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{{複数の問題
|存命人物の出典明記 = 2024年11月 <!-- 1b. -->
|独自研究 = 2024年11月
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{{Infobox プロレスラー
{{Infobox プロレスラー
| 名前 =内藤 哲也
| 名前 =内藤 哲也<br />Tetsuya Naito
| 画像 = Tetsuya Naitō 2016.JPG
| 画像 = Tetsuya Naito Tokyo Dome IWGP Heavyweight Championship challenge right certificate.jpg
| 画像サイズ = 220px
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| 画像説明 = 2016年2月
| 画像説明 =
| リングネーム = 内藤 哲也
| リングネーム = 内藤 哲也
| 本名 = 内藤 哲也
| 本名 = 内藤 哲也
| ニックネーム = '''制御不能なカリスマ'''<br />スターダスト☆ジーニアス
| ニックネーム = '''制御不能なカリスマ'''<br />制御不能な男<br />スターダスト☆ジーニアス
| 身長 = 180cm<ref name="NJPW Prof">{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/profile/708|title=選手名鑑|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2016-11-10}}</ref>
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'''内藤 哲也'''(ないとう てつや、[[1982年]][[6月22日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]。[[東京都]][[足立区]]出身。血液型AB型。[[新日本プロレス]]所属。
'''内藤 哲也'''(ないとう てつや、[[1982年]][[6月22日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]。[[東京都]][[足立区]]出身。[[血液型]]AB型。[[新日本プロレス]]所属。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== 少年時代 ===
=== 少年時代 ===
学校は中学時代は東京都足立区立東島根中学校、高校時代は[[東京都立足立東高等学校]]に通っていた。父親の影響で小さい頃から自然と[[プロレス]]を見るようになり、学校の教室ではプロレスごっこで遊んでいたという<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、25頁。</ref>。放任主義的な家庭に育ったが「人との約束は守れ」ということだけはよく言われ、学校の宿題を怠った時に父から「宿題っていうのは先生との約束だろ?」と叱られた<ref name="chichi"/>。しかしあくまで約束にうるさいだけで、勉強しろとは言われなかった。内藤は小学1年から中学3年まで父がコーチを行っていた[[少年野球]]のチームに在籍し、内藤が小学5年生でキャプテンになる頃から内藤を手伝っていたが、周りから息子を依怙贔屓していると言われないように父はチームで練習している時には敢えてあまり指導しなかった<ref name="chichi"/>。幼稚園の年中から高校3年までは[[サッカー]]を経験。中学時代は野球とサッカーを掛け持ちしながら両方ともキャプテンを務めていた<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、26頁。</ref>。
学校は中学時代は東京都[[足立区立東島根中学校]]、高校時代は[[東京都立足立東高等学校]]に通っていた。内藤も、父親の影響で小さい頃から自然と[[プロレス]]を見るようになり、学校の教室ではプロレスごっこで遊んでいたという<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、25頁。</ref>。放任主義的な家庭に育ったが「人との約束は守れ」ということだけはよく言われ、学校の宿題を怠った時に父から「宿題っていうのは先生との約束だろ?」と叱られた<ref name="chichi"/>。しかしあくまで約束にうるさいだけで、勉強しろとは言われなかった。内藤は小学1年から中学3年まで父がコーチを行っていた[[少年野球]]のチームに在籍し、内藤が小学5年生でキャプテンになる頃から内藤を手伝っていたが、周りから息子を依怙贔屓していると言われないように内藤の父はチームで練習している時には敢えてあまり指導しなかった<ref name="chichi"/>。幼稚園の年中から高校3年までは[[サッカー]]を経験。中学時代は野球とサッカーを掛け持ちしながら両方ともキャプテンを務めていた<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、26頁。</ref>。


プロレス初観戦は5歳の頃であり、幼稚園児の頃から1人で電車に乗れた内藤は、仕事帰りの父と会場の最寄駅で待ち合わせてプロレス観戦に行ったという。父はジッと見ているだけであったが、プロレスへの熱い思いは持っており、たまに「[[佐山聡|初代タイガー]]が活躍していた頃は…」というようなことを語っていた。それと内藤に対して父は[[アントニオ猪木]]をさん付けで呼ぶように教えた<ref name="chichi">週刊プロレス2017年9月13日号pp.52-53.</ref>。
プロレス初観戦は5歳の頃であり、幼稚園児の頃から1人で電車に乗れた内藤は、仕事帰りの父と会場の最寄駅で待ち合わせてプロレス観戦に行ったという。内藤の父はジッと見ているだけであったが、プロレスへの熱い思いは持っており、たまに「[[佐山聡|初代タイガー]]が活躍していた頃は…」というようなことを語っていた。それと内藤に対して父は[[アントニオ猪木]]をさん付けで呼ぶように教えた<ref name="chichi">週刊プロレス2017年9月13日号pp.52-53.</ref>。


プロレスファン歴が長い内藤だが、実際にプロレスファンというよりも[[新日本プロレス]]ファンであった。父親から見せられていた団体が新日本だったこともあるが、その後いくつになっても新日本以外の団体に興味を持つことはなかったという<ref group="†">内藤曰く「新日本だけでほかは全く見てなかった。自分の中ではプロレス=新日本ってイメージ」と述べている([[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、25頁)</ref>。プロレス初観戦も新日本だった内藤は、初めて自分でチケットを買って見に行った[[1997年]]6月5日の[[日本武道館]]大会にて、「これがお客さんの前でできてお金もらえるなんて、こんないいものはない」と思い、[[プロレスラー]]になることを決意した<ref group="†">それまでに将来の夢として「[[プロ野球選手]]」や「[[プロサッカー選手]]」も視野に入れていたらしく、特にサッカーに関しては小学5年のときに[[日本プロサッカーリーグ]]が始まったこともあり、プロになりたい思いも強かったと回顧している([[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、26頁)</ref><ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25-26頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、25-26頁。</ref>。
プロレスファン歴が長い内藤だったが、実際にプロレスファンというよりも[[新日本プロレス]]ファンであった。父親から見せられていた団体が新日本だったこともあるが、その後いくつになっても新日本以外の団体に興味を持つことはなかったという<ref group="†">内藤曰く「新日本だけでほかは全く見てなかった。自分の中ではプロレス=新日本ってイメージ」と述べている([[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、25頁)</ref>。プロレス初観戦も新日本だった内藤は、初めて自分でチケットを買って見に行った[[1997年]]6月5日の[[日本武道館]]大会にて、「これがお客さんの前でできてお金もらえるなんて、こんないいものはない」と思い、[[プロレスラー]]になることを決意した<ref group="†">それまでに将来の夢として「[[プロ野球選手]]」や「[[プロサッカー選手]]」も視野に入れていたらしく、特にサッカーに関しては小学5年のときに[[日本プロサッカーリーグ]]が始まったこともあり、プロになりたい思いも強かったと回顧している([[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、26頁)</ref><ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25-26頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、25-26頁。</ref>。


高校3年の夏に最後の大会を終えてサッカー部を引退した後、[[2000年]]9月に[[アニマル浜口レスリング道場|アニマル浜口トレーニングジム]]に通い始める。プロレスラー志望者のためのプロコースを選択してトレーニングを開始し、高校卒業後もアルバイトをしながらジムに通い続け、スパーリング技術を身につけていった。「そろそろ新日本の入門テストを受けよう」と思い始めた矢先、[[2002年]]にジムでのスパーリング中に右膝前十字靭帯断裂、全治9か月の重傷を負い、同年の入門テスト受験を断念する<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、27頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、27頁。</ref>。[[2003年]]は負傷した膝のリハビリ中のため、[[2004年]]は[[ベンチプレス]]で肩を負傷のためと3年連続で受験のチャンスを逃したが[[2005年]]11月3日、[[後楽園ホール]]にて行われた入門テストにようやく参加<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、28頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、28頁。</ref>。自分でも合格への手応えをハッキリ感じた内藤はテストに合格を果たし、12月1日に新日本に入寮した<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、29頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、29頁。</ref>。
高校3年の夏に最後の大会を終えてサッカー部を引退した後、[[2000年]]9月に[[アニマル浜口レスリング道場|アニマル浜口トレーニングジム]]に通い始める。内藤もプロレスラー志望者のためのプロコースを選択してトレーニングを開始し、高校卒業後もアルバイトをしながらジムに通い続け、スパーリング技術を身につけていった。「そろそろ新日本の入門テストを受けよう」と思い始めた矢先、内藤は[[2002年]]にジムでのスパーリング中に右膝前十字靭帯断裂、全治9か月の重傷を負い、同年の入門テスト受験を断念する<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、27頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、27頁。</ref>。[[2003年]]は負傷した膝のリハビリ中のため、[[2004年]]は[[ベンチプレス]]で肩を負傷のためと3年連続で受験のチャンスを逃したが[[2005年]]11月3日、[[後楽園ホール]]にて行われた入門テストにようやく参加<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、28頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、28頁。</ref>。自分でも合格への手応えをハッキリ感じた内藤はテストに合格を果たし、12月1日に新日本に入寮した<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、29頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、29頁。</ref>。


=== 新日本プロレス ===
=== 新日本プロレス ===
==== 2006年 ====
==== 2006年 ====
野毛道場での練習を順調にこなした内藤は、入門から半年後の[[2006年]]5月27日、[[草加市スポーツ健康都市記念体育館]]大会にて[[リキプロ]]の[[宇和野貴史]]を相手にデビューを飾る<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、29頁"/>。入門テストでずば抜けた成績があったとはいえ、アマチュアで特に大きな実績があっての入団ではない一若手のデビューとしては、かなりスピードだったが、試合は[[逆エビ固め]]に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、20頁。</ref>。試合後のバックステージでは「試合前はすごい緊張したけど、リングに上がったら緊張はなくなって、すごく居心地のいい場所でした」とコメントを残している<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁"/>。後に内藤はデビュー戦について、試合内容は覚えていないが、スポットライトを浴びて自分がリングから四方を見渡す状況に快感を覚え、その気持ちよさが印象的だったと振り返っている<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、30頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、30頁。</ref>。デビュー当初より周囲から動きの良さやプロレスセンスを高く評価された内藤は、9月のシリーズにて「試練の5番勝負」が行われ、[[獣神サンダー・ライガー]]、[[邪道 (プロレスラー)|邪道]]、[[田中稔 (プロレスラー)|稔]]、[[外道 (プロレスラー)|外道]]、[[金本浩二]]らとそれぞれシングルマッチで対戦(結果は5戦全敗)<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁"/>。5番勝負での経験を生かした内藤はその後、10月29日の[[ワールド記念ホール|神戸ワールド記念ホール]]大会で[[平澤光秀]]からプロ初勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁"/>。
野毛道場での練習を順調にこなした内藤は、入門から半年後の[[2006年]]5月27日、[[草加市スポーツ健康都市記念体育館]]大会にて[[リキプロ]]の[[宇和野貴史]]を相手にデビューを飾る<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、29頁"/>。入門テストでずば抜けた成績があったとはいえ、アマチュアで特に大きな実績があっての入団ではない一若手のデビューとしては、かなりスピードだったが、試合は[[逆エビ固め]]に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、20頁。</ref>。試合後のバックステージでは「試合前はすごい緊張したけど、リングに上がったら緊張はなくなって、すごく居心地のいい場所でした」とコメントを残している<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁"/>。後に内藤はデビュー戦について、試合内容は覚えていないが、スポットライトを浴びて自分がリングから四方を見渡す状況に快感を覚え、その気持ちよさが印象的だったと振り返っている<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、30頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、30頁。</ref>。デビュー当初より周囲から動きの良さやプロレスセンスを高く評価された内藤は、9月のシリーズにて「試練の5番勝負」が行われ、[[獣神サンダー・ライガー]]、[[邪道 (プロレスラー)|邪道]]、[[田中稔 (プロレスラー)|稔]]、[[外道 (プロレスラー)|外道]]、[[金本浩二]]らとそれぞれシングルマッチで対戦(結果は5戦全敗)<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁"/>。5番勝負での経験を生かした内藤はその後、10月29日の[[ワールド記念ホール|神戸ワールド記念ホール]]大会で[[平澤光秀]]からプロ初勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、20頁"/>。


