1993年に特急「ビバあいづ」用編成が所属となり配置が復活。以後は2回の編成入れ替えを実施し、2005年以降は「あいづデスティネーションキャンペーン」に対応した運用、2007年以降は以下の6両編成×2本計12両が磐越西線郡山 - 会津若松間の快速「あいづライナー」3往復の定期列車ならびに波動運用を担当した。
- 所属編成の詳細は#「あいづ」用改造も参照のこと。
- A1・A2編成
元青森運転所A3編成で2006年夏の臨時特急「あいづ・仙台あいづ」用として転入する際に郡山総合車両センターで「あかべぇ」塗装への変更を含む改造を施工。青森運転所時代に津軽海峡線対応車改造工事を施工されたためCP床下移設ならびにモハ484形の第1パンタグラフはPS26B形はそのままとしたが、ATC-Lは撤去。
2007年2月 - 3月には、千葉県勝浦市で行われる「かつうらビッグひな祭り」に対応する高尾 - 安房鴨川間臨時特急「かつうらひなまつり」に充当[注 160]。以降は「あいづライナー」のほか「この夏も会津へ2007キャンペーン」の一環として上野 - 喜多方の臨時特急「あいづ」に充当[注 93]。以後2010年まで夏期に臨時特急「あいづ」に充当された。
2011年春に郡山総合車両センターに入場し国鉄特急色に塗装変更を実施[116]。同年6月2日の「あいづライナー」より運用に復帰した[117][注 93]。2012年2月25日以降は「あいづライナー」運用に後述のA3・A4編成を投入し[118]、本編成は波動輸送を中心にA3・A4編成が充当できない際には「あいづライナー」代走運用に充当された。
2015年にA3・A4編成は廃車となったが、本編成は「ふくしまデスティネーションキャンペーン」が開催された同年4 - 6月の週末ならびにゴールデンウィークを中心に通常は719系4両編成による快速列車3往復を置換えた快速「あいづ」ならびに波動運用に充当されたが、老朽化のため2016年6月18日・19日に仙台支社が主催するラストランを最後に運用離脱[119]。同年8月4日付で廃車され配置が消滅した[22]。
- A3・A4編成
2002年の「あいづ」運行に際し転入した元青森運転所A7編成。2005年度「あいづデスティネーションキャンペーン」に合わせて改造され臨時特急「あいづ・アクセスあいづ」に充当された。
運行終了後に東武日光線直通特急「日光・きぬがわ」用に再改造され小山車両センターに転出しG55・G58編成となった。当初は2011年4月16日に「日光・きぬがわ」の253系1000番台置換え余剰から本センターへ小山からの転入が予定されていたが、前月に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で列車そのものが運休となり置換えも同年6月に延期[120]。2012年2月12日付で本センターへ再転入し、同月25日以降「あいづライナー」運用に充当された[118]。
2015年3月14日のダイヤ改正で「あいづライナー」が廃止されたため定期運用が終了[121]。同月15日の団体臨時列車『さよなら「あいづライナー485系」』で運用を終了し、同年7月3日付で廃車[9]。
新潟車両センター(新ニイ)
本センターは、1986年11月1日に新潟運転所上沼垂支所から上沼垂運転区へ組織変更ならびに改称[注 161]したと同時に実施された国鉄最後のダイヤ改正で、分社化時のJR各社の車両運用や供給を考慮した車両転配ならびに日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行った結果、青森運転所・秋田運転区・勝田電車区・向日町運転所・金沢運転所からの転入により72両が配置され、主に日本海縦貫線での広域運用を担当した。
かつてはATS-P搭載編成も配置され、首都圏ならびにJRグループ各社へ乗入れる波動運用も多かったが、老朽化・E653系への置換え・新幹線開業に伴う運用縮小が行われ、2015年3月14日に実施された北陸新幹線金沢延伸開業に伴うダイヤ改正以降の定期列車充当は新潟 - えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン糸魚川間に新設された快速列車1往復[121]のみで、2016年3月26日ダイヤ改正で「白鳥」が廃止されたため残存する本系列唯一の定期運用となった。しかし2017年3月4日ダイヤ改正で当該列車が廃止され[122]、改正前日の同月3日を最後に本系列すべての定期運用が終了[1]、同年4月までに廃車となった[14]。
その後はジョイフルトレインのみの配置となったが、2020年3月にきらきらうえつが廃車となり本系列の配置車両が消滅した[123]。
なお、本センター配置車両は全般検査を秋田総合車両センターで実施していたほか、以下の編成が組成されていた。
- T編成
当初はサロ481形組込の9両編成×8本にT1 - T8の編成番号を付番。1988年から施工されたグレードアップ改造に併せて上沼垂色塗装へ変更した。
6両編成は「いなほ」運用のうち青森担当分が1996年に、南秋田担当分が1997年に本センターへ移管。さらに「ひたち」運用終了により勝田からも余剰車の一部が転入。1999年にはMM'ユニット1組カットした4両編成×3本のT21 - T23編成も組成され、6両編成はT11 - 20編成の10本となった。一方で9両編成はT1 - T5編成にまで減少し2001年の運用終了により消滅。4・6両編成も含め老朽車の廃車ならびに後述する3000番台R編成への改造などが行われていたことから、1000番台を主とした組成変更を実施し以下の編成番号に整理された。
- クロハ481形組込6両編成:T11 - T18
- 波動輸送対応用6両モノクラス編成:T19
- 「みのり」ならびに酒田発着「いなほ」2往復充当用4両モノクラス編成:T21・T22
2005年までにT19編成が勝田車両センターへ、クハ481-333・1507を除いたT21編成ならびにT22編成が長野総合車両センターへ転出したため以降はT11 - T18編成が後述のR編成と共通運用で充当された[注 162]。
E653系への置換え余剰により2013年度はT11・14・17編成[124]、2014年度は上期にT12・15・16編成が[125]、下期にはT13編成が12月27日付で廃車となり上沼垂色塗装車は全廃となった。
最後まで残存したT18編成[注 38]は元青森運転所A12編成でATS-Pならびに車内減光装置を搭載[注 163]。2000年転入後の2001年に上沼垂色塗装が施されたが、K1・K2編成と共通予備であることから2008年6月に国鉄色へ塗装変更[注 164]。各支社間貸出や首都圏乗入のためデジタル無線機を搭載する[10]。2015年3月のダイヤ改正で定期運用を、同年5月30日に運行された「ありがとう485系国鉄色号」ですべての運用を終了[126]。青森方先頭車に組成されていたクハ481-1508は同年7月10日付で廃車され[9]、同月12日にトレーラーで新潟市新津鉄道資料館へ搬入し展示保存[18]。残りの5両は同年8月10日にEF64形・EF81形電気機関車牽引で秋田総合車両センターへ配給回送され[127]、同月12日付で廃車された[9]。
- R編成
リニューアル改造の3000番台車による編成。1997年に「はくたか」用サロ481形組込9両編成×2本のR1・R2編成として落成後、2000年からは6両T編成や秋田・青森からの転入車も改造されこれらは6両のR21 - R25編成となった。
2005年3月1日改正でR1・R2編成は681系・683系に運用変更されたため2006年3月に6両編成化を行いR26・R27編成となった。
- 両編成ともATS-Pを搭載するが、R27編成は本センター所属車で唯一近畿圏乗入にも対応する。
- サロ481-3106・3107は保留車となったが2008年10月に廃車。
2005年12月に発生した羽越本線脱線事故当該のR24編成の補完として青森車両センターから転入の4両にR1編成から外れたモハ485・484-3040でR28編成が組成された。
- R24編成は捜査終了により2007年3月31日付で廃車。
- 残存した増結用のモハ485・484-3086は2014年5月30日付廃車[125]。
2015年3月14日ダイヤ改正以降は大幅な運用縮小により余剰が発生。2017年3月4日で定期運用を、同月19日の団体臨時列車ですべての運用を終了[30]。廃車は以下のスケジュールでR21・R25編成は秋田総合車両センターへ、R22・R23・R26 - R28編成は長野総合車両センターへ長岡車両センター所属のEF64形1000番台牽引による配給回送[注 165]を行い実施された。
- R21編成:2015年5月9日秋田へ自走回送 同月10日廃車[38]
- R22編成:2015年6月17日長野へ配給回送[128] 同年7月1日廃車[9]
- R27編成:2015年7月8日長野へ配給回送 同月10日廃車[9]
- R23編成:2015年9月8日長野へ配給回送[129] 同月10日廃車[9]
- R25編成:2015年11月26日秋田へ自走回送 同月27日廃車[36]
- R26編成:2017年3月13日 - 14日長野へ配給回送[31] 同年4月3日廃車[14]
- R28編成:2017年4月4日長野へ配給回送[32] 同月6日廃車[14]
- K編成
2003年4月に快速「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」運用に充当されていた165系の老朽化による置換え目的で転入した元青森運転所旧A10・A11編成である。ATS-Pならびに車内減光装置を搭載するほか[注 163]、塗装は新製から独自色への変更がなく廃車まで国鉄色が維持された。
6号車がレディースカー(女性専用車両)のためデッキ部がピンク色、座席モケットはエンジ色に変更されているほか、首都圏主要駅のホーム高さにあわせるため乗降用ドアステップ[注 166]を装備する。また2010年度に首都圏内で完全運用が開始されたデジタル列車無線機を搭載する。
2010年12月4日ダイヤ改正により「ムーンライトえちご」の臨時列車格下げによる運用移管ならびに「フェアーウェイ」廃止。さらには急行「能登」の臨時列車格下げによるJR西日本からの運用移管が行われたため臨時夜行列車を主としながら、T・R編成との共通運用にも充当された[注 169]。
2014年6月10日付でK2編成が[125]、2015年3月20日付でK1編成が廃車され全廃となった[注 170]。
- サロ489形1050番台
1996年に長野総合車両所より転入。2001年の「雷鳥」運用終了後もVIP仕様で防弾策を施工されていたことから、1051・1052の2両は保留車として配置されていたが、2010年10月に廃車となりJR東日本から489系が全廃となった。
- ジョイフルトレイン NO.DO.KA
1990年にシルフィードとして落成した3両編成のジョイフルトレイン。2001年に改装され、それまでのグリーン車から普通車扱いとなりNO.DO.KAへ改称。2018年1月廃車[16]。
- ジョイフルトレイン きらきらうえつ
2001年に落成した4両編成のジョイフルトレイン。2020年3月廃車[123]。
同センター配置車両は、以下の運用・編成変更を実施した。
- 1986年 - 1996年
当初配置の72両により9両編成×8本が組成され大阪 - 青森間「白鳥」・大阪 - 新潟間「雷鳥」・「北越」・臨時「いなほ」で運用された。
1988年12月から1990年12月にかけてグレードアップ改造が施工され、車体色は後に本センター配置車両の標準色となる通称上沼垂色が塗装された。
- 工事内容の詳細については#上沼垂運転区所属車グレードアップ改造を参照のこと。
また本改造に際し以下の変更点がある。
- 各編成で車両の入替を実施。指定席車両はサロ481形を除き200・1000・1500番台で統一し、クハ481形は大阪方は非ボンネット車、新潟方はT7編成の753を除きボンネット車[注 171]で組成を行い、前頭の自動連結器は後年に密着連結器へ交換を実施。
- サロ481形は従来から配置されていた8両中6両が改造対象となり、残りの2両は長野・松本に配置されていたサロ183-1052・1053が転入。サロ481-98・112への復帰工事を併せて施工して組込んだ。38・104は予備車として編成から除外となり1994年に廃車となった。
- 工事期間中の予備車確保の観点から1989年4月に勝田より9両編成1本が転入。同年中にMM'ユニット2組とクハ481形2両は勝田へ再転出となったほか、1990年にMM'ユニット1組は廃車、サロ481形は1991年に勝田へ再転出[注 172]。
1990年 グレードアップ改造後のT1 - T8編成 | |||||||||
← 大阪・青森 新潟 →
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編成 番号 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
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T1 | 1505 | 1504 | 105 | 1012 | 87 | 21 | |||
T2 | 260 | 1506 | 114 | 1502 | 83 | 29 | |||
T3 | 1503 | 1507 | 106 | 1501 | 65 | 23 | |||
T4 | 261 | 1503 | 107 | 1505 | 86 | 102 | |||
T5 | 1507 | 1078 | 125 | 1069 | 251 | 149 | 28 | ||
T6 | 1502 | 1020 | 124 | 1024 | 66 | 30 | |||
T7 | 258 | 1013 | 112 | 1011 | 241 | 138 | 753 | ||
T8 | 1504 | 1007 | 98 | 1010 | 85 | 27 | |||
座席区分 | 指定席 | 自由席 |
1990年には3両編成のジョイフルトレイン「シルフィード」が配置されたほか、1995年からは大阪滞留編成の間合い運用で「びわこライナー」にも充当された。
- 1996年 - 2001年
1996年3月30日ダイヤ改正では以下の変更を実施。
- 青森運転所担当分「いなほ」運用を秋田新幹線工事・開業に関連して本区ならびに南秋田運転所へ移管。クロハ481形組込み6両編成2本が南秋田運転所から転入[130]。
- 8月30日付で長野総合車両所からサロ489-1051・1052が転入。
1997年3月22日ダイヤ改正では以下の変更を実施。
- 6両編成
