コンテンツにスキップ

利用者‐会話:みそがい

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ウィキペディアにようこそ![編集]

こんにちは。はじめましてSuisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

ウィキペディアで活動する際にはWikipedia:ガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。よろしければ 自己紹介してみてください。利用者:みそがいは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。執筆の際には中立的な観点および著作権 にご留意ください。何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for non-japanese-speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Suisui 2005年3月28日 (月) 14:25 (UTC)[返信]

外部リンクについて[編集]

みそがい 様  はじめまして,広林陽郎と申します.  早速ですが,拙稿の外部リンクが削除されていますが,「非定常熱線法」,「非定常状態」,「熱線法」にいては,かなり専門的な記述で終わっており,本当にこれから若い研究者や学生さんが熱物性に取り組まれる時に,まず,知っておいてもらいたい基礎知識を身につけてもらうための内容を記述した小生のHPを外部リンクとしました.このHPの熱物性に関する内容を,多分,これ以上の分かり易い記述で公表されている書物は,教科書にも無いと思います.  外部リンクが削除された理由をお聞かせ下さい.

広林陽郎さん、はじめまして。早速ですが、今回外部リンクを外した理由としましては、Wikipedia:外部リンクの選び方のなかにある「4 掲載すべきでない外部リンク」の「4.記事に加筆しようとしている利用者自身が所有、管理、または執筆を行っているサイト。これはWikipedia:中立的な観点を確保するための基準です。」に該当するからです。(および、その下に記載されている「宣伝目的のリンク行為、自分が運営にかかわっているサイトへのリンク行為」にも補足説明があります) 実際に、リンク先のサイト「熱を学ぼう」には上記項目を記述した旨の記載があり、これらの項目には外部リンクとして記載してあることから該当すると判断しました。
これは、リンク先サイトの記載内容が専門的か否か、十分/不十分であるかは別として(私には分かりませんので)、あくまで上記基準の適用によるもので、ご理解いただけるものと考えています。みそがい 2010年10月10日 (日) 03:20 (UTC)[返信]
みそがい様

 早速のご回答,有難う御座いました.外部リンクを削除された理由として, 1)「4 掲載すべきでない外部リンク」の「4.記事に加筆しようとしている利用者自身が所有、管理、または執筆を行っているサイト。」を挙げられましたが,この「記事に加筆しようとしている利用者」とはどのような意味か,現在,記事に加筆しようとも思っていませんので,初めての投稿で理解できず,よろしくご指導ください. 2)「宣伝目的のリンク行為、自分が運営にかかわっているサイトへのリンク行為」に抵触するというご意見ですが,「自分のHPをリンク先にすること自身が宣伝目的のリンク行為」と言われればそれまでですが,Wikipediaに投稿した各項目を閲覧した熱物性関係者や学生さんが感じるであろう疑問点を解き明かすための参考内容にすぎず,HPに追加した「Wikipediaへの投稿はこのHPの執筆者・・・・」は,「非定常状態」はこのHPのコピーであるという理由で削除依頼があった時に,投稿者がHPの開設者であることを明記するようにとの指導に基づいたものです.この点についてもよろしくご指導ください.

まず、お手数ですが書き込みの際には署名をお願いします。
上の書き込みが広林陽郎さんであることを前提として返答します。
「記事に加筆しようとしている利用者」という部分は、経緯からすると「外部リンク先を(これから)加筆しようとしている(いた)」利用者であろうと考えます。今現在記事を加筆しようとしているという意味ではないと思います。つまり、(その時点で)外部リンクを加筆しようとする人は「外部リンクの選び方」にしたがう必要がある、ということです。また、宣伝目的か否かについてというよりも、利用者(加筆した/しようとしている人)自身が運営に関わっているサイトをリンク先とすること自体が問題である可能性がある、ということです。削除依頼の件について私は経緯を存じ上げませんが、おそらくWikipedia:著作権Wikipedia:引用のガイドラインなどの問題があったのではないかと思いますがいかがでしょうか。(それは、外部リンクの件とは別の問題です)
また、Wikipedia:外部リンクの選び方「掲載してよい外部リンク」の第4項が、おそらく今回の外部リンク追加の根拠となり得るものであると考えますが、これは先行して「掲載すべきでない外部リンク」がクリアになっていることが前提であることが示されています。
私も全てを把握しているわけではありませんが、Wikipedia:記事を執筆するから必要な部分およびリンク先を一読されますようお勧めします。みそがい 2010年10月10日 (日) 12:33 (UTC)[返信]

みそがい 様 1)「記事に加筆しようとしている利用者」ということがご教示頂きました内容であれば,全くそのようなことを(考える,考えた)ことはありませんので,外部リンクの削除の要件を満たしておりません. 2)小生自身が運営に関わっているサイトをリンク先とすること自体が問題である可能性はありますが,「熱を学ぼう」が検索サイトに存在せずこの内容に到達できる術はなく,一律的な記載基準によって削除するより,「外部リンク」で紹介することによって閲覧者に与える利便性の方がるかに大きいと考えられますので,「掲載すべきでない外部リンク」をクリアーしているものと考えます. 以上の理由から,外部リンクに「熱を学ぼう」を張ることを認めて頂きたいと思います.  追伸:削除依頼の件については,「・・・・・リンク先のサイト「熱を学ぼう」には上記項目を記述した旨の記載があり」についての経緯を説明したもので,本題には関係はありません.利用者:広林陽郎 2010年10月11日 (日) 00:10

広林陽郎さんへ。
私は少し混乱してきましたので、再度整理させて下さい。(1)記事を書いた/加筆した、(2)記事にリンク先を追加した、(3)「熱を学ぼう」の管理運営者、はすべて広林陽郎さんである(関与している)ということでいいですか。(私は左記のように考えていました) その上で今回いただいたコメントについて考えると、少なくとも(2)≠(3)ということでしょうか。(1)=(2)=(3)であれば掲載すべきでない外部リンクに該当するのではないかと考えます。実は、今回のコメントで一番問題だと思いましたのは2)の項で、検索サイトからはたどり着けないのでWikipediaにリンクを追加した、となるとこれは宣伝行為と同じになってしまうことなのではないか、ということです。(実際には、「熱を学ぼう」をGoogleで検索するとトップでヒットしましたので確認願います。また、それぞれの記事名、出典に記載されている「林國郎」をGoogle検索しても当該サイトにたどり着くことができますし、検索しても到達できないということはありません。)
また、当該サイトが分かりやすいかどうかは管理者が判断することではなく、閲覧者が感じることです。技術系の内容を分かりやすく書くことは普通の管理者が最初に気を配るところであって、それを理由として自身のサイトのリンクを追加することは問題があると思います。(それを理由にリンクを許可することになれば、関連するリンクが無制限に増えてしまうことは想像に難くありません) 利便性の点からすれば、それを判断するのは当該サイトを管理する当事者ではなく、必要だと感じる第三者であって、その第三者がリンクを追加するのであれば問題は少ないのではないかと感じますし、それからでも遅くはないのではないでしょうか。(検索によれば、同内容と思われる分野のページも多数現れますので、知りたいと思っている第三者はまずそれぞれのページを閲覧して必要性を判断すると思います)
上記の理由から私としては、「掲載すべきでない」と判断しております。みそがい 2010年10月11日 (月) 01:43 (UTC)[返信]

みそがい様  貴重なお時間を浪費させ,申し訳けありません.  この件につきましては,先が見えてきた年齢になって多額の税金を使わせてもらって積み重ねてきた研究成果を,このまま眠らせるに忍びなく,マイナーなHPですが開設して省エネ問題に興味があり明日の地球を救ってくれるこれからの若い研究者の一助になればとの思いから,本来は公表されることのないノウハウを世に残そうと考えWikipediaに投稿しました.投稿して感じたことは,この項目が特殊なテーマであることもあって,書き込んだ用語の解説がWikipediaには皆無でこれでは閲覧者がお困りになるだろうと考え,2,3,の専門用語の解説を投稿いたしました.これらの用語の原稿を書きながら,内容の理解にはもう少し手前の基礎知識が必要であろうし,それを解決するための適格な文献探しは大変な労力がいるので,最小限必要な基本事項が分かる小生のHPを外部リンクにしておけば,無駄な時間を浪費されることなく一人でも多くの方々のお役に立てば望外の喜びと感じ,何の意図もなく単純に外部リンクを張りました.先日,この項目を見て小生のHPが外部リンクから外されておりましたので,どうしてかな,と思ったのが真相です.このようなことで,外部リンクを張るべきでないとお考えでしたら削除して頂いて結構です.ただ,複数の方がこの議論に参加して頂き,このような場合の外部リンクの是非についてのお考えをお聞かせ願えたらとの思いは残ります.  ご指摘のように小生のマイナーなHPが最初にヒットしてくることが分かり,驚いております.利用者:広林陽郎 2010年10月11日 (月) 12:22

北宋のスタイルの訂正[編集]

文庫レーベルのリストの議論について[編集]

提案 いきなりですみません。がーたーです。個人的な要請でもありますので、続きをする前にこちらで提案したいことがあります。
まず文庫レーベルの各ページにはTemplate:告知を貼り、この議論へ誘導したいと思っております(同意なさった場合電撃文庫で見本的な投稿をしたいと思います)。個人的にほ最低でもリスト化されやすいだろうライトノベル系の書籍のページには貼りたいと考えております。あと、議論の再スタート的な面もあるため、みそがい氏と私がーたーの主張を冒頭に記したいと考えております。その場合、お手数をおかけしますが、みそがい氏には改めて主張を記していただきたいと思います。議論の再開のほうは日本時間2015年5月30日19時以降ですが、賛成された場合、開設のほうとその前にがーたーがやりたいと考えております。いかがでしょうか。--がーたー会話2015年5月28日 (木) 14:34 (UTC)[返信]

了解しました。その方が良いかもしれませんね。よろしくお願いします。--みそがい会話2015年5月28日 (木) 21:38 (UTC)[返信]

幸田露伴[編集]

幸田露伴が文語体で書いた『二宮尊徳翁』(明治24年刊)を現代語にて読みやすくしたもの。

現代語約出版物が「不要」とおっしゃる理由は何ですか。--Dewiki会話) 2016年12月18日 (日) 00:16 (UTC)--Dewiki会話2016年12月18日 (日) 00:16 (UTC)[返信]

Dewikiさん、はじめまして。よろしくお願いします。
当該記述に関して、私の考えは以下の通りです。
  • 本記事は「幸田露伴」についてであり、その著作物は本人執筆のものであること(これは、当たり前のことですが)
  • 著作物の一覧において、載せるべきものは基本的に初版出版物の情報によること。(改訂版等あれば別途)
  • 著作物の訳文は2次創作に当たる恐れがあるため、のせるのであれば、その著作物そのものの記事の中で行えば良いこと。(『清少納言』と『枕草子』、『紫式部』と『源氏物語』の関係を見ていただければイメージ分かると思います)
  • さらに言えば、幸田露伴の著作物タイトルは『二宮尊徳翁』であって、「〜に学ぶ成功哲学」とか「富を生む」とは訳者の主観を表現しているため、幸田露伴の執筆意図と異なる可能性があること。
さて、私は本屋で実物を確認してみました。2章構成になっており、第1章では訳文、第2章は露伴の随筆(と書かれているが具体的な出典が無い)ことから、さらに載せるべきでは無いとの意を強くしました。したがって、幸田露伴の記事中に当該本の記載は不要と考えます。Dewikiさんが当該情報を載せるのであれば、当該本の記事を執筆するか、二宮尊徳の記事中に、露伴本と合わせて参考文献とすべきかと考えます。ただし、当該本の中身を精査して参考文献として相応しいかどうかも合わせて考える必要があると思います。--みそがい会話2016年12月18日 (日) 08:42 (UTC)[返信]

