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2020年7月16日 (木) 23:03時点における版
しまんとし 四万十市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 高知県 | ||||
市町村コード | 39210-3 | ||||
法人番号 | 9000020392103 | ||||
面積 |
632.32km2 | ||||
総人口 |
30,779人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 48.7人/km2 | ||||
隣接自治体 |
宿毛市、土佐清水市、高岡郡四万十町、幡多郡三原村、黒潮町 愛媛県:宇和島市、北宇和郡松野町 | ||||
市の木 | 柳 | ||||
市の花 | 藤 | ||||
市の鳥 市の魚 |
カワセミ アユ | ||||
四万十市役所 | |||||
市長 | 中平正宏 | ||||
所在地 |
〒787-8501 高知県四万十市中村大橋通四丁目10番地 北緯32度59分28.6秒 東経132度56分1.3秒 / 北緯32.991278度 東経132.933694度座標: 北緯32度59分28.6秒 東経132度56分1.3秒 / 北緯32.991278度 東経132.933694度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
平成22年国勢調査では県内第3位の人口を有する高知県西部の中心都市であり、市の中心部付近は四万十川によって形成された沖積平野である中村平野が広がっている。市域の大半は山林である。旧中村市の中心街は土佐一条氏により、その支配していた時代に京都を模して碁盤の目状に区画されており、「土佐の小京都」として知られる。主な観光名所として四万十川、為松公園(中村城址)、一條神社の他、ミニ八十八箇所で有名な石見寺等が挙げられる。ただし、1946年の南海地震で中村市街地が被災し、古い町並はほとんど残っていない。
地理
山地
- 主な山
- 堂が森(857m)
河川
- 主な河川
- 四万十川
- 後川
- 岩田川(四万十川支流)
- 中筋川
気候
特に内陸部では夏の暑さが厳しく、北西からの風が吹くとフェーン現象に加え、太平洋からの海風も入りにくくなるため高温になりやすい。
- 2013年(平成25年)8月12日13時42分に、旧西土佐村域の江川崎アメダスで最高気温41.0°Cを観測した[2]。これは、2007年(平成19年)8月16日に岐阜県多治見市、埼玉県熊谷市で観測した最高気温40.9°Cを6年振りに上回り、2018年(平成30年)7月23日に埼玉県熊谷市で最高気温41.1°Cを観測するまでの5年間、国内の観測史上最高気温であった。
- 同年の江川崎では上記の記録を含め、8月10日(40.7°C)、11日(40.4°C)、12日(41.0°C)、13日(40.0°C)の4日連続で最高気温40°C以上を観測した[2]。同一地点で4日連続で最高気温40°C以上を観測したのは、国内の観測地点では江川崎が唯一である。これを機に「41°Cプロジェクト」という住民グループを立ち上げ日本一暑い町のPRに力を入れた。
四万十市中村(中村地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 21.4 (70.5) |
24.4 (75.9) |
26.6 (79.9) |
30.5 (86.9) |
32.8 (91) |
35.1 (95.2) |
38.5 (101.3) |
39.7 (103.5) |
35.8 (96.4) |
33.4 (92.1) |
26.7 (80.1) |
23.4 (74.1) |
39.7 (103.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 11.4 (52.5) |
12.8 (55) |
15.9 (60.6) |
20.9 (69.6) |
24.6 (76.3) |
27.1 (80.8) |
31.2 (88.2) |
32.1 (89.8) |
29.2 (84.6) |
24.4 (75.9) |
19.1 (66.4) |
14.0 (57.2) |
21.9 (71.4) |
日平均気温 °C (°F) | 5.8 (42.4) |
7.0 (44.6) |
10.2 (50.4) |
15.1 (59.2) |
19.1 (66.4) |
22.4 (72.3) |
26.4 (79.5) |
26.9 (80.4) |
23.9 (75) |
18.3 (64.9) |
12.9 (55.2) |
7.7 (45.9) |
16.3 (61.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.6 (33.1) |
