「第12代総選挙 (大韓民国)」の版間の差分
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2020年11月24日 (火) 01:04時点における版
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第12代総選 | |
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国会議事堂庁舎(ソウル特別市汝矣島) | |
各種表記 | |
ハングル: | 제12대 총선 |
漢字: | 第十二代總選 |
第12代総選挙(だい12だいそうせんきょ)は、第五共和国時代における大韓民国国会を構成する国会議員を選出するため1985年2月12日に実施された選挙である。なお、韓国では選挙の回数について「第○回」ではなく「第○代」と数える。また、名称も「総選挙」(총선거)ではなく、「総選」(총선)と二文字で表記するのが一般的である。
概要
国会議員の任期(4年)満了に伴って行われた選挙である。
全斗煥政権が実施した国民和合措置[1]によって、政治活動を解禁された政治家を主体として結成された新韓民主党(略称:新民党)が、結成からわずか一ヶ月足らずで実施された本選挙で「官製野党」と揶揄されていた民主韓国党(民韓党)を抜いて第一野党に躍進し、与党に対する政治不信と民主化を熱望する国民の強い願いを反映した選挙となった。
基礎データ
- 大統領:全斗煥(民主正義党)
- 改選議席数:276議席
- 議員任期:4年
- 選挙制度:中選挙区比例代表並立制.有権者は地域区の候補者のみに投票(記号式)。選挙制度に付いての詳しい解説は第11代総選挙に取り上げているのでそちらを参照のこと
- 有権者数:23,987,830名
選挙結果
- 投票日:1985年2月12日
- 投票率:84.6%
- 総投票者数:20,286,672名
- 有効票数:19,974,643票[2]
政党名 | 得票数 | % | 地域区 | 全国区 | 合計 | % |
---|---|---|---|---|---|---|
民主正義党 민주정의당 |
7,040,477 | 35.2% | 87 | 61 | 148 | 53.6% |
新韓民主党 신한민주당 |
5,843,827 | 29.3% | 50 | 17 | 67 | 24.5% |
民主韓国党 민주한국당 |
3,931,300 | 19.7% | 26 | 9 | 35 | 12.7% |
韓国国民党 한국국민당 |
1,828,744 | 9.2% | 15 | 5 | 20 | 7.2% |
新政社会党 신정사회당 |
288,863 | 1.4% | 1 | 0 | 1[3] | 0.3% |
新民主党 신민주당 |
112,654 | 0.6% | 1 | 0 | 1[3] | 0.3% |
その他の政党 | 278,750 | 1.4% | 0 | 0 | 0 | 0.0% |
無所属 무소속 |
650,028 | 3.2% | 4 | ― | 4 | 1.4% |
合計議席 | 19,974,643 | 184 | 92 | 276 | 100.0% |
- 出所:尹景徹著『分断後の韓国政治-1945~1986-』(木鐸社)。金浩鎮『韓国政治の研究』李健雨訳(三一書房)から引用。得票数は韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」から引用した。議席を獲得出来なかった3政党(勤労農民党・民権党・自由民族党)の得票については「その他の政党」として合算して掲載する。
党派 | 議席数 | 地域区 | 全国区 |
---|---|---|---|
民主正義党 | 7 | 1 | 6 |
新韓民主党 | 1 | 1 | 0 |
合計 | 8 | 2 | 6 |
地域 | 定数 | 党派 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
民正 | 新民 | 民韓 | 国民 | 新社 | 新民主 | 無所 | |||
首都圏 | ソウル特別市 | 28 | 13 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
仁川直轄市 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