南秋田運転所担当分「いなほ」運用を移管し定期8往復・臨時1往復ならびに「北越[注 173]」「みのり」それぞれ1往復に充当。
- 編成本数は2本から10本に増加[131]。増加うちわけは7本が南秋田からの転入、1本が後述する「白鳥」運用移管で余剰となった9両編成1本と転入車から組成。
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- 9両編成
「白鳥」運用をJR西日本へ移管し終了となるもの新たに北越急行ほくほく線経由の「はくたか」1往復を担当するとともに出入区を兼ねた「北越[注 173]」ならびに「雷鳥」3往復に充当。
- 「はくたか」充当用として3000番台化改造工事を1編成へ施工しR1編成が落成し[注 174]、検査時の予備としてT5編成はATS-P搭載ならびに全車グレードアップ車へ組成変更を実施[131]。翌1998年には3000番台化改造工事を施工したR2編成[注 175]が落成したことにより、9両T編成は5本まで減少。さらにT1・T2編成の新潟方クハ481形を除きグレードアップ車となった。このためトータルでは1本減の7編成となった[131]。
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南秋田からはMcM'ユニット2組4両が転入するもジョイフルトレイン改造前程で幕張電車区(現・幕張車両センター)へ転出。また長野から転入のサロ489形2両はいずれの編成にも組成されない予備車とされた。このほか、クハ481形では南秋田から転入した1005と青森所属の342が[注 152]、クロハ481形では南秋田との間で1002と1023[注 67]が車両交換する形で転出入が行われた。
1998年12月以降は通勤ライナー列車への充当など小変更を実施。1999年にはT17・T19・T20編成から新潟方MM'ユニット1組をカットした4両編成×3本のT21-T23編成が組成され「いなほ」「みのり」に充当されたほか、E653系に置換えられ余剰となった勝田電車区所属車両のうちMMユニット3組6両とクハ481形4両が転入。状態の悪い車両を置換える玉突き転配が実施された結果、2001年までにMM'ユニットは1000・3000番台に集約。クハ481形ボンネット車は全車廃車となった。
2000年7月にはATS-Pならびに車内減光装置を搭載する青森運転所A12編成が転入した[注 38]。
- 2001年 - 2005年
2001年3月3日ダイヤ改正では、大阪 - 新潟間の「雷鳥」が金沢を境に「雷鳥」「北越」に系統分離された。このため「雷鳥」ならびに間合いの「びわこライナー」運用をJR西日本へ移管し終了。余剰となったT1 - T5編成はMM'ユニット1000番台の一部が「北越」増発用として6両編成へ転用、クハ481-349と保留車となっていた753ならびにMM'ユニット1078の4両が「きらきらうえつ」の改造種車とされたほか、以下のモノクラス編成に再組成された車両を除き廃車[注 177]となった。
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これらの結果クロハ481形6両編成はT11 -T18・R21 - R25編成の13本となった[注 178]。
ジョイフルトレインは「シルフィード」に普通車格下げ改造を施工し「NO.DO.KA」へリニューアルしたほか、新たに4両編成の「きらきらうえつ」が配置された。
2002年12月にはT21・T22編成が充当される特急「みのり」を快速「くびき野」に格下げした上で運転区間を新井まで短縮したほか、波動用T19編成が勝田電車区へ転出。
2003年には青森運転所から「ムーンライトえちご」用165系置換え用として6両編成×2本が転入、K1・K2編成とした。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で上越新幹線越後湯沢 - 新潟間が不通になり、10月27日 - 11月28日に新潟から越後線・信越本線経由の北陸新幹線乗り継ぎ臨時快速列車に充当され「みのり」廃止以来長野まで運用された。
- 2005年:「はくたか」運用終了ならびに羽越本線脱線事故による変更
2005年3月1日ダイヤ改正では、「はくたか」運用を681・683系に置換えたため9両のR1・R2編成は定期運用を終了。両編成は予備車扱いとなり、多客期の「いなほ」運用に充当された。また同年12月25日に発生した羽越本線脱線事故により当該のR24編成が山形県警察から物的捜査資料として証拠物件の保全命令が出され長期使用不能となったことから車両不足が発生。このためR2編成からMM'ユニット1組+サロ481-3106をカットした6両編成とし「くびき野」運用に充当。
2006年3月に以下の変更を実施。
- R1・R2編成を6両化しR26・R27編成に再組成[注 179]。
- R24編成の代替として青森運転所からA9編成に組成されていたクロハ481-3020・クハ481-3350とA8編成に組成されていたモハ485・484-3056[注 180]の4両が転入。R1編成から外されたモハ485・484-3040とR28編成を組成。
- 余剰となったサロ481-3106・3107は休車、R2編成のモハ485・484-3086は増結用に転用。
2006年5月22日に「くびき野」運用[注 162]の完全6両化を実施。4両のT21・T22編成は余剰となり、T21編成のクハ481-333・1507が廃車となったが残存の6両は長野総合車両センターに転出。2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」へ改造された。
このため定期運用充当車はすべてクロハ481形組込6両編成×15本に統一された。
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- 2010年12月4日ダイヤ改正
東北新幹線八戸 - 新青森間延伸開業に伴い青森まで運転されていた「いなほ」の秋田以北を「つがる」に分離。これによりT・R編成は以下の定期運用を担当。
- 特急「いなほ」:新潟 - 酒田・秋田
- 特急「北越」:新潟 - 金沢
- 快速「くびき野[注 162]」:新潟 - 新井
- 快速「らくらくトレイン信越」「おはよう信越」:新潟 - 直江津
- 普通列車:直江津 - 新井[注 181]
K編成が充当されていた「ムーンライトえちご」の臨時列車格下げならびに「フェアーウェイ」廃止により、運用は首都圏配置の183系電車に移管[注 182][133]された。同編成は定期夜行急行「能登」の臨時列車格下げにより同運用をJR西日本金沢総合車両所から移管。共通運用を組む「ホームライナー鴻巣3号・古河3号[注 183]」・「北越3号・8号(「能登」運転日のみ)」にも充当された。
- 2012年3月17日ダイヤ改正
K編成運用で以下の変更を実施。
- 「能登」:廃止
- 「ホームライナー鴻巣3号・古河3号」:大宮総合車両センター配置185系電車に運用移管
- 「ムーンライトえちご」:臨時列車のまま当センターに運用再移管
「ムーンライトえちご」は2014年4月4日 - 5月3日に「えちご春の夜空」として運転されたが、5月23日発表の夏期増発列車に関するプレスリリースでは運転が記載されておらず[134]、同列車はこれ以降の運転設定がない状態となった。K編成は2015年3月までに全車廃車。
- 2014年3月14日ダイヤ改正
2013年9月28日よりE657系導入で余剰となったE653系1000番台へ順次置換えしていた「いなほ」は本改正で酒田までの2往復に減少。同年7月11日に置換えが完了。同時に「らくらくトレイン村上」もE653系への置換えを実施し羽越本線での定期運用が終了[135]。
- 2015年3月14日ダイヤ改正
北陸新幹線金沢開業により上述運用はすべて終了。定期運用はR編成のみとなり以下の列車に充当となる。
- 快速:新潟 - 糸魚川[121]
T編成は同年5月30日に運転された団体臨時列車「ありがとう485系国鉄色号」ですべての運用を終了[126]。
- 2017年3月4日ダイヤ改正
改正前日の同月3日を最後に定期運用を終了[122][1]。同月19日にR28編成を充当した団体臨時列車「ありがとう485系信越の旅!」でジョイフルトレインを除いたすべての運用が終了した[30]。
- 2018年1月
同月7日にNO.DO.KAが運行を終了[136]。同月10日付で自力走行による新宿経由で長野総合車両センターへ回送[137]ならびに廃車[16]。
- 2019年9月 - 2020年3月
きらきらうえつが、同年10月にHB-E300系で新造した「海里(KAIRI)」への置換えによる運行開始予定に伴い[138]、同年9月29日で定期運行を終了[139][140][141][142][143]。同年12月15日に運転された旅行商品専用列車「きらきらうえつ美食旅」をもってすべての営業運転が終了[144][145]。2020年3月1日付で廃車[123]。
- 新潟車両センター所属車編成別画像ギャラリー
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T11編成
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T12編成
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T13編成
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T14編成
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T15編成
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T16編成
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T17編成[注 176]
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T18編成
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R21編成
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R22編成(動画)
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R23編成
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R25編成
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R26編成
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R27編成
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R28編成
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K1編成
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K2編成
長野総合車両センター(長ナノ)
1986年11月に「あさま」「そよかぜ」充当用として金沢運転所から転入の489系9両編成×3本でN301 - N303編成を組成し配置。塗装はJR化後の1990年以降に国鉄色から189系グレードアップ改造車で採用されたあさま色への変更を実施した。また、定期運用では交流電化区間は存在しない。
このほか1987年3月11日に保留車としてサシ489-83が転入したが、1988年にスシ24 506へ改造され尾久客車区へ転出。1990年には勝田電車区からサロ481-1053・1052をサロ489-1051・1052へ改造した上での転入により最大29両が配置された。
1996年にサロ489-1051・1052は上沼垂運転区へ転出、N302編成が長野駅構内での事故により廃車。残存したN301・N303編成も1997年の北陸新幹線長野開業により定期運用を失い2000年までに全車廃車となった。
長野総合車両所489系「あさま」「そよかぜ」編成 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
← 上野 長野 →
| |||||||||
編成 番号 |
クハ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
サロ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
クハ 489 |
N301 | 601 | 218 | 33 | 16 | 217 | 32 | 216 | 31 | 201 |
N302 | 602 | 222 | 37 | 14 | 221 | 36 | 220 | 35 | 202 |
N303 | 603 | 225 | 40 | 15 | 224 | 39 | 223 | 38 | 203 |
その後2006年に新潟車両センターより4両編成×2本が転入。クハ2両は廃車となったが、残りの6両を改造したジョイフルトレイン「彩(いろどり)」を配置。2015年7月に交直切替機能を使用停止し直流専用車とされたが、2017年10月20日付で廃車された[16]。
なお、配置車両の全般検査は489系も含み前身の長野工場時代から本センターで実施していた。
勝田車両センター(水カツ)
勝田電車区[注 184]時代の1985年に仙台運転所から「ひたち」の運用移管が行われ、青森運転所・仙台運転所・向日町運転所・南福岡電車区・鹿児島運転所からの転入車により11両編成×15本計165両が配置された。これらの車両はクハ481形がトップナンバーを含む九州地区から転入したボンネット車のみ30両[注 185]・483系MM'ユニット4組8両・モハ485+484ユニットがトップナンバーを含む53組が初期車・サロ481形が改造車を含み全車AU13E形分散式冷房装置搭載という特徴があったが、民営化を見据えた1986年11月のダイヤ改正によりクハ481形300番台・サロ481形1000番台ならびに1050番台が転入し上野方MM'ユニット1組カットの9両編成×18本に組成変更。1988年3月までは秋田運転区と共管で臨時「鳥海」にも充当された。
民営化後は車内更新によりフリーストップリクライニングシートへの交換やATS-P搭載工事が実施されたほか、1989年3月11日ダイヤ改正で651系電車投入により一部列車を「スーパーひたち」として分離。編成組成を7両編成×8本へ変更。さらにはグリーン車の普通車化改造を実施。最終的には10本と予備車22両へ再組成し、余剰となった初期車が廃車され一部車両は他車両基地へ転出した。1990年には「リゾートエクスプレスゆう」6両編成1本(K30編成)が配置されたほか、1991年[注 186]には4両の訓練車編成が落成。1992年7月1日から1993年11月30日までは「あいづ」運用が南秋田運転所から移管され[注 187]送り込みと帰区を兼ねた「ひたち」1往復に共通運用でサロ481形組込7両編成を充当2本・予備1本組成したためモノクラス7両編成は9本となった。
一方で「ひたち」では1992年から国鉄色からひたち色と呼ばれるグレーを基調にした専用色へ塗装変更。一部列車で慢性的混雑が発生していたことからクハ481形0番台に7両×2本併結対応の制御回路用KE70形ジャンパ連結器前面追設ならびに密着連結器への交換工事を施工し1993年1月から14両運転を開始[148]。「あいづ」廃止後は「リゾートエクスプレスゆう」・訓練車編成・踏切監視ならびに波動輸送対応用4両編成×2本[注 188]・保留車モハ485+484-2・サロ481-1007・1054・1056・1506を除き定期運用に対応する以下の7両編成×10本が組成された。
勝田電車区485系「ひたち」編成(1994年) | |||||||
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← 上野 勝田・いわき・仙台 →
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編成 番号 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
K1 | 1101 | 50 | 306 | 310 | 208 | 315 | |
K2 | 1102 | 63 | 303 | 67 | 31 | ||
K3 | 1103 | 64 | 304 | 603 | 224 | 32 | |
K4 | 349 | 1018 | 109 | 1083 | 1011 | ||
K5 | 1105 | 69 | 302 | 59 | 36 | ||
K6 | 1106 | 49 | 308 | 71 | 313 | ||
K7 | 1107 | 1071 | 108 | 1034 | 332 | ||
K8 | 1108 | 58 | 301 | 53 | 40 | ||
K9 | 38 | 54 | 306 | 51 | 333 | ||
K10 | 34 | 77 | 307 | 309 | 207 | 311 |
1994年にモハ485+484-2・サロ481-1054・1056が、1997年に4両編成×2本が廃車され、サロ481-1007・1506がリゾートトレイン「ニューなのはな」改造を施工して幕張電車区へ転出。1997年にはE653系一次車7両編成×4本落成により、余剰車が発生。K1 - K7編成に組成変更を実施し、同年7月には前後クハ481形がボンネット車・MM'ユニットが初期車で組成されたK7編成[注 189]を国鉄色へ塗装変更。同年12月にE653系二次車落成置換えにより定期運用が終了した。1999年までに一般型車両は訓練車編成を除いて10両が状態の悪い車両交換用として上沼垂運転区へ[注 190]、10両がリゾートトレイン改造の種車として新前橋電車区へ[注 191]転出した以外は廃車となった。
その後は波動輸送用とし以下の編成が転入。
- 2002年 - K60編成(6両 上沼垂運転区T19編成)
- 2003年 - K40編成(4両 仙台運転所ビバあいづ編成からMM'ユニット1008をカット[注 192])
K60編成が2004年に、K40編成が2005年に勝田色もしくは白イルカと呼ばれる同センターオリジナル色に塗り替えられ、主に「ぶらり鎌倉号」「ぶらり高尾散策号」などの臨時急行・快速列車や団体列車で運用された。
2007年に訓練車のK26編成が廃車。2013年には同年3月16日ダイヤ改正による「フレッシュひたち」運用終了で余剰化するE653系[注 193]の置換え転用で、同年1月にK40編成・K60編成が相次いで郡山総合車両センターへ廃車回送された[149][17]。
最後まで配置されていたジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」も2018年9月6日付で廃車[150][151][152]。これにより本センターの本系列配置は終了した。
小山車両センター(宮ヤマ)
本系列による大手私鉄東武日光線への直通運転となる新宿 - 東武日光・鬼怒川温泉間「日光」「きぬがわ」用6両編成のG55・G58編成が2005年12月に仙台運転所から転入。2006年3月から運用されていた[注 194]。2011年6月4日より「日光」「きぬがわ」は253系1000番台へ置換えで[153]、2012年2月10日付で仙台車両センターへ転出した。
ジョイフルトレイン「宴」(6両編成、G4・5編成)「華」(6両編成、G6・7編成)も配置されたが、2015年3月14日付で高崎車両センターに転出した。
幕張車両センター(千マリ)
ジョイフルトレイン「ニューなのはな」6両編成1本が配置されていたが、2016年9月26日付で廃車された[22]。
JR東海
国鉄時代から一貫して営業用交直流電車の配置はないが、481系電車落成と共に「しらさぎ」で名古屋への乗入れを開始。1965年 - 1972年には「つばめ」にも投入された。分割民営化以後は同社内に交流電化区間ならびに承継車両はないものの定期運用はJR西日本所属車が「しらさぎ」と間合いの「ホームライナー大垣・関ヶ原」で2003年まで、臨時運用では日蓮正宗法華講連合会向け団体臨時列車で金沢・糸魚川方面←(北陸本線・東海道本線・身延線)→富士宮に充当されたが、どちらも他系列に置換えられた。
JR西日本
435両が継承されたが108両が183系電車に改造[注 195]。MM'ユニットの組換を頻繁に行ったのも同社の特徴である。1990年代後半からは681・683系の登場により急速に数を減らし、2011年3月のダイヤ改正により同社所属車の定期運用が消滅。その後は順次廃車が進行し2014年10月現在では保留車としてクハ489-1のみが在籍していたが[154]、上述のように2015年2月13日付で廃車[23]。これにより同社在籍の本系列は183系への改造車も含めて全廃となった。他社所属の本系列はJR東日本新潟車両センター所属車が「北越」で同年3月13日まで乗り入れていた。
また、創価学会が関係のあった日蓮正宗の総本山である大石寺に参詣するため身延線富士宮へ1991年まで運行されていた通称創価臨もしくは創臨[注 196]、金光教祭典時に山陽本線金光へ運行される通称金光臨といった宗教団体向け臨時列車に金沢・京都所属の本系列が充当されるケースが多かったのも特徴である。
金沢総合車両所(金サワ)
1973年の金沢運転所[注 197]時代に向日町運転所から「白山」運用を移管され489系を配置。1975年からは485系も配置され、1987年の民営化時にはサロ481・489形組込の9両編成×10本・7両編成×13本と増結用MM'ユニット2組[注 198]で「しらさぎ」「加越」「北越」金沢発着の臨時「白鳥」ならびに「白山」と間合い運用でJR東日本上野口でホームライナーに充当された。1988年以降は「白山」充当編成の独立化ならびに各種グレードアップをはじめ分割併合可能をした「スーパー雷鳥」のほか「雷鳥」「かがやき」「きらめき」「はくたか」「能登」など列車ごとに組成された編成で改造およびMM'ユニットの組換を頻繁に行ったのも本所の特徴であり、首都圏・近畿圏ならびに北越急行乗入のため先頭車の一部はATS-Pを搭載した。681・683系増備による置換えで年々配置車両が減少し、「能登」充当用H01 - H03編成も2010年3月13日ダイヤ改正で定期運用を終了。最後まで車籍のあったクハ489-1も京都鉄道博物館での展示保存のため2015年2月13日付で廃車となり本系列の配置が終了した[23]。
なお、分割民営化後には以下のような形態の編成が在籍していた。
- 「白山」「能登」用(H編成) 9両編成 1985年 - 2012年
ベースは国鉄時代の1985年3月14日ダイヤ改正で組成された9両編成で分割民営化時には10本が組成されており、「白山」「北越」「ホームライナー大宮」臨時「あさま」に充当される489系限定4運用と検査・車両故障時には485系組込可の「しらさぎ」専従5運用に分けられていた。
1989年3月11日のダイヤ改正で横軽区間が介在する「白山」運用充当の4編成に車体色をオイスターホワイトをベースにバラ色・薄群青色・ライトコバルトブルーを配した白山色へリニューアルし、6号車に組成されるモハ489形をラウンジ&コンビニエンスカーに改装するのなどのアコモ改善を施工したのが本編成で当初はH1 - H4編成が組成された。
- クハ489形は0・500番台組込が2編成 300・700番台組込が2編成[注 199]。
- 当初はアコモ改善は施工するもののラウンジ&コンビニエンスカーは不連結かつ国鉄色のH5・H6編成も組成された。同編成はH1 - H4編成が予備車なしで運用されることから、車両故障もしくは検査等で充当できない場合に「白山」運用へ充当のほか、多客期の定期ならびに臨時「しらさぎ」や波動輸送に対応させた編成である。1991年9月のダイヤ改正で他編成の初期車廃車置換えなど組成変更されて消滅し、「しらさぎ」運用は後述のK編成に集約された[注 200]。
- 後述する初代K編成と共通予備の国鉄色MM'ユニット3組6両も1991年以降は初代K編成に集約された。
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1992年3月14日ダイヤ改正で「白山」1往復「ホームライナー大宮」1本への充当が終了したほか、上野口間合いで「あさま」1往復充当ならびに臨時「雷鳥」1往復に3本充当へ運用変更。1993年3月18日ダイヤ改正で「能登」への充当が開始された際にクハ489形300・700番台を他編成に組成変更し、ボンネット形の0・500番台によるH01 - H04編成となった。
- 運用1:金沢2232(602M 能登)0605上野
- 運用2:上野0830(3051M 白山)1436金沢1512(1027M 北越7)1843新潟1937(1028M 北越8)2317金沢
- 運用3:金沢0744(3052M 白山)1407上野1530(3025M あさま25)1814長野1853(3038M あさま38)2145上野2358(601M)0655金沢
本改正で「能登」は季節列車扱いで福井発着を設定。1994年12月3日ダイヤ改正で正式に定期化されたほか、北陸新幹線工事のため多客期ならびに祝日を除き火曜日発は高崎 - 直江津間は客扱いをせず上越線経由での運転が設定された。
1997年には3月21日をもって「北越」への充当を終了。10月1日の北陸新幹線長野先行開業に伴うダイヤ改正では、「白山」ならびに在来線「あさま」廃止による運用減からH04編成は波動輸送対応用Z01編成に転用。上越線経由に変更された「能登」と間合いによる「ホームライナー鴻巣3号」「ホームライナー古河3号」が定期運用となった。
- 運用1:金沢(回送)福井2107(602M 能登)0605上野
- 運用2:上野1835(3971M ホームライナー鴻巣3)1930鴻巣(回送)上野2124(3623M ホームライナー古河3)2223古河(回送)上野2354(601M 能登)0750福井(回送)金沢
- 「ホームライナー」運用は平日運転土休日運休
このほか、H編成は臨時「はくたか」や車両故障時などの緊急対応で本来投入されない「北越」「加越」「雷鳥」などにも充当された。2000年から2002年までに白山色から国鉄色[注 201]に塗装変更したほか、デジタル列車無線機・夜行運用対応客室減光装置を搭載する工事を施工。このため通称舞浜臨と呼ばれる東京ディズニーリゾート向け京葉線直通団体列車など首都圏への波動運用やリバイバル列車にも投入された実績がある。また2001年3月3日ダイヤ改正で「能登」は従来の金沢発着に変更となった。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響により、同日から2005年3月24日まで年末年始の多客期となる2004年12月30日 - 2005年1月3日を除き「能登」は運休。代替臨時列車として2005年2月11日 - 3月20日の金曜日・土曜日・3月20日発で北越急行ほくほく線を経由する「能登91号・92号」が設定されH編成を充当した[注 202]。
この後、H01 - H03編成は数度の車両交換を行ったのち2010年3月13日ダイヤ改正で「能登」臨時列車化とJR東日本新潟車両センターへの運用移管により定期運用を終了。各編成は以下の状況になった。
- H01編成
- 両端クハ489形が1971年製車。定期運用消滅後も引き続き臨時・団体列車や「はくたか」の代走運用に投入されていたが、2011年3月下旬の一般乗客向けさよなら運転後は同所内で事故対策訓練に使用されたほか2012年4月16日 - 17日には映画撮影を目的とした貸切列車[155][156]に投入。同年5月15日に運用検修センターから本所まで回送。同年6月1日付でクハ489-1以外の8両が廃車。クハ489-501のみ小松市の土居原ボンネット公園で静態保存となった以外は解体。残存したクハ489-1は本車両所松任本所で整備後、京都鉄道博物館で展示保存のため2015年2月10日 - 11日に梅小路運転区へ配給回送。同月13日付で車籍抹消され廃車となった[23]。
- H02編成
- 両端クハが1972年製車で新潟方車(0番台)の屋根上前照灯横ホイッスルカバーがないのが特徴。定期最終上り「能登」充当後に返却回送を兼ねた団体臨時列車「リバイバルとき」に投入。さらに吹田工場へ回送されて2010年5月20日付で廃車。
- H03編成
- 両端クハが1972年製車。定期最終下り「能登」充当後に松任本所へ回送されて2010年9月30日付で廃車。
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- 「しらさぎ」「加越」「北越」用(初代K編成) 7両・3両編成 1975年 - 2001年
ベースは1975年に運転開始された「加越」に充当された中間にサロ481形を組込む国鉄色を施す485系7両編成。「しらさぎ」「北越」のほか、名古屋口では間合いでホームライナー運用にも充当された。
