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* [[1月11日]] - 野球体育博物館は競技者表彰で[[山内一弘]]、[[鈴木啓示]]、[[福本豊]]、[[田宮謙次郎]]、特別表彰で元パ・リーグ会長の[[中沢不二雄]]、元ロサンゼルス・ドジャースの球団職員の[[生原昭宏]]、新世紀特別表彰で元サンフランシスコ・シールズ監督の[[フランク・オドール]]、歌人の[[正岡子規]]が殿堂入りしたと発表<ref>読売新聞2002年1月12日1面「殿堂に 新世紀枠 子規の顔 野球広めた」読売新聞縮刷版2002年1月p589</ref><ref>読売新聞2002年1月12日17面「田宮、福本、鈴木、山内氏 晴れて殿堂入り 日米野球復活のオドール氏も」読売新聞縮刷版2002年1月p605</ref>。 |
* [[1月11日]] - 野球体育博物館は競技者表彰で[[山内一弘]]、[[鈴木啓示]]、[[福本豊]]、[[田宮謙次郎]]、特別表彰で元パ・リーグ会長の[[中沢不二雄]]、元ロサンゼルス・ドジャースの球団職員の[[生原昭宏]]、新世紀特別表彰で元サンフランシスコ・シールズ監督の[[フランク・オドール]]、歌人の[[正岡子規]]が殿堂入りしたと発表<ref>読売新聞2002年1月12日1面「殿堂に 新世紀枠 子規の顔 野球広めた」読売新聞縮刷版2002年1月p589</ref><ref>読売新聞2002年1月12日17面「田宮、福本、鈴木、山内氏 晴れて殿堂入り 日米野球復活のオドール氏も」読売新聞縮刷版2002年1月p605</ref>。 |
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* [[1月15日]] - [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]は臨時取締役会を開き、マルハの所有する球団の株式(53.8%)を全てTBSと関連会社のビーエス・アイに譲渡することを全会一致で可決。日本野球機構に筆頭株主の変更を申請<ref>読売新聞2002年1月16日18面「TBSへの株売却 横浜球団が承認 筆頭株主の変更要請」読売新聞縮刷版2002年1月p806</ref>。 |
* [[1月15日]] - [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]は臨時取締役会を開き、マルハの所有する球団の株式(53.8%)を全てTBSと関連会社のビーエス・アイに譲渡することを全会一致で可決。日本野球機構に筆頭株主の変更を申請<ref>読売新聞2002年1月16日18面「TBSへの株売却 横浜球団が承認 筆頭株主の変更要請」読売新聞縮刷版2002年1月p806</ref>。 |
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* [[1月17日]] - パ・リーグのオーナー懇談会が赤坂プリンスホテルにて開かれ、ダイエーのオーナーの[[中内 |
* [[1月17日]] - パ・リーグのオーナー懇談会が赤坂プリンスホテルにて開かれ、ダイエーのオーナーの[[中内㓛]]が球団の売却を否定<ref>読売新聞2002年1月17日夕刊3面「中井内オーナー ダイエー売却否定」読売新聞縮刷版2002年1月p887</ref>。 |
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* [[1月18日]] - ダイエー本社は経営再建策「新再生三か年計画」を発表、ダイエー・ホークスについて売却を見送ることが正式に決定<ref>読売新聞2002年1月19日25面「ダイエーホークス存続決定 ファン反発考慮」読売新聞縮刷版2002年1月p989</ref>。 |
* [[1月18日]] - ダイエー本社は経営再建策「新再生三か年計画」を発表、ダイエー・ホークスについて売却を見送ることが正式に決定<ref>読売新聞2002年1月19日25面「ダイエーホークス存続決定 ファン反発考慮」読売新聞縮刷版2002年1月p989</ref>。 |
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* [[1月19日]] - [[広島東洋カープ]]が新ユニホームを発表 |
