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ノート:イマヌエル・カント

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この項目はウィキポータル 哲学において、2005年6月~12月までの期間「特集項目」でした。--Shinya1739 2006年1月24日 (火) 08:49 (UTC)[返信]

  • 生涯、もうちょっと詳しく。お祖父さんがスコットランド系という話
  • 思想 まずは批判期を少し詳しく。超越論的、アプリオリ、定言命法、物自体、道徳、Beweis des Daseins des Gottes この辺もっとかけるはずかと。
  • 影響史、前も後も。
  • 研究史、Kant-studien も載ってないのはやばいような気が。。
  • 参考文献 といいつつすみません生涯はうろおぼえでかきました。。DeとEnは覗いてますが翻訳はしてません。年号だけ確認。Aph.

項目についての質問

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あの〜、「実体」というページはあるんですが、「物自体」というページはないようです。この2つはどういう関係でしょうか? 哲学よくわかんないけど、「物自体」っていうのは認識されたもの(表象?)ではなくて認識の原因となった「存在そのもの」のことかなーと思っています。そうすうると「実体」とゆうのも同じようなこと言ってると思うのですが。実体は英語でsubstanceだそうです。物自体は英語で何でしょうか。手掛りほしい。--HarpyHumming 14:49 2004年3月22日 (UTC)

単数形で thing-in-itself(独:Ding an sich)、複数形で things-in-themselves (独:Dinge an sich)だと思います。お役に立ちますかの。Setomanko 16:14 2004年3月22日 (UTC)

Ding an sich です。天野貞佑訳『純粋理性批判』(または理想社岩波書店の全集版。岩波文庫版はお勧めしない)、もっとてっとりばやくは『プロレゴーメナ』をどうぞ。ウィキの英語版のカントのページでもよいですけれど。

カントの生涯の項目において、「奥津城」という表現がありますが、ほとんどの辞書に見出しとして載っていません。またウィキペディア内でも見出し語には無く、「墓」の項目の中に墓のことを「奥津城」または「奥つ城」という(特に神道の墓のことを指すこともある)旨の記述があります。調べましたところ神道の墓、特に古墳に対して使うのが一般的な用法のようです。ここで使うのは不適当ではないでしょうか?本筋とは違いますが、あまりにも分かりにくい表現だったので指摘しておきます。--number8 2006年1月22日 (日) 18:48 (UTC)[返信]

ああ、よくわからない理由である日美文調になっていたので私も驚きました。個人の感覚なのかなと思いどなたか別の方が直されるのを待っていたのですが、そのときみたままのようですね。現在のもの、百科事典/論文の文体として適切とは思えない文飾がところどころにあるので、全体に平易に直す(というかいっそ以前のものに戻す)ほうがよいのかなと思うのですが、いかがでしょう。--Aphaia 2006年1月24日 (火) 07:54 (UTC)[返信]

適切な文体についてですが、個人的意見は削除しようと思いますがどうでしょう。実際そういう理由で削除され妥当とされた事例をみたので(空港関連ですが)ここにも適用するべきと考えました。奥津城についても「墓所」か「墓地」に直そうと思います。

賛成です。お手数かけますが、よろしくお願いします。その後あまり加筆も進んでいないので、いったん差し戻しをして普通の文体で書かれた版に戻してから、改めてその後なされた加筆を反映するのが、いっそ楽かもしれませんね。--Aphaia 2006年12月13日 (水) 20:55 (UTC)[返信]

追加事項として何処が適当か

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詳細は銀河を参照してください。カントが銀河について提唱していた事実を、カントの功績として記載したいのですが、一般に哲学者として知られる彼について追記すべきか、また追記すべきだとして何処に入れるべきなのかについて判断まよいました。どなたか適時判断していただけると助かります。haco 2005年8月9日 (火) 20:25 (UTC)[返信]

すみません、何も書いてませんでしたが、思想セクションの下に前批判期というのをつくりました。時期的にもここであることは銀河の項で確認済です。前批判期の第1段落をよしなにいじってくださいませ。--Aphaia 2005年8月9日 (火) 20:51 (UTC)[返信]

カントの結婚観

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カントによる結婚の定義は、「配偶者の性器の独占的使用権」というもの。

例の部分のみ、強調するような書き方しなければいいんじゃないですかね。--ケンチン 2005年10月20日 (木) 11:39 (UTC)[返信]

関係のない人となりの話ですが、人類の知的遺産シリーズで刊行された坂部恵著『カント』や、 書かないものもありますが、生涯を綴った伝記ではたまに「やはり女のストッキングは黒に限る」とあったりします。 どういうことかと言いますと、カントのパトロン(資金提供者)は女性ばかりだったのです。 金を稼ぐためではありましたが下品な話、何人もの機嫌をとるわけです。 もしそのうちの1人と恋仲、結婚になってしまうとそれ以外からは当然お金を貰えません。 あちこちで生涯不貞と書かれておりますけど、先の理由があったため結婚できなかったのです。--okeoke229 2016年8月17日 (水) 01:59 (UTC)

Fiction等

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125.247.118.226さんによる、『Fiction等』という部分の編集に関してですが、そのカントは単純に英単語のCunt(女性器)であって、この項目のイマヌエル・カントとは関係ないのではないでしょうか? 私自身は『羊たちの沈黙』を読んでいないので自信を持てないのですが、どなたかお読みになった方、ご教授下さい。 Whity-82 2006年3月13日 (月) 06:41 (UTC)[返信]

人種主義、反ユダヤ主義について

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レオン・ポリアコフ 『反ユダヤ主義の歴史 第III巻 ヴォルテールからヴァーグナーまで』はもはや古典です。日本では研究の遅れもあって周知されていませんが、Jon M. Mikkelsenやエゼ他カントの人種論・レイシズム研究は近年の欧米のカント研究の重要な一翼です。これらの記載を削除するためには、これらの出典が「信頼できない情報源」であることを立証してください。

他に項目を立てるとも要約欄で書かれていますが、わざわざ独立項目にする必要はないので、反対します。--27.83.145.210 2018年10月15日 (月) 12:55 (UTC)[返信]

導入部の記述(2021年1月25日 (月) 21:21編集)に関して

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この編集[1]において記載された「女性を批判的に考察すると同時に、同時代の研究者以上に、女性を高く評価していた」という内容に疑問がありますので、Template:疑問点範囲を貼りました。ご説明願います。なお、出典としてあげられている文献は「ジェンダー論的カント解釈の一試論」であると思われます。

  1. 出典文献は「一試論」であって、導入部に記載するのは不適当なのではないか。(WP:WEIGHTWP:SUBSTANTIATEなど)
  2. 「同時代の研究者」とは誰を指しているのか。(Wikipedia:言葉を濁さない)(論文にはいくつかの名前は出てきますが)
  3. 「高く評価していた」とはどのような評価か。(Wikipedia:言葉を濁さない)(論文のむすびでは「カント自身の女性観を救う道はほとんどない」と書かれているが)
  4. 「女性」とはどのような女性なのか。論文ではシャトレ夫人に対するエピソードはあるが、一般女性に対する評価は見当たらない。(Wikipedia:独自研究は載せない
  5. 出典文献として、論文のすべてのページを指定しているが、上記の疑問点が生じるのでより絞った範囲を指定するべきではないか。(WP:GENREFの3.「参照すべき場所、範囲を明確に示す」)

時代的に、特異的に女性に対する批判、評価をしていたということであれば、そういう内容を節立てして詳細を記述したほうがいいのではないでしょうか。この分野には疎いのですが、一読者として疑問の多い文章になっています。改善を望みます。--みそがい会話2021年1月25日 (月) 15:16 (UTC)[返信]

引用元では(シャトレのような)女性を「当時の他の研究者よりもカントは他方で認めていた。」と述べられているので、適宜言い換えています。言葉を濁さない等の批判は、引用上の都合であり、原著者の意図を必ずしも推し量れないこと、当時の状況とは独立に文書を用意し得ること等を含めても、ご批判は自粛して頂きたいと思います。「高く評価していた」ということの内容については、引用元に照らして判断して頂ければと思います。例えば、「シャトレ夫人によるデカルト主義への批判を高く評価もしていた。」という内容があります。当方としては、本文中に挿入する読み物を用意する予定はございません。出典に関するルール違反とのご意見が不服であるが故に、貴重な時間を割いて投稿しています。--Textural会話2021年1月25日 (月) 15:57 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。問題点がハッキリしましたので、以下述べます。
Texturalさんがもとにした文献の箇所は、5章 p.51 の記述だと思います。そこで書かれているのは「シャトレ夫人のような研究し自己主張する特定の女性を他の研究者よりも認めていた」(太字は私の補記)ということでしかありません。それを女性すべてを対象とした文章として置き換えることは独自研究であり「Wikipedia:独自研究は載せない」に抵触します。言い換えというレベルではありません。出典文献の解釈として問題があります。
また、特定の研究者(達)を認める、ということが有るとして、それが特筆性のある内容だとは思えません。
これらの点に対してはどうお考えですか。私は文章自体に問題があると考えますし、出典文献に沿った文章に変更したとしても導入部へ記述すべき内容だとは考えられません。したがって、適切な改善がなされないのであれば削除すべきだと思います。--みそがい会話2021年1月26日 (火) 11:00 (UTC)[返信]

私の投稿を独自研究にする意志が非常にお強い様子ですが、それ以前にあなたの単純な誤読です。まずそれを説明します。その箇所は、当時の他の研究者は女性批判も潜在的だったがシャトレに対する肯定的な評価も不在だったという意味です。あなたが述べたような研究者は不要です。単に、いません。あなたの解釈が変です。カントは他方では形而上学の批判者でした。遺稿は形而上学批判ですが、他の形而上学者の見解を踏まえて、論述されいています。カントは形而上学者に否定的な評価を用意しましたが、優秀な形而上学者を吟味しています。カントは有能な学者であり、カントの女性学には、自分と関係する女性は評価したが自分とは縁がない女性を低く評価しただけでカントは単なる生き物だったという趣旨は絶無です。単に研究者を同業者として認めていたという意味ではない以上、投稿する必要があります。同時代の女性の研究者に対するカントの理解の精鋭性について述べている訳で、特筆性になります。女性の社会参画等についても、カントは有益な指標であり、そのような内容は削除すべきではありません。女性差別には興味がないのでそのような意欲があるのでしたらあなたが文案を用意して下さい。他人の執筆を要求する権利はあなたにありません。 言い換えの不満については、改善すれば良いだけのことです、「太字の補記」のような恣意的な操作・改竄を行えば、独自研究だという批判は、不適当なものになり、退けられるべきです。あなたの恣意的・独善的な解釈のみによって独自研究を理由とした削除が成り立つことはありません。あなたの寸評の姿勢が間違っていると思います。出典は明示されていて、引用元の情報にも不備がないので、あなたの主張が独自研究であり、あなたの削除がルール違反になります。

潜在的な要素をどのように評価していたのかについては、カントのみならず、通常は出典が不在であり、あなたのような立場はむしろWikipedia:中立的な観点を踏まえない観点になるでしょう。Wikipedia:中立的な観点があなたのような立場になるとは考えません。お返事をお願いします。あなた固有の観点としての[Wikipedia:中立的な観点]は相手を一方的に独自研究に追いやる個人攻撃に過ぎません。表題からはWikipedia:中立的な観点を理由とした排斥は演繹されません。あなたの見解はルールの曲解です。中立的な観点は、中間的な観点のことではありません。特定の観点のことではありません。全ての観点を平等に扱うことではありません。多数派の観点のことではありません。あなたは中立的な観点を誤解しています。あなたの解釈は単なる独自研究です。

量化子をご存知ですか。わたしは「すべての女性」とは述べていません。その解釈を押し付けることはあなたの独自研究です。ウィキペディアでは認められません。量化は取り扱いが難しく、齟齬を生じやすいことから1000年以上論理学では扱い方が定まっていませんでした。それの扱い方は論理学のエポックになりましたが、哲学の分野のことです。カントが量化の不備を犯すですしょうか。量化を悪用しますか。典拠を用意した人も同じです。学者さんですから。あなたの誤読について再検討してください。既に述べたことで、あなたは私の投稿を独自研究と決めつけていますがそれは避けられるべきことです(Wikipedia:善意にとる)。私に難癖をつける前に、フォーマルなペーパーを誤読しない冷静さと言語能力を養うべきではありませんか。以上で、あなたが今回提出した論旨が見当違いであると述べました。再検討をお願いします。文面の変更については応じたいとも思っていますが、削除については留保を希望しています。--Textural会話2021年1月27日 (水) 12:14 (UTC)[返信]