京畿道 | 20 | 10 | 4 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | |
江原道 | 12 | 6 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | |
忠清道 | 忠清北道 | 8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 |
忠清南道 | 16 | 8 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
湖南(全羅道) | 全羅北道 | 14 | 7 | 2 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 |
全羅南道 | 22 | 11 | 5 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | |
嶺南(慶尚道) | 釜山直轄市 | 12 | 3 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 |
大邱直轄市 | 6 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
慶尚北道 | 20 | 10 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 2 | |
慶尚南道 | 20 | 10 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
済州道 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | |
合計 | 184 | 87 | 50 | 26 | 15 | 1 | 1 | 4 |
- 略称について
- 民主正義党=民正、新韓民主党=新民
- 民主韓国党=民韓、韓国国民党=国民
- 新政社会党=新社党、新民主党=新民主
- 無所属=無所
- 当該地域で最多の議席を獲得した政党については、議席数を太字で表示した。
解説
民正党は、地域区で第1党の議席を得た政党に全国区の議席3分の2を配分する制度によって安定過半数を確保し、第1党の座を守った。しかし新民党は、ソウルの14選挙区、釜山の6選挙区、光州・仁川・大田の5選挙区で全員当選を果たしただけでなく、ソウル・釜山などで候補の殆どが一位で当選した。また新民党は大都市部の票をさらって(ソウルでは新民党の得票率が40.7%に対し、民正党は27%)、得票率で与党・民正党を抑えて躍進を果たした(ソウル・釜山・大邱・仁川・光州を除く地方では民主正義党が優勢)。「選挙革命」と新民党自身が呼んだこの選挙で、学生運動圏の支持など若い層の政治的関心の高まりと支援に力を得たことが新民党が躍進した大きな理由である。また、既存政治圏や野党、そして正当性を欠く全斗煥政権が行なった強圧的な政治手法と不道徳性に対する国民の不満が一気に爆発したことが新民党躍進のもう一つの理由といえる。ちなみにソウル城北区では民青学連事件で死刑判決を受けたこともある元ソウル大学学生の李哲が新民党公認でトップ当選している。
当選議員
選挙区
民主正義党 新韓民主党 民主韓国党 韓国国民党 新政社会党 新民主党 無所属
全国区
民主正義党 | 李載灐 | 陳懿鍾 | 盧泰愚 | 王相殷 | 兪学聖 | 李相宰 | 徐廷華 | 朴鍾汶 | 姜慶植 | 黄寅性 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
朴東鎮 | 李龍薫 | 羅雄培 | 趙一文 | 権重東 | 李成烈 | 金賢子 | 裴成東 | 玄鴻柱 | 李永旭 | |
金栄作 | 曹祥鉉 | 金栄禎 | 安甲濬 | 金聖基 | 趙鍾昊 | 李相羲 | 柳根桓 | 韓良順 | 洪鍾旭 | |
鄭昌和 | 金鍾仁 | 金栄亀 | 崔秉烈 | 康容植 | 宋庸植 | 池蓮泰 | 任斗彬 | 鄭顕檠 | 陳治範 | |
崔永徳 | 任煐得 | 金潗 | 池甲鍾 | 崔明憲 | 李鍾律 | 趙庚穆 | 金炯孝 | 金学俊 | 徐廷和 | |
金斗宗 | 梁慶子 | 文熹甲 | 金良培 | 鄭輝東 | 金長淑 | 朴恵敬 | 李轍雨 | 安永和 | 崔祥鎮 | |
李聖浩 | ||||||||||
新韓民主党 | 辛達洙 | 林春元 | 高漢俊 | 金炯璟 | 鄭在文 | 韓錫奉 | 尹栄卓 | 辛秉烈 | 朴鍾律 | 趙永寿 |
