コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「Wikipedia:井戸端/履歴20200123」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
そらたこ (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
28行目: 28行目:
* {{コ}} 既に[[Wikipedia:即時削除の方針#全般3|G3]]として[[Wikipedia:即時削除|即時削除]]されています。ページの削除に関しては[[Wikipedia:削除]]とそのリンク先をお読みください。--[[利用者:そらたこ|そらたこ<span class="Unicode">🐙</span>]][[利用者‐会話:そらたこ|(会話)]] 2019年8月29日 (木) 16:35 (UTC)
* {{コ}} 既に[[Wikipedia:即時削除の方針#全般3|G3]]として[[Wikipedia:即時削除|即時削除]]されています。ページの削除に関しては[[Wikipedia:削除]]とそのリンク先をお読みください。--[[利用者:そらたこ|そらたこ<span class="Unicode">🐙</span>]][[利用者‐会話:そらたこ|(会話)]] 2019年8月29日 (木) 16:35 (UTC)


== トランスクルージョンの考え方 ==
{{ 井戸端サブページ | title = トランスクルージョンの考え方 }}
この井戸端やテンプレートなどで、[[トランスクルージョン]]がされているのは知っていましたが、一般の記事の場合、どういう場合に使うのが適切なのでしょう?また子記事側はテンプレ(呼出し子記事の表示)を配置するとかいったルールはどうなっていますか? 例として[[UEFAチャンピオンズリーグ 2019-20 グループリーグ#グループ]]という記事内で[[UEFAチャンピオンズリーグ 2019-20 グループリーグ グループA]]などを[[Help:マジックワード#その他の用法|#lst]]を使ってセクションとして取り込んでいますが、子記事を単体でみるとサブページでもないのに導入部の定義はない訳ですが..。--[[特別:投稿記録/115.38.235.23|115.38.235.23]] 2019年8月31日 (土) 02:11 (UTC)

{{ 井戸端サブページ | title = botによる二重転送解消が早すぎる}}
{{ 井戸端サブページ | title = botによる二重転送解消が早すぎる}}

2019年9月2日 (月) 14:42時点における版

井戸端は、ウィキペディア日本語版について、運営、方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々な事で質問や提案、議論、意見交換を行う場所です。詳しくはWikipedia:井戸端/ヘルプをご覧ください


This page is for discussion of Japanese Wikipedia, normally in Japanese. But see also Help for Non-Japanese Speakers. If you want to just inform Japanese Wikipedians of something, you can use Wikipedia:お知らせ.


ここに質問を投稿する前に
以前の議論を検索する
  • 井戸端タグについては井戸端タグの説明文書をご覧ください。
  • 井戸端ウォッチリストではサブページを含めた井戸端の投稿状況が確認できます。
  • 以下は、►(右向き三角)のクリックによって期間ごとの話題がツリー表示されます。
運営方針
  • 投稿された全ての話題はサブページに移動し、Category:井戸端の話題にカテゴライズされています。
  • サブページは、最新の投稿から10日間経過するか、最初の投稿から30日が経過すると、井戸端への読み込みが解除されます。
投稿しましょう

キャッシュを破棄

MANDARAで作成した地図のウィキメディア上での利用について

MANDARAというフリーGISソフトがあり(公式サイト)、地理学の研究・教育や、高校での地理教育でも活用されているようです(CiNiiで検索すると具体例がヒットします)。このフリーGISでは主題図(特定の地理的事象について表示する地図)を作成することができます(例: 公式サイトのギャラリー の上の7つ)。

MANDARAで作成した地図のウィキペディア日本語版での利用を考えると、まず、地図関係の記事群における説明用の画像が挙げられます(私が現在作成中の記事でも使用できるかと思います)。他にも、地理的分布についての説明が行われている他の記事群においても、主題図のアップロード・表示により記事での解説の質の向上につながるのではないかと思います。

一方、地図を作成・アップロードする際は、地図の著作権も遵守することが求められます。もちろん、ウィキメディア上にアップロードする地図についても例外ではありません。ただし、MANDARAについては、開発者の方が、作成した地図の二次利用を予め許諾されています(公式サイト, 公式サイト「MANDARAについて」参照)。

ダウンロード時に付属している地図データ(公式サイト内でのデータ一覧)を地図データとして使用し、かつ使用する属性データについても二次利用可能な場合、MANDARAで作成した地図をウィキメディア上でアップロードすることは差し支えないと解釈できるでしょうか(付属の地図データはMANDARAでの使用が想定されています: こちらを参照)。

そして、アップロード可能な場合、作成・アップロードした地図が誤って削除依頼に出されてしまうことを防ぐために、何らかの注意喚起をしておくとよいのではないかと思っています。ノートで「MANDARAで作成。開発者による二次利用許諾あり(公式サイト参照)」などと記載しようかなと思ったのですが、c:Template:AerialPhotograph-mlitJPのようなテンプレートの作成が望ましいのでしょうか。

アップロード先は現時点ではjawpを考えています(二次利用許諾の文が日本語であることも考慮して)が、コモンズのほうがよいのでしょうか。

ウィキメディア上へのアップロードに際して、可能/不可能、あるいは著作権関係でのトラブル(誤認での削除依頼提出を含む)のリスクをできるだけ回避できるアップロード手続きの方法についてご意見・ご助言いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--郊外生活会話2019年8月3日 (土) 16:49 (UTC)[返信]

  • 使ったことないのでよくわかりませんが、「付属地図データを使用して作った画像」あるいは「自作した地図データを使用して作った画像」であれば、とくに著作権的な問題はないように思います。
使用ソフトやその二次利用に関する説明書きを残す場合は、ノートよりもtemplate:informationのDescriptionの中に書いた方がいいと思います。コモンズへアップする場合でも同様です。文言は「開発者による二次利用許諾あり」よりも、「このソフトで作製した画像について、ソフト利用上要求される二次利用制約はない」ぐらいの方が明確かなと思います。
c:Template:AerialPhotograph-mlitJPのようなライセンス状態を記すテンプレートを特別に作る必要はないと思います。既存のライセンスの選択肢(cc by, cc by sa, cc0など)から選べば十分だと思います。そのソフトで製作した画像に対して二次利用制約が無いのだから、ソフトを使って画像を作った人(アップロード者)が、cc by, cc by sa, cc0など好きなライセンスで公開できるはずです。ライセンス選択あるいはアップロード可否に気を付けなればならないケースは、著作権フリーではない地図データをもとに作製するときぐらいだと思います。c:Template:AerialPhotograph-mlitJPは、国土情報ウェブマッピングシステムで作製した画像には一定の二次利用制約が存在するので、その利用条件(ライセンス)を明示するテンプレートがcc by, cc by sa, cc0などと別に必要なので用意されているということだと思います。
利用許諾の文が日本語でもコモンズでは受け入れられます。有用な画像ならば他プロジェクトでも共有できるようにコモンズへアップロードするのが理想的だとは思います。一方で、現実として言葉の壁による誤解やストレスはコモンズで時折り起こるのは事実だと思います。どこにアップロードするかは、アップロード者のお好きなようにしていただいてけっこうだと思います。--Yapparina会話2019年8月4日 (日) 07:14 (UTC)[返信]
  • Yapparinaさん、コメントありがとうございます。なお、MANDARAで作成した地図については1週間後を目処にアップしたいと思います(ほぼ同時に、現在作成中の記事もアップします)。アップしましたらこちらでも報告したいと思います。なお今後何らかの問題点に気づかれた場合は、このページなど関係ページでお知らせいただければと思います。--郊外生活会話2019年8月12日 (月) 12:51 (UTC)[返信]
  • MANDARAを少し触ってみました。その中で気になったのは例えば地価公示価格のグラフ作成で表示>背景画像設定ダイアログから表示画像としてシームレスでタイルマップサービスとして画像が選択できますので、意図せずライセンスが不明な画像を使ってしまう可能性があるように思います(勘違いかもしれませんが)。地理院の場合、基本測量成果であるかで測量法の申請が必要だったりしますので注意が必要かと思います。--115.38.235.23 2019年8月16日 (金) 11:35 (UTC)[返信]
  • 「背景画像設定」については付属の地図データについては初期設定では表示しないようになっていると思いますし、もし必要だとしても表示させない設定、あるいはライセンス上の条件を満たすものだけを適切に使用することが必要ですね(国土地理院のデータについても同様)。私がアップを考えていた主題図では背景画像は使用しない予定でしたが、ご指摘の通り、そこは要注意だと思います(なおIPさんのご指摘は、Yapparinaさんのコメントでの「著作権フリーではない地図データをもとに作製するとき」にも関連しています)。--郊外生活会話2019年8月17日 (土) 05:34 (UTC)[返信]
  • 報告 議論の流れを踏まえて、まずはMANDARAで作成した主題図としてファイル:New Articles by Prefectures of Japan Created on Japanese Wikipedia in July, 2019.pngをアップしました。トラブルのリスクを下げることも考慮し、まずは、基本的に日本語が使える人のコミュニティであるjawpでアップしています。このまま様子を見て特に問題がなければ、以降のアップロードはコモンズに移行したいと思っています。なおこの地図は、アップロード直後にリダイレクト起こしで独立記事化をした「主題図」でも使用しています。一連の編集についてご意見がある場合は、個別のファイル、記事については当該ページのノートへ、MANDARAの主題図のアップそのものについてはこのページで行っていただければ幸いです。--郊外生活会話2019年8月20日 (火) 05:04 (UTC)[返信]
  • コメント 議論が終了してしまっているかもしれませんがコメントです。MANDARAへの読み込み時に標準データであればCSVファイルに原典が記されています。たとえば「日本市町村鉄道緯度経度」であれば「データは総務省統計局の国勢調査による」という形です。実際当該データは法上PDの取り扱いになります。ただ、まれに国土数値情報から持ってきている場合があるようですので、念のため「国土数値情報」は出典として挿入し画像制作を行っています。ご参考まで--Araisyohei (talk) 2019年12月14日 (土) 01:47 (UTC)[返信]

結婚後の女性の名前について

長らく疑問に思っているのですが、結婚したら女性の名字を機械的に夫の姓にしている様な気がしています。厳密に言えば検証可能性違反のように思います。最近であれば、滝川クリステルなのですが、「小泉になりました」と言っていたかなと。実際に言っていることもありますし、良い形の報道で現在の姓が分かる。事件などの悪い形で現在の姓が分かることもあります、そして、実際はよく分からないことも。日本の場合、9割以上が夫の姓を名乗る事情はありますが、夫の姓を絶対名乗らないといけない法律はありませんし、もしかしたら夫婦別姓制度も導入されるかもしれません。機械的に夫の姓にするのが本当に良いのか。一定の基準を設けるべきなのか。検証可能性の観点から見直しが必要に思います。--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 02:21 (UTC)[返信]

個人的には、以下の例の様にはっきりするまでは非公表が良いのではと思います。
  • 結婚時に「夫の姓になりました」と当事者が明言した → 夫の姓にする
  • 結婚時に明言無し → 結婚後の姓は非公表にする
  • 良い形で別件で報道される → その時点で夫の姓にする
  • 事件で現在の姓が明らかになる → グレーゾーン
色んな考え方はあると思いますが、現在の運用は検証可能性の観点から、やはり変に思っています。--Taisyo会話) 2019年8月10日 (土) 02:21 (UTC)、一部修正--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 02:25 (UTC)[返信]
もう一つ大事な件が抜けていたのですが、検証可能性を満たした記述をなのですが、相当慣れている利用者の間でも「機械的に夫の姓にする」事に関して、違和感を感じていない利用者が多い様に思います。意識的な観点もあるのですが、今回の議論に気がついた利用者は、機械的な姓の変換については直していく。気がつかない利用者がいれば随時注意する様な意識が必要と思いますし、その様な意識が抜け落ちている様に思います。--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 02:31 (UTC)[返信]
古い話で恐縮ですし、男性の方だけど、瀬戸口克陽氏の件。小渕優子氏の夫であるし、婿というニュースは見た記憶があるけど、ウィキペディア的に姓が変わったという出典がないのですよね。衆議院議員は本名なので、小渕優子氏の姓名は確実なのですが。BLPの点に則り、出典無ければ書かないことを徹底するしかないかと。--Los688会話2019年8月10日 (土) 02:48 (UTC)[返信]
衆議院議員自体は「芸名は可」だったはずです。ただ、大臣経験があったはずです。大臣は本名でないといけない(本名で無いと効力が無い)です。その時点で、小渕優子の姓は確定します。夫婦別姓制度が無い以上、夫の瀬戸口克陽も決まります。となると、大臣になるまでは曖昧になりますし。それまでに姓に関することが明言されているかどうかですね。一方の姓が明らかになっているときに、機械的にもう一方の姓を決めるのは有りだと思います。別件にはなりますが、例外的な例として平野有海は実は夫婦別姓なのですよね。--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 02:57 (UTC)[返信]
少し脱線させますが、「本名が重要な場面」も実際には存在します。個人的には市長・県知事等の場合、本名で文書を出さないと効力が発生しないので、本名を重要視します(例として森田健作など)。あと大臣もですね。また、相当議論がもめた印象もありますが蓮舫も大臣経験があるので戸籍名の「村田蓮舫」を書きたい例なのですよね。当時発行された公文書は。「名前違うけど偽物では無い?」を防ぐ意味でも、そんな意味で本名が必要な例と。極端な話、本名がどうでも良い場合は書かない選択肢もあるかもしれません。芸能人などは。本当のことを知らないのに、実は重要なことで無いのに、正しいかの様に書くのはどうなのかです。--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 03:10 (UTC)[返信]

滝川クリステルについてとりあえず修正しました。本名を確認している出典も旧姓のはずですし。旧姓なら・・・正しい形になるのですが、現在の姓は明言していないはずです。今回の場合は夫の小泉進次郎が大臣になれば、公文書の形で現在の姓が明らかになりますので、それまでぼやかすのが検証可能性上正しいことになるはずです。--Taisyo会話) 2019年8月10日 (土) 23:07 (UTC)、一部修正--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 23:08 (UTC)[返信]

細かいですが、公表を求められて拒んだという事実がないのであれば「非公表」ではなく「未公表」「公表していない」「明らかにされていない」などのほうが好ましいのかなと思います。--2001:268:C181:7E76:70A8:83BE:9475:A2B 2019年8月12日 (月) 04:54 (UTC)[返信]
「未公表」等を使う件。了解しました。ただ、「非公表」でも目くじらを立てることは無いと思います。「どちらかの姓にするか明言していない旨が伝われば」です。それと、衆議院議員の実名。立候補時に分かるのかなと思いました。「立候補時の氏名」にはなりますが。通名利用について、戸籍名変更を除き、当選時に一度決めてそれが固定のようです。そうなると、通名申請が無ければ消極的ではありますが、姓が変わっていない判断も出来るのかもしれません。その運用については、詳細な法律確認。また、そもそもこの様な運用を行うかになります。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 02:31 (UTC)[返信]

対応草案

以下に、大まかな対応草案を書いていきたいと思います。--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 23:07 (UTC)[返信]

第一案

  • ルール定着までは「現在の姓は非公表である旨」のテンプレートを作成し、記事に貼り付け注意喚起を行う(極力ソフトランディングを狙う意味でも)。
  • 結婚報道で、どちらかの姓になったことが明言されているときは、出典付きで例外的に記載可とする(例外としたのは、明言無ければ非公表である意味)。
  • 夫婦どちらかの姓がはっきりしたときは、双方分かった物と見なすことが出来る。、
  • また、夫婦どちらかが大臣や首長など実名が分かる業務に就いたときなどは同様の判断をして良い物とする。

最初の草案です。--Taisyo会話2019年8月10日 (土) 23:07 (UTC)[返信]

第二案

  • Template:存命人物の出典明記などに、「具体的にほしい出典」引数を追加して、結婚後の出典を求める。第一案のテンプレートは、短期利用を想定したものだったが、この案では、恒久的なテンプレート改良とする。
  • 結婚報道で、どちらかの姓になったことが明言されているときは、出典付きで例外的に記載可とする(例外としたのは、明言無ければ非公表である意味)。
  • 出典合成の防止のため、夫側・妻側の姓について、それぞれ出展を求める。
  • 妻側の機械的な、夫の姓に改める行為に加え、夫側の機械的な結婚後の「本名同じ」も控える。

二回目の草案です。--Taisyo会話2019年8月18日 (日) 06:48 (UTC)[返信]

第三案

  • 以下のルールは、日本人の著名人限定の物とする。
  • 結婚報道で、どちらかの姓になったことが明言されているときは、出典付きで例外的に記載可とする(例外としたのは、明言無ければ非公表である意味)。
  • Template:存命人物の出典明記Template:Blpなどに、「具体的にほしい出典」引数を追加して、結婚後の出典を求める。
  • 結婚後の姓について、夫側・妻側の姓について、出典合成の防止のためそれぞれ出展を求め、機械的な女性側の夫姓への変更、夫側の「本名同じ」は、差し戻したり必要な出典を付ける。
  • WP:BLP及びWP:MOSBIOに、本名記載に関して出典を求めるルールを盛り込む。

三回目の草案です。--Taisyo会話2019年8月18日 (日) 13:33 (UTC)[返信]

第四案

意見を早々に盛り込むため、間髪入れない形で草案を出すことに出すことになり申し訳ありません。

  • 日本人の著名人の氏名や学歴などの情報追記に関して、Wikipedia:存命人物の伝記に基づいた運用を行う。基づかない記載に関しては、即時差し戻しを行ったり、出典を付ける。
  • Template:存命人物の出典明記Template:Blpなどに、「具体的にほしい出典」引数を追加して、結婚後の出典を求める事も出来る様にする()。
  • WP:BLP及びWP:MOSBIOに、本名記載に関して出典を求めるルールを盛り込む。

四回目の草案です。--Taisyo会話2019年8月18日 (日) 13:44 (UTC)[返信]

提案以前に編集された項目について

この提案以前にも、多くの女性著名人の姓について機械的に夫の姓になっている場合が多い様に思います。この中でも、結婚時及びそれ以降、現在の姓が明らかになっていない場合についても、随時テンプレ貼り付け及び「現在の姓は非公表」と記載の修正が必要になると思います。--Taisyo会話2019年8月11日 (日) 00:28 (UTC)[返信]

