1957年の野球
表示
(1957年の日本プロ野球から転送)
1957年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
競輪 |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
サッカー |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
自転車競技 |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
相撲 |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
日本競馬 |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
バスケットボール |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
バレーボール |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
野球 |
1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 |
■ヘルプ |
1957年の野球(1957ねんのやきゅう)では、1957年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
[編集]日本プロ野球
[編集]ペナントレース
[編集]順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 74 | 53 | 3 | .583 | 優勝 |
2位 | 大阪タイガース | 73 | 54 | 3 | .575 | 1.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 70 | 57 | 3 | .551 | 4.0 |
4位 | 国鉄スワローズ | 58 | 68 | 4 | .460 | 15.5 |
5位 | 広島カープ | 54 | 75 | 1 | .419 | 21.0 |
6位 | 大洋ホエールズ | 52 | 74 | 4 | .413 | 21.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西鉄ライオンズ | 83 | 44 | 5 | .654 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 78 | 53 | 1 | .595 | 7.0 |
3位 | 毎日オリオンズ | 75 | 52 | 5 | .591 | 8.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 71 | 55 | 6 | .563 | 11.5 |
5位 | 東映フライヤーズ | 56 | 73 | 3 | .434 | 28.0 |
6位 | 近鉄パールス | 44 | 82 | 6 | .349 | 38.5 |
7位 | 大映ユニオンズ | 41 | 89 | 2 | .315 | 43.5 |
日本シリーズ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月26日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 2 - 3 | 西鉄ライオンズ | 平和台球場 |
10月27日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 1 - 2 | 西鉄ライオンズ | |
10月28日(月) | 移動日 | ||||
10月29日(火) | 第3戦 | 雨天中止 | 後楽園球場 | ||
10月30日(水) | 西鉄ライオンズ | 5 - 4 | 読売ジャイアンツ | ||
10月31日(木) | 第4戦 | 西鉄ライオンズ | 0 - 0 | 読売ジャイアンツ | |
11月1日(金) | 第5戦 | 西鉄ライオンズ | 6 - 5 | 読売ジャイアンツ | |
優勝:西鉄ライオンズ(2年連続2回目) |
個人タイトル
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 与那嶺要 | 巨人 | 稲尾和久 | 西鉄 | ||
