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荒井修光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒井 修光
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県我孫子市
生年月日 (1973-08-11) 1973年8月11日(51歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1995年 ドラフト2位(逆指名)
初出場 1996年4月6日
最終出場 2002年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

荒井 修光(あらい のぶあき、1973年〈昭和48年〉8月11日 - )は、千葉県我孫子市出身[1]の元プロ野球選手捕手)。右投左打。現役引退後は北海道日本ハムファイターズの球団職員となっている。

来歴・人物

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我孫子シニア、我孫子高校早稲田大学を経て、1995年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団[1]

高校3年時に、ピッチャーとして甲子園に出場[1]。2勝をあげる。なおこの時の監督は、実父の荒井致徳であり話題となる[1]早稲田大学では1年で2勝するが、2年のときに捕手へ転向[1]東京六大学リーグ通算87試合出場、307打数74安打、打率.241、2本塁打、33打点。ベストナイン1回。織田淳哉三澤興一とバッテリーを組む。日米大学野球代表となる[2]。東京六大学の同期では髙木大成野村克則と捕手3人揃ってプロ入りした。

しかしプロでは思うような活躍ができず、2003年オフに戦力外通告を受け、現役引退。

2004年からは日本ハムの球団職員に転身。同年から日本球界に復帰して入団した新庄剛志 (SHINJO) の専属広報を3年間務め[3]、新庄の現役引退後は選手の肖像権などを管理する球団のマーチャンダイジンググループに移動。その後、球団が加盟したNPO法人・北海道野球協議会に出向して、同協議会の事務局次長に就任した[4]

2020年時点では、子供たちへの野球教室を展開する事業統轄本部エンターテイメント・クリエーション部アカデミーグループのグループ長を務めている[5]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1996 日本ハム 26 25 21 2 4 0 0 0 4 2 0 1 0 1 3 0 0 5 0 .190 .280 .190 .470
1997 27 18 18 6 5 1 0 0 6 4 0 2 0 0 0 0 0 4 1 .278 .278 .333 .611
1999 10 13 11 3 4 1 0 0 5 0 0 1 0 0 1 0 1 0 0 .364 .462 .455 .916
2001 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2002 15 13 13 1 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 5 1 .231 .231 .308 .538
通算:5年 81 71 65 12 16 3 0 0 19 6 1 4 0 1 4 0 1 15 2 .246 .296 .292 .588

記録

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背番号

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  • 22 (1996年 - 1998年)
  • 9 (1999年 - 2003年)

脚注

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  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、19ページ
  2. ^ 96スポニチプロ野球手帳
  3. ^ 新庄が逆転弾!楽天に10連勝”. 新庄カウントダウン プロ野球 : 日刊スポーツ (紙面) (2006年8月24日). 2017年2月15日閲覧。
  4. ^ 札幌市内に新球場建設へ 日本ハムも署名活動後押し - 野球”. 日刊スポーツ (紙面) (2015年11月19日). 2017年2月16日閲覧。
  5. ^ 【プロ野球選手からサラリーマンへ】 元日本ハムファイターズの荒井修光さんが人材プログラム『文武両道場』を通して”得たこと”とは? - GATHER(2020年4月15日)

関連項目

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外部リンク

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