第一案(2019年8月10日 (土) 23:07 (UTC)の案)に対する意見

  • 反対 既に「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」という方針があるのですが、ご存じないのですか? あるいは「Wikipedia:存命人物の伝記」という方針があるのですが。現行の方針やガイドラインで十分でしょう。Taisyoさんは「厳密に言えば検証可能性違反のように思います」とかなんとか言ってますが、厳密に言わずとも検証可能性を満たしていないのは明らかではありませんか。現時点で既にルールがあるのに、それに屋上屋を架すようなことをわざわざする理由が不可解です。とくに結婚後の姓なんて(日本以外の国の人はちょっといったんおいておきますが)日本国民同士の場合は「妻が夫側の姓を名乗る」か「夫が妻側の姓を名乗る」かは自由に選択できる制度なんですから、出典ない限りどちらが姓を変えたかわからないっていうのは当たり前の話ですよね。だったら出典明示が必須なのは当然の話しではありませんか? 姓に特化した草案をわざわざ作らなければいけない必然性はないでしょう。今となっては都市部では少なくなってしまったのかもしれませんが、地方に行けば結婚時に男性の方が女性の姓を名乗る事例なんて、それこそ枚挙に暇がないでしょう。私の両親も結婚時に父が母側の姓に変えましたし……。田舎の商家や農家、実業家、あるいは政治家や旧家の場合、たとえば一人娘しかいないときに結婚時に夫に妻側の姓を名乗らせるなんて、特に珍しいものでもないと思うんですが。もちろん女性が姓を変える事例の方が日本全体で見たら圧倒的に数が多いというのはわかりますよ。でも男性が姓を変えることだって制度的には全く問題ないですし、事例も多数あるんですから「極めて異例」ってほどでもないでしょう? ですから、草案なんて設けずとも、出典ないと記載できないのは当たり前じゃないですか。--126.189.69.26 2019年8月13日 (火) 04:01 (UTC)[返信]
  • コメント ……とここまで書いていて思ったんですが、もしかして最近になって「男性が姓を変える」事例があると生まれて初めて知ってカルチャーショックで設けたということでしょうか。だとしたらすごい世間知らずとしか言いようがないですが……。いずれにせよ「結婚したら女性の名字を機械的に夫の姓にしている」というのは当然浅はかな考え方ですし、出典がないのにあてずっぽうで書いてはいけない、というのは現行の方針から見て明らかでしょう。出典がないなら除去すればいいじゃない。なぜわざわざ「「現在の姓は非公表である旨」のテンプレートを作成」する必要があるんですか? 出典のない記述が出現する度にいちいち個別のテンプレ作成するとしたら、リソースがいくらあっても足りないでしょう。今後、もし出典なしで学歴追記する輩が現れたら「学歴は非公表である旨」のテンプレートを作成するんですか? もし出典なしで出身地追記する輩が現れたら「出身地は非公表である旨」のテンプレートを作成するんですか? 毎回毎回? 各項目ごとに個別に? ばかばかしいとは思いませんか? 姓だけに特化したテンプレを何でいちいち作る必要があるんですか。--126.189.69.26 2019年8月13日 (火) 04:08 (UTC)[返信]
結局は、意識を変えないといけないのです。「検証可能性を満たさないから、躊躇無くブロック」も混乱が大きくなります。まず、行わないといけないのは「結婚したときに機械的に夫の姓に変わらない事実を理解して頂く」ことです。そうしないと、編集合戦が起きる可能性が高いです。最終的にはテンプレートはいらない物とは思いますが、途中経過の段階では、必要に思います。まだ、誰かが結婚したら同じ問題が再び起きるでしょう。やはり、「高い理想と低い現実」だと思います。検証可能性で対応出来そうで、実際は出来ません。実際を理解して貰うことです。IPの意見は現実を全く見ていない印象があります。そのためにPJルールとかもある訳ですし。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 06:00 (UTC)[返信]
補足で少なくとも、私は姓がどちらもあり得る件は常識的に知っております。しかし、実際に知らない利用者は多くおります。滝川クリステル‎を見ていて、慣れているはずの利用者が多く編集しているはずなのに、誰も直してないのですよね。知らない利用者が多く居ると判断しても良いのではと思います。知らない利用者のために、当面は必要だと言っているのです。「機械的に夫の姓に直す利用者は、無条件でブロックする」よりかは、テンプレート式の方がソフトランディングだと思いますが。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 06:05 (UTC)[返信]
  • 返信 いい加減にしてください。「私は姓がどちらもあり得る件は常識的に知っております。しかし、実際に知らない利用者は多くおります」「「結婚したときに機械的に夫の姓に変わらない事実を理解して頂く」ことです」って、さすがに日本国民の百科事典執筆者なら大多数はそんなこと知ってるに決まってるでしょう(他国の人なら知らないかもしれませんが)。幼稚園児じゃあるまいし常識の範疇です。中学校の社会科「公民」の授業で習いますよね。もちろん中には小学生のようにこのことを知らない執筆者もいるかもしれないが、そんなレベルまで想定して事前にいちいちテンプレ用意しないといけないなら、執筆者向けのテンプレが無数に必要となることになるでしょう。また「「検証可能性を満たさないから、躊躇無くブロック」も混乱が大きくなります」って誰も「躊躇無くブロック」しろなんて誰も言ってないでしょうが。そもそも、上記のような低レベル執筆者(こういう言い方はよくないですけど。敢えて)が存在する可能性は、確かに否定はできません。ですけどね、Taisyoさんは「「結婚したときに機械的に夫の姓に変わらない事実を理解して頂く」ことです。そうしないと、編集合戦が起きる可能性が高いです」なんて言ってますが、そんなの姓に限らず学歴だって出身地だって編集合戦になる可能性はあるでしょう? その度に、低レベル執筆者に対していちいち学歴専用テンプレとか出身地専用テンプレとか個別のテンプレ作って理解させるんですか? そうじゃなくて、本当に必要なのは「記事の執筆には原則出典が必要なことを理解して頂くこと」なんじゃないのですか? そしたらもっと汎用的なテンプレが使えそうですよね。もし既存の注意喚起テンプレで不十分なら、それじゃ他の対策を考えようよ、という話になりますよね。それがなんで「「結婚したときに機械的に夫の姓に変わらない事実を理解して頂く」こと」みたいな極めてニッチな分野に特化したテンプレが必要だ、なんて話になるんでしょうか。--126.189.69.26 2019年8月13日 (火) 06:55 (UTC)[返信]
  • コメント うーん。どうもTaisyoさんの発想がよくわからないな……。Taisyoさんは「私は姓がどちらもあり得る件は常識的に知っております」って言ってますけど……まさかとは思いますが「知ってはいるけど、最近知った」ってことですか? つまり、Taisyoさん個人が「男性が姓を変える」例があることを最近まで全く知らずにいたから、自身以外の多くの日本人もこのことを知らないであろう、だからテンプレが必要であろう、というこういう発想なんでしょうか? でも基本的に多くの日本人はそのことを理解してると思いますよ。中学校の社会科「公民」で習いますし、もし義務教育の記憶がない人であっても、婚姻届記入したことある人ならわかるでしょう。小泉進次郎氏の例が上で挙がってますが、進次郎氏の祖父の小泉純也元防衛庁長官だって旧姓は鮫島ですからね。著名な事例だって多数あるでしょう。--126.189.69.26 2019年8月13日 (火) 07:06 (UTC)[返信]
何度も言っておりますが、その様な意識を持って頂くことを重視しております。現時点でのページビュー数は174。ウォッチリストに入れているユーザーは3人です。議論から3日過ぎていますが、正直言って少ないです。「皆この様な事象は知っています。皆その様な事象を踏まえて対応します」であれば良いのです。で、ページビューが3日で174では、正直に期待出来ないでしょう。本当に「高い理想と低い現実」なのです。IPの意見はその様な観点が抜け落ちています。IP利用者が「多くの利用者に理解して貰える有効な代替え案」を出さない限りは、反対意見も意味ない物と考えます。なので、お願いします。その様な問題を広く知らせることが出来る代案を出して下さい。出さない限りは、IPの意見は受け入れられません。「IPの126.189.69.26は知っています」では駄目なのです。現在活動している、大半の利用者が理解しないといけないのです。まさか、126.189.69.26さん=多くの利用者とは言いませんよね。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 07:12 (UTC)[返信]
  • 返信 (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)いや、ですから「本当に必要なのは「記事の執筆には原則出典が必要なことを理解して頂くこと」なんじゃないのですか? そしたらもっと汎用的なテンプレが使えそうですよね。もし既存の注意喚起テンプレで不十分なら、それじゃ他の対策を考えようよ、という話になります」と既に述べたとおりです。出典ない限り本名の姓は記述できませんし、それは「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:存命人物の伝記」のとおりです。であれば、「記事の執筆には原則出典が必要なことを理解して頂く」ために汎用的な「Template:存命人物の出典明記」や「Template:Blp」で注意喚起すればいいのではありませんか。なぜそれが「「結婚したときに機械的に夫の姓に変わらない事実を理解して頂く」こと」みたいな極めてニッチな分野に特化したテンプレが必要だ、という話になるのかが理解できないんですよ。--126.183.107.118 2019年8月13日 (火) 08:00 (UTC)[返信]
126.189.69.26さんが知っているから、多くの利用者は常識で知っているだろう」の根拠を教えて下さい。126.189.69.26さんが言っているのはその様な話です。あくまでも多くの利用者が理解していないだろうから、理解して貰おうの提案ですので。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 07:15 (UTC)[返信]
  • 返信 (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)「中学校の社会科「公民」で習いますし、もし義務教育の記憶がない人であっても、婚姻届記入したことある人ならわかるでしょう」と既に述べたとおり、義務教育の学習範囲だから大多数の利用者は知っているだろうというのが理由ですが、それでは理由になりませんか。もちろん日本で教育受けてない人だっているじゃないかと言われればそれまでですが。--126.183.107.118 2019年8月13日 (火) 07:51 (UTC)[返信]
  • とりあえずは、テンプレートの対案については、Template:存命人物の出典明記」「Template:Blpの改良(改良点は、具体的にどの項目の出典が足りないのか、記入する引数を追加する)を出しています。改めて皆が知っているかどうかについて。自然と直るのであれば大丈夫とは思います。その様な状態に、いかにして持って行けるかだと思います。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 08:07 (UTC)[返信]
  • 返信 Taisyoさんへ。「多くの利用者は常識で知っているだろう」の根拠を教えて下さい」との質問がありましたが、「義務教育の学習範囲だから」と回答させていただきました。民法第750条の婚姻時の氏の規定は、中学校の社会科(公民)の学習範囲です。義務教育で習うことなら日本国民にとって常識の範疇と考えて差し支えないと思いますがいかがですか。「義務教育の学習範囲だから大多数の利用者は知っているだろうというのが理由ですが、それでは理由になりませんか」? もし理由にならないというなら、そのお考えをお聞かせください。--126.164.115.130 2019年8月23日 (金) 10:14 (UTC)[返信]
  • 反対 単純に「Wikipedia:存命人物の伝記」に従うよう求めるだけでよいでしょう。そもそも、未婚の芸能人であったとしても、出典なき本名の記述は不可のはずです。ですから、既婚者であっても、それと同じ扱いでよいでしょう。既婚者の本名の姓の部分に限ってTaisyo氏提案の独自ルールを適用する、という必要性はないでしょう。Wikipedia:井戸端/subj/故人のプライバシー総合についてでもプライバシーの話題が出ていますが、出典なき本名の記述は、自宅住所の記述などと同様に、プライバシー侵害になりうるわけですから注意が必要です。また、「結婚時に新婦側の姓に変えることも可能であるという意識を日本人に持ってもらいたい」などという思想信条に沿った啓蒙活動は、ここでやるべき話ではないと思います。--ミヒマるきお会話2019年8月13日 (火) 07:25 (UTC)[返信]
  • コメント滝川クリステルで、本名が出典ないまま小泉になることに違和感がありましたので、Taisyoさんの修正に賛同いたします。その上でいくつかコメントいたします。
    1. 滝川クリステルのように婚姻届提出によって姓が変わった可能性が高い女性について取り上げていますが、逆に本名が記載されている男性側が婚姻届提出しても本名が変わっていないかという点も考慮すべきではないでしょうか。今回の件で仮に小泉進次郎に「本名同じ」と記載されていた場合、同様の対処が必要であるということです。
    2. 婚姻後の本名欄に出典が必要である旨はWP:BLPもしくはWP:MOSBIOに記載した方がよいかと思います。
    3. 今後、出典なく本名が書かれた場合記事が除去ではなく削除対象(版指定削除)とすることまで考えておられるのでしょうか。個人的には夫または妻の姓なのは明白なのでわざわざ削除するようなものではないと思います。上記IPさんがあげられた学歴などより深刻なプライベートの侵害を差し置いてこのテンプレートを貼る必要があるとは思えず、個別に要約欄やノートでの注意で啓蒙すべきではないでしょうか。
    4. 「夫婦どちらかの姓がはっきりしたときは、双方分かった物と見なすことが出来る。」は情報の合成ではないでしょうか。片側の姓がわかっても事実婚の可能性があるためもう片方の姓がパートナーと同じとは言い切れません。「婚姻届を提出した」ではその可能性はないですが単に「結婚した」では事実婚を否定できません。
  • 以上の点を考慮していただきたく存じます。--たびびと551会話2019年8月13日 (火) 07:32 (UTC)[返信]
たびびと551さんへのレス。
  • 夫の姓について → 確かにその通りです。結婚したら確かに不明になります。
  • 版指定削除について → 恐らく無いかと思います。編集対応で良いとは思います。反社会性力などの場合は話は変わると思います。
  • 本名記載についてWP:BLPもしくはWP:MOSBIOに記載する件 → 考えたいと思います。
  • テンプレートでは無くノートなどに書く件 → 注意喚起に十分な効果があればそちらでもと思います。
  • 一方の姓が明らかになれば見なし運用する件 → 「入籍」と明言していれば、日本人で有る限りはどちらかの姓になるのが現在の法律です。報道の時に「入籍」と明言していることを条件にする(事実婚は排除できます)。また夫婦別姓が導入されたら変わる件に思います。とは言いつつも、一方の姓ルールは苦肉の策ですよね。
とりあえず。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 07:50 (UTC)[返信]
  • 返信 ちょっとまってください。「報道の時に「入籍」と明言していることを条件にする(事実婚は排除できます)」とはどういうことでしょうか。婚姻入籍は全然異なる概念ですよ。どこから入籍の話しが出てきたのでしょうか。まぁ、俗な用法で婚姻することを「入籍」と表現することは確かにありますが、これは誤用ですから。新たなルールを制定しようとされているのに、そのようないい加減な語用では無用な混乱を招きかねませんので困ります。--126.183.107.118 2019年8月13日 (火) 08:05 (UTC)[返信]
  • 結婚報道で「入籍」はよく使われる物です。よくある誤用でしたので不適切だったと思います。「役場に婚姻届を出した」旨にした方が、意図としては正しかったと思います。確かに、拡大解釈で出典の合成でもありますので、駄目とも言えるのですよね。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 08:21 (UTC)[返信]
  • 質問 Taisyo氏に質問なのですが、既に出典なきプライバシー情報の記述を戒めるためのテンプレが存在しているようです(例:「Template:存命人物の出典明記」「Template:Blp」)。これがあるならわざわざテンプレを作る必要はないと思いますが、なぜこれではダメなのでしょうか。また、未婚者の本名や既婚者の本名の名部分だって、出典なき記述は許されないと思います。なぜ、既婚者の本名の姓のみ限定した新テンプレが必要なのでしょうか。未婚者の本名や既婚者の本名の名部分だって、出典なければ問題のはずです。--126.183.107.118 2019年8月13日 (火) 07:46 (UTC)[返信]
Template:存命人物の出典明記で対応について。目的的にはある程度は果たせそうです。ただ、何について出典が欲しいのかは分からない部分があります。追加引数の形で「具体的に何について出典が欲しいのか」は追加して良いと思います。婚姻だけでは無く、他の用途にも使えると思います。--Taisyo会話2019年8月13日 (火) 07:54 (UTC)[返信]
  • 返信 「具体的に何について出典が欲しいのか」」については、出典が欲しい部分を明示的に囲むテンプレが既に存在するようです(例:Template:要出典範囲)。とはいっても、本名の場合は出典ない時点で即時除去が妥当でしょうから、このテンプレで囲っている場合ではないかもしれませんね。とすると、ノートに記載するなり、要約欄に記載するなりといったところでしょうか。--126.183.107.118 2019年8月13日 (火) 08:18 (UTC)[返信]

第二案(2019年8月18日 (日) 06:48 (UTC)の案)に対する意見

  • 第二案についてなのですが、このままだとWikipedia:日本中心にならないようにに反しているように見えますので(ご提案内容は基本的に、日本で法的に結婚した日本国籍の男女しか想定していません)、そのまま使えるものではないかと思います。そのむね、なんらかの文言を追加して限定すべきだと思います。ただし、日本国籍の男女については提案内容についてとくに反対はしません。ただ、上でも意見が出ているように、出典なしに結婚を機に人物記事の姓を変えたり、非公表の本名を書いたりするというのは出典明記の決まりに反していますので、誰であろうと勝手な推測で本名が記載されている場合は除去してかまわないと思います。--さえぼー会話2019年8月18日 (日) 07:30 (UTC)[返信]
  • 「日本国内限定」は入れようと思っていたのですが忘れていました。それは追加します。テンプレート修正は行うとしても、「夫婦共に出典に基づいた姓にし、基づかない場合は差し戻すか、出典を追記する」程度で良いのかなと思ったりしました。次の案で修正したいと思います。--Taisyo会話2019年8月18日 (日) 13:01 (UTC)[返信]

第三案(2019年8月18日 (日) 13:33 (UTC)の案)に対する意見

第四案(2019年8月18日 (日) 13:44 (UTC)の案)に対する意見

  • 反対 (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)上記議論の過程を完全に無視しており、論外。Taisyoさんは「日本人の著名人の氏名や学歴などの情報追記に関して、Wikipedia:存命人物の伝記に基づいた運用を行う」と言っていますが、いったい何を言っているんでしょうか。日本人であろうがなかろうが「Wikipedia:存命人物の伝記」に従うのはあたりまえでしょう。民族や国籍は関係ないと思うですが。ふざけているのでしょうか。私は当初「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:存命人物の伝記」という方針があるがご存じないのか、一度お伺いしています。お読みになっているのでしょうか? もしお読みになったうえで「日本人の著名人の氏名や学歴などの情報追記に関して、Wikipedia:存命人物の伝記に基づいた運用を行う」という提案に至ったのだとしたら、はっきり言って話にならないレベルだと思います。--126.164.78.68 2019年8月18日 (日) 13:58 (UTC)[返信]
  • 報告 どの提案に対する意見なのかによってセクションを分けているようですので、そのやり方に倣いまして、わかるようにセクション名を附与いたしました。--126.164.78.68 2019年8月18日 (日) 14:02 (UTC)[返信]
  • コメント また、Taisyoさんの「WP:BLP及びWP:MOSBIOに、本名記載に関して出典を求めるルールを盛り込む」という主張についてですが、これも「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:存命人物の伝記」などの方針により既にルール化されていますので、出典なき記載が既に禁じられているのは明らかです。さえぼー氏から「上でも意見が出ているように、出典なしに結婚を機に人物記事の姓を変えたり、非公表の本名を書いたりするというのは出典明記の決まりに反しています」と指摘されたばかりですよね。もう忘れちゃったのでしょうか。本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されていますので、あたかもルール化されていないかのような口ぶりで「WP:BLP及びWP:MOSBIOに、本名記載に関して出典を求めるルールを盛り込む」などと提案する必要性はありません。ただ、今現時点の「Wikipedia:存命人物の伝記」の文章だとわかりにくいから、禁じられている例として出典なき本名記載を明示的に記載しておき、よりはっきりと出典なき本名記載がだめだということをはっきりと書いておきたいという提案なら、まだ理解できるかと思います。--126.164.78.68 2019年8月18日 (日) 14:22 (UTC)[返信]
ここまで、IP利用者が不満を言うのであれば、ルールや運用としては謳わない。ただ、 Template:存命人物の出典明記Template:Blpなどに、「具体的にほしい出典」引数を追加のみ行うで今回の件をおわるのはどうでしょうか。引数追加は、汎用的な物なので学歴や出身地など具体的に曖昧なことを確認するのに使える様にする話です。--Taisyo会話2019年8月21日 (水) 23:11 (UTC)[返信]
目的を限定しない、引数追加も嫌だとなれば、何もしないでおしまいとなります。--Taisyo会話2019年8月21日 (水) 23:14 (UTC)[返信]
  • コメント (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)Taisyoさんは「不満を言うのであれば、ルールや運用としては謳わない」などと言っていますが、いったい何を言っているのでしょうか。「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:存命人物の伝記」にて既にルール化されていますので、出典なき記載が禁じられているのは明白です。本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されていますので、今更になって、あたかもルール化されていないかのような口ぶりで「WP:BLP及びWP:MOSBIOに、本名記載に関して出典を求めるルールを盛り込む」などと提案する必要性はありませんし、他人に反対されたからといって臍を曲げて「不満を言うのであれば、ルールや運用としては謳わない」などと主張し始める必要もありません。本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されているのです。今までずっと「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:存命人物の伝記」などの方針により既にルール化されていると言われ続けているのに、いまだにそのことが理解できていないのでしょうか。理解できたのかどうか、YesかNoかではっきりお答えください。あたかもまだルール化されていないかのようなフリを続けているのは、いったい何の目的でしょうか? カウントゲッターのように、「本名記載に出典が必要というルール」を一番最初に提唱した人にでもなりたいのでしょうか。でも本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されていますから、そんなことを狙っても無駄ですよ。--126.149.7.85 2019年8月22日 (木) 13:06 (UTC)[返信]
  • 質問 また、Taisyoさんは「日本人の著名人の氏名や学歴などの情報追記に関して、Wikipedia:存命人物の伝記に基づいた運用を行う」などと提案していますが、その理由をお聞かせ願えますか。本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されており、日本人であろうが他民族であろうが「Wikipedia:存命人物の伝記」のルールに従うのはあたりまえでしょう。民族や国籍は関係なく既にルール化されているのに、なぜあたかもまだルール化されていないかのようなフリをして、しかも「日本人の著名人」に限定した案を提出しているのはなぜですか。--126.149.7.85 2019年8月22日 (木) 13:44 (UTC)[返信]

IPの議論は完全に脱線しておりますので、議論を終了します。--Taisyo会話2019年8月22日 (木) 14:34 (UTC)[返信]

質問 (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)急遽態度を翻したのはどういうことでしょうか。Taisyoさんに「今までずっと「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:存命人物の伝記」などの方針により既にルール化されていると言われ続けているのに、いまだにそのことが理解できていないのでしょうか。理解できたのかどうか、YesかNoかではっきりお答えください」と質問したのですが、なぜ回答を忌避するのですか? YesかNoかで回答するだけの簡単な質問なのですが。Taisyoさんは、さえぼーさんから「上でも意見が出ているように、出典なしに結婚を機に人物記事の姓を変えたり、非公表の本名を書いたりするというのは出典明記の決まりに反しています」と指摘されたばかりですよね。理解できないのでしょうか。出典なき記載についてはさえぼーさんから「決まりに反しています」と指摘されているのに、あたかも出典なき記載を禁ずる決まりが存在しないかのような言動を繰り返すのは、いったい何が目的なのでしょうか。--126.164.115.130 2019年8月23日 (金) 10:04 (UTC)[返信]
コメント (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)なお、併せて申し上げておきますが、Taisyoさんの「IPの議論は完全に脱線しております」との発言は無礼極まりないと思います。Taisyoさんは「第四案」と称して、3箇条を提案しています。その3箇条のうちの一つにて「日本人の著名人の氏名や学歴などの情報追記に関して、Wikipedia:存命人物の伝記に基づいた運用を行う」と提案しているので、私は「その理由をお聞かせ願えますか。本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されており、日本人であろうが他民族であろうが「Wikipedia:存命人物の伝記」のルールに従うのはあたりまえでしょう」と質問させていただきました。提案内容にかかわることについて質問することが、なぜ「脱線」になのですか? また、Taisyoさんは同じく3箇条のうちの一つにて「WP:BLP及びWP:MOSBIOに、本名記載に関して出典を求めるルールを盛り込む」と主張なさっているので、私は「本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されています(中略)理解できていないのでしょうか」と質問させていただきました。提案の前提となる事実確認のため質問することが、なぜ「脱線」になのですか? 双方とも提案内容の根幹にかかわることです。提案内容に関して、議論参加者が提案者に質問することは、いけないことなのですか? Taisyoさん、はっきりお答えください。なぜ提案内容の根幹にかかわることについて質問しただけで、提案者から「IPの議論は完全に脱線しております」などと言われなければならないのですか? 議論参加者が提案内容について質問するのは一般的なことでしょう。提案内容について質問されただけで、提案者が罵詈雑言を浴びせてくるというのは、ウィキペディアの議論の場で望ましい態度ではないと思います。--126.183.18.22 2019年8月27日 (火) 14:19 (UTC)[返信]
コメント (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)Taisyoさんの会話ページにコメントを投稿してまいりましたので、こちらできちんとご説明いただけるものと思います。議論提起者に対して提案内容に関する質問をするのは一般的なことであり、議論を深めるには当然のことですから、それを「脱線」呼ばわりされるいわれはありません。無礼でしょう。自分の提案内容に対して質問されたら、真摯に回答するのが当たり前の態度であり、都合が悪くなったからと言って「議論は完全に脱線しておりますので、議論を終了します」などと相手を誹謗中傷して逃げるというのは無礼極まりなく、議論に参加する態度とは思えません。--126.146.13.222 2019年8月30日 (金) 10:40 (UTC)[返信]
質問 (IP変わってしまっておりますが126.189.69.26です)Taisyoさんに再度質問します。Taisyoさんの会話ページにコメントを投稿してからなかなかお答えを戴けないので、再度記載させていただきます。上述の議論の流れについて再掲いたしますと、下記のとおりです。
① Taisyoさん「日本人の著名人の氏名には出典を付けるという新ルールを導入しましょう!」
② 私「なぜ日本人の著名人限定なのですか? 日本人に限らず出典なき個人名の記載は現ルールで既に禁止されていますよ?」
③ Taisyoさん「議論が脱線しておりますので、議論を終了します」
このような流れですが、私の質問のどこが「脱線」 なのか、Taisyoさんにおかれては明確にお答えいただきたいと思います。自分に都合の悪い質問をされたら毎回相手を「脱線」呼ばわりして逃げるのが、望ましい態度と言えるのでしょうか。あえで第四案にて突然「日本人の著名人」限定という前提条件を議論提起者が付けてきたのですから、それに対して「「日本人の著名人」に限定した案を提出しているのはなぜですか」と質問するのは当たり前のことでしょう。提案の根幹にかかわることですから、それを「脱線」呼ばわりとはいただけません。困ったら「脱線」呼ばわりして議論の場から逃げる、というのは無礼な態度だと思います。少なくとも第四案で突如「日本人の著名人」という限定条件を付けてきたのですから、何か合理的な理由がおありなのでしょう? 説明してみてくださいよ。それとも、合理的な説明すらできないようないい加減な気持ちでの提案なのですか? 生煮えの提案が議論を経て煮詰まることもあるでしょうから、いい加減な気持ちでの提案が一概にダメとは言えませんが、都合が悪い質問されたからと言って「脱線」呼ばわりして逃げるのは無礼かと思います。--126.162.84.64 2019年9月8日 (日) 13:00 (UTC)[返信]

既存ルールの適用の例示

  • 現に無出典で「旧姓」や「本名」が記載されている項目が多いこと、その状態に検証可能性の点で問題があることは、皆さんの共通理解ではないかと思います。その手当てとして、あえて(やや重複することを承知の上で)新規ルールを追加するかどうかで意見が別れるようですが、新規ルールというより既存ルールの適用の例として「よくある間違いとその改善例」のような形でこの改姓問題をどこかの文書に追記したりまとめたりするといいのではないでしょうか。「旧姓 存命人物」と検索して上位に出て来た5件は奥田小由女寿美花代宮城野由美子あびる優津村節子で、5件とも「旧姓」や「本名」を称するものが記載されていて、5件とも出典無しでした。長野翼森山奈歩などでは、「旧姓」「戸籍名」「本名」などが10年余りにも渡って出典なしに記載されたままです。おそらくは、婚姻により女性側の名前が自動的に変わると思って無出典で編集してしまった人がいて、それがそのまま継続してしまっているのでしょう。新規ルールは不要でしょうが、よくある間違いの例について、その不適切さ・改善方法を明記しておくことは有益だと思います。方針のページに書くか、テンプレートの解説に書くか、など詳細は色々考えられますが、ひとまず大枠として「例示」の方向でどうでしょうか。 --2001:240:2407:1689:6531:F66E:99AA:3D7E 2019年8月26日 (月) 07:48 (UTC)[返信]
返信 あえて(やや重複することを承知の上で)新規ルールを追加するかどうかで意見が別れるようです」とのことですが、Taisyoさんの第四案は「やや重複」どころか完全に重複しており意味をなさないでしょう。そもそも、提案者であるTaisyoさんは「WP:BLP及びWP:MOSBIOに、本名記載に関して出典を求めるルールを盛り込む」などと主張しており、既にルール化されており盛り込まれ済みだと他者から再三指摘されてもまるで理解できておらず、自分の提案が「重複すること」になってしまうことが理解できていないようです。加えて、「日本人の著名人の氏名や学歴などの情報追記に関して、Wikipedia:存命人物の伝記に基づいた運用を行う」は開いた口がふさがらない提案です。「日本人であろうがなかろうが「Wikipedia:存命人物の伝記」に従うのはあたりまえでしょう。民族や国籍は関係ない」ですし、「本名記載には出典を必要とする、という点については既にルール化されて」います。であるにもかかわず「日本人の著名人」限定で同じようなルールを重ねて制定するなど、「やや重複」どころのさわぎではないでしょう。そもそも民法第750条の婚姻時の氏の規定は「義務教育の学習範囲」であり中学校の公民の授業で習うレベルの常識に属する話しであり、Taisyoさんにとっては大発見だったのかもしれませんが、結婚時に妻の姓にする夫婦も(数は少ないのは同意できますが)取り立てて珍しいと騒ぎ立てるほどのものでもありません。「未婚者の本名や既婚者の本名の名部分だって、出典なければ問題」なのですから「既婚者の本名の姓のみ限定した」意味ないルールをわざわざつくる必要はなく、粛々と対処すればよいでしょう。また、「間違いの例について、その不適切さ・改善方法を明記しておくことは有益」とのご指摘についてですが、私は「現時点の「Wikipedia:存命人物の伝記」の文章だとわかりにくいから、禁じられている例として出典なき本名記載を明示的に記載しておき、よりはっきりと出典なき本名記載がだめだということをはっきりと書いておきたいという提案なら、まだ理解できるかと思います」とご提案してみましたが、Taisyoさんからは芳しい反応はありませんでした。Taisyoさんとしては、例示するといった対応では満足できず、何らかのルールを制定したいというこだわりがあるようです。--126.162.93.229 2019年8月27日 (火) 14:55 (UTC)[返信]
情報 Taisyoさんの会話ページに連絡を入れておりますので、当然上記の件についても何らかのご説明、ご回答があるものと思いますので、こちらにもご報告いたします。--126.162.84.64 2019年9月8日 (日) 13:03 (UTC)[返信]
  • コメント 横から失礼いたします。私自身、戸籍上の名の変更を実際に経験した者です。社会システム上「本名(戸籍上の氏名・実名)」と「通り名(芸名、ペンネーム)」は別々に名乗って生活することが可能です。通り名でもって、水道料金等の領収証を発行してもらうことは可能ですし、ハガキの名前や宅急便などの配達物の名前に「通り名を使用することは可能」です。そして、一定期間通り名を使い続けて、周囲の人に認知されている場合に限り、戸籍上の「本名」を「通り名」に統一可能です。芸能人には、実名(本名)と芸名は別々にして生活している方もいらっしゃいますし、本名と芸名を分けるのが億劫になった著名人は、通り名を実名として使うために司法手続きで変更された方もいらっしゃいます。また「養子縁組」という制度があり、こちらは、一度婚姻届けを提出していても、男性が嫁の実家に嫁ぐ形で「嫁側の親族の"氏"」に戸籍上変更することも後から可能です。つまりこれらでもって、Taisyo様の心配されていらっしゃる「男性も女性も、婚姻したら男性側の氏にしなくてもいい」「婚姻後や離婚後に変わることのある実名に対して、社会通念上は生まれた時の氏名を通り名として使用しても良い」という、法律では厳密に明言されていないグレーゾーンを利用した現実の暗黙のルールが存在します。あとは、引退後や隠居後の実名追跡を気にされていらっしゃいますが、テレビなどの公共の電波や公共の場所で活動する機会が多い&知っている人が多いから「公人」となるわけではなく、あくまでその人の意思の問題です。当事者と家族内で留めたくとも、一度著名になったら取り返しがつかないとはいえ、第三者によって実名が知られているから「実名を許可なく追記公開していい」とは考えにくいかと思われます。Wikiのルールと姓名の法規だけでなく、プライバシーの観点をお忘れの無いようお願い申し上げます。(Wiki編集経験年数の多さや、記事執筆の多さ、寄付額の多さで権力権限が与えられ、法律や現実のルールを知らなくとも感情論や理想論で公平中立を守ろうとするそれは、古今のwiki編集トラブルの共通点と酷似しているようにも私は感じました。パソコンとインターネットが使えるのは当たり前の時代になり、それらが使えること前提で年齢性別環境を問わず「知識の量や質(正確性)」に対して、管理権限を与えることを検討する時期に来たのではないかと、私的な新しい問題提起を恐縮ながらさせて頂きます。)--にっちー 2019年9月4日 11:16 (UTC)
コメント にっちーさんの主張は、Taisyoさんのご提案に関するご意見とは直接的な関連がないように思いますがいかがですか。特に「Wiki編集経験年数の多さや、記事執筆の多さ、寄付額の多さで権力権限が与えられ、法律や現実のルールを知らなくとも感情論や理想論で公平中立を守ろうとするそれは、古今のwiki編集トラブルの共通点と酷似している」等の事実誤認を含む主張をここでなさるのは、何が目的でしょうか。そんなことよりもまず、議論提起者であるTaisyoさんが提唱する第四案についての賛否、および、その理由について述べるのが先決では。--126.162.84.64 2019年9月8日 (日) 13:17 (UTC)[返信]

「最近の更新」「ウォッチリスト」にて情報が更新されない現象について

不具合なのか私の閲覧状況単独で発生するものなのかわからないので、こちらに書き込みます。(Windows 10、Firefox 68.0.1、モノブック表示、にて)

数日前?から下記の現象が発生しています。

発生する現象は、「最近の更新」「ウォッチリスト」のページにおいて、

  • 「絞り込み」を非表示にすると「自動読み込み」ボタンも消えてしまう
  • 「自動読み込み」非設定のとき、「絞り込み」非表示にすると情報の更新(例えば「2019年8月12日(月)14:00 から最新の更新を表示」というリンク)が出なくなる
  • 「自動読み込み」設定のとき、「絞り込み」非表示にすると「最近の更新」は情報が更新されるが、「ウォッチリスト」は情報が更新されない

以前は、「絞り込み」非表示にしていても「自動読み込み」ボタンは表示されていて、ボタンの設定状態にかかわらず情報が更新されていたと思います。(「自動読み込み」設定時は適時更新項目が追加された表示となり、非設定時は「最新の更新を表示」のリンクが出てくる)

ざっとお知らせ等も見てみましたが該当する情報を見つけられませんでした。狭い画面を有効に使うために「絞り込み」を非表示にしていたので少し表示領域が圧迫されるようになりました。できれば元に戻してほしいと思います。--みそがい会話2019年8月12日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

コメント 私の環境(Windows 10, Firefox 68.0.1, ベクタースキン)でも同じです(Chrome 76.0.3809.100 も同じでした)。英語版ウィキペディアでも同じでした。その場しのぎの方法にはなりますが、特別:利用者ページ/common.cssに次の1行を追加するだけで、絞り込みツール非表示時にも自動読み込みと更新の機能が使用できるはずです。CSS クラスで指定していますゆえ仕様変更などで機能しなくなる場合もあるかと思います。--Yuukin0248[会話/履歴] 2019年8月13日 (火) 10:20 (UTC) 誤記修正--Yuukin0248[会話/履歴] 2019年8月13日 (火) 12:32 (UTC)[返信]
.mw-rcfilters-collapsed .mw-rcfilters-ui-filterWrapperWidget-bottom { display: flex !important; }
Yuukin0248さん、対処方法のご教示ありがとうございました。無事「自動読み込み」「更新」機能について改善できました。--みそがい会話2019年8月16日 (金) 00:39 (UTC)[返信]

「選考」および「立候補」における「Template:WikipediaPage」について

個人的には、全く問題ないと思いますし、荒らすような人はこれらが無くとも見つけて荒そうと試みると思うのですが、皆さんはどう思われますか?--123.255.129.11 2019年8月12日 (月) 12:52 (UTC)脱字修正。--123.255.129.11 2019年8月12日 (月) 13:44 (UTC)[返信]
報告 告知不足はいけませんし、問題あるなら削除となる=ノートも消えるので、選考と立候補のノートにコメントしてきました。--123.255.129.11 2019年8月12日 (月) 13:08 (UTC)[返信]
123.255.129.11さんの意見に同意します。荒らしは本当に荒らしたいなら、荒らすページをブックマークでもしておくでしょうから、リンクはあまり関係ないでしょう。なお、標記の2ページに限った問題ではないので、Template talk:WikipediaPageでも告知しておきました。--North land (会話/履歴) 2019年8月12日 (月) 22:41 (UTC)[返信]
ブックマークを使うなら益々不要ですね。--切干大根会話2019年8月13日 (火) 04:24 (UTC)[返信]
それでも最初にアクセスするときはブックマークはありませんよ?--North land (会話/履歴) 2019年8月13日 (火) 05:11 (UTC)[返信]
SHINJUみたいなLTAであればブックマークしている可能性はありますが、それ以外の荒らしにおいてということです。一般の記事の冒頭に記して、編集者であるかどうかに関わらず広く周知させる必要性は皆無です。--切干大根会話2019年8月13日 (火) 06:27 (UTC)[返信]
「SHINJUみたいなLTA」とはどのようなLTAでしょうか?なぜ、「SHINJUみたいなLTA」でなければブックマークしていないと言えるのですか?--North land (会話/履歴) 2019年8月13日 (火) 07:11 (UTC)[返信]
傾向についてはLTA:SHINJUに書いてある通りです。各種投票ページ、管理者関連ページに出現しています。少しは調べてから返信して欲しいのですが…。--切干大根会話2019年8月13日 (火) 07:51 (UTC)[返信]
「なぜ、「SHINJUみたいなLTA」でなければブックマークしていないと言えるのですか?」という質問に答えてください。--North land (会話/履歴) 2019年8月13日 (火) 08:08 (UTC) [返信]
ご質問の意味が分かりませんし、そのようなことを言った覚えはありません。ブックマークを使っていない荒らし等が辿り着きやすくなるリスクを考慮すべき、ということです。--切干大根会話2019年8月13日 (火) 08:17 (UTC)[返信]
たとえWikipediaPageを除去しても、荒らしにブックマークされたら同じことです。ブックマークの追加など数秒でできますから、意味はないかと思います。--North land (会話/履歴) 2019年8月13日 (火) 08:22 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデント戻しLTA云々については、「LTAであればブックマークしている可能性が高いが、それ以外の荒らしはブックマークしている可能性が低い」という事ではないかと思います。ただ、ある程度長く利用している人、少なくともある程度長く執筆している人であれば知っているページですので、隠す意味なんて有りません。--123.255.129.11 2019年8月13日 (火) 08:56 (UTC)[返信]


  • 切干大根さんのそれは、論点のすり替え。North landさんが言ったのは、「荒らしはブックマークするだろう」という話。「真っ当な利用者ならブックマークするだろう」、という話ではありません。
また、「Wikipedia:井戸端/subj/ウィクショナリーへのソフトリダイレクトの必要性」にて「断りもなく勝手なこと云々」と述べられていますが、「ここでの議題ではありません」と議題エラーを指摘されているのに、続行されていたから議題分け?を代行しただけです。
何が言いたいかと言うと、「あなたには珍しく、雑な対応だなぁ」という事です。焦る必要はないと思うのですが、何があなたをそこまで急かせるのでしょうか。一部しか知りませんが、あなたはもっと、慎重で熟慮される方だったと思うのですが。らしくないです。--123.255.129.11 2019年8月13日 (火) 06:23 (UTC)[返信]
  • 参考として、
    • ブロック依頼
    • 投稿ブロック依頼
    • 復帰依頼
    • 削除の復帰依頼
    • 削除依頼
    • 管理者伝言板
    • Wikipedia:削除投票
    • リダイレクトの削除依頼
    • 利用者ページの削除依頼
は、すべて作成保護されています。--切干大根会話2019年8月13日 (火) 06:32 (UTC)[返信]
それは検索エンジンによるクロール除け(権利侵害案件の拡散防止)のために仕方ないものでしょう。別に記事の選考が行われていることは拡散しても問題ないと思います。--North land (会話/履歴) 2019年8月13日 (火) 07:11 (UTC)[返信]
  • やっぱり、論点がずれています。本当にどうされたんですか、ちょっとおかしいですよ。
それらのページが作成保護されている事は、今回の二つのページとは、関係ありません。もし同じ扱いにすべきだというのであれば、その根拠を挙げるべきですが、それも有りません。
選考」については、メインページから「Wikipedia:秀逸な記事の選考」がリンクされている以上、全く問題のない誘導です。なぜなら、このページの下部に、「Template:記事・画像の選考」が有るので、スクロールの手間とかを減らすだけだからです。そして、この選考はむしろ、広く告知した方が良い位の話です。一部の人だけで選考を独占しているとか、邪推されない為にも、正々堂々としているべきです(正々堂々の使い方に、ちょっと自信がないですが)。
立候補」から「Wikipedia:管理者への立候補」および「Wikipedia:権限申請」および「Wikipedia:編集フィルター/権限付与の申請」への誘導についても、「各役職がどのように選出されているのか」を知る為の助けとなるものです。各役職の任命手順を隠すのは、コミュニティの信頼性上、好ましくありません。隠せば、任命手順に問題が有るのではないか、と新規利用者を不安にさせる可能性も否定は出来ないでしょう。
両ページからの誘導先は、ある程度長く利用している人、少なくともある程度長く編集活動をしている人であれば、誰でも知っているものです。そういった意味でも隠す必要は全くありませんし、先述の理由で簡単に辿り着けるようにすべきだと考えます。--123.255.129.11 2019年8月13日 (火) 09:18 (UTC)[返信]
  • 返信 (North landさん宛) 話が噛み合いませんね。WikipediaPageで可視化するすることによりリスクが少なからず上がるということです。ブックマークはページに辿り着いた後の操作なので、論点からずれています。--切干大根会話2019年8月13日 (火) 11:03 (UTC)[返信]
    • 上の123.255.129.11さんの意見に賛成します。ごくわずかに荒らしのリスクは増えるかもしれませんが、それよりも、ウィキペディアの権限や選考関係について透明性が増すメリットのほうがはるかに大きいと思います。--North land (会話/履歴) 2019年8月13日 (火) 11:10 (UTC)[返信]
      • ごくわずかどころか、かなり上昇すると思いますが…。「透明性が増す」というのもよく分かりません。現状、不透明なところは私は無いと思いますが、どういったところで不足に感じたのか具体例を挙げて説明していただけますか?--切干大根会話2019年8月13日 (火) 11:33 (UTC)[返信]
        • 「Wikipedia:管理者への立候補」と入力しないと管理者の信任条件にアクセスできないより、「立候補」でアクセスできたほうが、ウィキペディアの管理者に関心を持つ人も増えるし、より信任条件を知りやすくなるということです。--North land (会話/履歴) 2019年8月13日 (火) 11:49 (UTC)[返信]
  • 返信 (切干大根さん宛) 都合が悪いのかも知れませんが、僕の発言を無視するのは止めて頂けませんか。
特別:差分/73834133で述べた通り、「より信頼性が増す」という事です。信頼性が増す事は、十分大きなメリットでしょう。「はるかに」というのは、ちょっとオーバーな言い方な気もしますけども、荒されると決まった訳でもない事を考えると、まぁそう表現するのも分かります。何なら、「半永久的な半保護」を合意の上で行えば十分かと思います。選考は「ログインユーザーのみ推薦可能」なようですし、自動承認も済まない段階の新規利用者が使うようなページでは有りませんから。各種立候補についても、同様です。--123.255.129.11 2019年8月14日 (水) 03:18 (UTC)[返信]
  • コメント 両ページで{{WikipediaPage}}での誘導があることにより荒らされやすくなるのはそうでしょうが、運営ページであろうと記事であろうとリンクされれば荒らされる可能性自体は上がるでしょう。記事空間において、記事Aから適切な内部リンクがなされたことにより記事Bへの荒らしが増加したとしても、記事Aで記事Bへのリンクを除去すべきとは思いません。今回の場合は、必要に応じてリンク先のページを半保護するほうが適切だと思います(Wikipedia:管理者への立候補, Wikipedia:編集フィルター/権限付与の申請は現に半保護されていますが)。一定の手続きを踏めばWikipedia:半保護の方針#半永久的な半保護として無期限半保護を行うことができます。IP利用者・新規利用者にとって編集する必要があるページではありませんが、閲覧を希望する人まで妨げる必要はないでしょうし、jawpに興味をもって、アカウントを作成しようと思っている人にとっては、これらのリンクは有益なのではないかとも思えます(私自身も、名前空間など最初は全然分かっていませんでしたし)。--郊外生活会話2019年8月13日 (火) 12:02 (UTC)[返信]
  • 名称の一部が項目名と共通している言葉であるからといってなんでもかんでも誘導が有用とはならないでしょう。秀逸な記事の選考管理者への立候補などのリダイレクトは用意されているので、それで十分では。--新幹線会話2019年8月13日 (火) 13:37 (UTC)[返信]
  • コメント 誘導が増えることにより荒らされやすくなるリスクを考慮する必要は私には感じられません。リンクによる荒らしのリスクをいちいち考慮していたら、際限が無くなっていくだけではないのでしょうか。Wikipediaの内部の用語としては「選考」にも「立候補」にもいくつか選択肢があり、その誘導も含めた形で{{WikipediaPage}}が存在することは有用であると考えています。少なくとも有害ではあり得ません。--京浜川崎(会話履歴) 2019年8月15日 (木) 08:28 (UTC)[返信]


Daum人物百科を出典とすることの是非

韓国KBSのアナウンサーの記事で出典に韓国のDaum人物百科を使用したところ 「NAVER daun などまとめサイトは有効な出典ではない」[1]と指摘されました。私が使用した出典はこれです(機械翻訳が利用できるようになっていますが、私は韓国語で使用しています)。存命人物の記事の出典としてDaum人物百科が不適切かどうかについてご意見をいただけないでしょうか。--153.221.120.196 2019年8月13日 (火) 06:57 (UTC)--153.221.120.196 2019年8月13日 (火) 07:12 (UTC)[返信]

  • そもそもの問題点として、「NAVER daun などまとめサイトは有効な出典ではない」が間違いです。「NAVER daunなどにあるまとめサイトは有効な出典ではない」です。Naverがまとめサイトしかないのはあくまで日本の事情ですし、出所が明らかなニュースである「news.naver.com」や「media.daum.net」をまとめ扱いするのはおかしいでしょう。さて、Daum百科ですがこれはかなり特殊なサイトです。簡単に言ってしまえば、「一次情報の裏付けがあるもの」「書籍あるいは著者本人によるもの」「Daum百科の独自記載」「裏付け不明」の4つが共存しています。例えばこちらですと、情報は関係者による確認済みです。こちらは、書籍に由来します。そして、Daum自身でもライターを抱えており、そちらが担当するとこのようになります。特に記載が無いこちらは、裏付けがありません(まとめやWikiではないのでそれなりに信頼性があると推定はできますが、出典として適用できる根拠がありません)。それを踏まえてこのケースを見ると、現状では裏付けがなく、Daumライター陣のものともはっきりしていないので出所不明の独自記載になります。このケースは、出典として扱うのではなく探索の起点としてより信頼できる情報源を探すケースになります。--Open-box会話2019年8月13日 (火) 10:35 (UTC)[返信]
  • コメント - 現時点では賛否は表明しません。指摘した当事者になります。元になったWikipedia:井戸端/subj/NAVER人物検索を出典とすることの是非には、「韓国語版では「利用者が好きに公開投稿コンテンツを作成できる」ことはありません。」とIP氏によって加筆がありました。が、
・NAVERやCACAO (daun)の人物情報はどのようにして記載されているのか?kowpでは信頼され得る情報源として認められているのか?がないとなんとも判断いたしかねます。
・少なくとも、jawp では、NAVER は出典としては認められてないと考えるのが自然だとは思います。また、仮に韓国版 NAVER/daun が出典としてOKならば、に記載されている人物がすべてOKとなるがそれは特筆性としてよいのでしょうか?というのは疑問には思います(表現がヘイトスピーチにはならないようにしましたが引っかかると思われる場合は箇所も含めご指摘ください)--Motodai会話2019年8月13日 (火) 10:41 (UTC)[返信]
  • コメント - (Open-box|さんコメントに対して)。daun naver も情報の出典、確認の有無(原典に近い出典)が必要なケースがある、と理解しました。個人的には、daun naver が朝鮮日報など信頼できるとおぼしき出典からの孫引きに置き換えられるのであれば、問題ないように思われます。一方、「関係者に確認済」というのはどのような状態なのでしょうか?この記述が原典と見做してよい、ということなのでしょうか?--Motodai会話2019年8月13日 (火) 10:51 (UTC)[返信]
コメント Daum人物百科は関係者により情報を確認した旨が日付と共に記載されます。これがある記事は一次情報レベルの信頼性は認めることができるでしょう。ニュースや書籍中心の百科のように使える記事がある一方で、NAVERにしろDaumにしろBlogやYahoo知恵袋と同様のコンテンツもありますので、「どこで誰が書いているか」に帰結すると考えて下さい。基本的にはメディアとしてのNAVERやDaumなら特筆性の源泉としてOKになるはずです。削除依頼の関係でNAVERやDaumにあってもケースEじゃないの? 過去の依頼はEで通ってるよと思われるかも知れませんが、それは参考にされたであろう元の削除依頼が間違っているんです。LTA:GBWの記事は全てEではなくBです。出典を欠いている学歴などの経歴記載は存命人物の出典明記に抵触していまして、これを除去するとAになってしまう(記事としてなり立たない、XXのアナウンサーすら書けません)ので、結果的に削除になるのですがなぜか過去の依頼ではEを使用していたんです。--Open-box会話2019年8月13日 (火) 12:34 (UTC)[返信]
コメント 『関係者により情報を確認した旨が日付と共に記載されます。これがある記事は一次情報レベルの信頼性は認めることができるでしょう』ということですが、について根拠/エビデンスを挙げていただけますか(韓国語・英語で可)。現時点では、一部編集者の主張にしか読めないので、裏付けは欲しいです。--Motodai会話2019年8月18日 (日) 01:10 (UTC)[返信]
コメント その意見では根拠はないけど信用したくないといっているだけです。しかも「韓国語・英語で可」としている時点でこれは提示済みですから本来は回答の必要すらありません。挙げている例にもありますが、「관계자 정보 확인(関係者情報確認)」とあります。ここで一般に根拠が示されてるけど人物記事だけ嘘だ、そんなの信用できないと主張しても無駄です。この場合は疑うなら『本人確認とか関係者確認とか書いているが信用できない』というエビデンスを出さなければなりません。むしろ基本は外部企業からの提供であるにもかかわらず[2]、明示的に確認取っているものだけ使おうって時点でかなり辛いんですよ。どの国の事物でもこの手の「書籍」だと疑問を持たずに使われちゃうんですから。--Open-box会話2019年8月18日 (日) 05:03 (UTC)[返信]
コメント何か曲解してませんか? daum (あるいは naver での)「関係者の確認」の仕組みを知りたいのです。貴方の見解だけでなく。それとも「関係者情報確認」だけで少なくとも kowp は信頼しているということでしょうか?(小生は韓国語は読めませんので、せめて、そのような運用が記載されている kowp の規則ページだけでも教えていただけますか。韓国語でも日本語英語に翻訳すればよめるとは思いますが、そもそも韓国語コンテンツを検索でたどり着くのはその言語に堪能でないと困難です)--Motodai会話2019年8月18日 (日) 09:06 (UTC)[返信]
コメント 両者に限らずどの国のメディアであっても「本人に確認した」「関係者に確認した」ってそれ以上何を書けというのかという話になりますので、そのレベルを疑う事は合理的な疑いを超えています。そのため疑うに足るエビデンスを提示する必要があるのです。kowpの運用はいってはなんなのですが、当たり前のように出てくる・現在でもGRが多いので疑念を持つ以前の段階かと。あえて書くなら各メディアを信頼できる情報源として扱うか否かにおいて、英語版のデイリーミラー追放のように「信頼できない」とするハードルはかなり高いので、「信頼できない」とする記載を探しましたが見つかりません。--Open-box会話2019年8月18日 (日) 23:49 (UTC)[返信]

同一の記述に対し、Aの記事で出典が明示されていれば、Bの記事では出典を明示しなくてもよいのか?

質問させてください。

だとします。

AとBには同一の記述があって、A(秋元真夏)の記事で出典が明示されていれば、B(乃木坂46)の記事では出典は明示しなくてもよいのでしょうか?

といいますのも、利用者:Softyu会話 / 投稿記録氏が乃木坂46の記事から出典を除去しているからです[3][4][5][6]。 Softyu氏の編集は投稿ブロックされた利用者:はー先輩会話 / 投稿記録氏と全く同じ編集なのですが[7]、これは方針・ガイドライン上、正しい編集なのでしょうか?

なぜなら、乃木坂46#メンバーの表には「名前」「よみ」「生年月日」「出身地」「血液型」「身長」「加入期」があり、これらの情報に対する検証可能な出典(脚注?)が秋元真夏の記事内にはあっても、乃木坂46の記事内には明記されていないからです。よって、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するに従って乃木坂46の記事内に出典を明記する必要がある、というIP氏の主張は一理あるように思えるのですが、はたしてどちらが正しいのでしょうか?

仮にIP氏が正しいのであれば、秋元真夏の記事内に出典元があって、その秋元真夏の記事を参照するように促すこのような注釈形式での明示は出典を明記したことになるのでしょうのか? よろしくお願いします。

関連項目

--27.81.207.122 2019年8月14日 (水) 19:52 (UTC)[返信]

  • コメント 検証可能性の方針で情報源として求められている、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の三次資料の説明をご参照ください。単に、Wikipedia内の他項目の記事を、Bの記事の中で参照先に示しただけでは、(参照先の記事も常に変化していますので)完全に出典を明示したことにはならないのではないかと思います。とどのつまり、項目Bの記事の中にも項目Aの記事に明記されている出典を同様につける必要があると考えます。--小石川人晃会話2019年8月15日 (木) 03:03 (UTC)[返信]
  • コメント 「全体的(一覧的)な記事と、個別な記事がある場合に、共通の出典は両方に書かないといけないか」という問題ですよね。私はアイドル系は判りませんが、一覧的な記事は多く書くので気になります。(1)厳密には、各記事に各記事の密度?に応じた出典を付けるべきと思います。箇条書きならば冒頭に、表形式ならば項目(列)自体に出典を付けてもいいかもしれません。(2)しかしファシズム#一覧君主制廃止論#20世紀以降に君主制を廃止した国の一覧などに個々の出典を付けると膨大な量になり、以後のメンテナンスも膨大になり(不適切な出典を修正しても、多数の記事にコピー使用されていると全部は直せず、ゴミが増える)、「詳細はリンク先参照」としたい面もあります。紙の百科事典では無いですし。(3)実際には、記事や分野の性質にもよるかとも思います。首都の一覧などは誰でも容易に確認でき、間違いがあればすぐ直せるので、各項目への出典の必要性は高くない。しかし議論になりそうな分野では必要性が高い、など。(4)別記事の出典は気づかないうちに消されてしまう場合もある、というのも事実ですが、同一記事内でも良くあるし、程度問題との面もあります (5)理想的には、記事間で使える「共通出典」があると良いのですが(現状ではTemplate化くらい?)、記事によっては「出典を更新されたら、ある記事は良いが、別の記事の出典が無くなり、長期間気づかなかった」などの弊害もありそうです。(6)ところで「名前」「よみ」「生年月日」「出身地」「血液型」「身長」「加入期」をグループ記事に書く方が過剰かと思います。せいぜい「名前」「よみ」「加入期」で良く、それ以上は個人属性として個人記事のみで良いのでは(特に「血液型」は日本独自(WP:JPOV)の非科学的なお遊び用の悪習ですし、百科事典はアイドルグループの宣伝サイトではありませんので)。(追記)まとめると現実的には、揉めるならば各記事に出典が必要、「詳細はリンク先記事」にして揉め事を避けたいならば一覧記事は目次的に簡潔に(色々書くほど「この出典はどこ?」と気になる人が増える)、しかし絶対ではない、というところでしょうか。--Rabit gti会話2019年8月15日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
  • コメント まず乱暴な結論を先に言ってしまえが、<誰かが要出典を付けたら典拠を提示すべきですが、皆がそのままにしておくなら放置して構わない。あなたが疑問に思うなら典拠をきちんと追記する。それが面倒なら自分で要出典範囲をつけるべきであり、それも面倒なら放置する。>ということです。ちなみに、「<ref group="注" name="me">詳細は[[#メンバー]]の各記事を参照。</ref>」という記述は、出典をきちんと示したことにはなりません。方針である「Wikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイト」は、ウィキペディア自身の記事が、通常は信頼できないとされる情報源であることを明確に述べています。
例えば、「乃木坂46#メンバー」を見ると、記事が立項されていない=特筆性が確認されていない、しかも未成年者についてまで個人情報であるはずの生年月日等が典拠の提示なく羅列されています。これはおそらく、プロモーション活動の中で公表されているからでしょうから、誰も問題にしなければ、そのままです。しかし、誰かが、少なくとも記事がないメンバーについては、個人情報を公表していることの証拠を示せと言い出したら、それに応じられなければ情報を除去されても文句は言えないでしょうし、版指定削除依頼が提起されれば賛成する人も出てくるかもしれません。もちろん、独立記事がある人物についても、ウィキペディア自身の記事は記述の典拠にはできませんから、そのように注文が付けられれば、きちんと答えるにはいちいち出典をつける必要があるということです。--山田晴通会話2019年8月15日 (木) 17:41 (UTC)[返信]
コメント 基本的にはすでに述べられている通り、基本的に出典は必要だし、それを求められた際にウィキペディアの別記事(個別記事)を根拠にするのは問題があります。
ただ、今回の場合、たぶん一覧記事でいちいち逐次出典をつける煩雑さが問題の一端であるようにも感じます。一覧記事の場合、そもそもその一覧が有用なものであるなら、資料として同様のものがあるはずであり、それを出典にしているなら、逐次出典をつけずとも表の説明として一文「以下一覧は〇〇より」みたいなのがあれば、逐次的につける必要は無いと考えます(もちろん、その出典にない情報を付加したいなら話は別です)。--EULE会話2019年8月16日 (金) 09:18 (UTC)[返信]
コメント 拙作火山噴火の歴史では完全無欠に出典提示しておりますけども「全部にいちいち出典をつけるのは編集者側観点ではとてつもない苦痛かつ莫大な労力」である点には完全に同意致します。が、個人的には『厳密に、完全無欠に方針に従おうとした場合』「出典つけるのが面倒なら、公式方針に完全に従い消されても一切文句は言うな」で済むとも思います。逆に言えば、消されたくなければ個別出典は必須であり、別記事に出典を求めるのはそのまま公式方針WP:PSTS違反ですから個別事情を考慮する余地もなくばっさり全抹消除去することが公式に推奨されています。
この場合、記事Bが出典としているのは記事Aの中の出典ではなく記事Aの内容そのもの、つまりウィキペディア内の別記事がそのまま出典として通用する、という「方針で完全に否定されている」主張でしょう。──そして、そうでないと主張するなら、記事B上の記述改訂に際し記事A内容を考慮する必要性が必ず生じる、かつ記事A上の出典文献が記事Bで使用継続されている場合、記事Aの表記改訂は記事Bの内容に全面的に依存し、常に双方を同時に改訂する必要性が生じている、という相関関係を考えればどれほど異常な状況に陥っているか分かりやすいと思います。
とはいえ、こういった複数記事を跨ぐ同一出典付記に関する編集労力量は乃木坂46に限らず普遍的な問題ですので腹案をひとつ提示しようと思いますが、日本語版では前例がありませんが、執筆者側の利便性を優先しつつ読者の出典参照利便性を単独ページ内に留めようとする方策のひとつとして「複数の記事で同じ出典が使用されていて、同じref nameを使用してそれらを編集・提示したい」という場合、各々の参考文献節に脚注呼び出しとしてのref name引数を統一したTemplate:乃木坂46参考文献テンプレートを用意し、記事から脚注を一旦経由して出典参考文献へ更にリンクするHerv形式にすれば一定量は解決できるのではないかな、と思います。具体的には参考文献テンプレートに{{cite}}でref引数に{{SfnRef}}を用いた上で、出典脚注を{{Sfn}}で示せばある程度までは複数別記事間で同じ出典を共有しつつ編集労力を下げられ、また後々の分割や記述変更に際しても出典部分に関する掛かる労力を引き下げられるのではないかな、と思います。前例としては英語版ですがen:Wikipedia:WikiProject Spaceflightで管理されている出典兼外部リンクとしてen:Template:TLS-Rが存在し標準名前空間95記事で共有されています。日本語版では外部リンクをそのまま出典に用いることは禁じられていますが(WP:ELRC)、他言語版の同様事例として参考までに。--Nami-ja [会話 履歴] 2019年8月21日 (水) 22:28 (UTC)[返信]

カテゴリ編集の指針は実践の場にどうあるべきか

現行のWikipedia:カテゴリの方針において、

ある記事に対してカテゴリを設定する際は…(中略)…「xx」(記事)とは何であるか、を考えます。(中略)記事の主題に少しでも関連するものをすべて貼る必要はありません。 — Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ編集の指針「カテゴリを付与・追加する場合」

と説明されていますが、実際には、高山病Category:山が貼ってあったり、軍艦の事故Category:海が貼ってあったり、水力発電Category:河川が貼ってあったりする例が後を絶ちません。基本「〈記事名〉は〈カテゴリ名〉である。」と言える関係にある記事に対してカテゴリを付与するというのが、カテゴリの方針の趣旨ではなかったのでしょうか。私には、どうも「記事の主題に少しでも関連するものをすべて貼」っているように思えてなりません。個々のカテゴリをタグか何かと勘違いしている利用者がいやしないだろうかと心配になります。もちろん、いわゆる「キーワード指向」のカテゴリ(タグ的運用を指向するカテゴリ)が存在していることも存じ上げていますが、そういったカテゴリは(全体から見れば)例外的な存在だと私は認識しており、カテゴリの第一義は「分類指向」であったはずです。たとえば、水系Category:河川である、火山Category:山であると言えるでしょう。また、この「キーワード指向」「分類指向」という表現も、正確な理解のためになっていないように思われます(論理的でないし、直観的でもない)。各々、英語版では「トピックカテゴリ」「セットカテゴリ」、ドイツ語版では「テーマカテゴリ」「オブジェクトカテゴリ」と呼ばれているようです(あえて日本語に直すならば、「話題(“と言えば”)カテゴリ」と「集合(“は…である”)カテゴリ」といったところでしょうか)。直にWikipedia‐ノート:カテゴリの方針に提議しようと思ったのですが、段取り八分とも言いますし、事前に広く皆様の現状認識と反応を伺いたかったので、問題点の整理も兼ねて、こちらに話題として投稿させて頂きました。ご意見、ご感想がございましたら、よろしくご回答のほど、お願い致します。--Doraemonplus会話2019年8月16日 (金) 11:59 (UTC)[返信]

コメント 2点。現実問題としてWikipediaは誰でも編集できちゃう(ルールや合意を無視する人でさえ)ので、どうしようもない、てとこはありますよね。熟慮して編集する人より、なんにも考えない人のほうが圧倒的に手数が多いですし。特にカテゴリまわりは正直そういう方によって混沌になってますね。
もう1点、これは私とDoraemonplusさんの意見が違うところ。私は「分類が第一義のはず」とは考えません。「キーワード指向のカテゴリ」も普通に問題ないカテゴリの使用法と考えます。「タグ」的にトピックを四方八方から集めることができるのは、紙の辞典では難しいですが、デジタル辞典ならではの利点かと。
私は「分類」に過度に拘る方・きれいなツリー構造に拘る方は現実をみないで困ったことを引き起こす、と思っています。たとえば「○○神社」。旧跡でありサクラの名所であり建物が歴史的建造物で社宝が重文で境内は公園でもあり航海の神と学問の神が祀られていて源平合戦にも関係する、みたいな場合には、いろんなカテゴリに入れたいです。「神社」だけに放り込まれて「歴史」や「観光地」や「建造物」からアクセスできないのは不便と思います。
まあ、ここらへんは「少しでも関連する」の「少し」閾値の違いでしょうかね。
「キーワード指向/分類指向」という表現がどうなんだ、というのは、まあ、確かに。これに限らず、Wikipediaの古い時期に定められた用語は、ちょっとこう・・・ということは多々ありますね。それを今から改めるのはタイヘンですけれど。--柒月例祭会話2019年8月16日 (金) 12:27 (UTC)[返信]
(追伸)高山病や水力発電について。「山に関する何か」「川に関する何か」であることと、個別の山座だけを集めたカテゴリ・個別の河川記事だけを集めたカテゴリ、をきっちり分ける、という方向で整理するのはありでしょうねえ。今は「山」という漠然としたものなので、山に関連していてサブカテゴリにも分類不能なものが残っている、という感じではあります。--柒月例祭会話2019年8月16日 (金) 13:05 (UTC)[返信]
コメント カテゴリ内をそのインスタンスでまとめ、「topic-of」や「subject-in」な関係なものはトピックカテゴリにまとめたいという考えでしょうか。それができるカテゴリもあれば、わざわざしなくても良いカテゴリもあるという感じですね。たとえば概念の大きい「山」というカテゴリは、関連するトピック記事も含まれるカテゴリで、「山」だけを集めたカテゴリは下位カテゴリの「各国の山」などになります。この場合「山」カテゴリを山だけ集めたカテゴリに変更して、トピックカテゴリを新たに作る、などという手間に必要性は感じません。すっきりした構造化をしたいのなら、それはウィキデータに任せ、ウィキペディアのカテゴリは検索補助のような扱いでも良いのではないでしょうか。--Afaz会話2019年8月17日 (土) 13:54 (UTC)[返信]
当初「分類指向」と「キーワード指向」の区別や分離を提案するつもりが、どうやらあまりに難しいテーマに足を踏み入れてしまったようで、お返事が遅れました。
そんな中、2つの要点を見出しました。1つは、過去ログWikipedia‐ノート:カテゴリの方針/ 2012年までの過去ログ#関連が深いキーワードにおける「上位の概念」とは何か?に出てくる、概念の内包[8]外延[9]という面。もう1つは、利用者‐会話:Bcjp/WPJ カテゴライズ 立ち上げ準備室#カテゴリとは!で述べられる、カテゴリは、階層構造(ツリー構造)を強いるものではないということです。
以上の2つのノートを読んで、現行のカテゴリの方針は方針文書でありながら意外と柔軟な(自由な)姿勢をとっていると認識するに至りました。
1つ目の要点の具体例を挙げると、神社という概念の外延は伊勢神宮出雲大社春日大社靖国神社などを指し、神社という概念の内包は「日本固有の神々を祀るための場所。宗教建築であり、礼拝施設であり、文化財であり、時に桜の名所であり、観光地である。」というものです。「キーワード指向」というのは、この概念の内包(性質)から抽出した「キーワード」をもって分類する指向を表していると解釈できます。一方、「分類指向」と呼んでいるのは、概念の外延(対象)から成る集合を範疇(カテゴリ)として分類する指向を意味していると解釈できます。少なくとも私はそう読みました。広い意味では、「キーワード指向」も「分類指向」も分類を示していますが、基礎となる作法が異なるといえます。記事とカテゴリの結びつきは概ねこの考え方で説明可能だと思います(ただし、特殊な例として「同名の記事を含むカテゴリ」は、Category:富士山のようにキーワードに少しでも関連する項目を広く含めているものもあれば、Category:出雲大社のように対象を分祠と関連の深い神社に絞っていて関連の度合いが明瞭になっているものもあり、全体の運用の実態に規則性はみられません)。Wikipediaは誰でも編集できちゃうので仕方ないと言われれば、どうしようもないですね。
次に2つ目の要点について。カテゴリの一群を一つの体系と捉えるとき、個々のカテゴリとカテゴリの結びつきは非常に複雑です。en:WP:CAT#Category tree organizationの図を参照していただくとご理解いただけるかと思いますが、カテゴリの体系は巨視的に捉えればツリー構造になっていません。このことから、おっしゃる通り「分類」に過度に拘るとか、きれいなツリー構造に拘る必要はないことがうかがえます。割とラフでもいいようですね。カテゴリの体系の全体像を把握するのは困難ですが、ドイツ語版などにはde:Vorlage:Kategoriegraphなるテンプレートがあって、周辺のカテゴリとの結びつきを可視化(グラフ化)することができるようです。jaWPにも導入できたら便利かもしれません。
「山に関する何か」「川に関する何か」に関しては、上述した内包と外延で解くなら、内包の方面ですね。ドイツ語版では、de:Kategorie:Berg(山)とde:Kategorie:Berg als Thema(テーマとしての山)、de:Kategorie:Fluss(川)とde:Kategorie:Fluss als Thema(テーマとしての川)はきっちり分離されています(そうはなっていないカテゴリも一定数あるようですが)。前述のコメントでも紹介した通り、ドイツ語版はオブジェクトカテゴリとテーマカテゴリをかなり厳しく区別していますが、jaWPはどちらかというと、より緩い英語版からの影響が大きいので、ドイツ語版流のシビアにカテゴリを分離しての運用方針は馴染まないですかね。今はウィキデータという便利なデータベースもあることですし、将来的には項目同士の相互関係はウィキデータで構造化されるようになるのでしょうか。--Doraemonplus会話2019年8月17日 (土) 14:43 (UTC)[返信]
コメント 追伸 また、ja:WP:CGには明示されていませんが、英語版ではen:WP:CATVとして記事とカテゴリの間にもWP:VWP:POVが求められています。「少しでも関連する」からといって闇雲にカテゴリをベタベタと貼り付けることは認められていないようです。ここまで考えてみますと、私が求めているのは、実は、単に分類の正確性というより、カテゴリの内容の品質を保証する何らかの仕組みであると言い換えられるかもしれません。--Doraemonplus会話2019年8月17日 (土) 14:52 (UTC)[返信]
コメント 続報 {{カテゴリグラフ}}をドイツ語版から移植、作成しました。これを用いて、Category:富士山の上位カテゴリグラフのようにカテゴリ構造を視覚化できます。カテゴリの体系の見通しをよくするために役立てて頂ければ、と思います。--Doraemonplus会話2019年8月18日 (日) 08:08 (UTC)[返信]

情報 最近またカテゴリ体系の在り方について思うところがあり、久しぶりに読み返しに来ました。以前、Afazさんがウィキデータとかインスタンスとかのお話をされていたのに関連して、d:Wikidata:SPARQL_tutorial/ja#インスタンスとクラスをここに備忘録として記しておきます。--Doraemonplus会話2020年7月13日 (月) 06:55 (UTC)[返信]

  • コメント 井戸端なのでざっくばらんに語ります。(全部読んでませんが)isとhasとか形而上学ですねー。
  • 完全な私見ですけど、ウィキペディアにおける「カテゴリ」は、今にして思えば設計に不備があったんだろうと思います。私は「分類指向のカテゴリ」と「キーワード指向のタグ」みたいな表現をしてますけど、ウィキペディアではその2つの役割を「カテゴリ」でやろうとして、こんがらかった。
  • そのうえカテゴリLTAみたいのがいて、全体の長期的な目論見を顧みずに好き勝手やるし、おまけに記事と違ってカテゴリの場合、広範囲で弄くり回されたのを復旧するのが困難というところがあって、カオスになっちゃってる。--柒月例祭会話2020年7月13日 (月) 07:35 (UTC)[返信]

コメント 雑感ですけれど、だいたい当たってると思います。「分類指向」と「キーワード指向」というのは、いずれも現行のWikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの定義に明記されているカテゴリの作法ですが、その両方を求めて混ぜこぜに実装した結果、どちらの使い方をするにも中途半端な状態になっている感があります(また、前記カテゴリの定義の「3. カテゴリはウィキペディアの骨組みの意味を持ちます」もどこか忘れられてるような…)。率直に言ってしまえば、ウィキペディアのカテゴリの多くは「みんなの雰囲気」で「なんとなく」作られてる印象です。

  • Wikipediaのカテゴリは「分類指向」に基づく完全な階層構造にはなっていないにもかかわらず、カテゴリ同士の関係を上位・下位の関係でしか定義できないために、結果として見かけ上の「カテゴリツリー」が出来上がってしまっています。
  • ところが、Wikipediaのカテゴリを一度でもカテゴリツリーを通して見てしまうと、カテゴリ体系の全体像について見誤ることになるのです。
  • たとえば、Template:カテゴリグラフを通してCategory:富士山を中心としたカテゴリの体系を視覚化してみると、こちらのような図式になり、ツリー構造というより網の目構造に見えます。この図式に気づいてしまうと、いよいよ分類指向でカテゴリをどうにかしようと考えるのが誠に馬鹿らしくなってさえきます。かといって、キーワード指向に傾斜してウェブのようなノード間関係を目指すにも、カテゴリの上位・下位の関係に縛られて不自由するのは目に見えています。

結局、ウィキペディアのユーザーの皆様がカテゴリ機能に何を求めているのか、どのような使い方ができたら便利だろうか、それを知ることから始めないといけないようです。原点に立ち返ると、カテゴリのヘルプページの一行目に明記されている、索引の自動生成機能が本来のカテゴリの役割となるでしょうか。他言語版のカテゴリ解説ページを読んで、各言語版がカテゴリ機能についてどのように認識しているのか、調査してみるのも面白そうです。そして、この問題が解決した先には、再びLTA問題が待ち受けているんでしょうね。最初からカテゴリはそういうものと割り切って、潔くウィキデータの充実に注力したほうが労力を無駄にしなくて済むかもしれませんね。--Doraemonplus会話2020年7月13日 (月) 11:19 (UTC)[返信]

コメント 続報 その後の調査で、前回のコメントで吐露した「分類指向を追求するのが馬鹿らしい」というやりきれなさは、複合主題の分類に適したファセット分類法という分類法を用いることによって、概ね解消できると期待されることが、ドイツ語版ウィキペディアのカテゴリの方針を読むうちに分かってきました。そして、ファセット分類法に関する文献「情報組織化の基盤としてのファセット分類法」などを読むに、カテゴリの本質はインデクシング(索引作成)にあり、索引著作物としてのカテゴリそのものの分類(階層化)は二の次であることを再確認できました。先のドイツ語版方針文書に明記されているとおり、ドイツ語版では既にカテゴリ体系の作成にファセット分類法が採用されているようです。この分類法の実践については、当方は未だ理解不足であるため回答できかねますが、次に示すCategory:日本の山 (Q7237744)をサンプルとした2つのカテゴリグラフを比較すると視覚的な理解の助けとなろうかと思われますので、ご紹介させていただきます。見比べていただきたいのは、日本語版の「Category:日本の山」の上位カテゴリ系統のグラフと、そのドイツ語版のカウンターパートである「Kategorie:Berg in Japan」の上位カテゴリ系統(日本語訳)(翻訳元のクリック可能なグラフはこちら)です。どちらがより優れたカテゴリ体系といえるでしょうか。また、個々のカテゴリを一編の索引と見たとき、項目索引として有用な(すなわち、たとえば検索者が日本の山から特定の山の記事にたどり着きやすい)のはどちらでしょうか。「キーワード指向」についても、連想ゲーム式の分類は止め、きちんとした主題分析に基づく分類に近づけていけたら、トピックカテゴリの使い勝手も向上するのではないかと愚考いたします。いずれにしても、現状の日本語版のカテゴリ体系は迷路のようで扱いにくく感じられるので、いつかファセット分類法を適用できたらなと思いを巡らせる次第です。大規模な変革になりますが、カテゴリ体系の改善を望んでいる潜在的な利用者は意外と多いんじゃないかと思っています。近いうちに、井戸端に新規の話題としてカテゴリシステムに関する意見募集をかけようかと考えています。--Doraemonplus会話2020年7月15日 (水) 09:16 (UTC)[返信]

返信 ドイツ語版ではカテゴリに関する議論が深まっていて、大きな合意がなされているということなんでしょうね。各論ではいろいろあるとは思いますが、総論として大きな方向が定まり、きちんと維持運用されているというのは大したものだと思います。(私の経験では、いくら決めても、守らない人に対処できないというのがJAWPの現状)--柒月例祭会話2020年7月17日 (金) 09:04 (UTC)[返信]
返信 ドイツ語版があれほどまでに統率の取れたカテゴリ“索引”体系を維持できている制度的な背景は、いろいろ考えられまして、先述したカテゴリの方針文書群の充実以外では、ざっと眺めたところ、
といったものがあります。この体制に至るまでには、きっと熱い議論と周到な計画と冷徹な実行があったのでしょう。日本語版で今からこれを真似するのは、不可能とは申しませんが、極めて骨の折れる困難な事業になると思います。協力者が少なくとも数十人単位は集まらないと厳しいでしょうね。--Doraemonplus会話2020年7月18日 (土) 14:06 (UTC)[返信]

コメント 手始めにプロジェクト‐ノート:山#「Category:山」系統の再編提案を提起しました。--Doraemonplus会話2020年7月17日 (金) 08:03 (UTC)[返信]

ライセンスのテンプレートについて

ライセンスのテンプレートが個人の一存で勝手に作られているようです。すみません、個人が勝手にこんなの作っていいんですか? 「GJSTU-2.0」→これです。こんなのウィキぺディア日本バージョンにもウィキペディアコモンにもありませんよね? みんなが勝手に作っていいんだったらわたしも独自のデザインでテンプレート作りたいです。--以上の署名のないコメントは、126.198.57.121会話/Whois)さんが 2019年8月16日 (金) 13:33 (UTC)〜2019年8月16日 (金) 13:41 (UTC) に投稿したものです(ホーリーブライト会話)による付記)。[返信]

コメント 誤ってWikipedia:井戸端/subj/カテゴリ編集の指針は実践の場にどうあるべきかに投稿されていたのを移転しました。--Doraemonplus会話2019年8月17日 (土) 01:56 (UTC)[返信]
Template:GJSTU-2.0でしたらcommons:Template:GJSTU-2.0からの移入のようです。こちらに移入したScanyaroさんはcommons:Template talk:GJSTU-2.0の議論にも参加されているようですし、異論があるなら質問してみてはいかがでしょうか。--ButuCC+Mtp 2019年8月17日 (土) 10:24 (UTC)[返信]

出典が僅少な翻訳記事の出現について

出典が僅少な翻訳記事を見かけますが翻訳の信頼性と原文の信頼性、それと改稿は可能なのか質問致します。

疑問点の一(原文の信頼性)
英語版でThis article needs additional citations for verificationなどが付いていて信頼性に疑いのあるページでも翻訳に制限はないんですか?
Template:Expand Englishのタグに信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳するなとなっていますが、それは使用法に書くこと(信頼性が低いときは翻訳すべきでない=タグを使用しない)で、タグを使用しているのにその警告があるのは矛盾ではないですか?
疑問点の二(翻訳元のタグ)
英語版などの翻訳元に信頼性に影響する問題点のタグがあっても翻訳時に日本語版に持ってくれば無かったことにしてもいいんですか?
疑問点の三(原文の無出典)
{{翻訳直後}}は原文に近づけよとなっていますが、原文に出典がなくても近づけたほうが良いのでしょうか?
疑問点の四({{出典の明記}}の貼り付け)
出典が僅少な翻訳記事で{{翻訳直後}}のある記事に{{出典の明記}}をつけても良いのでしょうか?
疑問点の五(原文に近づけることと記述の除去の関係)
{{翻訳直後}}のある記事に{{出典の明記}}をつけても良いとして、原文に出典がないままの場合、{{翻訳直後}}の原文に近づけることと、{{出典の明記}}の理由による記述の除去はどういう関係になりますか?
疑問点の六(原文に近づけることと記述の追加の関係)
{{翻訳直後}}のある記事に{{出典の明記}}をつけても良いとして、{{翻訳直後}}の原文に近づけることと、{{出典の明記}}を改善するため原文と無関係に出典を加えて改稿することはどういう関係になりますか?
疑問点の七(完全な書き換え)
{{翻訳直後}}のある記事に{{出典の明記}}をつけても良いとして、翻訳記事にまったく出典がない場合、原文と無関係に出典を改善したものに完全に書き換えることは可能ですか?

--Tapatwo会話2019年8月18日 (日) 00:13 (UTC)[返信]

コメント 回答になってないかもしれませんが、個人的には「執筆同様、翻訳自体は基本は推奨。ただし出典の必要性は翻訳でも同じで、可能な範囲で改善すべきだが、困難な場合もある。協力し合って改善を指向するのがウィキペディアだから、厳密・一律なルールは無く、判断やコミュニティ会話が求められる。」でしょうか。(1)翻訳元に要出典タグがあれば注意は必要ですが、タグもある編集者の判断でばらつきもあり、一律翻訳禁止ではない。(2)翻訳時の判断で、過剰なタグと思えば削除する、適切な指摘と思えば残す、などでは。 (3)出典不明なら近づけようが無いですが、関連情報を自分で探して怪しい箇所を削除したり表現を中立的にしたりして「まぁ妥当かな」と思う記述にする事は多いです。(4)通常は他の編集者や読者へ向けたタグと思いますが、改善呼びかけとして自分で付ける手もあるのでは。(5)自分で関連情報を探して改善できればベスト。ノートで出典探しを呼び掛ける方法もあります。(6)出典を追加して改善するのは良い事と思います。翻訳元にも追加してあげると更に。(7)記事名の趣旨と適切なら、日本語版でも翻訳でも、全文書き換えは時々やります。改善が基本で、翻訳前と変えない事を優先ではありません。--Rabit gti会話2019年8月18日 (日) 10:38 (UTC)[返信]

コメント 端的に回答するならば、原文完全性は方針遵守必要性に優越しません。故に、原文に仰るような疑問点タグや無出典記述があるなら【1】故意に問題部分を欠落させ、【2】原文完全性を損ねて、【3】問題のない部分だけを選別して翻訳移入する、といった翻訳方法も方針で認められた正当な対処となります。翻訳元もまた別言語版のただの匿名編集者(たち?)の成果物であり、故に改訂許されざるべき絶対聖典、という解釈を裏付けるルール自体がありませんから。--Nami-ja [会話 履歴] 2019年8月23日 (金) 00:49 (UTC)[返信]

ありがとうございます 方針が優先することは確認できました。Rabit gtiさん、Nami-jaさん、御回答ありがとうございました。--Tapatwo会話2019年8月29日 (木) 00:13 (UTC)[返信]

転載画像が既にほかのサイトで使われていた場合の対応

Wikipedia:投稿ブロック依頼/中樹 知之 追認を以前だして、投稿画像については、すべて削除になっているのですが、ある疑問を持ちました。こちらのサイトをみていただきたいのですが、転載発覚前にほかのサイトがルールを守った形で利用しています。しかも、問題になった画像そのものです。ウィキペディア側の責任としては、該当利用者のブロックと投稿画像削除で一応果たしてますが、このようなサイトに対する対応はしなくて良いのか疑問に思った次第です。と言いますのも、Wikipedia:コメント依頼/CEFICEFIの解決内容次第では、かなり多くの外部サイト問題が出てくるからです。外部サイトに対して「サイトを直して下さいと」言わないといけないかなどです。--Taisyo会話2019年8月18日 (日) 07:07 (UTC)[返信]

利用者:中樹 知之会話 / 投稿記録 / 記録の画像に関して、こちらの記事でも使われています。元ニュースをJタウンが配信して、それを複数のサイトが二次配信しているようです。--Taisyo会話2019年8月18日 (日) 07:20 (UTC)[返信]
あらゆる著作物等の利用は利用者自身の責任で行われるべきであり、もちろんその責任の中には利用したいと思っている著作物等がそもそも他人の著作権やその他知的財産他を侵害しているものでないかを利用者の責任で確認する必要があります。特に、ウィキペディアやウィキメディア・コモンズ等の不特定多数によるアップロードが可能なサイトから引っ張ってくるのであれば、より一層の注意が利用者側に求められます。著作権侵害、またはその虞があるものがウィキペディア日本語へアップロードされた後、それが削除依頼等を経て削除されたものが利用されていると確認されたからといって、それらに対して「ウィキペディア日本語版」またはそのコミュニティの名で対象サイトに通知する義務はないと私は考えます。しなしながら、「事情を知る単なるウィキペディア編集ボランティアの一人」として、当該サイトを発見し次第、善意かつ各自の自由意志でその通知をすることは誰にも妨げられるものではないでしょう。--rxy会話) 2019年8月18日 (日) 07:45 (UTC) typo --rxy会話2019年8月18日 (日) 07:48 (UTC)[返信]
ウィキペディアとして、転用サイトに関して連絡する義務は無い(管理者などの責務として)けど、一利用者としてお願いするのは有りの解釈ですね。管理者の負担も増えないですし、気になる利用者は自分の責任であれば対応出来る。ウィキペディアとしての責任は該当利用者ブロックと該当画像削除で取れる解釈で。落とし処としてはそうしか無いのかなと思います。--Taisyo会話2019年8月18日 (日) 13:08 (UTC)[返信]
本日、Jタウンネットの方に連絡しまして、分かっていた2記事については、Jタウンネット本体につきまして、早々に画像差し替えなどして頂きました。Jキャストの担当者様ありがとうございます。また、二次配信先につきましては連絡中と返答を頂いております。今回は私が対応しましたが、元々SNSの人が転載を訴えている件なので、今まで問題が残っていて、問題の大きさを感じた次第です。--Taisyo会話2019年8月20日 (火) 12:27 (UTC)[返信]

どのように記述するのが正解なのか

ノート:CSI:マイアミにも記載しておいたのですが、主人公のホレイショ・ケインがドラマの中でかけているサングラスの記述についてです。一応、このドラマのストーリーでは、サングラスは「偏光レンズ」となっているのですが、記事の脚注部分には、「実際に撮影で使われている物は偏光レンズではない」と書かれています。気になったのでインターネットで調べてみたところ、サングラスを提供したと思われるsilhouette社のホームページを見つけました。すると、Silhouetteのホームページにある「よくある質問」を見ると、モデル8568を着用し、グリーンの偏光レンズを使用した。との記載がありました。この場合、記事にはどのように記述すべきなのでしょうか?--呼び出しリモコン会話2019年8月18日 (日) 06:57 (UTC)[返信]

ソーシャルゲームの記事で非常に多数のキャラの一覧を掲載する是非について

いわゆるソーシャルゲーム(厳密には主にスマートフォン向けのアプリゲーム)は、ルートボックスによりキャラクターを入手していくことが特徴的ですが、そのキャラクター数が数十から数百あるいは1000以上に及ぶ作品も少なくありません。そのような作品の記事において、「登場人物」節や「〇〇の登場人物」分割記事に全キャラクターを記載することの是非について、ご意見をお聞かせください。なお、Wikipedia日本語版の現状として、ゲーム分野ではキャラクターに限らず記述の過剰な傾向が見られるため、幅広く予断ないご意見をいただくために、ウィキプロジェクトではなく井戸端に投稿しました。

  1. ゲーム作品の数十から数百以上に及ぶ登場キャラクターをすべて記載することは許容されますか。許容される場合、何人まで許容されますか。
  2. キャラクター別に声優やイラストレーターが当てられている場合、上の判断に影響しますか。あるいは、声優やイラストレーターを記載するために全キャラクターを列挙することは妥当ですか。
  3. ゲーム自体もしくはキャラクター別に原作が存在する場合、上の判断に影響しますか。あるいは、原作を記載するために全キャラクターを列挙することは妥当ですか。

参考として、以下に関連すると思われる方針やガイドライン等を挙げます。

以下は関連する(かもしれない)過去の議論です。長すぎるという意見は出されたことがあるようですが、列挙そのものの是非についての議論があれば、教えていただければ幸いです。

コメント すみませんが、いくつか具体例を挙げていただけますでしょうか。キャラクター名を全てを列挙する必要はないと思いますが、結局のところ程度問題ですので具体例があった方がわかりやすいかと思います。--たびびと551会話2019年8月20日 (火) 07:33 (UTC)[返信]