最優秀新人 | 藤田元司 | 巨人 | 木村保 | 南海 | ||
首位打者 | 与那嶺要 | 巨人 | .343 | 山内和弘 | 毎日 | .331 |
本塁打王 | 佐藤孝夫 青田昇 |
国鉄 大洋 |
22本 | 野村克也 | 南海 | 30本 |
打点王 | 宮本敏雄 | 巨人 | 78点 | 中西太 | 西鉄 | 100点 |
最多安打 | 与那嶺要 | 巨人 | 160本 | 中西太 | 西鉄 | 154本 |
盗塁王 | 飯田徳治 | 国鉄 | 40個 | 河野旭輝 | 阪急 | 56個 |
最優秀防御率 | 金田正一 | 国鉄 | 1.63 | 稲尾和久 | 西鉄 | 1.37 |
最多勝利 | 金田正一 | 国鉄 | 28勝 | 稲尾和久 | 西鉄 | 35勝 |
最多奪三振 | 秋山登 | 大洋 | 312個 | 梶本隆夫 | 阪急 | 301個 |
最高勝率 | 木戸美摸 | 巨人 | .708 | 稲尾和久 | 西鉄 | .854 |
ベストナイン
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 金田正一 | 国鉄 | 稲尾和久 | 西鉄 |
捕手 | 藤尾茂 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | 岡本健一郎 | 阪急 |
二塁手 | 井上登 | 中日 | 岡本伊三美 | 南海 |
三塁手 | 三宅秀史 | 大阪 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 吉田義男 | 大阪 | 豊田泰光 | 西鉄 |
外野手 | 与那嶺要 | 巨人 | 山内和弘 | 毎日 |
田宮謙次郎 | 大阪 | 大下弘 | 西鉄 | |
青田昇 | 大洋 | 毒島章一 | 東映 |
オールスターゲーム
[編集]→詳細は「1957年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
[編集]- 第29回選抜高等学校野球大会優勝:早稲田実業(東京都)
- 第39回全国高等学校野球選手権大会優勝:広島商業(広島県)
大学野球
[編集]- 第6回全日本大学野球選手権大会優勝:立教大
社会人野球
[編集]メジャーリーグ
[編集]→詳細は「1957年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ミルウォーキー・ブレーブス(ナ・リーグ) (4勝3敗) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
2月
[編集]- 2月19日 - パ・リーグの緊急オーナー会議が東京駅八重洲北口の「ホテル国際観光」にて午後1時半より行われ、現行の8球団制を協議するも結論が出ず午後4時に散会[1]。
- 2月20日 - パ・リーグのオーナー会議が前日に引き続いて午前11時より「ホテル国際観光」にて開かれ、フランチャイズ制を検討した結果6球団制の実施に向けて進み、25日のオーナー会議で具体案を研究することを決定[2]。
- 2月25日 - パ・リーグのオーナー会議が午後1時から東京駅八重洲口の「ホテル国際観光」にて開かれ、高橋ユニオンズと大映スターズが球団合併することを決定して「大映ユニオンズ」とし、7球団制を取ることを決定。パ・リーグ総裁の佐伯勇が会議後に声明を発表[3]。
- 2月26日 - パ・リーグの代表者会議が午後3時より銀座アラスカで開かれ、パ・リーグの今年度の公式戦について、22回総当たり(1チーム年間132試合)の462試合とすることを決定[4]。
3月
[編集]4月
[編集]- 4月7日 - 第29回選抜高等学校野球大会の決勝戦が甲子園球場にて午後2時3分より行われ、早稲田実が高知商に5対3で勝利し、初優勝[8]。
- 4月11日 - 南海の穴吹義雄が後楽園球場での対大映3回戦の九回表の一死一、二塁の場面で3点本塁打を放つが、穴吹は一塁を回ったところで一塁走者の岡本伊三美を追い越してアウトとなり、「3点本塁打」が「2点適時打」となる[9]。
5月
[編集]6月
[編集]- 6月5日 - 南海の筒井敬三が後楽園球場での対阪急8回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[11]。
- 6月11日 - プロ野球実行委員会が午後1時より東京会館にて開かれ、野球記念館の建設にプロ野球界も協力することを決定[12]。