ご返答いただきありがとうございます。また書店までご足労いただき(? Web書店)ご確認いただけたのかと感謝します。しかし、 Wikipedia 内で明治時代の文語体の文献を口語体にした書籍出版状況を調べてみると、みそがいさんの考えは特異なものだと思います。 口語体にして旧かな遣いを新かな遣いにした物はWikipediaに多数記載されています。それに明治時代の書籍なのに、はるか遠い平安時代の例を出してくるのも、話のすり替えでしょう。 また「~に当たる恐れがある」「可能性がある」など言葉を濁した推定での情報で判断している点は納得いきません。また「具体的な出典が無い」と言ってますが、見ればこの本には書かれているのにおかしなこと言ってると思います。ほんとに現物を見てきたのでしょうか?。

あと、著作物タイトルは内容をより正確に表すための変更であって、「訳者の主観を表現している」というのはあまりにも偏見で、これこそあなたの主観です。「執筆意図と異なる」も みそがいさんの勘違いではないでしょうか。せめて『二宮尊徳翁』を図書館などで見て、読み比べて判断すべきではないでしょうか。あなたの判断は、あまりにも稚拙ではないですか? --Dewiki会話2016年12月18日 (日) 17:07 (UTC)[返信]

当該書籍は昨日夕刻に入手しました。その時点で第2章に関する出典が不明、とした点については、あとがきに書かれていましたので発言を訂正いたします。なお、現時点で、私は露伴版を読んでいませんので、その上での議論であることを最初に述べておきます。
文語体で書いた、と書かれていますが、文語体にもいろいろあります。旧仮名遣いもそうですし、漢文訓読体や美文調もそうです。Dewikiさんがおっしゃるように、旧仮名遣いを新仮名遣いにしたことを現代語訳というならば、そのような書籍は数多くあることは存じておりますが、具体的に「誰が」そうしたのかという点については通常明らかになっていません。したがって、私は文語体と称する文体は仮名遣い程度の話ではないと判断しました。Dewikiさんが多数掲載されているとおっしゃる記事(旧仮名遣いを新仮名遣いにして訳者がわかるもの)にはどんなものがあるのでしょうか。(文語体という概念から「枕草子」「源氏物語」を出した点については時代が遡りすぎたかもしれませんね)
当該書籍のタイトルについてですが「二宮尊徳に学ぶ・・・勤勉の精神」とは、一体誰がつけたのでしょうか。露伴版は「二宮尊徳翁」だけです。それが前者のように改変されているのであれば、私でなくても訳者(あるいは編集者や出版社)がつけたとしか考えられません。これを主観と言われるのは心外です。内容をより正確に表すために、というのはそれこそDewikiさんn主観ではありませんか? 本の内容をどうとらえるかは読者各人様々であろうし、穿った見方で表現は悪いですが「売るため」のテクニックなのではないでしょうか。あくまでも、幸田露伴が書いたのは「二宮尊徳翁」であって、それ以外ではありません。変更すべきではないのです。その点が最も記載に相応しくないと考えています。(もちろん、複数の短編が1冊になって、そのうちの1編のタイトルが本のタイトルになる、というパターンはあります)
露伴版(おそらく全集を当たらなければならないのですぐには確認できかねる)がどのような文章であるのかは、近いうちに確認したいと思います。
追加ですが、「近年刊の著作」節の意味づけが分かりにくいというのもありますね。少なくとも、私は節名のとおりに解釈をして、近年に改版・集成等のなされた露伴著作の出版物のことを指していると考えています。(したがって、それ以外は別の節に記すべき)
--みそがい会話2016年12月19日 (月) 12:46 (UTC)[返信]

度重なるご返答に感謝いたします。しかも書店で当書籍をご入手されたようで、論議のために出費を強いてしまったようで、恐縮いたしております。露伴版『二宮尊徳翁』は以前 神保町で立ち読みしておりまして、今回再度立ち読みしてきました。「読み比べて判断すべきではないでしょうか」と言った手前、も一度読まねばと。ただしAmazonのKindle版で読めるので、わざわざ神保町まで出かけなくてもよかったのですが。

この論議のポイントは「2次創作に当たる」ものなのか、だと思いますがどうでしょうか。私は「現代語にて読みやすくしたもの」は2次創作ではないと考えます。ではまた、読んで書き込みに来ます。--Dewiki会話2016年12月19日 (月) 16:13 (UTC)[返信]

ミュシャ[編集]

こんにちは。ミュシャの件ですが、フリーメイソンの記事にミュシャが会員であった事は書いてありますよ。--Naka94会話2017年4月1日 (土) 08:29 (UTC)[返信]

Naka94さん、はじめまして。当該記事を確認したところ記載を確認いたしました。しかしながら、本記事には一言も記載がありません。フリーメーソンとの関係の記載が全くない状態でカテゴリを付与することは本末転倒といえるため編集を差し戻しました。私は当該記事の出典を確認できませんので(出典先Webページの真偽不明、および、出版物を読んでいない)、本記事へのフリーメーソン関係の記載およびカテゴリ付与をするつもりはありません。こういうことですので、Naka94さんにおかれましては、それを踏まえて編集することをおすすめします。--みそがい会話2017年4月1日 (土) 14:07 (UTC)[返信]

中松義郎[編集]

https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E4%B8%AD%E6%9D%BE%E7%BE%A9%E9%83%8E&diff=64718101&oldid=64716435

  • 「IBMと契約した」(ただしフロッピーディスクは無関係)
  • 「フロッピー媒体の特許を取った」(ただしフロッピーディスクができる前に消失)

こういった中松義郎のトリックを分かりやすく説明する上で有用だと考えての強調だったのですが、不味かったでしょうか。 218.45.75.24 2017年7月9日 (日) 08:38 (UTC)[返信]

返答遅くなりまして申し訳ありません。
下記のページを参考にしてください。絶対禁止、という認識ではありませんが、強調するに足るとも言えないと考えます。また、他の部分にも強調部分(既に「」で括られている部分に太字設定されているなど)がありますが、それは今回気がついたので、追々私が編集するつもりです。
WP:BETTERの「表記スタイルに関する注意点」
過去の議論「文章を太字で強調させる意味
も参考にしてください。--みそがい会話2017年7月14日 (金) 05:17 (UTC)[返信]

WP:BETTERでは「多用しないで下さい」としか書かれていませんが。 私は理由を示した上で強調しているのですが、それを取り消す根拠はなんでしょうか。 218.45.75.24 2017年7月14日 (金) 14:24 (UTC)[返信]

既に書きましたように基本的には「強調するに足らない」というのが理由です。
逆に「フロッピーディスクのものではなく」「既に権利が消滅していた」に関して、前後の文章から特別に強調しなければならない理由が分かりません。文章として普通に読めるからです。年金未納で特許権が消滅することなどざらにあります。また、出典を除去している編集でもありません。
「A でなく B」
「A だから B」
といった文章の流れ上、一方のみの強調は、その中に編集者の意図が含まれます。それを排除するためにも「多用しないでください」とは「基本的には極力使用しない」ことであると、私は考えています。
「中松義郎のトリック」というのは、218.45.75.24さんが何か出典をお持ちなのでしょうか。仮にあったとしても、百科事典は糾弾の場所ではありませんし、出典を元に新たに編集をすればいいだけです。
これらの理由から、今回の編集は差し戻すべきと考えます。
--みそがい会話2017年7月14日 (金) 18:53 (UTC)[返信]

私は「多用しない」は「多く用いない」という意味だと考えます。ただでさえややこしい中松義郎フロッピーディスク発明説の要点を示す為の強調です。分からないという自覚があるならなら手を出さないで下さい。 218.45.75.24 2017年7月15日 (土) 13:25 (UTC)[返信]

WP:MSH#NOLINKに基づき、見出し内のリンクを外しました)--みそがい会話2020年8月12日 (水) 13:45 (UTC)[返信]

乗越たかお激賞の出典無しについて[編集]

なぜ24時間以内にそう言い切れるのですか?国会図書館に所蔵されない書物もたくさんあるので、どこかに書いてあるかもしれないじゃないですか?

Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:大言壮語をしない、など、Wikipediaの各種方針やガイドラインに従うようにしてください。「どこかに書いてあるかもしれない内容」を追加するということは、最もしてはいけないことです。
また、コメントを投稿した場合には「署名」を必ずしてください。(会話ページに投稿する際に、一番上に書かれている方法です)
--みそがい会話2018年3月9日 (金) 22:16 (UTC)[返信]

歌川広重[編集]

歌川広重の編集ですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#関連項目に従って「わずかでも関連のありそうな事柄を手当たり次第に列挙するものではありません」に該当するというか、多くの浮世絵師の関連項目に追加されていて関連項目の使い方として変なのです。ご理解いただけますと幸いです。--119.243.53.211 2019年5月10日 (金) 02:04 (UTC)[返信]

