細見和史
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市伏見区 |
生年月日 | 1973年4月2日(51歳) |
身長 体重 |
183 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1995年 ドラフト1位(逆指名) |
初出場 | 1996年9月17日 |
最終出場 | 2003年7月22日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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細見 和史(ほそみ かずし、1973年4月2日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]北嵯峨高校時代は3年夏の全国高等学校野球選手権京都大会で6試合に登板して4完封・62奪三振・防御率0.00を記録し、第73回全国高等学校野球選手権大会に出場。甲子園では1回戦の対秋田高校戦でサヨナラ負けを喫した。
同志社大学では関西学生リーグで通算43試合登板、18勝14敗、238奪三振、防御率2.02。最優秀投手1回受賞。2年秋は優勝に貢献、明治神宮大会では救援登板。4年春6勝して大塔正明(近大)からサヨナラ本塁打も放つ。
1995年のドラフト会議で横浜ベイスターズに1位指名され、入団。
プロ入り後
[編集]一年目のオープン戦開幕投手に指名されるなど即戦力として期待されたが入団後4年はケガに悩まされ続け、2000年にようやく一軍昇格してそのまま定着。先発で初勝利を挙げた後は涙ながらにヒーローインタビューに応えていた。
2001年8月17日、蜂窩織炎の悪化が原因で登録を抹消された。この年にテレビ朝日で放映された「プロ野球 珍プレー好プレー特集番組」では、本人の名誉のためか、顔や登録名を伏せたうえで「水虫が悪化して2軍落ちした(横浜)ベイスターズの投手がいる」と紹介された。
2002年オフに中嶋聡・富岡久貴とのトレードで石井義人とともに西武ライオンズへ移籍[1]。ベースボール・マガジン社が2003年に発行したプロ野球選手名鑑では、福盛和男の欄に細見の顔写真が間違って掲載されるミスが発生した。前年まで細見が着けていた背番号24を、この年から福盛が引き継いだことによる差し替えミスと思われる。2003年オフに解雇されたが、阪神タイガースの入団テストを受けて合格。
しかし、阪神では一軍登板がなく、2004年10月6日に戦力外通告を受ける[2]。
現役続行を希望し台湾・中華職業棒球大聯盟の統一ライオンズと興農ブルズの入団テストを受験したが入団に至らず、現役を引退した。
現役引退後
[編集]引退後は、知人の勧めで都内の不動産会社の神奈川地域でのグループ会社設立に出資して川崎担当の役員となった。しかし、出資しただけで務まるほど役員が甘いものではない事を痛感し、自ら退任を申し出て、同社の社員として一から勉強する道を選択。2016年6月現在、賃貸物件の新規開拓や物件管理を担当するマネジャー。不動産業者となってから、古巣のDeNAベイスターズからスカウト就任を打診されたこともあったというが、球界に戻る踏ん切りはつけなかった。
2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となった[3]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1996 | 横浜 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 1.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 |
2000 | 12 | 10 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | -- | .625 | 247 | 62.0 | 54 | 8 | 19 | 0 | 1 | 46 | 1 | 0 | 23 | 23 | 3.34 | 1.18 | |
2001 | 14 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | -- | .000 | 190 | 42.1 | 49 | 3 | 17 | 2 | 1 | 17 | 4 | 0 | 35 | 31 | 6.59 | 1.56 | |
2002 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 157 | 38.0 | 33 | 6 | 7 | 0 | 6 | 29 | 1 | 0 | 15 | 15 | 3.55 | 1.05 | |
2003 | 西武 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 10 | 1.1 | 3 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 13.50 | 4.50 |
通算:5年 | 56 | 18 | 0 | 0 | 0 | 5 | 9 | 0 | -- | .357 | 608 | 144.2 | 140 | 18 | 46 | 3 | 8 | 94 | 6 | 0 | 75 | 71 | 4.42 | 1.29 |
記録
[編集]- 初登板:1996年9月17日、対読売ジャイアンツ25回戦(横浜スタジアム)、8回表に6番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に川相昌弘から
- 初先発・初勝利:2000年7月20日、対広島東洋カープ18回戦(横浜スタジアム)、6回無失点
背番号
[編集]- 24 (1996年 - 2002年)
- 32 (2003年)
- 57 (2004年)
脚注
[編集]- ^ 「西武・中島らを横浜へトレード 2対2の交換で」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2002年(平成14年)11月27日付朝刊、19面(スポーツ面)。
- ^ 「阪神が4投手に戦力外通告」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2004年(平成16年)10月7日付朝刊、22面(スポーツ面)。
- ^ “元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 - 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 細見和史 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube