黄龍士
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黄龍士 | |
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プロフィール | |
出生: | 1651年 |
出身地: | 泰州姜堰 |
職業: | 囲碁棋士 |
各種表記 | |
繁体字: | 黃龍士 |
簡体字: | 黄龙士 |
ラテン字: | Huang Longshi |
和名表記: | こう りゅうし |
黄 龍士(こう りゅうし、1651年(順治8年) - 1700年頃)は、中国清代初期の囲碁棋士。名は虬、または霞。字は月天。号は龍士。泰州姜堰の出身。康熙の頃において最強と言われ、現代でも棋聖と呼ばれている。
10歳の頃に既に近辺で相手がいなくなり、父に連れられて北京などを訪ねて対局した。1668年(康熙7年)に当時の国手である盛大有と対局して7戦7勝、他の相手にも勝ち、周東侯には互角であり「黄龍士龍のごとく、周東侯虎のごとし」と称された。しかしその後、周東侯も圧倒して並ぶ者がなくなり、十四聖人の一人にもたとえられる。
黄龍士は、弟子であり国手の一人でもある徐星友には先ニの手合だったが、三子(2箇所の隅の星と天元)で十番碁を打つことになり、黄龍士の負け越しとなった。この十番の棋譜「血涙篇」が後世にも著名となった。著書に『弈括』・『黄龍士全図』がある。後半生についてはなにも伝わっていない。