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Bクラス脱却とチーム再建のため、[[1984年]]まで[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]の監督だった関根潤三を新監督に招聘。関根新監督は[[広澤克実|広沢克巳]]や[[池山隆寛]]などの若手を積極的に起用したが成績には結びつかず、開幕後は大洋との4位争いが続いた。4月末には退団の[[マーク・ブロハード]]に代わって[[ボブ・ホーナー]]が来日すると本塁打を量産し、ホーナーに影響された打線も打ちまくり本塁打数は2位の[[中日ドラゴンズ|中日]]に次ぐ159本塁打とリーグ2位。親会社のヤクルト本社の株価が急上昇するなど、「ホーナー旋風」が球界に吹き荒れた。投手陣では2年目の[[伊東昭光]]がエースとなり、[[尾花高夫]]や[[高野光]]などもそれなりの成績を残したが防御率は4.51とリーグ最下位。リリーフ陣の不調もあり、借金返済はならなかった。それでも大洋の追い上げを振り切って4位まで順位を上げ、関根監督の1年目はまずまずのスタートとなった。カード別成績では[[読売ジャイアンツ|巨人]]・中日とマッチレースを演じた[[広島東洋カープ|広島]]に13勝12敗1分と勝ち越したが、巨人には7勝16敗3分と大きく負け越し優勝のアシスト役になってしまった。 |
Bクラス脱却とチーム再建のため、[[1984年]]まで[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]の監督だった関根潤三を新監督に招聘。関根新監督は[[広澤克実|広沢克巳]]や[[池山隆寛]]などの若手を積極的に起用したが成績には結びつかず、開幕後は大洋との4位争いが続いた。4月末には退団の[[マーク・ブロハード]]に代わって[[ボブ・ホーナー]]が来日すると本塁打を量産し、ホーナーに影響された打線も打ちまくり本塁打数は2位の[[中日ドラゴンズ|中日]]に次ぐ159本塁打とリーグ2位。親会社のヤクルト本社の株価が急上昇するなど、「ホーナー旋風」が球界に吹き荒れた。投手陣では2年目の[[伊東昭光]]がエースとなり、[[尾花髙夫|尾花高夫]]や[[高野光]]などもそれなりの成績を残したが防御率は4.51とリーグ最下位。リリーフ陣の不調もあり、借金返済はならなかった。それでも大洋の追い上げを振り切って4位まで順位を上げ、関根監督の1年目はまずまずのスタートとなった。カード別成績では[[読売ジャイアンツ|巨人]]・中日とマッチレースを演じた[[広島東洋カープ|広島]]に13勝12敗1分と勝ち越したが、巨人には7勝16敗3分と大きく負け越し優勝のアシスト役になってしまった。 |
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== チーム成績 == |
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*25 [[鈴木正幸 (野球)|鈴木正幸]] |
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*40 [[宮城弘明]] |
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2020年12月23日 (水) 05:15時点における版
1987年のヤクルトスワローズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ4位 58勝64敗8分 勝率.475[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都新宿区 |
明治神宮野球場 | |
球団組織 | |
オーナー | 松園尚巳 |
経営母体 | ヤクルト本社 |
監督 | 関根潤三 |
« 1986 1988 » |
1987年のヤクルトスワローズ(1987ねんのヤクルトスワローズ)では、1987年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。
この年のヤクルトスワローズは、関根潤三監督の1年目のシーズンである。
概要
Bクラス脱却とチーム再建のため、1984年まで大洋の監督だった関根潤三を新監督に招聘。関根新監督は広沢克巳や池山隆寛などの若手を積極的に起用したが成績には結びつかず、開幕後は大洋との4位争いが続いた。4月末には退団のマーク・ブロハードに代わってボブ・ホーナーが来日すると本塁打を量産し、ホーナーに影響された打線も打ちまくり本塁打数は2位の中日に次ぐ159本塁打とリーグ2位。親会社のヤクルト本社の株価が急上昇するなど、「ホーナー旋風」が球界に吹き荒れた。投手陣では2年目の伊東昭光がエースとなり、尾花高夫や高野光などもそれなりの成績を残したが防御率は4.51とリーグ最下位。リリーフ陣の不調もあり、借金返済はならなかった。それでも大洋の追い上げを振り切って4位まで順位を上げ、関根監督の1年目はまずまずのスタートとなった。カード別成績では巨人・中日とマッチレースを演じた広島に13勝12敗1分と勝ち越したが、巨人には7勝16敗3分と大きく負け越し優勝のアシスト役になってしまった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 渋井敬一 |
---|---|---|
2 | 三 | 角富士夫 |
3 | 左 | 若松勉 |
4 | 一 | レオン |
5 | 中 | 杉浦享 |
6 | 右 | 広沢克実 |
7 | 捕 | 八重樫幸雄 |
8 | 遊 | 池山隆寛 |
9 | 投 | 荒木大輔 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 巨人 | -- | 中日 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 広島 | 1.5 | 巨人 | 0.0 | 広島 | 2.0 | 広島 | 3.5 | 中日 | 4.0 | 広島 | 7.5 | 中日 | 8.0 |
3位 | 中日 | 3.0 | 広島 | 3.5 | 中日 | 4.0 | 中日 | 6.0 | 広島 | 5.5 | 中日 | 8.5 | 広島 | 11.5 |