まず、「わずかでも・・・」ということですが、そうは思いません。なぜならば、歌川広重の記事に興味を持った人が「他にどのような浮世絵師がいるのだろうか?」という興味を持ったときに、それを(記事内から直接)知る手がかりが無くなってしまうからです。この点は非常に重要だと考えます。付されているカテゴリも限定的なもの、あるいは浮世絵師が属しているのかわからないものであり、不親切です。
多くの浮世絵師の関連項目にある、ということですが、これはある意味当然なのではないでしょうか。歌川広重の記事だけではなく、他の浮世絵師に関してもその記事ごとに等しく関連しているものです。些末な関連性ではありません。
このような記事間のアクセシビリティを悪くする編集には賛成できません。--みそがい会話2019年5月10日 (金) 10:39 (UTC)[返信]
それは、ページ最初の文の最後の「江戸時代の浮世絵師。」から一覧に辿れますし、カテゴリに辿れます。私が浮世絵師のカテゴリにも一覧を入れたので、ページの最後のカテゴリからも辿れますよね。カテゴリの機能は、一覧を意味しますので覚えたらアクセシビリティとして十分です。
Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#関連項目に従って「本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目について列挙するのが望ましく、わずかでも関連のありそうな事柄を手当たり次第に列挙するものではありません。 」
みそがいさんがおっしゃるような、ガイドラインに逆らった勝手なアクセシビリティは、過剰案内でしょう。--119.243.53.211 2019年5月11日 (土) 04:46 (UTC)[返信]
「江戸時代の浮世絵師」から一覧に辿れる、といわれますが、まだ見ていない記事に一覧があることが分かるわけがないでしょう。あなたはその記事(浮世絵師)に一覧があることを知っているからそう言えるのです。この点から言えばまさに「本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目について列挙する」必要性がある「関連項目」なのではありませんか? カテゴリについても「19世紀の浮世絵師の歌川」なるものから浮世絵師の全体をすぐに見渡せるとは思えません。(この点については既に修正改善されているようですが)
このように「手当たり次第に列挙する」事例には該当しないと考えます。--みそがい会話2019年5月11日 (土) 10:38 (UTC)[返信]
自分勝手なことを仰らないで、では本文中で説明してみてくださいよ。本文中に組み入れると、みそがいさんが執拗に戻している浮世絵#代表的な浮世絵師浮世絵師一覧肉筆浮世絵はどう登場するんですか?
×「一覧があることを知っている」、とかそういうことではないです。独自の勝手なアクセシビリティです。ガイドラインを引用してください。
Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#関連項目:ガイドラインは:本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目について列挙するのが望ましく、わずかでも関連のありそうな事柄を手当たり次第に列挙するものではありません。 」です
Wikipedia:関連項目:「本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。」
〇 例 浮世絵から浮世絵師一覧は言及があっても重要な関連があると思う人が多いと思います。
〇 例 歌川広重で言えば、もし「歌川派」という記事があって本文で言及がなければ関連項目で示しますよね。
× 例 歌川広重を含めて浮世絵記事の全ての関連項目に、「浮世絵師一覧」を書き入れる。「浮世絵師一覧」が本文中に来る必然性がないんです。ただし、そうは言っても既に記事最初の文の浮世絵師から「浮世絵師一覧」にリンクされているんです。独自勝手に関連項目が使われているんで、私はガイドラインの方向へ修正しているんですね。--119.243.53.211 2019年5月12日 (日) 05:41 (UTC)[返信]
「本部中に組み入れると・・・どう登場するんですか?」→組み入れることが難しいから関連項目にしているのではありませんか? まさにWikipedia:関連項目に記載で書かれている方法です。
繰り返しになりますが、「浮世絵師」という記事に「浮世絵師一覧」が記載されていることを、初見者はどうやってそのリンクを辿らずに知ることができるとお考えですか?(結果的にはリダイレクトになっているということは別として) 関連項目節で適切な記事を明示的にリンクすることで速やかに目的の記載を見つけられるのです。
既知のことであれば当たり前に思えることでも、初見者には未知です。手当たり次第に列挙するということにはあたらず、重要でかつ適切、Wikipedia:関連項目に示されているように深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目であると考えます。
○×のついている文が何を言いたいのか判然としませんが、いくつかコメントします。
  • 「歌川広重で言えば、もし「歌川派」という記事があって本文で言及がなければ関連項目で示します」→「歌川派」という記事があるのならば、本文中で「歌川派の一人である歌川広重は・・・」というような記述にし、歌川派を内部リンクにすれば、あなたのおっしゃるとおり強いて関連項目にしなくてもいいことになりませんか?(余談ですが、カテゴリとして「歌川派の浮世絵師」というものがあればなお一層良いと思いますし、(いるのかどうかわかりませんが)歌川姓でない歌川派の浮世絵師もそのカテゴリに含めるようにすれば取りこぼしもなくなると考えられます)
  • 「「浮世絵師一覧」が本文中に来る必然性がないんです」→必然性はありませんが「深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目」です。個別の浮世絵師記事において、他にどのような浮世絵師がいるのかというのは関連があり重要な項目です。
  • 「そうは言っても既に記事最初の文の浮世絵師から「浮世絵師一覧」にリンクされているんです」→意識していないのかもしれませんが、既知の立場をとられていることを示しているのではありませんか? 初見者が適切に目的の記事を見つけることができるようにすることが重要です。ましてや、本文中に使われている単語とリンク先記事名が異なっている場合(リダイレクトされてしまう場合)などは単純削除するべきか、よく考えなくてはならないと思います。
Wikipedia:関連項目には「例外として、内部リンクに存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます」とあります。今回の編集においては、本文中に明示的にリンクされておらず(浮世絵#代表的な浮世絵師は少し意味合いが異なりますが)当てはまりません。しかしながら、本文中に内部リンクがあるからといって、無条件に関連項目から削除する、というのも内容の重要性や関連性を十分に考慮する必要があります。
繰り返しの部分が多くなりましたが、その点はご容赦願います。--みそがい会話2019年5月13日 (月) 13:27 (UTC)[返信]

「組み入れることが難しいから関連項目にしているのではありませんか?」

これは違いますね。ほとんどの浮世絵師の記事に、著名でない浮世絵師のスタブ記事にも浮世絵#代表的な浮世絵師など私が除去した3項目が関連項目に書かれており、熟慮されて書かれたものではない痕跡があります。これについて、私は浮世絵師が一覧記事への転送であることを要約欄に書き入れ、全浮世絵師記事のカテゴリの正確性向上、Category:XX世紀の美術家という画家や陶芸家・他の芸術家との混在を浮世絵師へと書き換えたということです。浮世絵師カテゴリからも一覧記事へ辿れるようにしました。アクセシビリティは十分です。

関連項目は、語彙が類似しているだけの項目や、多少の関連性が有るに留まる項目を紹介する一覧表ではありません。本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。例外として、内部リンクに存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます。
関連項目と記事の関連性が明らかでない場合、説明を記述して関連性を明らかにすることができます。

とありますので、そちら様のとるべき手段は、差し戻して重要だと繰り返すのではなくて、まずもって記事との関連性を関連項目の横に記述するとか、本文に組み込むということです。また、それができないならば、特に関連性のある項目であることを説明すること、浮世絵師一覧を読むことで歌川広重の理解が深まるということを説明することです。想像で関連性があるのではないかと言っておられるだけで具体的なことは何もおっしゃっていません。

そちら様のご意見

  • 「江戸時代の浮世絵師」から一覧に辿れる、といわれますが、まだ見ていない記事に一覧があることが分かるわけがないでしょう。
  • 初見者が適切に目的の記事を見つけることができるようにすることが重要です。

これは勝手なアクセシビリティで、関連性のお話ではないんですよ。

  • 「他にどのような浮世絵師がいるのだろうか?」という興味を持ったときに、それを(記事内から直接)知る手がかりが無くなってしまうからです。
  • 個別の浮世絵師記事において、他にどのような浮世絵師がいるのかというのは関連があり重要な項目です。

閲覧者がこうしたことを知りたければ、浮世絵とか、浮世絵師、私が用意整備したカテゴリをクリックしてみればいいんですよ、既に一覧へと通じています。歌川広重との関連は弱いですよ。重要だと強弁しているだけで理解できるだけの主張がありません。

分かりやすくすると関連項目に登場する優先順位はこうですよね。

◎ 内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的(もはや内部リンクではなく本文に登場する)
〇 本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目について列挙する(本文に取り入れられる必然性があるが本文にて言及がないとか、重大性がある場合)
× わずかでも関連のありそうな事柄(関連項目から除去される)

歌川派カテゴリの別件については、カテゴリ浮世絵から辿れる記事は全て簡単に見ていますが、「歌川姓でない歌川派」は居るので、作るならば作ってほしいけど、歌川○○の門下生であればとか、歌川○○何世までを歌川派にするとか、門下生とも言い難いが影響を受けただけの者はどうするかとか、私では基準は分かりません。基準が明快にできません。Wikipedia:過剰なカテゴリ#主観的な基準の解決手段を提案してください。--119.243.53.211 2019年5月13日 (月) 16:00 (UTC)[返信]

一応、太字になっていることについてコメントします。
  • 「歌川広重」は浮世絵師の一人であり、他にどのような浮世絵師がいるかどうか、ということは関連する項目です。したがって、関連性をわざわざ示す必要はありません。記事を読んだ人は少なくとも歌川広重が浮世絵師であることを認識しています。
  • 本文に組み込めない部分を関連項目として記載しています。
  • Wikipedia:箇条書き#関連項目を見ても分かるとおり、一覧記事へのリンクを設けたからといって、一覧記事自体が元記事の理解を深めるかは内容によります。説明をつける必要がありません。(逆に、「一覧記事が元記事の理解を深めなければならない」ということはどこに書かれていますか)
「閲覧者がこうしたことを知りたければ・・・既に一覧へと通じています」→何度も言っているとおり、その内部リンク先に一覧記事があることを初見者はどうやって知ることができるのですか、と聞いているのです。明示的に関連項目に一覧記事を載せることのどこが問題なのですか。Wikipedia:箇条書き#関連項目をお読みになってください。
参照項目、関連項目を箇条書きしたものは、ウィキペディア内の関連記事を探す案内役として有用です。この節に追加する記事のリンクを選ぶ際には、この記事を読んだ後、読者は次にどの記事を読みたいと思うだろうかと、読者の立場に立って自問してみることです。
また、「私は浮世絵師が一覧記事への転送であることを要約欄に書き入れ・・・」とありますが、記事を読む人は編集履歴などはまず確認しません。編集目的を示すものとしての記録としては有効ですが、閲覧者にとっては関係のないことです。最新の記事がすべてです。したがって、浮世絵師が一覧記事への転送であることはリンクを辿らなくては知ることができません。
さらに言えば(これは現在の議論とは別ですが)「浮世絵師」が一覧記事への転送になっていること自体が問題かとも思います。本来ならば浮世絵師自体の説明がある「浮世絵#浮世絵版画の制作法」か「下絵師」などにリンクするべきでは?
コメントいたしましたが、多分平行線になるのではないかと予想します。つきましては、本会話ページの内容をノート:歌川広重に転記しようかと思います。他の人にも意見をいただき有用な議論になるようにすべきかと。(必要ならばコメント依頼を提出することになろうかと思います) よろしいでしょうか? (せっかくこちらへのリンクを貼っていただいたところでですが) 転記の方法がまだ分かっていないので確認してからになる予定です。--みそがい会話2019年5月14日 (火) 14:40 (UTC)[返信]

平行線になっているのではなく、説明を行っていないんですよ。ガイドラインにある本文中に登場しうる関連性を説明してください。みそがいさんは関連するとか、重要ですと強弁するだけの会話になっているので、一種の対話拒否の状態なので平行線です。読者が知らないとかいう主張は、勝手なアクセシビリティでガイドラインの話ではないんですよ。本文中で言及されうる可能性を細かに説明することで文字を割いてください。

みそがい「重要です、関連します、アクセシビリティが」 私「本文中に登場しうる重要性について具体的に細かく説明してください」前に戻る(繰り返し)

細かな説明を省いて転記するとか、コメント依頼を起こすというのは、対話の軽視に当たると思いますので、先になぜ本文中に登場しうる重要性があるのか説明するとか、または説明する必要が一切ないというガイドラインの解釈を説明してください。そういった意味で進展がないんです。私がガイドラインを読むところ「単に関連する」「アクセスに便利」とかは、関連項目への掲載基準になっていませんので説明不十分です。

歌川広重には、「歌川派」という節ができる可能性はありますが、「浮世絵師一覧」に関する節は浮世絵師#著名な浮世絵師とかに移動されるでしょう。読者が浮世絵師の一覧を知りたければ、それがありそうな「浮世絵」やカテゴリを開くのが合理的な行動です。さらに私はカテゴリの整備を行ったのでアクセス性は向上していますし、雑多に関連項目に書き入れられた痕跡を把握しています。みそがいさんの主張にはそれだけの細かい理由説明がないです。