1.6 (34.9) |
4.7 (40.5) |
9.4 (48.9) |
14.1 (57.4) |
18.4 (65.1) |
22.6 (72.7) |
23.1 (73.6) |
19.9 (67.8) |
13.5 (56.3) |
7.7 (45.9) |
2.4 (36.3) |
11.5 (52.7) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.9 (21.4) |
−10.4 (13.3) |
−4.5 (23.9) |
−0.7 (30.7) |
3.9 (39) |
10.7 (51.3) |
14.2 (57.6) |
16.0 (60.8) |
9.7 (49.5) |
2.4 (36.3) |
−2.3 (27.9) |
−5.3 (22.5) |
−10.4 (13.3) |
降水量 mm (inch) | 86.4 (3.402) |
114.0 (4.488) |
196.5 (7.736) |
220.9 (8.697) |
260.0 (10.236) |
352.0 (13.858) |
284.8 (11.213) |
329.2 (12.961) |
417.2 (16.425) |
203.6 (8.016) |
131.9 (5.193) |
72.7 (2.862) |
2,669.2 (105.087) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 8.6 | 8.6 | 12.5 | 11.2 | 11.5 | 14.5 | 12.5 | 12.9 | 12.8 | 8.8 | 8.0 | 7.4 | 129.3 |
平均月間日照時間 | 158.1 | 160.2 | 175.5 | 186.1 | 178.6 | 135.4 | 185.9 | 199.2 | 159.3 | 174.1 | 160.3 | 166.3 | 2,039.1 |
出典:気象庁 (平均値:1981年-2010年、極値:1976年-現在)[3][4] |
四万十市江川崎(江川崎地域気象観測所)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.4 (68.7) |
22.9 (73.2) |
26.5 (79.7) |
31.5 (88.7) |
33.7 (92.7) |
35.3 (95.5) |
39.8 (103.6) |
41.0 (105.8) |
36.5 (97.7) |
33.2 (91.8) |
26.1 (79) |
23.8 (74.8) |
41.0 (105.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.9 (49.8) |
11.3 (52.3) |
14.9 (58.8) |
20.6 (69.1) |
24.8 (76.6) |
27.4 (81.3) |
31.5 (88.7) |
32.4 (90.3) |
28.9 (84) |
23.5 (74.3) |
17.8 (64) |
12.4 (54.3) |
21.3 (70.3) |
日平均気温 °C (°F) | 4.6 (40.3) |
5.7 (42.3) |
9.0 (48.2) |
14.1 (57.4) |
18.3 (64.9) |
22.0 (71.6) |
25.9 (78.6) |
26.4 (79.5) |
23.1 (73.6) |
17.3 (63.1) |
11.8 (53.2) |
6.6 (43.9) |
15.4 (59.7) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.2 (32.4) |
0.8 (33.4) |
3.7 (38.7) |
8.3 (46.9) |
13.1 (55.6) |
17.9 (64.2) |
22.0 (71.6) |
22.5 (72.5) |
19.4 (66.9) |
13.1 (55.6) |
7.5 (45.5) |
2.2 (36) |
10.9 (51.6) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.0 (21.2) |
−7.0 (19.4) |
−5.0 (23) |
−1.7 (28.9) |
3.4 (38.1) |
8.9 (48) |
14.6 (58.3) |
14.9 (58.8) |
9.4 (48.9) |
2.7 (36.9) |
−1.8 (28.8) |
−6.9 (19.6) |
−7.0 (19.4) |
降水量 mm (inch) | 68.0 (2.677) |
90.1 (3.547) |
157.5 (6.201) |
171.7 (6.76) |
209.0 (8.228) |
