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「棋聖 (囲碁)」の版間の差分

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2020年8月8日 (土) 07:37時点における版

棋聖(きせい)

  1. 囲碁の歴史の中で抜群の強さを発揮した棋士に与えられる尊称。碁聖とほぼ同義。
  2. 囲碁棋戦の一つである棋聖戦に優勝した棋士に贈られるタイトル

棋聖と呼ばれた人物

「棋聖」と尊称されるのは、歴代名手の中でも卓越した実績を残した江戸時代本因坊道策(前聖)と本因坊丈和(後聖)である。近年では本因坊秀策も棋聖の一人と数えられることもある[1][2]。また中国出身で日本で活躍し、全棋士を先相先以下に打ち込むなど輝かしい実績を残した呉清源は、「昭和の棋聖」と呼ばれている。

中国では代初期の黄龍士に対して使っていたが、1988年に中国囲棋協会から聶衛平に棋聖の称号が与えられた。

棋聖戦

「棋聖」を冠する棋戦は世界にいくつかある。

日本

棋聖戦
棋戦の分類 タイトル戦
開催概要
初回開催 1976
持ち時間 挑戦手合:8時間(2日制)
番勝負 七番勝負
優勝賞金 4500万円
主催 読売新聞社
公式サイト 棋聖戦:読売新聞オンライン
記録
現棋聖 井山裕太(第44期)
永世資格者 藤沢秀行(永世棋聖)
小林光一(永世棋聖)
井山裕太(永世棋聖資格)
最多優勝 小林光一井山裕太(8期)
最長連覇 小林光一井山裕太(8連覇)
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1976年棋聖戦が創設される。読売新聞社主催。国内棋戦の3大タイトルのひとつ、賞金が最高額で、タイトル序列1位である。またタイトル戦では現在唯一、2年に一回海外対局を行なう。

また、女流棋戦にもNTTドコモが協賛する女流棋聖戦がある。創設は1997年。

中国

韓国

棋聖戦の歴史

以下の項目では、日本国内で開催される棋聖戦について説明する。

棋聖戦が始まる前、読売新聞社は1957年から日本最強決定戦を開催し、1961年からは日本最強決定戦からの移行となる名人戦を主催していた。しかし、当時「狂乱物価」とも呼ばれた物価高騰のなか、1974年まで日本棋院からの契約金増額要請に主催者の読売新聞がほとんど応じなかったことから、日本棋院では名人戦の朝日新聞への移管を進め、1974年末に契約打切りを読売新聞に通告した。

読売新聞はこれに反発し傘下メディアを通じて日本棋院の対応を批判し続け、1975年8月には日本棋院を相手にした訴訟を起こした。同時に水面下の交渉を行い、日本棋院顧問岡田儀一による「名人戦は朝日と契約」「読売は序列第一位の新棋戦、最高棋士決定戦・棋聖戦を新たに契約」(岡田私案)とする斡旋案で、同年12月10日に和解した。この経緯は「名人戦騒動」として知られ、将棋の名人戦契約にも大きな影響を与えた。

棋聖戦は、この「名人戦騒動」の渦中から生まれ、1976年にスタートした。当時全盛の林海峰木谷實一門の実力者たちを退け、第1期棋聖戦の最高棋士決定戦トーナメントを勝ち上がったのは、藤沢秀行橋本宇太郎の両ベテランであった。決勝七番勝負では藤沢が70歳の橋本を4-1で降し、初代棋聖の座に就いた。

翌1977年の第2期は、四冠を保持する挑戦者・加藤正夫を迎え、藤沢はたちまち1勝3敗に追い込まれる。このカド番・第5局で藤沢は、2時間57分という大長考を払って加藤の大石を全滅させ、気迫の勝利を挙げた。最終局でも藤沢は半目差で逃げ切り、大逆転での防衛を果たした。

以降藤沢は超一流の挑戦者を迎えるも毎年ことごとく撃退、50代で棋聖戦6連覇を果たした。しかし1983年の第7期、挑戦者の趙治勲は3連敗から残り4番を連勝して棋聖を奪取、世代交代を果たした(藤沢はこの時期胃ガンが進行していた)。