余計なことは書かず、必要な部分のみ返答します。
Texturalさんは「引用元では(シャトレのような)女性を「当時の他の研究者よりもカントは他方で認めていた。」と述べられているので、適宜言い換えています」と書かれました。
単純に解釈すれば、「シャトレ夫人のような女性は認めていた」となります。シャトレ夫人のような女性がいる一方で、シャトレ夫人のようではない女性がいるわけです。「女性を認めていた」と書かれていれば、この「女性」とは女性全体を指すのが普通の解釈ではないですか? したがって、単に「女性」としてしまうと認める対象を広くとりすぎていて出典文献の意図から外れている、と言っているのです。シャトレ夫人は女性ですが、女性すべてがシャトレ夫人(と同じような立場)なのではありません。これは誤読ですか? Texturalさんは「「すべての女性」とは述べていません」と書かれましたが、だとしたら文章の中で「(すべての女性ではない)特定の女性である旨」の説明する文言があってしかるべきです。
あるいは、シャトレ夫人以外の女性もカントが認めていた、とする部分が出典文献にあるということなのでしょうか。出典文献には「シャトレ夫人の「デカルト主義への批判」を高く評価した」という記述はありますが、女性全体を高く評価したと書かれている部分は見当たりません。これは誤読ですか?
このように、出典文献に書かれていないこと(解釈)を記述することが独自研究であると言っているのであって、「中立的な観点」や「個人攻撃」とは関係ありません。「言語能力を養え」とおっしゃる方こそが「個人攻撃」だと思いますが。
なお、私は哲学的な話はしていません。記述と出典文献の対応についての話をしています。よろしくお願いたします--みそがい会話2021年1月27日 (水) 13:46 (UTC)[返信]

再度、引用元に誤読についてお聞きします。あなたは独善的に「哲学的な話」と言って切り捨てますが、記事についての知識です。削除する予定の記事を用意した相手に際限なく好都合な説明を要求することは不適当です。敬称の主体的な省略と補記は一回目ということもあり敢えて看過します。私の投稿に「出典文献に書かれていないこと」を読み込むあなたの姿勢は、恣意的な解釈であり、「中立的な観点」からは逸脱します。「中立的な観点」を悪用した「個人攻撃」は可能であり関係します。(著作権切れを除けば)単なる引用が50%を超えることは違法行為に繋がることから避けるべきであり、当然文言の微細な相違は許容されるべきです。相手の行動を承知の上で、硬性過ぎる典拠の利用は個人攻撃の方法になり得ます。投稿側の配慮もありますが、あなたの底意(善意)と独自の解釈はルール違反(独自研究)です。

ニュートンたちの、現在の物理学の先人に相当する研究者は、シャトレの数式を認めませんでした。それがなぜなのかを説明できますか?予備知識が必要なのです。引用元は、カントの感受性を前提として許容する解釈であり、あなたの読解は明確な誤謬です。女性研究者の中ではシャトレを評価していたというような荒唐無稽な解釈は撤回して下さい。これは重要なことです。あなたは「「言語能力を養え」とおっしゃる方こそが「個人攻撃」だ」とおっしゃいますがこの討議については要請です。シャトレの数式では、結局自然科学の可能性を早期に限定し過ぎる為に、棄却されたのです。単に未来の物理学を真似ただけのシャトレは正当に評価されませんでした。それは哲学と科学の相違でもあります。研究者という単語一つを取っても、あなたの知識不足と惰性は、致命的な打撃になるのです。ウィキペディアには、シャトレの翻訳が現在でも正しいとは書かれていません。フランス物理学の現在を考慮すれば、自然科学の研究者のみならず、典拠の用語を借用すれば「研究者」になりますが、研究者全般が理解することです。予備知識は必要であり、あなたの無際限の要求姿勢は全く不適切です。典拠には存在しない用語を「敢えて」追加する観点も、独自研究に相当し得ます。あなたの女性に関する粗末な多重量化を強要するその解釈を認めることはあり得ません。文案について検討の余地は要請ですが、その範囲内の存在は、独自研究の存在を必ず含意することはありません。あなたの言い方は個人攻撃に相当します。善意に取る姿勢が不足していることも、問題のある編集姿勢です。これらは繰り返しです。--Textural会話2021年1月29日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

Texturalさんは、私の指摘している疑問に対して「「出典文献に書かれていないこと」を読み込むあなたの姿勢」と書き込まれていますが、出典文献に書かれていないことを導入部に記述しているのはあなたです。
引用元とされる文章と、Texturalさんの記述を比較してみます。
引用元はTexturalさんが2021年1月25日にコメントされた部分です。二つの文章を比べれば、同じことを「別の言葉で」言い換えている、とは言えないことが分かります。(出典文献の他の部分とを合わせているのかもしれませんが、であれば具体的にどの部分を考慮してこのような記述になっているのか示して下さい。そうしていただけるといわゆる私の誤読なるものが何に由来するのかはっきりします)
繰り返しますが、引用元では、シャトレ夫人のような女性に限定した表現なのに、Texturalさんの記述では単に「女性」という広い表現に変わっています。女性全般に対する批判・評価という文章である、と私は解釈します。なので、出典文献の著者の意図から外れていて独自研究にあたるのです。哲学的な話では全くなく、文献に書かれている文章をどのように表現し直すか、ということです。言葉を削ることによって意図から外れるのであれば、それは削れない言葉なのです。Texturalさんのこの記述に限っては、記事についての知識も、ニュートンなどの先人の研究者の予備知識も不要です。出典文献に対する私の解釈のどこが誤読なのかと聞いているのですが、そういう予備知識云々というのは適切なコメントではありません。また、私は「女性研究者の中ではシャトレを評価していた」ではなく「シャトレ夫人のような女性を」と書いていますので勝手な解釈変更はしないで下さい。
もうひとつ、導入部へ記述すべき内容なのか、という点があります。
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#導入文」に「その記事が取り扱う最も重要な点を簡潔に述べる」とあります。果たして、この記述は最も重要な点に入るのでしょうか。カントがその時代としては女性研究者を評価した、という内容は生涯節や思想節にも書かれていません。つまり、現状では記事には全く書かれていない内容です。したがって、そもそも導入部で記述すべきではなく、他の節において先ずは記述するのが妥当だと考えます。これは最初に私が言ったことですが、Texturalさんはどうお考えですか。
再度申し上げます。出典文献に書かれていないこと(解釈)を記述することが独自研究であると言っているのであって、「中立的な観点」や「個人攻撃」とは関係ありません。独自研究と考えられる記述を指摘すると、中立的な観点や個人攻撃になるんですか? 心外です。今一度、上記に示した私の指摘に対して冷静にコメントいただけるようお願いします。
あと、「Help:ページの編集#字下げ」にありますように、コメントでは字下げしていただけると追いやすくなります。(こちらで今までの分を字下げ編集しても構いませんので、その場合はお知らせ下さい)
以上、よろしくお願いします。--みそがい会話2021年1月31日 (日) 12:55 (UTC)[返信]

X 私は「女性研究者の中ではシャトレを評価していた」ではなく「シャトレ夫人のような女性を」と書いていますので勝手な解釈変更はしないで下さい。
>論文ではシャトレ夫人に対するエピソードはあるが、一般女性に対する評価は見当たらない。
>例えば、「シャトレ夫人によるデカルト主義への批判を高く評価もしていた。」という内容があります。
>自己主張する特定の女性を他の研究者よりも認めていた」(太字は私の補記)
こういう発想が論外(太字等)

「他の研究者」と「自己主張する特定の女性」(の比較)では、「自己主張する特定の女性」を「認めていた」という言い方ではなく、「カント」が「他の研究者」よりも(自己主張する特定の女性を)「認めていた」ということが本旨です。誤解がなければいいのですが、あなたの言い方だと誤読です。ニュートンの話はそれを伝えるもので、必要です。引用も元の研究者という用語を正しく理解して下さい。あなたの誤読による独自研究の捏造は認めません。出典と別の解釈が成り立つという趣旨の主張によって、独自研究が認められることもありません。出典に書かれている内容を別の言い方で述べればいいのです。
それから、「自己主張する特定の女性」をあなたが誤解しているようです。「自己主張する特定の女性」は個人ですか。全く違います。代表はシャトレだったとします。他の人との感覚的なコネクションに従って、行動を最適化しようとするのが女性です。カントにとっては性愛の対象としても圏外でしたが、女性はそのような機会の洗礼として、自身が属するジェンダーに対する愛好を問い合わせたりします。男性はむしろその人についてのことを気にするでしょう。そのような相違について(中島義道の)カントは、女性を、「支配を遂行する性」として描写しています。それは「種の保存」にかんする「女性が訳に立つ唯一の」原理であり、それ以外は無なのです。この観点は、集団に対する愛好を前提とする「支配」としての、前述の観点とも連合します。この辺りは私の文案の評価とは、「直接的には」関係しないとも考えられますが、あなたの「個体ベースでの文案評価」は、女性に対しての通常の認識とも、私の文案のみならず、中島義道のカント理解とも相違するようです。

X Texturalさんのこの記述に限っては、記事についての知識も、ニュートンなどの先人の研究者の予備知識も不要です。
その理屈だと「シャトレ夫人のような自ら研究し学会で堂々と自己主張する女性を当時の他の研究者よりも」という部分を評価する能力が(あなたには)ないことを無視してしまいます。著者はその文章の、残りの箇所すべてで、私が述べたことと同様のことを主張しているのであり、「Texturalさんのこの記述に限っては、記事についての知識も、ニュートンなどの先人の研究者の予備知識も不要です。」という手抜きと横暴は、単なる勘違いです。これらの主張は、全てが既に述べられていることであり、査読の真似ごとに関する、あなたの才能の欠如が如実に伺われます。「そういう予備知識云々というのは適切なコメントではありません。」という、相手の助言を素直に聞かない姿勢が、相手の投稿を独自研究にでっち上げる口実になっています。あなたの行動は論外です。

X これは最初に私が言ったことですが、Texturalさんはどうお考えですか。
全くの論外です。中島義道著「純粋異性批判 女は理性を有するのか?」を知らない部外者の暴論に過ぎません。純粋理性批判はカントの主著であり、どうして女性には純粋理性批判が理解できないのか、純粋理性批判を女性はどう読むべきなのかという視点に、〈純異〉は貫かれています。言い換えれば、すべてあなたのことです。この辺りは単に言い方であり、全集にご興味があるのでしたら、片ったぱしから通読しアカデミー版と照応するべきだと思います。量化子を適切に扱うことは、私とカントと引用元の著者にも共通することですが、あなたには欠如している。勝手な解釈を読み込むから独自研究にしたくなるのです。あなたは「女性」と「(一部の)女性」という、あなたによる恣意的な区別を重視しましたが、そのような人は私たちにはいません。あなたの行動は中立的な観点から逸脱した風変わりな行動でしかなく、やはり、字の通り論外です。このように、本文で既に述べられていることを適切に要約した内容になるのです。これは勿論、私の文案が独自研究かどうかとは独立に評価されることです。性別をどのように決定するかは、カント学からは演繹されないのです。そして、カントの主張が基本的には正しいという理由でカント学が存立しているのですから、そのような要約も許容される余地があるのです。あなたの恣意的な言い換えは、このような理由でも不適当で、やはり予備知識は必要ということに尽きます。その最初に述べられたことが誤読であることは、独自研究かどうかとは独立に成立する上に、あなたの観点の捏造の原因でもあるということです。現代物理学は、ポテンシャルが低下することをも証言しています。最初の一言が誤読では、査読の真似は無理です。

X コメントでは字下げしていただけると追いやすくなります。
その辺りは経験に依存すると思います。理科の研究者には、和文でコンマとピリオドを使う気違いがいますが、そのような日本語は存在しません。「閾値」を「しきいち」と読む言語習慣も端的に存在しないのです。今ば2人なので、私にはこの方が見易いです。今回から若干の変更を行いましたが、そうでもないです。ご検討をお願いします。以上、あなたの風変わりなご助言以上には重要なことをお知らせいたしました。ご配慮の期待でもあります。宜しくお願いします。

要約しますと、やはりあなたの主張が知識不足により全面的に違うので、中立的な観点に則っていません。当方の文案は、本質的に独自研究ではないす。あなたの比較した2文の内容が同じ扱いになればいいのです。そうなっていれば、独自研究とは違います。主張の撤回を期待します。そして、あなたの観点についての検討を期待します。勿論私の主張はあなたの主張を踏まえてのものに過ぎず、それ故にこそ、一方的に正しいということを期待する必要も皆無です。--Textural会話2021年2月3日 (水) 09:24 (UTC)[返信]


論外だ、誤読だ、と言われましても、出典文献の内容の一部を私の補記を入れて書いているだけですので、そう考える理由がよく分かりません。
Texturalさんは今回のコメントで書かれた(A)と、導入部への記述(B)について、
  • (A) 「カント」が「他の研究者」よりも(自己主張する特定の女性を)「認めていた」ということが本旨です
  • (B) 女性を批判的に考察すると同時に、同時代の研究者以上に、女性を高く評価していた
どうつながるのかコメントを読んでも理解できません。私は「女性」といった全体を指す語ではなく「自己主張する女性」=「特定の女性」であるのが出典で言及されている旨、再三Texturalさんにお尋ねしているのですが。さらには、私の
  • (C) 「シャトレ夫人のような研究し自己主張する特定の女性を他の研究者よりも認めていた」
という記述と、Texturalさんは今回のコメント(A)の間で根本的に違っているとする根拠が見いだせません。ひょっとすると、(A)(C)以外の部分に対してを導入部に記述しようとしているということですか。
「2文の内容が同じ扱いになればいいのです」とおっしゃっていますから、Texturalさんは(A)=(B)であるという認識です。間違いないですね?
>「そのような人は私たちにはいません」
私は、Texturalさんを含む集団については知りませんし、知る必要もありません。必要なのは適切な出典に基づく適切な記述だけです。もし、その方法を採れないのであれば、Texturalさんを含む集団が主張したい内容をWikipedia以外のメディアで発表することをおすすめします。(WP:NOT#OR
>「著者はその文章の、残りの箇所すべてで、私が述べたことと同様のことを主張している」
つまり、(A)は導入部への記述には含まない、ということですか。Texturalさんの1月25日で書かれた主張とは異なるのではないですか。
では、具体的に、例えばどの部分がそうなのかをはっきりさせて下さい。複数の文章であっても構いません。私は記述(B)が適切でないと指摘しているので、それが出典文献の誤読であるならば全体としてといった漠然としたものではなく。どのような論文であっても、全体を読まなければ要旨が分からないということは避けられているのが普通です。Texturalさんであればできるのだと思います。
カント研究者として中島義道は著名な方ですが、その評論を持ち出さなければ記述できないのであれば、それも出典として用いるべきでです。Wikipediaの記事においては、適切な出典を適切な文章で記述するのがプロジェクトの目的であって、出典に書かれていないことが記述されていれば、それを削除されてもやむを得ないのです(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。
コメントの字下げについては、リンク先の内容を読まれていないことが分かりました。残念です。現在は私のあなたの2人だけの議論になっていますが、このノートは公開されている場所です。ここを読まれる方のためにも、時系列的においも、コメントのつながり方においても配慮が必要なのです。もしかすると、私がご案内した各種方針・ガイドラインを確認してないのではないかとも危惧しています。
最早第三者のご意見ををいただいた方が良い段階かもしれません。--みそがい会話2021年2月3日 (水) 13:34 (UTC)[返信]

X「つまり、(A)は導入部への記述には含まない、ということですか。」 いいえ。違います。あなたは、その箇所を単に冒頭に引用すればいいとお思いですか。違います。前後関係を踏まえてこそ意味があるのです。その箇所だけでは、意味がわからない人には、独自研究かどうかは判断がつかないのだと思います。恣意的な記号の運用には疑問を感じます。急性な質問ですので、途中であなたの理解を待つことにします。一部は回答という格好になりこちらとしても気分が良くないのですが、話が拡散しているようなので、この方がいいと思います。

  • (A) 「カント」が「他の研究者」よりも(自己主張する特定の女性を)「認めていた」ということが本旨です
  • (B) 女性を批判的に考察すると同時に、同時代の研究者以上に、女性を高く評価していた
  • (A`) 「カント」が「他の研究者」よりも(自己主張する特定の女性を)「認めていた」
  • (B`) 女性を批判的に考察すると同時に、
  • (B``) 同時代の研究者以上に、女性を高く評価していた

(A)と(B)は単にあたなの引用であり、私とは無関係です。引用の意味は、この世では時にそう解される。ここまではいいですか。
(A')と(B)は単純に呼応しています。同じ内容であり、出典であるとの主張は繰り返した通りです。
(B')についての出典が別途必要であるという主張が、「敢えて」為されたのであれば、そう述べて下さい。この程度では観点の合成だとは思いませんが、分割する必要がある場合にはそうすればいいと思います。その程度で解釈の齟齬が生じるとは思っていませんでしたが、これのみについては有り得ることです。

X私は、Texturalさんを含む集団については知りませんし、知る必要もありません。
あなたの姿勢は合意形成に関する瑕疵になり得ます。対応する私の見解は、あなたの対話の姿勢についてものであり、独自研究とは相違します。中島についてですが、このページのノートについての意見であり、本文の為の出典になり得るかどうかという議論ではありません。私は、冒頭に重要なことを新規に投稿することを前提に対話をしています。出典はあるとの立場です。あなたは私の立場を無視して、「冒頭とは異なる、本文の出典の話」をしているように思えてならないのです。

Xもしかすると、私がご案内した各種方針・ガイドラインを確認してないのではないかとも危惧しています。
Xコメントの字下げについては、リンク先の内容を読まれていないことが分かりました。残念です。
リンク先はそこまでのことではありません。2人なのでこの方が見易いです。マニュアル人間のように、字下げをするとしても適宜戻すしかないです。マニュアルに関する理解は、あなたの独自の理解に過ぎないのだと思います。他の人とは違います。実際にそのようなノートはもうあると思います。探してください。

X出典文献の内容の一部を私の補記を入れて書いているだけ
全面的に違います。カントのシャトレに対する評価は、他の男性研究者に対する評価以上のものだったという意味ではありません。そう解釈するなら、あなたには補記は無理だと思います。その辺りのことから話をしないと、なぜあなたが独自研究だと主張することが間違っているのかが理解できないという立場です。ここまではいいですか。--Textural会話2021年2月5日 (金) 11:00 (UTC)[返信]

 横から失礼 議論の本題についてのコメントの前に、一点報告させてください。上記のTexturalさんの「あなたの才能の欠如が如実に伺われます。」という発言は、みそがいさんに対する人格攻撃であり、「Wikipedia:個人攻撃はしない」に抵触しています。また、Texturalさんの「純粋異性批判」や「ソクラテス以前哲学者断片集」についての言及は、「Wikipedia:ノートページのガイドライン」の「脱線」、および「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」の「演説台」「公開討論の場」に該当します。以上の旨を、現在提出中の「Wikipedia:投稿ブロック依頼/Textural」に記載させて頂きました。以上が報告です。
議論の本題については、みそがいさんの見解を支持します。(そもそもこれが「議論」になっているのか分かりませんが。)下のセクションについても同様です。Texturalさんの投稿分は基本的に削除して問題無いと思います。--Vetalapancavimsatika会話2021年2月5日 (金) 12:45 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。後ほど詳細を確認し、コメントしたいと思います。--みそがい会話2021年2月6日 (土) 03:08 (UTC)[返信]


争点の内容についての説明であり、脱線とは違います。「アカデミー版」についての、外国語文献についての説明との不整合を挙げましたが、それについての回答が一切ありません。--Textural会話2021年2月6日 (土) 02:32 (UTC)[返信]


>(A)と(B)は単にあたなの引用であり、私とは無関係です
何を言っているのか分かりません。(B)はTexturalさんが導入部に記述しようとしている文章そのものです。ご自分の記述も分からないほど議論が混乱していますか?
>(A')と(B)は単純に呼応しています。同じ内容であり、出典であるとの主張は繰り返した通りです
それが同じではないということを述べています。呼応しているという認識はそれぞれ文章のどの単語とどの単語に対してですか?
私はそもそも冒頭部に記述する内容ではないと考えていますし、その上でさらに記述内容が独自研究なのではないか、ということを何度も繰り返し述べています。そして、独自研究である理由を述べています。
それに対して、Texturalさんは的確な説明をしてくれないばかりか、各種方針・ガイドラインを理解されていないようです。私はTexturalさんとは話をしていますが、背後にいる集団と話をしているわけではなく、合意形成とは全く関係ありません。
適切なご対応をいただけないようであれば、当該記述を削除します。「Wikipedia:独自研究」であり、さらに「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」を満たさない、という理由です。--みそがい会話2021年2月6日 (土) 03:08 (UTC)[返信]

X何を言っているのか分かりません。(B)はTexturalさんが導入部に記述しようとしている文章そのものです。ご自分の記述も分からないほど議論が混乱していますか?
私が引用し直す際に、あなたの変更を除外したこと、(A)とのセットによるニュアンスの相違を懸念しています。

Xそれが同じではないということを述べています。呼応しているという認識はそれぞれ文章のどの単語とどの単語に対してですか?

  • a/出典 「しかし、そのような社会にありながらも、この引用文以外の箇所ではシャトレ夫人のような自ら研究し学会で堂々と自己主張する女性を当時の他の研究者よりもカントは他方で認めていた。」
  • (A`) 「カント」が「他の研究者」よりも(自己主張する特定の女性を)「認めていた」
  • a/A 「しかし、そのような社会にありながらも、この引用文以外の箇所で」 (批判についてはこの出典で述べられています)
  • (B`) 女性を批判的に考察すると同時に、
  • a/B「この引用文以外の箇所ではシャトレ夫人のような自ら研究し学会で堂々と自己主張する女性を当時の他の研究者よりもカントは他方で認めていた。」
  • (B``) 同時代の研究者以上に、女性を高く評価していた
  • (B``1) 同時代の研究者以上に、
  • a/B1 「当時の他の研究者よりも」
  • (B``2) 女性を高く評価していた
  • a/B2 「シャトレ夫人のような自ら研究し学会で堂々と自己主張する女性を」「カントは他方で認めていた」

このように、出典は正しく用意しています。削除は不当です。--Textural会話2021年2月6日 (土) 03:47 (UTC)[返信]

Texturalさんが呼応していると称する部分について、全く納得できません。
>a/B「この引用文以外の箇所ではシャトレ夫人のような自ら研究し学会で堂々と自己主張する女性を当時の他の研究者よりもカントは他方で認めていた。」
>(B``) 同時代の研究者以上に、女性を高く評価していた
何度も繰り返し「シャトレ夫人のような自ら研究し学会で堂々と自己主張する女性」という特定の女性集団を示している文章と、単なる「女性」という語は異なる概念を示していると私は述べていますが、結局、理解いただけていないようです。
したがって、既に予告しましたが、「Wikipedia:独自研究」であり、さらに「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」を満たさない、という理由により当該部分を削除します。Texturalさんにおかれましては、今までご案内した方針・ガイドライン文書をくれぐれもご確認願います。また、あらかじめ申し上げておきますが、無用な復帰編集などは行わないように願います。必要であれば、引き続きこの場でお話は伺います。--みそがい会話2021年2月7日 (日) 11:39 (UTC)[返信]

削除には反対です。あなたの強引かつ読み難くなる主張を踏まえて変更しました。元より独自研究ではないです。--Textural会話2021年2月8日 (月) 05:05 (UTC)[返信]

導入部への記述(2021年1月23日 (土) 17:44編集)に関して

[編集]

この編集[2]において、「本人の文壇における性差の克服もあり、同時代の女性学修者の知名度が高かった」という記述に出典が提示されました。この記述、および出典に対して疑問があったため編集者に確認したところ、さらに疑問が深まったため、ここであらためて問題点として提示します。

疑問点としては、大きく分けて2つあり、「記述そのものの妥当性」「出典の記述方法」です。

編集者に対しては既に以下の質問をしました。(抜粋)(実際のやりとりについてはこちらこちらを参照)

  1. 誰による評価なのか
  2. 女性学修者とは誰を指しているのか
  3. 出典文献の正確な情報は無いのか

これに対して以下の返答がありました。

  1. カント自身の著作の中で記述されていた
  2. 調べれば分かるはず
  3. 相当する書籍はあるが発行年は不明(洋書 注:書名は編集者が訳したものらしいが該当する書籍の書名はない)

さらに、やりとりの中から分かったことは、「女性学修者」とは特定の人物らしく、その女性について述べている、ということのようです。

つまり、カントの自著(1次資料)において、特定人物に対する記述であるにもかかわらず、女性学修者と敷衍した語にした上で、しかも評価の方向が逆の(主客転倒している)文章になっている、と思われます。これは「Wikipedia:独自研究は載せない」に抵触する記述であると考えられます。1次資料であることは別にしても、特定人物に対する論評に記述を修正したところで、そもそも導入部に記述する内容ではありません。削除するのが妥当であると考えます。なお、出典文献情報についてはおいおい詳細が確定するとは思いますが、独自研究となる記述はいただけません。--みそがい会話2021年1月27日 (水) 10:45 (UTC)[返信]