- 6月16日 - 毎日の中野健一が三回表安打を打ち、5月19日以来42打席連続無安打の記録が止まる[13]。
- 6月18日 - 阪急の古川清蔵が西宮球場での対大映9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[14]。
- 6月19日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での対巨人16回戦の四回表に藤本伸、続く与那嶺要を三振に打ち取り、ヴィクトル・スタルヒンの持つロ野球通算最多奪三振1960の記録を更新する1961個目の奪三振。この試合で12三振を奪い、記録を1967に伸ばす[15]。
- 6月22日 - 近鉄は監督の芥田武夫が休養すると発表[16]。
- 6月23日 - 東映の毒島章一が駒沢球場での対近鉄パールズ9回戦でサイクル安打を達成。
- 6月24日 - 南海ホークスの田沢芳夫が大阪球場での対近鉄9回戦に先発し9回2死まで無安打無得点としたものの滝田政治に初安打を記録され阻止されている。あと1人でノーヒットノーランを逃したのはパ・リーグ史上2人目[17]。
7月
[編集]- 7月7日 - 大洋の権藤正利後楽園球場での対巨人戦ダブルヘッダー第一試合の12回戦に先発して完封勝利を挙げ、1955年7月9日の対広島戦以来続いていた連敗を28で止める[18]。
- 7月15日
- 7月23日 - 阪急の渡辺清がプロ野球1万号本塁打を記録[21]。
- 7月23日 - 阪急の梶本隆夫が西宮球場での対南海13回戦に先発し、三回表一死後皆川睦雄以降連続して三振に打ち取り五回表に穴吹義雄から三振を奪い、プロ野球新記録となる8者連続三振を達成。六回表に先頭打者の寺田陽介も三振に打ち取り、連続三振の記録を9に伸ばす。次打者の皆川は中飛となり記録は9で途絶える[22]。
- 7月24日 - 広島市民球場が開場。初公式戦の広島カープ対大阪戦がナイターで行われ、大阪が15対1で勝利[23]。
8月
[編集]- 8月1日 - 国鉄の飯田徳治が広島市民球場での対広島16回戦で安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[24]。
- 8月3日 - 毎日の小野正一が大阪球場での対南海14回戦で15勝目を挙げ、パ・リーグタイ記録の12連勝を達成[25]。
- 8月4日 - 第28回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場にて午後7時2分から行われ、熊谷組が日本通運を4対0で破り、初優勝[26]。
- 8月11日 - 西鉄の大下弘が大阪球場での対南海17回戦の五回裏に中前安打を打ち、プロ通算1500安打を達成[27]。
- 8月18日
- 8月20日
- 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、広島商が法政二を3対1で勝利し、1930年(第16回)以来27年ぶり4度目の優勝達成。
- MLB】シカゴ・ホワイトソックスのボブ・キーガンが対ワシントン・セネタース戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは6対0。
- 8月21日 - 国鉄の金田正一が中日球場での対中日ダブルヘッダー第2試合の17回戦に先発し、完全試合を達成[30]。
- 8月24日 - 阪急の梶本隆夫が西宮球場での対西鉄15回戦の二回表に稲尾和久から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[31]。
- 8月25日 - 大洋の青田昇が川崎球場での対中日ダブルヘッダー第2試合の23回戦の五回裏に17号本塁打を打ち、プロ通算250本塁打を達成[32]。
- 8月27日 - 毎日の葛城隆雄が対南海戦でサイクル安打達成[33]。
9月
[編集]- 9月3日 - 後楽園球場での西鉄対大毎14回戦において、西鉄の監督の三原修は5回裏1死の大毎の打者葛城隆雄の場面で、葛城を苦手としていた先発の稲尾和久を一塁に守らせ、若生忠男を登板させる継投を行う。稲尾は6回裏からマウンドに戻り、試合は4対3で西鉄が勝利、稲尾は14連勝している。一人の選手を投手→野手→投手へと交代するのは、2リーグ制以降としては初[34][35]。
- 9月23日 - 西鉄の稲尾和久が大阪球場での対南海22回戦に先発して勝利投手となり、パ・リーグ新記録となるシーズン30勝目[36]。