==== 2007年 ====
==== 2007年 ====
[[2007年]]1月4日の[[東京ドーム]]大会にて、プロ初勝利を挙げた試合が[[ワールドプロレスリング]]主催の2006[[ヤングライオン]]ベストバウト賞を受賞し、対戦相手の平澤と共に表彰。試合に出場こそしなかったが、内藤にとっては初めてドームのリングに足を踏み入れた日となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、21頁。</ref>。6月1日、出場予定だった邪道の負傷欠場を受けて、[[ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア|BEST OF THE SUPER Jr.]]に急遽エントリーし初出場を果たす。同日の開幕戦で外道から[[フォール技#ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ|ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールド]]で金星を挙げ、さらにリーグ戦では[[エル・サムライ]]からも勝利を収め、2勝をマークした<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁"/>。10月8日のEXPLOSION'07では、[[IWGPジュニアヘビー級王座]]の次期挑戦者を決める[[バトルロイヤル|ニュージャパンランボー]]に出場。最後の二人まで生き残ったが、最後は金本に敗れた<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁"/>。この頃より新日ジュニア戦線で徐々に頭角を現し始めるようになり、また同月20日の山口大会では6人タッグマッチながら、かつて大ファンであった[[棚橋弘至]]との初対決が実現した<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁"/>。
[[2007年]]1月4日の[[東京ドーム]]大会にて、プロ初勝利を挙げた試合が[[ワールドプロレスリング]]主催の2006[[ヤングライオン]]ベストバウト賞を受賞し、対戦相手の平澤と共に表彰。試合に出場こそしなかったが、内藤にとっては初めてドームのリングに足を踏み入れた日となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、21頁。</ref>。6月1日、出場予定だった邪道の負傷欠場を受けて、[[BEST OF THE SUPER Jr.]]に急遽エントリーし初出場を果たす。同日の開幕戦で外道から[[フォール技#ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ|ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールド]]で金星を挙げ、さらにリーグ戦では[[エル・サムライ]]からも勝利を収め、2勝をマークした<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁"/>。10月8日のEXPLOSION'07では、[[IWGPジュニアヘビー級王座]]の次期挑戦者を決める[[バトルロイヤル|ニュージャパンランボー]]に出場。最後の二人まで生き残ったが、最後は金本に敗れた<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁"/>。この頃より新日ジュニア戦線で徐々に頭角を現し始めるようになり、また同月20日の山口大会では6人タッグマッチながら、かつて大ファンであった[[棚橋弘至]]との初対決が実現した<ref name="スポーツアルバムNo.58、21頁"/>。


==== 2008年 ====
==== 2008年 ====
[[2008年]]2月、それまでタッグを組む機会の多かった[[高橋裕二郎|裕次郎]](現:高橋裕二郎)と[[タッグチーム]]、'''[[NO LIMIT (プロレス)|NO LIMIT]]'''を結成し、それに伴いコスチュームも赤を基調としたショートタイツに変更した。4月13日の[[後楽園ホール]]大会にて、ライガー & [[AKIRA (プロレスラー)|AKIRA]]組が保持する[[IWGPジュニアタッグ王座]]に初挑戦<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、23頁。</ref>。王座奪取とはならなかったがチームとしてジュニアの最前線で通用すること証明した<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。NO LIMITとして新風を吹かす中、新日本が[[ZERO1|ZERO1-MAX]](現:ZERO1)との対抗戦を本格化させたことから、内藤も対抗戦に出陣し3月2日の後楽園大会でZERO1に参戦。[[ムーンサルトプレス#スターダスト・プレス|スターダスト・プレス]]を初公開して敵地で勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。さらに4月5日には棚橋のパートナーとして[[全日本プロレス]]に参戦し、[[諏訪魔]] & [[征矢学]]組から勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。9月6日には[[プロレスリング・ノア]]が主催する[[日本武道館]]大会を高橋と共に観戦した。場内でアクションこそ起こさなかったが、試合後の会場外で[[GHCジュニアヘビー級タッグ王座|GHCジュニアタッグ王座]]を保持する[[金丸義信]] & [[鈴木鼓太郎]]組に対して宣戦布告を行い、同月27日に同王座に挑戦したが王座奪取はならなかった<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。
[[2008年]]2月、それまでタッグを組む機会の多かった[[高橋裕二郎|裕次郎]](現:高橋裕二郎)と[[タッグチーム]]、'''[[NO LIMIT (プロレス)|NO LIMIT]]'''を結成し、それに伴いコスチュームも赤を基調としたショートタイツに変更した。4月13日の[[後楽園ホール]]大会にて、ライガー & [[AKIRA (プロレスラー)|AKIRA]]組が保持する[[IWGPジュニアタッグ王座]]に初挑戦<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、23頁。</ref>。王座奪取とはならなかったがチームとしてジュニアの最前線で通用すること証明した<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。NO LIMITとして新風を吹かす中、新日本が[[ZERO1|ZERO1-MAX]](現:ZERO1)との対抗戦を本格化させたことから、内藤も対抗戦に出陣し3月2日の後楽園大会でZERO1に参戦。[[ムーンサルトプレス#スターダスト・プレス|スターダスト・プレス]]を初公開して敵地で勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。さらに4月5日には棚橋のパートナーとして[[全日本プロレス]]に参戦し、[[諏訪魔]] & [[征矢学]]組から勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。9月6日には[[プロレスリング・ノア]]が主催する[[日本武道館]]大会を高橋と共に観戦した。場内でアクションこそ起こさなかったが、試合後の会場外で[[GHCジュニアヘビー級タッグ王座|GHCジュニアタッグ王座]]を保持する[[金丸義信]] & [[鈴木鼓太郎]]組に対して宣戦布告を行い、同月27日に同王座に挑戦したが王座奪取はならなかった<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。


10月13日、[[ディストラクション (プロレス興行)#2008年|DESTRUCTION'08]]にて[[田中稔 (プロレスラー)|稔]] & [[プリンス・デヴィット]]組から勝利を収め、高橋と共にIWGPジュニアタッグ王座を奪取<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。ジュニアタッグ王者組として[[G1 TAG LEAGUE]]にも初出場を果たし、12月7日の[[大阪府立体育会館]]大会では[[邪道&外道|邪道 & 外道]]組を相手にジュニアタッグ王座の初防衛に成功した。12月22日後楽園大会では棚橋と初めてシングルマッチで対戦し[[テキサスクローバーホールド]]に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。
10月13日、[[ディストラクション (プロレス興行)#2008年|DESTRUCTION'08]]にて[[田中稔 (プロレスラー)|稔]] & [[プリンス・デヴィット]]組から勝利を収め、高橋と共にIWGPジュニアタッグ王座を奪取<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。ジュニアタッグ王者組として[[WORLD TAG LEAGUE|G1 TAG LEAGUE]]にも初出場を果たし、12月7日の[[大阪府立体育会館]]大会では[[邪道&外道|邪道 & 外道]]組を相手にジュニアタッグ王座の初防衛に成功した。12月22日後楽園大会では棚橋と初めてシングルマッチで対戦し[[テキサスクローバーホールド]]に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、23頁"/>。


==== 2009年 ====
==== 2009年 ====
[[2009年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムIII IN 東京ドーム|レッスルキングダムIII]]にて[[モーターシティ・マシンガンズ]]([[アレックス・シェリー]] & [[クリス・セイビン]])を相手にジュニアタッグ王座2度目の防衛戦を行ったが、敗戦し王座から陥落<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、25頁。</ref>。その後、2月15日両国大会でのジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けた4WAYタッグマッチを制し、マシンガンズを追って高橋と共に[[TNAレスリング|TNA]]に参戦。タイトル奪還を望み、現地でマシンガンズを相手に2度挑戦するも奪取には至らなかった<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。結局、ジュニアタッグ王座は日本で[[Apollo 55]]([[田口隆祐]] & [[ファーガル・デヴィット|プリンス・デヴィット]])が奪取したため、TNAに参戦する理由がなくなったNO LIMITは、遠征先を[[メキシコ]]の[[CMLL]]へと移し、5月29日に高橋、[[ドス・カラス・ジュニア]]とのトリオでCMLLに初登場を果たす。スターダストプレスで勝利を収めると、対戦相手の[[エクトール・ガルサ]]を担架送りにしたことで現地のファンに衝撃を与えた<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。さらに7月31日に行われた[[デスマッチ#髪切りデスマッチ|インフィエルノ・エン・エル・リング]]に出場。最後にリング上で取り残されたトスカーノと一騎打ちとなり、[[ドラゴン・スープレックス|ドラゴン・スープレックス・ホールド]]で勝利する。日本人としては[[佐山聡|サトル・サヤマ]]以来30年ぶりの快挙となる[[アレナ・メヒコ]]での髪切りマッチでの勝利を収めたことで、メキシコでの地位を確固たるものとした<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。12月4日アレナ・メヒコにて、高橋と共にロス・イホス・デル・アベルノ([[エル・テリブレ]] & [[テハノ・ジュニア]])と髪切りマッチとして対戦したが、敗れてしまい坊主姿となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。
[[2009年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムIII in 東京ドーム|レッスルキングダムIII]]にて[[モーターシティ・マシンガンズ]]([[アレックス・シェリー]] & [[クリス・セイビン]])を相手にジュニアタッグ王座2度目の防衛戦を行ったが、敗戦し王座から陥落<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、25頁。</ref>。その後、2月15日両国大会でのジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けた4WAYタッグマッチを制し、マシンガンズを追って高橋と共に[[TNAレスリング|TNA]]に参戦。タイトル奪還を望み、現地でマシンガンズを相手に2度挑戦するも奪取には至らなかった<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。結局、ジュニアタッグ王座は日本で[[Apollo 55]]([[田口隆祐]] & [[ファーガル・デヴィット|プリンス・デヴィット]])が奪取したため、TNAに参戦する理由がなくなったNO LIMITは、遠征先を[[メキシコ]]の[[CMLL]]へと移し、5月29日に高橋、[[ドス・カラス・ジュニア]]とのトリオでCMLLに初登場を果たす。スターダストプレスで勝利を収めると、対戦相手の[[エクトール・ガルサ]]を担架送りにしたことで現地のファンに衝撃を与えた<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。さらに7月31日に行われた[[デスマッチ#髪切りデスマッチ|インフィエルノ・エン・エル・リング]]に出場。最後にリング上で取り残されたトスカーノと一騎打ちとなり、[[ドラゴン・スープレックス|ドラゴン・スープレックス・ホールド]]で勝利する。日本人としては[[佐山聡|サトル・サヤマ]]以来30年ぶりの快挙となる[[アレナ・メヒコ]]での髪切りマッチでの勝利を収めたことで、メキシコでの地位を確固たるものとした<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。12月4日アレナ・メヒコにて、高橋と共にロス・イホス・デル・アベルノ([[エル・テリブレ]] & [[テハノ・ジュニア]])と髪切りマッチとして対戦したが、敗れてしまい坊主姿となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。


