1958年の野球
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1958年の野球(1958ねんのやきゅう)では、1958年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
[編集]日本プロ野球
[編集]ペナントレース
[編集]
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日本シリーズ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月11日(土) | 第1戦 | 西鉄ライオンズ | 2 - 9 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月12日(日) | 第2戦 | 西鉄ライオンズ | 3 - 7 | 読売ジャイアンツ | |
10月13日(月) | 移動日 | ||||
10月14日(火) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 1 - 0 | 西鉄ライオンズ | 平和台球場 |
10月15日(水) | 第4戦 | 雨天中止 | |||
10月16日(木) | 読売ジャイアンツ | 4 - 6 | 西鉄ライオンズ | ||
10月17日(金) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 3 - 4 | 西鉄ライオンズ | |
10月18日(土) | 移動日 | ||||
10月19日(日) | 第6戦 | 雨天中止 | 後楽園球場 | ||
10月20日(月) | 西鉄ライオンズ | 2 - 0 | 読売ジャイアンツ | ||
10月21日(火) | 第7戦 | 西鉄ライオンズ | 6 - 1 | 読売ジャイアンツ | |
優勝:西鉄ライオンズ(3年連続3回目) |
個人タイトル
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 藤田元司 | 巨人 | 稲尾和久 | 西鉄 | ||
最優秀新人 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 杉浦忠 | 南海 | ||
首位打者 | 田宮謙次郎 | 大阪 | .320 | 中西太 | 西鉄 | .314 |
本塁打王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 29本 | 中西太 | 西鉄 | 23本 |
打点王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 92点 | 葛城隆雄 | 大毎 | 85点 |
最多安打 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 153本 | 葛城隆雄 | 大毎 | 147本 |
盗塁王 | 岡嶋博治 | 中日 | 47個 | R.バルボン | 阪急 | 38個 |
最優秀防御率 | 金田正一 | 国鉄 | 1.30 | 稲尾和久 | 西鉄 | 1.42 |
最多勝利 | 金田正一 | 国鉄 | 31勝 | 稲尾和久 | 西鉄 | 33勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 311個 | 稲尾和久 | 西鉄 | 334個 |
最高勝率 | 藤田元司 | 巨人 | .690 | 秋本祐作 | 阪急 | .778 |
ベストナイン
[編集]セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 金田正一 | 国鉄 | 稲尾和久 | 西鉄 |
捕手 | 藤尾茂 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | スタンレー橋本 | 東映 |
二塁手 | 井上登 | 中日 | R.バルボン | 阪急 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 吉田義男 | 大阪 | 葛城隆雄 | 大毎 |
外野手 | 田宮謙次郎 | 大阪 | 杉山光平 | 南海 |
森徹 | 中日 | 関口清治 | 西鉄 | |
与那嶺要 | 巨人 | 毒島章一 | 東映 |
オールスターゲーム
[編集]→詳細は「1958年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
[編集]- 第30回選抜高等学校野球大会優勝:済々黌(熊本県)
- 第40回全国高等学校野球選手権大会優勝:柳井(山口県)
大学野球
[編集]- 第7回全日本大学野球選手権大会優勝:立教大
社会人野球
[編集]メジャーリーグ
[編集]→詳細は「1958年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ) (4勝3敗) ミルウォーキー・ブレーブス(ナ・リーグ)
できごと
[編集]1月
[編集]4月
[編集]- 4月5日 - プロ野球のセントラル・リーグ、パシフィック・リーグの公式戦が同時に開幕[3]。
- 4月6日 - 駒沢球場で行われた東映対南海ダブルヘッダー第二試合の3回戦が、日没のため七回でコールドゲームとなり4-2で南海が勝利となったが、これに不満のファンが約100名がグランドに流れ込む騒ぎとなる。東映の球団代表の石原春夫が場内アナウンスで観客を説得して午後7時半に収拾する[4]。
- 4月10日 - 第三十回選抜高校野球大会の決勝戦が午後1時1分から甲子園球場で行われ、済々黌高校が中京商業を7-1で破り、初優勝[5]。
- 4月23日 - 駒沢で行われた東映対大毎2回戦で東映がパ・リーグ史上初の出場打者全員三振(9人、10三振)。試合は3対1で東映が勝利[6]。
- 春季四国地区高等学校野球大会決勝戦での石川陽造(高松商)・板東英二(徳島商)両投手の延長25回に及ぶ熱投が全国的な話題となる一方で、その酷使が問題視されたため、高野連は急遽「延長18回再試合ルール」を制定した[7]。
5月
[編集]- 5月7日 - 日本プロ野球はこの日6試合が行われ[8]、無本塁打に終わる。6試合以上行われての無本塁打はNPB史上2度目[9]。
- 5月10日 - 東映の山本八郎が駒沢球場での対南海4回戦で、六回裏に遊撃へのゴロがアウトと判定されたことに怒り、審判の角田隆良を殴打し、退場処分となった後にも再度殴打[10]。東映のオーナーの大川博は山本と監督の岩本義行に対し謹慎を命じる[11]。
- 5月18日 - 東映の布施勝巳が大阪球場での対南海6回戦に先発し延長10回無死まで無安打無得点を続けていたものの、10回先頭打者の増田卓に初安打を許す[12]。
- 5月20日 - 日生球場でのナイター初公式戦の近鉄対大毎戦5回戦が行われ、5対1で大毎が勝利[13]。
- 5月27日 - 国鉄の金田正一が広島で対広島5回戦に先発し、3回まで無失点に抑え藤本英雄の持つ62回連続無失点の記録を更新、6回裏二死から藤井弘に本塁打を打たれ、連続無失点記録は64回1/3でストップ[14]。
- 5月31日 - 東映フライヤーズの土橋正幸が駒沢球場での対西鉄ライオンズ6回戦に先発し1試合16奪三振のプロ野球新記録、また1回の大下弘から4回の中西太までの9者連続三振[15]。
6月
[編集]- 6月4日 - 西鉄の日比野武が後楽園球場での対大毎9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[16]。
- 6月6日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での対阪神10回戦の五回一死二塁の場面から救援登板して勝利投手となり18勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成[17]。
- 6月13日 - 中日の杉山悟が甲子園球場で行われた対阪神8回戦の八回表に6号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[18]。
7月
[編集]- 7月5日 - 西鉄の関口清治が平和台球場での対大毎13回戦の延長十一回裏にサヨナラ適時打を打ち、プロ通算1000安打を達成[19]。
- 7月9日 - 阪急の梶本隆夫が駒沢球場での対東映16回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[20]。
- 7月19日 - 西鉄の西村貞朗が駒澤球場での対東映16回戦に先発して完全試合を達成[21]。
8月
[編集]- 8月4日 - 第二十九回都市対抗野球大会が後楽園球場にて午後7時1分より行われ、横浜市代表の日本石油が二瀬町の日鉄二瀬を4-0で破り、二度目の優勝を達成[22]。
- 8月16日
- 第40回全国高校野球選手権大会の8日目の第4試合、徳島商業対魚津商業戦は延長18回0-0で大会特別規定により再試合となる[23]。
→詳細は「魚津対徳島商延長18回引き分け再試合」を参照
- 川崎球場での大洋対中日17回戦は3回表中日の攻撃中に停電、35分復旧を待ったが、その目途が立たないとしてノーゲームとなる[24]。
- 8月17日 - 第40回全国高校野球選手権大会の8日目の第4試合、徳島商業対魚津商業戦の再試合が午後2時23分から行われ、徳島商が3-1で勝利[25]。
- 8月19日 -第40回全国高校野球選手権大会の決勝戦が午後1時2分から甲子園球場にて行われ、柳井高校が徳島商業に7-0で勝利し、大会初優勝を達成[26]。
9月
[編集]- 9月9日 - 阪急の米田哲也が西宮球場での対西鉄23回戦に先発し、パ・リーグ新記録となるシーズン9完封を達成[27]。
- 9月14日 - 阪急は西宮球場での対東映ダブルヘッダー第1試合の25回戦で、先発出場した9人の打者が共に3打数。1956年西鉄、1957年近鉄以来パ・リーグ3度目[28]。