単に独自研究にならないようにすればいいのだと思います。主客の転倒についてですが、客観化するとそうなります。相互主体性についてご検討をお願いします。--Textural会話2021年1月27日 (水) 12:14 (UTC)[返信]
Texturalさんは私へのコメントで「(カントの)著書(の中で)で女性について述べている」(かっこ内は私の補記)としています。つまり、カントによる女性の評価とみるのが妥当であって、それを客観化すると主客が転倒するというのは独自研究にあたります。
「AはBについて述べる」という事項を客観化して「BはAについて述べる」となるのは、明らかに「Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるか」における「新しい未発表の理論や解決法」「オリジナルのアイデア」に相当します。編集者が行えることは「信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」(「独自研究は載せない」導入部より)。仮に、他の文献に、女性側からカントに関して何らかの言及があり、知名度云々など関係性があるのだということなのであれば、その文献を出典として用意すればいいのです。
独自研究にならないようにすればいい、とおっしゃいますが、それは当該記述が独自研究になっているという認識であるということですか? 「Wikipedia:検証可能性#方針」にもあるように、加筆する側には出典が要求され、出典に基づく内容の記述しか認められません。
(私の会話ページへのコメントで「出典文献の刊行年月日は省略可能である」というご意見に対しては「ウェブページでは省略可能だが、書物では月日のみ省略可」なのであって、刊行年は必要である(Wikipedia:出典を明記する#刊行年月日)ということです。また、外国文献ならば、外国文献の書式にしたがって記述すべきです。わざわざ書名を和訳する必要もないです。これらの点から言えば出典の書き方としては不備です)
--みそがい会話2021年1月27日 (水) 15:19 (UTC)[返信]

刊行年については当方の誤認があったようです。それについては認めます。翻訳についてはアカデミー版全集が日本語表記であり言い過ぎではありませんか。お答えをお願いします。「その」際限なく出典を要求する姿勢は中立的な観点に反します。現在の出典で投稿可能という主張であり、「カントが認めた相手がいて、その人物は女性であり、シャトレを含む複数の女性である」というような内容の典拠です。難癖は不要です。この意味で、「その」際限なく出典を要求する姿勢は中立的な観点に反します。あなたの解釈に不備があるという指摘ですから、その出典は当方には用意し得ません。この論点を無視して、「出典を用意しろ」、「女性についての記事を用意しろ」とは見当違いも甚だしいと言う以外にありません。それはいいですか。

文案について検討の余地は要請ですが、その範囲内の存在は、独自研究の存在を必ず含意することはありません。こちらは独自研究ではないと主張しているのですから、二重にあなたの言い方は個人攻撃に相当します。底意もないのに二重に独自研究になるでしょうか。あなたの態度に関しての不満は既に述べています。善意に取る姿勢が不足していることも、問題のある編集姿勢です。これらは繰り返しです。独自研究だという指摘が過剰であれば中立的な観点を超えた独自研究です。その辺りは当然程度問題でもあり、編集者相互の合意形成の過渡的な段階での齟齬(後に削除・加筆等)に過ぎないということもあるでしょう。ウィキペディアの方針が不適当で、記事の出来が今ひとつという結果なら、閲覧現象と閉鎖にもなる訳です。--Textural会話2021年1月29日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

出典文献について。
今までのところ、Texturalさんから出典自体の正確な情報が出されていません。早急に記載していただくようお願いします。なお、Texturalさんの用いている出典文献が外国文献なのであれば、日本語に訳さずそのまま記して下さい。(「カント、『人間学』、ズーアカンプ、262頁」ではなく、Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(外国語文献)Wikipedia:出典を明記する#書誌情報の実例(外国語文献)を参照して下さい) 少なくとも、Texturalさんが私の会話ページで紹介してくれた文献一覧ページには、ズーアカンプ版書籍に(日本語に訳したとしても)同名あるいは類似名のものはありませんでした。1冊の中に複数の著作が含まれることがありますので、書名と論文名が異なることがあります。それが出典の提示に対する私の答えであり、それは既に「出典に明記する」に記述されている内容です。
ところで、岩波書店版カント全集でシャトレ夫人が索引に登場しているのは「活力測定考」「美と崇高の感情にかんする観察」しかありませんでした。Texturalさんが出典として用いているのはこの2つの著作にありますか? これ以外ですか?
私は日本語文献しか当たれないので、できれば文献の著作名や、その章、節まで示していただけると助かります。
記述について。
「カントが認めた相手がいて、その人物は女性であり、シャトレを含む複数の女性である」と出典の内容をTexturalさんが示されましたが、それが「本人の文壇における性差の克服もあり、同時代の女性学修者の知名度が高かった」という記述になるのであれば、単純に言って異なる内容の文章ですから、その出典を示すのが加筆しようとする編集者の責任です(Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に)。出典を示せ、というのはWikipediaの要請であり「方針」です。
また、Texturalさんのいうところの「客観化」「相互主体性」が盛り込まれた結果であるならば、独自研究であるといわざるを得ません。独自研究を排除するのもWikipediaの「方針」です。
さらには、出典はカントの著作であり1次資料です。「(カントは)知名度が高かった」(カントは自分のことを知名度が高いと評している)、という記述があったとしても、導入部に評価として載せるのは不適当であると考えます。(「Wikipedia:独自研究は載せない」一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません)
また、#導入部の記述(2021年1月25日 (月) 21:21編集)に関してでも述べましたが、仮にこの記述が何らかの出典が伴って改善されたとしても、導入部に記述する内容にはならないと考えます。重要ならば既に他の節で記述されているはずです。--みそがい会話2021年1月31日 (日) 14:41 (UTC)[返信]

あなたがリバートしたので、別の出典を用意した訳ですが、それが見づらくなっているのはあなたのせいです。出典が同じだと述べましたか?女性がシャトレだと言いましたか?すべたあなたの誤読・妄想であり、私の投稿とは無関係です。査読の真似事は自粛するべきでしょう。
「導入部に評価として」「考えます」という内容自体がルールの範囲外です。あなたの独自研究であり、中立的な観点とは無関係です。ルール違反なのはあなたです。
全集を読む暇があるなら、固有名詞を含めて、女性についての記述をすべて確認して投稿すればいいと思います。本文に記述があるから重要というような決まりはないので、その基準は認められません。あなたの勝手な考えにすぎません。確かに、該当記事はかなり成熟していますが、冒頭部分は私が直しました。一部は削除済みですが、それでも改善の一助にはなったと思っています。削除された内容については、時間を見て、加筆等を含めて復帰する予定です。ですから、あなたの発想で、冒頭の内容を決定することが適当とは思えません。冒頭が良くなかったので直した訳ですから、本文も私の期待とは相違します。冒頭に関するあなたのルールについての知識を教えて下さい。どこに記載されているルールですか。
繰り返しますが、アカデミー版という言い方自体がもう日本語なので、外国語の文献でも、日本語で表記する権利はどの投稿者にもあるはずです。現状のルールはそういう解釈では。あなたのために記事を書いている訳ではないので、言語は適宜選択すればいいでしょう。恣意的な要求だと思います。あなたの要求は、リンク先のルールとは違います。あなたには、中立的な観点が欠落しているのだと思います。
索引に関するあなたの直感を安易に信用しないで下さい。例えば、岩波文庫の論理哲学論考では、意図的に索引からは命題を除外しています(命題記号、命題形式、命題変項は索引にも明記)。これは落丁等とは異なり、内容についての言及であり、そのようなことについて「独自研究」だと主張されると厄介です。その全集も、それ以外の箇所でも、その人物に論及している箇所が存在するという可能性はかなり高いです。あなたの底意はまたしても不当です。内山勝利訳のソクラテス以前哲学者断片集も索引の出来はそこまでではありません。高価な書籍は安価な書籍の後で作ります。高階理論同様であり、確度に関する通俗的な発想が裏切られる機会が多いのは、そのような高価な本です。もちろん例外はあるでしょう。このようなことは書籍に関する常識の部類であり、あなたは書籍の性質を理解しているとは言い難いです。執拗に反発していますが「ニュートンなどの先人の研究者の予備知識も不要です。」という発想が問題の原因であり、早急に撤回するべきだと改めて主張します。仮に出典以外の予備知識が一切不要なら、全集に依拠したあなたのシャトレについてに索引の情報が意味を持つことはないと思います。その意味ではあなたの主張は矛盾です。
要約しすと、該当記事も、外国語の出典を日本語表記で出典にしていますが、それについての説明をお願いします。これは既に問い合わせたことです。いいですか。--Textural会話2021年2月3日 (水) 09:24 (UTC)[返信]

まず「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」をお読み下さい。私が独自に見解を示しているわけではありません。(既に[3]でもご案内しています)
次に、これも既にご案内していますが、出典文献の情報については、日本語版Wikipediaにおける表記方法を示していますので、それに従って下さい。私のためだけではなく、記事を読むすべての人のためです。ズーアカンプ版でもアカデミー版でも構いませんが、「外国語文献なのであれば外国語文献用の書式で書く」というのがルールですから、日本語訳が定着していようといまいとルールに従って下さい。敢えて日本語だけで書くというのは出典表記方法には書かれておらず「権利」と言って覆すものではありません。
>「あなたがリバートしたので、別の出典を用意した」
別の出典とは何ですか?「ジェンダー論的カント解釈の一試論」のことですか?ここで議論している導入部への記述とは関係ないですよね。
>「全集に依拠したあなたのシャトレについてに索引の情報が意味を持つことはない」
なにをおっしゃっているのか分かりません。シャトレ夫人について調べたのは、Texturalさんが1月29日に「「カントが認めた相手がいて、その人物は女性であり、シャトレを含む複数の女性である」というような内容の典拠です」と書かれたからです。典拠としている文献の中にシャトレ夫人が含まれているのであれば、索引に出ていてもおかしくありません。実際に「活力測定考」「美と崇高の感情にかんする観察」には登場するということは分かりました。ですからTexturalさんにこれ以外の著述なのかをたずねているのです。出典とされる文献を調査して、書かれている内容の妥当性を確認しようとしているのですから、きちんと情報を出すべきです。
そもそも、未だに出典文献(全集なのか、単独書籍なのか。全集ならばどの巻のどの著述であるのかさえ)が示されていません。これはどういうことですか。
繰り返しますが、Wikipedia:検証可能性をよく読んで下さい。「出典のない記述は除去されても文句は言えません」--みそがい会話2021年2月3日 (水) 15:36 (UTC)[返信]

その他の内容を述べる前に、現状のウィキぺディア(該当記事。このノートの対応ページ)で、外国語の文献を「アカデミー版」と「日本語」で出典として明示していることについて、ご返答をお願いしています。あなたの主張では、外国語の文献は日本語では出典として示さないということになっているので矛盾です。リンク先に従っているのみではないのが現状でしょう。気に入らない相手にはルールに従うことのみを迫ればいいという短絡的な個人攻撃に見えます。人間学はドイツ語でAnthropologieです。ここまではいいですか。話が噛み合っていない原因を特定しないといけないと思います。それから、「試論」でも述べられていることですが、邦訳は省略や追加があることは普通なので、既述のように他文献に基づいた批判をあなたが行ったことは変です。なぜ邦訳版の全集を持ち出したのですか。--Textural会話2021年2月5日 (金) 11:00 (UTC)[返信]

要するに、Texturalさんは「Wikipedia:出典の明記」には従わずに適切な出典を示さず、「Wikipedia:検証可能性」を満たさない記述をしているということですね。これを「Wikipedia:独自研究」というのです。また、2月3日にご案内した「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」をご案内しましたが、それに対しての返答ありません。今までできるだけ丁寧に焦点を絞って対話しようとしておりましたが、理解いただけていないようです。したがって、何らかの対応がなされなければ当該部分を削除することを予告します。--みそがい会話2021年2月6日 (土) 01:02 (UTC)[返信]

全く反対です。現状のカントの記事でも外国語の文献を「アカデミー版」と表現しているで、あなたの説明は間違っています。このことについてご説明して下さい。あなたは出典の提示方法を理由に出典を削除しましたが、外国語文献の説明同様に不備があるようです。--Textural会話2021年2月6日 (土) 02:32 (UTC)[返信]

誤記を訂正しました。--Textural会話2021年2月6日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
出典の記述方法としては、私の説明は「Wikipedia:出典の明記」に記されているものであり間違っていません。間違っているのはあなたの認識です。ただし、この記事にみに関して言えば「記事内のローカルルール相当である」と判断し、これ以上の言及は避けます。しかしながら、記事を閲覧する人がすべてカントを学んでいるのではありません。界隈の慣用だから、といった言で押し通すのは不適切ですし、そのための「出典の明記」だと考えます。改善を望みます。--みそがい会話2021年2月7日 (日) 13:40 (UTC)[返信]
やはりあなたの認識が間違っています。該当記事では、「外国語の文献を日本語で出典として表記」しているので、それに倣いました。そのことについてはご指摘の箇所の内容のみでは、あなたの妨害編集を立脚・正当化するには不足です。私のルール違反だと攻撃の対象にする姿勢は、ルール違反です(善意に取る、など)。あなたが私的にドイツ語を毛嫌いしているということが顕在化するなら、中立的な観点からの逸脱にもなります。裁判官の真似事はやめて下さい。妨害になります。--Textural会話2021年2月8日 (月) 05:05 (UTC)[返信]

外部から失礼いたします。議論が行き違いになっているようでしたので、何か議論の整理となれば幸いです…。

① ≫Chastelet≪という単語の典拠  この語は、いわゆるアカデミー版カント全集においては、みそがいさんの仰るように『美と崇高』(II: 230)と『活力測定考』(I: 45, 55, 56, 67, 92, 124, 128, 130)に見られます。括弧内が典拠です。