12月18日に高橋と共に凱旋。翌年の東京ドーム大会にて[[IWGPタッグ王座]]への挑戦が決定し、12月23日後楽園大会にて凱旋試合を前にリング上で挨拶した<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。
12月18日に高橋と共に凱旋。翌年の東京ドーム大会にて[[IWGPタッグ王座]]への挑戦が決定し、12月23日後楽園大会にて凱旋試合を前にリング上で挨拶した<ref name="スポーツアルバムNo.58、25頁"/>。


==== 2010年 ====
==== 2010年 ====
[[2010年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムIV IN 東京ドーム|レッスルキングダムIV]]にてNO LIMITとして凱旋試合を行い、IWGPタッグ王者組の[[ダッドリー・ボーイズ|チーム3D]]([[マーク・ラモニカ|ブラザー・レイ]] & [[ディーボン・ヒューズ|ブラザー・ディーボン]])、挑戦者組の[[BAD INTENTIONS|バッド・インテンションズ]]([[マシュー・ブルーム|ジャイアント・バーナード]] & [[カール・アンダーソン (プロレスラー)|カール・アンダーソン]])を交えた3WAYマッチに出場。アンダーソンから勝利を収め、IWGPタッグ王座を奪取した<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、27頁。</ref>。3月に開催された[[ニュージャパン・カップ|NEW JAPAN CUP]](以下「NJC」)で2回戦で棚橋と二度目のシングルマッチを行った内藤は、棚橋の膝を破壊してスターダストプレスで棚橋から初勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。凱旋帰国後は本隊の一員として活動していたが、4月4日後楽園大会で高橋と共に'''[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]'''へと寝返り、[[ヒール (プロレス)|ヒール]]として活動を開始する<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。
[[2010年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムIV in 東京ドーム|レッスルキングダムIV]]にてNO LIMITとして凱旋試合を行い、IWGPタッグ王者組の[[ダッドリー・ボーイズ|チーム3D]]([[マーク・ラモニカ|ブラザー・レイ]] & [[ディーボン・ヒューズ|ブラザー・ディーボン]])、挑戦者組の[[BAD INTENTIONS|バッド・インテンションズ]]([[マシュー・ブルーム|ジャイアント・バーナード]] & [[カール・アンダーソン (プロレスラー)|カール・アンダーソン]])を交えた3WAYマッチに出場。アンダーソンから勝利を収め、IWGPタッグ王座を奪取した<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、27頁。</ref>。3月に開催された[[NEW JAPAN CUP]](以下「NJC」)で2回戦で棚橋と二度目のシングルマッチを行った内藤は、棚橋の膝を破壊してスターダストプレスで棚橋から初勝利を収めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。凱旋帰国後は本隊の一員として活動していたが、4月4日後楽園大会で高橋と共に'''[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]'''へと寝返り、[[ヒール (プロレス)|ヒール]]として活動を開始する<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。


NO LIMITとしてはヘビー級タッグ戦線の中心で活動し、バッドインテンションズや[[青義軍]]([[永田裕志]] & [[井上亘]])との三つ巴抗争に明け暮れる。5月3日、[[レスリングどんたく#2010年|レスリングどんたく]]にて青義軍に同王座を明け渡したが、その後も同じ面子でイリミネーション式3WAYルールや巴戦のタイトルマッチで抗争を展開<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。同年のG1タッグリーグではNO LIMITとして決勝進出を果たすも、青義軍に敗れて準優勝となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。
NO LIMITとしてはヘビー級タッグ戦線の中心で活動し、バッドインテンションズや[[青義軍]]([[永田裕志]] & [[井上亘]])との三つ巴抗争に明け暮れる。5月3日、[[レスリングどんたく#2010年|レスリングどんたく]]にて青義軍に同王座を明け渡したが、その後も同じ面子でイリミネーション式3WAYルールや巴戦のタイトルマッチで抗争を展開<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。同年のG1タッグリーグではNO LIMITとして決勝進出を果たすも、青義軍に敗れて準優勝となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、27頁"/>。
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==== 2011年 ====
==== 2011年 ====
前年で棚橋とのシングル4戦で個人としての実力を証明した内藤は、[[2011年]]1月4日の[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムV IN 東京ドーム|レッスルキングダムV]]にて[[TNA世界ヘビー級王座]]を保持する[[ジェフ・ハーディー]]と対戦したが、不本意な試合内容の末に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、29頁。</ref>。2月には[[後藤洋央紀]]との抗争で敗れ、3月のNJCでは1回戦で[[田中将斗]]に敗れてしまい、上半期はいまひとつ波に乗れずに苦しむこととなる。タッグ戦線においては、5月3日の[[レスリングどんたく#2011年|レスリングどんたく 2011]]にて久々にNO LIMITとしてIWGPタッグ王座に挑戦するもピンフォール負けを喫し、試合後に高橋と不協和音が生じた<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁"/>。そして同月26日後楽園大会の試合中にパートナーの高橋と田中に裏切られた内藤は、試合後に入ってきた邪道、外道にも袋叩きに遭いCHAOSから追放され、NO LIMITも解散となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁"/>。
前年で棚橋とのシングル4戦で個人としての実力を証明した内藤は、[[2011年]]1月4日の[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムV in 東京ドーム|レッスルキングダムV]]にて[[TNA世界ヘビー級王座]]を保持する[[ジェフ・ハーディー]]と対戦したが、不本意な試合内容の末に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、29頁。</ref>。2月には[[後藤洋央紀]]との抗争で敗れ、3月のNJCでは1回戦で[[田中将斗]]に敗れてしまい、上半期はいまひとつ波に乗れずに苦しむこととなる。タッグ戦線においては、5月3日の[[レスリングどんたく#2011年|レスリングどんたく 2011]]にて久々にNO LIMITとしてIWGPタッグ王座に挑戦するもピンフォール負けを喫し、試合後に高橋と不協和音が生じた<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁"/>。そして同月26日後楽園大会の試合中にパートナーの高橋と田中に裏切られた内藤は、試合後に入ってきた邪道、外道にも袋叩きに遭いCHAOSから追放され、NO LIMITも解散となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁"/>。


行き場を失った内藤はなんとなく本隊に復帰し、6月18日、[[ドミニオン (プロレス興行)#2011年|DOMINION6.18]]にて高橋とシングルマッチで報復を狙うも敗北。その後、メキシコ遠征を経て8月の[[G1 CLIMAX]]に2年連続で出場。開幕戦でまたしても高橋に敗れ、3連敗スタートと躓くもなんとか巻き返し、最終リーグ戦で棚橋から勝利を収めるとAブロックを1位で通過。決勝戦で[[中邑真輔]]と対戦したが敗北を喫して準優勝止まりに終わり、試合後に涙を浮かべながら退場した<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁"/>。
行き場を失った内藤はなんとなく本隊に復帰し、6月18日、[[ドミニオン (プロレス興行)#2011年|DOMINION6.18]]にて高橋とシングルマッチで報復を狙うも敗北。その後、メキシコ遠征を経て8月の[[G1 CLIMAX]]に2年連続で出場。開幕戦でまたしても高橋に敗れ、3連敗スタートと躓くもなんとか巻き返し、最終リーグ戦で棚橋から勝利を収めるとAブロックを1位で通過。決勝戦で[[中邑真輔]]と対戦したが敗北を喫して準優勝止まりに終わり、試合後に涙を浮かべながら退場した<ref name="スポーツアルバムNo.58、29頁"/>。
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==== 2012年 ====
==== 2012年 ====
[[2012年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムVI IN 東京ドーム|レッスルキングダムVI]]のセミファイナルに登場し、内藤がファン時代に憧れた選手の一人である[[武藤敬司]]と対戦した。しかし持ち味を発揮できず、最後は武藤の[[ムーンサルトプレス]]に敗れたが試合後のコメントで内藤は、「武藤がすごいのは幻想」と言い切り、今年の目標を「武藤ができた、棚橋もできた、29歳でのIWGPヘビー級ベルト(戴冠)」と掲げた<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、31頁。</ref>。2月12日、[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#2012年|THE NEW BEGINNING]]にて昨年より抗争を繰り広げた中邑からシングル初勝利を収めると、棚橋を打ち破りIWGPヘビー級王座に戴冠した[[オカダ・カズチカ]]の前に姿を現し同王座へ挑戦を表明。3月4日後楽園大会で、内藤は新日本プロレス創立40周年記念興行と銘打たれた興行のメインイベントにてオカダと対戦したが、[[レインメーカー (プロレス技)|レインメーカー]]に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。その後も内藤は年頭に掲げた「20代でのIWGP王座戴冠」を目指すため、次期挑戦者の棚橋を差し置いてIWGP王者のオカダに喰らいかかり、挑戦権の強奪を企てるも未遂に終わった<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。
[[2012年]]1月4日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダムVI in 東京ドーム|レッスルキングダムVI]]のセミファイナルに登場し、内藤がファン時代に憧れた選手の一人である[[武藤敬司]]と対戦した。しかし持ち味を発揮できず、最後は武藤の[[ムーンサルトプレス]]に敗れたが試合後のコメントで内藤は、「武藤がすごいのは幻想」と言い切り、今年の目標を「武藤ができた、棚橋もできた、29歳でのIWGPヘビー級ベルト(戴冠)」と掲げた<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、31頁。</ref>。2月12日、[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#2012年|THE NEW BEGINNING]]にて昨年より抗争を繰り広げた中邑からシングル初勝利を収めると、棚橋を打ち破りIWGPヘビー級王座に戴冠した[[オカダ・カズチカ]]の前に姿を現し同王座へ挑戦を表明。3月4日後楽園大会で、内藤は新日本プロレス創立40周年記念興行と銘打たれた興行のメインイベントにてオカダと対戦したが、[[レインメーカー (プロレス技)|レインメーカー]]に敗れる<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。その後も内藤は年頭に掲げた「20代でのIWGP王座戴冠」を目指すため、次期挑戦者の棚橋を差し置いてIWGP王者のオカダに喰らいかかり、挑戦権の強奪を企てるも未遂に終わった<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。


