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2020年7月3日 (金) 06:16時点における版
千代田区立麹町小学校 | |
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過去の名称 |
第六番公立小学平川学校 第七番公立小学麹町女学校 第八番公立小学清水学校 麹町尋常高等小学校 麹町尋常小学校 麹町高等小学校 麹町国民学校 日比谷尋常小学校 日比谷国民学校 私立中村学校 永田町尋常小学校 永田町国民学校 千代田区立永田町小学校 千代田区立千代田麹町小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 千代田区 |
併合学校 |
千代田区立麹町小学校(旧) 千代田区立永田町小学校 |
設立年月日 |
【現・麹町小学校】 1993年(平成5年)4月1日 【旧・麹町小学校】 1875年(明治8年)5月 【旧・永田町小学校】 1906年(明治39年)10月 |
開校記念日 | 2月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒102-0083 |
東京都千代田区麹町二丁目8番地 北緯35度41分8.1秒 東経139度44分22.6秒 / 北緯35.685583度 東経139.739611度座標: 北緯35度41分8.1秒 東経139度44分22.6秒 / 北緯35.685583度 東経139.739611度 | |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:学校/小学校テンプレート |
千代田区立麹町小学校(ちよだくりつ こうじまちしょうがっこう)は、東京都千代田区麹町二丁目に位置する区立小学校。本項では、前身である(旧)麹町小学校及び永田町小学校についても述べる。
概要
1993年に旧麹町小学校と永田町小学校(麹町区立日比谷国民学校を1944年(昭和19年)に併合[1])の新設統合により開校した[2]。千代田区南西部の住宅地や官庁街、千代田おとび皇居外苑などの皇室に関係するエリアを学区としている。校内には千代田区役所麹町出張所・区民館が併設されている。
校章は皇居を擁する麹町の地に在って、校章は菊と桐を配している[3]。
沿革
- 1993年(平成5年)4月1日 - 千代田区公共施設適正配置計画により、千代田区立の小学校2校(麹町・永田町)を統合し、「千代田区立千代田麹町小学校」となる。
- 両校併設の幼稚園も統合され「千代田区立千代田麹町幼稚園」となる。
- 1994年(平成6年)3月9日 - 「千代田区立麹町小学校」(現校名)に改称。
- 1995年(平成7年)
- 2月10日 - 校歌を制定。
- 3月9日 - 開校記念日を2月10日と定める。
- 1996年(平成8年)
- 2000年(平成12年)3月29日 - 新校舎建設のため、仮校舎(旧・永田町小学校校舎)に移転。
- 2003年(平成15年)
- 3月6日 - 麹町二丁目公共施設落成式挙行。
- 4月1日 - 新校舎での教育活動を開始する。
学区
- 千代田区
- 千代田
- 皇居外苑
- 霞が関一~三丁目
- 永田町一・二丁目
- 隼町
- 平河町一・二丁目
- 麹町一~四丁目
- 一番町
- 二番町(1・3・5・9・11番地)
- 小学校の児童数と教員数[4]
年度 | 児童総数 | 1年生 | 2年生 | 3年生 | 4年生 | 5年生 | 6年生 | 教員数 | 職員数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平成25年 | 382人 | 82人 | 51人 | 60人 | 59人 | 62人 | 68人 | 18人 | 2人 |
平成26年 | 406人 | 87人 | 79人 | 57人 | 59人 | 61人 | 63人 | 22人 | 2人 |
平成27年 | 436人 | 87人 | 89人 | 82人 | 56人 | 57人 | 65人 | 22人 | 2人 |
平成28年 | 453人 | 85人 | 84人 | 90人 | 82人 | 51人 | 61人 | 23人 | 2人 |