本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。例外として、内部リンクに存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます。 Wikipedia:関連項目
本文中で説明しきれないが重要な関連のある項目について列挙するのが望ましく、わずかでも関連のありそうな事柄を手当たり次第に列挙するものではありませんWikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)#関連項目
この節に記されているリンク先の話題は、もとの記事の本文中でも取り上げられているものであることが理想です。Wikipedia:箇条書き#関連項目

--119.240.140.111 2019年5月15日 (水) 05:30 (UTC)[返信]

本節は、ノート:歌川広重#関連項目に転記しました。関連するコメントは当該ノートでお願いします。--みそがい会話2019年5月17日 (金) 13:42 (UTC)[返信]
細かな説明を省いて転記するとか、コメント依頼を起こすというのは、対話の軽視に当たると思いますので、先になぜ本文中に登場しうる重要性があるのか説明するとか、または説明する必要が一切ないというガイドラインの解釈を説明してください。

このように私は答えていますので、その直後に転記しないでください。

みそがいさんが反射的に差し戻しを行った痕跡として、関連項目の「肉筆浮世絵」を含めた差し戻しがありますが、関連するガイドラインの「本文中にあるのが理想」という文面も理解されていないためか、このリンクが既に本文中にあることを調査していなかったことでしょう。ガイドラインを理解されていないということが背景にあると考えて、この会話ページで進行しているものです。

ガイドラインにどのような根拠があったのかという、みそがいさんによる合理的な細かな説明がまだ行われていません。--119.240.140.111 2019年5月17日 (金) 14:46 (UTC)[返信]

強硬な態度をお止めください。転記には反対しています。転記せずとも要点だけを移せばいいと思いますが、そこに必要となるガイドラインの説明がみそがいさんから行われていません。私が太字で説明している通りです。関連項目を戻すという際にガイドラインの何が根拠なんですか?自己勝手に戻しているという以上のガイドライン上の説明を行ってください。--119.240.140.111 2019年5月17日 (金) 15:26 (UTC)[返信]

ノート:歌川広重では新たに、Wikipedia:関連項目ハイチ帝国 (1849年-1859年)中央アフリカ帝国の例を持ち出されていますが、これは記事内容に関連がないが類似したエピソードを持つ記事同士の紹介です。

歌川広重浮世絵師一覧に類似エピソードはありません。ガイドラインの理解不足が継続されているものだとお見受けされます。「多少の関連性が有るに留まる項目を紹介する一覧表ではありません。(Wikipedia:関連項目)」、記事の本文中でも取り上げられているのが理想だが本文中で説明しきれないという関連項目への掲載条件を満たしません。歌川広重の記事本文中に、歌川派の説明や、個別の浮世絵師の名が出てくることは十分あり得るでしょう。しかし浮世絵師一覧が登場する必然性はなく、完成形になった歌川広重に浮世絵師一覧が登場する必然性はなく、むしろ浮世絵浮世絵師という記事から一覧へのリンクが掲載されるでしょう。

「読者の立場に立って自問してみることです」(Wikipedia:箇条書き#関連項目)を挙げていますが、浮世絵師一覧を読もうとする者は、歌川広重ではなく浮世絵浮世絵師を訪れることでしょう。みそがいさんは「単なる関連性」と「強い関連性」の区別がついていないとか、ガイドラインを深く理解できていないように思います。記事のノートページを使うものではなく個人的な会話が適切です。--119.240.140.111 2019年5月18日 (土) 23:15 (UTC)[返信]

他者コメントへの取り消し線[編集]

ノート:歌川広重で、許可なくWikipedia:ノートページのガイドライン#他人のコメントに取り消し線を引いていますが、認められない行為ですので、ガイドラインを理解されてください。--119.240.140.111 2019年5月17日 (金) 23:01 (UTC)[返信]

その点については私のミスでした。お手数をおかけしました。
ところで、あなたはノート:歌川広重にこちらの会話ページへのリンクを貼られましたが、いかなる理由によるものでしょうか。あなたは「個人的な会話が適切です」とおっしゃっているにもかかわらず、このような行為をすることに疑念を感ぜざるを得ません。私はあなたの行動が「歌川広重記事に関する議論があることを記事のノートページにて告知し、記事についての議論をそちらに誘導することにある」と判断し、それを受けて当該議論を転記したものです。それを「転記に反対している」とはいかがなものかと思います。そもそも、私が記事のノートページにて会話ページへの誘導をお願いしたことはありませんし、あなたからたずねられたこともありません。ただし、記事に編集に関する議論ですからWikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うの1.にて言及されているとおり、記事のノートページにおいて議論すべき内容だと考えておりました。さらに、あなたは同様の編集を他の記事でも行っており、議論が起きている最中にこのような編集作業を継続されるのも議論の内容を軽く見ておられるか、何か別に理由があるのか分かりませんが、Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れないに目を通しておられないのでしょうか。
いずれにせよ、歌川広重の編集内容に関しては当該ノートページにて議論を継続しますので、こちらには書き込まないで下さい。--みそがい会話2019年5月21日 (火) 14:32 (UTC)[返信]
差し戻しが繰り返されていたのでノート:歌川広重に事態を説明したにすぎません。
「歌川広重記事に関する議論があることを記事のノートページにて告知し、記事についての議論をそちらに誘導することにある」との判断は勝手なものであり、私は転記の拒否および、個人に対してのガイドラインの説明が妥当かと判断しています。
編集合戦のような状態について、どちらがやったという擦り付け合いを行うよりは、説明を行うことに努力したほうが実りの良い結果になるとは思います。--122.130.225.7 2019年5月25日 (土) 10:40 (UTC)[返信]

リンクについて[編集]

みそがいさま

高岡遼と申します。杜甫のページの外部リンクについてです。 外部リンクについてのページを読みましたが、如何なる理由でしょうか。 私が掲載したページはいずれも日本、中国、台湾の大学であったり、国家プロジェクトとして運営されているページになります。 杜甫の作品などに関して、読者がさらなる情報を検索する際にも非常に有用であり、なおかつ信頼に足るページとして、実際に学術研究でも利用されるデータベースとして、投稿させていただきました。

wikipediaの編集は初めてでわからぬことが多く、申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。--高岡遼会話2019年7月23日 (火) 13:43 (UTC)高岡遼[返信]

高岡遼様
当該外部リンクの内容についてですが、まず、全てが信頼に足らないと考えているわけではありません。「WP:ELPOINTS」で示されているような、記事(この場合は杜甫)の内容について、補完したり、理解の深化に利するものではない、という部分が問題なのです。例えば、CiNiiは単なるトップページへのリンクであって、そのページ自体が杜甫について閲覧者にとって有益な情報を含んでいないことは明らかです。高岡遼様が追記しようとしている外部リンクは大なり小なり同じなのです。だからといって、それらを用いた検索結果を外部リンクとして用いることは「WP:ELNO」の7に該当するおそれがありますので使えないと考えます。また、それらの外部リンクに対してコメントをつけておられますが、そもそも「WP:NOTADVICE」にあたります。
お気持ちは分からないではありませんが、外部リンクとして記載可能なものは「Wikipedia:外部リンクの選び方#何にリンクするか」によらなければなりません。汎用文献データベースのトップページのみを示し、なおかつガイダンスを記載することは避けなければなりません。「外部リンクの選び方」はガイドライン、「WP:!」は方針ですから、編集者は守らなければなりません。以上、よろしくお願いいたします。--みそがい会話2019年7月23日 (火) 14:32 (UTC)[返信]

みそがいさま わかりました。また、不手際ありましたら、事実かどうか怪しいものに関しましては今後ともご指摘のほどよろしくお願いします。 --高岡遼会話2019年7月23日 (火) 14:50 (UTC)[返信]

数学分野にいるあるIPさんに関して[編集]

こんにちは。この所ずっと、数に関するあちこちの記事で○○進法への換算や怪しいレトリックを次々加筆しているIPユーザーがいますよね。ええ、211.1.70.206さんです。その大半は見つける度にみそがいさんが対処していらっしゃるのを、履歴から窺っています。ダース(ノート:ダース)、キリバンといった記事は私が訂正を経験しました。でも、対処直後にまた書いてくることもあり、埒が明かないでしょう。そろそろ彼に何か措置を取ったりできないのでしょうか。そういうの考えていらっしゃいますか。(彼の編集に通底する改善点を私いくらか文章化できそうでして、会話ページに書きに行こうという算段があるのですが、彼はあそこ読んでるのかな……。)

彼は自分のウェブサイトを持てば見応えのあるものになろうに、とも思います。--鼈甲会話2020年1月6日 (月) 02:32 (UTC)[返信]

鼈甲さん、はじめまして。
私がいつIP氏の編集内容に気がついたのかは覚えていませんが、なにしろ○○進法に関する脈絡のない編集に関しては正直辟易しています。当該IPの会話ページには既に各ユーザーの別の話題の書き込みがありますが、返答がないので読んでいないのではないかとも思えます。なので、都度各記事のノートページや編集内容の要約で指摘するようにしています。現時点ではその先のことは考えてはいないのですが、問題ありと考えられる編集については適宜対処していきたいと思っています。少なくともWikipedia編集に参加するための最低限の方針やガイドラインには目を通してもらいたいです。いずれにしろ鼈甲さんの考えには同感です。何がIP氏の編集根拠になっているのか逆に知りたいところでもあります。--みそがい会話2020年1月6日 (月) 12:51 (UTC)[返信]

「浮世絵」の件について[編集]

みそがいさま

浮世絵の「絵具」ですが、あの後、自分でも調べなおして、「絵具」で問題ないことが分かりました。失礼いたしました。--Falcated会話2020年3月15日 (日) 14:05 (UTC)[返信]

わざわざコメントいただき恐縮です。時間があるときしか調べ物ができませんが、当該記事に限らずいろいろ改善していきたいと考えています。(適切な出典を探すのはなかなか骨の折れる作業です)--みそがい会話2020年3月16日 (月) 13:00 (UTC)[返信]


「浮世絵」歴史章冒頭について[編集]

みそがいさま 上述箇所、加筆しました。これで宜しいでしょうか?--Falcated会話2020年4月21日 (火) 18:43 (UTC)[返信]

Falcatedさん、編集ありがとうございます。分け方については各説あり、とりあえず各論併記となっており WP:NPOV に則った感じになったと思います。具体的な内容についての記述が無いのでおいおい充実させていかなければなりませんが、本文で長々と書くことをその後の4期の記述の邪魔になるので、注釈としてしまうのが適しているのかと考えています。--みそがい会話2020年4月22日 (水) 10:57 (UTC)[返信]
ありがとうございます。芳年を纏めるのが大変で手が止まっています。--Falcated会話2020年4月22日 (水) 12:11 (UTC)[返信]
WP:MSH#NOLINKに基づき、見出し内のリンクを外しました)--みそがい会話2020年8月12日 (水) 13:43 (UTC)[返信]

浮世絵師について[編集]