8月7日、[[仙台サンプラザ|仙台サンプラザホール]]大会にてG1公式リーグ戦の[[ルーシュ]]戦で[[ジャーマン・スープレックス]]を着地した際に古傷の右膝靭帯を痛めてしまい、試合に敗れた内藤は担架で運ばれた<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。右膝を負傷してからも試合には出場し続けたが本調子には程遠く、10月8日、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)#2012年|KING OF PRO-WRESTLING]]にて対戦した高橋に[[ノックアウト|レフェリーストップ]]負けを喫すると、試合後に高橋から右膝を椅子で殴打され戦線離脱し長期欠場となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。
8月7日、[[仙台サンプラザ|仙台サンプラザホール]]大会にてG1公式リーグ戦の[[ルーシュ]]戦で[[ジャーマン・スープレックス]]を着地した際に古傷の右膝靭帯を痛めてしまい、試合に敗れた内藤は担架で運ばれた<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。右膝を負傷してからも試合には出場し続けたが本調子には程遠く、10月8日、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)#2012年|KING OF PRO-WRESTLING]]にて対戦した高橋に[[ノックアウト|レフェリーストップ]]負けを喫すると、試合後に高橋から右膝を椅子で殴打され戦線離脱し長期欠場となった<ref name="スポーツアルバムNo.58、31頁"/>。
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古傷である右膝前十字靭帯断裂の手術の影響で、[[2013年]]上半期はほとんど表舞台に出ることもなくリハビリとトレーニングに費やす。5月3日の[[レスリングどんたく#2013年|レスリングどんたく 2013]]にて久々に公の場に姿を現し、リング上から復帰戦決定の挨拶をした<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、33頁。</ref>。6月22日、[[ドミニオン (プロレス興行)#2013年|DOMINION6.22]]にて因縁深い裕二郎を相手に復帰戦を行い、翼をイメージしたハーフマスクを着用して入場。スターダストプレスで快勝を収めると、自ら提唱し創設されたNEVER無差別級王座を保持する田中将斗に対して「まずは、NEVER」と宣戦布告を行った<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。この発言に対して田中は「(NEVERは)『まずは』で獲れるベルトなのか!?」と内藤の表現方法に怒りを露わにし、7月20日の[[キズナ・ロード#2013年|KIZUNA ROAD 2013]]最終戦にてNEVER王座を賭けたタイトルマッチで対戦。スライディングDに敗れ王座奪取とはならなかった<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。
古傷である右膝前十字靭帯断裂の手術の影響で、[[2013年]]上半期はほとんど表舞台に出ることもなくリハビリとトレーニングに費やす。5月3日の[[レスリングどんたく#2013年|レスリングどんたく 2013]]にて久々に公の場に姿を現し、リング上から復帰戦決定の挨拶をした<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、33頁。</ref>。6月22日、[[ドミニオン (プロレス興行)#2013年|DOMINION6.22]]にて因縁深い裕二郎を相手に復帰戦を行い、翼をイメージしたハーフマスクを着用して入場。スターダストプレスで快勝を収めると、自ら提唱し創設されたNEVER無差別級王座を保持する田中将斗に対して「まずは、NEVER」と宣戦布告を行った<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。この発言に対して田中は「(NEVERは)『まずは』で獲れるベルトなのか!?」と内藤の表現方法に怒りを露わにし、7月20日の[[キズナ・ロード#2013年|KIZUNA ROAD 2013]]最終戦にてNEVER王座を賭けたタイトルマッチで対戦。スライディングDに敗れ王座奪取とはならなかった<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。


8月には4年連続でG1に出場し、Bブロック1位で通過。11日に決勝戦の舞台で棚橋と激突。この試合に勝利すると悲願の初優勝を果たし、前年より制度化された[[G1 CLIMAX#レッスルキングダム・メインイベント挑戦権利書の贈呈|東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利書]]を獲得した<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。G1優勝を経て9月29日、[[ディストラクション (プロレス興行)#2013年|DESTRUCTION]]にて田中の保持するNEVER王座に再挑戦するとスターダストプレスで勝利を収めて同王座を奪取。その後、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)#2013年|KING OF PRO-WRESTLING]]では裕二郎を相手に初防衛に成功し、[[パワーストラグル (プロレス興行)#2013年|POWER STRUGGLE]]では前王者である田中のリマッチも退け、IWGPヘビー級王座を保持するオカダの前に姿を現し翌年東京ドーム大会での同王座への挑戦を改めて表明した<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。
8月には4年連続でG1に出場し、Bブロック1位で通過。11日に決勝戦の舞台で棚橋と激突。この試合に勝利すると悲願の初優勝を果たし、前年より制度化された[[レッスルキングダム (プロレス興行)|東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利書]]を獲得した<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。G1優勝を経て9月29日、[[ディストラクション (プロレス興行)#2013年|DESTRUCTION]]にて田中の保持するNEVER王座に再挑戦するとスターダストプレスで勝利を収めて同王座を奪取。その後、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)#2013年|KING OF PRO-WRESTLING]]では裕二郎を相手に初防衛に成功し、[[パワーストラグル (プロレス興行)#2013年|POWER STRUGGLE]]では前王者である田中のリマッチも退け、IWGPヘビー級王座を保持するオカダの前に姿を現し翌年東京ドーム大会での同王座への挑戦を改めて表明した<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。


11月11日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム8 IN 東京ドーム|レッスルキングダム8 in 東京ドーム]]の記者会見にて、オカダvs内藤のIWGPヘビー級王座戦と、中邑vs棚橋の[[IWGPインターコンチネンタル王座]](以下「IC王座」)戦のどちらをドームのメインで見たいかファン投票が行われた結果敗れてしまい、ドーム大会メインイベントの座を逃した<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。
11月11日、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム8 in 東京ドーム|レッスルキングダム8 in 東京ドーム]]の記者会見にて、オカダvs内藤のIWGPヘビー級王座戦と、中邑vs棚橋の[[IWGPインターコンチネンタル王座]](以下「IC王座」)戦のどちらをドームのメインで見たいかファン投票が行われた結果敗れてしまい、ドーム大会メインイベントの座を逃した<ref name="スポーツアルバムNo.58、33頁"/>。


==== 2014年 ====
==== 2014年 ====
前年のファン投票の結果、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム8 IN 東京ドーム|レッスルキングダム8]]のダブルメインイベント第1試合に登場し、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。実質セミファイナルに降格という屈辱の中30分超の熱戦の末、最後はオカダのレインメーカーに敗れた<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、35頁。</ref>。IWGP王座奪取に失敗した内藤はここから失速することとなり、2月11日、[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#THE NEW BEGINNING in OSAKA (2014年)|THE NEW BEGINNING in OSAKA]]では観衆から[[ブーイング|大ブーイング]]を浴びせられる中、[[石井智宏]]に敗れてNEVER王座も陥落。3月15日のNJC1回戦で石井に雪辱を果たしてリマッチへの道を作り、4月6日に[[インベージョン・アタック#2014年|INVASION ATTACK 2014]]にて石井のNEVER王座に挑戦したが敗北した<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。その後のビッグマッチではタイトル戦線に全く絡めず、目的意識を失いかけた中でG1に出場。最終戦を待たずして予選落ちとなるものの、公式リーグ戦で今大会G1優勝者のオカダ、IWGPヘビー級王者の[[アレン・ジョーンズ|AJスタイルズ]]から勝利を収めたことで、下半期への闘いに向けて可能性を残すことに成功<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。
前年のファン投票の結果、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#レッスルキングダム8 in 東京ドーム|レッスルキングダム8]]のダブルメインイベント第1試合に登場し、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。実質セミファイナルに降格という屈辱の中30分超の熱戦の末、最後はオカダのレインメーカーに敗れた<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、35頁。</ref>。IWGP王座奪取に失敗した内藤はここから失速することとなり、2月11日、[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#THE NEW BEGINNING in OSAKA (2014年)|THE NEW BEGINNING in OSAKA]]では観衆から[[ブーイング|大ブーイング]]を浴びせられる中、[[石井智宏]]に敗れてNEVER王座も陥落。3月15日のNJC1回戦で石井に雪辱を果たしてリマッチへの道を作り、4月6日に[[インベージョン・アタック#2014年|INVASION ATTACK 2014]]にて石井のNEVER王座に挑戦したが敗北した<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。その後のビッグマッチではタイトル戦線に全く絡めず、目的意識を失いかけた中でG1に出場。最終戦を待たずして予選落ちとなるものの、公式リーグ戦で今大会G1優勝者のオカダ、IWGPヘビー級王者の[[アレン・ジョーンズ|AJスタイルズ]]から勝利を収めたことで、下半期への闘いに向けて可能性を残すことに成功<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。


9月23日、[[ディストラクション (プロレス興行)#DESTRUCTION in OKAYAMA (2014年)|DESTRUCTION in OKAYAMA]]にて、棚橋と共にAJ & [[ドリュー・ハンキンソン|ドク・ギャローズ]]組とタッグマッチで激突しギャローズから勝利を収めたが、試合後にAJがIWGP王座次期挑戦者に棚橋を選んだことで自らの挑戦権を奪い取られてしまった<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。10月13日、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)#2014年|KING OF PRO-WRESTLING]]にてIWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持するオカダと権利証を巡って対戦したが、敗れてしまいG1でのリベンジを許した<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。その後はIWGP王座から陥落したAJと抗争を繰り広げ、翌年東京ドーム大会へのシングルマッチを迫った<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。
9月23日、[[ディストラクション (プロレス興行)#2014年|DESTRUCTION in OKAYAMA]]にて、棚橋と共にAJ & [[ドリュー・ハンキンソン|ドク・ギャローズ]]組とタッグマッチで激突しギャローズから勝利を収めたが、試合後にAJがIWGP王座次期挑戦者に棚橋を選んだことで自らの挑戦権を奪い取られてしまった<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。10月13日、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)#2014年|KING OF PRO-WRESTLING]]にてIWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持するオカダと権利証を巡って対戦したが、敗れてしまいG1でのリベンジを許した<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。その後はIWGP王座から陥落したAJと抗争を繰り広げ、翌年東京ドーム大会へのシングルマッチを迫った<ref name="スポーツアルバムNo.58、35頁"/>。


==== 2015年 ====
==== 2015年 ====
前年から始まったAJとの抗争に終止符を打つため、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#WRESTLE KINGDOM 9 in 東京ドーム|レッスルキングダム9]]にてAJとシングルマッチで対戦したが、[[フェイス・バスター#スタイルズクラッシュ|雪崩式スタイルズクラッシュ]]に敗れてG1での雪辱を許した<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、37頁。</ref>。2月の[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#THE NEW BEGINNING in OSAKA (2015年)|THE NEW BEGINNING in OSAKA]]ではノーテーマの6人タッグマッチに出場したが、前年に引き続きブーイングの嵐に見舞われる事態に発展し、3月のNJCでも準決勝で[[飯伏幸太]]に敗れベスト4に止まり精彩を欠いた<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。
前年から始まったAJとの抗争に終止符を打つため、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#WRESTLE KINGDOM 9 in 東京ドーム|レッスルキングダム9]]にてAJとシングルマッチで対戦したが、[[フェイス・バスター#スタイルズクラッシュ|雪崩式スタイルズクラッシュ]]に敗れてG1での雪辱を許した<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、37頁。</ref>。2月の[[ザ・ニュー・ビギニング (プロレス興行)#THE NEW BEGINNING in OSAKA (2015年)|THE NEW BEGINNING in OSAKA]]ではノーテーマの6人タッグマッチに出場したが、前年に引き続きブーイングの嵐に見舞われる事態に発展し、3月のNJCでも準決勝で[[飯伏幸太]]に敗れベスト4に止まり精彩を欠いた<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。