本編成の特徴として、国鉄時代はクハ481形が300番台を中心に組成されたが、民営化直前の1986年以降はクハ481形100番台をはじめとする初期車を含む向日町運転所からの転入車やH編成の「白山」専従化による489系の転用による組込が行われ、民営化時にはK1 - K13の13編成を組成。他編成への転用改造などで車両交換が頻繁に行われた結果、アコモ改善車が未施工・H編成用施工・本編成用の3種類が混在するほか、組成も485系限定・485系+489系混結・489系限定などバリエーションに富んでおり、さらには予備車や増結用MM'ユニットが多く、上述のH編成をはじめ列車単位で編成組成され予備車がないS・V・R・O編成へ緊急時に組込も実施される実質的共通予備車としての役割も持たされていた[注 200]。
初代K編成系列別組成および予備車詳細(1991年 - 1994年) | |||||||
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年次 | 系列別組成 | 予備車 | |||||
485系限定 | 485系+489系混結 | 489系限定 | MM'ユニット | クハ481 | サロ481 | ||
1991年 | 4本 | 6本 | 3本 | 485系1組 489系1組 |
4両 | 1両 | |
1992年 | 3本 | 7本 | 485系4組 489系2組 |
1両 | 3両 | ||
1993年 | 4本 | 6本 | 1両 | ||||
1994年 | 485系3組 489系2組 |
1997年には運用見直しにより後述の「スーパー雷鳥」からクモハ485形200番台を含む転用も含め、以下の基本10本・増結用付属3本の編成となった。
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2001年10月ダイヤ改正で「しらさぎ」運用を後述するY編成へ変更することにより、同年4月以降「スーパー雷鳥」用R編成から転用早期落成車の投入などもあり徐々に規模を縮小。残存車で組成された編成はK31 - K33を付番した。「しらさぎ」運用終了後、編成記号は「加越」充当用O・S編成を統合した2代目K編成へ継承された。
- 「北越」「加越」用(O編成) 6両編成 1988年 - 2002年
1988年3月13日ダイヤ改正で「北越」用に4本組成された編成。米原方にサロ489形1000番台改造のクロ480形1000番台を連結。1991年以降は1編成減で「加越」にも充当されたほか一部車両交換も実施。O02編成は前述のH編成・初代K編成以外で唯一ボンネット車のクハ481-112[注 203]を組成した。2002年に後述する2代目K編成に発展的解消で消滅。
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- 「かがやき」「きらめき」→「加越」用(S編成) グレードアップ車4・6両編成 1988年 - 2002年
1988年3月13日のダイヤ改正で金沢発着で運転開始された「かがやき」2往復は長岡で上越新幹線へ、「きらめき」1往復[注 204]は米原で東海道新幹線へ連絡の速達性を重視した列車で[注 205]、充当にあたっては並行する北陸自動車道高速バスとの競合も考慮された結果、グレードアップ改造ならびに特別塗装を施工した専用編成が必要と判断されたことから組成されたのが本編成である。
当初はモノクラス4両編成×2本[注 206]であったが、1990年3月以降は「かがやき」のみ6両化された。
- 一時的に共通運用が解かれ「きらめき」充当の4両編成は編成番号をI01とした。
翌1991年からは米原方にクロ480-2301・クロ481-2201・2300番台などの改造グリーン車を組込「北越」「加越」にも充当。1992年3月14日のダイヤ改正で「きらめき」運用も再び共通化され5編成が組成された。1997年3月22日ダイヤ改正で「かがやき」「きらめき」廃止により一部はV編成に転用されたが、残りの車両は編成名はそのままでMM'ユニットを1組カットした上で塗装を国鉄色へ変更し「加越」へ充当された。2001年にO編成と統合され2代目K編成に発展的解消。
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- 「スーパー雷鳥」用(R編成) グレードアップ車7→9→10両(7+3もしくは10両固定編成) 1989年 - 2001年
クロ481形2000番台・2100番台・サロ481形2000番台は2+1配置、普通車指定席はシートピッチ拡大を行ったグレードアップ改造や専用塗装などを施工した編成で以下の遍歴で編成組成が変化した。
- 1989年3月11日ダイヤ改正
7両編成×4本で運用開始。季節運転で「スーパー雷鳥・信越」で長野まで乗入運用を設定。
- 1990年3月10日ダイヤ改正
各編成にMM'ユニット1組追加ならびに増備で9両編成×5本。
- 1991年9月1日ダイヤ改正
- 大阪方3両付属編成×7本(R7 - R13編成)+金沢方7両基本編成6本(R1 - R6編成)の分割併合可能編成へ組成変更し以下の列車へも充当
- 1993年9月18日ダイヤ改正
富山地方鉄道乗入運用を「スーパー雷鳥・宇奈月」に集約
- 1994年12月3日ダイヤ改正
「スーパー雷鳥・信越」は冬期シーズンのみの運行に縮小し 富山地方鉄道乗入運用を「スーパー雷鳥・立山」に変更
- 1995年4月20日ダイヤ改正
富山方に組成されていたクロ481形・サロ481形を大阪方に組成変更し付属編成を含み方向転換[注 207]
- 付属の編成番号を変更し7本→6本に減
- 旧R11編成に組成されていたクモハ485-205+モハ484-343は運用離脱し休車 クハ481-308は1996年3月にクロ183-2706へ改造され福知山へ転出
- 本改正より富山地方鉄道乗入運用を終了
- 1997年10月1日ダイヤ改正
- 編成番号ならびに組成を以下に変更
- R01 - R03:7両基本編成
- R11 - R13:3両基本編成
- R21 - R23:10両固定編成
- 七尾線乗入は7両編成限定運用となるほか余剰となった付属編成3本はユニット組替の上で「しらさぎ」K編成へ転用
2001年に運用終了。サロ481形2000番台は廃車となったが、その他は一部車両を除き「しらさぎ」用Y編成に組成変更されR編成は消滅。
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- 「はくたか」用(V編成) グレードアップ車8両編成 1997年 - 2002年
1997年3月22日ダイヤ改正では北越急行ほくほく線が開業したことにより、上越新幹線接続を長岡から越後湯沢へ変更されたため「かがやき」を廃止、新たに「はくたか」が設定されたことにより組成された6M2Tの8両編成×2本[注 208]で車両はS編成からの転用であり[注 209]、金沢方にクロ481形2300番台を連結する。
転用改造は北越急行乗入のためATS-P取付のほか、塗装変更が行われた。
- 福知山電車区配置の183系A・C編成と塗装が酷似するが、相違は地色が灰色な点である。
工事は1996年から施工されており、改正前には「かがやき」「きらめき」で運用された。
2002年3月23日のダイヤ改正により北越急行で最高速度160 km/h運転が開始され対応する681系に置換えられ消滅。
「はくたか」用V編成(1998年) | ||||||||
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← 金沢 越後湯沢 →
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編成 番号 |
クロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
V01 | 2302 | 318 | 216 | 1003 | 319 | 217 | 309 | |
V02 | 2303 | 325 | 223 | 611 | 252 | 316 | 214 | 306 |
- 「しらさぎ」用(Y編成) グレードアップ車7・10両編成 2001年 - 2003年
2001年10月のダイヤ改正で「加越」運用を後述の2代目K編成へ分離し、「しらさぎ」運用を集約するために組成されたのが本編成である。塗装は青とオレンジのラインが入る通称あおさぎ色へ変更、塗り分けははくたか色に準じた。クロ481形2000・2100番台を含むR編成から転用車を中心に初代K編成ならびに新たに改造されたモハ485形500番台・サハ481形600番台などで組成された以下の編成で構成された。
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改正直前まで初代K編成が運用されていたことから、ダイヤ改正時に転用予定車の落成が間に合わず、本来本編成が充当される運用に一時的に組成されたK31 - K33編成を充当したほか、臨時「雷鳥」にも充当された。
2003年に683系への置換えで運用終了。一部車両は京都総合運転所へ転出した。
- 「加越」用(2代目K編成) 4・6両編成 2002年 - 2003年
2001年3月のダイヤ改正で「北越」は運用をJR東日本新潟車両センターへ完全移管。同年10月に「しらさぎ」運用はY編成へ集約したことから、「加越」運用に充当されていたO・S編成を集約、V編成からの転用車を含め2002年4月に再組成した国鉄色の4・6両ならびに増結用MM'3組計36両で以下の組成とされた。
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本編成の特徴はO・S・V編成から、クロ480形・481形グリーン車の連結位置を従来の米原方から金沢方へ変更した点にある。その際に編成ごと方向転換[注 207]したことからMM'ユニットも逆向きとなるため他編成と混結使用が不可となり、増結用MM'ユニットも本編成専用である
当初は6両編成が臨時「雷鳥」にも充当されたが、2003年に「加越」は「しらさぎ」に吸収された上で683系への置換えで運用終了。一部車両は京都総合運転所へ転出した。
- 波動輸送用(Z01→H04編成) 7両編成 1997年 - 2009年
1997年のH編成1本減となった後に一部車両を変更して共通予備編成Z01編成として組成されたが、1998年にコンビニエンスカーMM'ユニットのモハ489-18+モハ488-203が廃車。以後数度の車両交換を実施して489系限定ならびにATS-P・デジタル無線機を搭載する首都圏乗入対応のH04編成として編成番号を改めた7両編成である。同編成は主に波動運用や臨時列車に充当されたほか、客室減光装置を搭載することから予備もしくはH01 - H03編成のMM'ユニットを組込み「能登」運用に充当された実績もある。2009年3月の団体臨時列車充当を最後に運用離脱。同年9月に廃車となりその後解体された。
波動輸送用H04編成(2009年4月) | ||||||
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← 大阪・上野 新潟・越後湯沢 →
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クハ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
サロ 489 |
モハ 488 |
モハ 489 |
クハ 489 |
502 | 14 | 13 | 15 | 2 |
- 共通予備編成(Y31 - Y33編成) 7両編成 2001年 - 2005年
初代K編成が「しらさぎ」用Y編成に組成変更される際の過渡期間に組成されたK31 - K33編成がベース。Y編成への移行後に一部車両を交換した上で編成記号を「しらさぎ」グループと同様のYに変えた7両編成×2本と増結用MM'ユニット1組の16両で構成される波動輸送対応編成で臨時「しらさぎ」にも充当された。
前述したZ01→H04編成が489系限定で首都圏乗入対応が施工されているのに対し、本編成は485系・489系混結でサロ481・489形を組込むほか、Y33編成はH04編成に組込んで「はくたか」や「能登」運用にも充当された実績がある。2005年の廃車により本所の485系配置が終了した。
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京都総合運転所(近キト)
国鉄向日町運転所[注 210]時代から本系列最初の配置車両基地であり1975年3月までは山陽・九州特急を担当。以後は「雷鳥」「北越」などの北陸特急を主に運用された。489系との混結や「シュプール号」などでの夜行運用に対応した客室減光装置搭載編成も在籍し、1997年3月 - 2001年3月までは在来線電車特急として最長運転距離となる「白鳥」にも投入され青森まで広域運用されていたが、それ以降は「雷鳥」のみが定期運用となった。2011年3月12日のダイヤ改正で「雷鳥」は「サンダーバード」に統合され同月11日の「雷鳥33号」を最後に本系列での定期運用を終了。同年8月までに全車廃車となった[157]。
なお分割民営化後も北陸特急の運用形態の変更に伴う大きな編成変更を度々実施しており、その動きを以下で解説する。
- 1987年:分割民営化時
以下の編成が在籍[注 211]。
向日町運転所485系(1987年)[158] | ||||||||||
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← 大阪 富山 →
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10両 9本 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
サロ 481 -500 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
9両 11本 |
クハ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
サロ 481 |
モハ 484 |
モハ 485 |
モハ 484 |
モハ 485 |
クハ 481 |
- 1989年:「スーパー雷鳥」運行開始に伴う一部運用の見直し
サロ481形500番台組込10両編成のうち3本を分割し18両が金沢運転所へ転出。残存編成は「だんらん」廃止により、号車にサロ481形組込9両編成に変更・統一。
- 「ゆぅトピア和倉」併結編成は密着連結器・ジャンパ連結器装備の制約からクハ481形200・300番台組込編成の限定運用であったが、運用効率化の観点から同年10月までに100番台にも併結対応改造を施工(詳細は前述)。
- 1991年3月・9月:「スーパー雷鳥」を含む金沢運転所担当列車増発に伴う転出
1990年10月より計19両が金沢運転所へ転出。
- 9両編成×15本
- 1991年度から1992年度にかけて以下の改造工事を施工。
- サロ481形の大阪側洗面所をカード式公衆電話室に改装。
- 各車の洗面所改良。
- A03・A05編成に夜行運用対応の客室減光装置を装備。
以下の編成に組成変更。
- 4号車サロ481形組込9両編成×9本。
- A02・A03・A06編成に客室減光装置を装備。583系との併結運用にも本編成が使用された。
- 多客期には一部編成に増結用MM'ユニット組込の11両編成[注 213]で運用。
その後、各編成の座席定員を統一するため、1999年迄に中間車を以下の様に編成を組み替え。
- 2・3号車および7・8号車MM'ユニットは基本番台後期型に限定
- 5・6号車MM'ユニットは基本番台前期型・1000番台に限定
- 5号車のモハ484形業務用室は1999年9 - 11月に車販準備室に改造。
- 2001年3月3日のダイヤ改正に伴う増備
「スーパー雷鳥」が681・683系化されて消滅。大阪-青森間の「白鳥」が、「雷鳥」・「北越」・「いなほ」に分割されて廃止。
- 「雷鳥」は新潟発着列車が「雷鳥」・「北越」に分割され、ダイヤ改正前の9往復から10往復に増発。上沼垂運転区担当運用3往復が移管され、すべて当所での運用となった。
- 2001年2月22日に金沢総合車両所より「しらさぎ」「加越」用初代K編成のうちK25編成7両が転入。増結用予備MM'ユニットを組込みA10編成とし、4号車サロ481形組込9両編成×10本となった。
- この後に金沢総合車両所の「スーパー雷鳥」「しらさぎ」で使用されていた車両が一部転入し、先頭車両をクハ481形100番台と交換する形で「雷鳥」編成に組込み。
- 2003年:「しらさぎ」「加越」への683系電車化による変更
クハ481形100番台・サロ481形は同年9月までに運用離脱 → 廃車も含め大規模な編成組替を実施[注 214]。金沢総合車両所より以下の車両が転入。
- 「しらさぎ」用車両…計25両
- クロ481形2000・2100番台…6両
- モハ485形500番台組込MM'ユニット…6組12両
- サハ481形500・600番台…7両
- 「加越」用車両…計5両
- クロ480形2300番台・クロ481形2300番台…4両
- クハ481形300番台…1両
不足するサハ481形はモハ485形よりサハ481形700・750番台へ3両改造施工により落成させ、クロ481・480形を大阪方先頭車とした上で以下の組成変更を実施。
- 1号車=パノラマグリーン車(クロ481形2000・2100番台)組込9両編成×6本(A01 - A06編成[注 215])
- 2号車はCP搭載のモハ485形500番台が限定されることからMM'ユニットを含み全車方向転換
- 「雷鳥」4・5・9・12・17・30・31・38・41・48号に充当[注 216]
- 1号車=非パノラマグリーン車(クロ480形2300番台・クロ481形2300番台)組込9両編成×4本(A07 - A10編成[注 217])
- 3号車のトイレ・洗面所撤去を施工
- 「雷鳥」8・13・16・34・37・47号に充当
- 予備編成が無いためパノラマ編成が充当される場合があった。
さらに各編成の座席定員を統一するため[注 218]中間車は以下の車両で編成組成となった。
- 2 - 4号車は金沢総合車両所より転入したシートピッチを1,010 mmへ拡大したグレードアップ車を充当
- 5 - 9号車は金沢転入車ならびに従来から京都配置車も含めシートピッチ910 mmのアコモ改善車を充当
- 3号車=モハ484形は車掌室装備600番台・1000番台に限定
- 5・6号車MM'ユニットは基本番台前期型・1000番台に限定
- 6号車のモハ484形は90を除いて1999年9 - 11月に業務用室→車販準備室改造施工。90[注 219]も2002年5月に金沢から転入後に改造施工。
- 7・8号車MM'ユニットは基本番台後期形に限定
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- 2009年10月1日:「雷鳥」5往復減便による変更
パノラマグリーン車を連結していないA07 - A09編成が定期運用から離脱することになり、残存編成間で一部車両交換を実施。
- クハ489-604:A07 → A04編成
- クハ489-704・モハ485・484-1003:A08 → A10編成
- モハ485・484-80:A08 → A06編成
- モハ485・484-76・サハ481-702:A09 → A01編成
離脱編成は4 - 6号車のサハ481形+MM'ユニット1組を廃車とし、残存した6両が2009年9月から12月にかけて183系に改造され福知山電車区に転出[159][160][161]。
- 2010年3月13日:「雷鳥」定期列車1往復化による変更
定期運用が「雷鳥8・33号」のみとなり、編成も9両からサハ481形+MM'ユニット1組をカットした6両に減車。ただし多客期には「雷鳥」もサハ481形+MM'ユニットを増結した9両で運用されるケースも発生したため各編成の組成両数固定化は未実施[162]。
A02・A10編成は運用離脱しその後廃車。A05編成は同年夏の多客期輸送終了後に、A04編成は2011年に運用離脱となり廃車となった。
- 2011年3月12日:「雷鳥」廃止による定期運用終了
同年3月27日運転の団体臨時列車を最後に運用離脱。順次吹田工場へ廃車回送を実施。同年8月までに全車が廃車となった。
JR四国
電化区間が1986年まで存在せず、1988年まで瀬戸大橋が開通していなかったこともあり国鉄時代から四国への入線はなかったが、2001年5月12日・13日に高松駅再開発事業で完成した施設「サンポート高松」の名称をそのまま列車名に使用した大阪 - 高松の臨時急行で初入線した。なお、予讃線箕浦以西の電化区間は狭小トンネルのため本系列は入線不可である。
JR九州
485系のみ324両が継承された同社には、南福岡・鹿児島に続き大分鉄道事業部大分車両センターにも配置された。
1989年 - 1992年には「有明」がキハ183系1000番台「オランダ村特急」と世界初の気動車との動力協調運転を行った。また改修工事の施工も開始され、下関発着の「にちりん」廃止後は大半の車両が電源切替回路の使用停止により交流区間専用車となったが、783系以降の新型車落成に伴い充当列車も徐々に減少。1992年の「つばめ」への787系投入により鹿児島本線熊本以南、1994年には「有明」の783系統一により同線鳥栖以南の運用を終了。1995年からは改修車の廃車も始まり、1999年までにサロ481形およびボンネット車は全廃となった。
その一方で1992年に登場した「ハウステンボス」、1995年に「にちりん」を系統分割した「きりしま」、1997年には博多 - 大分間の「にちりん」から改称された「ソニック」に大分区への入出庫を兼ねた1往復へ充当された。博多 - 肥前山口間では「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の3列車を併結し[注 220]、旅客列車としては九州最長の13両編成で運転された[注 221]。
2000年3月には885系による「白いかもめ」就役と「みどり」「ハウステンボス」が783系に統一されたことで長崎本線・佐世保線の定期列車運用を終了。本改正ではこれらの余剰車を「にちりん」から系統分割した「ひゅうが」に転用[注 222]。翌2001年3月3日のダイヤ改正では885系「白いソニック」の投入と博多乗入れ「にちりん」への783系充当・「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」集約により博多乗入れが終了。このため南福岡の定期運用が消滅した。その後は残存車両が波動輸送に充当されたが、2004年2月までに大分や鹿児島への転出や廃車により配置車両が消滅した。この運用の大幅な縮小により2002年から106両が一気に廃車され、消滅した形式・区分番台も発生した。
その後は「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」などで運用されたが、2011年3月12日の九州新幹線鹿児島ルート全線開業に伴うダイヤ改正で余剰となった783系・787系などに置換えられ定期運用が終了となり[注 223]、波動輸送対応となる一部車両を除いて廃車となった。2016年10月2日付でクハ481-256が廃車となり[49]、JR九州からは全廃となった。
なお同社では1990年代以降、編成番号を附帯させる際には、系列固有アルファベットと車両基地固有小書きアルファベットに一連の数字を組み合わせて表示させており[注 226]、本系列を示すDと所属基地から次の3種類が存在した。
- DM:南福岡電車区(本ミフ)
- Do:大分車両センター(分オイ)
- DK:鹿児島総合車両所(鹿カコ)
以下で定期運用終了後も本系列が配置されていた基地ごとに解説を行う。
大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)
大分電車区時代の1994年3月1日付で南福岡電車区から転入し初めて本系列が配置された。その後1995年4月20日までに鹿児島運転所などとの転出入が実施され、同日現在で43両(4両編成10本・3両編成1本)が配置となり「にちりん」で運用された。
その後は運用の見直しや883系・885系投入により廃車・南福岡区への転出が行われ、2000年3月11日ダイヤ改正で一旦定期運用を終了。臨時列車などの波動運用対応用として7両のDo21編成ならびに5両のDo31編成の計12両が残存となった[163]。
2006年3月18日ダイヤ改正では鹿児島所からの運用移管により定期運用が再開。車両面では3両のDo1 - 7編成と増結用MM'ユニット2組4両の計25両が転入、従来からの所属車両は5両のDo31編成が引き続き波動輸送用として残存したもののDo21編成は組成を解き3両が鹿児島所に転出したことから配置総数は34両となった。2011年3月12日まで以下の列車で運用された[164]。
定期運用終了後はRED EXPRESS色・K&H色の編成が2012年度内までに全車廃車となったが、2014年4月時点で旧国鉄色で波動輸送対応用として3両のDo2編成と5両のDo32編成計8両の配置となった。
- Do2編成:鹿児島所属時の2000年10月6日付でミレニアム記念として415系・475系・キハ58系・キハ66系などと共に旧国鉄色に変更された。2011年6月26日に運転された団体列車「ありがとう485系〜かもめ・みどり〜」を最後に運用を離脱。以後は保留車とされたが、2014年11月6日に小倉総合車両センターへ回送[165]。同年12月から翌2015年1月にかけて廃車された[166]。
- Do32編成:RED EXPRESS保留車をリニューアルした旧DK9編成がベースで2010年8月にKIRISHIMA EXPRESS色から旧国鉄色に変更。同年12月に鹿児島から転入し増結用MM'ユニットのモハ485-196+モハ484-298を組込んだ編成。転入後は『485系さよなら企画』の一環で「にちりん」「きりしま」で運用された[41]。しかし2015年3月以降はMM'ユニット2両を除いた3両編成で運用されていたが、同年10月18日に小倉総合車両センターで実施された工場祭りに合わせ配給回送を兼ねた「さよならDo32 九州国鉄色485系 廃車回送ラストラン!」として運転され[42]、2016年1月にクハ481-256を除く4両が廃車[167]。車籍が残ったクハ481-256も同年10月2日付で廃車され[49]、小倉総合車両センター構内で展示保存[50]。
大分車両センター所属車編成表(2014年10月時点) | |||||||
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← 小倉 鹿児島中央 →
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編成番号 | クモハ485 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | クハ481 | 廃車 | 車体色 |
Do2 | 102 | 328 | 230 | 2014年度 | 国鉄 | ||
Do32 | 5 | 206 | 196 | 298 | 256 | 2016年 |
鹿児島総合車両所(本カコ)
2010年4月時点では39両配置。DK8 - 10編成[注 227](3両)・DK11 - 16編成[注 228](5両編成)が配置されていたが、同年12月に旧国鉄色へ塗装変更したDK9編成と大分所属のDo1編成を交換する形で転配を実施。2011年3月12日で以下の運用を終了。その後は順次廃車回送が行われ、2012年度までに全廃となった。
- 2012年3月12日に小倉総合車両センターへ廃車回送されたDK11編成は[168]、同年4月28日に幕張メッセで行われたニコニコ動画の大規模イベント「ニコニコ超会議」の企画「485系公開解体買付ショー」の提供車両とされ解体が行われた[169]。
- DK1・8・10編成
- DK11 - 16編成
- 「にちりん」
- 「きりしま」
- 鹿児島本線「さわやかライナー3号/ホームライナー2号」
- 宮崎・南宮崎 - 宮崎空港 普通列車
鹿児島総合車両所所属車編成表(2011年運用終了時点) | ||||||
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← 小倉 鹿児島中央 →
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編成番号 | クモハ485 | モハ484 | クハ481 | 車体色 | ||
DK1 | 101 | 304 | 246 | K & H | ||
DK8 | 108 | 342 | 238 | |||
DK10 | 7 | 209 | 213 | RE | ||
編成番号 | クモハ485 | モハ484 | モハ485 | モハ484 | クロハ481 | 車体色 |
DK11 | 3 | 204 | 180 | 282 | 203 | RE |
DK12 | 6 | 208 | 164 | 268 | 4 | |
DK13 | 9 | 215 | 169 | 271 | 205 | |
DK14 | 1 | 201 | 176 | 278 | 5 | |
DK15 | 11 | 220 | 177 | 279 | 6 | |
DK16 | 4 | 205 | 175 | 277 | 201 |
その他のエピソード
- 国鉄時代に大量に増備され、日本各地で特急列車に広く運用されたが、2010年現在鳥取県・島根県・愛媛県とJRの電化区間が存在しない徳島県・高知県では走行実績がない。また神奈川県・静岡県・山梨県・三重県・奈良県・香川県は定期列車での入線はなく、すべて臨時列車もしくは回送など非営業列車によるものである。
- JR化後には列車別・基地別に様々な塗装が登場したことで、転属直後や貸出・運用変更または故障などで予備車を連結した際など混色編成になることも多くなった。上沼垂運転区T編成にひたち色のMM'ユニットが組込まれたり、「シュプール号」では京都総合運転所583系電車との併結運転[注 229]や旧国鉄色のMM'ユニット組込みが代表的な例である。また、2003年には北陸地区で森ノ宮電車区所属の103系USJラッピング車が展示されることになり、金沢総合車両所の本系列が電源車として使用された実績がある。
- 制御車の国鉄色塗装で新製時もしくは検査等による工場入場時に何らかの手違いにより、以下のエラー塗装が存在する。
- クハ481-109
- スカートは本来50㎐用クリーム塗装であるが、新製時に製造メーカである川崎重工業の手違いで60Hz用赤スカートで落成。そのまま納入され青森運転所に配置。向日町運転所へ転出後に吹田工場での検査入場で本来のクリーム塗装を施工。
- クハ481-216
- 1978年の仙台運転所転出後に郡山工場へ入場した際に本来は先頭部手前で区切られる裾部赤2号帯が、貫通扉カバー部手前まで塗装された状態で出場。同車は1982年にそのままの状態で南福岡電車区へ転出し、小倉工場へ検査入場した際に本来の状態へ再塗装された。
- クハ481-311
- 1986年の勝田電車区転出後に郡山工場へ入場した際に上述したクハ481-216と同様のエラー塗装を施工。
- クハ489-503
- 1975年前後の一時期にスカートをグレーに塗装。金沢工場に入場し短期間で本来のクリーム色へ復元。
- 富山地方鉄道16010形ならびに10030形の一部車両が制御装置・台車・主電動機でJR九州の廃車発生品を再用している。これは、種車の機器が使用できなかったことや[注 230]、かつて「スーパー雷鳥」で本系列や急行「立山」などで457・475系の乗り入れ実績があり、扱いに慣れているという理由で導入した。
脚注
注釈
- ^ 1961年以降製造の151電動車ユニットは、将来の交直流化改造を想定して台枠強化ならびに主電動機に脈流対策を施したMT46B形搭載で落成した。
- ^ 483系はモハ483・482、485系はモハ485・484の中間電動車のMM'ユニットのみの製造となった。しかし国鉄時代の先頭車化改造でクハ480形・クロ480形、分割民営化後にJR東日本がジョイフルトレイン化改造でクハ485形・クハ484形を制式化した。
- ^ 2015年3月14日の北陸新幹線金沢延伸開業により金沢 - 倶利伽羅間はIRいしかわ鉄道IRいしかわ鉄道線へ、倶利伽羅 - 富山貨物間はあいの風とやま鉄道あいの風とやま鉄道線へ経営分離ならびに線名変更。
- ^ 交互点滅灯もしくはウインカーランプとも呼称。
- ^ 共通運用の「はくたか」を含む。
- ^ 一部車両の座席はキハ58系ジョイフルトレイン「らくだ号」に転用された。
- ^ 「つばさ」盛岡編成から独立させ別愛称への変更。
- ^ 日本では、1968年(昭和43年)の「カネミ油症事件」をきっかけに、1972年(昭和47年)に行政指導という緊急避難的な措置として製造・輸入・使用が原則として中止され、翌1973年(昭和48年)には、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律を制定(発効は1975年〈昭和50年〉)し、法的に禁止された。 PCBを含む廃棄物は、国の具体的対策が決定するまで使用者が保管することが義務付けられたが、電気機器等については耐用年数を迎えるまで使用が認められたことから、PCBを含む機器の所在や廃棄物の絶対量の把握が曖昧なものとなった。
- ^ MM'ユニット62 - 96・クハ481-105 - 126・サハ481-14・サロ481-36 - 51・サシ481-29 - 39が該当。
- ^ 同年11月に新潟運転所上沼垂支所が上沼垂運転区として独立。略号が「新ニイ」から「新カヌ」となる。
- ^ 後に101もボンネットに移設。
- ^ クハ481-101 - 104もそれぞれ同日に仙台に配置された。
- ^ 123・124は書類上は向日町配置のまま1973年(昭和48年)2月まで青森に長期貸し出しという経歴がある。
- ^ スカートはクリーム1色が正式であるが、109は60 Hz用赤スカート塗装で落成。1972年(昭和47年)5月青森運転所への新造配置後、同年9月に向日町へ転出した。
- ^ 101は仙台から向日町へ転出する間に書類上のみではあるが1985年(昭和60年)3月14日 - 3月22日の9日間だけ勝田電車区の所属となった経歴を持つ。
- ^ クハ481-227・305・318・321 - 323・343・クハ489-303・703と交換。
- ^ この前頭デザインは183系や583系ならびに後述の300・1000・1500番台先頭車と共に愛好者から俗に「炊飯器」「電気釜」とも呼ばれる。
- ^ 国鉄時代唯一の正面貫通路使用例。
- ^ 冬期は屈指の豪雪地帯である奥羽本線は列車が遅延することも多く、分割・併合運用では他列車への影響も問題視されたためとも言われている。
- ^ JR東日本承継車は民営化直前に向日町から上沼垂へ転属した258・260・261の3両のみであり、このグループは転属が多く新製から同一基地所属のまま廃車になったのは253のみである。
- ^ クハ481-204は分割民営化直前の1987年2月にクロハ481-214へ改造されJR西日本に承継。1990年6月にはクロハ183-801へ再改造され、その後は福知山運転所(現・福知山電車区)B41編成に組み込まれた。同車は踏切事故復旧時に前面貫通扉を埋込んでいるが、スカートには電気連結器装着時代の痕跡が確認できる。
- ^ 分割民営化後に西日本・九州所属車の一部に電気連結器・自動解結装置を装着した車両が存在する。
- ^ 車両側には装置および汚物タンクを搭載するが、当時は地上側処理施設の整備が遅れていたため完成までは配管をタンクに接続せず流し管を別に設置し線路上に汚物を垂れ流す方法がとられた。
- ^ 4両が1990年にモハ182形800番台へ改造。
- ^ この2両は向日町から1986年に青森へ転出。1988年3月に「たざわ」の多客期増結用として南秋田運転所へ再転出。1989年3月に勝田電車区へ再々転出し「ひたち」で運用と常に動きを共にした。
- ^ 駅名の読みは1898年の開業から1905年3月31日まではあさひかわ、翌4月1日からあさひがわ。あさひかわへの再変更は民営化後の青函トンネル開通に併せた1988年3月13日付である。このため側面方向幕に記載される旭川の英字表記はFOR ASAHIGAWAとされた。
- ^ 本州転出時に標準品のDT32E・TR69H形へ交換
- ^ 「白鳥」は13両編成による限定運用の上に側面方向幕は札幌配置前提のものが装着されていたことから前面側面ともにステッカーで対応。
- ^ 青函連絡船を含み非電化区間となる青森→札幌の配給回送ならびに車両故障発生時のED76形500番台やDD51形による牽引を行うための交換。1980年の青森転属時に通常の密着形へ再交換を実施[11]。
- ^ 当初は7月1日から運転としたが[12]、労働争議の縺れによるストライキを実施したため18日からの運転となった。
- ^ 当初はノンストップ急行「さちかぜ」の愛称を引き継ぐ予定だったが[12]、増収目的の格上げとの風評を避けるため「いしかり」に変更された。
- ^ 運用は2編成を投入し、ダイヤは札幌・旭川を8 - 20時の偶数時00分発に設定[12]。旭川8時発上り1号(1002M)と札幌18時発下り6号(1011M)は「さちかぜ」のダイヤを踏襲した途中駅には一切停車しない完全ノンストップ運転が実施された[12]。
- ^ 機器箱に負圧部を作らないよう対策を取らなかったため走行時の負圧でアスピリンスノーと称される極微粒の粉雪を吸い込み、機器の熱で溶けて故障の元となった。
- ^ 扉のヒーターにより雪は一旦は溶けるものの走行中に冷やされ氷結し客用扉を固着させるため。次駅までの20 - 30分間に凍結する対策として湯の入った大型やかんをいくつも用意し扉に湯を掛けて氷を溶かした。
- ^ 1979年から1980年にかけての冬期は旭川駅構内滞留線新設や781系試作車による運用投入から計画運休は未実施[13]。
- ^ 札幌 - 旭川の運転時間は途中駅停車便が1時間43分、ノンストップ便が1時間37分で折返し間合いが20分程度に設定されていた。
- ^ ただし全車が同時に所属したことはない。
- ^ a b c 当初はT17編成を付番。またクロハ481形が青森方に、クハ481形が金沢方に組成されていたことから方向転換の上で再組成しT15編成へ再付番。2001年3月3日にT18編成へ再々付番された。
- ^ 1001→クロハ481-1010→3010・1003→クロハ481-1011・1005→3005・1033→クロハ481-1018・1034→クロハ481-1006→クハ481-3034→クロハ481-3026・1037→3037→クロハ481-3037の5両が方向転換改造を施工。
- ^ a b 本番台区分の給電制御変更機能は、クハ481形・サロ481形に対応するものであり、通常は自車給電のみとなるサシ481形の制御は考慮されていない。したがってサシ481形のMGに異常が発生し使用不能となった場合は同車の三相回路配電盤を手動で切替てサロ481形からの給電となる。
- ^ これは将来のモノクラス化を想定したものである。
- ^ 青森運転所への1000番台新製配置車はMM'ユニットとクハ481形のみで在来車との混結で編成組成となった。このためサシ481形への本改造は未施工である。
- ^ a b c d サシ481形は捻出のため1975年8月以降「にちりん」充当編成から除外し休車とされ一時的に10両編成となった。一方で本来は「かもめ」編成に組成が予定されていたサハ481-3 - 11は、1975年6月まで南福岡転入が完了しており、このうち6両が同年10月から「にちりん」編成に組成された。
- ^ 1969年にそれまでキハ82系で運転されていた「はくたか」が電車化される際には横軽区間で最大8両編成の制約から、専用編成の組成ならびに輸送力低下の問題点が発生し向日町運転所の11両編成により上越線経由へ変更した経緯がある。
- ^ 169系での総括制御は165系との混結ではKE64形ジャンパ連結器2基で、169系単独で協調制御も行う場合はKE70形ジャンパ連結器を用いた方式を採用。
- ^ 解放テコ部分を切り欠いた連結器カバーを装着して落成しており、製造直後や21世紀になってからのリバイバルトレインでも装着されて運用された実績がある。
- ^ 当初は向日町に配置されたため送り込みを兼ねた共通運用とされた。
- ^ このため車両番号に付く横軽対策車を示す「●」マークを車両検査時に省略した車両も存在した。
- ^ 向日町所の定期運用にも組込まれ九州地区での運転も確認されている。
- ^ 1974年から1976年頃にかけてクハ489-503はスカートが本来のクリーム4号ではなく、クハ181形同様グレーに塗られていた時期がある。
- ^ 1972年11月25日より急行「妙高」1往復の運転区間延長を兼ねた格上げ。
- ^ モハ489・488-7 - 9・クハ489-3・503・サロ489-5・8・サシ489-102
- ^ クハ481形300番台初落成車を含む。
- ^ 減価償却資産の耐用年数等に関する大蔵省令第15号に定められた鉄道用車両における電車の償却年数である13年に満たない期間での廃車である。
- ^ a b 編成変更以前の金沢運転所食堂車組込12両編成は、「白山」「雷鳥」充当489系限定が13本、「しらさぎ」充当用485系・489系混結可編成が5本組成されていた。1978年7月以降はこれを「白山」「はくたか」充当489系限定編成10本と「しらさぎ」「雷鳥」充当11本へ組成変更。この際に必要な485系200番台MM'ユニット19組38両とクハ481形200番台6両は青森運転所からの転入車で賄うことになっていた。しかし青森配置車は金沢への転出と引換に新製される485系1000番台の一部落成が1979年に遅れたため「白山」「はくたか」充当編成はMM'ユニット1組カットの暫定10両編成を組成せざるを得なくなったことから2段階にわけての組成変更となった。この組成変更が改正3ヶ月前から行われた理由は、「しらさぎ」「雷鳥」充当編成も含み捻出されたサシ481形4両とサシ489形3両が、秋田運転区へ転出する際に1000番台組込対応改造が必要であったためである。またサハ489形は旧「しらさぎ」編成組成されていたサハ481形4両が向日町運転所へ転出したことから「しらさぎ」「雷鳥」充当編成に転用。サロ489形0番台の一部も「しらさぎ」「雷鳥」充当編成に転用し、捻出されたサロ481形4両がサロ183形1050番台とサロ189形50番台に改造された。
- ^ 489系在来車と編成を組成することから、485系1000番台に装備された制御車からの給電区分変更制御機構はなく、いずれかのクハ489形にMGトラブルが発生した際には手動で給電区分を変更する必要がある。
- ^ 種車は全車汽車製造が製造。
- ^ 外観上でクーラー・ベンチレーターの位置が多少異なる。
- ^ 展望の観点からシートのヘッドレスト部分が小型化されるなど以後のJR西日本におけるパノラマ型展望車の基礎となった。
- ^ 1050番台車は車販準備室、1000番台車は乗務員室に搭載。
- ^ 181系時代はサボ受が設置された以外は、サロ481・489形1000番台と外観上の大きな違いはない。
- ^ この時点でまだサボ受が残る車両もあった。
- ^ クロ481形2000・2100番台同様の配置であるが、背摺りは前方眺望を考慮する必要がないためヘッドレストは小型化していない一般形状。
- ^ サシ481形では調理室車端部寄りの一角。
- ^ JR東日本では、国鉄時代の1986年からクハ481形1000・1500番台を種車にクロハ481形1000番台の改造施工を実施していたが、秋田配置のクハ481形1000番台偶数向車はクロハ481形1000番台に全車改造済で種車としての捻出ができず300番台が供出されたという事情がある
- ^ 16席仕様にした際にレッグレストを装備する試作的要素の高いシートに交換。
- ^ a b 1002はグリーン室定員12名・普通室定員は44名。1023はグリーン室定員16名・普通室定員36名。秋田配置車は両グループが一部共通運用される反面で新潟配置車はグリーン室定員16名に統一されていたための車両交換である。
- ^ 「はくたか」充当用9両のR1編成への転用で編成内にサロ481形が組成されることからクハ481形復元を施工。
- ^ 横軽区間用KE64形ジャンパ連結器も残存。
- ^ 1986年5月と早期落成したため福知山所属のまま日根野に貸渡され他のクハ480形改造工事充当車と差し替えられて末期の「くろしお」でも運用された。
- ^ 「スーパー雷鳥」用R編成では分割併合時に中間組込となる基本編成のクハ481形は貫通扉ならびに幌を装備する200番台に限定されており、クハ480形として改造された時点でクハ481形200番台との正面併結が前提であり、幌枠はあるものの貫通幌設置時には美観を考慮しない構造である801は分割併合に関与しない付属編成に充当。1995年の組成変更により10両固定のR21編成へ組成された。なお同車は自由席車となることからシートピッチ拡大などのグレードアップ改造は未実施で、アコモ改善のみ施工された。
- ^ 大きな表示幕のため巻上げ時に度々引っかかる欠点もあった。
- ^ JR化後「ひたち」で運用されていた勝田配置車両が、イベント展示の際に表示された実績がある。
- ^ 後に「ゴールデンエクスプレスアストル」や「シュプール&リゾート」でもこの機能が発揮された。
- ^ 前面のみが片渡りで後部側は従来からの両渡りのままのため併結運転は不可能になるが方向転換は可能である。
- ^ 1011は転入直後の1998年3月に3000番台改造を施工された際に撤去、333は2006年に、最後まで運用された332は2014年に廃車。
- ^ クハ481形200番台同様に貫通幌を外付けで取付けることは可能だが、この場合は必然的に貫通幌が剥き出しの状態となる。またこのケースでの営業運転実績は無い。
- ^ キハ181系気動車で運用されていた「つばさ」は基本7両+付属4両の11両編成とされたが、編成中間のキハ181形は立体型特急マークが貫通路構成時に通行支障をきたすことから同様例として取り外された。そのため「つばさ」基本7両編成の間合い運用で運転される「あおば」では秋田方キハ181形の特急マークが外された状態とされた。なお分割併合運転が多数存在したキハ82系で運用されていた列車に関しては、この様な措置は採られていない。
- ^ 801・802は早期落成したため福知山所属のまま日根野貸渡で「くろしお」運用にも充当。一方で851は改造日程の都合でクハ480-5のまま福知山へ転出し「北近畿」に充当されてから改造という差異がある。
- ^ ユニットを組成していたモハ484形は廃車。
- ^ 「雷鳥」「しらさぎ」運用に充当される編成では引き続き食堂車が組成されていたため同編成用にはサシ489-1 - 9・101・102が転用組成された。
- ^ a b c 1986年9月1日に長野運転所が長野運転所第二分所を統合し長野第一運転区へ改称。さらに1987年3月1日に北長野運転所に再改称。JR化後は1991年7月1日に長野工場と統合し長野総合車両所となり、2004年6月1日に長野総合車両センターへ改称して現在に至る。
- ^ 改造の際に調理室区画の小窓1ヶ所が埋込れた。
- ^ 長野配置時代の1995年5月12日に1051は「90年代観光振興行動計画(TAP90's)」に基づく「栃木・群馬観光立県推進地方会議」の視察団が利用する臨時列車「臨時特急ほのぼの号」中軽井沢-高崎間で運転された際に増3号車として「ゆう」と同色に塗り替え編成に組込まれた記録がある。
- ^ これは189系のサロ189形でMG・CP双方を装備する100番台のほか、0番台もCPを装備することにフィードバックされた。
- ^ 「はつかり」の盛岡以南、「やまびこ」の仙台以南は基本的に1県1駅のみの停車とされ、「ひばり」「つばさ」「やまばと」も増発や所要時間短縮の関係上停車駅を絞る傾向が強まった。
- ^ 残り6本のクハ481形は、334・342・350・351・352・1506を組成。
- ^ 雪国のスノーホワイトを基調に日本海のマリンブルーと越後平野のプレイングリーンを配する[26]。
- ^ 自由席となる4・5号車に組成。これは未改造車に比較すると定員が4名減となるため指定席となる2・3号車への組成を避けたことによる。
- ^ 「あいづ」は土休日を中心に、「アクセスあいづ」は平日を中心に運転されるため両列車が同日に運転されることはない。また車両は東大宮もしくは会津若松で夜間滞留となり、所属の仙台車両センターへは月1回検査のため平日に出入が行われ、その際には「アクセスあいづ」は運休となった。
- ^ 両列車とも磐越西線郡山 - 喜多方間は共通のダイヤ設定とし、平日は仙台発着、土休日は上野発着とした。
- ^ 後に「日光・きぬがわ」用へ転用改造することを前提としていたため。
- ^ a b c 夏期の臨時「あいづ」充当や入場期間中を含め何らかの理由で本編成を「あいづライナー」に充当できない場合は、同センターの583系N-1+N-2編成が代走充当された。ただし583系は2011年8月20日付で秋田車両センターへ転出したため以後A3・A4編成が配置される2012年2月までは、勝田車両センター所属K60編成もしくは新潟車両センター所属T18編成による代走充当が実施された。
- ^ 2009年7月4日・5日の「あいづ」には車両運用の都合で新潟車両センター所属T18編成が充当された。
- ^ クロハ481-1014より復元
- ^ クロハ481-1013より復元
- ^ 青森での改造車も最終の塗装行程は土崎工場で実施。
- ^ 運転士側の2本が連動する。
- ^ ドア挟み防止センサー内蔵
- ^ ヨハン・シュトラウス2世「美しく青きドナウ」、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、アントニオ・ヴィヴァルディ「春」、フェリックス・メンデルスゾーン「春の歌」など。
- ^ 出入区を兼ねた「北越」と2001年までは間合い運用で「雷鳥」にも充当。
- ^ 鉄道車両が事件事故の物的証拠と押収された場合、裁判所からの保全命令により車籍の抹消など一切の手続きが執れなくなる。
- ^ クハ481-1026→クロハ481-1005→クハ481-3026→クロハ481-3026
- ^ クハ481-1037→クハ481-3037→クロハ481-3037 クロハ481形3000番台のうち本車のみクロハ481形1000番台への改造履歴がない。
- ^ 2両とも1974年に日立製作所笠戸事業所で製造後、向日町運転所に配置。1986年11月1日付けで上沼垂運転区に転入した経歴を持つ。
- ^ どちらもクハ481形は481系時代に向日町運転所と483系時代に仙台運転所に新製配置された車両で、電動車も1972年製造の仙台→青森→仙台→勝田と同じ経歴を持つユニットで組成された。
- ^ 2001年の「しらさぎ」転用時に撤去。
- ^ R編成用グリーン車も含み種車が元々グリーン車である場合は客室窓が小窓であるのに対して、それ以外では大窓となる。このため座席配置と窓割が一致しない区画が存在する。
- ^ S編成用グリーン車ではクロ480-2301の種車がサロ489-1005であり、他の車両は種車がクハ481形であることに由来する。またR編成用クロ481形2000番台・2101・サロ481形2000番台のシートピッチは1,160 mmである。
- ^ 1989年からJR九州バスに導入された「RED LINER」がデザインベース。ただし「KIRISHIMA EXPRESS」のみJR九州がデザインを担当[39]。
- ^ 旧国鉄色再塗装車は銀色に復元。
- ^ ただし一部車両はモケット張替のみ実施。
- ^ 旧国鉄色再塗装車は金と銀の塗り分けに復元。
- ^ 「みどり」のエンブレムは783系化後も継承。
- ^ 施工当時は鹿児島所属で後に大分車両センターに転出し現在はDo2編成。
- ^ 2000年施工車は先頭車の飾り帯の復元がされてないのに対して、2010年施工車は復元されるなどの差異がある。
- ^ 同時にDk9編成の大分転出とMM'ユニットで5両編成化されDo32編成となった。
- ^ 名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーのような完全な2階建てではない。
- ^ 504 - 506の食堂定員は当初40名であったが、後に他車同様の28名に変更。
- ^ クハ481-17から移植。
- ^ 製造直後の状態に近づける以下の内容を施工。
- 屋根の塗装色をグレーから国鉄時代の銀に復元
- クハ481-26の前灯をシールドビームから白熱灯[注 120]に復元
- ボンネット側面上部にステンレス製のJNRロゴマークを復元
- モヤ484-2をモハ484-61へ復元
- ^ 劣化により車両状態が芳しくなかったことからクラウドファンディングを実施し、2017年3月20日に補修を完了[46]。同月25日・26日の2日間に撮影会が行われた[47]。
- ^ 一方の当該車である189系はグレードアップ編成であったことと先頭車のみが軽度の損傷であったため修復を行うが、冬期シーズン・長野オリンピック・新幹線開業を控えた時期に2編成が使用不能となり「あさま」充当用編成が不足したことから、先頭車とMM'ユニット1組は長野所属車、グリーン車とMM'ユニット1組は松本運転所(現・松本車両センター)所属車でN401編成を組成し対応した。
- ^ 「やまばと」山形編成は10日間単独運転の後9月27日から本系列での運転を開始。
- ^ ただし1往復は583系を充当
- ^ キハ80系広域転配の関係から本系列化は9月27日に実施。
- ^ 1972年10月2日ダイヤ改正時点では「いなほ」のみで出入所を行っており、同年11月1日からの運用増に対して1973年3月31日まで以前は盛岡で夜間滞留となっていた「やまびこ」充当編成を青森まで回送し、深夜に仕業検査を実施。早朝に再び盛岡まで回送して上り「やまびこ」に充当する措置が採られた。
- ^ 回送線自体の廃止はそれから10年後の1983年である。
- ^ 置換え前から151系は181系への改造を開始。
- ^ 名義は上野 - 妙高高原間急行「妙高」の区間延長を伴う特急格上げ。
- ^ 運用番号1 - 11が北陸・上越方面、運用番号12 - 32が山陽・九州本面とそれぞれ分けられていた[100]。
- ^ 向日町運転所への本系列最後の新製車である。
- ^ 1978年5月18日に信越本線(現・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン)妙高高原 - 関山間で大規模な地すべりによる白田切川土石流災害が発生[103]。被災復旧工事に際し同年5月21日 - 9月5日の間、当時3往復運転されていた「白山」は1往復運休・1往復長野発着・1往復上越線迂回の措置が採られた。
- ^ 書類上は南福岡電車区に配置されたものの同所では使用されず秋田運転区に転出。
- ^ 撤去形態は碍子のみ残す物や完全撤去など様々である。
- ^ 熊本 - 肥後大津間の交流電化開業は1999年10月1日[106]。
- ^ JR九州発足に伴い熊本運転所へ組織変更。1999年12月1日の熊本鉄道事業部発足で下部組織となり熊本運輸センターに改称。さらに2006年熊本運輸センターから車両部門分離により熊本車両センターへ再改称。
- ^ 当初はDE10 1755に国鉄特急色へ塗装変更し専従とした。
- ^ 485系・12系客車も電源電圧は三相交流440 Vであり、スハフ12形に搭載されるディーゼル発電機の容量は0番台で180 kVA、100番台で210 kVAであり、自車を含み6両分の供給容量がある。
- ^ [108]。ただし増発分はゴールデンウイーク・夏期や年末年始の多客繁忙期は当該列車を西鹿児島方面への臨時延長へ充当変更とし、熊本 - 水前寺間は別列車として運転された
- ^ 当時東北地区では、クハ481形200番台は300番台への振替が進行中であり、落成までの繋ぎ名目も含ませての転出。この2両は翌1976年5月に南福岡へ再転出した。
- ^ クロ481形は先頭部に制御回路用KE70形ジャンパ連結器が未装備で中間に連結できないこともあり回送経路は複雑な動きを要求された。
- ^ 20・22・24も3両は1982年に仙台から九州地区に一旦転出しており、再び東日本エリアに出戻る形となった。
- ^ 自社保有の気動車で「きのくに」に連結して乗り入れを行っていた南海電気鉄道は、置換え用に本系列の購入を検討していることが1982年に全国紙の関西版で報じられたが、和歌山市駅構内にある南海・国鉄の連絡線を電化させる必要があり、結局実現せずに乗り入れを廃止している。
- ^ 2020年現在で「くろしお」に充当される287系・289系は振子機能は未搭載であるが、加減速性能向上ならびに低重心設計による曲線通過速度を本則+10 - 15 km/の設定とされていることなどから、和歌山 - 白浜間を本系列よりも約10分速い走破が可能でる。
- ^ その後全車が他区所へ転出か、交流機器を撤去または使用停止にして183系電車に改造されたために485系としての配置は既にない。
- ^ 本系列はすべてアスベストを使用しておりJR東日本は未撤去車両を全廃した。
- ^ そのうちクハ481-123・124は向日町運転所からの借入。
- ^ 当初はサロ481形2両組込の13両編成×2本・予備1本で充当されたが、1978年8月以降は1両減車で上野口東北特急と共通運用となった
- ^ クハ481形は奇数向き車のみ1000番台となった理由は秋田所属の偶数向き車が、1989年までに全車クロハ481形へ改造済であったことによる。
- ^ 1035は1997年12月に3000番台化改造を施工しA8編成に組成。1021はA11編成に、1057はA10編成に組成され、共に「ムーンライトえちご」用165系置換えのため2003年に上沼垂へ転出。
- ^ a b クハ481-1005は「いなほ」運用移管により南秋田運転所から上沼垂運転区へ1997年3月22日付で転入したばかりの車両である。本転配は3000番台化改造は極力1000番台車に施工する方針からによるもので、青森再転入時に方向転換ならびに3000番台化改造を施工し、同年11月19日付でクハ481-3005として落成した。ただし青森運転所の3000番台化は当初海峡線対応車6編成が対象となったものの途中で海峡線対応車5編成と非対応車2編成に計画変更されたこと。またクハ481形1000番台は43両中29両がクロハ481形へ改造されていたこともあり不足気味で、青森配置車も唯一300番台からクハ481-350が3350へ改造対象となった。また車両交換の形になった342も2001年に3000番台化改造を施工された。