1986年、3連覇を果たした趙は兄弟弟子[3]小林光一を挑戦者に迎えるが、直前に交通事故で両足と左手を骨折する重傷を負う。不戦敗やむなしとの声もあった中、趙は車椅子で対局に臨み、逆境の中2勝を挙げるが力尽き、小林に棋聖を明け渡した。以降小林は8連覇を果たし、碁界の第一人者として君臨する。この間、加藤正夫は3度棋聖に挑み、奪取すれば趙に続くグランドスラム達成となったが、全て小林の壁に阻まれた。

1994年、小林の連覇を止めたのは、宿命のライバル・趙であった。その翌年、小林覚が挑戦者として登場。初挑戦にして趙を降して棋聖の座に就く。しかし翌年には趙がすかさず奪回。するとその翌年、再び小林覚が挑戦者となり、3年連続同一カードとなった。趙はこの対決を制し、再び大三冠に君臨した。

2000年、趙の5連覇による名誉棋聖資格獲得を阻んだのは王立誠であった。王の3連覇目、挑戦者に柳時熏を迎えた第5局で、柳はダメ詰めの最中にアタリを放置、王がこれを打ち抜いて逆転勝ちするという事態が生じた。立会人裁定で王の勝利が認められたが、ルール・マナー・美学など様々なレベルで物議を醸すことになった。

2001年、推薦棋士枠の存在や、出場人数が年ごとに一定しないことなど、批判の声があった最高棋士決定戦方式を取りやめ、挑戦者選定はAリーグ・Bリーグに6人ずつ属する2リーグ制に変更となった。

2003年、山下敬吾が挑戦者として登場。第4局の封じ手ハナヅケの妙手を放つなど王を圧倒し、4-1で棋聖を奪取する。しかし翌年は羽根直樹の粘りに屈し、1年で棋聖を明け渡した。2005年には結城聡が挑戦権を獲得、関西棋院の棋士として28年ぶりの七番勝負に挑んだが、3勝2敗から後を連敗し、関西の悲願は成らなかった。

翌2006年は山下敬吾が4-0のストレートで棋聖を奪回、翌年の小林覚の挑戦も4-0で降し、実力を見せつけた。2008年には「七番勝負の鬼」趙治勲を挑戦者に迎えたが、乱戦に次ぐ乱戦を制してフルセットで山下が防衛、翌2009年には、実力者依田紀基をも4-2で撃破し、4連覇を達成した。2003年から2010年まで、1期を除いて山下は毎年挑戦手合に登場しており、現代の「棋聖戦男」と呼ばれた。

2010年、山下が5連覇による名誉棋聖資格の獲得、挑戦者の張栩がグランドスラムの達成、という対局者双方に大きな記録が懸かった勝負となった。結果は張栩が4-1で山下を降し、山下の名誉棋聖資格獲得を阻むと同時に、史上二人目のグランドスラムを達成した。

2011年、前期にグランドスラムを達成した張栩と挑戦者・井山裕太によって争われた。張栩が、3勝2敗で防衛に王手を掛けた第6局2日目の3月11日には、対局場となった山梨県甲府市常磐ホテル地震に見舞われ、8分の一時中断後打ち切り、張栩が1目半勝で防衛に成功した。翌2012年も高尾紳路の挑戦をフルセットの末に降して3連覇を果たすが、2013年には井山裕太の再挑戦の前に4-2で棋聖を明け渡す。井山は23歳で史上最年少棋聖となると共に、史上初の六冠王、3人目のグランドスラム達成を果たした。

2014年からは、現行の4段階リーグにシステムが変更となった。井山はこの年以降も防衛を続け、2020年現在8連覇を続けている。「棋聖戦男」山下敬吾は2014~2016年、2019年と4度井山に挑戦しているが、全て退けられている。