5月23日、約4年ぶりにメキシコのCMLLに遠征。ここでなにかを持ち帰らなかったら浮上の目はないと覚悟した内藤は、現地で親交のある[[ラ・ソンブラ]]や[[ルーシュ]]らが立ち上げたユニット、'''[[ロス・インゴベルナブレス]]'''(''Los Ingobernables'')に加入する<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/><ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/53779|title=メキシコ遠征中の内藤哲也、ソンブラのユニット「ロス・インゴベルナブレス」に正式加入!? 【5.27アレナメヒコ記者会見】|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2015-5-28}}</ref>。6月26日に凱旋すると、入場時にロス・インゴベルナブレスの[[帽子|キャップ]]・[[Tシャツ]]を着用しながら入場するようになり、タッグマッチでは本隊勢と組みながらも連携を成立させず不穏な行動を起こし、試合もふてぶてしい表情を浮かべながら、のらりくらりとしたスタイルに変化していった<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。
5月23日、約4年ぶりにメキシコのCMLLに遠征。ここでなにかを持ち帰らなかったら浮上の目はないと覚悟した内藤は、現地で親交のある[[ラ・ソンブラ]]や[[ルーシュ]]らが立ち上げたユニット、'''[[ロス・インゴベルナブレス]]'''(''Los Ingobernables'')に加入する<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.njpw.co.jp/53779|title=メキシコ遠征中の内藤哲也、ソンブラのユニット「ロス・インゴベルナブレス」に正式加入!? 【5.27アレナメヒコ記者会見】|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2015-5-28}}</ref>。6月26日に凱旋すると、入場時にロス・インゴベルナブレスの[[帽子|キャップ]]・[[Tシャツ]]を着用しながら入場するようになり、タッグマッチでは本隊勢と組みながらも連携を成立させず不穏な行動を起こし、試合もふてぶてしい表情を浮かべながら、のらりくらりとしたスタイルに変化していった<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。


また、この頃からレフェリー陣への暴行が過激化(特にレッドシューズ海野には試合後に低空ドロップキックを行う)
7月に開幕したG1では予選落ちに終わるも、ロス・インゴベルナブレスの正装ともいえる黒のスーツと銀色マスクを着用し時間を掛けての入場や、試合では今までと違う間合いで対戦相手を翻弄するなどインパクトを残す<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。その中で[[柴田勝頼]]との遺恨が生まれ、G1閉幕後も抗争が激化。9月27日、[[ディストラクション (プロレス興行)#DESTRUCTION in KOBE (2015年)|DESTRUCTION in KOBE]]にて柴田とシングルマッチで対戦し勝利を収めると、東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持する棚橋から次期挑戦者として指名を受けた。これに対して内藤は「結局この会社は棚橋が言ったことが正しいんだろ?」と吐き捨てた上で棚橋の要求を受諾し、権利証に挑戦する大会にて「パレハ」([[スペイン語]]で「仲間」の意)の投入を予告した<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/452316/|title=棚橋が内藤の要求を全面受諾のワケ|accessdate=2015-9-30|publisher=東スポWeb}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/452316/|title=内藤が不気味予告 パレハと一緒に2対1で棚橋潰す|accessdate=2015-10-3|publisher=東スポWeb}}</ref>。10月12日、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)|KING OF PRO-WRESTLING]]にてIWGP王座挑戦権利書争奪戦として棚橋と対戦。試合終盤にパレハとして引き連れてきた[[渡辺高章|EVIL]]と共に棚橋を痛めつけたが、最後は棚橋の[[ダイビング・ボディ・プレス#フロッグスプラッシュ|ハイフライフロー]]に敗れる<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/459743/|title=IWGP王座挑戦権利証奪取!棚橋「ベルトは目の前だ」|accessdate=2015-10-13|publisher=東スポWeb}}</ref>。

7月に開幕したG1では予選落ちに終わるも、ロス・インゴベルナブレスの正装ともいえる黒のスーツと銀色マスクを着用し時間を掛けての入場や、試合では今までと違う間合いで対戦相手を翻弄するなどインパクトを残す<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。その中で[[柴田勝頼]]との遺恨が生まれ、G1閉幕後も抗争が激化。9月27日、[[ディストラクション (プロレス興行)#2015年|DESTRUCTION in KOBE]]にて柴田とシングルマッチで対戦し勝利を収めると、東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持する棚橋から次期挑戦者として指名を受けた。これに対して内藤は「結局この会社は棚橋が言ったことが正しいんだろ?」と吐き捨てた上で棚橋の要求を受諾し、権利証に挑戦する大会にて「パレハ」([[スペイン語]]で「仲間」の意)の投入を予告した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/452316/|title=棚橋が内藤の要求を全面受諾のワケ|accessdate=2015-9-30|publisher=東スポWeb|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151001095257/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/452316/|archivedate=2015-10-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/132828|title=内藤が不気味予告 パレハと一緒に2対1で棚橋潰す|accessdate=2015-10-3|publisher=東スポWeb}}</ref>。10月12日、[[キングオブプロレスリング (プロレス興行)|KING OF PRO-WRESTLING]]にてIWGP王座挑戦権利書争奪戦として棚橋と対戦。試合終盤にパレハとして引き連れてきた[[EVIL]]と共に棚橋を痛めつけたが、最後は棚橋の[[ダイビング・ボディ・プレス#フロッグスプラッシュ|ハイフライフロー]]に敗れる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/459743/|title=IWGP王座挑戦権利証奪取!棚橋「ベルトは目の前だ」|accessdate=2015-10-13|publisher=東スポWeb}}</ref>。
[[File:Los Ingobernables de Japón.JPG|thumb|220px|[[ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン|L・I・J]]のリーダー的存在として活動する内藤(左)。]]
[[File:Los Ingobernables de Japón.JPG|thumb|220px|[[ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン|L・I・J]]のリーダー的存在として活動する内藤(左)。]]
11月、EVILとのタッグで[[WORLD TAG LEAGUE]](以下「WTL」)に出場し、Bブロックにエントリー<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/55877|title=棚橋とエルガンがタッグ結成! 内藤&EVIL! ROHからジ・アディクション、キングダムがエントリー!『WORLD TAG』出場チーム&公式戦決定!|accessdate=2015-11-09|publisher=新日本プロレス}}</ref>。21日開幕戦の後楽園大会にて、新たに長期欠場中の[[BUSHI]]をロス・インゴベルナブレスに引き入れると、翌22日豊橋大会にて本家との差別化を図るため、EVIL、BUSHIらと共に、'''[[ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン]]'''(''Los Ingobernables de Japón''、略称 : '''L・I・J''')として正式にユニット化<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。公式リーグ戦では5勝1敗という成績を収め、Bブロック1位で決勝に進出するも、決勝戦で[[G・B・H (プロレス)|G・B・H]]([[真壁刀義]] & [[本間朋晃]])に敗れ準優勝に終わった<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。
11月、EVILとのタッグで[[WORLD TAG LEAGUE]](以下「WTL」)に出場し、Bブロックにエントリー<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.njpw.co.jp/55877|title=棚橋とエルガンがタッグ結成! 内藤&EVIL! ROHからジ・アディクション、キングダムがエントリー!『WORLD TAG』出場チーム&公式戦決定!|accessdate=2015-11-09|publisher=新日本プロレス}}</ref>。21日開幕戦の後楽園大会にて、新たに長期欠場中の[[BUSHI]]をロス・インゴベルナブレスに引き入れると、翌22日豊橋大会にて本家との差別化を図るため、EVIL、BUSHIらと共に、'''[[ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン]]'''(''Los Ingobernables de Japón''、略称 : '''L・I・J''')として正式にユニット化<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。公式リーグ戦では5勝1敗という成績を収め、Bブロック1位で決勝に進出するも、決勝戦で[[G・B・H (プロレス)|G・B・H]]([[真壁刀義]] & [[本間朋晃]])に敗れ準優勝に終わった<ref name="スポーツアルバムNo.58、37頁"/>。


==== 2016年 ====
==== 2016年 ====
年頭より中邑、AJら主力選手が相次いで新日本プロレスから[[WWE]]に移籍したことにより、ここ数年で固定化されていたトップ戦線の面子が変化することになる。前年下半期よりL・I・Jを結成して勢いに乗る内藤は、その間隙へ上手く入り込み、時流を味方につけることに成功する。
年頭より中邑、AJら主力選手が相次いで新日本プロレスから[[WWE]]に移籍したことにより、ここ数年で固定化されていたトップ戦線の面子に変化を余儀なくされた頃、前年下半期よりL・I・Jを結成して勢いに乗る内藤はその間隙へ上手く入り込み、時流を味方につけることに成功する。3月のNJCでは後藤を破り初優勝を飾ると、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦を表明、4月10日の[[インベージョン・アタック#2016年|INVASION ATTACK 2016]]にて試合中突如乱入した[[真田聖也| SANADA]]のアシストを受けてオカダから勝利を収め、4度目の挑戦にしてIWGP王座初戴冠を果たした<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、39頁。</ref>。ファン時代から憧れたベルトをついに自分のモノにしたが、「内藤哲也の存在はベルトの価値を超えてしまった」との解釈からベルトを腰に巻かず、それどころか宙高く放り投げる暴挙に出て、ベルトに対して何の感慨もないことを示した<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。同日よりL・I・Jの新メンバーとしてSANADAを引き入れた内藤はオカダ率いるCHAOSと抗争を開始。5月3日の[[レスリングどんたく#2016年|レスリングどんたく 2016]]にて石井の挑戦を退けて初防衛に成功すると、6月19日の[[ドミニオン (プロレス興行)#2016年|DOMINION 6.19 in OSAKA-JO HALL]]にてオカダのリマッチを受けたが、レインメーカーに敗れ王座陥落<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。しかし、戦前より挑発を続けてきた新日本の[[オーナー]]である[[木谷高明]]を会場に引っ張り出すことに成功させ、内藤は一躍新日本の中心に躍り出る格好となった。


2月、3月のNEW JAPAN CUPでは後藤を破り初優勝を飾ると、「お前変わったのはコスチュームだけじゃないのか?」と滝に打たれ白コスチュームの後藤をこき下ろし、挑戦者権利証を手にしたにもかかわらず、マイクアピールで、「両国でIWGP挑戦?勝手に決めんじゃねーよ! 俺は俺のタイミングで、俺が望む形で挑戦する」と言うと、オカダがリング上でマイクアピールで「内藤さん、ビービってんじゃねえよ? 挑戦しないのか?」と挑発、それを受けて内藤「オカダ、そんなに俺に挑戦してほしいのか? そんなに俺にかまってほしいのか? だったら遊んでやるよ」と、挑戦を受託。「オカダがお願いするから、チャンピオンがお願いするからさ、仕方がないから挑戦してやるよ、本当は大阪でやりたかったけどさ、会社は俺なんかの言うことを聞いてくれないからさ」と、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦をしてやると上から目線で表明を受け入れた。
その後も内藤の勢いは止まることなく、G1では最多メインを任されるようになった<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。優勝こそ逃すものの公式リーグ戦で[[IWGPインターコンチネンタル王座|IC王座]]を保持する[[マイケル・エルガン]]から勝利を収めたことで、G1最終戦の試合後にエルガンから「ナイトーにリスペクトを教えてやる」と次期挑戦者として指名を受ける。内藤はIC王座に興味はないと断言した上で「ベルトから近寄ってきた」と挑戦を受諾し、9月25日、[[ディストラクション (プロレス興行)#DESTRUCTION in KOBE (2016年)|DESTRUCTION in KOBE]]にてエルガンからIC王座を奪取<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。11月5日の[[パワーストラグル (プロレス興行)#2016年|POWER STRUGGLE]]にて[[ジェイ・リーサル]]を破り初防衛に成功すると、直後に登場した棚橋がIC王座挑戦に名乗りを上げ、「最後の晴れ舞台に」と棚橋の要求を受諾した<ref>{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/battle/news/1734361.html|title=王者内藤、1・4東京ドームで棚橋と防衛戦|work=日刊スポーツ : nikkansports.com|accessdate=2016-11-6}}</ref>。11月18日に開催されたWTLではパートナーとして本家インゴベルナブレスの一員であるルーシュを引き連れ、WTL最終戦の[[宮城県総合運動公園総合体育館|セキスイハイムスーパーアリーナ]]大会で海外武者修行から帰国した[[高橋広夢|高橋ヒロム]]をL・I・Jに勧誘するなど常に注目を集めた年となり、試合内容のみならずオーナーまで標的とした制御不能な発言でファンから圧倒的な支持を集めたことが評価され、[[東京スポーツ]]制定の[[プロレス大賞]]で最優秀選手賞を受賞した<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/628622/|title=【プロレス大賞】内藤哲也がMVP初受賞! ベストバウトはG1丸藤vsオカダ|accessdate=2016-12-14|publisher=東スポWeb}}</ref>。