* [[1月19日]] - [[広島東洋カープ]]が新ユニホームを発表 |
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2002年の日本プロ野球(2002ねんのにほんぷろやきゅう)では、2002年の日本プロ野球(NPB)における動向をまとめる。
NPB以外の動向については2002年の野球を参照。
できごと
1月
- 1月7日 - 中日の二軍監督の島野育夫が阪神の一軍ヘッドコーチに就任するため名古屋市の球団事務所を訪れ球団社長の西川準之助に対し退団を申し入れ、了承される[1]。
- 1月11日 - 野球体育博物館は競技者表彰で山内一弘、鈴木啓示、福本豊、田宮謙次郎、特別表彰で元パ・リーグ会長の中沢不二雄、元ロサンゼルス・ドジャースの球団職員の生原昭宏、新世紀特別表彰で元サンフランシスコ・シールズ監督のフランク・オドール、歌人の正岡子規が殿堂入りしたと発表[2][3]。
- 1月15日 - 横浜ベイスターズは臨時取締役会を開き、マルハの所有する球団の株式(53.8%)を全てTBSと関連会社のビーエス・アイに譲渡することを全会一致で可決。日本野球機構に筆頭株主の変更を申請[4]。
- 1月17日 - パ・リーグのオーナー懇談会が赤坂プリンスホテルにて開かれ、ダイエーのオーナーの中内㓛が球団の売却を否定[5]。
- 1月18日 - ダイエー本社は経営再建策「新再生三か年計画」を発表、ダイエー・ホークスについて売却を見送ることが正式に決定[6]。
- 1月19日 - 広島東洋カープが新ユニホームを発表
- 1月22日 - プロ野球実行委員会が開かれ、横浜ベイスターズの筆頭株主のマルハが所有する全株式をTBSとその関連会社のビーエス・アイに売却することを全会一致で承認[7]。
- 1月24日 - 近鉄は前日本ハムのナイジェル・ウィルソンの入団を正式に決定[8]。
- 1月26日 - 日本プロ野球オーナー会議が帝国ホテルで開かれ、野球協約第36条の6で規定されている「加盟料30億円」について「存続」「撤廃」「減額」のいずれかを挙手で意見を求めたところ近鉄、オリックス、ロッテ、日本ハムが「撤廃もしくは減額」、残る8球団が「存続」となり、変更はしないと全会一致で承認。また、横浜ベイスターズの筆頭株主のマルハが所有する全株式をTBSとビーエス・アイに売却することを全会一致で承認[9][10]。
- 1月31日 - 横浜は株主総会と取締役会を開き、TBS社長の砂原幸雄が球団のオーナーに就任する事を決定[11]。
3月
- 3月 - 東京ドームの人工芝が天然芝に近いものに改良される。
- 3月20日 - 北海道新聞が、日本ハムファイターズの2004年から保護地域(フランチャイズ)を北海道にした上で札幌ドームへの移転をスクープした
- 3月25日 - 読売ジャイアンツの内薗直樹と西武ライオンズの黒田哲史が交換トレード[12]
- 3月30日 - セ・リーグ公式戦が開幕[10]
- 3月31日 - 日本ハムの監督の大島康徳が31日のダイエー2回戦(福岡ドーム)で審判員への暴力行為などで退場処分を受け、2日が東京ドームでの本拠地開幕戦であることを配慮し、出場停止は3、4日のオリックス戦の2試合となった[13]。
4月
- 4月4日 - 福岡ダイエーホークスが球団新記録の開幕6連勝[14]
- 4月6日 - 阪神タイガースが球団タイ記録の開幕7連勝[15]
- 4月8日 - ダイエーの小久保裕紀が日本プロ野球通算200本塁打、史上75人目[14]
- 4月21日 - 大阪近鉄バファローズの五十嵐章人が対ダイエー戦で8番で出場し、5回に星野順治から全打順で本塁打。日本プロ野球史上6人目で、達成時通算26本塁打は史上最少記録[16]
- 4月22日 - 前巨人監督の長嶋茂雄が野球日本代表編成委員会の強化本部長に就任
- 4月28日 - ヤクルトスワローズの高津臣吾が対阪神戦(阪神甲子園球場)で9回を無失点に抑え、日本プロ野球通算200セーブ、史上2人目[17]
- 4月29日 - ダイエーのロドニー・ペドラザが日本プロ野球通算100セーブ、史上11人目[14]
5月
- 5月3日 - ダイエーの松中信彦が日本プロ野球通算100本塁打[14]
- 5月3日 - 千葉ロッテマリーンズの喜多隆志が対西武戦(千葉マリンスタジアム)で新人ではパ・リーグ史上初の2試合連続サヨナラ打を記録[18]
