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1987年の日本ハムファイターズ(1987ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1987年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、高田繁監督の3年目のシーズンであり、後楽園球場を本拠地とした最後のシーズンである。
3年連続Bクラスからの脱却を目指すチームは、ドラフト1位で西崎幸広を獲得するがそれ以外の戦力は前年と変わらず開幕前は「今年もBクラス」と予想された。開幕後は前年優勝の西武の出遅れもあり、5月には首位の阪急と1.5ゲーム差の2位となるなど台風の目と言われた。ところが、夏場に入ると大きく負け越すなどして西武・阪急に水をあけられ、4位前後での戦いが続いた。チームが再び上昇気流に乗ったのは9月からで、それまでAクラスにつけていた南海をとらえて3位に浮上すると、閉幕までその座を守り切った。投手陣では新人王を争った西崎と3年連続開幕投手の津野浩、河野博文など若手が活躍したほか、リリーフでは松浦宏明が台頭するなどの明るい話題もあった。打撃陣では、トニー・ブリューワとパット・パットナムの外国人勢が活躍したものの、それ以外の選手が不調に終わった。チームは優勝の西武に13勝12敗と勝ち越したが2位阪急に9勝17敗と大きく負け越した。それでも若手投手の活躍などもあり、4年ぶりにAクラス入りを果たし来シーズンに期待を持たせる結果となった。
1987年パシフィック・リーグ順位変動
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
|
9月終了時
|
最終成績
|
1位
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
西武 |
--
|
2位
|
近鉄 |
2.5
|
日本ハム |
1.5
|
西武 |
1.0
|
西武 |
1.5
|
阪急 |
4.0
|
阪急 |
3.5
|
阪急 |
9.0
|
3位
|
南海
|
西武 |
2.5
|
南海 |
4.5
|
南海 |
5.5
|
南海 |
6.5
|
日本ハム |
9.5
|
日本ハム |
11.5
|
4位
|
西武 |
4.0
|
南海 |
4.5
|
日本ハム |
4.5
|
日本ハム |
6.5
|
日本ハム |
9.0
|
南海 |
11.5
|
南海 |
16.0
|
5位
|
ロッテ |
4.0
|
近鉄 |
6.0
|
近鉄 |
7.5
|
近鉄 |
6.5
|
ロッテ |
10.0
|
ロッテ |
16.5
|
ロッテ |
20.0
|
6位
|
日本ハム |
5.0
|
ロッテ |
7.0
|
ロッテ |
10.0
|
ロッテ |
7.0
|
近鉄 |
15.5
|
近鉄 |
19.0
|
近鉄 |
21.5
|
[1]
1987年パシフィック・リーグ対戦成績
チーム
|
西武
|
阪急
|
日本ハム
|
南海
|
ロッテ
|
近鉄
|
西武
|
---
|
12-12-2
|
12-13-1
|
16-6-4
|
12-9-5
|
19-5-2
|
阪急
|
12-12-2
|
---
|
17-9-0
|
12-12-2
|
11-10-5
|
12-13-1
|
日本ハム
|
13-12-1
|
9-17-0
|
---
|
13-12-1
|
15-8-3
|
13-11-2
|
南海
|
6-16-4
|
12-12-2
|
12-13-1
|
---
|
15-11-0
|
12-11-3
|
ロッテ
|
9-12-5
|
10-11-5
|
8-15-3
|
11-15-0
|
---
|
13-12-1
|
近鉄
|
5-19-2
|
13-12-1
|
11-13-2
|
11-12-3
|
12-13-1
|
---
|
|
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |