谷良治
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関東学園大学硬式野球部 監督 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県館林市 |
生年月日 | 1958年4月11日(66歳) |
身長 体重 |
184 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト外 |
初出場 | 1984年4月8日 |
最終出場 | 1989年9月13日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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谷 良治(たに りょうじ、1958年4月11日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、関東学園大学硬式野球部の監督。
来歴・人物
[編集]関東学園大附高では2年秋と3年春に県大会準優勝、社会人野球の富士重工業に進む。1981年から3年連続で都市対抗野球に出場[1]し、1981年の日本選手権では優勝を経験。チームメートに橋本敬司、向田佳元両投手がいた。
1984年キャンプ前に、ドラフト外で阪急ブレーブスに入団[2]。
落差の大きいカーブ、スライダー、フォーク、シュートを武器に、1年目から右の中継ぎとして活躍。同年のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも第3戦に登板。翌1985年は抑えに回り5セーブ。1986年には抑えをアニマルに譲り、チーム最多の43試合に登板、主に中継ぎで7勝1敗1セーブの好成績を記録した。その後は段々と登板機会が減り、1989年はウエスタン・リーグで最優秀防御率を獲得。1992年からは背番号106となり、同年は二軍でも全く登板がないなど、事実上の打撃投手としての役割を果たした。1993年も同様で、同年限りで形式上も現役引退となった。
引退後は、オリックスのアシスタントスタッフ(打撃投手)、球団本部育成部青濤館副寮長を務めた。
1997年に入団した谷佳知が自身と同じ背番号10だったため、ファンからよく間違われていた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 阪急 オリックス |
28 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 258 | 64.0 | 54 | 9 | 22 | 3 | 1 | 38 | 3 | 0 | 23 | 22 | 3.09 | 1.19 |
1985 | 25 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | -- | .000 | 212 | 48.2 | 64 | 11 | 10 | 0 | 3 | 30 | 0 | 0 | 38 | 37 | 6.84 | 1.52 | |
1986 | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | 1 | -- | .875 | 355 | 89.0 | 71 | 10 | 20 | 0 | 3 | 40 | 3 | 1 | 30 | 27 | 2.73 | 1.02 | |
1987 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 120 | 26.0 | 36 | 3 | 9 | 1 | 1 | 19 | 2 | 0 | 19 | 19 | 6.58 | 1.73 | |
1988 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 81 | 17.2 | 26 | 1 | 2 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 11 | 9 | 4.58 | 1.58 | |
1989 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 5 | 1.0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 2.00 | |
通算:6年 | 125 | 2 | 0 | 0 | 0 | 7 | 3 | 6 | -- | .700 | 1031 | 246.1 | 253 | 34 | 63 | 4 | 8 | 137 | 8 | 1 | 122 | 115 | 4.20 | 1.28 |
- 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更
記録
[編集]- 初登板:1984年4月8日、対南海ホークス3回戦(大阪球場)、6回裏1死から3番手で救援登板、1回1失点
- 初先発登板:1984年5月2日、対ロッテオリオンズ5回戦(川崎球場)、2回2/3を2失点で敗戦投手
- 初セーブ:1985年5月15日、対近鉄バファローズ6回戦(阪急西宮球場)、7回表から4番手で救援登板・完了、3回1失点
- 初勝利:1986年5月9日、対南海ホークス5回戦(大阪球場)、6回1死から2番手で救援登板、1回2/3無失点
背番号
[編集]- 10 (1984年 - 1988年)
- 20 (1989年 - 1991年)
- 106 (1992年 - 2006年)
脚注
[編集]- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ 関東学園大硬式野球部監督 谷良治さん(64) プロの経験、選手と共有/群馬 毎日新聞 2022年8月25日