- 5月4日 - ヤクルトの古田敦也が対中日ドラゴンズ戦(明治神宮野球場)で日本プロ野球通算1500試合出場、史上135人目[17]
- 5月7日 - 巨人の武田一浩が対中日戦(ナゴヤドーム)に勝利し、史上3人目の全球団勝利。2005年のセ・パ交流戦開始以前では最後の達成[19]
- 5月11日 - 西武の松井稼頭央が前日とこの日の対オリックス戦で、日本プロ野球史上7人目の2試合連続サヨナラ本塁打[20]
- 5月14日 - 日本プロ野球史上初の台湾での公式戦となるダイエー対オリックス戦が台北市の天母球場で行われ、5対4でダイエーが勝利。アメリカ占領下時の沖縄県での試合を除き、日本以外の国で試合が行われたのは1940年の満州国での試合以来62年ぶり[21]
- 5月27日 - 西武の橋本武広と阪神のトム・エバンスが交換トレード[12]
6月
7月
- 7月2日 - 阪神が対ヤクルト戦(神宮)に勝利し、監督の星野仙一が監督通算800勝、史上14人目[15]。
- 7月4日 - NPBプロ野球実行委員会は2004年度より、日本ハムファイターズの保護地域を北海道、本拠地を札幌ドームとすることを承認[22]
- 7月6日 - ヤクルトのアレックス・ラミレスが対広島戦(広島)で球団新記録の1試合9打点[17]
- 7月10日 - 広島の松田耕平球団オーナーが死去[10]。
- 7月18日 - NPBの日本ハムファイターズとMLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックスが業務提携を締結[22]
- 7月21日 - ロッテの小林雅英が対日本ハム戦(東京ドーム)でパ・リーグ新記録の13試合連続セーブ[18]
- 7月27日 - 横浜のボイ・ロドリゲスがサイクル安打を達成、セ・リーグ史上26人目[10]
- 7月29日 - オリックスの山口和男が対ダイエー戦で最速記録タイの158km/hをマーク
- 7月29日 - 日本ハムの小笠原道大が2000年4月13日からこの日まで、球団記録の342連続試合全イニング出場[23]
8月
- 8月1日 - 中日ドラゴンズの川上憲伸が対巨人(東京ドーム)で、ノーヒットノーランを達成[24]
- 8月7日 - 阪神の濱中おさむが対広島戦(広島)で球団通算150満塁本塁打[15]
- 8月14日 - 近鉄の監督梨田昌孝が14日のオリックス21回戦(神戸)の8回、内野ゴロの判定をめぐって抗議し、一塁塁審の杉本大成への暴力行為により、退場処分を受けた[25]。
- 8月15日 - ヤクルトのロベルト・ペタジーニが対巨人戦(東京ドーム)の1回表に入来祐作から日本プロ野球通算150本塁打、史上122人目[17]
- 8月16日 - 西武が対近鉄戦(西武ドーム)で3回まで0対9とし、その後10対9で逆転、一旦同点とされた後、12対10で逆転勝利で優勝へのマジックナンバー34が点灯[26]
- 8月22日 - 横浜の石井琢朗が対巨人戦(東京ドーム)で日本プロ野球通算1500安打[27]
- 8月23日 - 阪神監督・星野仙一が対巨人戦で審判の上本孝一に暴言を吐き退場処分。同時にチーフ打撃コーチ・田淵幸一も審判を小突いたとして退場処分に。セ・リーグで監督とコーチが2人同時に退場処分になったのは初めて。また、星野は阪神監督就任後初の退場となった。[28]
- 8月25日 - 日本ハムは対近鉄戦(大阪ドーム)でパ・リーグ史上6度目の全員三振、試合は3対2で近鉄が勝利[29]
- 8月26日 - ダイエーの秋山幸二が今季限りの現役引退を表明 [14]
- 8月26日 - 西武の西口文也が対ロッテ戦(西武ドーム)で9回2死まで1与四球の無安打無得点に抑えていたが、小坂誠に安打を打たれ、ノーヒットノーランを逃す。9回2死で逃したのはパ・リーグ史上8人目[19]
9月
- 9月2日
- 9月3日
- 9月4日 - 広島の佐々岡真司が広島市民球場での対阪神23回戦の8回表に片岡篤史からこの試合4つ目の三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[34]。
- 9月7日 - 日本ハムの田中幸雄が千葉マリンスタジアムでの対ロッテ21回戦の2回表に二塁打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[35]。