第43期まで、棋聖を冠したのはわずか9人。そのうち名誉棋聖の藤沢、小林光一、井山と、名誉棋聖にあと一歩まで届いた趙と山下の5人で通算35期を制している。

棋聖戦リーグ入りした棋士王立誠趙治勲、淡路修三、今村俊也、楊嘉源、石田篤司、柳時熏、石田芳夫、宮沢吾朗、長谷川直、彦坂直人、張栩、三村智保、山田拓自、羽根直樹、溝上知親、依田紀基、中小野田智己、小林覚山下敬吾、王銘エン、結城聡、本田邦久、加藤充志、小松英樹、高尾紳路、山城宏、井山裕太、片岡聡、河野臨、清成哲也、李沂修、秋山次郎、瀬戸大樹、小林光一、村川大介、張豊猷、一力遼

現在の棋聖戦方式

ルール

コミは1-27期は5目半。28期からは6目半。予選・リーグ戦は持ち時間5時間の一日打ち切り、七番勝負は8時間、封じ手による二日制で行われる。

予選は第40期より棋聖戦4段階リーグ方式。過去には最高棋士決定戦方式、棋聖戦2リーグ方式で行われていた。

棋聖戦4段階リーグ方式

第40期(2014年12月11日-)より、囲碁界初の4段階のリーグを創設。S(定員6名、成績によりうち2名が降格)、A(定員8名、同2名が昇格、4名が降格)、B(1と2に分かれそれぞれ定員8名、各2名が昇格、各3名が降格)、C(定員32名、6名が昇格、16名が陥落)の4段階のリーグおよび、次期のCリーグへの参加者を決めるファーストトーナメント予選(FT、約400名から16名が昇格)に再編された。

S、A、Bは総当たりリーグ戦で優勝を争う(B1とB2の優勝者はプレーオフを戦い、Bの優勝者を決める)。Cはスイス式トーナメントで原則5回戦を行い、5連勝した棋士が優勝、3敗した棋士はFTへの陥落が決まり対局打ち切りとなる[4]

リーグ 定員 対局数 昇格 降格 決勝T進出 備考
S 6名 5戦(総当り) 2名 2名
A 8名 7戦(総当り) 2名 4名 1名
B1・B2 各8名 7戦(総当り) 各2名 各3名 1名 2リーグで行う
C 32名 5戦  6名 16名
(3敗で降格)
1名
(5連勝で優勝)
FT なし 16名 トーナメント方式

挑戦者決定トーナメントでは、Sリーグ優勝者と準優勝者、Aリーグ優勝者、Bリーグ1と2の優勝者によるプレーオフ勝者、Cリーグの優勝者によるパラマストーナメントで行われ、Bリーグ代表とCリーグ優勝者が1番勝負し、勝者がAリーグ優勝者と1番勝負を行う。続いて前述勝者がSリーグ準優勝者と1番勝負を行う。挑戦者決定戦は前述勝者とSリーグ優勝者によって行われ、Sリーグ優勝者には1勝のアドバンテージがある3番勝負を行う。(B1位vsC1位→その勝者vsA1位→その勝者vsS2位→その勝者vsS1位→棋聖挑戦者)

またBリーグから挑戦者が出た場合、Sの陥落者が一人、Cリーグから挑戦者が出た場合はS、Aの陥落者が一人ずつ増える。

第40期リーグ出場棋士はSからAの6位までは39期棋聖戦A・Bリーグの出場棋士が成績順に並び、Aの残る2人とB1、B2は、過去3年間の棋聖戦の成績順に選ばれた[4]

またアマチュアもネット棋聖戦最上位のSAクラス4強入りでFTに出場ができるようになった[5]。第45期棋聖戦では、第6回ネット棋聖戦で優勝した栗田佳樹がFTを突破し、アマチュアとして初めてCリーグに進出している[6]

準々決勝 準決勝 挑戦者決定戦
1番勝負
 Bリーグ決定戦勝者 -
1番勝負
 Cリーグ1位 -
  -
 
 Aリーグ1位 -
    
1番勝負
    
   -
 
 Sリーグ2位 -
    
 
    
    
 
    
    
変則3番勝負
    
  -
 
 Sリーグ1位 -
    
 
    
    
 
    
    
 
    
    
 
    
    
 
    
    
   
  
         
       

この方式により以前はリーグ入りしている棋士以外は1敗すればその期は終了だったのが、Cリーグに入れば最低3局、A・Bリーグ入りすれば7局の対局が行えることになり、棋士にとって対局料の確保に繋がった。また予選をトーナメント方式からリーグ方式にすることによりいくらか負けても残りの対局でチャンスが残る形式となった。

