コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「千代田区立麹町小学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
110行目: 110行目:
:*[[荒木五郎]]([[奉天派|奉天軍]][[少将]])
:*[[荒木五郎]]([[奉天派|奉天軍]][[少将]])
:*[[有松昇]]([[内務省 (日本)|内務官僚]]、元[[昭和女子大学]]教授)
:*[[有松昇]]([[内務省 (日本)|内務官僚]]、元[[昭和女子大学]]教授)
:*[[谷小波]]([[作家]])
:*[[谷小波]]([[作家]])
:*[[石川岩吉]]([[國學院大學]]12代院長、[[名誉学長]])※中退
:*[[石川岩吉]]([[國學院大學]]12代院長、[[名誉学長]])※中退
:*[[池田大伍]]([[劇作家]])<!-- 石塚・池田は、石塚粂蔵『私の履歴書』(日本経済新聞社)より -->
:*[[池田大伍]]([[劇作家]])<!-- 石塚・池田は、石塚粂蔵『私の履歴書』(日本経済新聞社)より -->

2020年7月3日 (金) 06:16時点における版

千代田区立麹町小学校
過去の名称 第六番公立小学平川学校
第七番公立小学麹町女学校
第八番公立小学清水学校
麹町尋常高等小学校
麹町尋常小学校
麹町高等小学校
麹町国民学校
日比谷尋常小学校
日比谷国民学校
私立中村学校
永田町尋常小学校
永田町国民学校
千代田区立永田町小学校
千代田区立千代田麹町小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 千代田区の旗 千代田区
併合学校 千代田区立麹町小学校(旧)
千代田区立永田町小学校
設立年月日 【現・麹町小学校】
1993年平成5年)4月1日
【旧・麹町小学校】
1875年明治8年)5月
【旧・永田町小学校】
1906年明治39年)10月
開校記念日 2月10日
共学・別学 男女共学
所在地 102-0083
東京都千代田区麹町二丁目8番地
地図
北緯35度41分8.1秒 東経139度44分22.6秒 / 北緯35.685583度 東経139.739611度 / 35.685583; 139.739611座標: 北緯35度41分8.1秒 東経139度44分22.6秒 / 北緯35.685583度 東経139.739611度 / 35.685583; 139.739611
外部リンク 公式サイト
プロジェクト:学校/小学校テンプレート
テンプレートを表示
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

千代田区立麹町小学校(ちよだくりつ こうじまちしょうがっこう)は、東京都千代田区麹町二丁目に位置する区立小学校。本項では、前身である(旧)麹町小学校及び永田町小学校についても述べる。

概要

1993年に旧麹町小学校と永田町小学校(麹町区立日比谷国民学校を1944年昭和19年)に併合[1])の新設統合により開校した[2]。千代田区南西部の住宅地や官庁街、千代田おとび皇居外苑などの皇室に関係するエリアを学区としている。校内には千代田区役所麹町出張所区民館が併設されている。

校章は皇居を擁する麹町の地に在って、校章を配している[3]

沿革

「菊と桐」の校章
  • 1993年(平成5年)4月1日 - 千代田区公共施設適正配置計画により、千代田区立の小学校2校(麹町・永田町)を統合し、「千代田区立千代田麹町小学校」となる。
    • 両校併設の幼稚園も統合され「千代田区立千代田麹町幼稚園」となる。
  • 1994年(平成6年)3月9日 - 「千代田区立麹町小学校」(現校名)に改称。
  • 1995年(平成7年)
    • 2月10日 - 校歌を制定。
    • 3月9日 - 開校記念日を2月10日と定める。
  • 1996年(平成8年)
  • 2000年(平成12年)3月29日 - 新校舎建設のため、仮校舎(旧・永田町小学校校舎)に移転。
  • 2003年(平成15年)
    • 3月6日 - 麹町二丁目公共施設落成式挙行。
    • 4月1日 - 新校舎での教育活動を開始する。

学区

  • 千代田区
    • 千代田
    • 皇居外苑
    • 霞が関一~三丁目
    • 永田町一・二丁目
    • 隼町
    • 平河町一・二丁目
    • 麹町一~四丁目
    • 一番町
    • 二番町(1・3・5・9・11番地)
小学校の児童数と教員数[4]
年度 児童総数 1年生 2年生 3年生 4年生 5年生 6年生 教員数 職員数
平成25年 382人 82人 51人 60人 59人 62人 68人 18人 2人
平成26年 406人 87人 79人 57人 59人 61人 63人 22人 2人
平成27年 436人 87人 89人 82人 56人 57人 65人 22人 2人
平成28年 453人 85人 84人 90人 82人 51人 61人 23人 2人
平成29年 479人 81人 87人 86人 95人 79人 51人 26人 2人
平成30年 505人 80人 81人 84人 87人 95人 78人 27人 2人
令和元年 528人 101人 80人 83人 81人 90人 93人 27人 3人

アクセス

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停

旧:麹町小学校

概要

平河町5丁目の旗本屋敷に開かれた「平河学校」や、元園町1丁目に開かれた「麴町女学校」、そして江戸時代手習指南所として山元町に開かれた私立「中村学校」などを前身とする。

旧麹町小学校は、戦前において「一高帝大」という進学コースの一端を担った時代もあったとされる[3][5]。戦後は1960年代にかけ「千代田区立麹町中学校都立日比谷高校東京大学」へ辿る進学ラインとして知られ[6][7]誠之番町と共に「御三家」と呼ばれてきた華やかな時期もあった[5]1950年代-1960年代の公立校全盛期において全校生徒の約半数が越境通学者で占められた[6]

沿革

  • 1875年(明治8年)5月 - 「第一大学区第三中学区第六番公立小学平川学校」と「第一大学区第三中学区第七番公立小学麹町女学校」、「第一大学区第三中学区第八番公立小学清水学校」が開校。
  • 1884年(明治17年)3月 - 麹町女児小学校に幼稚園(日本最古の公立幼稚園とされている[8])が併設される。
  • 1887年(明治20年)3月 - 小学校令の施行により、上記3校が統合され、「麹町尋常高等小学校」となる。尋常科(修業年現4年)を設置。3月10日を開校記念日とする。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。「麹町尋常小学校」に改称し、高等科を「麹町高等小学校」として分離する。
  • 1923年大正12年)9月 - 関東大震災のため、校舎が全焼。
  • 1927年昭和2年)4月 - 復興校舎が完成。屋上に開放学級を新設。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「麹町国民学校」に改称。尋常科を初等科に改め、高等科を設置(初等科6年・高等科2年)。
  • 1945年(昭和20年)5月25日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、高等科を廃止の上「千代田区立麹町小学校」となる。
  • 1954年(昭和29年)3月10日 - 創立80周年を記念して、新校歌(旧校歌)(作詞:邦枝完二、作曲:柴田知常)を制定。歌詞は3番まであり、各番に校名の「麹町」が入っている。
  • 1964年(昭和39年)3月10日 - 創立90周年を記念して講堂が完成。
  • 1974年(昭和49年)3月11日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1993年(平成5年)3月31日 - 統合のため閉校。

著名な出身者

あ行
か行
さ行
た行
は行
ま行
や行
わ行

教職員

旧:永田町小学校

概要

官庁街に立地した公立小学校であった。東京都立日比谷高等学校の近隣、自由民主党本部向かいにあり、著名人物の卒業生も輩出した。永田町小学校閉校後には、新校舎移設の為に麴町中学校や神田女学園が仮移転するなどで旧校舎が再利用されていた。なお、二・二六事件においては反乱軍の占拠地域に入った唯一の小学校であった[9]

沿革

  • 1906年(明治39年)10月31日 - 校地が麹町区永田町1-19に決定[10]
  • 1907年(明治40年)12月 - 校章を制定。剣と鏡と玉を図案化したものを組み合わせたもの。
  • 1908年(明治41年)
    • 4月1日 - 「永田町尋常小学校」が開校。
    • 4月23日 - 授業を開始。麹町・日比谷・番町の尋常小学校3校から児童が集合。私立中村学校を吸収。
  • 1920年(大正9年)8月1日 - 関東地区で最初の林間学校を調布多摩川玉華園に開設。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 永田町幼稚園が併設される。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「永田町国民学校」に改称。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 日比谷国民学校を統合。
  • 1946年(昭和21年)12月24日 - ララ委員会給与物資(ララ物資[11]による学校給食を開始。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「千代田区立永田町小学校」となる。
    • 校区改定により、大手町と丸の内が千代田区立神竜小学校[12]の校区となる。
  • 1949年(昭和24年)
  • 1953年(昭和28年)6月10日 - 校歌(作詞:山内俊次、作曲:大津三郎)を制定。
  • 1978年(昭和53年)11月20日 - 開校70周年を記念し、永田町子どもの歌(作詞:中田英義 作曲:村井邦彦)を制定。
  • 1993年(平成5年)3月31日 - 統合のため閉校。85年の歴史に幕を閉じる。

著名な出身者

参考文献

  • 『東京市麹町区地籍図』内山模型製図社編 内山模型製図社 (1934年(昭和9年))
  • 『学校給食の経営』永田町小学校編 目黒書店 (1951年(昭和36年))
  • 『千代田区史』千代田区 (1960年(昭和35年))
  • 『麹町小學校の百年』麹町小学校創立百年記念会(1974(昭和49年)3月)
  • 『麹町小学校創立百年記念誌 記録編』麹町小学校創立百年記念会(1974(昭和49年)3月10日)
  • 『千代田区教育百年史』東京都千代田区教育委員会編(1980(昭和55年))
  • 『麹町』麹町幼稚園創立百年・麹町小学校創立百十年記念事業協賛会編 (1985年(昭和60年)1月)
  • 『千代田区立学校の沿革』千代田区立学校教育条件検討会編(1986年(昭和61年))
  • 『麹町区史』東京市麹町区役所 (1986年(昭和61年))

脚注

  1. ^ 沿革
  2. ^ 要覧
  3. ^ a b 「麹町小學校の百年」p14、p192
  4. ^ 東京都教育委員会「令和元年度 公立学校統計調査報告書(学校調査編)」統計表、2019年10月24日、2019年11月12日閲覧
  5. ^ a b 『総理の乳母:安倍晋三の隠された原風景』七尾和晃著 創言社 2007、p61-p63
  6. ^ a b 『日本の母子関係:その心理的な問題』津留宏著 黎明書房 1958、p43(改題「古い母・新しい母」)
  7. ^ 小さいおうち中島京子文藝春秋 2010、p93
  8. ^ 「麹町」p.29
  9. ^ 日本の破滅はここから始まっていた(中田 整一)” (2016-03-27). 現代新書. 講談社. 2020年7月2日閲覧。
  10. ^ これをもって創立年月日とされている
  11. ^ 日本で初めての学校給食であるララ物資が贈呈された(出典:『学校給食の経営』p9)。贈呈式が行われた12月24日は文部省により学校給食記念日として定められている。
  12. ^ 1966年(昭和41年)に千代田区立神田小学校に統合。千代田区立神田小学校は1993年(平成5年)に千代田区立千桜小学校との統合により千代田区立千代田小学校となっている。

関連項目

外部リンク