- 9月9日 - 阪神の星野伸之が西宮市の球団事務所にて記者会見し、今季限りでの現役引退を正式に表明[36]。
- 9月11日 - 近鉄の吉岡雄二が東京ドームでの対日本ハム24回戦の9回表に23号本塁打を打ち、プロ通算100号を達成[37]。
- 9月19日 - 横浜の野村弘樹が今季限りで現役引退すると正式に表明[38]。
- 9月21日
- 9月24日 - 2位ヤクルトがナゴヤドームでの対中日26回戦に4-9で敗れたため、巨人が2年ぶり30度目のセ・リーグ優勝を達成[41]。
- 9月26日 - 横浜は監督の森祇晶を解任すると発表[42]。
- 9月28日
10月
- 10月1日 - ヤクルトの池山隆寛が今季限りで現役引退すると表明[45]。
- 10月6日 - 西武の豊田清が東京ドームでの対日本ハム28回戦でパ・リーグのシーズン最多セーブの新記録となる今季36セーブ目を挙げる[46]。西武の松井稼頭央が1000試合連続出場を達成[47]。
- 10月9日 - 西武の西口文也がグリーンスタジアム神戸での対オリックス27回戦に先発し今季15勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[48]。
- 10月15日 - 横浜はヘッドコーチの黒江透修を横浜市内の球団事務所に呼び、今季限りで解任すると通告[49]。
- 10月16日 - 中日の大豊泰昭が名古屋市の球団事務所にて記者会見し、今季限りで現役すると正式に発表[50]。
- 10月17日 - 横浜は横浜市のホテルにて記者会見し、野球評論家で球団OBの山下大輔が監督に就任すると正式に発表[51]。
- 10月18日 - 日本ハムは臨時取締役会を開き、球団社長兼オーナー代行の小嶋武士が社長を辞任し、後任に日本ハム本社監査役の今村純二が就任する人事を承認[52]。
- 10月28日 - 沢村賞の選考が都内のホテルで開かれ、巨人の上原浩治を選出[53]。
- 10月30日 - 日本シリーズの第4戦が西武ドームで行われ、巨人が6対2で西武に勝利し巨人が4連勝のストレート勝ちで通算20度目の日本一。4連勝のストレート勝ちは巨人としては球団史上初で、シリーズとしては1990年の西武以来、12年ぶり。西武の日本シリーズでの5連続敗退は阪急と並ぶ当時のワーストタイ記録[54]
- 10月31日 - 西武は一軍打撃コーチの金森栄治に対し解任を通告[55]。
11月
- 11月1日
- 11月5日
- 11月6日 - ヤクルトは東京都内のヤクルト本社に伊藤智仁を呼び、戦力外通告[61]。
- 11月7日 - 西武のデニー友利と横浜の前田和之の交換トレードが成立したと西武、横浜両球団が正式に発表[62]。
- 11月8日 - ダイエーの佐久本昌広と阪神の松田匡司の交換トレードが成立したとダイエー、阪神両球団が発表[63]。
- 11月12日
- 11月14日 - 横浜はダイエーからFA宣言した若田部健一と横浜市内のホテルにて入団交渉を行い、3年契約、総額3億円(推定)、出来高払いの条件で合意し入団が決定[66]。
- 11月15日
- 11月16日 - 巨人とニューヨーク・ヤンキースが東京ドームホテルにて記者会見し、業務提携したと正式に発表[69]。
- 11月19日 - 巨人はヤクルトを退団したロベルト・ペタジーニの代理人とアメリカ・ニューヨークにて交渉し、入団することで合意[70]。
- 11月22日 - 阪神の山田勝彦・伊達昌司と日本ハムの下柳剛・中村豊の交換トレードが成立[71]。
- 11月25日 - 広島からFAの金本知憲が阪神へ入団表明[15]
- 11月26日 - 西武の富岡久貴・中嶋聡と横浜の細見和史・石井義人の交換トレードが成立したと西武、横浜両球団が発表[72]。
12月
- 12月2日 - 長嶋茂雄前巨人監督が、アテネ五輪野球の日本代表監督に就任。
- 12月7日 - 前テキサス・レンジャーズの伊良部秀輝と前ロサンゼルス・ドジャースのジェフ・ウィリアムスの阪神入団が決定
- 12月19日 - 巨人からFA宣言していた松井秀喜がニューヨーク・ヤンキースと契約合意
- 12月21日 - 近鉄からFA宣言していた中村紀洋の近鉄残留が正式決定
- 12月29日 - ダイエーにブランドン・ナイトが入団[14]
日韓W杯開催と野球への影響
