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Wikipedia:井戸端/subj/出典の明記について

出典の明記について

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出典の明記方法について、コミュニティの皆様にお聞きしたいことがあります。この項目のこの編集についてなのですが、出典を明記していなかったわけではなく、2~3行程の段落の結びごとにそれ以前の文も包含する形で出典を明記していたところ、とあるIPユーザーから本文の至る所に{{要出典}}タグを貼り付けられてしまいました。

もちろん検証可能性や出典を明記することの大切さは理解しているつもりです。ただこれまで私自身GA選考時やほかの方のGA/FA選考また通過済GA/FA記事を見ていてもここまで厳格に出典を、正直段落の初め〜中間の記述分は出典未記載扱いとされ、文章の句ごとに余すことなく{{要出典}}タグで出典を求める編集に遭遇した経験がなく、驚きました。

IPユーザーの出典を求める姿勢はたしかに間違いではなくむしろウィキペディアの求める理想形だと思いますが、本日のメインページ掲載のFAノストラダムスですら、ここまで厳格な出典の明記運用は求められていません。10行近い段落に出典がわずか1つといった編集状況であればまだわかるのですが、ここまで厳格な姿勢を保っていかないとウィキペディアでは記事の編集は許されないのでしょうか。もしそうだとすれば敷居があまりにも高すぎると思いました。--Gohki会話2017年9月22日 (金) 11:22 (UTC)[返信]

WP:INCITEにある通り、「出典を提示したい文章の直後に」示せば十分です。句ごとに示す必要性どころか、文ごとに示す必要さえありません。その利用者に対してはこの点について説明すれば理解していただけると思います。ただ、誤解を招かないためにも句と文と文章の違いを簡潔に説明したほうがいいかもしれません。--ひむちや (会話/投稿記録) 2017年9月22日 (金) 12:11 (UTC)[返信]
WP:INCITEをひむちやさんの仰る解釈で問題ないとするコミュニティの合意は存在しません。--iwaim会話2017年9月22日 (金) 12:22 (UTC)[返信]
解釈も何も、ガイドラインからの引用です。ガイドラインは合意によって生まれたものです。--ひむちや (会話/投稿記録) 2017年9月22日 (金) 12:25 (UTC)[返信]
「例」にもそのような例示はありませんし、「Wikipedia‐ノート:出典を明記する#と句読点?」で挙げられている議論などでもそのような合意はありません。--iwaim会話2017年9月22日 (金) 12:39 (UTC)[返信]
ひむちやさんへ Wikipedia:出典を明記するは、「出典を明記せよ」ということは求めています。しかし「どう出典を示すか」については、様々な手法を紹介しつつ、選べるようになっています。最近はWP:INCITEすなわち本文中に注釈を挿入して示す方法(inline citation)が主流になっていますけども、general referenceも否定はされていません。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方では、この2種について異なる特長がある旨が示されています。
