コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

中野健一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野 健一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
生年月日 1934年3月21日
身長
体重
173 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1957年
初出場 1957年3月30日
最終出場 1957年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 -)は、毎日オリオンズ に在籍したプロ野球選手内野手)。

経歴

[編集]

法政一高では1951年春季東京大会で準決勝に進むが、沖山光利のいた明治高に敗退。同年夏の甲子園都予選では3回戦で成城高に惜敗。卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、遊撃手として活躍。1955年秋季リーグでは打率.383で首位打者を獲得、ベストナインにも選出された。大学同期に長谷川繁雄がいる。

卒業後は 日本石油に入社。1956年都市対抗では一番打者としてエース藤田元司を擁し決勝に進出。熊谷組を降しチームを優勝に導く[1]。この時のチームメートに花井悠らがいる。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場[1]

1957年毎日オリオンズ に入団。開幕から一番打者、遊撃手として起用され、同年は68試合に先発出場。二塁手としても出場している。一方で5月19日から6月15日まで42打席連続無安打、当時の新記録となった。非常に期待された選手だったが、同年限りで現役引退。

その後は社会人野球の熊谷組に転じ、1960年都市対抗に一番打者として出場。決勝で松下電器に延長10回裏サヨナラ勝ち、チームの優勝に貢献した[1]。同年9月には全日本社会人野球選抜チームの一員としてハワイに遠征した[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1957 毎日 91 246 223 15 36 4 1 1 45 14 19 6 6 1 15 1 1 33 1 .161 .217 .202 .418
通算:1年 91 246 223 15 36 4 1 1 45 14 19 6 6 1 15 1 1 33 1 .161 .217 .202 .418

背番号

[編集]
  • 7 (1957年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年

関連項目

[編集]