2002年5月31日から6月30日にかけて2002 FIFAワールドカップ(日韓W杯)が開催された(W杯については該当記事参照)。
そのためプロ野球の試合日程が変則的(6月中)になっており、グループリーグのサッカー日本代表試合日である6月4日、9日、14日は休養日になっていた[73][74][75]。
決勝トーナメント1回戦の日本vsトルコ戦が行われた6月18日は、中日対ヤクルトの1試合が行われた[73][74]。
また、日韓W杯開催に伴い野球人気も高めようとのことから日本6大都市(札幌、東京、名古屋、大阪、広島、福岡)で開幕戦を行う企画を行ったため、翌2003年シーズンから開幕権は2年前の順位が反映されることになった(実質繰り越し)[76]。前年度を踏襲して開幕戦が行われていた場合、上位からセは神宮(ヤクルト)、東京ドーム(巨人)、横浜(横浜)、パは大阪(近鉄)、福岡ドーム(ダイエー)、西武ドーム(西武)で行われていた。
新ストライクゾーン
2002年よりストライクゾーンが高めに広がった[77][78][79]。セ・リーグ、パ・リーグ共に四死球が減少、三振数は増加。特に四死球の減少が顕著となった[77]。得点も両リーグ減少し、防御率も良化[77]。パ・リーグは全チームが防御率3点台を記録した[77]。
ストライクゾーン変更は打者有利の現状や試合時間が長くなることへの反省から行われたものである[78]。上記の通り投低打高化しており、また試合時間についても2002年の平均試合時間は両リーグとも昨年より短縮された[77]。しかし翌年の2003年には見直される[80]。
競技結果
|
|
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月26日(土) | 第1戦 | 西武ライオンズ | 1 - 4 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム |
10月27日(日) | 第2戦 | 西武ライオンズ | 4 - 9 | 読売ジャイアンツ | |
10月28日(月) | 移動日 | ||||
10月29日(火) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 10 - 2 | 西武ライオンズ | 西武ドーム |
10月30日(水) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 6 - 2 | 西武ライオンズ | |
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり20回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 松井秀喜 | 巨人 | A.カブレラ | 西武 | ||
最優秀新人 | 石川雅規 | ヤクルト | 正田樹 | 日本ハム | ||
首位打者 | 福留孝介 | 中日 | .343 | 小笠原道大 | 日本ハム | .340 |
本塁打王 | 松井秀喜 | 巨人 | 50本 | A.カブレラ | 西武 | 55本 |
打点王 | 松井秀喜 | 巨人 | 107点 | T.ローズ | 近鉄 | 117点 |
最多安打 | 清水隆行 | 巨人 | 191本 | 松井稼頭央 | 西武 | 193本 |
盗塁王 | 赤星憲広 | 阪神 | 26個 | 谷佳知 | オリックス | 41個 |
最高出塁率 | 松井秀喜 | 巨人 | .461 | A.カブレラ | 西武 | .467 |
最優秀防御率 | 桑田真澄 | 巨人 | 2.22 | 金田政彦 | オリックス | 2.50 |
最多勝利 | 上原浩治 | 巨人 | 17勝 | J.パウエル | 近鉄 | 17勝 |
K.ホッジス | ヤクルト | |||||
最多奪三振 | 井川慶 | 阪神 | 206 | J.パウエル | 近鉄 | 182 |
最高勝率 | 上原浩治 | 巨人 | .773 | J.パウエル | 近鉄 | .630 |
最多セーブ投手 | E.ギャラード | 中日 | 35S | 豊田清 | 西武 | 44S |
最優秀中継ぎ投手 | 石井弘寿 | ヤクルト | 35.5RP |
誕生
2002年の野球を参照
死去
2002年の野球を参照
脚注