Tgftn614です。浮世絵師の記事を編集してくださり、有難うございます。系譜の鳥文斎派の人数が空欄になっております。お手すきのときに作成していただければありがたいです。宜しくお願いいたします。--Tgftn614会話2020年8月9日 (日) 02:26 (UTC)[返信]

各系譜の人数については、IP氏が記載したもので詳細については確認できていません。文献(『原色浮世絵大百科事典』)も近場の図書館の蔵書にはなく、追記できる状況ではありません。申し訳ありません。なお、現在の版[1]では人数の出典元がはっきりとしていません。『原色浮世絵大百科事典』は分冊事典で11冊あり、何巻の何ページの情報なのかを確定しなければなりません。Tgftn614さんにおかれましても、現状改善のために文献の確認ができましたらよろしくお願いします。(WP:MSH#NOLINKに基づき、見出し内のリンクを外し、文中のリンクに変更しました)--みそがい会話2020年8月12日 (水) 13:40 (UTC)[返信]

数字記事の出典について[編集]

初めまして。失礼します。

60507の「その他 60507 に関連すること」の項に、カリフォルニア州の町の人口について加筆した者です。 出典を明記せずに加筆してしまい失礼いたしました。 ウィキペディアの検索で"60,507人"と検索すれば分かるのですが、複数のカリフォルニア州の町の記事に、2006年時点での人口が60,507人であったと記載されています。 例えばウィローズ (カリフォルニア州)マークリービル (カリフォルニア州)などです。人口動態の項に括弧書きで記載されています。 記事によれば、2000年の人口は国勢調査による統計と書かれており、2006年のものも同じ典拠と思われます。 --Skywalker7667会話2020年8月28日 (金) 15:41 (UTC)[返信]

Skywalker7667さん、はじめまして。
まず、それぞれの記事を確認していただくと分かるのですが、カリフォルニア州のいくつかの都市の記事において、人口基礎データの記載が全く同じ「(2006年では60,507人)」となっていますが、そもそも記事の導入部における人口や基礎データにおける人口から乖離した数になっております。明らかに不自然です。(例えば、ウィローズ州であれば、「2000年国勢調査での人口は6,220人だったが、2010年では6,166人と約1%減少した」となっており、2006年(およびその前後で)6万人に増加しているとは考えられません。他の都市においても同様です。)
おそらく、記事作成において、Copy&Pasteしただけで修正し忘れたものと推察します。したがって、数値そのものの信頼性は著しく低いと考えられます。
さらにいえば、人口は常に変動する数値ですから、特定の時期のデータを抽出して「数」記事に盛り込むのは適切ではないと考えます。同様に、その数が何らかの特筆性ないしは重要な意味を持つかどうかが記事に盛り込む際の判断材料になるかと思います。ここら辺についてはプロジェクト:数学/数を参照してみて下さい。
--みそがい会話2020年8月28日 (金) 16:05 (UTC)[返信]

ありがとうございます。誤記ということであれば、仕方ないですね。特筆性に関しても了解しました --Skywalker7667会話2020年8月28日 (金) 16:23 (UTC)[返信]

ズーアカンプ[編集]

http://polylogos.org/philosophy/kant-bib.html

あなたがしていることは荒らし行為だと思います。女性学修者を称揚している箇所がありその人との関係が伝えられていることから、出典にしています。言い方は変更してある訳ですが、直接の引用とは相違するのでこの程度にしてあります。ご参集下さい。--Textural会話2021年1月23日 (土) 08:43 (UTC)[返信]

コペ転の正体については当然異論があり、記事のリンクは切れていますよね。冒頭部はそのような性質の文書です。冒頭は独自研究ですか。なぜ私の投稿を攻撃するのかを理解できない状況です。条件付きですが、刊行年月日は省略可能で、「1」の「則っていません」という意味が不適正です。リバーとするのではなく、内容の説明をお願いします。「2」については、もっと広域的にサーベイする必要があるとおもいます。書籍にも複数のバージョンがある訳で、あなたの調べ方は私を愚かな荒らしとしてしか捉えていないということではないでしょうか。「3」についてなのですが、直接の引用以外は50%以上を占めていないといけない筈なので、引用でない為にルール違反という態度は単なる独断でしょう。カントと女性の関係については、ネット上も多数の内容が見つかる訳で、単なる引用までは記事を拡げて私にとって好都合な記事への書き換えを行うこともできるのかも知れません。私としては文面の校正については労を払ったので、変えたくない訳です。裏を返せば引用ではないという姿勢は、他の編集者の排除でしょう。あなたがなぜカントの記事に興味を持ったのかは知りませんが。カントやヘーゲルは、大陸哲学の枢要であると見做される場合があり、当方としてはその人物についての記事の冒頭を軽視したくはないのです。ともすれば女性の社会参画については遅れていたとも見做されなけない分野であり、暫定的にではあっても記事を投稿した訳です。権威による引用の形に限定すれば、ウィキペディアの可能性は限定されます。既述のようにコペ転はリンク切れであり、権威による的確な記事は望めないのではありませんか。単なる引用の体裁を要求する立場については、留保を望みます。人間科学については、研究者の変化がそのまま研究内容の変化を想定させるということもありナーバスになるものです。人間科学と人間学の関係についても、女性的な、フーコーによって研究されたことはよく知られたことです。人間科学の女性化については、今では最前線の闘争に発展している訳ですから、カントの記事の冒頭は軽視できません。--Textural会話2021年1月23日 (土) 11:19 (UTC)[返信]

Texturalさんの会話ページへコメントしました。私の疑問点についてお答え願えれば幸いです。私に対するコメントに関し、哲学論をするつもりはありません。
なお、イマヌエル・カント記事の冒頭導入部に疑義をお持ちならば、出典に基づき適切な編集をしていただければと思います。--みそがい会話2021年1月24日 (日) 11:30 (UTC)[返信]

XIが該当の書籍に相当します。ご自分で邦訳をお願いします。刊行年が不明の書籍であり、記載の不備は存在しないのでは。 同名の書が存在しないことから巻数も不要だと思います。ルールのページには詳細の記載が無いと思います。

1.「本人の文壇における性差の克服もあり、同時代の女性学修者の知名度が高かった」という評論について。 普通に読めば、研究者等の第三者による評価、と考えられます。この認識は正しいですか? 第三者だとすれば、それは誰によるものですか?

設問の意図が不明。主体的に女性と交流し、著書で女性について述べています。はっきり言って性別を無視してそのような論調になりますか。答えになっていますか?

その文献は典拠にしていますが、直接の引用以外は投稿が認められないのでしょうか。既述のように変更を加えています。そういう内容は投稿できないのでしょうか?

同時代の男性学修者の知名度は低かった、ということでいいですか?

存じ上げませんが、並以上でしょう。女性学修者の知名度の向上がカント以前になるということは重要な論点です。 ご質問が、「哲学論をするつもりはありません。」と矛盾するようです。

カントによる自己評価であるならば、「Wikipedia:信頼できる情報源」における1次資料にあたり、取り扱いには十分注意しなければなりません。

後で考えます。忙しいので冒頭の編集で。同時期の著名人についても、冒頭のみで、同様です。

記載しようとしている内容は記事本文中には見当たりません。必要ならば適切な節の中で記述すべきではないですか?

典拠にしていますが、直接の引用以外は投稿が認められないのでしょうか。既述のように変更を加えています。そういう内容は投稿できないのでしょうか?

3.出典文献の刊行年について。

  • ガイドラインの「刊行年月日」。「年月日が明記されていないなどでわからない場合は省略可能。」

以上より出典の記載方法に不備は無し。

4. 相互に尊敬していたようです。相互に認知していた訳です。 典拠にしていますが、直接の引用以外は投稿が認められないのでしょうか。既述のように変更を加えています。

5. 同一の内容にたどり着く必要は皆無です。 カントと女性について広く調べてください。あなたにも、記事を改善する権利はあります。話が噛み合わ無いので、カントと女性について調べてくださいと言っているだけです。出典と記事はあなたが用意してもいい訳ですし、質問の意図が不明です。--Textural会話2021年1月25日 (月) 11:01 (UTC)[返信]

本件は「ノート:イマヌエル・カント#導入部への記述(2021年1月23日 (土) 17:44編集)に関して」にて問題点として提示しましたので、コメント等ありましたら当該ノートでお願いします。--みそがい会話2021年1月27日 (水) 10:50 (UTC)[返信]

見づらくなりますので、このページに回答を明示して下さい。1、刊行年に関するルールの無視についての釈明はあるのか。それを踏まえても、出典の不備はまだあったのか。2、ズーアカンプでの検索で済ませ、出典の捏造を唱える乱雑な姿勢には問題がないのか。以上、ページに回答を投稿することを希望します。ご回答をお願いします。単なる穿さくで出典を消し去る行動はやはり荒らし行為になると思います。単なる引用が50%を超えることは違法行為に繋がることから避けるべきであり、当然文言の微細な相違は許容されるべきです。投稿側の配慮もありますが、あなたの底意(善意)と独自の解釈はルール違反(独自研究)です。曲解は独自研究です。出典を恣意的に退ける理由を捏造しないで下さい。それは中立的な観点とは無縁であり、独自研究に該当します。--Textural会話2021年1月27日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

繰り返しになりますが、もはや記事の内容についての議論ですので、必要であれば当該ノートページでお願いします。こちらではこれ以降返答しません。2021/1/27のTexturalさんの書き込みをそのまま当該ノートページにしていただいても構いません。よろしくお願いします。--みそがい会話) 2021年1月27日 (水) 13:53 (UTC) 敬称抜けを補記--みそがい会話2021年1月28日 (木) 13:23 (UTC)[返信]

あなたは安易に敷衍という語を用いましたが、自己の解釈の不適切性の代替語としては、操作主義は認められるべきではなく、真理としての操作主義は、通常の意味での鉄槌なのであり、明確な、語感違い・ゴロ違いです。一方的に私の指摘を改悪しているように感じていますが、必要な知識について適宜述べているだけです。事実としてその延長線上の失言が、指摘以後に確認されています。ご配慮を繰り返しお願いしている所以でもあります。「敷衍」という言い方が必要だったでしょうか。当方としては疑問です。あなたの敷衍という用語は演繹に見せかけた帰納であり、通常の用法とは相違しています。論理的には誤謬です。--Textural会話2021年1月29日 (金) 11:09 (UTC)[返信]

2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します[編集]

こんにちは!