4月10日の[[インベージョン・アタック#2016年|INVASION ATTACK 2016]]にて試合中突如乱入した[[SANADA]]のアシストを受けてオカダから勝利を収め、4度目の挑戦にしてIWGP王座初戴冠を果たした<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、39頁。</ref>。ファン時代から憧れたベルトをついに自分のモノにしたが、「内藤哲也の存在はベルトの価値を超えてしまった」との解釈からベルトを腰に巻かず、それどころか宙高く放り投げる暴挙に出て、ベルトに対して何の感慨もないことを示した<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。同日よりL・I・Jの新メンバーとしてSANADAを引き入れた内藤はオカダ率いるCHAOSと抗争を開始。

5月3日の[[レスリングどんたく#2016年|レスリングどんたく 2016]]にて石井の挑戦を退けて初防衛に成功すると、

6月19日の[[ドミニオン (プロレス興行)#2016年|DOMINION 6.19 in OSAKA-JO HALL]]にてオカダのリマッチを受けたが、レインメーカーに敗れ王座陥落<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。しかし、戦前より挑発を続けてきた新日本の[[オーナー]]である[[木谷高明]]を会場に引っ張り出すことに成功させ、内藤は一躍新日本の中心に躍り出る格好となった。

その後も内藤の勢いは止まることなく、G1では最多メインを任されるようになった<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。
優勝こそ逃すものの、公式リーグ戦で[[IWGPインターコンチネンタル王座]]を保持する[[マイケル・エルガン]]から勝利を収めたことで、G1最終戦の試合後にエルガンから「ナイトーにリスペクトを教えてやる」と次期挑戦者として指名を受ける。内藤はインターコンチネンタル王座に興味はないと断言した上で「ベルトから近寄ってきた」と挑戦を受諾し、

9月25日、[[ディストラクション (プロレス興行)#2016年|DESTRUCTION in KOBE]]にてエルガンからIC王座を奪取<ref name="スポーツアルバムNo.58、39頁"/>。初めてインターコンチのベルトを巻くと同時に、この時点で、内藤は新日本の3大主要シングル王座であるIWGPヘビー、インターコンチ、NEVERの3つのベルトを初めて全て巻いたこととなった。

11月5日の[[パワーストラグル (プロレス興行)#2016年|POWER STRUGGLE]]にて[[ジェイ・リーサル]]を破り初防衛に成功すると、直後に登場した棚橋がインターコンチネンタル王座挑戦に名乗りを上げ、「最後の晴れ舞台に」と棚橋の要求を受諾した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/1734361.html|title=王者内藤、1・4東京ドームで棚橋と防衛戦|work=日刊スポーツ : nikkansports.com|accessdate=2016-11-6}}</ref>。

11月18日に開催されたWTLではパートナーとして本家インゴベルナブレスの一員であるルーシュを引き連れ、WORLD TAG LEAGUE最終戦の[[宮城県総合運動公園総合体育館|セキスイハイムスーパーアリーナ]]大会で海外武者修行から帰国した[[高橋ヒロム]]をL・I・Jに勧誘するなど常に注目を集めた年となり、試合内容のみならずオーナーまで標的とした制御不能な発言でファンから圧倒的な支持を集めたことが評価され、[[東京スポーツ]]制定の[[プロレス大賞]]で最優秀選手賞を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20161214043837/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/628622/|title=【プロレス大賞】内藤哲也がMVP初受賞! ベストバウトはG1丸藤vsオカダ|accessdate=2016-12-14|publisher=東スポWeb}}</ref>。


==== 2017年 ====
==== 2017年 ====
L・I・J旋風を巻き起こし大ブレイクを果たした内藤は、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#WRESTLE KINGDOM 11 in 東京ドーム|レッスルキングダム11]]のセミファイナルにて棚橋と対戦。[[DDT (プロレス技)#リバースDDT|デスティーノ]]を決めてIC王座2度目の防衛に成功すると、名実ともに棚橋越えを果たした<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/636047/|title=【新日1・4ドーム】IC王座V2 内藤ついに棚橋超え!|work=東スポWeb|accessdate=2017-1-5}}</ref>。
L・I・J旋風を巻き起こし大ブレイクを果たした内藤は、[[レッスルキングダム (プロレス興行)#WRESTLE KINGDOM 11 in 東京ドーム|レッスルキングダム11]]のセミファイナルにて棚橋と対戦。[[DDT (プロレス技)#リバースDDT|デスティーノ]]を決めてインターコンチネンタル王座2度目の防衛に成功すると、名実ともに棚橋越えを果たした<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20170106010459/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/636047/|title=【新日1・4ドーム】IC王座V2 内藤ついに棚橋超え!|work=東スポWeb|accessdate=2017-1-5}}</ref>。


2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、マイケル・エルガンとのリターンマッチを受けた。変形、正調とデスティーノを連続で決めてIC王座3度目の防衛に成功。試合後にNEW JAPAN CUP挑戦を表明するが、出場は認められなかった。
2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、マイケル・エルガンとのリターンマッチを受けた。変形、正調とデスティーノを連続で決めてインターコンチネンタル王座3度目の防衛に成功。試合後にNEW JAPAN CUP挑戦を表明するが、出場は認められなかった。


4月4日、[[高橋広夢|高橋ヒロム]]とのタッグでジュース・KUSHIDAに勝利した直後、IC王座次期挑戦者としてタイガーマスクWを逆指名。しかし、これも実際に対戦が組まれることはなかった。
4月4日、[[高橋ヒロム]]とのタッグでジュース・KUSHIDAに勝利した直後、インターコンチネンタル王座次期挑戦者としてタイガーマスクWを逆指名。しかし、これも実際に対戦が組まれることはなかった。


4月29日のレスリング豊の国2017大分大会にてジュース・ロビンソンに勝利し、IC王座4度目の防衛に成功。試合後、棚橋からの挑戦を受け、6月11日大阪大会でのV5戦が決定した。しかし、内藤は挑戦資格なしとしてこれを拒否している<ref>http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/680679/</ref>。
4月29日のレスリング豊の国2017大分大会にてジュース・ロビンソンに勝利し、インターコンチネンタル王座4度目の防衛に成功。試合後、棚橋からの挑戦を受け、6月11日大阪大会でのV5戦が決定した。しかし、内藤は挑戦資格なしとしてこれを拒否している<ref>https://web.archive.org/web/20170505053527/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/680679/</ref>。


5月12日、新日本プロレスが[[IWGPユナイテッド・ステーツ・ヘビー級王座|IWGP USヘビー級王座]]新設を発表。また、5月18日にはIC王座次期挑戦者の棚橋が米国遠征中に負傷し、シリーズ全戦欠場を発表。内藤はこの二つに触れ、「王者としての要求は無視され、似た理念のベルトを新設される。じゃあこのタイトルはもう必要ないじゃん」「ゴリ押しで挑戦を決めたらもう本番まで無理はしなくていいってこと?」と猛反発<ref>http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/687155/</ref>。5月18日の後楽園ホール大会でベルトを鉄柱に叩きつける暴挙に出た<ref>http://www.njpw.co.jp/card_result/97159</ref>。この日はベルトが多少歪む程度で済んだものの、5月21日の沼津大会で再びベルトを鉄柱に叩きつけ、破損させてしまった<ref>http://www.njpw.co.jp/card_result/97522</ref>。
5月12日、新日本プロレスが[[IWGP USヘビー級王座]]新設を発表。また、5月18日にはIC王座次期挑戦者の棚橋が米国遠征中に負傷し、シリーズ全戦欠場を発表。内藤はこの二つに触れ、「王者としての要求は無視され、似た理念のベルトを新設される。じゃあこのタイトルはもう必要ないじゃん」「ゴリ押しで挑戦を決めたらもう本番まで無理はしなくていいってこと?」と猛反発<ref>https://web.archive.org/web/20170519074459/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/687155/</ref>。5月18日の後楽園ホール大会でベルトを鉄柱に叩きつける暴挙に出た<ref>http://www.njpw.co.jp/card_result/97159</ref>。この日はベルトが多少歪む程度で済んだものの、5月21日の沼津大会で再びベルトを鉄柱に叩きつけ、破損させてしまった<ref>http://www.njpw.co.jp/card_result/97522</ref>。


6月11日、DOMINION大阪城ホール大会にて[[棚橋弘至]]と対戦。[[テキサスクローバーホールド]]でギブアップ負けを喫し、王座防衛に失敗した。試合後、「IWGPインターコンチネンタル王座、または無いかな。」と、インターコンチネンタル王座戦線から身を引くともとれる発言を行った<ref>http://njpwworld.com/p/s_series_00442_1_23</ref>。
6月11日、DOMINION大阪城ホール大会にて[[棚橋弘至]]と対戦。[[テキサスクローバーホールド]]でギブアップ負けを喫し、王座防衛に失敗した。試合後、「IWGPインターコンチネンタル王座、または無いかな。」と、インターコンチネンタル王座戦線から身を引くともとれる発言を行った<ref>http://njpwworld.com/p/s_series_00442_1_23</ref>。
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7月17日〜8月11日のG1 CLIMAX 27 リーグ戦にAブロックで出場。7.17開幕戦の飯伏戦で年間ベストバウト級の死闘を演じ勝利を収めるなど勝ち星を重ね、同率1位で並んでいた棚橋とのブロック最終戦にも勝利。7勝2敗(14点)の成績で優勝決定戦進出を決めた。
7月17日〜8月11日のG1 CLIMAX 27 リーグ戦にAブロックで出場。7.17開幕戦の飯伏戦で年間ベストバウト級の死闘を演じ勝利を収めるなど勝ち星を重ね、同率1位で並んでいた棚橋とのブロック最終戦にも勝利。7勝2敗(14点)の成績で優勝決定戦進出を決めた。