317.4 (12.496) |
327.6 (12.898) |
309.7 (12.193) |
315.2 (12.409) |
131.0 (5.157) |
100.9 (3.972) |
60.4 (2.378) |
2,258.5 (88.917) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 9.8 | 9.1 | 12.9 | 11.0 | 10.7 | 13.8 | 12.4 | 11.9 | 11.6 | 8.2 | 8.2 | 8.6 | 128.2 |
平均月間日照時間 | 113.4 | 129.7 | 151.4 | 169.4 | 160.9 | 121.0 | 163.2 | 175.6 | 140.5 | 144.2 | 116.3 | 114.5 | 1,717 |
出典:気象庁 (平均値:1981年-2010年、極値:1977年-現在)[5][6] |
人口
平成22年国勢調査では高知市、南国市に次いで高知県内3位であった。
四万十市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
隣接している自治体
歴史
地域史
- 幡多荘の成立
現在の四万十市は、古代の行政区画では土佐国西部の幡多郡に含まれる。土佐国に、ヤマト王権が任命する地方官である国造として、都佐(とさ)国造と波多(はた)国造があり、波多国造は幡多郡を本拠地とした豪族と推定されている[7]。
10世紀初めに成立した延喜式では、土佐国西部に幡多郡が設けられている。その郡司として、秦氏の名前が見える[8]。
12世紀後半、藤原忠通が土佐国の知行国主となった時から、幡多郡と摂関家との関係が生じた[9]。源平の争乱後、源頼朝がいったん平氏から没収し、忠通の子九条兼実に引き渡したものと考えられる[10]。そのため、土佐国守護も容易に介入できない地域であった。兼実は、1206年(元久3年)、息子の九条良経が亡くなった時、その知行国であった越後・讃岐の代わりに後鳥羽上皇に土佐を希望し、これを九条家分国とした。翌1207年、兼実が亡くなると、孫九条道家が知行国を継ぎ、九条家諸大夫の源有長を土佐守に推挙した。有長の土佐守在任中の1220年代に、幡多郡の大半が九条家の荘園となり、1237年(嘉禎3年)の寄進状に初めて「土左国幡多御庄」の名が見える。道家は、1250年、幡多荘を含む荘園を三男一条実経(一条家の祖)に譲り渡した[11]。一条家の幡多荘は、概ね旧中村市に当たる本荘のほか、幡多郡内の大方(おおがた)荘、山田荘、以南(いなん)荘、隣接する高岡郡内の久礼(くれ)別府から成っており、徐々に周囲を取り込んで拡大していった[12]。
現在の四万十市の中の具同村が、平安時代から幡多郡郡衙が置かれた群の中心地であり、一条家もここに奉行所を置いて、村々の預所と呼ばれる荘官たちを束ねさせた[13]。
南北朝時代になると細川氏が土佐国守護に就き、守護代を派遣していたが、一条家の荘園であった幡多郡には、守護の支配権がほとんど及ばなかった[14]。
- 土佐一条氏の統治
応仁の乱が始まり、公家たちが相次いで京都を離れる中、一条教房は、1468年(応仁2年)9月、海路土佐に下向し、幡多荘に入った。これが土佐一条氏の祖である。教房は、具同に代わり幡多荘の中心となっていた中村に邸宅を構え、中村館、幡多御所などと呼ばれた。教房は、以南村加久見(現土佐清水市)の領主加久見氏の娘を後妻に迎えるなど、地元の有力国人と結びつきながら、積極的な直務支配を進めていった[15]。
1480年、教房が亡くなった時、その子一条房家は4歳であったが、国人・土豪層に擁立されて土佐一条氏を継いだ[16]。その孫一条房基の代には、幡多郡・高岡郡を支配する公家大名となったといえ、戦国時代の他の大名・国人と同じように、家臣や寺社に対して宛行状や寄進状を発している[17]。房家は、豊後水道を挟んだ九州を支配する大内氏に二男義房(大内晴持)を養子に入れ、大内氏が滅亡した後は、房基やその子一条兼定が、大友氏と姻戚関係を結んでいる。南海路を介して明や南方との対外交易に関わっていたことも窺える[18]。
16世紀には、土佐中部・東部で長宗我部国親・元親が支配を固めた。1571年頃、一条氏に従っていた姫野々城の津野氏と久礼城の佐竹氏が長宗我部氏に服属すると、一条氏の家臣団は和平派と反長宗我部派に分裂し、1573年(天正元年)、和平派が兼定に隠居を迫り一条内政を擁立した。兼定は、妻の実家大友宗麟を頼って中村から落ち、翌1574年(天正2年)に宗麟の支援を受けて中村の奪還を図ったが、四万十川の戦い(渡川の戦い)で敗れた[19]。
近世