平成29年 | 479人 | 81人 | 87人 | 86人 | 95人 | 79人 | 51人 | 26人 | 2人 |
平成30年 | 505人 | 80人 | 81人 | 84人 | 87人 | 95人 | 78人 | 27人 | 2人 |
令和元年 | 528人 | 101人 | 80人 | 83人 | 81人 | 90人 | 93人 | 27人 | 3人 |
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 都営バス「麹町出張所」バス停
旧:麹町小学校
概要
平河町5丁目の旗本屋敷に開かれた「平河学校」や、元園町1丁目に開かれた「麴町女学校」、そして江戸時代の手習指南所として山元町に開かれた私立「中村学校」などを前身とする。
旧麹町小学校は、戦前において「一高→帝大」という進学コースの一端を担った時代もあったとされる[3][5]。戦後は1960年代にかけ「千代田区立麹町中学校 → 都立日比谷高校 → 東京大学」へ辿る進学ラインとして知られ[6][7]、誠之、番町と共に「御三家」と呼ばれてきた華やかな時期もあった[5]。1950年代-1960年代の公立校全盛期において全校生徒の約半数が越境通学者で占められた[6]。
沿革
- 1875年(明治8年)5月 - 「第一大学区第三中学区第六番公立小学平川学校」と「第一大学区第三中学区第七番公立小学麹町女学校」、「第一大学区第三中学区第八番公立小学清水学校」が開校。
- 1884年(明治17年)3月 - 麹町女児小学校に幼稚園(日本最古の公立幼稚園とされている[8])が併設される。
- 1887年(明治20年)3月 - 小学校令の施行により、上記3校が統合され、「麹町尋常高等小学校」となる。尋常科(修業年現4年)を設置。3月10日を開校記念日とする。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。「麹町尋常小学校」に改称し、高等科を「麹町高等小学校」として分離する。
- 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災のため、校舎が全焼。
- 1927年(昭和2年)4月 - 復興校舎が完成。屋上に開放学級を新設。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「麹町国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、高等科を設置(初等科6年・高等科2年)。
- 1945年(昭和20年)5月25日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、高等科を廃止の上「千代田区立麹町小学校」となる。
- 1954年(昭和29年)3月10日 - 創立80周年を記念して、新校歌(旧校歌)(作詞:邦枝完二、作曲:柴田知常)を制定。歌詞は3番まであり、各番に校名の「麹町」が入っている。
- 1964年(昭和39年)3月10日 - 創立90周年を記念して講堂が完成。
- 1974年(昭和49年)3月11日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 統合のため閉校。
著名な出身者
- あ行
- 安西冬衛(詩人)
- 蒲原有明(詩人)
- 県満天雄(詩人)
- 有島生馬(洋画家)※中退
- 荒木五郎(奉天軍少将)
- 有松昇(内務官僚、元昭和女子大学教授)
- 巖谷小波(作家)
- 石川岩吉(國學院大學12代院長、名誉学長)※中退
- 池田大伍(劇作家)
- 石井正之助(元白百合女子大学教授、東京学芸大学名誉教授)
- 石塚粂蔵(日本兵器工業会会長、元日本製鋼所会長)
- 石原邦夫(元NHK経営委員会委員長、東京海上ホールディングス初代会長)
- 上田誠吉(弁護士、元自由法曹団団長)
- 上田誠也(地球科学者、東京大学名誉教授)
- 蛯原八郎(新聞雑誌研究家)
- 大塚久美子(実業家、大塚家具社長)
- 岡本綺堂(劇作家)
- 岡田八千代(劇作家)※幼稚園出身
- 大泉康雄(編集者、元女性セブン編集長)
- 小山内薫(劇作家)※幼稚園出身