- ^ 読売新聞2002年1月8日25面「島野氏が阪神のヘッドコーチに 中日が退団了承」読売新聞縮刷版2002年1月p389
- ^ 読売新聞2002年1月12日1面「殿堂に 新世紀枠 子規の顔 野球広めた」読売新聞縮刷版2002年1月p589
- ^ 読売新聞2002年1月12日17面「田宮、福本、鈴木、山内氏 晴れて殿堂入り 日米野球復活のオドール氏も」読売新聞縮刷版2002年1月p605
- ^ 読売新聞2002年1月16日18面「TBSへの株売却 横浜球団が承認 筆頭株主の変更要請」読売新聞縮刷版2002年1月p806
- ^ 読売新聞2002年1月17日夕刊3面「中井内オーナー ダイエー売却否定」読売新聞縮刷版2002年1月p887
- ^ 読売新聞2002年1月19日25面「ダイエーホークス存続決定 ファン反発考慮」読売新聞縮刷版2002年1月p989
- ^ 読売新聞2002年1月23日22面「横浜株、TBSへ売却 実行委、全会一致で承認」読売新聞縮刷版2002年1月p1212
- ^ 読売新聞2002年1月25日25面「ウィルソン入団」読売新聞縮刷版2002年1月p1335
- ^ 読売新聞2002年1月26日25面「『加盟料30億円』存続へ 横浜株譲渡も承認 プロ野球オーナー会議」読売新聞縮刷版2002年1月p1451
- ^ a b c d セリーグHistoryセ・リーグ公式サイト
- ^ 読売新聞2002年1月31日夕刊3面「横浜オーナーにTBS砂原社長」読売新聞縮刷版2002年1月p1691
- ^ a b 日付は公示日。ベースボール・マガジン社刊「ライオンズ60年史―獅子の記憶ー「西鉄」から「埼玉西武」まで」ページ
- ^ 大島監督が2試合出場停止/暴力行為などでパ処分四国新聞社、2002年4月1日
- ^ a b c d e f g h ソフトバンク刊「王貞治監督 ホークス14年の軌跡」44ページ
- ^ a b c d 阪神タイガースヒストリー 2000-2004阪神球団公式サイト
- ^ 記録メモ(個人打者編) Archived 2013年12月12日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ a b c d 球団のあゆみ2000年代ヤクルト球団公式サイト
- ^ a b チームヒストリーロッテ球団公式サイト
- ^ a b 記録メモ(個人投手編) Archived 2013年12月12日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ 週刊ベースボール2012年5月12日号107ページ
- ^ 【5月14日】2002年(平14) 松中信彦「再見全塁打!」 王監督ゆかりの地で歴史的勝利スポーツニッポン2009年5月1日配信
- ^ a b パシフィック・リーグ略史(2001年~)パリーグ公式サイト
- ^ 個人打撃連続記録(1)パ・リーグ公式サイト
- ^ 無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)NPB公式サイト
- ^ 梨田監督が退場共同通信2002年8月14日
- ^ 【8月16日】2002年(平14) 西武 球団史上最高の逆転劇でマジック点灯スポーツニッポン2010年8月12日配信
- ^ ベースボール・マガジン社刊「ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡」27ページ
- ^ 【8月23日】2002年(平14) 暴言、突き飛ばし…セ初の監督、コーチ同時退場スポーツニッポン2009年8月12日配信
- ^ 記録メモ(チーム・その他編)パ・リーグ公式サイト
- ^ 読売新聞2002年9月2日夕刊3面「横浜・石井浩が引退 今季限り」読売新聞縮刷版2002年9月p99
- ^ 読売新聞2002年9月3日38面「球団 大社オーナー辞任」読売新聞縮刷版2002年9月p154
- ^ 読売新聞2002年9月4日17面「横浜・石井浩が引退 今季限り」読売新聞縮刷版2002年9月p197
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- ^ 読売新聞2002年9月5日21面「佐々岡1500K」読売新聞縮刷版2002年9月p257