②欧文タイトルの取り扱いについて  カントについての論文では「『純粋理性批判』からの引用に際しては慣例に従い、第一版をA、第二版をBとし、原著ページ数をアラビア数字で示す。またその他のカントの文献からの引用に際しては、いわゆるアカデミー版全集に依拠し、巻数をローマ数字で、ページ数をアラビア数字で示す」などと表記するのが一般的です。こうしたものを凡例としてページ冒頭に掲げ、それ以降はページ数のみ(例えば「A25/ B40」、「V30」など)を表記されてはいかがでしょうか。それでアカデミー版から引用する際の典拠の取り扱いの問題については解決するはずです。その他、二次文献については、邦訳せず欧文のままで典拠を示すのが一般的です。

③冒頭文章の正確さについて  カントの女性観に関しては、texturalさんの仰るように、女性が芸術などの点で男性に対して優位にあると主張していたのは確かのようです。しかし、道徳や学問などにおいては男性に劣るとも主張しています。つまり観点によって評価が変わるのです。したがいまして〈カントがいかなる観点で女性を評価したのか〉、これを適切な典拠を示しつつ記述することで記事に説得力が出るのではないかと思います。 ※個人的には、カントの女性観について、あの時代においてそれほど独特のものではないと思うので、カントの「概説」として特筆するのはうーんと思ってしまいます。「エピソード」の「女性との関わり」のところに記述を移し、今後適宜修正していくというのはいかがでしょうか。 ※個人的には「本人の文壇における性差の克服もあり」という記述が気になります。まず「文壇」という概念が曖昧です。どの範囲の地域における、いかなるコミュニティのことであったのか、詳しく規定する必要があるように思います。また「性差の克服」に関しても「実際に性差を克服した」のか「性差を克服しようとした」のか曖昧です(まあ現状からして後者でしょうが)。後者の場合、その努力の様子を記述することで記事に説得力が出ると思います。また「同時代の女性学修者の知名度が高かった」という記述ですが、「学修者」というのは概念が曖昧です。これはどのような人のことを表すのでしょうか。この表現を変えれば、記事に説得力が出るかもしれません Formanuel会話2021年2月6日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

追記です。 『美と崇高』という書物が、当時の女性にとても人気があったというのをどこかで聞いたことがあります(何かの伝記だった気がしますが忘れてしまいました…)。その意味では、カントの女性からの知名度は高かったのでしょう。私はそれをどこで知ったのか忘れてしまいましたが、このことを何か典拠とともに示せれば、記事としては成立すると思います。その際には、ここでの女性読者の階層、地域の範囲が示せれば素晴らしいと思います。私も思い出したいので、お手数ですが、よろしくお願いいたします。 Formanuel会話2021年2月6日 (土) 12:40 (UTC)[返信]

その、女性に関する知名度の話は聞き及んでいます。特定された際は教えて下さい。--Textural会話2021年2月6日 (土) 13:29 (UTC)[返信]

texturalさん、お返事ありがとうございます。私が③で提示しました諸点について、ご検討いただけますでしょうか…?どうぞよろしくお願いいたします。 Formanuel会話2021年2月7日 (日) 10:30 (UTC)[返信]

Formanuelさん、コメントありがとうございます。#2021年2月6日 (土)の編集に関して[4]版における問題点をあげましたので、コメントがありましたらよろしくお願いいたします。--みそがい会話2021年2月7日 (日) 13:40 (UTC)[返信]

Formanuelさんへ。3と関連して、こちらが用意した出典に関してのご確認をお願いします。現在、稲垣惠一2007に基づく投稿が独自研究に該当するかどうかが争点の一つです。当方としては、既にレベルでの対応関係を名状している訳で、同一性が確保されているという立場が容易に理解できると捉えています。Formanuelさんの『美と崇高』に関する情報提供は、一部、稲垣惠一2007と相違するとも取れる訳で、その辺りのご確認等をお願いします。--Textural会話2021年2月9日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

2021年2月6日 (土)の編集に関して

[編集]
この編集[5]において、出典が付与されましたが、問題点は解消していません。以下理由を述べます。
導入部記述「(本人の文壇における性差の克服もあり、)同時代の女性学修者の知名度が高かった」
問題点1
  • Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」(「その記事が取り扱う最も重要な点を簡潔に述べる必要があります。主題が注目に値する理由を明確にしたり、少なくとも導入部にてそのことが紹介されている必要があります」)に反しています。(強調は私による)
問題点2
問題点3
  • 出典(竹内昭「素顔のカント:ある小説に描かれた哲学者像(1)」」で紹介されているのは、タイトル通り、小説に描かれているカント像をさらに評しているものであり、出典として全体を用いるのは不適です(歴史としての三国志三国志演義で評しているようなものでしょう)。ただし、p.12に、カントはシャルロッテ・カロリーネ・アマーリエを「女性の誇り」(『人間学』Akad. Augs., Bd. VII, S.262)と記しています。これは、カント側からこの女性を評したものであり、カントに対する「女性学修者」からの知名度ということを言っているのでありません。
問題点4
  • 出典(アカデミー版全集7:262)が上記の竹内昭文献に要約されているとした場合、同様に、カント側からの評ですから、文章と出典の対応がとれていません。
問題点5
  • 「本人の文壇における性差の克服もあり」という記述に対する出典の該当部分がありません。
問題点1と2は導入部の記述として不適。問題点3-5は独自研究にあたると考えます。
導入部への記述に対応しているのかは不明ですが「女性との関わり」節の記述も、実質はシャルロッテ・カロリーネ・アマーリエに対するカントの評のみであり、節名に対する内容が不十分です。内容の改善を求めます。--みそがい会話) 2021年2月7日 (日) 13:40 (UTC)署名重複削除--みそがい会話2021年2月8日 (月) 14:39 (UTC)[返信]
--みそがい会話2021年2月7日 (日) 13:40 (UTC)[返信]

みそがいさん、まとめを拝読しました。ご指摘は全て適切であると思います。 Formanuel会話2021年2月7日 (日) 14:30 (UTC)[返信]

以下はみそがいさんについての反論です。Formanuelさんは「全て適切」とおっしゃいますが、他にも吟味できる観点はあると思います。
1。カントの記事では、主要な研究が最も重要な点になると思います。カントの女性の理論的な吟味は、研究者としての研究であり、私的に結婚しなかったということとは相違します。極めて重要な研究であり、リンク切れのコペ転以上に重要です。言語論的回転は私が全面的に改善しました。コペ転についても知っています。あなたが閲覧した全集はこののような事柄についての建設的な姿勢を紡ぐためのものです。あなたの主張は全面的に違います。
2。デカルトについては、斜視の女性に関する内容があります。記載できます。そのような理論が正しい場合には記事が未成熟です。ライプニッツについては、先行する女性学修者と同様の人物が目につくという言い方をします。私論です。カントが原点の一つであり、極めて重要です。先生の記事では教え子はむしろ重要であり、ホッブズの記事はそのようになっています。両観点から、あなたの寸評は不適当です。
3。あなたはプラトンをご存知ですか。カントは『道徳形而上学原論』でもそのアプローチを軽視しません。あなたの無関係な寸評は論外です。撤回するべき暴論です。「カントに対する「女性学修者」からの知名度」についてご説明をお願いします。私の投稿は無関係の誤読だと思われます。「一方的な」知名度のみに意味があるとは考えられません。
4。「カント側からの評ですから、文章と出典の対応がとれていません。」とはどういう意味ですか。ご説明をお願いします。私の投稿を理解していないのだと思います。独自研究かどうかを判断できるとは期待できないです。
5。シャトレの記事を削除したのはあなたです。合意形成を無視した急性な削除を前提とした論点は認められません。単なる暴論です。「節名に対する内容が不十分です。内容の改善を求めます。」という言い方は手前味噌ですか。更に、佐藤優はカントと関係する他の女性についても述べています。あなたの行動が違います。--Textural会話2021年2月8日 (月) 05:05 (UTC)[返信]
2月8日の編集[6]があり、上記の議論内容とは異なる記述となっている部分がありますので、それについては別節で言及します。
それぞれについてコメントします。
1。について
  • 私は「特定の集団の女性を評価した」といった内容が重要な点にはあたらないと申し上げています。そもそも、出典ではカントの思想をジェンダー論として評論しているのであって、シャトレを評価したといったことは末節であると考えます。カントが非婚者であるとか、コペルニクス展開がとか、現在の議論に無関係な事項を持ち出すのは止めていただきたい。
2。について
3。について
  • ここでプラトンを持ち出す理由が分かりません。必要なのは、アプローチ云々ではなく、出典の内容を独自研究にならないように記述することです。出典に書かれていない内容を記述するのが独自研究であると何度も述べています。結局のところ「カントに対する「女性学修者」からの知名度」に関する的確な説明は、あなたからなされたことはありません。出典(竹内昭「素顔のカント:ある小説に描かれた哲学者像(1)」のp.12に中程)には、カントの発言として書かれていて、別の人物がカントのことを知名度が高かった評している部分はありません。
4。について
  • 問題点3(前述)でも書きましたが、出典(竹内昭「素顔のカント:ある小説に描かれた哲学者像(1)」のp.12に中程)にある記述「カントは彼女のことを・・・と言っている」の記述元としてアカデミー全集版の『人間学』当該ページを記しています。それをあなたは出典文献としても用いているわけですから、「3。について」でも書きましたが内容と出典の対応がとれていないと言っているのです。
5。について
  • 合意形成を必要とする内容ではありません。Wikipediaに方針やガイドラインに反する記述を削除するのは正当な行動です。(「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」を熟読して下さい。記事を紹介し、最も重要な側面を要約する、導入部も記事本文と同様に検証可能性および他の方針やガイドラインを遵守していなければなりません、とあります)
  • 佐藤優出典[7]には、「カントと関係する他の女性」に関する記述はありません。出典に示されていない内容について私がコメントすることができるはずありません。他の部分でもそうですが、出典に書かれていない内容を持ち出して記事に記述したり、ノートにおける議論をしたりするのはWikipediaの理念に反するもとであると考えます。
--みそがい会話2021年2月8日 (月) 14:39 (UTC)[返信]

1。冒頭と重要性については、移動で対処。「カントの思想をジェンダー論として評論しているのであって、シャトレを評価したといったことは末節であると考えます。」というあなたの独自の思想を考慮することは不要だと思います。
2。自分で調べてください。ウィキペディア以外では見つかります。重要なのはホッブズの記事での教え子への論及です。
3。「女性研究者」についての研究だといういうことを認めるのでしたら、「同時代の女性学修者」にはその「女性研究者」が部分として含まれることを認められるはずです。関連性は明確です。シャトレには「「本人の文壇における性差の克服」があるという趣旨の内容です。
4。説明になっていません。カントが、有名な女性という趣旨を述べている箇所であり、その知名度が高いという出典です。あなたの「主客」が反対なのでは。一方的な知名度ではなく、双方向の知名度です。
5。「カントのパトロンは、全員女性。貴族の女性のサロンで面白い話をして回って、かわいがられたわけです。」と述べられている以上、「「カントと関係する他の女性」に関する記述はありません。出典に示されていない内容について私がコメントすることができるはずありません。他の部分でもそうですが、出典に書かれていない内容を持ち出して記事に記述したり、ノートにおける議論をしたりするのはWikipediaの理念に反するもとであると考えます。」というあなたのレスポンスは全くの見当違いです。佐藤が理解する、カントが面識を持った有名な女性学修者全員について述べていると解釈するべきでしょう。あなたはそのような誤読が多いですから、あなたには独自研究かどうかを判断することは無理だと思います。2の通り検証可能性の立脚者としてはあなたは不適任です。以上より、あなたのリバートは不適当な個人攻撃になると思います。その発想が無いのは何故ですか。--Textural会話) 2021年2月9日 (火) 04:14 (UTC) 誤記を修正しました。--Textural会話2021年2月9日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