- 9月19日 - 巨人の長嶋茂雄が後楽園球場での対広島23回戦の5回裏、広島先発の鵜狩好応から左中間に28号本塁打を放つが走塁の際一塁ベースを踏まなかったと広島の一塁手の藤井弘が一塁審判の竹元勝雄にアピールして認められたため本塁打が取り消され、記録はピッチャーゴロとなった[29][30]。
- 9月21日
10月
[編集]- 10月2日 -
- 10月8日 - 浦和球場で大毎対近鉄26回戦が行われ大毎が6-3で勝利、パ・リーグの全日程が終了[34]。
- 10月9日 - プロ野球の1958年度のセ・パ両リーグの最高殊勲選手、最優秀新人、沢村賞を決める記者投票の行われ、最高殊勲選手はセが巨人の藤田元司、パは西鉄の稲尾和久。最優秀新人はいずれも満票でセが巨人の長嶋茂雄、パは南海の杉浦忠。沢村賞は国鉄の金田正一が選出される[35]。
- 10月21日
- 10月23日 - 後楽園球場にて巨人対広島のダブルヘッダー25、26回戦が行われセ・リーグの全日程が終了[38]。
11月
[編集]- 11月19日 - 大洋は球団社長の森茂雄が兼任で監督に就任すると発表[39]。
- 11月25日 - 中日の西沢道夫が球団に対し現役引退を申し入れる[40]。
- 11月26日 - 近鉄の球団社長の佐伯勇が東京・西銀座の巨人の球団事務所を訪れ「巨人の二軍監督の千葉茂を近鉄パールズの監督に迎え入れたい」と申し入れ、巨人も了承[41]。
- 11月30日 - 大阪は午後3時から甲子園球場にて藤村富美男の今季限りでの現役引退を正式に発表[42]。
12月
[編集]- 12月3日 - 巨人のオーナー、読売興行代表取締役の品川主計が東京・銀座西の球団事務所にて退任を正式に発表[43]。
- 12月10日 - 中日は午後3時から球団事務所にて来季の首脳陣を正式に発表し、杉下茂の監督就任が決定[44]。
- 12月15日 - 阪神は田宮謙次郎が大阪市内の阪神電鉄本社で記者会見し、退団の意向を明らかにした。A級10年選手の権利を持つ田宮は球団と4度残留交渉を行っていたが、ボーナスと参稼報酬を巡って決裂したため[45]。
- 12月27日 - 大毎は午後4時20分から大阪市東区の国際見本市会館にて記者会見し阪神を退団した田宮謙次郎の入団を発表[46]。
- 12月29日 - 読売興行の定時株主総会が午後2時半から読売新聞本社にて開かれ取締役の品川主計、水原茂、鈴木惣太郎の退任と読売新聞副社長の高橋雄豺の代表取締役就任を発表[47]。
- 12月30日 - 阪急は大洋を退団した青田昇との契約を発表[48]。
誕生
[編集]1月
[編集]2月
[編集]3月
[編集]4月
[編集]5月
[編集]6月
[編集]7月
[編集]8月
[編集]9月
[編集]10月
[編集]- 10月3日 - 山田勉
- 10月9日 - 市川和正
- 10月16日 - 津末英明
- 10月17日 - 山口忠良
- 10月20日 - 大石大二郎
- 10月22日 - 高木豊
- 10月24日 - 辻発彦
- 10月27日 - 立花義家
11月
[編集]12月
[編集]死去
[編集]その他
[編集]脚注
[編集]- ^ 毎日新聞1958年1月5日夕刊3面「湯浅禎夫氏」毎日新聞縮刷版1958年1月p67
- ^ 毎日新聞1958年1月15日7面「森氏 大洋社長に 早大監督を正式に辞任」毎日新聞縮刷版1958年1月p205
- ^ 毎日新聞1958年4月6日夕刊3面「プロ野球一斉に開幕 絶好の日和、ファンの出足上々」毎日新聞縮刷版1958年4月p73
- ^ 毎日新聞1958年4月7日4面「"続行しろ"と観衆騒ぐ 東映好機に日没の三回戦」毎日新聞縮刷版1958年4月p92
- ^ 毎日新聞1958年4月11日7面「優勝旗、初めて九州へ 済々黌,、打ちまくる 城戸、中京商を4安打に 」毎日新聞縮刷版1958年4月p149
- ^ 毎日新聞1958年4月24日7面「大毎、貧打に敗る」毎日新聞縮刷版1958年4月p339
- ^ 「板東英二って実は凄い球児だった。 16回完投の2日後、延長25回完投。」number 2017/07/23
- ^ ダブルヘッダー1試合含む。東映と大毎は試合無し。
- ^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2012年9月24日、107頁。
- ^ 毎日新聞1958年5月11日9面「山本、塁審を投飛ばす 出場停止五日 また荒れた南海・東映」毎日新聞縮刷版1958年5月p149
- ^ 毎日新聞1958年5月11日9面「岩本監督にも謹慎を命ず 大川社長」毎日新聞縮刷版1958年5月p149
- ^ 毎日新聞1958年5月11日9面「布施、十回に涙のむ 九回までは無安打無得点」毎日新聞縮刷版1958年5月p261
- ^ 毎日新聞1958年5月21日7面「森ノ宮球場ナイターびらき 大毎4位へ」毎日新聞縮刷版1958年5月p291
- ^ 毎日新聞1958年5月28日8面「金田ついに新記録 15年ぶり 藤本(巨人)の62回破る 64回3分の1を連続無失点」毎日新聞縮刷版1958年5月p406