Category:井戸端の話題/出典などを漁ると過去の議論がうんざりするほど出てきます。例:Wikipedia:井戸端/subj/一つの出典が複数の文に掛かる場合の脚注の示し方Wikipedia:井戸端/subj/出典がかかる範囲の明示方法について。しかしこれらの膨大な過去の議論を通じても、出典の[これ]を、どのぐらいの頻度で、どの位置につける「必要がある」「十分である」か、あるいは「過剰であるか」についての統一的な合意は形成されていないでしょう。形成しようとしたことも、おそらくないでしょう。検証可能性のことだけ考えると細かくつければつけるほどいいし、しかしそれは読みやすさを損なっていきます。トレードオフの関係とも言えます。情報源と文章の関係性は、必ずしも1出典から1文・1段落が作成されるとは限りませんから、1文や1フレーズの中に複数の出典が必要になることはあります。今回はその逆で、1出典から複数の文が作成されている事例でして、この場合には必ずしも1文毎でなくともよい(1文毎にしてもよい)というものでしょう。WP:INCITEだけを根拠に、文章の末だけで「十分」で、文・句・語ごとに出典を示す「必要はない」と一般化してしまうのは早計であると考えます。--柒月例祭会話2017年9月22日 (金) 12:45 (UTC)[返信]
合意形成をしようという試みは過去にあったはずですが、合意には至っていないということが現状ですね。まあ、細かい話ですけど。
《検証可能性のことだけ考えると細かくつければつけるほどいいし、しかしそれは読みやすさを損なっていきます。トレードオフの関係とも言えます。》ですが、ついでに書いておくと細かくつけるほど「文」単位での加筆が(検証可能性との兼ね合いで)容易になるメリットもあります。検証可能性を気にする人は、その注釈がどこからどこまでの「出典」なのかということを調べる労力をかけることになりますしね。--iwaim会話2017年9月22日 (金) 13:00 (UTC)[返信]
返信 (柒月例祭さん宛) 言い方が悪かったかもしれないです。言いたかったのは、1つの出典あたり1つの文章ごとでいいと言った意味のことでした。同じ出典に由来する複数の連続する文に対してそれぞれ示す必要はないよね、ということです(「〜[1]。〜[1]。」ではなく「〜。〜[1]。」でいいということ)。
たとえば3文で構成された文章があって、1文目が[1]、2文目が[1]と[2]、3文目が[3]を出典としているときには、「〜。〜。〜[1][2][3]。」という示し方では不十分で、「〜[1]。〜[1][2]。〜[3]。」のほうが適切だと思っています。--ひむちや (会話/投稿記録) 2017年9月22日 (金) 13:03 (UTC)[返信]
《同じ出典に由来する複数の連続する文に対してそれぞれ示す必要はないよね、ということです(「〜[1]。〜[1]。」ではなく「〜。〜[1]。」でいいということ)。》という主張だとは認識しています。そして、そういう合意はないと指摘しています。--iwaim会話2017年9月22日 (金) 13:09 (UTC)[返信]
補足しておくと、「そういう合意はない」は文字通り解釈してください。「出典の明記」の際にそのような手法が禁じられているという意味ではありません。「それを認める人もいるし、それを認めない人もいる」というだけです。--iwaim会話2017年9月22日 (金) 13:12 (UTC)[返信]
「要出典」は出典が「必要」だという意味ですよね。ガイドラインで文章ごとと書かれている以上、文ごとに示す必要はない(示しちゃだめとは言ってない)わけで、そこに要出典を貼るのはおかしいのではということです。要出典ではなく、後ろに示された出典を文ごとに貼るというのなら理解できます。--ひむちや (会話/投稿記録) 2017年9月22日 (金) 13:28 (UTC)[返信]
ここにきてなお《ガイドラインで文章ごとと書かれている以上、文ごとに示す必要はない(示しちゃだめとは言ってない)わけで》と主張なさるのですね。今までの私の発言をお読みになっていないか、理解できていないということだと認識しました。--iwaim会話2017年9月22日 (金) 13:32 (UTC)[返信]