一方で上のリーグに昇格するのには時間が必要になる(ファーストトーナメント予選からSリーグ到達まで、順番に行けば3期かかる)が、各リーグ1位になれば挑戦者決定トーナメントに出場でき、挑戦者になれば一気に次の期からSリーグ入りすることが可能となっている。

昇段規定

  • 六段以下の棋士が棋聖Sリーグ入りを果たした場合、七段へ昇段。
  • 七段の棋士が棋聖挑戦権を得た場合、八段に昇段する。
  • 八段の棋士が棋聖を獲得した場合、九段へ昇段する。

過去の棋聖戦方式

最高棋士決定戦方式

第1期から9期までは、各段戦、全段争覇戦、最高棋士決定戦の三段階によるトーナメント制であった。まず初段から九段までの各段ごとのトーナメント各段優勝戦を日本棋院と関西棋院の混合で行う。続いて初段から六段までの優勝者による勝ち抜き戦と、七、八段戦の準優勝者以上、九段戦ベスト4以上によるトーナメントを組み合わせた全段争覇戦を行う。そして全段争覇戦のベスト8以上とタイトル保持者を加えての最高棋士決定戦を行い、この優勝者が棋聖位保持者との挑戦手合七番勝負を行なう。第1期は最高棋士決定戦の決勝七番勝負で棋聖位を決定、2期以降は決勝戦は三番勝負。

また、最高棋士決定戦の出場者には、棋聖審議会の推薦棋士という枠もあり、選考に恣意的な側面も残っていた[7]

第10期からは、全段争覇戦と最高棋士決定戦が一本化され、24期まで続いた。

棋聖戦2リーグ方式

第25期から39期までは、棋聖戦リーグによる挑戦者決定方式が採用された。まず日本棋院と関西棋院でそれぞれに院内予選を行い、それぞれの勝ち抜き者による最終予選での4名の勝ち抜き者と、前年の挑戦者(または前棋聖)、前年のリーグ戦の残留者の8人を加えた計12人をAリーグ・Bリーグ各6名に分けて、総当りリーグ戦を行う(AリーグとBリーグに優劣の関係はない)。両リーグの1位同士が挑戦者決定戦一番勝負を行い、勝者が前年の棋聖位保持者と挑戦手合七番勝負を行う。リーグ戦は各リーグの4位までが残留、下位2名が陥落となる。リーグ成績が同率の場合は、前年順位で順位を決める。

予選は第28期までは日本棋院の院内予選は各段を4グループに分けて最終予選出場者を決定、関西棋院の院内予選は全棋士によるトーナメントで行われていたが、第29期以降は日本棋院東京本院と日本棋院中部総本部・関西総本部・関西棋院の2つに分けて最終予選出場者を決める。

六段以下の棋士が棋聖リーグ入りを果たした場合、七段に昇段する規定であった。またリーグに優勝して挑戦権獲得が決まった時点で八段に、さらに棋聖位を奪取した場合九段へ昇段することとされていた。

名誉棋聖

棋聖を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、引退後または60歳以降に「名誉棋聖」となる資格を得る。

棋士 通算 連覇
藤沢秀行 6期 6連覇 1977年-1982年
小林光一 8期 8連覇 1986年-1993年
井山裕太 8期(継続中) 8連覇(継続中) 2013年~