8月13日、G1 CLIMAX 27 Bブロック1位の[[ケニー・オメガ]]を撃破し、4年ぶり2度目の優勝を果たした。直後の[[天龍源一郎]]のコラムでは「それはつまりオカダがいて、棚橋がいてという状況下で優勝した内藤というニュースターが押しも押されぬトップグループ入りを果たしたということだよね」「やっぱりメキシコに行ったことは無駄じゃなかったと思う」と絶賛されている。また「その場その場の雰囲気を読んで、ハプニングをインパクトに変える、それが新日本の手法じゃない。4年前(のG1優勝時)は反応が鈍かったというのは読めてなかったんだろうね」と分析している<ref>週刊プロレス2017年9月13日号p.55.</ref>。
8月13日、G1 CLIMAX 27 Bブロック1位の[[ケニー・オメガ]]を撃破し、4年ぶり2度目の優勝を果たした。直後の[[天龍源一郎]]のコラムでは「それはつまりオカダがいて、棚橋がいてという状況下で優勝した内藤というニュースターが押しも押されもせぬトップグループ入りを果たしたということだよね」「やっぱりメキシコに行ったことは無駄じゃなかったと思う」と絶賛されている。また「その場その場の雰囲気を読んで、ハプニングをインパクトに変える、それが新日本の手法じゃない。4年前(のG1優勝時)は反応が鈍かったというのは読めてなかったんだろうね」と分析している<ref>週刊プロレス2017年9月13日号p.55.</ref>。


8月14日、G1優勝決定戦一夜明け会見に出席。IWGPヘビー級王座挑戦権利証の防衛戦について、「組まれるのであれば、俺は石井を指名しますよ。」としながらも、「『俺にやらせろ』という選手がいるなら、ハッキリ口に出すべきですよ。」と発言。挑戦表明を拒まない姿勢を示した<ref>http://www.njpw.co.jp/111259</ref>。
8月14日、G1優勝決定戦一夜明け会見に出席。IWGPヘビー級王座挑戦権利証の防衛戦について、「組まれるのであれば、俺は石井を指名しますよ。」としながらも、「『俺にやらせろ』という選手がいるなら、ハッキリ口に出すべきですよ。」と発言。挑戦表明を拒まない姿勢を示した<ref>http://www.njpw.co.jp/111259</ref>。
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==== 2018年 ====
==== 2018年 ====


新日本プロレス最大級のビッグイベント、[[レッスルキングダム (プロレス興行)|レッスルキングダム]]12にて初めてのメインイベンターを務める。これにより内藤の中学の頃の夢である『新日本プロレスの選手になる』『IWGPヘビー級王者になる』『東京ドームのメインイベントに立つ』という3つの夢を事実上達成した。入場時には東京ドーム一体の大内藤コールで迎え入れられ、試合はオカダのレインメーカーの前に敗れたが、その後に新たな夢である『6大ドームツアー』をするという野望を打ち明けた。
新日本プロレス最大級のビッグイベント、[[レッスルキングダム (プロレス興行)|レッスルキングダム]]12にて初めてのメインイベンターを務める。これにより内藤の中学の頃の夢である『新日本プロレスの選手になる』『IWGPヘビー級王者になる』『東京ドームのメインイベントに立つ』という3つの夢を達成した。入場時には東京ドーム一体の大内藤コールで迎え入れられ、試合はオカダのレインメーカーの前に敗れたが、その後に新たな夢である『6大ドームツアー』をするという野望を打ち明けた。

翌日の1月5日、メインイベントで[[YOSHI-HASHI]]から3カウントを奪うとマイクで締めた......が、その直後にアメリカに帰国したはずの[[クリス・ジェリコ]]がリングに乱入した。

バックステージでは[[YOSHI-HASHI]]が内藤へのスペシャルシングルマッチを示唆。


1月23日、[[鈴木軍]]メンバーである[[タイチ (プロレスラー)|タイチ]]、[[TAKAみちのく]]が行った興行「タカタイチマニア」にてタイチのプロレスラーデビュー15周年記念の相手として内藤哲也VSタイチが後楽園ホールにて行われた。結果、30分近くにも及ぶ死闘の最中、内藤が勝利を収め、バックステージにてタイチを賞賛、ヘビー級転向へと薦めた。
1月23日、[[鈴木軍]]メンバーである[[タイチ (プロレスラー)|タイチ]]、[[TAKAみちのく]]が行った興行「タカタイチマニア」にてタイチのプロレスラーデビュー15周年記念の相手として内藤哲也VSタイチが後楽園ホールにて行われた。30分近くにも及ぶ死闘の最中、内藤が勝利を収め、バックステージにてタイチを賞賛、ヘビー級転向へと薦めた。


2月2日、新日本プロレスと[[ブシモ]]による重大発表記者会見にて[[ブシロード]]社長の[[木谷高明]]、声優でプ女子の[[相羽あいな]]、そして内藤哲也の3人で行われた会見では木谷オーナーに地方大会の観戦を薦めた。
2月2日、新日本プロレスと[[ブシモ]]による重大発表記者会見にて[[ブシロード]]社長の[[木谷高明]]、声優でプ女子の[[相羽あいな]]、そして内藤哲也の3人で行われた会見では木谷オーナーに地方大会の観戦を薦めた。
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2月10日、YOSHI-HASHIとのスペシャルシングルマッチが組まれ、入場時にYOSHI-HASHIの襲撃に遭い、バタフライロック等で苦しめられるものの最後はデスティーノで破る。その後、退場途中の花道にて背後からタイチの襲撃に遭った。
2月10日、YOSHI-HASHIとのスペシャルシングルマッチが組まれ、入場時にYOSHI-HASHIの襲撃に遭い、バタフライロック等で苦しめられるものの最後はデスティーノで破る。その後、退場途中の花道にて背後からタイチの襲撃に遭った。


2月25日、日曜劇場99.9刑事専門弁護士にて本人役として登場。そこでは同じユニット内の仲間であるBUSHIも登場した。尚、メニュー名は頭文字を横に読んでいくと「ロスインごベルナぶれス」となる。
2月25日、日曜劇場『[[99.9-刑事専門弁護士-]]』にて本人役として登場。そこでは同じユニット内の仲間であるBUSHIも登場した。尚、メニュー名は頭文字を横に読んでいくと「ロスインごベルナぶれス」となる。


3月6日、新日本プロレス46周年旗揚げ記念日シリーズにてヘビー級に転向したタイチと対戦、序盤は場外にてタイチのステップキックからパワーボムを喰らうものの終盤はレフェリーをTAKAみちのくにぶつけた内藤はタイチの持つマイクスタンドを後頭部にお見舞い、粉砕し最後はデスティーノで勝利。
3月6日、新日本プロレス46周年旗揚げ記念日シリーズにてヘビー級に転向したタイチと対戦、序盤は場外にてタイチのステップキックからパワーボムを喰らうものの終盤はレフェリーをTAKAみちのくにぶつけた内藤はタイチの持つマイクスタンドを後頭部にお見舞い、粉砕し最後はデスティーノで勝利。


3月10日、ニュージャパンカップ1回戦にて[[ザック・セイバー・ジュニア]]と対決、自身のデスティーノを切り返され最後はザックの新技である、オリエンテーリング・ウィズ・ナパームデスによりギブアップ負けを喫した。
3月10日、ニュージャパンカップ1回戦にて[[ザック・セイバーJr.]]と対決、自身のデスティーノを切り返され最後はザックの新技である、オリエンテーリング・ウィズ・ナパームデスによりギブアップ負けを喫した。


4月1日の両国大会にて試合後マイクパフォーマンスでIWGPインターコンチネンタル王者である鈴木みのるを挑発し挑戦表明。4月29日の熊本大会にて同タイトル戦が決定。
4月1日の両国大会にて試合後マイクパフォーマンスでIWGPインターコンチネンタル王者である鈴木みのるを挑発し挑戦表明。4月29日の熊本大会にて同タイトル戦が決定。


4月27日広島大会にて、鈴木軍との抗争の中メンバー全員が入場ゲートでそろうと銀の仮面を被った男を連れて入場。リングに上がるとリングアナウンサーに耳打ちをし広島東洋カープ背番号『58』[[ジェイ・ジャクソン]]の名を轟かせた。試合は内藤が金丸からデスティーノで勝利、またもマイクパフォーマンスでみのるを挑発した。バックステージでは、内藤がジェイ・ジャクソンを『俺とジャクソン、競技は違うかもしれない。いる場所も離れてるかもしれない。でも、我々は心でつながってるんでね。彼もLOS INGOBERNABLES de JAPONの一員ですよ。』と告げた。
4月27日広島大会にて、鈴木軍との抗争の中メンバー全員が入場ゲートでそろうと銀の仮面を被った男を連れて入場。リングに上がるとリングアナウンサーに耳打ちをし広島東洋カープ背番号『58』[[ジェイ・ジャクソン]]の名を轟かせた。試合は内藤が金丸からデスティーノで勝利、またもマイクパフォーマンスでみのるを挑発した。バックステージでは、内藤がジェイ・ジャクソンを『俺とジャクソン、競技は違うかもしれない。いる場所も離れてるかもしれない。でも、我々は心でつながってるんでね。彼もLOS INGOBERNABLES de JAPONの一員ですよ。』と告げた。

4月29日の、レスリング火の国2018で、IWGPIC王者鈴木みのるに挑戦し、王座を手にした。
4月29日、レスリング火の国2018でIWGPIC王者鈴木みのるに挑戦し、王座を手にした。


5月4日、レスリングどんたく福岡国際センター大会にて鈴木軍VSLOS INGOBERNABLES de JAPONの試合後に退場中の内藤に観客席からBUSHIのマスクを被った男から襲撃を遭う。そして、その男は1月5日に内藤を襲撃したクリス・ジェリコでありコードブレイカー、凶器攻撃により流血。後日の後楽園ホール大会にてクリス・ジェリコがビデオを通して内藤の保持するIC王座に挑戦表明するとそれを受諾。6月9日、大阪城ホール大会にて同タイトル戦が組まれた。
5月4日、レスリングどんたく福岡国際センター大会にて鈴木軍VSLOS INGOBERNABLES de JAPONの試合後に退場中の内藤に観客席からBUSHIのマスクを被った男から襲撃を遭う。そして、その男は1月5日に内藤を襲撃したクリス・ジェリコでありコードブレイカー、凶器攻撃により流血。後日の後楽園ホール大会にてクリス・ジェリコがビデオを通して内藤の保持するIC王座に挑戦表明するとそれを受諾。6月9日、大阪城ホール大会にて同タイトル戦が組まれた。
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8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』はBブロック予選を勝ち点12で1位となったが同点に飯伏、ケニー、ザックが並び、勝った相手の勝ち点の合計で一番勝る飯伏に決勝進出を譲る格好となった(いわゆるオポネント落ち)<ref>『週刊プロレス』NO.1972 2018年9月4日増刊 p.15</ref>。
8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』はBブロック予選を勝ち点12で1位となったが同点に飯伏、ケニー、ザックが並び、勝った相手の勝ち点の合計で一番勝る飯伏に決勝進出を譲る格好となった(いわゆるオポネント落ち)<ref>『週刊プロレス』NO.1972 2018年9月4日増刊 p.15</ref>。

9月、熊本で行われたIWGPインターコンチネンタル選手権試合で内藤に敗れた鈴木みのるが内藤に標的を絞り、別府大会でノンタイトルのスペシャルシングルマッチが行われた。試合中盤、鈴木の関節技に苦しみ、30分もの死闘となるが、最後はデスティーノを決め勝利する。

