藤枝慎治
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県熊本市 |
生年月日 | 1965年8月19日(59歳) |
身長 体重 |
176 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト外 |
初出場 | 1986年9月30日 |
最終出場 | 1987年6月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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藤枝 慎治(ふじえだ しんじ、1965年8月19日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。旧姓は後藤。
来歴・人物
[編集]東海大二高では、捕手として3年夏に県大会準決勝で松崎秀昭がエースの鎮西高と延長18回再試合の末に勝利、決勝では高村洋介 - 野村裕二のバッテリーを擁する熊本工にも勝って1983年夏の甲子園に出場。1回戦で兄弟校の東海大一高に敗退[1]。
1986年から一軍で起用され、10月には初の先発マスクを被る。しかし八重樫幸雄らの壁を破れず、1989年10月に自由契約となり、横浜大洋ホエールズに移籍。しかし、ここでも出場機会がなく1991年限りで現役を引退。
引退後は、1993年まで横浜のブルペン捕手を務めた。退団後も横浜市に残り、リサイクル関連企業を経営。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1986 | ヤクルト | 4 | 6 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .167 | .167 | .167 | .333 |
1987 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:2年 | 8 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 |
年度別守備成績
[編集]年度 | 試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
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1986 | 4 | 3 | 1 | .250 | |
1987 | 4 | 2 | 0 | .000 | |
通算 | 8 | 5 | 1 | .167 |
記録
[編集]- 初出場:1986年9月30日、対読売ジャイアンツ23回戦(神宮球場)、八重樫幸雄に代わって9回表より捕手
- 初打席:同上、9回裏に岡本光から三振
- 初先発出場・初安打:1986年10月5日、対横浜大洋ホエールズ26回戦(横浜スタジアム)、8番・捕手で出場、9回表に斉藤明夫から単打
背番号
[編集]- 63 (1984年 - 1987年)
- 41 (1988年 - 1989年)
- 71 (1990年 - 1991年)
- 88 (1992年 - 1993年)
脚注
[編集]- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年