コメントまず、すごくどうでもいいことを言いますね。「敷居が高い」を誤用なさっています(既に「多数派」となっている誤用なので、20年後ぐらいには「正しい用法」と認知されるかもしれませんが)。本来の「敷居が高い」は、自分が悪いことをしたことが原因でそこに行きづらい、という意味です。

  • 出典をどのぐらいの頻度で示すといいかは、機械的に判定できるような決め事はありません。文章と出典の関係性によって、文単位、段落単位のこともあれば、フレーズ単位や単語単位に添えられる場合もあります(例:関門トンネル (山陽本線))。「やりすぎ」を嫌う人もいますので、そこらへんは悩ましいところはありますが、GAFAになればより厳しい目で見られる傾向にはあるでしょう。これは私の個人的な見解ですが、そういう厳しい目を向けるからには、向ける側もそれ相応の何かをするべきで、少なくとも今回のように示された出典が今でもネットで検証できるようならば、自力で検証してみた上で判断するぐらいのことは求めるべきだろうと感じます。
  • さてお示しの差分・要出典の件ですが、確かにちょっとやりすぎのように見えます。1つ目の「表題曲候補」云々の部分では、示されているリンク先でほぼほぼ内容はカバーされており、出典は不十分ではないと考えます。神経質に見ると、情報源の中で「4枚目のシングル」であることは「公式アカウントで明かした」内容には含まれていないので、「公式アカウントで明かしたところによると・・・」で始めると齟齬があります。が、ちょっと言い回しを変える程度で解決することであり、問題とはいえないでしょう。こういう水準で「要出典」を貼るならば、ただ貼るだけでなく、具体的に何がどう問題で、どういう出典を示さないといけないと考えているのか、要出典を貼った側がノートなりで説明するべきと思います。
  • 次の「ロッキンオン・渡邉満里奈による音楽評」については、もう少し考えどこかもしれません。[1]を読みましたが、私はこれを「肯定的評価を与え」とまとめるには難しいと思いました。この批評ではビデオについて「今までに見たことがない」「前衛的」などと評していますが、肯定的/否定的という物差しからはフリーな評価であると思います。「肯定的評価を与え」という部分だけカットしてしまえば、出典とするにはじゅうぶんと思います。
  • ライブパフォーマンスの部分では、1文目・2文目は間違いなく出典[2]がカバーしています。(ぱっと見は、出典の冒頭部で「不協和音」についての言及にとどまるようですが、読み進めていくと「エキセントリック」についての説明もあります。)ここで1文毎の要出典を貼るのは不適当でしょう。
  • 以後は省略しますが、少なくとも私が検証した範囲では「要出典」は不当に思います。今この時点で要出典タグを剥がしてしまってもいいと思いますし、丁寧にやるならば記事のノートで、いついつ誰々が要出典をつけたけどもこれこれの理由で剥がしますよ、と書いておけばいいでしょう。その上で、もしも現状で何か出典に問題があると考えるならば、個別具体的にご指摘くださいとお願いすればいいでしょう。もしかすると、私はこの分野はさっぱりなので気づいていないかもしれないのですが、なにかが抜け落ちていて指摘者がそれに気づいている、という可能性もあるかもしれません。
  • 余談ですが、{{要出典}}、{{要検証}}などを見比べると、「要出典」は「書かれていることは本当だけど出典がない」、「要検証」は「書かれていることが嘘くさい」というような意味の違いがあるように設計されているようです。実際にはそういう風には運用されていないですけどね。--柒月例祭会話2017年9月22日 (金) 12:17 (UTC)[返信]

情報 Wikipedia:井戸端/subj/一つの出典が複数の文に掛かる場合の脚注の示し方にて似たような議論があります。--JapaneseA会話2017年9月22日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

コメント 現時点で剥がしても構わない(お互いに規約違反を犯していない善意のすれ違い)とは思うのですが、IPさんの意図を汲んで「文末毎にREFを付けても良い」のではないかな、と思います。文末毎に出典を付記する面倒さはあるのかもしれませんが、記事内容を破壊する編集ではないのだから、つけておいても誰も困らないのではないかなあ、と。自分は全文末、必要があれば各単語・数値毎に細かく出典を付ける派ですね。◆付記してしまえば、こういう騒動が発生しなくて面倒がないので。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年9月22日 (金) 13:11 (UTC)◆追記。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年9月22日 (金) 13:37 (UTC)[返信]

一文毎に出典を示すのがベターでしょう。熊谷地方気象台でもそうしています。やはり、「日本は地震が多い。過去には阪神淡路大震災東日本大震災のような大震災が発生している[1]」のようなやり方だと、見かけ上1文目に出典がないように見え、出典を確認せずに独自研究だと早とちりされてしまうかもしれません。誤解されていいことはないでしょう。--north land (会話履歴) 2017年9月23日 (土) 09:02 (UTC)[返信]

日本語版コミュニティの皆さま、参考になる多数のご意見ありがとうございます。今回、自身の編集がタグによって実質独自研究扱いされたことに驚いたのと、(善意にとればたしかにボタンの掛け違えなのかもしれないのですが、)段落末の出典を自身で検証すれば検証可能性を満たしていると判断できるであろう箇所についてもその点明らかに故意を感じる機械的なタグ貼り付け状況でしたので、まずは自身の認識に誤りがないか再確認したくこの場をお借りしました。自分の認識が完全に間違いではなかったことが確認できてよかったです。今回提起の項目については一旦文末ごとに出典を補記・加筆しましたが、次回以降同様の編集傾向のユーザーが出現した場合はケースバイケース状況に応じ対応していこうと思います。貴重なお時間を割いていただき、皆さまありがとうございます。--Gohki会話2017年9月23日 (土) 09:10 (UTC)[返信]

関連新テンプレート作成提案

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コメント 問題提起された方は折り合いをつけられた模様ですが、昨年12月のWikipedia:井戸端/subj/過剰脚注・出典についての議論には参加しようか迷っている間に掲載期限切れとなってコメントし損ねてしまったので、今更ながら私見を投じさせて頂きます。結論から申し上げますと、いっそ{{要出典範囲}}のように出典の適用範囲を指定してくれるテンプレートを作成するのはいかがでしょうか、という話となります。