- か行
- 鍛治壮一(航空評論家)
- 唐木英明(東京大学名誉教授、倉敷芸術科学大学学長)
- 川野一宇(元NHKアナウンサー)
- 木村茂(政治家、前千代田区長)
- 木村梢(エッセイスト)
- 北山禎介(中央教育審議会会長、三井住友銀行会長、前三井住友フィナンシャルグループ社長)
- 川瀬一馬(元静岡英和女学院院長、元静岡英和女学院短期大学学長)
- 呉文炳(日本大学4代総長・総裁、会頭・理事長)※麹町小学校創立百年記念会長
- 呉建(東京帝国大学教授、アテネ大学名誉教授)
- 邦枝完二(小説家)※旧・麹町小学校の校歌を作詞
- クニエダヤスエ(テーブルコーディネーター)
- 黒田清輝(帝国美術院院長、東京美術学校教授)
- 清瀬信次郎(亜細亜大学名誉教授、靖國會7代総代、元国民会館代表)※旧・麹町小学校同窓会長
- 郷誠之助(日本商工会議所4代会頭、日本経済聯盟会会長、東京電燈会長、東京株式取引所理事長)
- 高良とみ(女性運動家、元参議院議員、元日本女子大学教授)※中退
- さ行
- 佐藤基(大蔵官僚、元公正取引委員会委員長、元会計検査院長、元新潟県知事)
- 島津伊楚子(島津忠重夫人)
- 佐竹信四郎(柔道家)※幼稚園出身
- 島田次郎(中央大学名誉教授、元中央大学経済研究所長)
- 下岡忠治(内務次官、朝鮮総督府政務総監、元秋田県知事)
- 柴田知常(東洋音楽短期大学初代学長、元東京音楽大学理事長)※旧・麹町小学校の校歌を作曲
- 櫻井欽一(鉱物学者)※旧・永田町小学校同窓会長
- 鈴木三千代(三楽会長、元味の素監査役・顧問)
- 鈴木松雄(昭和電線電纜会長、元東京工業大学教授)
- 鈴木竹雄(東京大学名誉教授、第28代東京大学法学部長)
- 鈴木義雄(通産官僚、前日揮会長)
- 鈴木治雄(経済同友会創立幹事、昭和電工名誉会長・最高顧問)※3年次に白金小学校へ転入
- 鈴木正雄(三菱自動車販売会長、元三菱重工業副社長)※2年次に白金小学校へ転入
- 鈴木秀雄(大蔵官僚、元IMF理事、元世界銀行理事)
- 柴野民三(児童文学作家)
- 島村美輝(元俳優、教育コンサルタント)
- 住博司(元衆議院議員、厚生政務次官)
- 下川凹天(アニメーション映像作家)
- 瀬川昌男(SF作家)※幼稚園出身
- た行
- 田川大吉郎(明治学院3代総理(学院長)、元衆議院議員)
- 高根義人(商法学者、京都帝国大学教授)
- 醍醐忠重(醍醐家14代当主、海軍中将)※3年次に学習院初等科へ転入
- 徳大寺実厚(徳大寺家31代当主、掌典長)
- 富田広士(政治学者、慶應義塾大学教授)
- 戸田山和久(日本科学哲学会会長、名古屋大学教授)
- 瀧廉太郎(作曲家)
- 瀧山養(鉄道官僚、土木学会62代会長)
- 戸部銀作(演劇評論家)
- 寺尾睦男(ACジャパン相談役、公共広告機構理事長、元ライオン株式会社副社長)
- 藤間秋男(実業家、公認会計士)
- 富田常雄(作家、第21回直木三十五賞)
- 都築響一(写真家、第23回木村伊兵衛写真賞、POPEYE創刊者)
- 筒井省二(医学者、鶴岡市立荘内病院5代院長)
- 津田和男(教育者、国連国際学校日本語教員)
- 津島淳(衆議院議員、前国土交通大臣政務官・内閣府大臣政務官)
- 露木茂(元フジテレビアナウンサー)
- 土肥淳一郎(東京慈恵会医科大学名誉教授、元東京慈恵会医科大学附属青戸病院・東京慈恵会医科大学附属病院院長)
- 土本典昭(ドキュメンタリー映画監督)
- 長松篤棐(東京火災保険社長、貴族院男爵議員、元学習院大学教授)
- ドクター中松(発明家)※中退
- 中村桂子(JT生命誌研究館館長、元早稲田大学教授)
- 中曽根弘文(第141代外務大臣、第127代文部大臣)
- 南部圭之助(映画評論家)
- 南条秀雄(能楽師)
- 長崎守一(軍人、大日本帝国陸軍少将)
- 成田勝四郎(外務官僚、終戦連絡中央事務局部長、国連政府代表団代表)
- 二瓶正也(俳優)
- 西田健志(情報工学者、神戸大学准教授)
- 西尾寿男(日本交通公社初代社長・会長、元鉄道弘済会・日本ホテル協会理事長)
- 沼田嘉穂(横浜国立大学名誉教授、海軍経理学校教授)
- 野口務(東京巨人軍球団代表)
- 野田貞雄(沖縄師範学校校長、鉄血勤皇隊・ひめゆり学徒隊編成者)