10月
[編集]- 10月1日 - 西鉄の稲尾和久が後楽園球場での対毎日ダブルヘッダー第1試合の19回戦に先発して勝利投手となり、プロ野球新記録となる1シーズン20連勝[37]。
- 10月10日 - 【MLB】1957年のワールドシリーズ第7戦が行われ、 ミルウォーキー・ブレーブスがニューヨーク・ヤンキースを5対0で破り、4勝3敗で43年ぶり2度目の優勝[38]。
- 10月12日 - 中日の大矢根博臣が甲子園球場での対阪神タイガース23回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[39]。
- 10月13日 - 西鉄が平和台球場での対東映戦ダブルヘッダー26、27回戦に11対3、6対3と連勝し、2年連続3度目のパ・リーグ優勝が決定[40]。
- 10月21日 - 巨人が後楽園球場での対大洋ダブルヘッダー25,26回戦に10対2、2対0で連勝し、3年連続6度目のセ・リーグ優勝が決定[41]。
- 10月23日 - 中日の杉下茂が後楽園球場での対巨人ダブルヘッダー第1試合の25回戦に先発して今季10勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成[42]。
11月
[編集]- 11月1日 - 日本シリーズ第5戦が行われ、西鉄が巨人を6-5で下し、4勝0敗1分で2年連続2度目の日本一となる[43]。
- 11月20日 - パ・リーグのオーナー会議が午前11時から丸の内の東京会館にて開かれ、現在の7球団制から6球団制への移行を協議。東京に強力なチームを作ることが望ましいとの理由で毎日と大毎が合併することを決定[44]。58年度のリーグ総裁に東映のオーナーの大川博が就任することを決定[45]。
- 11月24日 - パ・リーグのオーナー会議が午後0時半から大阪市本町の国際見本市会館にて開かれ、大映、毎日の両球団が対等合併すると申し出、他球団も了承。来季から6球団制に移行する事が決定[46]。
- 11月25日 - 阪神は新監督に田中義雄が就任、前監督の藤村富美男は現役復帰すると発表[47]。
- 11月26日 - 近鉄は午後3時から近鉄本社にて助監督の加藤久幸が監督に就任すると正式に発表[48]。
- 11月28日 - 毎日、大毎の両球団は午後4時から東京会館にて記者会見し、20、24日のオーナー会議で決定した両球団の合併の大綱について発表。会社名は「株式会社大毎・毎日球団」、チーム名は「大毎オリオンズ」、オーナーは永田雅一、監督は別当薫[49]。
12月
[編集]- 12月3日 - 11月に毎日オリオンズと大映ユニオンズが合併して誕生した大毎オリオンズは午後3時から毎日新聞東京本社会議室にて来季の新陣容を発表[50]。
- 12月4日 - 巨人は宇野庄治が球団代表に就任したと発表[51]。
誕生
[編集]1月
[編集]2月
[編集]- 2月3日 - 河瀬雅英
- 2月19日 - デーブ・スチュワート
- 2月19日 - 沢田勝彦
3月
[編集]- 3月1日 - 高柳秀樹
- 3月1日 - ジョニー・レイ
- 3月6日 - 松下立美
- 3月10日 - 鹿取義隆
- 3月13日 - 高橋慶彦
- 3月22日 - 田村勲(+ 2000年)
- 3月25日 - 川本幸生(+ 2010年)
4月
[編集]- 4月2日 - 井上卓也
- 4月10日 - 中村昭
- 4月10日 - 小倉全由
- 4月16日 - 鈴木正幸
- 4月21日 - 兼光保明
- 4月22日 - 宮崎弘教
- 4月24日 - 蓬萊昭彦
- 4月27日 - ウィリー・アップショー
5月
[編集]- 5月5日 - 石橋貢
- 5月7日 - 谷崎浩二
- 5月9日 - スティーブ・ハモンド
- 5月11日 - 花房健
- 5月12日 - ルー・ウィテカー
- 5月17日 - 団野村
- 5月18日 - 豊平晋一
- 5月29日 - 美口博
- 5月29日 - 柿木園悟
6月
[編集]- 6月1日 - リチャード・オルセン
- 6月4日 - トニー・ペーニャ
- 6月5日 - 立野清広
- 6月6日 - マックス・ベナブル
- 6月11日 - 中本茂樹
- 6月19日 - ボブ・ギブソン
- 6月25日 - 長田克史
- 6月25日 - 土手本勝次
- 6月28日 - 青山久人
7月
[編集]- 7月1日 - クリス・スミス
- 7月7日 - ダン・グラッデン
- 7月12日 - 北別府学
- 7月14日 - 外園正