金炳洙 | 金東旭 | 李佶範 | 金容午 | 張忠準 | 崔薫 | 申敬説 | ||||
民主韓国党 | 李泰九 | 朴海充 | 申宰休 | 孫泰坤 | 鄭相九 | 崔雲芝 | 申東準 | 黄大鳳 | 宋鉉燮 | |
韓国国民党 | 金鍾哲 | 鄭始鳳 | 文炳夏 | 金奎元 | 崔載九 |
繰上当選
年 | 日付 | 当選者 | 名簿政党名 | 欠員 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|
1985 | 8.1 | 李進 | 民主正義党 | 金聖基 | 法務部長官に指名 |
鄭好根 | 民主正義党 | 黄寅性 | 農林水産部長官に指名 | ||
金重緯 | 民主正義党 | 文熹甲 | 経済計画院次官に指名 | ||
9.17 | 朴聖泰 | 民主正義党 | 金栄作 | 辞職 | |
9.19 | 金正均 | 民主正義党 | 朴恵敬 | 辞職 | |
1986 | 9.3 | 金泰守 | 民主正義党 | 李鍾律 | 青瓦台公報首席に指名 |
10.13 | 洪煕杓 | 民主正義党 | 金良培 | 光州市長に任命 | |
11.14 | 趙容直 | 韓国国民党 | 金鍾哲 | 死去 | |
1987 | 7.13 | 金文起 | 民主正義党 | 羅雄培 | 商工部長官に指名 |
12.20 | 鄭東允 | 民主正義党 | 盧泰愚 | 大統領に選出 | |
1988 | 3.29 | 沈国茂 | 民主正義党 | 金学俊 | 辞職 |
5.11 | 金鍾烈 | 民主正義党 | 朴東鎮 | 駐米大使に任命 |
選挙後の情勢
新民党が躍進したこの総選挙で、政治環境に変化が現れ始め、民正党内の穏健派が力を持つようになった。また新民党は大統領の直接選挙制を復活させるための「改憲署名運動」など対与党の強硬な闘争を行なうようになり、6・29民主化宣言へと繋がって行き、第五共和国の終焉を早める作用として機能した。一方で「やらせ野党」、「さくら野党」と揶揄されていた民韓党は、選挙後直後から所属議員の新民党への集団脱党が相次いだことで最終的に3議席という群小政党に転落し、解体への道を歩むことになった。新民党は民韓党など他党からの入党者で、5月までに所属議員数が102人となり、総議席数の三分の一を上回り、国会召集権を単独で確保するまでになった。
脚注
- ^ 1983年12月から1年余りにわたって政府が実施した措置の名称で、学生デモで除籍された大学生の復学容認、学園(大学)における公権力(警察)介入を抑え学内における政治活動を容認する学園自立化措置、政治活動規制解禁措置などが行われた。和合措置は、これまでの強権的統治を改め穏健路線を内外にアピールする為に行われたものであるが、政府の思惑とは裏腹に学生や在野政治人による民主化運動を活発化させる結果となった。
- ^ 選挙人数と総投票者数、有効票数は、韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」より引用
- ^ a b 3月に新韓民主党に入党
- ^ 春木育美著『現代韓国と女性』新幹社。158頁“「韓国女性の政治参画」表5-1歴代女性国会議員”、173頁“(4)全斗煥政権及び盧泰愚政権初期”
- ^ 韓国日報1985年2月14日付6~7面「12代議員、地域区184名・得票最終集計」(6面)、(7面)を引用して作成した。なお、記事において慶尚南道で新社党の当選者1名となっているが、新韓民主党の誤りである。
参考文献
- 韓国史事典編纂委員会 金容権編著『朝鮮韓国近現代史』(日本評論社)
- 金浩鎮著・李健雨訳『韓国政治の研究』(三一書房)
- 『アジア中東動向年報』(アジア経済研究所)
- 監修:伊藤亜人+大村益夫+梶村秀樹+武田幸男『朝鮮を知る事典』(平凡社)
- (韓国)中央選挙管理委員会編『大韓民國選擧史 第4輯』(中央選挙管理委員会)
関連項目
外部リンク
- 韓国中央選挙管理委員会の歴代選挙情報システム(韓国語)、過去に韓国で行われた国政及び地方選挙の有権者数や候補者、投開票結果を閲覧することが可能(ただし比例代表(全国区)については、第17代以外は未掲載)。
- 第12代総選挙地域区当選者一覧① (PDF) 韓国日報1985年2月14日付6面
- 第12代総選挙地域区当選者一覧② (PDF) 韓国日報1985年2月14日付7面
- 第12代総選挙全国区当選者一覧 (PDF) 韓国日報1985年2月14日付8面