4位 | 大洋 | 5.0 | ヤクルト | 10.5 | ヤクルト | 11.5 | ヤクルト | 16.0 | ヤクルト | 16.0 | ヤクルト | 17.0 | ヤクルト | 19.5 |
5位 | ヤクルト | 5.0 | 大洋 | 10.5 | 大洋 | 12.5 | 大洋 | 20.0 | 大洋 | 18.0 | 大洋 | 20.0 | 大洋 | 22.5 |
6位 | 阪神 | 6.5 | 阪神 | 13.5 | 阪神 | 17.0 | 阪神 | 29.5 | 阪神 | 31.5 | 阪神 | 34.0 | 阪神 | 37.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 76 | 43 | 11 | .639 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 68 | 51 | 11 | .571 | 8.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 65 | 55 | 10 | .542 | 11.5 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 58 | 64 | 8 | .475 | 19.5 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 56 | 68 | 6 | .452 | 22.5 |
6位 | 阪神タイガース | 41 | 83 | 6 | .331 | 37.5 |
個人成績
選手名 | 打率 | HR | 打点 | 盗塁 | タイトル | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 中 | 荒井幸雄 | .301 | 9 | 38 | 2 | 新人王 |
2 | 二 | 渋井敬一 | .198 | 6 | 19 | 6 | |
3 | 左 | 杉浦享 | .304 | 24 | 73 | 3 | カムバック賞 |
4 | 三 | ホーナー | .327 | 31 | 73 | 0 | |
5 | 一 | レオン | .300 | 22 | 73 | 0 | |
6 | 右 | 広沢克己 | .284 | 19 | 60 | 9 | |
7 | 捕 | 八重樫幸雄 | .280 | 9 | 47 | 2 | |
8 | 遊 | 池山隆寛 | .250 | 13 | 46 | 3 | |
外 | 小川淳司 | .240 | 11 | 31 | 2 | ||
内 | 角富士夫 | .217 | 5 | 12 | 0 | ||
内 | 桜井伸一 | .258 | 0 | 7 | 1 | ||
外 | 栗山英樹 | .196 | 0 | 5 | 0 | ||
外 | 若松勉 | .377 | 3 | 16 | 0 |
- 選手名が色付きの選手は規定打席に到達した選手
10試合以上先発 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
選手名 | 試合 | 先発 | 防御率 | 勝 | 敗 | S | タイトル |
尾花高夫 | 33 | 29 | 3.96 | 11 | 15 | 3 | |
伊東昭光 | 31 | 31 | 4.27 | 14 | 11 | 0 | |
荒木大輔 | 31 | 25 | 5.07 | 10 | 9 | 0 | |
高野光 | 38 | 14 | 4.02 | 7 | 6 | 11 | |
宮本賢治 | 38 | 11 | 4.52 | 5 | 6 | 2 | |
矢野和哉 | 28 | 12 | 5.09 | 6 | 6 | 0 | |
その他の投手(40イニング以上) | |||||||
阿井英二郎 | 36 | 5 | 6.49 | 5 | 5 | 1 | |
西岡剛 | 27 | 2 | 3.75 | 0 | 2 | 0 | |
中本茂樹 | 40 | 0 | 3.42 | 0 | 0 | 3 | |
酒井圭一 | 28 | 0 | 3.95 | 0 | 1 | 0 | |
梶間健一 | 37 | 1 | 4.01 | 0 | 3 | 2 |
- 選手名が色付きの選手は規定投球回数に到達した選手
オールスターゲーム1987
→詳細は「1987年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 監督推薦 |
---|---|
広沢克実 |
八重樫幸雄 |
- 取り消し線は出場辞退
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー | |
---|---|
選手名 | タイトル |
荒井幸雄 | 新人王 |
その他 | |
選手名 | タイトル |
杉浦享 | カムバック賞 |
ベストナイン |
---|
選出なし |
ゴールデングラブ賞 |
選出なし |
ドラフト
→詳細は「1987年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 長嶋一茂 | 内野手 | 立教大学 | 入団 |
2位 | 忰田幸也 | 投手 | 東京農業大学第二高 | 入団 |
3位 | 鈴木平 | 投手 | 東海大学第一高 | 入団 |
4位 | 池末和隆 | 投手 | 杵島商業高 | 入団 |
5位 | 中西親志 | 捕手 | NTT東海 | 入団 |
6位 | 城友博 | 外野手 | 習志野高 | 入団 |
出典
- ^ “年度別成績 1987年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月12日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 広島東洋カープ | 4位 | ヤクルトスワローズ | 3位 | 日本ハムファイターズ | 4位 | 南海ホークス |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 6位 | 阪神タイガース | 5位 | ロッテオリオンズ | 6位 | 近鉄バファローズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||