長宗我部元親は、1575年(天正3年)に土佐統一を完成する一方、中村城に弟吉良親貞を入れ、伊予に進攻させるなどし、1585年(天正13年)に四国統一を達成したが、豊臣秀吉に屈服し、土佐一国の安堵に甘んじた[20]。元親は、その後も、幡多郡と安芸郡を中五郡から分け、中村城代の桑名氏らに幡多郡の統治を委ねた[21]。しかし、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで、長宗我部盛親のついた石田三成方が敗れ、長宗我部氏の支配は終焉を迎えた[22]。
1600年11月、山内一豊が土佐藩の領主として入り、弟山内康豊を中村に置き、3万石を与えた。康豊の孫山内忠直の代、1656年(明暦2年)、中村は幕府内で3万石の認知を受け、1663年(寛文3年)には領地の配分が進められ、財政的な独立性も有する支藩としての性格を強めた。ところが、中村藩3代目に当たる山内豊明が、1689年(元禄2年)、若年寄を拝命した時の将軍の褒詞に対する返礼が不適切であったとされ、改易され、中村の土居屋敷・侍屋敷は破壊を命じられ、所領も没収された。所領は1696年(元禄9年)土佐藩に返還され、中村には幡多郡の郡奉行所が置かれた[23]。
中村は、近世から近代に至るまで、幡多郡の政治・経済の中心であり、周辺地域から「御町(おまち)」と呼ばれた。18世紀半ば頃の家数は480余軒、人口1897人であった[24]。
沿革
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初代 | 澤田五十六 | 2005年5月15日 | 2009年5月14日 |
2代 | 田中全 | 2009年5月15日 | 2013年5月14日 |
3代 | 中平正宏 | 2013年5月15日 | 現職 |
施設
警察
- 駐在所
- 下田駐在所(四万十市竹島字寺ノ前829番1)
- 有岡駐在所(四万十市有岡1320-3)
- 蕨岡駐在所(四万十市蕨岡甲3941-3)
- 川登駐在所(四万十市川登299)
- 江川崎駐在所(四万十市西土佐江川崎247-3)
消防
- 幡多中央消防組合消防本部
- 消防署
- 四万十消防署
- 分署
- 西土佐分署(四万十市西土佐江川崎2405番地1)
医療
- 主な病院
- 四万十市立市民病院
- 竹本病院
- 中村病院
- 幡多病院
- 松本病院
- 吉井病院
- 渡川病院
郵便局
- 主な郵便局
図書館
- 主な図書館
運動
- 野球
- 四万十市安並運動公園野球場 - 高知ファイティングドッグスの本拠地の1つ。
- 四万十市立武道館
- 市民スポーツセンター
国家機関
法務省
厚生労働省
- 四万十労働基準監督署
- 四万十公共職業安定所
農林水産省
- 四国森林管理局
- 四万十森林管理署
- 四万十川森林ふれあい推進センター
国土交通省
- 四国地方整備局
- 中村河川国道事務所
財務省
- 高松国税局中村税務署
裁判所
姉妹都市・提携都市
下記は定住自立圏構想を除き、全て旧中村市が提携したものである。
海外
- 友好都市
国内
- 幡多地域定住自立圏
- 宿毛市(高知県) - 2009年4月27日 連名による中心市宣言
- 土佐清水市(高知県) - 2010年1月19日 定住自立圏形成協定締結
- 大月町(高知県) - 2010年1月19日 定住自立圏形成協定締結
- 黒潮町(高知県) - 2010年1月19日 定住自立圏形成協定締結
- 三原村(高知県) - 2010年1月19日 定住自立圏形成協定締結
- 友好都市
- その他
経済
商業
- 主な商業施設
市内に本社を置く企業
金融機関
- 四国銀行中村支店
- 高知銀行中村支店
- 愛媛銀行中村支店
- 四国労働金庫中村支店
- 高知信用金庫中村支店
- 幡多信用金庫本店営業部、下田支店、川崎支店、具同支店
- 高知県農業協同組合(JA高知県)中村支所、中村南部出張所、中村東部出張所、中村北部出張所、西土佐支所
メディア
中継局
教育
四万十市では、「四万十市奨学資金貸付条例」という奨学金制度がある。なお、奨学金は返還義務がともなう。
専修学校
高等学校
- 県立
中学校
- 県立
- 市立
- 四万十市立後川中学校
- 四万十市立大川筋中学校
- 四万十市立大用中学校
- 四万十市立中筋中学校
- 四万十市立中村中学校
- 四万十市立中村西中学校
- 四万十市立東中筋中学校
- 四万十市立下田中学校
- 四万十市立八束中学校
- 四万十市立蕨岡中学校
- 四万十市立片魚中学校(休校)
- 四万十市立竹屋敷中学校(休校)
- 四万十市立西土佐中学校
小学校
- 市立
( )内の小学校は統合による実質的な廃校であるが、市の公式見解上において2018年7月現在も休校扱いとなっている学校[26]。なお、現役運営している学校の中で四万十市立西土佐小学校だけは旧西土佐村立の学校である。斜字の学校は旧西土佐村立の学校。
- 四万十市立大用小学校
- 四万十市立川登小学校
- 四万十市立具同小学校
- 四万十市立下田小学校
- 四万十市立竹島小学校
- 四万十市立利岡小学校
- 四万十市立中筋小学校
- 四万十市立中村小学校
- 四万十市立中村南小学校
- 四万十市立東中筋小学校
- 四万十市立東山小学校