歴代棋聖挑戦手合

○●は勝者から見た勝敗、網掛けはタイトル保持者。第1期はトーナメント決勝七番勝負。

開催年 優勝者 勝敗 準優勝者
1 1977年 藤沢秀行 ○●○○○ 橋本宇太郎
2 1978年 藤沢秀行 ●●○●○○○ 加藤正夫
3 1979年 藤沢秀行 ○○●○○ 石田芳夫
4 1980年 藤沢秀行 ○○●○○ 林海峰
5 1981年 藤沢秀行 ○○○○ 大竹英雄
6 1982年 藤沢秀行 ●○○●●○○ 林海峰
7 1983年 趙治勲 ●●●○○○○ 藤沢秀行
8 1984年 趙治勲 ○○○●●○ 林海峰
9 1985年 趙治勲 ○●●○●○○ 武宮正樹
10 1986年 小林光一 ○●●○○○ 趙治勲
11 1987年 小林光一 ○○○●○ 武宮正樹
12 1988年 小林光一 ○○○●○ 加藤正夫
13 1989年 小林光一 ●○○○○ 武宮正樹
14 1990年 小林光一 ○●○○○ 大竹英雄
15 1991年 小林光一 ●○○●○●○ 加藤正夫
16 1992年 小林光一 ●●○○●○○ 山城宏
17 1993年 小林光一 ●●○●○○○ 加藤正夫
18 1994年 趙治勲 ●○○○●○ 小林光一
19 1995年 小林覚 ●○●○○○ 趙治勲
20 1996年 趙治勲 ●○○○●●○ 小林覚
開催年 優勝者 勝敗 準優勝者
21 1997年 趙治勲 ○○●○○ 小林覚
22 1998年 趙治勲 ○○○●●○ 依田紀基
23 1999年 趙治勲 ○○●○●○ 小林光一
24 2000年 王立誠 ●○●○○○ 趙治勲
25 2001年 王立誠 ●○○●○○ 趙善津
26 2002年 王立誠 ○●●○○○ 柳時熏
27 2003年 山下敬吾 ○○●○○ 王立誠
28 2004年 羽根直樹 ○○○●●●○ 山下敬吾
29 2005年 羽根直樹 ○●○●●○○ 結城聡
30 2006年 山下敬吾 ○○○○ 羽根直樹
31 2007年 山下敬吾 ○○○○ 小林覚
32 2008年 山下敬吾 ○●○○●●○ 趙治勲
33 2009年 山下敬吾 ○○●●○○ 依田紀基
34 2010年 張栩 ○○○●○ 山下敬吾
35 2011年 張栩 ●○●○○○ 井山裕太
36 2012年 張栩 ●○●○○●○ 高尾紳路
37 2013年 井山裕太 ○○●●○○ 張栩
38 2014年 井山裕太 ○○○●●○ 山下敬吾
39 2015年 井山裕太 ○○○●●●○ 山下敬吾
40 2016年 井山裕太 ○○○○ 山下敬吾
41 2017年 井山裕太 ●○○●○○ 河野臨
42 2018年 井山裕太 ○○○○ 一力遼
43 2019年 井山裕太 ○●○○●●○ 山下敬吾
44 2020年 井山裕太 ○○○●●○ 河野臨

挑戦者決定予選

  • 棋聖位は前期からのタイトルホルダー
  • 5期以上の七大タイトルを獲得した棋士の名前には着色している(参考)。

挑戦者決定トーナメント(2015年- )

◎は挑戦者。

開催年 S1位 S2位 A1位 B1位 B1位 C1位
40 2015 山下敬吾 村川大介 河野臨 山田規三生 淡路修三 許家元
41 2016 河野臨 山下敬吾 張栩 趙治勲 結城聡 志田達哉
42 2017 一力遼 山下敬吾 高尾紳路 志田達哉 余正麒 本木克弥
43 2018 山下敬吾 河野臨 村川大介 秋山次郎 芝野虎丸 大西竜平
44 2019 河野臨 高尾紳路 一力遼 依田紀基 本木克弥 鈴木伸二

Sリーグ

◎は1位通過。○は2位通過。▼は降格。

開催年 棋聖位 1位 2位 3位 4位 5位 6位
40 2015 井山裕太 山下敬吾 村川大介 高尾紳路 依田紀基 山城宏 小林覚
41 2016 井山裕太 山下敬吾 村川大介 依田紀基 高尾紳路 河野臨 一力遼
42 2017 井山裕太 河野臨 山下敬吾 村川大介 一力遼 張栩 蘇耀国
43 2018 井山裕太 一力遼 山下敬吾 張栩 河野臨 高尾紳路 許家元
44 2019 井山裕太 山下敬吾 河野臨 高尾紳路 許家元 村川大介 蘇耀国
45 2020 井山裕太 河野臨 高尾紳路 許家元 村川大介 一力遼 張栩