  • 一番酷い例として『けものフレンズ』の例で言うと、ゲーム開始時入手の『サーバル』やチュートリアル報酬の『アフリカニシキヘビ(アカニシ)』『ニホンカワウソ』『タヌキ』を例に挙げる位で、後はバッサリ切っても良いんじゃないかと思います。キャラクター部分だけを見ての感想ですが。
スクールガールストライカーズ』のようにストーリーに密接にかかわるなら、数十人以上いても構わないと思いますが、ただの名簿としてしか表現できないようなキャラは、開始時報酬やチュートリアル報酬のキャラを例示として挙げるだけで、それ以上は過度じゃないかと思います。
  1. 数十人以上のキャラを記載する事を許容できるか?
    →ストーリーに密接にかかわり、『文章で説明できる』(当然ながら『レアリティが○○で~』みたいな記述は含みません)なら有り、表でしか記述出来ないならNG、という感じでしょうか。
  2. 声優や絵師の存在は影響するか?
    →『その声優や絵師が参加している事自体』に特筆性がある場合を除き、影響しないと考えます。例え主役クラスの常連な声優さんや、ミリオンヒットを連発した漫画家さんが担当していたとしても、『担当した事自体』に特筆性がないなら影響しないかと。
  3. 原作などの存在は影響するか?
    大乱闘スマッシュブラザーズXのような場合なら影響すると思います。これは、『その原作のキャラが参加していること自体』に特筆性が有ると考えるからです。
以上、僕の私見を述べさせていただきました。ただ、除去する場合には、事前に当該記事のノートにて合意を得てからでないと、『除去の強行』として差し戻される可能性が高いので、そこで説得できるかが難しい所かなと思います。(そうでなければ、とっくに除去されていると思いますので)--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月21日 (水) 19:37 (UTC)[返信]
コメント一般的に主役級の登場人物が多いフィクション記事の場合、登場人物節が長くなりがちなので、積極的に「〇〇の登場人物」という記事に分割して記述するべきでしょう。何人なら許容とか人数の問題でなく、記事のバランスの問題になります。--Afaz会話2019年8月22日 (木) 03:20 (UTC)[返信]
  • 返信 お三方におかれましては、お答えいただきありがとうございます。特筆性なきキャラクターを全列挙することはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触するという見解をいただきました。もう一つ伺いたく存じます。
  • 4. ゲーム系を中心に、メディアが声優やイラストレーターに言及することは一般的です。その中で特筆性ありと判断するためには、単に「○○(キャスト:□□)が参戦」とか「●●(キャラデザ:■■)が実装」という言及では足りないという意味ですか。--メリース会話2019年8月27日 (火) 06:00 (UTC)[返信]
  • コメント久々に井戸端を見ましたら気になる議題がありましたので所見をば。キャラクターが多いから記事のバランスを欠いて問題なのか、キャラクターに特筆性がないから除去すべきかは別問題であると考えられます。例えば例示された中でプリンセスコネクトと艦これはプレイした経験があるので具体的な話ができるのですが、プリンセスコネクトであれば各キャラクターの個別のコミュニケーション、さらに参加するイベントなど記述の余地があり、声優が誰か、いつ実装したか以上の発展性が見込めます。艦これはゲーム性から考えて時間に合わせて少しセリフをしゃべるなどでストーリーなどの記述はできず発展性に難があります。当該記事でキャラリストに対して議論をした覚えもあります。以前から私はリストを羅列するだけのものが百科事典として記事の解説に寄与するものなのか懐疑的な立場をとっているのですが、裏を返せば羅列するだけでなくちゃんとそれぞれに対して解説するべきであるという考えがあるからです。解説できる、記事の発展性の余地があるものをリストであるから除去すべきとなるのであればそれは拙速であると考えます。艦これに関してもアニメの方であれば記述は可能であるとしてアニメ記事が独立した際にキャラクターの個別の説明の余地が生まれました。例示された中では刀剣乱舞も同様の余地があるように見受けられます、けものフレンズなんかはすでにそうなっていますか。--はぬまん会話2019年8月28日 (水) 19:23 (UTC)[返信]
  • コメント (追記)以前の議論してた際にも失念していたのですが艦これは資料集が発売されており独自研究に寄らない記述の余地があります。リスト化に批判的なのはこういった記述の発展の余地を奪っているのもあります、まして艦これのように3回も個別に声優別などと分ける必要性があるかは疑問が否めません、兼役がそこまで作品の重要なファクターを占めているとは考えられませんし。他のソーシャルゲームなどでも、資料集などが発売されるほどでもない作品は名前を並べ立てるしかないケースはまま見受けられますが、逆に十分な検証可能素材があるのに並べ立てられているものは、ただ編集者の手が入っていないだけの発展の余地があるものと判断できます。--はぬまん会話2019年8月29日 (木) 11:11 (UTC)[返信]
  • 返信 (はぬまんさん宛) ご意見ありがとうございます。プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述《作品記事中の登場人物や設定節はあくまで作品解説の一手段であり、作中要素の設定を個々に解説することが目的ではありません》と述べています。これは作品記事についての規定であり、登場人物一覧記事に分割する場合は《作品記事と違い登場人物等を個々にリストアップすることが目的となるため、作品記事では触れられなかった事物にまで言及することができます》とあります。一方で、作品記事の中で《作中要素の解説を目的とした記述(中略)を見つけた場合は肥大化した記述を分割するのではなく、まずは本来の目的に戻って記事内容を整理するように努めてください》ともあります。ソーシャルゲームの性質上、多数のキャラクターを個々に解説すると記述が肥大化する可能性が高くなります。そこで伺いますが、キャラクターの一覧を記述するなら、作品記事と登場人物一覧記事のどちらがふさわしいとお考えですか。--メリース会話2019年8月30日 (金) 03:05 (UTC)[返信]
  • コメント 可読性の観点で見れば肥大化したものは望ましくないため登場人物一覧記事の方がよいかと考えます。ソーシャルゲームに限らず登場人物が多いような作品、例えば「銀河英雄伝説」などのように分けられているのはおかしいことではないでしょうし、往々にして言えることですが作品の解説に必要な人物のみを記載するとなると必要最低限になりすぎる傾向が見受けられます。また、記事の整理の際にトラブルになりやすく、作品記事で最低限に、人物一覧記事で詳しくといった形の方が採用されやすいとも考えます。逆説的に、一覧記事が成立しないようなただ名前を並べるしか書きようのないものはそれそのものの必要性に乏しいということでもあるかと考えられます。もちろんただ一覧だけになっているからいらないというものでもありませんが。--はぬまん会話2019年8月30日 (金) 05:00 (UTC)[返信]
  • 返信 (はぬまんさん宛) 2点の確認と1点の質問をします。
  • 「作品の解説に必要な人物のみを記載するとなると必要最低限になりすぎる傾向が見受けられます」とのことですが、「作品の解説に必要な人物のみを記載する」のはウィキペディアのガイドラインに定められた方法です。「必要な人物」をすべて記載すれば「必要最低限」を満たすはずで、問題はないと思います。
  • 『銀河英雄伝説』は大作であり「必要な人物」のみを記載しても分量が多くなるのはやむを得ないと思いますが、ソーシャルゲームの中には大作でもないのに登場人物だけが多いというものもあります。「必要な人物」の数は作品の重厚さに比例しますが、登場人物の総数には比例しないと思います。
  • 「ただ一覧だけになっているからいらないというものでもありません」とのことですが、「ただ一覧だけになっている」ようなキャラクターの一覧を記載する場合、作品記事と登場人物一覧記事のどちらがふさわしいとお考えですか。--メリース会話2019年8月31日 (土) 03:12 (UTC)[返信]
  • コメント 1点目ですが、申し訳ありません、逆に確認せねばならないことがあります。「作品の解説に必要な人物のみを記載する」とはどのガイドラインにて定められたものでしょうか?まして「必要な人物」という編集者の見解によって意見の分かれかねないものを基準とし、「のみ」という強い文言を使われるのには違和感を感じます。ガイドラインを議論で持ち出される場合は具体的にどのガイドラインでの文言を指しているか示すべきです。おそらくはプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述でのことを大まかにおっしゃられているのだと思うのですが、Wikipedia:過剰な内容の整理は「『銀河英雄伝説』は大作であり「必要な人物」のみを記載しても分量が多くなるのはやむを得ない」とおっしゃるように作品によってそれぞれ異なる面があり運用の仕方が一律にできない点が挙げられます。一覧記事が話に出ていたので意識として作品記事と一覧記事が存在した場合、作品記事にも最低限登場人物に対する言及を残すべきというプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述#分割の際の注意を前提とした言い方になっていました。得てしてこのスタイルになっている記事は主人公とヒロインぐらいしか書かれていないものが多いのです。
  • 2点目。「大作でもないのに登場人物だけが多い」。逆説的に何が大作だから許容していいのかという判断材料に欠きます。さらに作品が成長し大作と見られるような規模に後々なったとしてもそれを編集者の裁量で扱えるものではないように思われます。そのため、記述の発展性の見込みといったことを理由としています。例えるならば、モンストなんかではプレイヤー数でいえばソーシャルゲームでも圧倒的な数を誇り、その圧倒的なプレイヤー数があればこそ支えられるキャラクターの豊富さを特徴として記載する、という観点も持ちえます。大作であるから良い、大作でないからダメというような権威主義的な判断基準は交えるべきではないでしょう。
  • 質問に対して。経験として、一覧でしかないものは不要とぶち上げて大変な反発を受けたことがあります。それを踏まえルールで規定して消せるようなものとするのはガイドラインなどの運用とコミュニティの実態にそぐわないものとなるのではということで最後に「ただ一覧だけになっているからいらないというものでもありません」と付けました。質問そのものに答えます、作品記事に記載されるべきでしょう。発展していない、発展の余地がない以上一覧記事を分割するのは記事としての独立した特筆性を担保していないように考えられます。--はぬまん会話2019年8月31日 (土) 10:00 (UTC)[返信]
  • 返信 (はぬまんさん宛) 1点目について。「作品の解説に必要な人物のみを記載する」とはプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述の言う《作中要素への言及はその作品の概要を理解する上で不可欠なものに絞り》の規定に基づいています。WP:NOTを鑑みても「作品の解説に必要な人物のみを記載する」のは当然です(人物は作中要素の一つです)。必ずしもすべてのキャラクターを記載する必要はないという意見が、上でお二方から出されています。
  • 2点目について。私は一般的なソーシャルゲームについて質問したのですが、『銀河英雄伝説』という誰もが認める大作小説とは判断基準が異なるのではないかと思います。ただ、どれが大作でどれが大作でないかと、大作の定義を決める必要はありません。作品ごとに必要な文章量は異なりますから、個別に議論して決めれば良いでしょうし、作品が成長すれば改めて決めるべきでしょう。
    • 「記述の発展性の見込み」があるのに「ただ一覧になっている」状態を作り出したのが問題の始まりで、一覧作成者には最初から有意義な一覧にする責任がありました。そのような一覧の存続を主張する人にもその責任の一端があるように思います。「発展性が見込まれ、いつか誰かが編集するだろう」と主張するだけでは存続の理由とならないでしょう。参考として、本議論は独立記事作成に関するものではありませんが、Wikipedia:独立記事作成の目安#特筆性は一時的なものではないというガイドラインもあります。
    • 「モンストなんかでは(中略)キャラクターの豊富さを特徴」とするならば、そのような一文をもって「キャラクターの豊富さ」を説明できると思いますが、実際に多数のキャラクターを列挙する必要はあるのでしょうか。
  • 3点目について。反発を受けたとしても、方針ガイドラインに沿った議論をすれば、最後には正しい結論(存続or除去)が導かれるでしょう。方針ガイドラインに沿わず感情論で反発する方がいらっしゃれば問題ですが、議論前から心配することはありません。確かに、上で「そこで説得できるかが難しい所かなと思います。(そうでなければ、とっくに除去されていると思いますので)」という意見も出ましたが。--メリース会話2019年9月1日 (日) 09:00 (UTC)[返信]
ここまでの議論を読みましたが「登場人物」の記載方法というものをみなさん十把一絡げにされているように思います。たとえば、けものフレンズの現状の記法は、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」の定めるところではなく、これは単純なデータベース的な記述と認識すべきものであると存じ上げます。もちろん、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」がありますが、全体的なバランスを考えていけば、データベース的な部分があること自体は、それ単体では問題視されえない。そうした記法でなりなっているものと、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」の範疇にあるような、ごくごく一般的な登場人物記事を一緒くたにするのは無理があるように思います。
いちいち、キャラクターの個性がなんだ、メインストーリーにおける活躍はなんだと、記載するだけの価値があるゲームなら、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」などに従って書けばよいのではないですか。一方で、艦これや刀剣乱舞、けものフレンズのように、元になる何かがあって、一覧化することに価値があるなら、(もちろん、他節での社会的影響や評価なども記載した上での記事全体のバランス踏まえて)データベース的に記述するのも妥当ではないですか。特にこの3種なら社会的評価も含めて記事全体のバランスを取ることは容易いと思います。
あとまあ、銀河英雄伝説が例題に挙がっておりますが、それだって正直微妙なものが多く、銀河英雄伝説の歴史上の人物に歴代皇帝の記載があるのは、ホント、ウンザリするほどの低質であって、大作だったら、どうでも良いキャラの記載も許されるなんてことも無いと申し上げておきます。 --EULE会話2019年9月1日 (日) 11:39 (UTC)[返信]
  • 返信 (メリースさん宛) 1点目。論拠となる文章を確認しましたところ、続く文章の締めに「好まれます」という言い回しを用いられています。推奨するものではありますがメリースさんのおっしゃるような「のみ」という制限するような文章とはなっていません。WP:NOTはアバウトな面がありますのでフレキシブルな運用が可能ですが逆説的に何でも一律に運用できるものではないと既に触れているかと思います。
  • 2点目ですが、どうにも議論の噛み合わなさを感じるのですが。すでに申しております通り私はリスト化して並べ立てられているだけのものに対しては批判的です。かっちりした表として作られると発展の機会すら奪われると。新キャラクターが増えるたびに伸びるだけの表に発展性があるとは考えません。しかしどれだけそのような形式を批判したところで実際的にそれぞれの記事の編集者が実作業をし、どのような記述がいいかと合意をするのです。ルールを規定するばかりで現実的な編集者各々の意向を無視するのでは実態に即していないように思えます。それゆえこれまでもただ消せばいいというものではないというスタンスを繰り返しておりました。3点目にもつながりますが、プロジェクトの議論に誰しもが参加しているわけではないのですから。
  • EULEさんのデータベースに対してですが、すでに申しておりますようにデータベースでしかないもの自体に批判的な立場なわけです。銀河英雄伝説を持ち出した私ですが、これも自体に即していない例の一つであると思います。ざっと見ただけでも実作業を考えると頭の痛い状態になっていますから。経験談で失礼しますが、機動戦士ガンダム THE ORIGINで、それこそ過剰な加筆、独自研究が行われ、あまりの量に実作業を断念したことがあります。安易に消してしまえで終わる話ならば楽なものですが、消していいか残すべきかの判断は内容によって精査すべきで、発展性の有無などの判断などの話にもつながってくる話かと思います。脱線失礼しました。--はぬまん会話2019年9月1日 (日) 16:53 (UTC)[返信]
  • 返信 (EULEさん宛) ご意見ありがとうございます。私の発言について誤解のないように補足いたします。私は「どんな場合でも全キャラクターを記述してはならない」とは考えておりません。「作品の解説に必要な人物のみ」というのが全員を指すならば、全員を記述すべきです。「作品の解説に必要でない人物」なら記述する必要はない、というのは言うまでもないでしょう。特に本件の議題である、キャラクター数の非常に多いソーシャルゲーム記事においては、肥大化を防ぎ可読性を保つために記述内容を整理することは重要と考えています。
  • 「キャラクターの個性がなんだ(中略)と、記載するだけの価値があるゲームなら、「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」などに従って書けばよい」とのご意見については私も同感ですし、本件議論の参加者で反対する方はいらっしゃらないでしょう。一方で「艦これ(中略)のように、元になる何かがあって」も必ずしも「一覧化することに価値がある」とは言えず、一覧化する以外の方法で作品自体を解説するほうが適切な場合もあるのではないか、というのが本件議論を提起した動機です。
    • 個々の記事について議論するつもりはありませんが、例えば『艦これ』なら、すべての艦娘を記載しなくとも「艦娘とは、軍艦を少女に擬人化したキャラクターであり、駆逐艦や戦艦など多数の艦娘が登場する」ということを艦種や何人かの艦娘を例示しながら説明することもできるのではないか、228体に及ぶリストを提示しなければ理解できない要素はあるのか(先日のアップデートでさらに増えたけれども、新たな艦娘をも逐一追記していかなければ理解できなくなるのか)、ということを疑問視しています。
    • なぜ疑問視するのかというと、この種のゲーム作品は他種のゲーム作品と比較して、ルートボックスの景品という都合により作品(シリーズ)の規模に比してキャラクターが非常に多数であり、『艦これ』なら「艦娘」という端的な括りがあって一括で説明しやすく、典型的な作品ではキャラクターは「登場人物」というより「戦闘ユニット」であり、物語の本筋に全員が関わっているわけでないという意味で「モブキャラ」にも近い、という「キャラクターの重要性」にも関わるこの種のゲーム作品特有の諸事情があると考えるからです。もちろん、ソーシャルゲームだから、ガチャのキャラクターだから、一覧は必要ないと主張しているわけではありません。
    • 「データベース的な部分があること自体は、それ単体では問題視されえない」とのことですが、本件の議題においては、記事中のデータベースとしては数量が過剰なものもあるのではないか、とも感じます。
    • なお、登場人物の記述が肥大化する場合、削減を検討・実施してもなお必要なら登場人物一覧記事に分割することを私は否定しません。ただし分割を前提とはしないわけですが。
  • 『銀河英雄伝説』のような大作であっても、いや大作であるからこそ登場人物も多くなる傾向にあり、どの人物を記述すべきかの選別は必要と思います。
  • 返信 (はぬまんさん宛) 1点目について。いえ、日本語の問題なのですが、「作品の解説に必要な人物のみ」でないとすれば「作品の解説に必要な人物以外」すなわち「作品の解説に必要でない人物」も含んで良いというご見解でしょうか。フィクション作品の登場人物に限らず、Wikipediaのあらゆる記事において「記事主題の解説に必要でない記述」は不要と私は考えているのです。登場人物を全員記述するのは、それが作品の解説に必要だからではないのですか。例えば「データを集めたいから」という動機は、アバウトではなくWP:NOTに真っ向から対立すると思います。それと、WP:NOT「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」の文言が「好まれる」だから強制ではないとして従わなければ、方針に同意する多くの利用者に「嫌われる」のではありませんか。
  • 2点目について。私は本件について既存のルールが適用可能と考えており、新たなルールを策定するつもりはありません。私は現在「不適切かもしれない登場キャラクターの一覧」に対処する実作業を予定しており、どのような形にすべきかコミュニティの見解をいただくため、井戸端に本件議論を提起しました。実作業の前に個別のノートページにて変更内容を提案する予定ですが、個別要素の「必要・不要」という議論は平行線になりやすいので、一般論として広くコミュニティの見解を得られれば合意形成しやすくなると判断しました。
  • 「現実的な編集者各々の意向」とは、方針を顧みずに編集し、感情論で反発するような人がいるという意味でしょうか。そのような人はただ方針を知らない(読んだことがない)だけで、丁寧に説明すれば納得してもらえるでしょう。また仮に反発されても、方針やガイドラインに従った複数の利用者による見解を容易に覆すことはできないでしょう。反対されること自体を私は心配しておりません。--メリース会話) 2019年9月2日 (月) 07:43 (UTC)(参照文書の間違いを修正--メリース会話2019年9月3日 (火) 03:34 (UTC)[返信]
  • コメント EULEさんの登場人物かデータベースかの話で、前者はプロジェクト合意に基づいて記載することに同意しますが、後者については反対します。上で申し上げた通り、WP:NOTGUIDEには「武器やアイテムなどのゲーム中に登場する要素をリストとして記載することは特筆すべきものを除いて避けてください。」と記載されております。けものフレンズの一覧はこれに明確に反します。野球ゲームで野球選手のパラメータ等を載せた表を作らないのと同様です。一方で、例えばゲーム内のファン投票の結果として上位のキャラの一覧のような「特筆すべきもののみを載せた表」の記載は問題ないと思います。
  • 次に「表は載せない」ことにここでは大方の人が賛成している通り「正論」であるでしょう。しかし、正論が必ず通るわけではありません。私もはぬまんさんと同様、いきなり個別のノートで議論に掛けても表の除去の合意が得られるとは思えません。表を作るのも労力がかかるのでこだわりがある人でないとできません。こだわりを持つ人に大上段に正論を吹っかけても反発を食らうだけです。故に表を除去するという目的を果たすためには丁寧な手順が求められます。規模の大きいゲームのノートページに告知した上でプロジェクトでルール策定の議論を行う。そのうえで個々のゲームのノートページでルールに基づいた編集を行うための合意を得るの二段階必要と私は思います。この辺は他の方の意見も伺いたいところです。--たびびと551会話2019年9月3日 (火) 19:41 (UTC)[返信]
  • 返信 (たびびと551さん宛) ここは井戸端なので多少フランクに話し合える場所ですが、議論は喧嘩を仕掛けるものではないので「正論を吹っかける」「反発を食らう」との表現には違和感を持ちます(WP:BATTLE)。ところで、私が現在作業を予定しているのは、上に挙げたようなプロジェクトの広範囲に渡る作品記事群ではなく、私がこれまで執筆してきた「ある1記事」です。その記事にある登場人物一覧表も私が現状の形にしたものです(表そのものは初版からありました)。また、一覧部分をきれいに除去するわけではなく、内容を削減するに留める予定です。すでにWP:NOTを始めとする複数の方針やガイドラインに定めがあり、この井戸端でも大筋同意されている中で、さらにルールを追加する必要はあるのでしょうか。
  • 余談かもしれませんが、成功事例としてプロジェクト‐ノート:ポケモン#このプロジェクトの指針はスタイルマニュアルに沿っていないを挙げます。かつてすべてのポケモンに個別記事が存在しましたが、特筆性を有するような記事はピカチュウなどごく少数に限られていました。同議論ではその状況を黙認・追認するコミュニティ(プロジェクト)自体に問題があるとされ、ポケモンの個別記事のほとんどがポケモン一覧以下に統合され、プロジェクトの指針も改定されました。その間、プロジェクトのメンバーはほとんど議論や作業に参加せず、プロジェクト外の有志が主導してこの大事業がなされました。私はこの事例が、Wikipedia日本語版の歴史に残る英断と思っています。つまり何が言いたいのかというと、やればできるということです。--メリース会話2019年9月6日 (金) 03:14 (UTC)[返信]
  • コメント 本当にただのコメントにありまするが一意見。先ずソーシャルゲームに於いて新規キャラクターを増やす目的は何よりも「売上を伸ばすため」にあります。則ち売上が思わしくなければ新キャラクターはどんどん追加されていくわけであり、延々と詳述することと商業目的は「射幸心を煽る」という点で近しいものがあると考えられます。また少し考えてみればわかりましょうが、例えば「ソーシャルゲーム百科辞典」なる本があったとして、全ゲーム毎にキャラクターやら武器やら一々列挙していては可読性が悪化し売れるものも売れなくなります(しかも「売上を伸ばすため」とあらばキャラが増えるので、紙媒体では即座に陳腐化します)。さらに各キャラクターは高度に個別化されており(要するにプレイヤー1人1人が個々に入手して延々育成しないと完全なデータが得られず、かつデータ公開は憚られている)、当然個々人で入手・育成するためキャラクターに対する編集者の中立性は十全に保証されておらず、従ってその記述に信頼できる情報源による裏打ちがあるとは全く言えません。
    扠、今一度ウィキペディアは何であるかを考えましょう。ウィキペディアはアイドル年鑑ですか?攻略サイト/情報サイトですか?ファンサイトですか?全く違います。その判断ができず削減できないまま延々と列挙するというのは統制が取れておらず「情報の肥大化を避ける」という話以前の問題です。個人の意見を言わせていただければ、"仮に未プレイの方がGoogleで検索して、公式サイトや動画サイトや攻略Wikiなどではなくウィキペディアに来訪したとするならば、その人は何をウィキペディアに求めているのか"と考えれば、「サービス中のゲームは公式サイトに露出していないキャラクターへの言及を避ける」とすべきやもしれませぬ。
    更に言うと、あらゆるソーシャルゲームの公式サイトは同時に広告サイトでもあり、編集者がプレイヤーであると想定すれば高度な内容言及はネタバレプロモ活動に含まれまするので、原則に従えば「登場キャラクターに実在する刀剣(陸奥守吉行など)を用いているのが特徴である[1]」「キャラクターは全て実在の動物(サーバルキャットなど)をモチーフにしている[2]」程度の記述以上の一切を(一覧も)削除すべきだと、憚りながらも愚考致します。
    ただ、締め付けをキツく考えてしまうと上述ポケモンずかん等との線引きが難しい上、今度は各記事およびその編集者にそれを遵守させられるのか(反動が起きやしないか)という問題がありまして、おそらくこれも正しい答えではないでしょう。よって、真に失礼ではありまするが、一編集者である小生にこの見立てはできず、拠ってコメントとさせて頂きます。恐惶謹言。--力在領域会話2019年9月11日 (水) 18:29 (UTC)[返信]

返信 コメントありがとうございます。個々の編集者の意図は我々に知りえないので、一覧化が宣伝的と述べることは控えますが、キャラクターについて中立的で検証可能な列挙のできない場合があることは同意します。--メリース会話2019年9月12日 (木) 13:27 (UTC)[返信]

音楽グループのMVやライブ映像(YouTube公式チャンネル)へのリンクを曲やライブの記述ごとに貼り付けるのは適切か

複数の音楽グループの記事において、Music Videoやライブ映像の動画リンクを、楽曲ごと・ライブごとにそれぞれ貼り付けるという編集が散見されますが、これは適切な編集と言えるのでしょうか。動画はYouTubeで当該グループの公式チャンネルのものですので、著作権に問題はないという前提です。その前提で、多数ある楽曲ごと、ライブごとにそれぞれの動画リンクを貼ることが適切な編集と言えるのでしょうか。私はこれまで、実在する多くの記事から、このような編集は不適切で、記事末尾の外部リンクの節に公式YouTubeチャンネルのTOPページへのリンクをひとつつけるだけで充分と考えておりました。しかし、実際にWP:!WP:ELを読んでみると、これらに示されているガイドラインのどこを拠り所に不適切であると説明できるのか、よくわからなくなってしまいました。あるいは不適切というのは私の思い込みで、適切との理解が出来るものなのでしょうか。 そもそも音楽グループについては「プロジェクト:芸能人 #記事の書き方」において、「ライブ・イベントの出演歴についても全てを掲載する必要は無い。それらについて信頼できる情報源により内容や重要度を精査および担保すること無く掲載することは避ける。特に、単発出演や無料で行われたライブ・イベントについてはその点注意されたい。」と注意されておりますので、これに従い掲載しないライブについては、当然その動画リンクも不要となるわけですが、ここではその点はさておき、全て記載するだけの特筆性がある楽曲・ライブであるという前提で、動画への個別リンクが適切であるかどうかについてご意見・ご助言頂けますと幸甚です。どうぞよろしくお願い致します。--SakaiasiR会話2019年8月20日 (火) 17:32 (UTC)[返信]

コメント 本来的に記事中に必要なのは「動画ライブそのものに於ける『一方的にアーティストおよびファンの見地に立たない客観的視点からの(WP:POV)』特記すべき事項の文章解説(WP:NN)」であり、ぺたぺたとライブ映像そのものを貼付するのみで解説を従とし主をライブ映像への誘導、視聴回数の増加へ主眼を置いているのであれば『 ファンの利便性を優先しウィキペディアをアーティストの利益誘導に一方的に利用している(ウィキペディア側に何も利得がない)目的外利用そのもの(WP:BLOCK#宣伝・広告投稿、目的外利用) 』ですから、そんな『些事』でしかない動画リンクはいちいち要らないです(WP:NOTCHANGELOG)。ですが、例えばライブ中に何らかの(例えば日本初の○○会場利用、世界初の○○都市でのライブ開催、アーティスト初の観客動員数○○人達成など)特筆性が発生したことが記事中に文章解説として「ライブ映像とは別の出典で」示されているのであれば(WP:ABOUTSELF)、それは外部リンク節にリンクすべき「読者の理解一助足り得る」リンクになるでしょう(WP:EL)。
解説を主とする方向性で考えるならば、アーティストは通年でのライブ・イベント開催を行い収益を得て知名度を広げることが活動主軸に含まれるのですから、イベントごとにそれらへの大量同時同列直接リンクに貼付する行為は読者にアーティストのそれまでの活動で「特に」「どれを」重視すべきかを分かりづらくさせ、混乱を呼び込む悪手になっているものではないかと考えます。
個人的には、これから新たにそのアーティストのファンになろうとする方(読者)に「全部重要だから全部見ろ、そうしなければファンになれない!!」と既存ファンの立場から強弁し記事内容もそれそのように大量列挙した場合、多くの方は『あまりにも面倒かつ膨大な時間を要する長時間「作業」に直面することから』ファンになることを諦めて(ウィキペディア上から特に求めるべき過去作品を知ろうとすることそのものを中断して)しまうのではないでしょうか。こういった観点から考えると、アーティスト側にせよ既存ファン側にせよ、新規ファン開拓を失敗させる悪手にも成り得、一挙両となっているかもしれない、と思いますし、作品のライブ映像群は公式サイトや公式販売サイトで網羅されているのだから「同じモノを漫然と何度も見せる行為、かつ確実に公式サイトより劣化した状態で提示される劣化コピー」でしょう。
ですので、過去作品一覧や各ライブ映像の提示誘導その他は公式サイトに任せ、ウィキペディアではウィキペディア上でしかできない、多種大量の出典を元にした中立的解説を提供する方向に集中した方が良い、と思います。ウィキペディア上でどんなに頑張っても、公式サイトを全て完璧に模倣できるわけがないのは自明ですから、そんな無駄で無意味な方向性を選択し貴重な編集時間を徒に浪費する必要はない、公式サイトから閲覧数を奪おうと躍起にならず、ただ同じ主題に関する別内容を提供することで棲み分けすれば良いとも。--Nami-ja [会話 履歴] 2019年8月21日 (水) 21:45 (UTC)[返信]
コメント 著作権者によるYouTubeに投稿された楽曲はWikipedia:外部リンクの選び方のいう「一般的にリンクしてよい」ものの2番、「楽曲・書籍・その他メディア作品についての記事の場合、#掲載すべきでない外部リンクに抵触しないのであれば、その作品を掲載しているサイトへリンクすべきです」に該当しますから、不適切とは言えません。--Afaz会話2019年8月22日 (木) 03:07 (UTC)[返信]
コメント Afazさんのおっしゃる通り、楽曲の記事においては楽曲の動画があるならリンクしていいでしょうね。しかし、「ギター」のページにおいては、ギター奏者やギターメーカーのサイトは、それが公式のものであっても、これらの外部サイトへのリンクを置くべきではありません。個別のギター奏者やギターメーカーの記事にならば、これらのサイトへの外部リンクを含めることができます。ただし、これらのサイトがギターの歴史や製造方法などについて検証可能かつ信頼の置ける記述を行っているなどの場合にはその限りではありません。というのがどういう意味合いで設けられたガイドラインなのかにもよりますが、ミュージシャンの記事に個別の楽曲のリンクを張るべきではない、という考え方もできる気がします。ミュージシャンの記事にはミュージシャンのチャンネルのリンク、楽曲の個別記事には楽曲の個別動画のリンク、これが一番シンプルでわかりやすいのでは? まあ、シンプルなやり方でないとしても、公式動画なのであれば無理に剥がすことはないと思いますが。--Rasalghul会話2019年8月22日 (木) 03:25 (UTC)[返信]
なるほど。それが良いかと思います。--Afaz会話2019年8月22日 (木) 03:41 (UTC)[返信]
  • 音楽グループにとってそのグループがリリースした楽曲はそのグループの活動の経緯などを百科事典的に解説する上で欠かせないものですし、昨今ではミュージックビデオなどもそのグループについて専門的に言及がなされる上で話題に上がる比率も高まっているような印象もあり、公式動画へのリンクは有益であると思います。楽器のギターの記事において、数多と存在する内の特定のギター奏者やギターメーカーサイトを選んで掲載するのとは若干話が違うような気もします。--Miraburu会話 / 投稿記録 2019年8月22日 (木) 05:27 (UTC)[返信]
コメント ミュージックビデオなどが専門的に言及されているので参考としてミュージックビデオそのものを示す、ということであればまさに「ただし、これらのサイトがギターの歴史や製造方法などについて検証可能かつ信頼の置ける記述を行っているなどの場合」に当たるのですからリンクした方がいいのは当然では? 今はそういう場合以外(ディスコグラフィーにある楽曲全部の動画をリンクするなど)の話をしているものと思いましたが。--Rasalghul会話2019年8月22日 (木) 05:42 (UTC)[返信]
ディスコグラフィーなどの中でも公式のMVがある楽曲は限られていると思いますし、全て記載するだけの特筆性がある楽曲・ライブであるという前提なのであれば置いておいても損にはならないと思います。--2019年8月22日 (木) 06:13 (UTC)

「分かる人が入れば是非追加してください。」という書き込みは適切か?