- 四万十市立八束小学校
- 四万十市立蕨岡小学校
- 四万十市立西土佐小学校
- 四万十市立片魚小学校(休校)
- 四万十市立勝間小学校(休校)
- 四万十市立常六小学校(休校)
- 四万十市立竹屋敷小学校(休校)
- 四万十市立田野川小学校(休校)
- 四万十市立大宮小学校(休校)
- 四万十市立藤ノ川小学校(休校)
- 四万十市立下家地小学校(休校)
- (四万十市立津野川小学校(休校))
- (四万十市立須﨑小学校(休校))
- (四万十市立西ヶ方小学校(休校))
- (四万十市立本村小学校(休校))
かつて存在した小学校
2012年4月に下記6校は統合し、西土佐小学校となった(ただし川崎小学校・口屋内小学校以外の4校は2018年7月現在も休校扱い)。全て旧西土佐村立の学校である。
- 四万十市立川崎小学校
- 四万十市立口屋内小学校
- 四万十市立須崎小学校
- 四万十市立津野川小学校
- 四万十市立西ケ方小学校
- 四万十市立本村小学校
特別支援学校
- 県立
自動車学校
交通
空港
- 最寄りの空港
鉄道
市の中心となる駅:中村駅
- 四国旅客鉄道(JR四国)
バス
- 路線バス
- 高知西南交通
- 中村まちバス[1]
- 高知西南交通・近鉄バス
- しまんとブルーライナー 神戸・大阪・京都方面
- 高知西南交通・小田急シティバス
- しまんとエクスプレス 東京新宿方面(繁忙期限定運行)
- 四万十市営バス[2]
道路
- 高速道路
- 国道
道の駅
観光
名所・旧跡
- 主な城郭
- 主な寺院
- 主な神社
観光スポット
- 自然
- 文化施設
- 公園
祭事・催事
- 四万十映画祭 - 2月
- 土佐一條公家行列 藤祭り - 5月
- しまんと納涼花火大会 - 8月
- 四万十川ウルトラマラソン - 10月
- 一條大祭 - 11月
著名な出身者
- 今幡西衛(自由党員、実業家)
- 幸徳秋水(思想家)
- 高木錬太郎(衆議院議員)
- 中島丈博(放送作家)
- 笹山久三(作家: 小説「四万十川」、坪田譲治文学賞受賞者)
- 横山充男(児童文学作家)
- 中脇初枝(作家)
- 安倍夜郎(漫画家)
- 井上淳哉(漫画家)
- 森雞二(将棋棋士、九段、タイトル獲得2回)
- 岡本真夜(ミュージシャン)
- 江戸アケミ(ミュージシャン)
- 堀内佳(ミュージシャン)
- 本田雅人(サクソフォーン奏者)
- 杉村一樹(神奈川県川崎競馬組合騎手)
- 宮崎一彰(元プロ野球選手)
- 宮畑虎彦(競泳選手)
四万十市を舞台にした作品
- テレビドラマ
- 遅咲きのヒマワリ〜ボクの人生、リニューアル〜(2012年、フジテレビ)
脚注
- ^ “四万十市章”. 四万十市. 2015年5月2日閲覧。
- ^ a b 江川崎 2013年8月(日ごとの値) 詳細(降水量・気温)
- ^ “平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2018年12月閲覧。
- ^ “観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2018年12月閲覧。
- ^ “平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2018年12月閲覧。
- ^ “観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2018年12月閲覧。
- ^ 荻ほか (2001: 30-31)。
- ^ 荻ほか (2001: 35-39)。
- ^ 荻ほか (2001: 72)。
- ^ 荻ほか (2001: 86-87)。
- ^ 荻ほか (2001: 92, 97)。
- ^ 荻ほか (2001: 105-06)。
- ^ 荻ほか (2001: 107)。
- ^ 荻ほか (2001: 108-16)。
- ^ 荻ほか (2001: 122-24)。
- ^ 荻ほか (2001: 130-31)。
- ^ 荻ほか (2001: 130-31)。
- ^ 荻ほか (2001: 135-36)。
- ^ 荻ほか (2001: 151-52)。
- ^ 荻ほか (2001: 152-55)。
- ^ 荻ほか (2001: 152-55)。
- ^ 荻ほか (2001: 152-55)。
- ^ 荻ほか (2001: 181)。
- ^ 荻ほか (2001: 181-82)。
- ^ “四万十市の概要”. 四万十市. 2015年4月28日閲覧。
- ^ 学校紹介
参考文献
- 荻慎一郎、森公章、市村高男、下村公彦、田村安興『高知県の歴史』山川出版社〈県史〉、2001年。ISBN 4-634-32390-7。
関連項目
外部リンク
- 四万十市公式ホームページ
- 四万十市観光協会WEBサイト
- ウィキトラベルには、四万十市に関する旅行ガイドがあります。
- 四万十市に関連する地理データ - オープンストリートマップ