追記です。「合意形成を必要とする内容ではありません。Wikipediaに方針やガイドラインに反する記述を削除するのは正当な行動です。(「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」を熟読して下さい。記事を紹介し、最も重要な側面を要約する、導入部も記事本文と同様に検証可能性および他の方針やガイドラインを遵守していなければなりません、とあります)」という主張は全面的に誤りでルール違反です。従う義務はありません。ルールの強制力とあなたの勝手な考えを押しつける行動、気に入らない行動に対してルールを悪用して応酬する行動はルール違反です。三国志に例えることが不適当であるということをご説明しました。プラトン、アプローチ、それらは皆その意味です。「現在の議論に無関係な事項を持ち出すのは止めていただきたい。」とは、正に投稿の誤認で対話拒否です。プラトンは物語ではありません。カントについての小説を研究した人物が、実在のカントについて述べて何が悪いのでしょうか。あなたには、あなたが自称する「カントの思想」を誤解する力が強いのだと思います。註釈で示した内容であり、「現在の議論」とは強力に関係します。『道徳形而上学原論』はプラトンたちとの類似性の証拠であり、物語の類似品としてのリスクの証拠でもあります。あなたには、そのあたりの解釈の不備を感じます。その意味では、現代哲学との距離感を正しく描写するべきで、予備学とはその意味で、それが重要な内容になります。現代哲学における女性の参画と挫折・失墜については、カントが強力に関係します。あなたのスタイルマニュアルについての考えは間違っている上に、中立的な観点にも反します。独自の観点で「無関係な事項」だと断定する姿勢はルール違反です。これも繰り返しです。あなたがが間違っているので、あなたが読み解いた、「主客についての内容」を再度まとめてください。私の投稿とは無関係の主張になっています。あなたの行動は、対話拒否です。--Textural会話2021年2月9日 (火) 09:21 (UTC)[返信]

まず上記の追記部分について。TexturalさんはWikipediaの方針・ガイドラインを拒否することを宣言しており、記事の編集に参加する資格はもはや無いと考えます。Wikipediaはルールを遵守する者が参加するプロジェクトです。守れないのであればWikipediaではない別の場所でしてください、としか言いようがありません。
とはいえ、以下コメントします。
1。について
  • 出典の主題自体をないがしろにし、ごく一部の枝葉末節部分を重要だとして採りあげることこそ、問題であると述べています。こだわる理由が全く分かりません。
2。について
  • ご自分で出典を示すことができないということですね。これ以上コメントすることはありません。
3。について
  • つまり、この1文はシャトレについての説明のみの文章であり、カントには無関係であるということですね。
4。について
  • 双方向の知名度、なるものはあなたの主張にしか存在しません。具体的にその部分を示すようお願いしていますが、結局は出典のどこがその部分なのか示されていません。
5。について
  • 出典に無いことを想像するのはあなたの自由ですが、それに私が付き合う筋合いはありません。あくまで出典に記されたことを「書かれていないことを付け足すこと無く」解釈することが課されています。
空虚な反論を繰り返すことはせず、ルールに則り、的確な論でお願いします。--みそがい会話2021年2月9日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

「まず上記の追記部分について。TexturalさんはWikipediaの方針・ガイドラインを拒否することを宣言しており、記事の編集に参加する資格はもはや無いと考えます。Wikipediaはルールを遵守する者が参加するプロジェクトです。守れないのであればWikipediaではない別の場所でしてください、としか言いようがありません。」ということですが私の理解とは根本的に相違しています。あなたはあなたの解釈に従う義務があるかのように言っていますが、ガイドラインの範囲で首尾よくいけばその方が良いという程度のことで、あなたが要求しているような強制力は無いという意味です。段々分かってきました。あなたはカントのようなことをすることはうまいが、カントの「思想とやら」を正確に説明することを重視することはないということでしょう。ルールの範囲で、気に入ら無い相手を排除する方法を知っている。

「1。について」下で述べられていることを踏まえてやっと理解できたことがあります。「フェミニズムの観点からの批判は20世紀以降の評論」という見解がこの記事を自分に好都合なものにする上では有効だということを知っている。そういうことですね。その意味では、全くの反対です。シャトレとカントの関係は、該当する文書の本旨であり、枝葉末節ではありません。その意味で、独自研究にはならない投稿の出典になるというのが当方の主張です。

「2。について」出典を明示して投稿することは多くの人にとって可能であり、現在の状態は有益な資料ではないという趣旨です。「ご自分で出典を示すことができないということですね。これ以上コメントすることはありません。」ということはあり得ず、反対のことを認めるべきです。

「3。について」投稿時点では、そのような路線での解釈を念頭に置いていました。もちろん、そのような解釈が唯一の解釈だとは思いません。カントの関係者であり、性差の克服が(フランス語的な通常の習慣の範囲だったとしても)存在したという資料としては、見つかり易く、検証可能性が高い。単にそういう資料として理解しています。主題は正に、私の投稿と同様の路線(カントと女性について述べるための文書でしかも当時の内容を正当化する論旨)であり、「試論」といったフレーズを悪用する姿勢こそ、「枝葉末節」と言って他人を冒涜する態度でしょう。「ごく一部の枝葉末節部分を重要だとして採りあげること」と述べましたが、その箇所はむしろ要旨です。この範囲で、カントとも「ニュートンなどの他の研究者とも関係する」シャトレについての文です。カントと女性の関係は、哲学史上も要旨になるという観点からの投稿を想定・検討・予定しています。現代の主要な地平についての重要な観点は複数あり、カントとヘーゲルはその焦点になり得ます。その意味で、冒頭での要約は骨子であり、あなたによる「デカルトやライプニッツなどの記事との比較」には、不安を覚えます。考えの相違が深刻で、「独自研究」についての理解が噛み合っていません。あなたの独自研究についての理解はあなたの編集姿勢を正当化するに足るのみで、それ以上ではないのかもしれないとの考えです。それは事実なら、非常にまずい事態です。話をカントの記事に戻します。カントとヘーゲルについての上記の内容に関しても、独自研究ではなく、中島義道にも同様の論旨が認められます。個人的には公知の内容です。(蓮沼1997はその意味で、カントの記事には必要だという立場です。)中島他の、出典の選定はまだです。このような意味で、その一文はご理解頂ければと存じます。最近、デカルトなりライプニッツなりの「出典」が無いとのご主張がありましたが、またしても誤読です。投稿の際には、出典に基づいた投稿を念頭に置きます。勿論、私の期待に反してあなたが独自研究だと主張することはあり得ますが、独自研究ではない場合にもそれは可能です。独自研究ではないことを理解する方法に到達して下さい。それが合意形成です。

「4。について」佐藤の出典もそのような性質を持っています。現在のカントは有名だが学修者は無名というような発想との比較では、有名だと看做せる出典です。

「5。について」その辺りは言い方であり、当方があなたに期待していることも同様のことです。再読を希望します。出典に書かれていることを誤解しているという主張はその意味であり、あなたの誤読に関しての吟味をお願いしています。オープンソースについての出典はほぼ出そろっており、内容と文章のすり合わせで対応可能だと思っています。あなたが合意形成の意思を持つかということに尽きます。他記事をクレームの理由として挙げたあなたは、註釈等での下線はやりすぎだと思います。

個人的には、他記事で言えていることと同等のことを述べることは許容されるべきであり、独自研究としての排除は急性という姿勢が必要だとの立場です。私の編集の傾向としてそのようななところがあるという程度の意味で、当然、留保の余地はあります。そのような発想は極めて重要で、粗悪な記事を高効率で減らせる生産的な方法で、恣意的に独自研究を投稿する人とは、全く違います。「とはいえ、」他人の投稿に関するあなたの(新カント派的、もしくは、功利主義的またはプラグマティックとさえ言える)考えも僅かにではあって、当方の与件になった以上は、自身の方針を認めてもらえないリスクを承知で臨むしかないようです。この考えはルールの無視とは違います。これは極めて重要です。そして、単に出典を明示しないことが独自研究になるというあなたの姿勢はルールの誤認です。その方法でテンプレもなく優良な記事で、独自研究ではないという場合は多いです。

「空虚な反論を繰り返すことはせず、ルールに則り、的確な論でお願いします。」とのことですが、私としては、利害の相違を原因として仮定しています。当方にとっては自明の理なのに、見当違いのことをおっしゃる。そういう印象になります。投稿についての非難を出す以上、独自研究の内容の特定も難儀します。当方としては、どの出典も、当方が希望する記事の内容を「その記事の主題に関連する形で、既に発表されて」いる形で内在していると捉えられます。やや込み入った内容(通俗的には、『純粋』とは相違する上に、現代哲学の主要な論点を念頭に置いた通史を踏まえることまでは包括的)であり、あなたによる「枝葉末節」という論評が出ている訳ですが、投稿の要旨は、「独自研究は載せない」と関係しますので「空虚な反論」ではありません。この意味で、出典の出来栄えには、個人的な不満はあるのですが、他の人が(自己の名義で)用意したものですから、贅沢な要求でもあります。その意味を除けば、「出典がない」という指摘が「空虚な反論」で「過剰なこと」は、個人攻撃にもなり得、合意形成の手法としては不適当です。あなたには、私の主張を理解する義務は無いのですが、私には話をするように迫っているという側面があります。あなたは「編集を諦めてしまえば、説明責任もない」と捉えているのかも知れませんが、当方としては現状のカントの記事は不十分であり、結局は、私の(生活についての)不都合を生じているという立場です。それはあなたのデカルトとライプニッツの記事との比較とは反対のことが言えます。そして、あなたの誤読、それも出典についての誤読をお伝えしているので、「空虚な反論を繰り返すことはせず、ルールに則り、的確な論でお願いします。」という言い方には問題があります。あなたが攻撃的な編集とコメントを行えば、私も何らかの形でそれと反対のことをしないといけません。そのようなことを迫らないで下さい。あなたの編集の一部ないし多くは、ルールについての情報提供とは相違しています。--Textural会話2021年2月9日 (火) 22:23 (UTC)[返信]

Texturalさんの「出典の出来栄えには、個人的な不満はあるのですが、他の人が(自己の名義で)用意したものですから、贅沢な要求でもあります」という発言が根本的にWikipediaのプロジェクトスタンスと違っているのです。本当に「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:中立的な観点」などを読まれましたか?
何度も申しておりますが、「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます」「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません」と方針には明確にされています。
Texturalさんの私に対するコメントに「自分で調べてください」などということが書かれていること自体がこれらのWikipediaのルールに反しているというのです。分かっていただけないのでしょうか。私はルールにないことは指摘していないつもりです。
そのうえで、各コメントにお答えします。
1。について
  • 「ジェンダー論的カント解釈の一試論」p.50の中段に「カントによるシャトレ公爵夫人に対する論争もまた女性の知性をカントが認めていたことの証左となるだろう」と書かれています。つまり、それまでの論述の具体例として採りあげているに過ぎません。だから枝葉末節だと言っています。
2。について
  • 既に述べましたのでコメントはありません。(ルールを良くお読み下さい)
3。について
  • 「個人的には公知の事実」はWikipediaでは関係ありません。何度も言うように、出典に基づいて記述するのがルールですから、必要ならば出典として採りあげれば良いだけです。それをしない側に瑕疵があります。「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、理念、意見、解釈、定義、評論、考察、推測、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」(独自研究は載せない)、そしてそれは「検証可能性」「信頼できる情報源」を満たさなければなりません。そのために「出典を明記する」必要があります。
4。について
  • 出典に書かれていないことを想像して記述することも独自研究です。既に述べたとおりです。
5。について
  • 上記4について、と同じです。
「あなたの情報提供と要求が不適切(既述)であり、それに従う必要が無いのです」というコメントがありましたが、Wikipediaのプロジェクト理念、各種ルールを蔑ろにする姿勢は、看過できません。
--みそがい会話2021年2月10日 (水) 14:10 (UTC)[返信]

「「出典の出来栄えには、個人的な不満はあるのですが、他の人が(自己の名義で)用意したものですから、贅沢な要求でもあります」という発言が根本的にWikipediaのプロジェクトスタンスと違っているのです。」という姿勢が間違っています。過失を認めてください。あなたは独自研究ではない投稿を独自研究にしようとしています。直接の引用に出きる箇所ばかりではありません。前後関係だけでも、言い換えが必要になります。出典に記載されている内容と同じことを投稿することは、独自研究ではありません。Wikipedia:原典のコピーはしないを忘れないでください。「出典の出来栄えには、個人的な不満はある」というのは、出典の出来が良くなければ記事の出来が良くないというそれだけのことであり、3大原則です。あなたの3大原則についての解釈とは無関係です。

「「あなたの情報提供と要求が不適切(既述)であり、それに従う必要が無いのです」というコメントがありましたが、Wikipediaのプロジェクト理念、各種ルールを蔑ろにする姿勢は、看過できません。」という言い方が違います。私が述べているのは、あなたの解釈に従う義務がないということであり、ルールに従う話をしています。あなたの情報提供と要求がルールと相違している以上、「Wikipediaのプロジェクト理念、各種ルールを蔑ろにする姿勢は、看過できません」という恣意的な断定は認められず、撤回するべきです。

「だから枝葉末節だと言っています。」という主張も違います。「出典に書かれていないことを想像して記述することも独自研究です。既に述べたとおりです。」という理屈がルール通りなら、あなたの「想像」による「記述」であり、「独自研究」です。

3です。「カントには無関係」という言い方が強すぎるので、悪用されることを警戒しています。女性についての投稿を念頭におき、あなたとの対話を試みています。以上より、「カントには無関係」とは言えないというのが、当然の帰結です。どのような水準で「カントには無関係」ではないのかを精密に問い合わせる必要は無いと思います。あなたの姿勢が違います。不要な問い合わせは自粛して下さい。要するに、あなたが出典の内容の範囲内と認められる文案に到達するためのアプローチに限定した対話が必要です。あなたはわたしを独自研究にしようとしていますが、Wikipedia:原典のコピーはしないを忘れないでください。それが合意形成です。