過去の制度

最高棋士決定戦(1976年 - 1999年)

開催年 棋聖位 優勝 準優勝 ベスト4
1 1976 藤沢秀行 橋本宇太郎 大竹英雄 武宮正樹
2 1977 藤沢秀行 加藤正夫 林海峰 大竹英雄 窪内秀知
3 1978 藤沢秀行 石田芳夫 坂田栄男 林海峰 加藤正夫
4 1979 藤沢秀行 林海峰 橋本昌二 大竹英雄 石田芳夫
5 1980 藤沢秀行 大竹英雄 趙治勲 坂田栄男 林海峰
6 1981 藤沢秀行 林海峰 小林光一 武宮正樹 淡路修三
7 1982 藤沢秀行 趙治勲 加藤正夫 林海峰 小林光一
8 1983 趙治勲 林海峰 苑田勇一 藤沢秀行 大竹英雄
9 1984 趙治勲 武宮正樹 小林光一 大竹英雄 片岡聡
10 1985 趙治勲 小林光一 加藤正夫 武宮正樹 東野弘昭
11 1986 小林光一 武宮正樹 大竹英雄 武宮正樹 石倉昇
12 1987 小林光一 加藤正夫 大竹英雄 武宮正樹 趙治勲
13 1988 小林光一 武宮正樹 趙治勲 坂田栄男 加藤正夫
14 1989 小林光一 大竹英雄 趙治勲 藤沢秀行 大竹英雄
15 1990 小林光一 加藤正夫 小林覚 趙治勲 武宮正樹
16 1991 小林光一 山城宏 趙治勲 王立誠 大平修三
17 1992 小林光一 加藤正夫 東野弘昭 王立誠 小松英樹
18 1993 小林光一 趙治勲 加藤正夫 大竹英雄 山城宏
19 1994 趙治勲 小林覚 小林光一 加藤正夫 林海峰
20 1995 小林覚 趙治勲 加藤正夫 小林光一 本田邦久
21 1996 趙治勲 小林覚 柳時熏 武宮正樹 依田紀基
22 1997 趙治勲 依田紀基 柳時熏 小林光一 小林覚
23 1998 趙治勲 小林光一 依田紀基 加藤正夫 石田芳夫
24 1999 趙治勲 王立誠 彦坂直人 小林光一 小林覚
各段戦・全段争覇戦成績
全段争覇戦 九段戦 八段戦 七段戦 六段戦 五段戦 四段戦 三段戦 二段戦 初段戦
1 加藤正夫 白石裕 加藤正夫 小林光一 佐藤昌晴 宮沢吾朗 時本壱 王立誠 笠井浩二 伊藤庸二
2 林海峰 林海峰 苑田勇一 黒田幸雄 佐藤昌晴 山城宏 新垣武 笠井浩二 伊藤庸二 井上真知子
3 坂田栄男 大竹英雄 茅野直彦 趙治勲 中村秀仁 上村陽生 王立誠 河野征夫 土井誠 井上真知子
4 橋本昌二 林海峰 酒井猛 佐藤昌晴 金島忠 小林覚 石橋千濤 神田英 小松藤夫 J.カーウィン
5 趙治勲 坂田栄男 趙治勲 福井正明 菅野清規 新垣武 小林健二 王銘琬 池崎世典 新海洋子
6 小林光一 白石裕 石田章 長谷川直 山城宏 片岡聡 黄孟正 王銘琬 関和也 依田紀基
7 小林光一 牛之浜撮雄 羽根泰正 佐藤昌晴 王立誠 神田英 今村俊也 石倉昇 日高敏之 鄭銘琦
8 淡路修三 林海峰 淡路修三 清成哲也 新垣武 彦坂直人 依田紀基 森山直棋 恩田烈彦 横地進
9 小林覚 小林光一 川本昇 小林覚 新垣武 趙祥衍 石倉昇 村松竜一 鄭銘琦 平野則一
10 (廃止) 羽根泰正 上村陽生 宮沢吾郎 彦坂直人 橋本雄二郎 安田泰敏 藤沢一就 森田道博 山田和貴雄
11 羽根泰正 王立誠 宮沢吾郎 王銘琬 石倉昇 村松竜一 中小野田智巳 星野正樹 島田義邦
12 趙治勲 王立誠 王銘琬 依田紀基 小松英樹 趙善津 西村慶二 三村智保 奥村靖
13 大平修三 片岡聡 依田紀基 小松英樹 結城聡 山田和貴雄 島田義邦 松岡秀樹 大木啓司
14 林海峰 今村俊也 依田紀基 小松英樹 円田秀樹 篠田秀行 揚嘉栄 宮崎志摩子 小山竜吾
15 加藤正夫 久島国夫 依田紀基 結城聡 森田道博 松岡秀樹 井口秀一郎 有村比呂司 宮崎龍太郎
16 大平修三 王銘琬 森山直棋 橋本雄二郎 楊嘉源 柳時熏 有村比呂司 関山利道 黒滝正憲
17 加藤正夫 依田紀基 小松英樹 三村智保 中小野田智巳 柳時熏 加藤充志 河野貴至 高尾紳路
18 王銘琬 小県真樹 結城聡 三村智保 矢田直己 剣持丈 河野貴至 高尾紳路 河野光樹
19 小林覚 結城聡 森田道博 山田規三生 剣持丈 羽根直樹 高尾紳路 山下敬吾 田原靖史
20 加藤正夫 結城聡 宋光復 山田規三生 遠藤悦史 黒滝正憲 溝上知親 山下敬吾 鈴木嘉倫
21 片岡聡 趙善津 三村智保 星野正樹 加藤充志 溝上知親 山下敬吾 山田拓自 小林泉美
22 小林光一 結城聡 楊嘉源 加藤充志 中尾準吾 蘇耀国 鈴木嘉倫 金秀俊 稲垣陽
23 王立誠 広江広之 大垣雄作 秋山次郎 山下敬吾 古谷裕 桑本晋平 小林泉美 山本賢太郎
24 小林覚 大垣雄作 山田規三生 溝上知親 蘇耀国 金秀俊 河合将史 張豊猷 山本賢太郎