- 乃木静子(乃木希典夫人)
- は行
- 原田敬美(政治家、前港区長)
- 浜中宏一(工学者、千歳科学技術大学名誉教授)
- 坂東彌十郎(歌舞伎役者)
- 広津桃子(作家)
- 廣瀬禎彦(コロムビアミュージックエンタテインメント名誉相談役・前CEO、元セガ・エンタープライゼス副社長)
- 人見鉄三郎(外交官、翻訳家)
- 平山復二郎(鉄道官僚、土木学会44代会長、元パシフィックコンサルタンツ社長)
- 薩谷和夫(美術監督)
- 堀文子(日本画家、女子美術大学名誉博士、元多摩美術大学教授)
- 保坂展人(世田谷区長、元衆議院議員)
- 穂積由香里(タレント、『積木くずし』のモデル)
- 古河建純(富士通取締役、前ニフティ会長)
- 深尾精一(首都大学東京名誉教授、元東京都立大学 (1949-2011)教授)
- 藤本能道(東京藝術大学5代学長、人間国宝)
- 本郷和人(歴史学者、東京大学史料編纂所教授)
- 本川裕(統計学者)
- ま行
- 森山欽司(第50代運輸大臣、第27代科学技術庁長官)
- 松田竹太郎(軍人、大日本帝国海軍少将)
- マダム路子(美容家)
- 町山広美(放送作家)
- 町山智浩(映画評論家、映画秘宝創刊者)
- 前田嘉明(鳴門教育大学初代学長、名誉教授)
- 碧川道夫(撮影監督)
- 溝口喜文(弁護士、関東弁護士会連合会理事長)
- 宮之原謙(陶芸家)
- 宮島詠士(能書家)
- 三村征雄(数学者、東京大学名誉教授)
- 三宅花圃(小説家)※中退
- 七代目三升家小勝(落語家)
- 村上勝彦(東京経済大学9代学長、10代理事長、名誉教授)
- 武者小路実篤(小説家)※幼稚園出身
- 茂出木浩司(料理人、三代目たいめいけん)
- 望月秀一(警察官僚、元警察大学校教授)
- 本野久子(女性運動家、愛国婦人会会長、元常磐会会長)
- 元田敏夫(内務官僚、元埼玉県知事、元千葉県知事、元香川県知事)
- 真梨邑ケイ(ジャズシンガー)
- や行
- 山本正和(元社民党参議院議員会長・副党首)
- 柳沢超(タレント、忍者元リーダー)
- 八木佐吉(出版人)
- 山本晶(文学者、慶應義塾大学名誉教授)
- 山田欽一(一橋大学名誉教授、元青山学院大学教授)※4年次に大阪市立豊里小学校へ転入
- 五代目柳家小さん(落語家、元落語協会会長・最高顧問、人間国宝)
- 梁瀬次郎(実業家、前ヤナセ会長)退
- 湯本長伯(日本大学教授、元九州大学教授、前産学連携学会会長)
- 横山修二(大京創業者、日本体操協会6代会長)
- 吉沢一郎(登山家、電通映画社取締役)
- 吉野雅邦(元連合赤軍幹部)
- わ行
教職員
旧:永田町小学校
概要
官庁街に立地した公立小学校であった。東京都立日比谷高等学校の近隣、自由民主党本部向かいにあり、著名人物の卒業生も輩出した。永田町小学校閉校後には、新校舎移設の為に麴町中学校や神田女学園が仮移転するなどで旧校舎が再利用されていた。なお、二・二六事件においては反乱軍の占拠地域に入った唯一の小学校であった[9]。
沿革
- 1906年(明治39年)10月31日 - 校地が麹町区永田町1-19に決定[10]。
- 1907年(明治40年)12月 - 校章を制定。剣と鏡と玉を図案化したものを組み合わせたもの。
- 1908年(明治41年)
- 4月1日 - 「永田町尋常小学校」が開校。
- 4月23日 - 授業を開始。麹町・日比谷・番町の尋常小学校3校から児童が集合。私立中村学校を吸収。
- 1920年(大正9年)8月1日 - 関東地区で最初の林間学校を調布多摩川玉華園に開設。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 永田町幼稚園が併設される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「永田町国民学校」に改称。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 日比谷国民学校を統合。
- 1946年(昭和21年)12月24日 - ララ委員会給与物資(ララ物資)[11]による学校給食を開始。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「千代田区立永田町小学校」となる。
- 1949年(昭和24年)
- 1953年(昭和28年)6月10日 - 校歌(作詞:山内俊次、作曲:大津三郎)を制定。
- 1978年(昭和53年)11月20日 - 開校70周年を記念し、永田町子どもの歌(作詞:中田英義 作曲:村井邦彦)を制定。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 統合のため閉校。85年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地 - 〒100-0014 東京都千代田区永田町二丁目19-1(北緯35度40分42.3秒 東経139度44分25.5秒)
著名な出身者
- 青木玉(随筆家)
- 安倍基雄(大蔵官僚、元衆議院議員)
- 浅利慶太(演出家、劇団四季創設者)
- 市村鶴蔵(歌舞伎役者)
- 岩藤雪夫(小説家)※中退
- 板垣正(日本会議代表委員、元参議院内閣委員長)
- 内田和成(早稲田大学教授、元ボストン・コンサルティング・グループ日本代表)
- 生江雅則(児童文学作家)
- 尾上松緑 (2代目)(歌舞伎役者、人間国宝)※永田町小学校創立八十周年記念会長
- 岡田隆彦(元慶應義塾大学教授、provoke (雑誌)創刊者)
- 太田述正(評論家、元防衛官僚)
- 木村太郎(銀行家、前日本銀行監事)
- 上坂冬子(ノンフィクション作家)※中退
- 岸朝子(料理記者)※中退
- 岸田文雄(宏池会会長、第148代外務大臣)
- 岸道郎(ダッカ大学非常勤教授、元北海道大学教授)
- 神波史男(脚本家)
- 後藤陽次郎(実業家、デザインプロデューサー)
- 佐藤直子(元テニス選手、日本プロテニス協会理事長)
- 本川裕(統計学者)
- 中島尚彦(実業家、サウンドカード創業者)
- 寺井啓之(能楽師、森田流笛方)
- 堀文子 (日本画家)
参考文献
- 『東京市麹町区地籍図』内山模型製図社編 内山模型製図社 (1934年(昭和9年))
- 『学校給食の経営』永田町小学校編 目黒書店 (1951年(昭和36年))
- 『千代田区史』千代田区 (1960年(昭和35年))
- 『麹町小學校の百年』麹町小学校創立百年記念会(1974(昭和49年)3月)
- 『麹町小学校創立百年記念誌 記録編』麹町小学校創立百年記念会(1974(昭和49年)3月10日)
- 『千代田区教育百年史』東京都千代田区教育委員会編(1980(昭和55年))
- 『麹町』麹町幼稚園創立百年・麹町小学校創立百十年記念事業協賛会編 (1985年(昭和60年)1月)
- 『千代田区立学校の沿革』千代田区立学校教育条件検討会編(1986年(昭和61年))
- 『麹町区史』東京市麹町区役所 (1986年(昭和61年))
脚注
- ^ 沿革
- ^ 要覧
- ^ a b 「麹町小學校の百年」p14、p192
- ^ 東京都教育委員会「令和元年度 公立学校統計調査報告書(学校調査編)」統計表、2019年10月24日、2019年11月12日閲覧
- ^ a b 『総理の乳母:安倍晋三の隠された原風景』七尾和晃著 創言社 2007、p61-p63
- ^ a b 『日本の母子関係:その心理的な問題』津留宏著 黎明書房 1958、p43(改題「古い母・新しい母」)
- ^ 『小さいおうち』中島京子著 文藝春秋 2010、p93
- ^ 「麹町」p.29
- ^ “日本の破滅はここから始まっていた(中田 整一)” (2016-03-27). 現代新書. 講談社. 2020年7月2日閲覧。
- ^ これをもって創立年月日とされている
- ^ 日本で初めての学校給食であるララ物資が贈呈された(出典:『学校給食の経営』p9)。贈呈式が行われた12月24日は文部省により学校給食記念日として定められている。
- ^ 1966年(昭和41年)に千代田区立神田小学校に統合。千代田区立神田小学校は1993年(平成5年)に千代田区立千桜小学校との統合により千代田区立千代田小学校となっている。
関連項目
外部リンク
- 千代田区立麹町小学校・麹町幼稚園
- 麹町小学校同窓会
- 旧・永田町小学校同窓会 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)