 今回の問題の発端はある書き手が意図した出典範囲に対して他の書き手が意図を汲む事ができず(あるいは故意に汲まず)に要出典テンプレートを貼ってしまったという事例ですが、他にも自分の意図した出典の適用範囲の途中に、別の編集者が過失か故意かを問わず無出典あるいは別に出典のある記述を割り込ませて加筆してしまうというケースなどが起こる事も考えられます。これがもし放置されてしまった場合、検証がややこしくなる恐れがあります。

 こうした事を防ぐ手段として、{{要出典範囲}}のしくみを応用した新しいテンプレートを作るというのはいかがでしょうか。このテンプレートは文章の下に点線を引いて検証可能性を満たしていない箇所を明示する目的のものですが、その明示の仕方は文の区切りを越える事も出来るものです。この下線表示とrefタグの機能を併せ持つ新しいテンプレートを作るというのはいかがでしょうか。下線を引くのではなく指定したい箇所の背景だけ色を変えるという選択肢も考えられますが、世の中には色覚異常の方もいらっしゃる模様ですので万人向けではないでしょう。万人向けといいますとほとんど目の見えない方はどうなるのだという話にもなりますが、今回は一定の視力自体はある閲覧者という範囲に絞って話を進めさせて頂きます。申し訳ございません。無論あまり多用すると記事が点線だらけの異様な見た目になるというデメリットはありますが、必要最小限に留めて使えば、目でものを読む事ができる方であればほぼどなたでも分かるようになるのではないのでしょうか。もしかしたら既に出典が付されている記述に(故意か過失かを問わず)無出典や別出典の記述を割り込ませる行為への抑制につながるかもしれません。出典明記の形態の新たな選択肢の一つとして検討するというのはいかがでしょうか。なお、この発想自体はWikipedia:井戸端/subj/脚注リンクの配置位置についてで既出ですが、特に深く検討されている訳ではない模様です。--Eryk Kij会話2017年10月2日 (月) 18:57 (UTC)[返信]