- 7月15日 - ジョー・ヒックス
- 7月16日 - 篠塚和典
- 7月17日 - 中野英明
- 7月24日 - 島貫省一
- 7月24日 - 大原徹也
- 7月25日 - 中島克介
- 7月31日 - 杉村繁
- 7月31日 - 木下智裕
8月
[編集]- 8月2日 - 島田芳明
- 8月6日 - ボブ・ホーナー
- 8月7日 - 尾花髙夫
- 8月9日 - 水上善雄
- 8月12日 - 和田博盛
- 8月12日 - 藤田義隆
- 8月14日 - 地頭方一男
- 8月16日 - 竹之内徹
- 8月20日 - 柴田保光(+ 2022年)
- 8月21日 - 光井正和
- 8月24日 - 鈴木孝行
- 8月28日 - 熊野輝光
- 8月30日 - 長内孝
- 8月30日 - 小川淳司
- 8月31日 - 藤倉多祐
9月
[編集]10月
[編集]- 10月6日 - アルフレド・グリフィン
- 10月15日 - 有賀佳弘
- 10月16日 - 永山勝
- 10月17日 - 前泊哲明
- 10月18日 - 山本和範
- 10月18日 - 藤原保行
- 10月19日 - 香坂英典
- 10月19日 - 加倉一馬
11月
[編集]12月
[編集]- 12月3日 - 鐘井裕治
- 12月6日 - 立石充男
- 12月6日 - スティーブ・ベドローシアン
死去
[編集]- 1月6日 - エド・アッバティッチオ(* 1877年)
- 1月12日 - ヴィクトル・スタルヒン(* 1916年)
- 1月16日 - 玉腰忠義(* 1920年)
- 7月3日 - ドルフ・ルケ(* 1890年)
- 10月15日 - ニール・ボール(* 1881年)
脚注
[編集]- ^ 毎日新聞1957年3月20日7面「球団再編成を協議 パ・リーグ オーナー会議」毎日新聞縮刷版1957年2月p273
- ^ 毎日新聞1957年3月21日7面「6球団制の実施へ パ・リーグ 25日に具体案ねる」毎日新聞縮刷版1957年2月p287
- ^ 読売新聞1957年2月26日4面「大映と高橋合併 パ・リーグ 今年は7球団で オーナー会議 六球団制実現に失敗」
- ^ 毎日新聞1957年2月27日7面「22回総当たり(462試合)に パ・リーグ 3月30日から公式戦」毎日新聞縮刷版1957年2月p373
- ^ 毎日新聞1957年3月8日7面「開幕日組合せ決まる パ・リーグ」毎日新聞縮刷版1957年3月p103
- ^ 毎日新聞1957年3月30日夕刊3面「岸首相が始球式 プロ野球 6球団で火ブタ」毎日新聞縮刷版1958年3月p415
- ^ 毎日新聞1957年3月31日7面「植村(毎日)西鉄を押う 四回 葛城が3点ホーマー」毎日新聞縮刷版1957年3月p423
- ^ 毎日新聞1957年4月7日夕刊3面「早実、初優勝成る 高知の反撃封ず 王、投打に活躍」毎日新聞縮刷版1957年4月p99
- ^ 毎日新聞1957年4月12日7面「穴吹、本塁打をフイに」毎日新聞縮刷版1957年4月p161
- ^ 毎日新聞1957年5月29日7面「川崎、五百試合に登板」毎日新聞縮刷版1957年5月p393
- ^ 毎日新聞1957年6月6日7面「筒井千試合出場」毎日新聞縮刷版1957年6月p75
- ^ 毎日新聞1957年6月11日7面「"野球記念館"に協力 プロ野球実行委」毎日新聞縮刷版1957年6月p163
- ^ 毎日新聞1957年6月17日5面「毎日、大映に勝越せず 第二試合 追いつかれて引分」毎日新聞縮刷版1957年6月p239
- ^ 毎日新聞1957年6月18日7面「古川が千五百回出場」毎日新聞縮刷版1957年6月p269
- ^ 毎日新聞1957年6月20日7面「金田(国鉄)三振奪取の新記録 八年間で一九六七個 巨人を破り13勝あげる」毎日新聞縮刷版1957年6月p283
- ^ 毎日新聞1957年6月20日7面「近鉄の芥田監督、当分休養 加藤助監督が代行」毎日新聞縮刷版1957年6月p335
- ^ 毎日新聞1957年6月25日7面「田沢"無安打"を逸する」毎日新聞縮刷版1957年6月p363
- ^ 毎日新聞1957年7月8日7面「権藤、二年ぶり白星 投打に活躍、巨人を完封」毎日新聞縮刷版1957年7月p121
- ^ 毎日新聞1957年7月16日7面「金田(国鉄)三振二千を奪う」毎日新聞縮刷版1957年7月p251
- ^ 毎日新聞1957年7月16日7面「佐竹(国鉄)千試合に出場」毎日新聞縮刷版1957年7月p251
- ^ “プロ野球10万号まであと「4」本 メモリアル弾には賞金100万円”. スポーツニッポン. 2017年9月29日閲覧。