2リーグ制(2000年 - 2014年)

◎は挑戦者。◯は挑戦者決定戦進出者。

開催年 棋聖位 A1 2 3 4 5 B1 2 3 4 5
25 2000 王立誠 趙治勲 淡路 今村俊 楊嘉源 石田篤 柳時熏 25 趙善津 石田芳 宮沢 長谷川 彦坂 張栩
26 2001 王立誠 趙善津 柳時熏 張栩 宮沢 三村 山田拓 26 淡路 石田芳 趙治勲 石田篤 羽根 溝上
27 2002 王立誠 柳時熏 羽根 三村 石田芳 依田 中小野田 27 趙治勲 張栩 淡路 趙善津 小林覚 山下
28 2003 山下 王立誠 羽根 小林覚 石田芳 三村 今村善 28 柳時熏 張栩 依田 趙治勲 王銘琬 淡路
29 2004 羽根 山下 王銘琬 三村 依田 宮沢 柳時熏 29 趙治勲 王立誠 張栩 今村善 小林覚 結城聡
30 2005 羽根 結城聡 依田 張栩 三村 本田 加藤充 30 山下 王立誠 王銘琬 小林覚 今村俊 小松
31 2006 山下 羽根 三村 小松 依田 張栩 本田 31 結城聡 小林覚 加藤充 王立誠 趙治勲 今村俊
32 2007 山下 小林覚 張栩 王立誠 依田 高尾 山城 32 羽根 加藤充 小松 今村俊 趙治勲 井山
33 2008 山下 趙治勲 王立誠 井山 高尾 片岡 結城 33 張栩 加藤充 依田 羽根 河野臨 本田
34 2009 山下 依田 高尾 羽根 王立誠 清成 李沂修 34 井山 張栩 趙治勲 河野臨 宮沢 秋山
35 2010 張栩 山下 依田 河野臨 高尾 王銘琬 加藤充 35 王立誠 秋山 羽根 井山 山城 柳時熏
36 2011 張栩 井山 山下 羽根 加藤充 河野臨 瀬戸 36 高尾 山城 依田 柳時熏 小林光 秋山
37 2012 張栩 高尾 山下 柳時熏 河野臨 小林覚 王銘琬 37 井山 依田 羽根 山城 淡路 溝上
38 2013 井山 張栩 山下 依田 小林覚 山城 清成 38 高尾 羽根 河野臨 溝上 趙治勲 村川
39 2014 井山 山下 高尾 山城 羽根 河野臨 一力 39 村川 依田 趙治勲 小林覚 結城 張豊猷