4です。「著名な哲学者のイマヌエル・カントは、超モテ男でした。カントのパトロンは、全員女性。貴族の女性のサロンで面白い話をして回って、かわいがられたわけです。」これは、知名度については有名という意味で、女性学修者からの知名度がゼロという意味ではありえません。出典に書かれていることであり「出典に書かれていないことを想像して記述することも独自研究です」という主張は無関係のデマです。

「Wikipediaのプロジェクト理念、各種ルールを蔑ろにする姿勢は、看過できません」という主張は論拠薄弱で、私の投稿を無視したものです。撤回を希望します。それが合意形成につながります。あなたの正義感が不適当です。あなたはWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんを軽視しています。従う義務はないルールについてあなたは恣意的であり、ルールについてのそもそもの主張を誤解し悪用しています、その意味で理解して下さい。あなたは地球上のルールと社会のルールを軽視している可能性があります。そうでなければ、そこまで恣意的に扱うことはないと思います。--Textural会話2021年2月11日 (木) 04:35 (UTC)[返信]


TexturalさんのWikipediaへの参加スタンスについてはよく分かりました。ルールを守れない以上は、お引き取り願うしかありません。独自研究とはどういうことか、各種方針・ガイドラインページを参照するようお願いし、記述に対しては何が問題であるかを明確に指摘したつもりです。それに対して、的確なご回答をいただけないばかりか、出典以外からの見解を持ち出したり、故意にはぐらかそうとしているようなコメントには正直うんざりしています。私だけではなく、第三者のご意見もいただいています。これ以降は次節でコメントします。--みそがい会話2021年2月11日 (木) 13:29 (UTC)[返信]


2021年2月8日 (月)の編集に関して

[編集]

この編集[8]における編集に対して問題点がありますので、以下詳細を述べます。

問題点1.冒頭文に付された注釈、および、コメントについて

  • 出典無き評論であり独自研究である。

問題点2.「(広範かつ純理論的な内容としての)女性を批判的に考察すると同時に、同時代の研究者以上に、(シャトレなどの)女性を高く評価していた」という部分について

問題点3.「本人の文壇における性差の克服もあり」に付与された出典(啓蒙期西欧における科学アカデミーと女性 川島慶子)について

  • この出典は、カントについての出典ではなく、女性研究者についての研究報告です。(カントに関しては一切の言及はありません) したがって、続く文章「同時代の女性学修者の知名度が高かった」との関連性が全く不明です。

問題点4.「科学アカデミーの早期の動向・・・それに対する反駁も存在する」という文章、および付与された出典(カントとフェミニズム 遠藤寿一)について

  • 第1文の根拠が出典に示されていません。
  • 第2-3文の根拠が出典に示されていません。ただし、問題点2における出典を根拠としているのかもしれませんが、既に述べた理由により不適当な記述です。
  • 第4文は出典の内容を踏まえた記述と思われますが、フェミニズムという一面からの評論であり、そもそも導入部へ記述する内容ではありません。

Texturalさんが記述しようとしている内容は、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に反するものです。繰り返し同様の編集がなされることは問題があります。--みそがい会話2021年2月8日 (月) 14:39 (UTC)[返信]

1。取り急ぎ、論旨を遡求的に理解することが可能な出典のみに限定し再投稿。
2。内容の同一性を確保した上で、出典を明示している以上、独自研究ではありません。削除は不適当です。これも繰り返している通りです。
3。カントがしたことがどのようなことだったかを示すために必要です。前段階にはカントが登場しませんが同じ時代のことです。「女性研究者」についての研究だといういうことを認めるのでしたら、「同時代の女性学修者」にはその「女性研究者」が部分として含まれることを認められるはずです。関連性は明確です。シャトレには「「本人の文壇における性差の克服」があるという趣旨の内容です。
4。内1-2。第一文としては、稲垣惠一2007でも良いと思います(3と共通する内容)。内3。移動で対処。
独自研究ではないので出典を明示しています。内容のすり合わせがどのような内容なのかが理解できないという以上の行為が適当だとは言えないと思います。--Textural会話) 2021年2月9日 (火) 04:14 (UTC) 字下げの変更を行いました。--Textural会話2021年2月9日 (火) 09:21 (UTC)[返信]
追記です。「ガイドラインに反する記述を削除するのは正当な行動です」というあなたの妄想はルール外の行動で、しかも中立的な観点に反するルール違反です。導入部のスタイルマニュアルについては、従う義務はなく、あなたのスタンスを押し付ける権利はあなたにはないです。過剰な反応であり、編集妨害・個人攻撃・コミュニティの疲弊を招く行動に相当します。主客の転倒といい、フェミニストの一面的な評論等、あなた独自の見解またはあなたの妄想であり、あなたの見解は出典とも私の投稿とも大きく相違しています。私の投稿は独自研究ではありません。文案の変更を行ったのに、単なる独自研究だとの主張は、中立的な観点を無視した独裁の証です。あなたには中立的な観点がありません。この場合、独自研究を正しく特定することは不可能です。あなたが2で述べた行動は、ルール違反です。--Textural会話2021年2月9日 (火) 09:21 (UTC)[返信]
まず上記の追記部分について。TexturalさんはWikipediaの方針・ガイドラインを拒否することを宣言しており、記事の編集に参加する資格はもはや無いと考えます。Wikipediaはルールを遵守する者が参加するプロジェクトです。守れないのであればWikipediaではない別の場所でしてください、としか言いようがありません。
以下コメントします。(2021年2月9日 (火) 12:44 にて記述が変更されていますが、変更後に内容についてもコメントしています。[9]
1。について
  • 注釈は「 哲学史上、イギリス観念論においては、カントかヘーゲルかの二分法は、少なくともムーアとラッセルまでの当時の研究者にとって、岐路の一つでもあった」
  • 出典は「分析哲学の誕生 蓮沼 啓介」と思われます。
  • 出典には「イギリス観念論」「カントかヘーゲルか」「二分法」「当時の研究者にとって」「岐路の一つ」といった意味の記述は、日本語部分には見当たりませんでした。どの部分が相当しますか。英文部分ですか。出典すべてのページを引き合いに出すのではなく、必要な部分にしぼって下さい。この出典はムーアがカント哲学を乗り越えて分析哲学に至る経過を推定したものと思われます(「ムーアが行っていた思索のプロセスを、試みに、再現することにしたい」と書かれています)。注釈の記述と出典がどうつながるのか不明です。
2。について
  • 現在の記述「(広範かつ純理論的な内容としての)女性を批判的に考察すると同時に、同時代の研究者以上に、(シャトレなどの)女性を高く評価していた」において、最初のかっこで括られている部分はどこに書かれていて、具体的には何を指しているのですか。一般の女性、ということですか。(シャトレなどの)とはどのような女性なのですか。いきなり個人名が出てきて意味不明な文章になっています。なぜ執拗にシャトレを引き合いに出すのか分かりません。「活力測定考」「美と崇高」などに書かれた女性についての論ならば、別の記述方法があるはずです。
3。について
  • 「本人の文壇における性差の克服もあり、同時代の女性学修者の知名度が高かった」というのは、シャトレについての記述ということですね。普通に読めば、本人とはカントのことであり、(カントは)女性学修者からの知名度が高かった、と読める文章であり非常に不適切です。2でも書きましたが、意味のとれない文章になっていますし、不要であると考えます。
4。について
  • 「女性との関わり」節に移動したところで独自研究であることには変わりありません。第4文については、この節で記述する内容であるのかも疑問です。なぜなら、フェミニズムの観点からの批判は20世紀以降の評論だからです。
それから、記事内にコメントであなたの独自研究を埋め込むのはおやめ下さい。
真摯なご対応を求めます。
--みそがい会話2021年2月9日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

「1。について」 頻繁に投稿していますがこれでも非常に忙しいので、削除等は最大限待って下さい。取り急ぎ要約します。イギリス観念論及びイギリス理想主義に関連する(各)記事に目を通して下さい。予備知識が必要です(それをあなたに高精度で伝達するには、あなたの予備知識に関する知識がありません。可能なら全文精読をお願いしますと言いたいところですが、以下の話が通じるなら不要です)。カント派とヘーゲル派の二肢はブラドリーらによって(「(後に)人類の知の遺産となる」ラッセルの(業績を仕立てる)為に)用意されたものです。そのやや急性な内容(その出典も、当方が希望する記事の内容を「その記事の主題に関連する形で、既に発表されて」いる形で内在していると捉えられるうえ、やや込み入った内容(通俗的には、初学者用の通史とは相違する上に、現代哲学の主要な論点を念頭に置いた通史を踏まえることまでは包括的))でもあることから、英文が多いことは認めます。僅かな無理は、体裁からも感じますが、「理想 461」でも確認された事象であり、グラウンドゼロとは無縁です。執筆者は、(前述のラッセルについての観点を踏まえて)ムーアの可能な途として「カント派としての将来を検討するムーア」を描写しています。これはムーアがカントを選べば、ラッセルはヘーゲルを選び易いということを暗に含んでいます。日本国内での事情は更に込み入っていて、(イギリス国内以上に)超人的です。(おっしゃる通り)単なるイギリス観念論者と分析哲学者たちが分岐する地点の描写であり、全容の可能性を枚挙する余地は、執筆者たちにはありません(人数と時間の制約)。カントに関する論及は全てその意味への接続性を持ちます。二人は意図的にそのような試験を課され、意図的に落とされています。その地平が、次世代の骨子をラッセルが創出しないといけない時節だからです。(無論、グリーンと同様の途もあり得ますが、それは避けたのでしょう。他にいないので無視して書きました(重要)。情感としては筆者に近く、ラッセルとムーアについては、実質的にはどちらでもないと看做せる世代です。それ以前に筆者の味わいはムーアに近いですが、それも(個人的には)本旨ではありません。)地平については、ガダマーによって述べられ、ハーバマスによって殺害されますが、連続的であり、厳密には不連続です(ウィトゲンシュタインとクワインについては同様でした。カントとヘーゲルについてはそれに近いのかも知れませんが、専門外同士という意味なら近いだけです。では、ブラッドレーとラッセルにはできたのは何故でしょう。この件について、必要なのは事実です。あなたが承知している研究者がポンペイの壁画のように忘却しても、それが独自研究ではない可能性は大いにあります。その意味では、オルガノンはテイクフリーであり、オープンソースであり、独自研究ではないのです)。それが描写されているオープンソースがその文書です。試験に関する論及は全てその意味への接続性を持ちます。列挙した5フレーズはその意味で理解して下さい。

「2。について」 観点の合成を避けています。それと多忙の理由。解釈と価値の、第三者についてのエンハンスメントをも避けています。「「活力測定考」「美と崇高」などに書かれた女性についての論ならば、別の記述方法があるはず」とのことですが、現状の私にはその路線を考慮する発想は不適当です。あなたが補うことに関しては、特に忌避してはいません。「いきなり個人名が出てきて意味不明な文章になっています。」とは言っても、あなたが女性全体が普通だとの見解を堅持するので(そもそも、Wikipedia:妨害的編集#いつまでも納得しないに相当しているのに)変えてみたのですが、その辺りではないということですか。そもそも「この「女性」とは女性全体を指すのが普通の解釈ではないですか?」という発想が、投稿の解釈には向いていない証拠です。「「活力測定考」「美と崇高」などに書かれた女性についての論」では、齟齬は更に深刻だと容易に予想できます。この事実を認めて下さい。そのような内容を「意味不明」とは称するべきではないです。形式的な論理が理解できれば、単に有意味な文です。(そういう文を字と言う人が出ますが、あなたが数学者なら算木(さんぎ)を手で払うような初学びないし部外者を認めてはいけないのです。勿論、ウィキペディアのルールに関する配慮は、別の話題で、別途徹底できれば理想です。)