- ^ 毎日新聞1957年7月24日7面「連続9三振の新記録 梶本の快腕 南海キリキリ舞い」毎日新聞縮刷版1957年7月p371
- ^ 毎日新聞1957年7月25日7面「権藤(大洋)三つ目の金星 広島、ナイター開きに惨敗」毎日新聞縮刷版1957年7月p385
- ^ 毎日新聞1957年8月2日7面「飯田が千五百本安打」毎日新聞縮刷版1957年8月p21
- ^ 毎日新聞1957年8月4日8面「東映は南海に連勝 小野12連勝、名近鉄7エラー」毎日新聞縮刷版1957年8月p56
- ^ 毎日新聞1957年8月5日5面「東京に18年ぶり黒獅子旗 熊谷組、待望の初優勝 全試合シャット・アウトの偉業」毎日新聞縮刷版1957年8月p69
- ^ 毎日新聞1957年8月12日5面「大下、千五百本安打 毎日は南海に連敗す」毎日新聞縮刷版1957年8月p175
- ^ 毎日新聞1957年8月19日5面「西鉄、15連勝ならず」毎日新聞縮刷版1957年8月p279
- ^ “【8月18日】1957年(昭32) 45歳5カ月 岩本義行、いまだに最年長記録の本塁打”. スポーツニッポン (2009年8月11日). 2015年11月17日閲覧。
- ^ 毎日新聞1957年8月22日7面「金田投手が完全試合を達成 中日を押さえ 四人目の快記録」毎日新聞縮刷版1957年8月p323
- ^ 毎日新聞1957年8月25日9面「梶本、千個目の三振奪取 稲尾は23勝」毎日新聞縮刷版1957年8月p371
- ^ 毎日新聞1957年8月26日5面「青田、二五〇号」毎日新聞縮刷版1957年8月p383
- ^ “チームヒストリー 1957”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. 2015年11月17日閲覧。
- ^ “【9月3日】1957年(昭32) 稲尾和久“緊急避難”で14連勝 三原監督「高松の田舎の野球」”. スポーツニッポン (2012年9月3日). 2015年11月17日閲覧。
- ^ 毎日新聞1957年9月3日7面「稲尾、14連勝飾る」毎日新聞縮刷版1957年9月p51
- ^ 毎日新聞1957年9月24日7面「"鉄腕”稲尾30勝 パ・リーグ新記録 連勝記録もあとひと息」毎日新聞縮刷版1957年9月p344
- ^ 毎日新聞1957年10月2日7面「"鉄腕"稲尾20連勝 一シーズンの新記録」毎日新聞縮刷版1957年10月p23
- ^ 毎日新聞1957年10月11日夕刊7面「ブレーブス優勝 バーデット 三たび完投勝利」毎日新聞縮刷版1957年10月p167
- ^ 毎日新聞1957年10月13日9面「大矢根(中日)も快記録 阪神を"力の投球"で圧倒」毎日新聞縮刷版1957年10月p193
- ^ 毎日新聞1957年10月14日5面「西鉄の連続優勝きまる パ・リーグで3度目 東映を連破 七試合を残して」毎日新聞縮刷版1957年10月p205
- ^ 毎日新聞1957年10月22日7面「巨人3年連続優勝なる 通算13回目の栄冠 26日から西鉄と選手権」毎日新聞縮刷版1957年10月p327
- ^ 毎日新聞1957年10月24日7面「杉下が二百勝 巨人、1ゲーム差の優勝」毎日新聞縮刷版1957年10月p355
- ^ 読売新聞1957年11月2日5面「西鉄二年連続優勝成る 巨人遂に1度も勝てず 6-5 4たび1点差で敗退」
- ^ 毎日新聞1957年11月21日7面「『六球団制』実現に努力 パ・リーグ 毎日・大毎合併へ」毎日新聞縮刷版1957年11月p311
- ^ 毎日新聞1957年11月21日7面「新総裁に大川氏」毎日新聞縮刷版1957年11月p311
- ^ 毎日新聞1957年11月25日7面[パの6球団制が実現 毎日・大映 来月中旬に合併」
- ^ 毎日新聞1957年11月26日7面「阪神監督に田中氏 藤村は現役に返り咲く」毎日新聞縮刷版1957年11月p3391
- ^ 毎日新聞1957年11月27日7面「近鉄監督に加藤氏昇格」毎日新聞縮刷版1957年11月p405
- ^ 毎日新聞1957年11月29日7面「『大毎オリオンズ』 毎日 大毎 合併球団、監督には別当」毎日新聞縮刷版1957年11月p433
- ^ 毎日新聞1957年12月4日7面「荒巻主将ら47選手 大毎オリオンズ新陣容」毎日新聞縮刷版1957年12月p51
- ^ 毎日新聞1957年12月5日7面「巨人代表に宇野氏」毎日新聞縮刷版1957年12月p65