- ^ MM'ユニット3056は、転出直前までA8編成に組成されており、A9編成のMM'ユニット1081と車両交換を実施した。
- ^ 789系は函館・八戸・新青森・秋田方先頭車が、本系列は青森方先頭車がグリーン車であったことから、乗客案内の利便性向上も含めて本系列の方向転換により統一させた。
- ^ 2号→3号→6号→7号の運用。
- ^ 民営化後に時期不詳(一説には1992年頃)ではあるが南秋田運転所へ組織変更ならびに改称を実施。
- ^ 秋田支社管内で主に奥羽本線臨時快速に投入されるケースもあった。また2007年2月12日には青森車両センター所属車が不足したため秋田から回送し臨時特急「つがる」2往復に充当された。
- ^ 348はクロハ481-303へ改造。さらに3000番台化改造と同時にクハ復元を施工しクハ481-3348となった。
- ^ 両車は共に1988年3月に青森より転入。1989年3月に勝田へ転出。
- ^ 充当期間中は幕張車両センターに貸し出し名義となる。なお、2008年以降は幕張配置の183系や松本車両センター配置のE257系0番台が投入される。
- ^ 現名称の新潟車両センターへの組織変更ならびに改称は2004年4月1日付。
- ^ a b c 「くびきの」運用では乗降用ドアステップ装着が必須であることから、「いなほ」「北越」とは別運用が組まれ4・5号車MM'ユニットにグレードアップ車が組成されるT16・T17編成がほぼ専従となった。両編成のいずれかが検査などの際には他のT・R編成に乗降用ドアステップを装着して充当。
- ^ a b T18・K1・K2編成に組成される車両は、元々は秋田運転区で上野発着「つばさ」と共通運用の「あいづ」に充当されていた9両編成×3本に組成されており、両列車では首都圏乗入対策からATS-Pを搭載していた。1992年7月1日のダイヤ改正で両列車廃止に伴い青森運転所へ転出し急行「津軽」への充当な波動輸送対応へ転用の際に車内減光装置を搭載。1993年10月以降にMM'ユニット1組とサロ481形をカットした6両編成へ再組成され、クハ481形1000番台をクロハ481形へ改造。新潟転出によりクロハ481形とクハ481形の方向転換を実施し連結位置を逆転させた。
- ^ JRマークなしでクハ481-1508側面の車両番号はステンレス切抜き文字ではなく白色のステッカー貼付する[10]。
- ^ 長野総合車両センターへの廃車回送は従来自力走行で行われていたが、2015年3月14日以降は信越本線長野 - 直江津間が北陸新幹線並走区間となり、第3セクターのえちごトキめき鉄道ならびにしなの鉄道へ移管されたため線路使用料が発生すること。また経路が上越線 → 高崎線 → 武蔵野線 → 中央本線 → 篠ノ井線経由となり、R26・27編成を除き首都圏通過に必要なATS-Pを搭載していないこと。なおかつ狭小トンネル区間を走行する際にモハ484形のパンタグラフ折り畳み高さが制限値をクリアできないため事前に取り外すなどの措置が必要となりEF64形牽引による無動力配給回送となった。
- ^ 脱着可能であり、T18・R26・R27編成も代走時には装着して充当された。
- ^ 「ムーンライトえちご」が定期運行されていた時期は首都圏側停泊中に車両故障が発生すると予備車を新潟から回送あるいは運休させるしか対処法がなかったが、2007年2月2日下り「ムーンライトえちご」に充当予定のT18編成が大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターから回送中に車両故障を起こした際には、急遽同センターの183系1000番台OM102編成代走となった。なお、同編成はモノクラスのため本来グリーン車利用客に対してグリーン料金の払戻しとグレードアップ車である3号車の同番号席に、3号車の指定券を持っていた乗客は1号車の同番号席への振替が行われた。
- ^ ただし、首都圏内の列車無線が完全デジタル化された2010年7月以降は装置未搭載のR26・R27編成は充当されない。
- ^ 塗装が国鉄色であることから、同一装備を持つT18編成と共にJR東日本管内で運転されるリバイバルトレインなどのイベント列車に充当されることも多い。
- ^ K2編成は秋田総合車両センターへ、K1編成は長野総合車両センターへ回送され廃車。
- ^ クハ481-21・23・27・28・29・30・102
- ^ クハ481-22・25 モハ485+484-14・20・57 サロ481-1056 このうちMM'ユニットの57が返却されずに廃車。
- ^ a b 9両編成は指定日のみ充当。非充当の場合は「はくたか」運用車は金沢滞留とし、「北越」運用は6両編成の新潟滞留車を充当。
- ^ 改造種車は旧T4編成に組成されていたサロ481-107および1996年5月に南秋田から転入したMM'ユニット3組とクロハ481形1000番台2両をクハ481形に復元して充当した。
- ^ 改造種車は旧T3編成に組成されていたサロ481-106およびMM'ユニットとクハ481形が1996年に南秋田から転入した1030ならびに勝田から転入した1011を充当。
- ^ a b クハ481-332・333・1011は勝田所属時に下り方に組成されていたことから、2編成併結改造で制御回路用KE70形ジャンパ連結器栓受けを装備したほか、同様に勝田から転入したものの上り方に組成されていて栓受けを装備しないクハ481-349も含みひたち色へ塗替をした際に愛称幕上部の特急エンブレムを取り外しており、本センター転入後に上沼垂色へ塗装変更後も復元は未施工。
- ^ クハ481形200番台・MM'ユニット1500番台・サロ481形は全車廃車。
- ^ 一部の「いなほ」運用では閑散期に4両へ減車措置が採られていた一方で、繁忙期を中心に6両+4両の10両で運転された実績がある[132]。
- ^ 金沢方クハ481形はクロハ481形へ改造。MM'ユニットは、7・8号車がカット。2・3号車は4・5号車へ、5・6号車は2・3号車へ組成。
- ^ A9編成に組み込まれていたモハ485・484-3068と車両交換。またA9編成で転属対象から外れたモハ485・484-3081は増結用ユニットに転用。
- ^ 「くびき野」に投入される2編成は新井で運用終了となるが、夜間滞留は2本とも直江津で行うためにそのうち1編成は送り込みを兼ねた(新井行1328M・直江津行1351Mの1往復)普通列車に投入される。もう1編成は回送で運転。
- ^ 主に大宮総合車両センター常駐で幕張車両センター所属のマリ31・32編成が投入された。
- ^ このため「能登」が運転されない日はいずれかの編成が尾久車両センターに終日滞留となりホームライナー運用に投入された。ただし「能登」が運転されない期間が長期化した際の検査スケジュールや車両故障発生の場合は、回送もしくは配給列車により編成の入替が行われた。
- ^ 現名称の勝田車両センターへの組織変更ならびに改称は2004年4月1日付。
- ^ 一部車両は一旦仙台を経ての転入。
- ^ 1991年には非電化の鹿島臨海鉄道大洗までディーゼル機関車牽引で乗り入れる夏季臨時特急「ビーチイン大洗ひたち」の運転が計画されたが、同年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故から「不測の事態への対応がしにくい」等の理由により、数度の試運転を実施したのみで営業運転は取り止められた[146]。なお、この際にクハ481-315・1011は前面連結器が密着自動連結器へ交換された[147]。
- ^ 山形新幹線開業により在来車特急「つばさ」が廃止となり秋田からの充当車両送り込みができなくなったことによる。
- ^ クハ481-1+モハ485・484-1+クハ481-2 クハ481-20+モハ485・484-36+クハ481-14で本編成と訓練車編成は併結対応工事未施工。
- ^ 上野←クハ481-38+モハ484・485-54+サハ481-109+モハ484・485-63+クハ481-32→勝田・いわき・仙台
- ^ MM'ユニット1018・1044・1083 クハ481-332・333・349・1011でこのうちMM'ユニット1044とクハ481-349・1011の4両は3000番台改造を施工。
- ^ MM'ユニット53・58・1071 クハ481-34・40・1105・1107
- ^ ビバあいづ投入前は、勝田所属であったため出戻り転属でもある。
- ^ 当初はいわき - 仙台間の新設特急に転用される予定であったが、福島第一原子力発電所事故により計画が白紙となり余剰となった。
- ^ 予備車がないため検査や車両故障などの場合は列車名にも「スペーシア」の愛称を付け東武100系電車で代走、東武車も使用できない場合は大宮総合車両センター所属の189系・OM201編成「彩野」が投入されていた。
- ^ 183系200・700・800番台への改造車は福知山電車区に配置。特急網「北近畿ビッグXネットワーク」で運用された。
- ^ 日蓮正宗が創価学会を破門したために全面的に廃止。
- ^ 松任工場と統合した金沢総合車両所への組織変更ならびに改称は1997年3月22日。
- ^ このほかに保留車としてサシ489形2両も配置されていたが、1988年にスシ24形へ改造され離脱。
- ^ スカート部の塗装が0・500番台はオイスターホワイト、300・700番台が薄群青色という相違点がある。
- ^ a b H編成が車両故障もしくは検査等で充当できない場合は、489系限定で組成されたK編成に予備もしくは組成を一時的に解いているH編成から489系MM'ユニット1組を組込み充当させており、クハ489形200・600番台組込のK編成にMM'ユニット1組増結で充当したケースもある。
- ^ 雨樋はオリジナルと異なりクリーム4号。
- ^ ほくほく線経由の運転では方向転換がないため金沢 - 直江津間は通常と逆編成とされた。このため運行開始前後にH編成を大阪まで回送し北方貨物線・大阪経由で方向転換を行ったほか、上野口ホームライナー運用は金沢土曜日発編成が上野に日曜到着後は基本東大宮滞留とし、月曜日 - 金曜日に充当された。また運用の都合上新潟車両センター所属R1・R2編成を充当したケースもあった。
- ^ 京都総合運転所からの転入車で「ゆぅトピア和倉」併結対応改造施工車。
- ^ 臨時「加越」1往復にも充当。
- ^ 運転開始時の途中停車駅は、「かがやき」が高岡・富山・直江津、「きらめき」が福井のみを設定。
- ^ クハ481-306+モハ484-316+モハ485-214+クハ481-303ならびにクハ481-224+モハ484-319+モハ485-217+クハ481-229の2編成で予備車がなく、検修ならびに車両故障時にはK編成からサロ481形とMM'ユニット1組を外すなどして代走で対応した。
- ^ a b 方向転換は大阪北方貨物線を使用して実施。
- ^ 「はくたか」はJR東日本上沼垂運転区と共管のため東日本車の9両編成に合わせるため8両とされたこと、また北越急行内での最高運転速度が当初は140 km/h、1998年12月8日以降は150 km/hに設定されたことからMT比2:1以上が要求されたためである。
- ^ V01編成はS02編成+S05編成2・3号車MM'ユニット、V02編成はS03編成+S04編成2・3号車MM'ユニットで組成されており、S04・S05編成から車両は6・7号車に組み込まれた。
- ^ 国鉄時代は大阪鉄道管理局の管轄であったため所属略号は大ムコ。民営化時に近畿圏運行本部管轄となり略号は近ムコとなった。その後の組織改正により本社直轄となり本ムコとなり、1993年6月の京都支社発足による管轄移管で京ムコへ変更。1996年3月に向日町操車場との統合による組織変更で京都総合運転所として発足した際に略号は京キトとなり、2010年12月1日に今度は近畿統括本部管轄となり略号も近キトとなった。なお本所は本系列配置終了後の2012年6月1日に統合を伴う組織変更が行われ略号は近キトのまま吹田総合車両所京都支所となった。
- ^ このほか編成に組成されない保留車としてサロ481形0番台1両・サハ481形4両が在籍。
- ^ 金沢総合車両所からの転入車もある。
- ^ 3号車 - 4号車に増結したため、グリーン車は4号車→6号車に変更。
- ^ 定期運用は9月20日にA08編成のクハ481-120が、臨時運用では同月20・21日の「懐かしの雷鳥」投入のクハ481-101・103・サロ481形3両を組込んだ11両編成が最終運行。
- ^ 編成組替当初はA02・A05 - A07・A09・A10編成。
- ^ 運転開始時は4・13・17・34・47・48号に充当。
- ^ 編成組替当初はA01・A03・A04・A08編成。
- ^ 指定券発券の際に編成間で差異が発生することを防ぎ煩雑化することを避けるのが目的。
- ^ 金沢では初代K編成の増結用MM'ユニットとして運用されていた。
- ^ 「かもめ」5両、「みどり」「ハウステンボス」はそれぞれ4両。
- ^ 2011年3月改正までは783系も同様に13両編成を組んでいた。
- ^ 「KIRISHIMA & HYUGA」塗装車が竣工する12月までは暫定措置として一切のレタリングなどを隠して運行。
- ^ ただし787系の転属措置と運用の都合から改正当日の一部列車は鹿児島総合車両所の本系列5両編成で運転された。
- ^ 例:Do1→DK1
- ^ 例:DK9→Do32
- ^ 編成組成が変わらない転属を行った場合は数字が変わらず配置先を示すアルファベットのみ変わるが[注 224]、組成が変更となった場合は数字も変更となる[注 225]。
- ^ DK10編成は大分のDo21編成からMM'ユニット2組を外した編成。クハ481-213は最後まで残存したRED EXPRESS色。
- ^ DK12編成は2006年9月17日に発生したJR日豊本線脱線転覆事故により被災したが、同年12月に復旧したクロハ481-4と大分車両センターの波動用MM'ユニットを組込み運用に復帰した。
- ^ 北陸トンネルでの防災のため583系としては営業列車で唯一の先頭貫通路使用例。
- ^ 前者は譲渡元である西武鉄道での再利用、後者は標準軌の車両で、機器流用そのものが難しかったことによる。
出典
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