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- ^ 【10月30日】2002年(平14) 巨人、20度目の日本一で初の4戦全勝Vスポーツニッポン2007年10月16日配信
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- ^ 読売新聞2002年11月2日夕刊1面「『巨人魂 発揮する』メジャー移籍へ 松井が会見」読売新聞縮刷版2002年11月p41
- ^ 読売新聞2002年11月2日31面「MVP 松井とカブ」読売新聞縮刷版2002年11月p91
- ^ 読売新聞2002年11月6日1面「正力賞に原監督」読売新聞縮刷版2002年11月p265
- ^ 読売新聞2002年11月6日20面「『年内には決断したい』近鉄・中村 FA会見 大リーグ含め交渉へ」読売新聞縮刷版2002年11月p284
- ^ 読売新聞2002年11月6日20面「日米の知識融合を目指す 日ハム新監督が抱負」読売新聞縮刷版2002年11月p284
- ^ 読売新聞2002年11月7日19面「ヤクルト伊藤 引退へ」読売新聞縮刷版2002年11月p339
- ^ 読売新聞2002年11月8日20面「デニーと前田がトレード」読売新聞縮刷版2002年11月p404
- ^ 読売新聞2002年11月9日20面「佐久本と松田がトレード」読売新聞縮刷版2002年11月p466
- ^ 読売新聞2002年11月12日夕刊3面「坪井と野口交換トレード 阪神とハム合意」読売新聞縮刷版2002年11月p621
- ^ 読売新聞2002年11月13日22面「金銭で鈴木健獲得」読売新聞縮刷版2002年11月p660
- ^ 読売新聞2002年11月15日24面「横浜・若田部が誕生 3年3億 意中の球団 即決 今季FA移籍1号」読売新聞縮刷版2002年11月p796
- ^ 読売新聞2002年11月16日18面「波留と酒井を交換」読売新聞縮刷版2002年11月p850
- ^ 読売新聞2002年11月16日18面「垣内と椎木も」読売新聞縮刷版2002年11月p850
- ^ 読売新聞2002年11月17日1面「巨人・ヤンキース 業務提携に調印」読売新聞縮刷版2002年11月p893
- ^ 読売新聞2002年11月20日1面「ペタジーニ 巨人入り」読売新聞縮刷版2002年11月p1059
- ^ 読売新聞2002年11月23日18面「阪神と日ハムが2対2トレード」読売新聞縮刷版2002年11月p1274
- ^ 読売新聞2002年11月27日19面「西武・中島らを横浜へトレード 2対2の交換で」読売新聞縮刷版2002年11月p1487
- ^ a b FIFA.com. “2002 FIFA World Cup Korea/Japan ™ - Matches - FIFA.com” (英語). www.fifa.com. 2020年6月23日閲覧。
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- ^ “§ 新ストライクゾーンについて”. 高木豊のプロ野球すべてが僕の頭の中にある. 2014年6月25日閲覧。
- ^ “もらった松坂ライズボール”. 報知ベースボールパーク. 2003年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月25日閲覧。
外部リンク
- 2002年 セントラル・リーグ - NPB公式サイト
- 2002年 パシフィック・リーグ - NPB公式サイト
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優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | ヤクルトスワローズ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 大阪近鉄バファローズ |
3位 | 中日ドラゴンズ | 4位 | 阪神タイガース | 2位 | 福岡ダイエーホークス | 4位 | 千葉ロッテマリーンズ |
5位 | 広島東洋カープ | 6位 | 横浜ベイスターズ | 5位 | 日本ハムファイターズ | 6位 | オリックス・ブルーウェーブ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||