- ^ 毎日新聞1958年6月1日9面「土橋16三振を奪う 西鉄キリキリ舞い プロ野球の新記録」毎日新聞縮刷版1958年6月p9
- ^ 毎日新聞1958年6月5日「日比野は千五百試合に出場」毎日新聞縮刷版1958年6月p65
- ^ 毎日新聞1958年6月7日7面「金田ついに二百勝 プロ野球八人目の記録」毎日新聞縮刷版1958年6月p95
- ^ 毎日新聞1958年6月14日7面「杉山(中日)二百号 戦後派初めて」毎日新聞縮刷版1958年6月p199
- ^ 毎日新聞1958年7月6日7面「小野の力投及ばず 関口"千本安打"の幕切れ」毎日新聞縮刷版1958年7月p87
- ^ 毎日新聞1958年7月10日9面「梶本プロ入り百勝」毎日新聞縮刷版1958年7月p151
- ^ 毎日新聞1958年7月20日7面「西村(西鉄)が完全試合 対東映戦 プロ球史で五人目」毎日新聞縮刷版1958年7月p307
- ^ 毎日新聞1958年8月5日1面「横浜(日本石油)二度目の優勝 第二十九回 都市対抗野球終る」毎日新聞縮刷版1958年8月p89
- ^ 毎日新聞1958年8月17日7面「延長18回で0-0 板東、村椿ともに力投 徳島・魚津きょう再試合」毎日新聞縮刷版1958年8月p241
- ^ 毎日新聞1958年8月17日7面「ダッグアウト 停電で中止の珍礼」毎日新聞縮刷版1958年8月p241
- ^ 毎日新聞1958年8月18日4面「魚津ついに敗退 板東(徳島)の快投に屈す」毎日新聞縮刷版1958年8月p254
- ^ 毎日新聞1958年8月20日7面「柳井高(山口)初の優勝 第40回全国高校野球選手権大会 "剛腕"板東に14安打 友歳 徳島商の反撃許さず」毎日新聞縮刷版1958年8月p285
- ^ 毎日新聞1958年9月10日9面「米田 南海を破り20勝 9試合完封のパ・リーグ新」毎日新聞縮刷版1958年9月p137
- ^ 毎日新聞1958年9月15日5面「阪急連勝し首位追う」毎日新聞縮刷版1958年9月p209
- ^ 読売新聞1958年9月20日4面「長嶋28号をフイ 一塁を踏まずアウト」読売新聞縮刷版1958年9月p296
- ^ “【9月19日】1958年(昭33)ミスター、幻の28号本塁打でトリプルスリーを逃す”. スポーツニッポン. 2015年11月18日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 読売新聞1958年9月21日4面「川合、千本安打を達成 パでは十四人目」読売新聞縮刷版1958年9月p328
- ^ 毎日新聞1958年9月22日7面「南海、西鉄ともに勝つ 稲尾、戦後初の連続30勝」毎日新聞縮刷版1958年9月p319
- ^ a b 読売新聞1958年10月3日5面「日本シリーズ三たび巨人・西鉄 ともに優勝決まる 巨人4年連続 西鉄3年連続優勝 阪神と南海破れ」読売新聞縮刷版1958年10月p35
- ^ 読売新聞1958年10月8日4面「パ・リーグ全日程を終る 中西"三冠王"逃す 対近鉄戦 葛城(大毎)20号を放ち」読売新聞縮刷版1958年10月p126
- ^ 読売新聞1958年10月10日5面「最高殊勲選手に藤田、稲尾 新人王は長嶋、杉浦 金田に沢村賞、最優秀投手も稲尾」読売新聞縮刷版1958年10月p141
- ^ 読売新聞1958年10月21日夕刊1面「西鉄、三年連続優勝 日本シリーズ三敗後に四連勝」読売新聞縮刷版1958年10月p321
- ^ 読売新聞1958年10月22日5面「『引退したい』川上選手心境語る」読売新聞縮刷版1958年10月p331
- ^ 読売新聞1958年10月24日5面「セ・リーグ公式戦終る 本塁打王長嶋、首位打者田宮」読売新聞縮刷版1958年10月p365
- ^ 読売新聞1958年11月19日4面「森大洋社長監督に就任」読売新聞縮刷版1958年11月p298
- ^ 読売新聞1958年11月26日5面「西沢(中日)が引退」読売新聞縮刷版1958年11月p397
- ^ 読売新聞1958年11月26日5面「千葉(巨人)近鉄監督に」読売新聞縮刷版1958年11月p413
- ^ 読売新聞1958年12月1日5面「藤村は阪神顧問」読売新聞縮刷版1958年12月p5
- ^ 読売新聞1958年12月4日5面「品川社長(巨人)が退任」読売新聞縮刷版1958年12月p54
- ^ 読売新聞1958年12月11日5面「中日新監督に杉下氏 天知はヘッドコーチ」読売新聞縮刷版1958年12月p174
- ^ 読売新聞1958年12月16日4面「田宮、阪神を退団」読売新聞縮刷版1958年12月p264
- ^ 読売新聞1958年12月28日5面「田宮、大毎に決まる」読売新聞縮刷版1958年12月p480
- ^ 読売新聞1958年12月30日4面「巨人オーナーに高橋雄豺氏」読売新聞縮刷版1958年12月p508
- ^ 読売新聞1958年12月31日4面「青田、阪急と契約」読売新聞縮刷版1958年12月p516
- ^ 野球盤の歴史エポック社