「3。について」 投稿時点ではシャトレを含めると「意味が理解できる」と取れます。その字句のポテンシャルが高いので、当面は残したいのです。カントが論及していることについては、少なくともカロリーネを含む。佐藤の論及については、カロリーネを含んでいることが適当だが、明示的ではない。とにかく、「カントのパトロンは、全員女性。」カントが中心で主要な原点です。それが代表的な研究者です。デカルトともライプニッツとも区別して下さい(既述)。(カントの学説のどこに魅力を感じますか。軽いですか。その動向の後続はアーサー・ショーペンハウアーです。主著、『続編』、『補遺』はその意味です。エスカンをご存知ですか。西欧では地震は稀ですが、あれば絵は落ちます。エスカンで掛けていたからです。それがカントで予備学です。(レガシーにはならないとは言え)該当する字句はそういう字句です。ウィキペディアの記事はそうなっているべきです。女性に関してはカントが原点です。独自研究ではなく、主要な焦点であり、明示的な主題です。)カントはシャトレが実在することには興味は無い(し女性にも興味が無い上に、女性霊長類学者でもないのです)が、シャトレ以上には未来学者ではない(既述)ので、資料の可搬性が低いのです。丸括弧内は補いの言葉で、私は原文の内容の範囲内であると読みます。要は、あなたの要求の踏まえ方次第です。あなたの原文の解釈が違うことが本体です。カントが要した女性という文字列についてのあなたの解釈が違うので、余計な要求を出しているのではありませんか。それ以外の理由があるのなら教えて下さい。私は独自の解釈を読み込んではいません。他の資料と同様の方法で典拠にしただけです。「意味のとれない文章になっていますし、不要であると考えます。」とのことですが、現状のあなたには意味が無いだけでしょう。あなたの解釈の整合性がない(既述)以上、そのようなリスクは容易に生じます。合意形成を図って下さい。カロリーネにはサラリーを生産する能力は無いのでパトロンとは違うと思う人もいるでしょうが、普通のパトロンにも立脚者・後ろ盾は必要で、カロリーネも該当するという解釈は普通で良いと思います。銭ゲバがカントのパトロンだったなら、学修者という言い方は必ずしも適当ではないとも言えますが、佐藤が述べているように、カントは経済予備学を提供するでしょうから、学修者は適語だと捉えます。あなたの疑義についての、私の疑いを正しく仮定して下さい。それが合意形成です。なおカント原文の該当者はカロリーネですから、佐藤の女性に関する論及との接続性は、その(種概念相当でも意味は同じですが)「類概念相当」としては、基本的には最も適当です。なお、あなたは恣意的にカテゴリー論を導入して私の投稿を寸評していますが、そのような姿勢は不要なばかりではなく、全く不適というです。極めて重要なことですが、ウィトゲンシュタインがグッドマンに論及しています。あなたのような存在者どうようの仕方でが彼に干渉した為に生じた重大な齟齬で、決して類比ではありません。

「独自研究を埋め込むのはおやめ下さい。」に関して。見通しを立て易くしたいので、そのままにしておいて欲しいのですが、ルールとは違うのでしょうか。コミュニティに依存という程度の理解です。どういう観点からの独自研究なのかを教えて下さい。少なくとも、捏造や虚偽とは相違します。独自研究かどうかをあなたが単独で決定しないで下さい。相互理解の為のガイド・マーク(なお、極めて重要なことですが、徴標とは無関係です)があった方が便利なことと、今後の編集に好都合なことを踏まえました。当方としては考慮して欲しいという立場です。個人的にはあなたの言い方は攻撃的です。

なおフェミニズムに関してですが、現代哲学を参照して下さい。同時代の女性研究者は当然いますが、主要な研究がありません。石黒ひで子に問い合わせましたが私と同意見です。その意味で、女性差別等は皆無です。当方としては、物理学と(論理学を含める)数学には、女性研究者はいません。いるのは女性です。2点目。広義のフェミニズについては、プラトンもニュートンも認めるところ(既述)ですから、20世紀との判断は恐らく謬見です(つまり、「空虚な反論」ではなく予備知識の提供)。削除理由とも取れるので、情報源を教えて下さい。(以上からは、独自研究をノートで講釈しているのはあなただということになりませんか。)段々通常の意思疎通に近づいてきたと感じていますが、どうでしょうか。その意味では、個人攻撃等には言及しない方がよいのかも知れません。その辺りは同意する余地があると取って下さい。他方ではあなたは「独自研究を埋め込」んだと断定しています。それがまずいことはルールでも述べられていると読めます。認めて下さい。あなたが警察主義者になってしまうかも知れません。警察官ではないとう前提での見解です。「まず上記の追記部分について。TexturalさんはWikipediaの方針・ガイドラインを拒否することを宣言しており、記事の編集に参加する資格はもはや無いと考えます。Wikipediaはルールを遵守する者が参加するプロジェクトです。守れないのであればWikipediaではない別の場所でしてください、としか言いようがありません。」という投稿がありましたが、私の見解を無視し続けている証拠です。あなたの情報提供と要求が不適切(既述)であり、それに従う必要が無いのです。外国語文献についての過失は、明確には認めていませんが、ズーアカンプの検索の粗雑さも、実際には、個人攻撃です。該当する内容は、単にその意味です。あなたの姿勢が違います(既述)。「真摯なご対応を求めます」とのことですが、あなたの姿勢は確かに実務的でルールの話をしていればいい。それでも肝心の話が噛み合わないのでは無駄です。「「シャトレ夫人のような自ら研究し学会で堂々と自己主張する女性」という特定の女性集団を示している文章と、単なる「女性」という語は異なる概念を示していると私は述べていますが、」「既に予告しましたが、「Wikipedia:独自研究」であり」「当該部分を削除します」という姿勢が間違っています。あなたの理解に過ぎません。そのような独自研究はこの世には存在しません。その字をそう解釈することは誤読だという発想を認めない理由を教えて下さい。そのような姿勢のどこが「真摯なご対応」なのでしょうか。独自研究は口実であると思っています。対話中なのに削除する必要は皆無です。善処を希望します。--Textural会話2021年2月9日 (火) 22:23 (UTC)[返信]

誤記を修正しました。--Textural会話2021年2月11日 (木) 04:35 (UTC)[返信]

1。について
  • 要するに、出典とされる文献には対応する記述は存在せず、それ以外の情報を参照せよ、ということですね。出典のどの部分に基づいた記述であるのかを示すのが加筆者の責務であって、それができずに出典として用いるのは、出典の偽装ととられても仕方のない行為です。当然、出典が伴わない記述ですから、独自研究にあたります。
2。について
  • この部分もまた、出典のどこに書かれている内容なのかを明らかにしてもらえません。何故でしょうか。私は過大な要求をしていますか? 逆にいえば、私の要求に明確な回答いただけないこと自体が独自研究をうかがわせることになるのですが。また、私は現状不備のある記述に対して一つの解決策を提示しているだけであって、それをどう受け取られようがあなたの自由です。ですが、であれば現状の疑問点を解決すべく対応するのがあなたの加筆者としての義務です。
3。について
  • 「シャトレは本人の文壇における性差の克服もあり・・・」としたところでシャトレに対する説明文であり、カント自体には関係ないことです。
4。について(見出しはついていませんが、便宜的に)
  • 「あなたの原文の解釈が違うことが本体です」とは驚きです。既に理由は述べておりです。あなたは以前「客観化」「相互主体性」という語で話を進めようとしましたが、そもそもそれが問題です。
Texturalさんが誰に確認しようと、Wikipedia上で示されていない文献を用いようと構いませんが、それらを基にして議論を展開することは控えて下さい。
独自研究を削除されないようにする方法は、既に説明しました。あとはTexturalさんの対応次第です。
コメントアウト部について
  • そもそも私が「疑問点範囲」を貼付した部分です。それを外した上で残すということ自体が疑問です。必要ならば当該部分をご自分の利用者ページに移動して下さい。記事はあなたのメモ帳ではありません。
--みそがい会話2021年2月10日 (水) 14:10 (UTC)[返信]

「1。について」またしても誤読です。読み方が分からない場合には、他を見ると読み易いという趣旨です。試験に合格する必要があるムーアが、(本人にはそこまでの興味はありません。ヒル達が迫るのでカントの研究者になりました。)カント派を選択する帰路に立ってるという描写です。そのパラダイムの 反対に、あなたが記載されてると看做せる内容を教えて下さい。その方が早いです。

「2。について」あなたが要求した発想と私の都合の相違を述べている訳ですから、記事の出典とは別の話題です。あなたが提案した文献を用いた記事は、あなたが用意すればいいと思います(既述)。

「3。について」その単文が「カント自体には関係ない」としても、その人物が有名なので、「女性学修者」と「知名度」という単語を用いた文の投稿のためには必要で、「カント自体には関係ない」ということはむしろ反対のことです。引用部分は、「私は現状不備のある記述に対して一つの解決策を提示している」という人物の発想だとは言い切れません。疑問です。

「「あなたの原文の解釈が違うことが本体です」とは驚きです。既に理由は述べておりです」と言われても意味がわかりません。どういう理由で、ルール違反だということになるのかが理解できません。観点の合成にならなければ、複文を単文にしてもいいと思います。それだけです。「あなたは以前「客観化」「相互主体性」という語で話を進めようとしましたが、そもそもそれが問題です」という主張は、単にあなたが述べただけで、強制力は皆無です。ルールではなく、私の投稿に言及する情報源もないはずです。

「基にして議論を展開することは控えて下さい」とのことですが、あなたは出典を示していません。ジェンダーについての持論を本ノートに投稿した訳ですが、「それらを基にして議論を展開すること」を自粛するべきなのはあなたでしょう。矛盾です。

「記事はあなたのメモ帳ではありません。」とは失礼です。あなたのメモ帳でもありません。普通の人にはメモは不要であり、新カント派もそうでした。あなたは私とカントと新カント派を誤解しているという意味を含んでいると思います。余計な内容を付加しないように注意してください。こういうことを言うしかないです。コメントアウト部についてのあなたの心象は仮定しました。そのような場合のための仕組みであるとの立場ですが、販の消去はないでしょう。私自身にしか役立たないという見解は事実無根です。他の当方の意向は述べた通りです。

繰り返します。ジェンダーに関する論拠を教えて下さい。あなたの内部で20世紀になっているかどうかこそが無関係なことです。ノートとは言え、あなたが述べたことです。論拠はあなたしか知りません。仮に、あなたの論拠がどのような体裁だったとしても、削除の主体的な動機にはなっても、3大原則に基づいた通常の投稿です。(あなたの)削除には反対です。-そえから、忙しいので、削除等については最大限待ってください。-Textural会話2021年2月11日 (木) 04:35 (UTC)[返信]


1。について
  • 結局、出典文献にはどこにも記述されていない、ということですね。わかりました。虚偽の出典提示であると判断します。
2。について
  • 出典のどこに書かれているのか示すことができないということであり、独自研究です。
3。について
  • 「(シャトレは)本人の文壇における性差の克服もあり、同時代の女性学修者の知名度が高かった」。だから、そのこと自体とカントに何の関係があるんですか、と聞いているのですがご理解いただけていないようです。あなたは前半部の出典としてシャトレのみでカントには関係ない文献を出典として提示し、後半部分はカントに関する出典を付しています(その出典自体も不適切ですが)。全く整合しません。その前の「・・・評価していた」という文章は出典文献によれば、シャトレのみの話をしているのではありません。枝葉末節にこだわるから、こういう疑問点の解消しない文章になるのです。
「客観化」「相互主体性」とおっしゃったのはあなたで、1月27日のコメントにあります。私が言い出したことではありません。そもそも「客観化」した結果、主客の転倒する文章にするのは独自研究であるというのが私の述べたことです。
「ジェンダーについての持論を本ノートに投稿した」ことが不要だと言っているのです。必要なのは持論ではなく、出典を基にした議論です。根本的に違います。私が記事の記述と出典とを比較し、疑問点があると指摘しているのであって、私が基にしているのはTexturalさんが出典とされた文献です。
「「記事はあなたのメモ帳ではありません。」とは失礼です。あなたのメモ帳でもありません」その通りです。記事は私のメモ帳でもなく、あなたのメモ帳でもありません。なので、独自研究的記述をコメントアウトして記事に残すのではなく、必要ならばご自分の利用者ページを使って下さい、と言っているのです。何が問題ですか?
「ジェンダーに関する論拠を教えて下さい。あなたの内部で20世紀になっているかどうかこそが無関係なことです」 私は「フェミニズムの観点からの批判は20世紀以降の評論」と書きました。引用するなら正確にお願いします。その出典はあなたが提示した「カントとフェミニズム 遠藤寿一」のp.100の注部分です。カントとフェミニズムに関する論述はすべて20世紀以降のものです。また、pp.2-3 に登場するカント批判したフェミニストは20世紀以降の人物です(一部確認できていない人物もいますが)。何か問題がありますか。それ以前にカントとフェミニズムを論じたものがあるのならば、提示して下さい。
「削除等については最大限待ってください」 既に私が問題点を指摘してから2週間以上経過しています。あなたはその間適切な対応をされず、他の記事を編集するなどの行動さえしています。何故ですか。少なくとも、私は独自研究と思われる記述に対して、編集者であるあなたに敬意を払って即時に削除はせずに真意を確認し、改善されることを期待していました。もう一度は待ちますが、その後は待ちません。
--みそがい会話2021年2月11日 (木) 13:29 (UTC)[返信]


疑問点が生じていた編集箇所については、当該編集部分の編集者が投稿ブロックになったため改善の見込みが無くなりました([[10]])。したがって、当該編集部分は削除いたしました。
以上により、これまでの議論については終了いたします。--みそがい会話2021年2月12日 (金) 12:07 (UTC)[返信]