個人記録

  • 歴代棋聖位獲得者・七番勝負出場者・Sリーグ参加者・挑戦者決定トーナメント出場者の一覧。
  • Sリーグ残留者・参加者・挑戦者決定トーナメント出場者は第40期以降からの通算
  • 氏名配色は金色が名誉棋聖・赤色が棋聖位獲得者。背景黄色は最多記録。
  • 順序は通算在位数>通算七番勝負出場数>Sリーグ参加数>決勝トーナメント出場数。
  • 棋士名は七番勝負出場か、Sリーグ参加3回か、挑戦者決定トーナメント出場3回で追加。
氏名 棋聖在位 七番勝負出場 決勝T出場
(棋聖在位含む)
Sリーグ残留
(棋聖在位含む)
Sリーグ参加
(棋聖在位含む)
通算 連続 通算 連続 通算 連続 通算 連続 通算 連続
小林光一 8 8 10 9 0 0 0 0 0 0
井山裕太 8 8 9 8 5 5 5 5 5 5
趙治勲 8 4 12 7 1 1 0 0 0 0
藤沢秀行 6 6 7 7 0 0 0 0 0 0
山下敬吾 5 4 10 5 4 4 4 4 5 5
張栩 3 3 4 4 1 1 1 1 2 2
王立誠 3 3 4 4 0 0 0 0 0 0
羽根直樹 2 2 3 3 0 0 0 0 0 0
小林覚 1 1 4 3 0 0 0 0 1 1
加藤正夫 0 0 4 1 0 0 0 0 0 0
林海峰 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0
武宮正樹 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0
河野臨 0 0 2 1 4 2 4 4 4 4
大竹英雄 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0
依田紀基 0 0 2 1 1 1 1 1 2 2
石田芳夫 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0
山城宏 0 0 1 1 0 0 0 0 1 1
趙善津 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0
柳時熏 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0
結城聡 0 0 1 1 1 1 0 0 0 0
高尾紳路 0 0 1 1 2 1 3 2 4 2
一力遼 0 0 1 1 2 1 2 2 3 3
村川大介 0 0 0 0 2 1 3 2 4 3

海外対局

1998年までは毎年、1999年からは原則2年に一回、第1局は海外で行なわれている。以下1997年(第21期)以降、海外対局の行なわれた国名(都市名)を挙げる。

  • 1997年 アメリカ(ハワイ)
  • 1998年 中国(香港)
  • 1999年 フランス(パリ)
  • 2001年 台湾(台北)
  • 2002年 イギリス(ロンドン)
  • 2004年 アメリカ(シアトル)
  • 2006年 ドイツ(ベルリン)
  • 2008年 ブラジル(サンパウロ)
  • 2010年 台湾(台北)
  • 2014年 スペイン(アルカラ・デ・エナーレス)

参考図書

脚注

  1. ^ 水口藤雄『囲碁の文化誌』(日本棋院)
  2. ^ なお、秀策の同時代人である、将棋棋士の天野宗歩も、段位は七段であったが「棋聖」とよばれた。
  3. ^ 年齢は小林が上だが、木谷門下に入ったのは趙が先という関係。
  4. ^ a b 日本棋院HP 棋聖戦挑戦者決定システムが一新―第40期より
  5. ^ 「棋聖戦」初の4段階リーグ創設 読売新聞 2014年10月27日
  6. ^ 21歳栗田さん、アマ初のCリーグ入り…棋聖戦予選”. 読売新聞オンライン (2020年2月13日). 2020年2月13日閲覧。
  7. ^ ちなみに第1期の推薦棋士は橋本宇太郎。橋本は各段戦(九段戦)1回戦で敗退していた。

関連項目

外部リンク

棋戦年間
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