津沢夜高祭りのページで73952688の版に、「分かる人が入れば是非追加してください。」という書き込みがあったのですが、これは適切なのでしょうか?(節スタブは既にあります)

もし不適切というのであれば、どの方針あるいはガイドラインを根拠とすれば良いのでしょうか?

ご意見、お願いします。--Meauk会話2019年8月23日 (金) 05:12 (UTC)[返信]

私はダメだと思います。極端なことを言えば、Wikipedia:五本の柱の「ウィキペディアは百科事典です」に抵触するという見方もできます。百科事典の本文にそんなこと書いてあったら変ですからね。まぁ、繰り返しになりますがこの私の意見はかなり極端でしょう(相手方が納得してくれない可能性あり)。--610CH-405会話2019年8月23日 (金) 05:26 (UTC)[返信]
なるほど、ありがとうございます。--Meauk会話2019年8月23日 (金) 06:09 (UTC)[返信]
コメント 気持ちはわからないでもありませんが(私も誰かに加筆してもらいたいことは山ほどある)、問題の書き込みに関してはいくらなんでも手続き的にはダメでしょう。この場合は {{節スタブ}} を使うか、スタブの範囲を超えた場合は加筆依頼を使うことが望まれます。あるいはノートページを使うということも考えられるでしょう。当該利用者はおそらくWikipediaの編集に不慣れな可能性が高いので、うまく案内できればと考えます。—Senatsuki会話2019年8月23日 (金) 10:23 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。一応、その利用者に対して会話ページで案内をしてみました。--Meauk会話2019年8月23日 (金) 10:34 (UTC)[返信]

入門記事(英語版においてintroductionから始まる記事)の日本語版について

現在、en:Introduction to general relativityを翻訳した記事、一般相対性理論の概説に削除依頼が出されています(Wikipedia:削除依頼/一般相対性理論入門) これについて意見がほしく書き込みました。また、今後の進展含めどのような対応をしていけばよいのか助言がほしいです。--訳由美子会話2019年8月25日 (日) 03:58 (UTC)[返信]

過度に連続投稿するユーザーへの対処について

表題の件について先行する議論にWikipedia:井戸端/subj/モバイル編集、モバイルウェブ編集ユーザーによる連続投稿はどこまで許容されるのかがあります。この議論では結論として1回何件までの連続投稿は許容範囲、それ以上はダメといった基準は定められておりません。

ですが、本日あるIPユーザーによりハンドボールのページで現時点で約17時間に渡って200近い版が作成されております。この間には別のユーザーの誤認による差し戻しと私のその取消以外は全てIPユーザーによるものになります。全部確認したわけではありませんが、このIPユーザーによる編集は荒らしや悪戯といったものではなく通常の編集といえるものです。ですので、私はこのIPユーザーに{{一括Preview}}を貼りましたが、管理者伝言板への報告はしておりません。しかし、会話ページに特段の応答もなく、現在も連続投稿は続いております。個人的には、一定の連続投稿は許容範囲ですが、半日以上かけて絶え間なく投稿を続ける行為はやりすぎと思います。このようなユーザーに対してどのように注意して改善してもらえるようにすれば良いのでしょうか。--たびびと551会話2019年8月27日 (火) 10:16 (UTC)[返信]

圓成 (talk/history)と申します。1か月ほど前、南カリフォルニア大学において同様に1日50件の編集を4日ほど繰り返していた利用者の方がいました。その利用者の方の会話ページには何度も{{一括Preview}}が貼られていましたが連続投稿の改善はありませんでした。そこで当該のページを保護依頼にかけ、その旨を伝えたところプレビュー機能を利用するとの返事が得られ、連続投稿は改善されました。まずは半保護を依頼してみてはどうでしょうか?
たびびと551さんのおっしゃる通り連続投稿という行為は一定の範囲内であれば許容すべきだとは思いますがさすがに今回の事例ほど断続的に登校する行為はやりすぎだと思います。3RRのように1日に同一ページへの投稿は何回までといったガイドラインを作ってみるのもよいかもしれませんね。(個人的には「1日に同一ページに対する投稿は10回まで」といった具合がちょうどいいと思います。)--圓成 (talk/history) 2019年8月27日 (火) 13:43 (UTC)[返信]
連続編集は無制限であるべきです。また、連続編集をするユーザーに注意する必要もありません。編集者に期待されることは記事をより良くする事であり、連続編集が100だろうが1000だろうがそれにより記事がより良くなるのであれば何の問題もない事で、制限回数を使い切ったところで間違いに気付いたが続きはまた明日、などというのは記事や読者にとって何の益も無い事です。履歴が汚くなるとかいうのは同一編集者の連続投稿は履歴をマージするなどシステム側で対処すべき事です。--219.102.203.143 2019年8月28日 (水) 12:38 (UTC)[返信]
技術的には直近同一編集者による履歴を自動で統合すること自体はさほど難しいことではないと思われます。しかし、MediaWiki というシステムがなぜすべての編集を版として一つひとつ記録しているのかというと、自動での履歴統合により管理上の問題が生じるからです。想定される問題としては、直近投稿者による編集を統合してしまうと、その利用者による統合履歴単位でしか戻せなくなってしまいます(事実上の巻き戻し強制)し、最初は荒らしや法的に問題のある投稿をしていたのに、最終統合時点ではすっかり善良な編集をしてしまえば、法的問題すら隠滅できてしまうことになります。これでは履歴追跡性による透明性の確保が不可能になり、Wiki というシステムで誰でもログインを強制することなく編集できるという前提が崩壊しかねません。そのために、履歴をとってあるのです。また、個々の履歴はそれ自体が「質も量も最大のフリー百科事典を目指す」ウィキペディアというプロジェクトにおいて、価値があるものです。だれが、いつ、どのような記述をなぜしたのかを履歴として残すことは、時系列を読み取るために重要な情報となります。連続投稿を抑制する初期の動機は WMF のシステムや金銭面が貧弱であったためではありますが、現在は前述の履歴追跡性や、ページ削除可能な版の条件数といった管理上の問題が主となっているのです。--rxy会話2019年8月30日 (金) 11:29 (UTC)[返信]
まず、利用者による統合履歴単位でしか戻せなくても何の問題もありません。それは書き込みの際に利用者にその旨告知し、連続投稿した場合問題があったら丸ごと戻すから気を付けてねって了承をとればいいだけです。そもそも、連続投稿を避けるためにメモ帳か何かで下書きして書き込んだが、問題があってその書き込みが差し戻された場合と、連続投稿をまとめて差し戻した場合、後に残る記事は同じものになるはずで、何も困らないと思います。要は、連続投稿の最後の版以外は下書きであるとするわけです。また、荒らしや不法な書き込みを隠蔽できるという点に関しては、各書き込みを個別に追える前提があってこそ隠蔽されて困るのであって、その不法な書き込みが統合で削除(私は用語に詳しくないのでWikipedia用語の「削除」の用法とは違うかもしれませんが、いわゆる不可視化ではなく完全消滅)されていれば問題になるとは思えません。管理者が削除するか、誰にも知られないうちに自分で消す(前述の連続投稿を下書きと見做すという観点から言うと、下書きの段階で消す)かの違いしかないと思います。まあ、「誰にも知られないうち」をより厳密にするなら、編集者本人以外の誰かがページを表示したら、その前後の履歴は統合しない、とするぐらいでしょうか。--219.102.203.143 2019年8月30日 (金) 14:28 (UTC)[返信]
  • コメント 私としてはごく短期間の半保護か、ごく短期間の投稿ブロックが望ましいかと思います。というのもモバイル版からIPで投稿していると自分の会話ページにいくら書き込まれても通知が全くこないのです。それでは自分が注意されていることに気づく術はなく、自分の会話ページを訪れるとこではじめて気づくと思われます。そもそもノート、会話ページが存在することを知っている利用者は連続投稿をしない場合が多いと思いますので、IP利用者によりモバイル版から連続投稿が続くようであれば管理者の方の手を借りて注意を行うしかないように思えます。推奨はしませんが、途中に意味のない編集を挟んで編集の競合を起こし要約欄などで伝えるというのが現時点で誰にでもできる注意の方法でしょうか。--そらたこ🐙(会話) 2019年8月29日 (木) 16:26 (UTC)[返信]
  • コメント 個人的な見解としては、デスクトップ・モバイル両バージョン共通で、同一ページに対する投稿は「ログインユーザーは1日5回から10回まで、非ログインユーザーは1日1回」ぐらいが妥当ではないかなとも思っております。無制限な連続編集は、ログインユーザーに関しては編集回数によって投票や審議参加が可能になる場所がある以上、早急に悪意や引っ掻き回しの意図を持ってそこに参加したいがために編集回数を早ければ1日でクリアする手段になり得るので、もってのほかです。さて過度に連続投稿を続けるユーザーの対処についてですが、こちらに関しては「何とも言いようがない」でしょうか。ログイン・非ログインユーザー関係なく、聞く方は忠告を聞くし無視する方は無視するということで。ただ、たびびと551氏が指摘する「半日以上かけて絶え間なく投稿」という行為自体は、連続投稿云々とは別儀の問題(私生活とかどうなってるの?的な)もありますが・・・他ユーザーのプライベートに干渉するのはよくないとはいえ。--Ogiyoshisan会話2019年8月29日 (木) 23:11 (UTC)[返信]
  • 基本的には会話ページで対話を試みても気が付いていないか、無視されている場合、「対話拒否」として 数時間から必要と思われる程度のブロックを行うことになります。初回ブロック以後も意図的に無視して継続される場合は共同編集に向かない方として、「コミュニティを疲弊させる利用者」という扱いでのブロック期間が長めに取られる措置が必要になると考えます。私としては、連続投稿は「常識的な範囲内」であれば許容しつつも、あまりにも短時間で大量に履歴を残す編集をしている場合、履歴の追跡性を阻害するものとして、前述のとおり必要に応じてブロック等を講じることもやむを得ないと考えます。また、一定の参考上限値を不明瞭な形で設けること自体には反対しませんが、明確な上限値はそれを逆手に取った行為を助長しかねないので、慎重になる必要があると思います。--rxy会話2019年8月30日 (金) 11:29 (UTC)[返信]
  • コメント 誤字脱字の修正あるいは節ごとの編集(特にモバイルウェブ版では節ごとにしか編集できない)といったこと、あるいは井戸端や各依頼、ノートページ等での議論に関しては常識的な範囲なら問題視すべきではないでしょう。ただ、過度の連続投稿は履歴追跡や版指定削除の対応が必要な時にその手間や事故などのリスクを徒らに高めてしまうため、そういった事態を未然に防ぐためには編集フィルターなどで抑制するような仕組みを考えて良いのかもしれません。—Senatsuki会話2019年9月1日 (日) 02:23 (UTC)[返信]

皆様ご回答ありがとうございました。まず、過度の連続編集は直接ブロック対象ではないとはいえ良くない行為であるということは大方の意見でしょう。ただ、具体的な上限値を決めるのは、先行議論にもある通り、端末の問題や編集する記事の大きさや修正の分量の問題などがあり難しく、気付いた人の判断によるケースバイケース対応でやむを得ないと思います。また、連続投稿が余りにも目に余るユーザーに対しては、会話ページでの注意の後、rxyさんがおっしゃる対応を参考にさせていただきます。(連続投稿に対するページの半保護は別途合意が必要になると思われますし、可変IPに対してはレンジブロックかつ対象ページの部分ブロックのほうが良いと思われます。) なお、当件については連続投稿をしていたユーザーがアカウントを取得したようですので改めて注意をいたしました。

返信 (利用者:Ogiyoshisanさん宛) 長時間の連続投稿には記事の占有の問題、つまり、編集履歴を見た他の編集者が仕掛中とみて編集を控える虞がある期間が長期間続くという問題があると思います。おっしゃる通りプライベートも気にはなりますがそれは別問題ですね・・・

返信 (利用者:Senatsukiさん宛) 編集フィルターの詳細を理解していないため、実現可能かどうかわかりませんが、一定回数で注意を促すようにするのはいいと思います。--たびびと551会話2019年9月3日 (火) 18:42 (UTC)[返信]

「親の居ぬ間にリストカット あおい」なる記事について

初めまして、showhey9213と申します。 当該ページが明らかに削除相当だと思うのですが、どの方針に則って指摘すればいいのかがわかりません。 特筆性とか出典なし、広告的などが該当しそうですが、いかがでしょう? なにぶん初心者なもので申し訳ありませんが、確認とご鞭撻をお願いできますでしょうか? --Showhey9213会話2019年8月29日 (木) 07:55 (UTC)[返信]

トランスクルージョンの考え方

この井戸端やテンプレートなどで、トランスクルージョンがされているのは知っていましたが、一般の記事の場合、どういう場合に使うのが適切なのでしょう?また子記事側はテンプレ(呼出し子記事の表示)を配置するとかいったルールはどうなっていますか? 例としてUEFAチャンピオンズリーグ 2019-20 グループリーグ#グループという記事内でUEFAチャンピオンズリーグ 2019-20 グループリーグ グループAなどを#lstを使ってセクションとして取り込んでいますが、子記事を単体でみるとサブページでもないのに導入部の定義はない訳ですが..。--115.38.235.23 2019年8月31日 (土) 02:11 (UTC)[返信]

ひとまず細かいルールはないので、今は単純に、トランスクルージョンでしか対応できないシチュエーションで使うものと考えて良いと思います。
例えば一つのページ内の節1と節2を他のページの別々の場所に読み込みたい場合(節1と節2の間に何かしらの文章が挟まる場合)、呼び出し元のページに条件文などを仕込まない限りテンプレート呼び出しでは対応できません。
提示の事例だと、呼び出し元に<noinclude></noinclude>を挿入すればテンプレート呼び出しでも対応できるので不適切…は言いすぎかもしれませんが、トランスクルージョンの意味があまりないだろうと思います。--Marine-Bluetalkcontribsmail 2019年9月2日 (月) 14:43 (UTC)[返信]

botによる二重転送解消が早すぎる

botによる二重転送の解消が早すぎる気がします。同一ページの二回以上の移動を行なった際に入るbotによる二重転送の解消の編集なのですが、二重転送が生じてから1分程度で行われることが多くこれでは早すぎると思います。botによる編集が入ってしまうと移動ミスをした場合や、移動荒らしが起きた場合に一般利用者では差し戻しができなくなってしまいます。よってもう少し時間を空けて編集することを提案します。複数のbotが動いているようなので、ここで意見を募集し、議論の結果を踏まえて各botの運用者にお願いするべきだと思います。ご意見よろしくお願いします。なにか私の勘違いでしたらすみません。--そらたこ🐙(会話) 2019年9月1日 (日) 06:40 (UTC)[返信]

コメント 二重転送の解消を行う Bot の動作を鈍くするというのは賛成します。それで、二重転送の解消までの時間を遅らせる方法はそらたこさんの提案から2パターン考えられます。(1) スクリプトの起動間隔を広げる (2) 最後の編集から n 時間後に修正する
(1) について、二重転送の解消の多くは redirect.py によって行われていると思われます。運用者さんの多くは、このスクリプトを数分ないしは数十分、あるいは数時間おきに起動していると考えられます。運用者さんに、スクリプトの起動間隔を広げてもらう(例えば、12時間おき)よう依頼すれば、ある程度の対応は行ってもらえるでしょう。(2) については、Special:DoubleRedirectsから取得した二重転送の一覧ではなく、Special:Log/moveのエントリから参照して二重転送を見つける設定をすれば、移動記録の検索を開始する時間を n 時間前という風に設定できますのである程度は実現できそうです。あるいは MediaWiki API を使用したプログラムを組めば、Special:DoubleRedirects のページから「最後の編集から n 時間経っている」ページの二重転送を修正する、という風にできそうです。まあ、そんなプログラムを作った所で運用者さんが導入してくれるかどうかは分かりませんね。
私程度の知見ではこの程度のアイデアしか出ませんでしたので、自作のプログラムで Bot を運用されている Triglav さんの意見も聞いてみたいところです。--Yuukin0248[会話/履歴] 2019年9月1日 (日) 12:51 (UTC)[返信]
@Yuukin0248さん: コメントありがとうございます。参考になるかわかりませんがbotの例を挙げると利用者:Xqbot利用者:EmausBotです。--以上の署名の無いコメントは、そらたこノート履歴)さんが 2019年9月1日 (日) 13:17 (UTC) に投稿したものです(610CH-405会話)による付記)。[返信]
すみません。redirect.pyは使ったことがないです。二重リダイレクト解消は日本語版ではこれといった取り決めはなかった気がします。なので運用者さんに直接お願いするか、ボットのプロジェクトで規制を掛けるかになります。さて、移動のミスをしてしまった初心者さんは自身で修正を試みる前に管理者にレビューを兼ねてリカバリしてもらったほうがよいでしょう。移動荒らしも同様で管理者に報告して処置してもらいましょう。そらたこさんの体験によるものであれば、具体例をいくつか出していただければ、重大度がどのくらいあるのかを熟練者たちで見極めることができると思います。--Triglav会話2019年9月1日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
返信 (Triglavさん宛) コメントありがとうございます。私の関わったものとしては老人性角化腫、「渋谷で2時〜Shibuya Rainbow」が挙げられます。
老人性角化腫については老人性角化腫が改名提案なく脂漏性角化症へ移動される→差し戻しを行おうとしたが私のはやとちりによる移動ミスで脂漏性角化腫に移動してしまう→差し戻さなくなる というものです。すぐに移動依頼に出しましたが未だに残っています。(2019年9月3日現在)
渋谷で2時〜Shibuya Rainbowの方は他の方のミスであり、すでに削除されているので説明が難しいのですが、「渋谷で2時〜Shibuya Rainbow〜」を「渋谷で2時〜Shibuya Rainbow〜」(全角と波と違い)に移動しようしたものを誤って「渋谷で2時〜Shibuya Rainbow」に移動してしまったようです。その後「渋谷で2時~Shibuya Rainbow~」に移動→「渋谷で2時~Shibuya Rainbow」→「渋谷で2時」に移動と移動されその間のbotによる編集のせいで一般利用者では元に戻せなくなったものです。渋谷で2時〜Shibuya_Rainbow〜の方の編集記録を見ればbotによる編集が確認できるかと思います。これはリダイレクトの削除依頼にだし三件削除していただいたことで移動ができました。
この2件がbotによる二重転送の解消編集が邪魔になった事例です。説明がわかりにくくてすみません。botを遅くすれば管理者/削除者でなくても対応可能で良くなるかと思いましたが、逆に任せてしまうというのもいいかもしれないです。その発想はなかったです。--そらたこ🐙(会話) 2019年9月3日 (火) 14:56 (UTC)[返信]
ありがとうございます。(老人性角化腫の転送先がさらに別のページになっているようなので中身を追いませんが)移動ミスはそう繰り返さないでしょうし、逆に繰り返すようなら何回も管理者から見てもらったほうがよいでしょう。なので、作業に困ったら管理者に対応してもらったほうが現段階ではよさそう。--Triglav会話2019年9月3日 (火) 15:53 (UTC)[返信]