2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。

  • ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
理事会の簡単な説明はこちらをご覧ください
  • 候補者紹介
今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください

理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。

こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。

その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。

ご質問がございましたら、ファシリテーター選挙ボランティアまでお問い合わせください。

選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:04 (UTC)

このお知らせは2021年ウィキメディア財団理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除

まもなく終了 理事会選挙へ投票のお願い[編集]

みそがいさん

こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。

2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

もしみそがいさんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。

ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるみそがいさんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。

投票いただくに際し、まず19名の候補者からみそがいさんが支持する方をお選びください。 支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。 所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。

投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。

ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、みそがいさんのご協力を重ねてお願い申し上げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:20 (UTC)

このお知らせはウィキメディア財団2021年理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除

キルヒホッフの法則 (電気回路) について[編集]

みそがい様

はじめまして。

8月14日に私の執筆した記事「キルヒホッフの法則 (電気回路)」を大幅に差し替えなさったようですが(この記事にさほど思い入れもなく出典を丁寧に書かなかった私にも責任があるのでどうでもよいのですが)、どうやら物理学というよりも工学の言葉でお書き直しになったようで、私としては些か不満が残ります。編集合戦をする気は毛頭ございませんので、どう編集なさるかは完全にみそがい様にお任せするのですが、特に田崎晴明『数学:物理を学び楽しむために』の 5.4 節は極めて適切な電気回路の取り扱いをしているので(工学屋がどうお考えになっているかは存じ上げませんが)物理屋は概ねこのように捉えているということを、ぜひご理解いただけると幸いです。

特にみそがい様がご執筆になった記述ですと、誘導起電力の取り扱いが不明瞭であるように思われます。しかし Maxwell 方程式から考えると極めて明快に位置付けられるものです。この点についても必ず上の 5.4 節をご参照ください。

それでは。

--永月杏会話2021年9月12日 (日) 07:21 (UTC)[返信]

永月杏さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
この版[2]において編集した理由ですが、要約欄に記した通りです。具体的には、永月杏さんの記述では、
  • 電流則節、電圧則節とも適切な方法で出典が示されていないこと(数式の具体的な出典元など)。
  • 電圧則の後半部分について
    • 記事中で定義されていないΔV等記号を使って説明していること。
    • 「「コイルの電圧降下」とはコイルに生じる誘導起電力の項を機械的に移行したことによって得られた副次的な項」という記述が記事中の何を言わんとしているのか不明で有ること。
    • 「この議論は、ベクトルポテンシャルを用いて得ることもできる」という記述は、何の議論なのか不明であること。
の部分が読者にとって(出典とされる文献をみても)疑問点になるのではないか、ということです。なお、編集にあたっては、付された出典文献には目を通しており、読者として気になったことが元になっております。内容の正確さはともかく、WP:VWP:CITEに基づいて記述しなければなりません。その上で、記述は不十分であると考え、確認できた資料を基に編集したまでで、それが工学系教科書だったということです。手持ちの電磁気学書籍でキルヒホッフの法則を扱っているのは『電磁気学』砂川重信/岩波書店がありましたが、それも編集前の記述に対しては不十分な内容であると感じたため用いませんでした。工学屋、物理屋あるいは中学生であろうと、Wikipediaでは守るべき方針・ガイドラインに基づけば当人の専門分野に関係無く編集することが出来ます。
なお、誘導起電力の取り扱いが不明瞭とのことですが、私の編集では(というか出典文献において)インダクタンスを特別に考慮すべき理由は無いため記述していません。交流回路(ないしは過渡現象)においては抵抗、静電容量、インダクタンスはすべてインピーダンスとして(説明としては)統一的に扱っているからです。
永月杏さんにとっては不十分な内容であると感じておられるのですから、適切な出典を用いて加筆していただければと思います。なお、「数学:物理を学び楽しむために」については、私がご指摘の編集を行った時点では2021年8月以前の版だったように記憶していますが、今回確認したら2021年9月になっていました。出典として利用する場合、参照する版が固定されていないと後々問題が発生する可能性があるのではないかと思います。出典文献としてはこの場合、できれば教科書や論文などの固定されたものが望ましいと考えています。
以上、よろしくお願いします・--みそがい会話2021年9月12日 (日) 13:28 (UTC)[返信]

向井去来の祖父の名は兼秀であるについて[編集]

子孫の諫早向井家12代当主 向井 安雄さんの依頼で書き込んでいます 95歳で死ぬ前にどうしてもこの内容を記載したいとゆう依頼で書き込んでいます 立証確認が可能かどうか、本人に会って確認してください 私はご本人にあって依頼を受けています あなたは確認してないのに削除しているようです、立証確認可能ですので確認をお願いします 諌早市の向井不動産会長さんにお会いになってください 私が確認もなしに書き込んでいるとあなたは削除していますがあなたは本人に会って確認してますか? 面談後確認して削除されるのはかまいませんが、確認もせずに消去は納得がいきません --以上の署名のないコメントは、Nagasakitori会話投稿記録)さんが 2021年9月29日 (水) 00:00 (JST) に投稿したものです(みそがい会話)による付記)。

消す前に実際に訪問して確認をお願いします --以上の署名のないコメントは、Nagasakitori会話投稿記録)さんが 2021年9月29日 (水) 00:21 (JST) に投稿したものです(みそがい会話)による付記)。

Nagasakitoriさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
はじめに、コメントする際には、署名していただくようお願いします。最後に半角チルダを4つ続けて投稿(~~~~)するか(--~~~~)を入力してください。詳細は「Wikipedia:署名」を参照してください。
さて、向井去来の編集に関してですが、Wikipediaでは、編集する者が守らなくてはならない決まり事(方針・ガイドライン)があります。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:信頼できる情報源」等の関連文書をご確認ください。
その上で申し上げますが、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」を読んでいただければ分かるように、信頼できる情報源により検証可能な内容しか記載できません。Nagasakitoriさんが編集した内容はそれを満たしていないのです。出典として付されたWebページについては、誰が作成したものか不明であり、仮にそれが真実だとしても裏付けとなる根拠(文献等)が示されていません。つまり、誰も一次資料・二次資料・三次資料で確認・検証できない情報です。この点については「Wikipedia:信頼できる情報源」をよくお読みください。ましてや、本人に会って確認しろということはWikipediaでは最も忌避されます。私が確認する義務はありません。示された出典を評価し、Wikipediaのルールに則った上でNagasakitoriさんの編集を差し戻しただけです。適切な出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
Nagasakitoriさんにおかれましては、再度Wikipediaの方針・ガイドラインをご確認の上、編集されることを望みます。必要であれば、適切な印刷文献等を出典として用いるのがよいと考えます。--みそがい会話2021年9月28日 (火) 16:29 (UTC)[返信]
そうですねあなたに確認する義務はないですね、95歳で余命なくなんとかと思いを託されましたがあきらめてくださいと伝えておきます、マシーンのように作業されていて尊敬いたします
心なきインターネットにちょっと悲しいですが、頑張って削除を続けてください
頑張ってください、応援しております--Nagasakitori会話2021年9月29日 (水) 15:05 (UTC)[返信]

電力における平衡接続につきまして[編集]

みそがい様、はじめまして、Huburaと申します。単相3線式が平衡接続であることは、英語版Split-phase electric power|Balanced powerにも掲載されております通り、電力系のエンジニアにはよく知られている事実です。また同ページには電磁ノイズを減らす為に使用されるとあり、この電磁ノイズはEMIのことになります。どうぞよろしくお願いいたします。Habura会話2021年10月9日 (土) 22:45 (UTC)[返信]

みそがい様、AC極性とEMIの関係にも疑問をお持ちのようですが、単相負荷の場合、行き線路(活線)と戻り線路(ニュートラル)に同じ大きさの電流が逆向きに流れる場合において、リークや電磁波、EMIが発生していないと言えます[A 1]。商用電源周波数の場合はほぼ問題がないのですが、PWMでスイッチングしていたりすると、高周波成分が線路に重畳します。その際、線路が差動・バランス線路により位相差が180°であったり、戻り線路が接地されている場合は、2線間での電磁結合が強くあまり外部には電磁波が漏れることはありません、線路に電荷が超過していても接地されていれば大地へ戻ることができます。ところが電源スイッチやスイッチング回路が戻り線路の継続性を断ち切ってしまうと、行き線路(活線)にある電荷は、行き場を失ってしまい、近くにある低インピーダンスを持つ導体に対して誘導・結合しようとします。これは電界・磁界が、行き戻り線路以外に発生する、すなわち電磁波が発生するということです。極性が入れ替わるのが問題ではなく、スイッチ(あるいはスイッチング素子)のある側が入れ替わることで、発生する電磁波の大きさが変わります。理論はちょっと難解なのですが、電気毛布など非線形で制御されるAC100V製品の電源コードをリーククランプメーターを使用して比較・測定することで簡単に検証できます。また三相電源のR-Tではそもそも戻り線路(大地へ接地がない)がなく2線が平衡することもありませんのでリーク、電磁波、EMIが発生します(あくまでも非線形負荷の場合です)。出典が不明瞭ということであれば改善しますが、電磁波を扱うエンジニアには広く知られている事実になります(ちなみにIHクッキングヒーターは敢えて電磁波を外部導体に結合させる目的で設計されます)。どうぞよろしくお願い致します。Habura会話2021年10月9日 (土) 23:34 (UTC)[返信]

  1. ^ https://www.edn.com/return-path-discontinuities-and-emi-understand-the-relationship/


Haburaさん、はじめまして。コメントありがとうございます。EMC、EMI関連の編集ご苦労様です。
さて、[3]における編集意図は以下の通りです。
  1. 日本の単相3線式が平衡接続・平衡線路と呼ばれている出典が無い。(内容は正しいのかもしれませんが。なお、英語版で言及されていても出典文献は必要です)
  2. 2線で負荷に電力を供給するという意味では単相2線式も平衡接続と言えるのではないか。(単相3線式だけを採りあげる理由は何か)
  3. 単相機器(負荷)で発生するノイズには、ノーマルモードとコモンモードが存在しますが、平衡接続であることが総じてEMCに効果があると言い切ってもいいのか。(極論すれば、機器側にノイズフィルタを入れなくても平衡接続であればEMC的には問題ないとも読めます)
  4. 中性線に存在する超過したノイズとは何を指しているのか。(コモンモードノイズのことか?)
  5. 大地へ放電とは何を意味しているのか。(放電現象なのか、電磁波の放射なのか) また、「放電することがあるが位相が逆で・・・」の繋がりが不明確。
といった点が疑問・不明確であることが理由です。(要約欄には記述しなかったものも含めています)
今回いただいたコメントの中で、「電気毛布など非線形で制御されるAC100V製品」があげられていますが、これはノイズを発生する機器ということでしょうか。であれば、平衡接続であることがEMCトラブルが少ないというのはやはり言い過ぎだと思います。広く知られている事実であることであってもWikipediaでは書けないことがあります。(「Wikipedia:検証可能性」)
[4]で編集を差し戻しされましたが、同じ内容の記述が2箇所にあります。良くご確認ください。私は要約欄に理由を記述して編集しましたが、理由無く差し戻しすることはお控えください。
また、Haburaさんが編集された別の記事(電磁両立性、フォトカプラ)を見ていて気がついたのですが、出典とされる文献は示されていますが、具体的な記載場所が示されていないものがあります。Wikipedia:出典を明記するを参照して補記していただくようお願いします。
以上、よろしくお願いします。(時系列の都合上、この節は最下段に移動しました)--みそがい会話2021年10月10日 (日) 02:25 (UTC)[返信]


半素数 でのリバートにつきまして[編集]

私は、要約欄に理由を記述して編集しましたが、その内容は確認していますか? 理由に記載したとおり、「出典を脚注欄に表示させるため」にref タグを追加しています。

「出典を脚注欄に表示させるため」の編集は、脚注に出典元をリスト表示させることができ、 閲覧には有益な編集と理解しておりますので、リバートされるような編集ではない認識です。

私の編集を即時リバートしていますが、リバートの理由として、「プロジェクト:数学/数#数列の記事」を参照と要約欄に記載がありましたので、 今回、改めて参照しましたが、 「出典を脚注欄に記載してはいけない」というようなルールは一切見当たりませんでしたが、どの部分が、削除の理由になるのでしょうか?

「プロジェクト:数学/数#数列の記事」の内容が膨大なため、私の見落としの可能性もあるとは思いますが、 要約欄にもノートにも、みそがい様の具体的な説明がなかったため、 理解に苦しんでおります。 みそがい様が即時リバートが妥当だという判断をした理由に当たる部分を、提示いただけますでしょうか? こちらのノートにて提示、説明をお願いいたします。

妥当な明確な説明でなければ、即時リバートというような「一方的な行為」は、一般的にも理解されない編集ですので、 残念ですが、みそがい様のリバートを取り消しさせていただきますので、ご了承ください。

--ひできち会話2021年11月17日 (水) 16:59 (UTC)[返信]

ひできち東京さん、コメントありがとうございます。
私がリバートしたのは「プロジェクト:数学/数#数列の記事」に書かれているとおり、記載する数列においてオンライン整数列大辞典にあるものは、数列の後にその番号のみを記載すれば良い、という意味です。これは、{{OEIS}}を記載することによって、自動的に外部リンクが設定されるとともに出典を示しているからです。ひできち東京さんの編集されたものは、本文中に出典(オンライン数列大事典番号と外部リンク)を記載し、それにさらに出典として同じものを付加していることになり、二重に出典を示していることになります。
「「プロジェクト:数学/数#数列の記事」の内容が膨大なため」と言われますが、この部分にはフィボナッチ数の例しかなく、その例に従えば二重に出典を示すようにはなっていません。別の例をあげると、100 でも出典としてオンライン数列大事典番号が付けられている部分では脚注による出典提示にはなっていません。全てを確認しているわけではありませんが、他の「整数」記事においても同様です。
Wikipediaでは出典を記載することが要求されますが、それをどのように行うかは色々な方法があります。少なくとも「整数」記事では、数列記載の出典としてオンライン数列大事典番号が要求され、それを満たすために{{OEIS}}を使うようにプロジェクトルールとして規定されています。また、出典先が外部リンクである場合は本文中での記載ではなく脚注節になるようWikipedia:出典を明記するにありますが(Wikipedia:記事どうしをつなぐ#外部リンクの使い方は慎重にも参照)、{{OEIS}}を使う場合は許容されています(Template:OEISの解説を参照)。これは、逆に言えば、{{OEIS}}を使えば出典を提示していることになり、かつ、脚注節に置くべき外部リンクを本文中に埋め込むことが許容されている、ということです。これはまた同時に、速やかに出典元を確認できることでもあります。
脚注による出典提示を行うためには、本文中では{{OEIS}}を使わず、<ref>・・・</ref>内に{{OEIS}}を記載することが妥当な方法だと考えられますが、現状の「整数」記事に適用すると可読性が悪化するとともに、プロジェクトルール記載の方法とは違ってきます。
長くなりましたが、以上のような理由によります。もちろん私の理解が間違っているかもしれません。ただし、多くの「整数」記事で適用されている(と思われる)プロジェクトルールについてですから、疑義がある場合はプロジェクト‐ノート:数学/数にて議論すべきかと思います。--みそがい会話2021年11月18日 (木) 00:26 (UTC)[返信]
回答された内容は、私の編集内容(出典を脚注欄に表示させる)について
現状のルールに違反しているという指摘部分が提示されていません。
回答していただいた内容は、
みそがい様がおっしゃるとおり、「プロジェクト‐ノート:数学/数」の「数列の記事」節の内容
の恣意的な拡大解釈であろうと受け取りました。
「プロジェクト‐ノート:数学/数」「数列の記事」節の趣旨は、
「延々と数列の続きを加筆すること」について言及しているのであって、
「脚注」節に出典をリスト表示させることについては、なんら言及していません。
よって、私の編集内容は、現状のルールから何ら逸脱したものではないのですから
当然、即時リバートされるような性質のものではありません。
もし、私が行った「脚注」節に出典をリスト表示させる類の編集を
みそがい様が即時リバートの対象としたいと思っているのであれば、
みそがい様がまず、「プロジェクト‐ノート:数学/数」にて、議論の提案者となって
そのようなルールを新たに作ることに合意形成の議論を行ってください。
私は、そのようなルールは現状も存在しておらず、今後も必要はないと思っていますので、
現時点では、そのようなルールつくりの議論に参加する意思はありません。
今後、みそがい様その他の方らの議論の合意形成がされていく過程においては
意見をさせていただく可能性はあると思います。
今回、議論することなしに、みそがい様が即時リバートしたことについては
wikiマナーとして許容されるものではないと認識しておりますし、
上述のとおり、リバートされるようなルール違反の編集には該当しない
と認識していますので、みそがい様のリバートは取り消しさせていただきます。
--ひできち会話2021年11月18日 (木) 02:09 (UTC)[返信]
本件は、プロジェクト文書の適用に関する話ですので、ノート:半素数に議論の場を移しました。コメントはそちらでお願いします。--みそがい会話2021年11月18日 (木) 10:30 (UTC)[返信]

「円の面積」記事に関して[編集]

あまりにも分かりきったこと、暗算でできることは、たとえ出典があっても書くべきではありません。 それは、すでに述べいることです。あなたは、私が書いた極限の証明もすべて本文に書くべきというのですか? 私はあれを、暗算でやりました。--KiyohisaTokunaga会話2022年2月25日 (金) 01:47 (UTC)[返信]

私はKiyohisaTokunagaさんの会話ページに「記事のノートにおいて、理由の開示をお願いします」と書きました。ご意見はそちらでお願いします。
しかしながら、一応お答えしておきます。分かりきったこと、すなわち円の面積の公式は導入部で明らかになっています。だからといって、それ以降の記事の中で公式を記述してはいけないわけではありません。KiyohisaTokunagaさんの暗算にどれだけの能力があるのかは分かりませんが、Wikipediaを閲覧する人が同じレベルであると断定することは控えなければなりません。少し複雑な公式、例えば二次方程式の解の公式などはKiyohisaTokunagaさんは空で導出できるでしょうから、途中の式でさえ不要というお考えなのでしょう。式の導出は最後まで示してこそ式の導出なのであって、分かりきっているとか暗算できるからという理由で省略することは、読者に導出過程の不明確さを与えるだけです。ですから「少なくとも読者にとっては余分な思考や操作を経ずに面積の公式の流れを追うことができます」という理由で記述したのです。一方でこのような削除編集をし、一方で冗長な計算表を載せたりという編集姿勢にも疑問を持っています。KiyohisaTokunagaさんの論で言えば、四分円の計算式に円の面積の公式が含まれますが、それも不要なのではありませんか?
「稚拙」「あなたは、紙の百科事典を見たことがあるのですか?読むの結構大変ですよ。それにこんなのは不便でも何でもないです」と記事のノートで発言されていますが、私は「その百科事典はどれですか」と尋ねたままお答えが帰ってきません。『数学小辞典』が記述の根拠であることは既に示しています。出典の内容自体に疑問点があるのならばいざ知らず、出典の記述をそのような意見で削除するのは出典の軽視です。また。読者にとっての不便を容認するような、KiyohisaTokunagaさんの主観としか思えない理由で削除するのは内容の難易にかかわらず不適当な意見だと思います。
極限の証明についても同様です。KiyohisaTokunagaさんが長々と式を連ねることをしなければ説明できないほどの省略は、省略しすぎなわけです。全てを書けといっているわけではなく、Glayhoursさんの重要な記述を削除してまですることですか?と言っているのです。
繰り返しますが、「記事のノートにおいて、理由の開示をお願いします」。KiyohisaTokunagaさんの今回のコメントをそのまま記事のノートにしていただいても構いません。その場合はおそらく私は同じコメントをすると思いますが。(この文意の文はKiyohisaTokunagaさんの会話ページにも書いておきます)(ノートの節構成をハッキリさせるため、タイトルを補記しました)
--みそがい会話2022年2月25日 (金) 03:43 (UTC)[返信]

宮武外骨[編集]

宮武外骨について、私が特別な思い入れあがあるわけではありませんが、
「がいこつ」ならず「とぼね」という読みを冒頭に追加したのは、きっかけがあり、妥当な加筆と考えます。
そのきっかけとは、この昭和6年の書物について[5]、国会図書館のデータベース上で"宮武外骨  ミヤタケ, トボネ"となっているからです。

あなたはそのまま差し戻しされたのは、そのことをご存じなかったゆえにと考えるので申し上げるまでです。
ですが、あなたのおっしゃる"活動の大部分は「がいこつ」であり「とぼね」は昭和18年以降の短期間"理由づけは理解はできますが、{{国立国会図書館のデジタル化資料}}で採用されない以上、普遍性はありません。すなわちそれは、ご自分ルールに過ぎないので、他人に押し付けることはできません。--Kiyoweap会話2022年3月14日 (月) 03:54 (UTC)[返信]

Kiyoweapさん、コメントありがとうございます。
国立国会図書館典拠データ検索・提供サービスにおける宮武外骨の読み方がどうなっているかについては、今回初めて知りました。情報ありがとうございました。
ところが、当該データベースでは「がいこつ」も別名で登録されています。どういう経緯で「とぼね」が筆頭に来ているのかまでは分かりませんが、たとえば、
河出書房新社の『宮武外骨 吉野孝雄編』では「がいこつ」が出版社としての正式名称であるにもかかわらず、
国会図書館『宮武外骨 吉野孝雄編』では「とぼね」という読みになっていますし、
Cinii『宮武外骨 吉野孝雄編』では「がいこつ」です。
よって、国会図書館のデータベースが出版社が正式としている書名ではない読み仮名とつけていることが分かります。また、少なくとも「がいこつ」期間中に発行した新聞や書籍に関しても、データベースを辿ると「とぼね」名義になるという有り得ないことになります。
この事実によって、国会図書館のデータベースの普遍性や信頼性をどうこう言うつもりはありませんが、少なくとも作成されたデータベースよりも信頼できる書籍出典を基にして議論することの方がWikipediaという場においては重要なのではないでしょうか。言い換えれば、国会図書館のデータベースが唯一の普遍的かつ信頼性を担保したものではないわけですから、上記に示したような状態を適切に判断することも重要でしょう。これは「私だけのルール」では無いと考えます。
「がいこつ(ぐわいこつ)」を「とぼね」と変えたのは提示された出典文献 pp.435-436 に書かれていますからKiyoweapさんも確認されていると思います。同文献には、p.2 に「宮武外骨 是本名也」という『スコブル』(大正5年10月)の1枚があり「ぐわいこつ」のルビが振られています。pp.56-59 には、明治18年に外骨と改名して戸籍も変更した旨が書かれています。これらの記述によれば、外骨に改名以来一貫して「がいこつ」であり、昭和18年から「とぼね」を用いはじめたことが分かります。もとより、戸籍には読みは書かれませんので実際にはどうだったか不明ですが、このような出典からすれば妥当なものであると考えております。また、昭和18年以降は記事中の出版物年表によればあまり顕著な活躍ではく、読みの変更についても本文で軽く触れられている程度です。「がいこつ」として知られている人物に対して、強いて「とぼね」を併記することはバランスがとれていないと感じます。もちろん、「とぼね」名義での著名な活躍や出版物があって、あるいは「とぼね」としている二次出版物が広く流通しているということであれば話は別だと思いますが。
このような理由により、Kiyoweapさんの編集において DEFAULTSORT が変更されたのは不適当であると判断しました。また、要約欄には書きませんでしたが、出典文献の記述方法がWikipediaにおける提示方法と異なっていたり、理由が明らかでない参考文献の並び替えがありましたので、こちらも不適切であると思い、合わせて差し戻した次第です。後者の理由について書き漏らした点についてはお詫びいたします。--みそがい会話2022年3月14日 (月) 11:31 (UTC):[返信]

数学ハンドブック(1985)[編集]

円の面積で出典に掲題の文献が追加されていますが、書誌情報が参考文献欄に記述されていません。みそがいさんの編集で追加されたようなので、お手数ですが追記をお願いいたします。 Glayhours会話2022年4月2日 (土) 12:04 (UTC)[返信]

Glayhoursさん、ご連絡ありがとうございました。以前の版にはあったのですが、いつの間にか欠落していました。補記いたしましたのでご確認願います。--みそがい会話2022年4月3日 (日) 00:40 (UTC)[返信]
編集確認いたしました。ご対応いただきありがとうございます。 Glayhours会話2022年4月3日 (日) 06:09 (UTC)[返信]
お手数をおかけしました。過去版との突き合わせ編集の中で混乱していたのが原因のようです。以降、確認を念入りにするつもりです。ありがとうございました。--みそがい会話2022年4月3日 (日) 09:24 (UTC)[返信]

DÖTV欄を付加する理由[編集]

モールス符号#符号化方式に「国際モールス符号ではなく、DÖTVのモールス符号(1854年4月版)を基にイロハを当てはめている。」 と記述されており、和文モールス符号表にDÖTV欄を付加することによりそのことが鮮明に理解できるという理由で付加しました。いけませんか?--Viking Rollo会話2022年6月12日 (日) 17:07 (UTC)[返信]

Viking Rolloさん、コメントありがとうございます。
意図は分かりますが、そもそも記事の構成上DÖTVの符号自体が明記されておらず、さらにDÖTV符号とと国際モールス符号との関係が不明な状態で和文モールス符号の表に付加することが適切であるのか、というのが元々の理由です。文中では和文モールス符号がDÖTV符号を基にしている旨の記述があることは承知しています。ただし「イロハ節」では、欧文モールス符号が基になっているとなっています。比較表を載せるのであれば、これらの問題を解消することが先なのではないかと考えます。
なお、後にこの版[6]で追記された部分も、編集者の論評なのか出典を基にした記述なのか不明です。
付加された表部分についてはViking Rolloさんのお考えを尊重して再削除することは控えますが、上記の問題点を改善することが読者にとって有益なのではないかと思います。--みそがい会話2022年6月13日 (月) 11:01 (UTC)[返信]

WP:ELNO #6[編集]

https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E7%AC%A6%E5%8F%B7&diff=89993825&oldid=89993790

このUNDOも意味不明です。当該サイトは利用するにあたってユーザー登録する必要は有りません。--Viking Rollo会話2022年6月12日 (日) 17:18 (UTC)[返信]

Microsoft Edge、Firefoxで当該サイトを閲覧しましたが、「登録は無料、今すぐ登録してCWの腕を磨いてください(ユーザー名 "test"、パスワード"test"でお試し可能)」となっており、登録しないとコンテンツを利用できません。(お試し登録すれば利用できます)
したがって、仮ではあってもユーザー登録を必要とするサイトであるといえますから、WP:ELNO の6項「閲覧に有償、若しくはユーザー登録を必要とするサイト」であると判断しました。もともと外部リンクの選定理由として WP:ELPOINTS に当てはまるものでもありません。削除理由でも述べましたが、学習サイトは他にもあり、ガイドラインを逸脱してまで当該サイトを記載する理由もありません。--みそがい会話2022年6月13日 (月) 11:01 (UTC)[返信]

Wikipedia[編集]

先日、ウィキペディアの投稿が差し戻された(荒らしが広告を入れること)のを確認しました。私の投稿は荒らしを侮辱しないのルールに反しているかもしれませんが、実際に荒らしの詳細が書いてあるページでは、広告が入っていると書かれてありますので、事実を書いたのに悪戯編集とされるのは少し違うと思いますが、どうでしょうか?--偉大なる混沌会話2022年7月1日 (金) 20:24 (UTC)[返信]

偉大なる混沌さん、コメントありがとうございます。
当該編集については
といった理由から、記載内容を鑑み「悪戯編集」として判断し要約欄に記載して差し戻しました。Wikipediaは「事実を書くのではなく検証可能なことを書く(Wikipedia:検証可能性)」という、編集者が必ず守らなければならないルールがあります。先ずは上記の各種ルールをご確認願います。--みそがい会話2022年7月1日 (金) 23:31 (UTC)[返信]
なるほど。ありがとうごさいます。--偉大なる混沌会話2022年7月2日 (土) 02:33 (UTC)[返信]

コメント依頼提出のお知らせ[編集]

機械的なカテゴリ除去に関して[編集]

はじめまして、Ikespiritと申します。あなたが行われたホワッツ・ゴーイン・オン (曲)におけるカテゴリ除去は、すべてが適切とは言えず、プロジェクト:楽曲#カバー曲の扱いに反した編集(「インフォボックスを使用して充分な説明がなされている場合はそれぞれをカテゴライズします」という記述をよく読んでください)も含まれていることを申し上げておきます。--Ikespirit会話2023年2月7日 (火) 11:11 (UTC)[返信]

ご連絡ありがとうございました。改めてプロジェクト文書を確認しました。単純にいえば「インフォボックスがあるカバー曲に関してはカテゴリに追加してもいい」ということですね。以後注意します。ところで、いただいたコメントに「すべてが適切とはいえず」とありましたが、「ダニー・ハサウェイの楽曲」、「ダリル・ホール&ジョン・オーツの楽曲」カテゴリについては問題が無い(のでその部分は復帰しなかった)ということでよろしいですか。以上、よろしくお願いします。--みそがい会話2023年2月7日 (火) 13:04 (UTC)[返信]
いわゆるスタンダード・ナンバーのカテゴライズをどうするかに関しては、難しい問題だと思いますが、例えばビートルズの「イエスタデイ」や坂本九の「上を向いて歩こう」のカバー例に関して、各々のアーティストに関する「××の楽曲」のカテゴリをいちいち付与していったら、収拾がつかなくなることでしょう。とはいえ、ポピュラー音楽史では、カバーにも特筆性がある(シングル・ヒットした、重要な音楽賞を受賞した等々)ことも稀ではなく、そうしたカバー例のカテゴライズも一律に禁止すると、閲覧者にとって不親切になります。その意味で、個人的には現状のガイドラインはバランスが取れていると思うので、それに従った形で編集を行いました(今回の場合は、必ずしもみそがいさんに非があるのではなく、ガイドラインを理解していない方がカテゴリを弄ってきた過去の編集に問題があると思いますが)。--Ikespirit会話2023年2月8日 (水) 11:38 (UTC)[返信]
今回の私の編集に関しては、私がプロジェクト文書の一部を把握し切れていなかったことに起因するものであって、第一には非は私にあります。その点はIkespiritさんのご指摘により今後同様の編集をしなくて済むようになった(はず)なので感謝しております。おそらくプロジェクト文書は過去の様々な経緯によって現在の形になっていると思います。おっしゃる通り、プロジェクト文書の通りであれば無制限にカテゴリ付与が行われることは無いのですが、文書自体を確認していなければ歯止めにはならないというところが歯がゆいです。仕方ないですが。--みそがい会話2023年2月10日 (金) 13:33 (UTC)[返信]

光学ドライブの著作権問題に関して[編集]

初めまして、Nicnocと申します。

光学ドライブに関して「特定の編集者によるIT用語辞典e-Wordsからの転記」とのことで、もしかしたら自分が何かしでかしたかと思いましたが、みぞがいさんと特定の編集者とのノートでのやり取りを見て、自分ではなさそうかなと思っています。ただ編集内容がコピペに近いと感じてはいましたが、スルーしてしまっていたので、そこはみぞがいさんのようにアクションを取るべきだったと思い反省します。

話は変わりますが、その特定の編集者の編集要約の文体が他のアカウントと似通っているのが以前から気になっておりまして、これだけで同一人物とは言えないのだと思いますが、お伝えしておきます。ご存じでしたらご容赦ください。 具体的なアカウントは「月下雲海飛行」「YOU2SCE7TI」「HorizonZeroDawn Aloy」(ノート:Horizon Zero Dawnを見るとよくわかる)です。またIP「133.159.153.54」も似通った文体です。これもどこに訴えるのかわからなかったため、今まで素通りしてしまっていました。--Nicnoc会話2023年9月9日 (土) 10:18 (UTC)[返信]


Nicnocさん初めまして。コメントありがとうございます。少々驚かせてしまったようで申し訳ありません。
当該編集者の編集内容に対しては、今回の2件のタグを貼った記事の他、すでに削除依頼に掛けている4件の記事が著作権侵害の疑いがあります。さらに数件疑わしい記事も確認しています。Wikipediaにおける著作権侵害対応をお願いしていますが拒否状態にあるため投稿ブロックを依頼した次第です。
さて、Nicnocさんから情報をいただいたユーザのうち「YOU2SCE7TI」「HorizonZeroDawn Aloy」「IP:133.159.153.54」各氏の投稿内容までは精査していませんが、要約欄の記述は確かに文体が似ています(月下雲海飛行さんの編集履歴は検索方法が分からず見つけられていません)。ただし、当該編集者の編集記事との一致はしていないようなので、文体の類似だけで当該編集者と同一かどうかは私には判断できません。もちろん、同一人物であれば、複数アカウントによる不適切な編集となりますから、何らかの対処が必要です。
いずれにしろ、編集内容に問題があるか否かが優先する問題点なので、まずはルールに則って改善ないし編集意図の確認をすべきでしょう。--みそがい会話2023年9月10日 (日) 11:09 (UTC)[返信]

カテゴリの削除提案[編集]

こんにちは。みそがいさんが2015年に作成なさったCategory:東京・ミュージアムぐるっとパス対象施設に対し、削除の提案をしましたので、お知らせします。議論の場所はプロジェクト:カテゴリ関連/議論/2024年/1月22日です。--本日晴天会話2024年1月22日 (月) 09:59 (UTC)[返信]

連絡ありがとうございました。作成者としての考えを当該ページに記しました。--みそがい会話2024年1月24日 (水) 11:46 (UTC)[返信]

花束をどうぞ![編集]

前回僕が出典した記事が宣伝行為になっていてくれたのを教えてくれてありがとうございます。 お礼に花束を送ります。 また何かあったらよろしくお願いします。

プログラマー 01会話2024年7月2日 (火) 10:28 (UTC)[返信]