コメント 全く違う表示想定をしておられましたら的外れで申し訳ない、と先に謝罪しておきますが、少々表示状況が想定しづらいのですが
海抜高度から100km以上は宇宙空間と規定されている。これをカーマン・ラインという。境界を80kmと定めるものもある[1]。」
海抜高度から100km以上は宇宙空間と規定されている。これをカーマン・ラインという。境界を80kmと定めるものもある[1]。」
といった文字装飾を{{Cite web}}、{{R}}などと合体させる(文字装飾表示部分が間違いなく出典文献から引用されたものであることを明示する)、ということでしょうか? 1行2行なら良いでしょうが、出典数が200、300を超える大規模記事になりますと「殆ど全文に文字装飾だらけでものすごく読みづらくなる」のでかなりの悪手に思えますが。
編集者向けに「(出典にない)割り込み追記を抑制しようとするテンプレート」であれば、プレビュー時のみに見えるテンプレートとすることも想定されますけども、どちらにせよ「方針理解度の低い(WP:Vを理解していない)編集者はお構いなしに割り込み編集してしまう」ので、抑制対象者よりも方針をよく理解している既存編集者の方に負担が掛かるばかりであまり実用性がないように思えます(あと、たぶん記事が肥大化すると早い段階でHelp:テンプレートの制限に抵触し記事がマトモに表示されなくなると思います)。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年10月2日 (月) 20:26 (UTC)[返信]
返信 (Nami-jaさん宛) 議題に便乗しようとしましたが、最初の質問者さんの意図と全く異なるものであれば節の新設は妥当な措置であると存じます。本題に移ります。見映えはほぼその様な具合で、下線を点線に変えたものとなります。懸念されています通りこうしたものを多用すれば記事が読みにくくなってしまうであろう事は十分承知しております。故にどうしても外せないという場所にのみ最小限度に絞って使用するのが望ましいという考えです。実はあらかじめ利用者名前空間で再現テストを行いました(Special:PermaLink/65786913)。{{Refnest}}の中に入れようとするとエラーとなってしまう上に{{Cite web}}などとの併用はまだ試しておりませんが、ごく初歩的な使用方法([1])であれば問題なく動作する筈です。私は(色々ありましたが)なおも割と楽観的ですので、出典範囲をはっきり可視化させるだけでも少しは心理的に割り込みを行いにくくなるのでは、という期待を抱いております。そしてこの試み自体はあまりにお粗末・低クオリティで今回直接は何の成果にも結びつかないとしても、テンプレートの作成を一度検討・試行したという前例が将来どなたかの何かの役に立てば、というくらいの認識でいます。--Eryk Kij会話2017年10月3日 (火) 07:55 (UTC)[返信]
その、「どうしても外せないという場所にのみ最小限度に絞って使用する」判断は誰がするのかなと。WP:SURPLUSにあります通り、記事内容は「全文に渡って蛇足があってはならない」ということで合意されておりますし、下線を引く部分を厳選するよりも、厳選出来るほどに重要内容と除去可能な内容が混在しているのであれば{{内容過剰}}をひとつぺたりと貼った方が早いような気がしますし、WP:Vに沿わない割り込み編集を抑制するよりもWP:Vに従って即時リバートでも良い気がして来ました(WP:BURDEN)。
それと、テンプレートの作成自体は容易ですけれども、使用状況と運用基準を策定、合意してから作成に及んだ方が良いように思いました。プレビュー時のみ表示される、内容に変更を加えた場合警告文が表示される、とかいろいろオプションも考えられますけども、何より「読者と編集者を天秤に掛けて、編集者の利便性を優先するテンプレート」というのは何か前提がおかしい気がしております({{Refnest}}を改変するのではなく、{{Sfn}}のように出典節に出典を置いた上で<ref name="hoge">属性のHTMLアンカーで飛ばす方が楽だと思います)。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年10月3日 (火) 09:14 (UTC)[返信]
コメント 追記 以前も似た話題を見かけた覚えがあったのですが、2015年9月に Wikipedia:井戸端/subj/一つの出典が複数の文に掛かる場合の脚注の示し方 で議論されていました。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2017年10月3日 (火) 09:31 (UTC)[返信]
返信 (Nami-jaさん宛) 既に似た議論は行われていたのですね。「最小限度…」の判断ですが、結局のところ各編集者の善意を信じて任せる、という程度の認識です。幸か不幸か私自身はこれまであまり編集をめぐるトラブルを経験した事が無い為、割と想定は甘い部類に入るでしょう。恐らくNami-jaさんはこれまでに様々な事例に遭遇され、その経験を踏まえてご意見下さっているものと思われます。私は経験不足ですので、慎重なご意見は大いに参考になります。
 私が10月2日 18:57 (UTC) の投稿の最後に示した議論の中では、テンプレート作成の案に言及された方はそもそも技術的に可能なのか否か分からない状態の模様でしたので、取り敢えず技術的には可能であるという事を、ほんの試作でもいいので前例として示したかったのです。私は実際に試作品を公開した上、他にも容易に作成する手段がいくつか存在するとの事ですので、私の最低限の目的は達成できた事になります。無論実際にテンプレート名前空間での公開を目指す際は、当然運用基準などの合意の形成を経て行う所存です。ただ、とりあえずは最終的に誰かが新しい道を開くための手掛かりとなればそれで良い、という認識です。その新しい道を開く「誰か」が必ずしも私である必要はありません。
 ところで私には読者と編集者を天秤にかけている自覚は無い…と思ったのですが、最近はもっぱら編集一辺倒ですのでそれ以前の問題で、「読者」の皿の方をそこの戸棚に突っ込んでそれっきりにしていたのかもしれませんね。故に、利便性に関して全く中立の立場にはないのかもしれません。こういう状態の人が議論に参加するのはあまり健全ではないのではという自覚も湧いて参りました。しかし実際に編集を行う立場の方が問題を訴えた訳ですから、そうした編集者視点での利便性を何とかして向上させる事はできないかと思うといてもたってもいられなくなった訳です。必要最小限度の使用に留めれば点線を使った出典表示も読者視点分かりやすくなって利便性向上となるのでは、と思いましたが、そもそもその「必要最小限度」の根拠があやふやである上メリットの度合いが「読者 < 編集者」に終わる様ではおかしい、というお話ですよね……。前提が既にダメダメですのでやはりボツです、ボツ。基本的に私は浅知恵しかひねる事はできませんが、自分でそう思っているだけでもっと知恵の回る方が使えば有用なアイデアに化けるのではないかという淡い期待を抱いた為、敢えて思い付く限りの浅知恵を公開しておこうと決めた訳であるのです。以上、乱文失礼致しました。--Eryk Kij会話2017年10月3日 (火) 23:29 (UTC)[返信]