10月、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに新メンバーが加入することを発表。9日の両国大会で同級生かつ内藤と同じくアニマル浜口ジム出身の[[鷹木信悟]]が加入し、BUSHI、SANADAとのタッグでCHAOSと対戦する。その後、ザック・セイバーJr.に痛めつけられているEVILを救出し、NEW JAPAN CUP 、[[G1 CLIMAX]] 最終公式戦で負けたザックとシングルマッチを要求。

11月3日、大阪大会の第8試合でザック・セイバーJr.とのスペシャルシングルマッチが行われる。この試合で新技'''バレンティア'''(垂直落下式ノーザンライトボム)を初披露。そのままデスティーノを決めG1のリベンジに成功する。その次の試合でクリス・ジェリコに敗れたEVILを救出。IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦をアピールし、レッスルキングダム13でタイトルマッチが決定。

11月19日、NHK プロフェッショナル仕事の流儀 『少年の夢、リングの上へ』プロレスラー内藤哲也の特集として、テレビ出演した。


==== 2019年 ====
==== 2019年 ====
1月4日のWRESTLE KINGDOM13で行われた[[IWGPインターコンチネンタル王座|IWGPインターコンチネンタル]]選手権試合では[[クリス・ジェリコ]]と急遽ノーDQマッチで戦い、ラフファイトに苦しめられながらも最後は奪ったベルトをジェリコの顔面に叩き込んでからのデスティーノでフォール勝ち、王座に返り咲いた。
1月4日のWRESTLE KINGDOM13で行われたIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合では[[クリス・ジェリコ]]と急遽ノーDQマッチで戦い、ラフファイトに苦しめられながらも最後は奪ったベルトをジェリコの顔面に叩き込んでからのデスティーノでフォール勝ち、王座に返り咲いた。


2月3日の札幌・[[北海道立総合体育センター]]で行われた[[タイチ (プロレスラー)|タイチ]]との[[IWGPインターコンチネンタル王座|IWGPインターコンチネンタル]]選手権試合では[[飯塚高史]]が入場中の内藤を襲撃。内藤は首を痛め腕の痺れに耐えながら試合を行い、途中に飯塚が試合へ乱入してイス攻撃を仕掛けるもこれを退け、最終的に21分31秒にデスティーノでフォール勝ち。試合後のマイクパフォーマンスで、タイチに一定の評価を与えつつ更なる奮起を促した<ref>『週刊プロレス』NO.1997 2019年2月20日号 pp.4-9</ref>。
2月3日の札幌・[[北海道立総合体育センター]]で行われた[[タイチ (プロレスラー)|タイチ]]とのIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合では[[飯塚高史]]が入場中の内藤を襲撃。内藤は首を痛め腕の痺れに耐えながら試合を行い、途中に飯塚が試合へ乱入してイス攻撃を仕掛けるもこれを退け、最終的に21分31秒にデスティーノでフォール勝ち。試合後のマイクパフォーマンスで、タイチに一定の評価を与えつつ更なる奮起を促した<ref>『週刊プロレス』NO.1997 2019年2月20日号 pp.4-9</ref>。


3月10日、兵庫県尼崎市のベイコム総合体育館にて行われたNEW JAPAN CUP2019に出場。1月4日のWRESTLE KINGDOM13から欠場していた飯伏幸太と対決したが、20分38秒カミゴェからの体固めで敗れ2018年に続き1回戦で姿を消した。
== 得意技 ==
=== フィニッシュ・ホールド ===


4月6日(現地時間)、G1 SUPERCARDにおいてIWGPインターコンチネンタル王座をかけて飯伏幸太と対戦したが、20分53秒にカミゴェによってピンフォール負けを喫した。
; [[DDT (プロレス技)#リバースDDT|デスティーノ]]
: 内藤が2015年5月の[[メキシコ]]遠征中、現地の公園で子供が[[逆上がり]]している姿を見て閃いて開発したとされる現在のフィニッシャー。
: 背後から相手の右脇に自らの左腕を差し込んで首をロックし、相手の体を支点に逆上がりの要領で回転しながら[[DDT (プロレス技)#リバースDDT|リバースDDT]]の要領で相手の後頭部をマットに叩きつける。
: 同年[[G1 CLIMAX]]公式リーグ戦における棚橋戦にて初公開されたが、その時は最後まで自分の体が回転しきらず、[[政宗 (プロレスラー)|政宗]]の雷切とほぼ同型の形で披露された。以後、スターダストプレスに変わる内藤の代名詞的な技として昇華していき、同技で[[IWGPヘビー級王座]]を獲得するに至っている。
: 派生技として[[ブレーンバスター]]の要領で担ぎ上げられた状態から相手の首に腕を巻きつけて、リバースDDTの形で相手をマットに打ち付ける変形式デスティーノが存在する。
: 2017年1月のIWGP IC王座タイトルマッチの棚橋戦ではコーナーポストに登りながらセカンドロープを踏み台にリング中央へ飛び込むようにジャンプしながら放つスイング式デスティーノ
: 2017年8月のG1決勝戦ケニー・オメガ戦では片翼の天使からの切り返しとしてスイング式デスティーノ
: 相手を支点として自身の体を180度旋回させる旋回式にて披露している。
; コリエンド式デスティーノ
: ランニング式デスティーノ
: 技名は[[スペイン語]]で「'''運命'''」の意。
[[File:Naito Stardust Press.JPG|thumb|180px|[[ムーンサルトプレス#スターダスト・プレス|スターダスト・プレス]]を放つ内藤。]]
; [[ムーンサルトプレス#スターダスト・プレス|スターダスト・プレス]]
: 2015年前半頃までの主なフィニッシャーで、内藤の異名である「スターダスト☆ジーニアス」の由来ともなっている技。
: トップコーナーに登り、相手に背を向けた状態でジャンプしながら体を左方向180度捻った後、270度前方回転し更に180度左方向に錐揉み回転させる難易度の高いプレス技。道場で飛び技を考えていた時、練習に来ていた[[中邑真輔]]に提案されてできた技。元々は[[獣神サンダー・ライガー]]が開発した技で、その後、ライガーを含め長らく使い手がいなかった空中殺法とされていた。2008年3月2日、[[ZERO1|ZERO1-MAX]](現:ZERO1)との対抗戦として対戦した[[崔領二]] & [[高西翔太]]戦で初披露。同技で高西からピンフォール勝ちを収め、以降フィニッシャーとして使用し始めた。
: 場外の相手に向かって放つ、'''スターダスト・アタック'''も存在していたが、こちらは短期間で使用を控えている。
: デスティーノ開発以降は長らく封印されていたが、2017年8月13日G1決勝戦ケニー・オメガ戦にてロス・インゴベルナブレス入り以降初めて封印を解禁したが避けられ失敗に終わっており、2018年1.4東京ドーム大会のメインであるIWGPヘビー級王座戦でオカダ戦でも繰り出したがこれも失敗に終わっている。


4月20日、 愛知県体育館で行われたIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合飯伏幸太対ザック・セイバーJr.の試合後にリングへ上がり、初防衛に成功した飯伏幸太に対し「IWGPインターコンチネンタル王座、次の挑戦者、俺が立候補するよ」と挑戦を表明した。
=== 打撃技 ===
; [[エルボー・バット#フライング・エルボー|ジャンピング・エルボーアタック / フライング・エルボーアタック]]
: 若手時代のフィニッシャーで、現在もチェンジ・オブ・ペースとして使い続ける技の一つ。相手の近くに寄りながら当てるのではなく、ロープのリバウンドを利用しながら高くジャンプして体ごと相手にぶつかっていく型を得意としており、リング中央近くまで飛んで行く跳躍力を見せる。
: [[ショーン・マイケルズ]]のフライング・フォーアームに近いフォームが特徴で、2006年の[[ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア]]に参戦していた[[GENTARO]]が使っていた技からインスパイアされている。
; [[ドロップキック#種類|低空ランニング・ドロップキック]]
: 内藤が頻繁に使用する打撃技のひとつ。L・I・J結成後はタッグパートナーとの連携から決めることが多い。
; [[蹴り技#種類|浴びせ蹴り]]
: 前転しながら振り上げた踵を相手の頭部を目掛けて当てにいく蹴り技。ペースチェンジに多用される。
; [[延髄斬り#派生技|延髄斬り]]
: 相手に片足を取らせ、掴まれた足を軸にしながら片方の足で相手の頭部を蹴っていくキャッチ式を得意とする。
; [[張り手]]
: 主に打撃合戦の際、不意に振りぬきながら放つ。L・I・J結成後からは相手の頭を叩く挑発行為としても用いられている。
; 水面蹴り
: 2011年メキシコ遠征で習得して来た技のひとつで、コーナーへ振られた際に跳び上がってエプロンに着地し、追いかけて来た相手に対して繰り出す。
: ここからコーナーポストに跨ぎながらミサイルキックへ繋ぐことが多い。現在は全く使用されない。
;急所攻撃
:主にタイトルマッチの前哨戦で行われる反則技。基本的に相手の急所を蹴る形が多い。


5月4日、福岡国際センターで行われたレスリングどんたく2019で内藤が「6月9日大阪城ホールでIWGPインターコンチネンタル王座をかけて闘おうよ。」と提案。これをうけた飯伏からは「6月9日、大阪城ホールでやりましょう。お願いしますよ。決まりましたから。やりましょう」と回答があり対決が決定した。
=== 投げ技 ===
; グロリア
: 変型のリストクラッチ式サイドバスター。相手の左腕を[[ハンマーロック]]で極めながら右手で掴み取り、左腕で相手の首を抱え込みながら持ち上げ、垂直落下気味に後頭部をマットに叩きつける。かつてはこの技で繋いだ後にスターダストプレスを繰り出すのが必勝パターンであり、L・I・J結成後も大一番で使用している。
: 内藤はこの技を開発するにあたって、[[丸藤正道]]の[[エメラルド・フロウジョン#派生技|タイガー・フロウジョン]]を参考にしたと語っており、技名については自身がファンである[[YUI (歌手)|YUI]]の楽曲「[[GLORIA (YUIの曲)|グロリア]]」からとっており、「IWGP王座奪取のために考案した技でもあるからぴったりだった」と回答している。
: 技名はスペイン語で「'''栄光'''」の意。
; バレンティア
: 変形の[[エメラルドフロウジョン]]のような形で落とす垂直落下式の[[ノーザンライトボム]]。
:2018年4月29日[[IWGPインターコンチネンタル王座]]戦で初披露され、同年11月3日の[[ザック・セイバー・ジュニア]]とのスペシャルシングルマッチではフィニッシュのデスティーノへの布石として使われた。この技を開発したきっかけについては本人曰く「WRESTLE KINGDOM12のメインイベント・IWGPヘビー級王座戦での敗北後、何が足りないか色々考えた末に生まれた」とのこと。
: 技名はスペイン語で「'''勇気'''」の意。
; [[ドラゴン・スープレックス|ドラゴン・スープレックス・ホールド]]
: しなやかなブリッジで相手の体をマットに突き刺すように高角度で放っていき、主に大一番で使用される。
; [[ジャーマン・スープレックス#派生技|ジャーマン・スープレックス・ホールド]]
: 上記のドラゴン・スープレックス同様、ハイブリッジで決めるのが特徴で、ジュニア時代から得意としている。
; [[裏投|裏投げ]]
: 2013年下半期の頃より使用。主に相手の攻撃に合わせるように組みついてから投げるカウンター式を得意としている。
; [[DDT (プロレス技)#スイングDDT|スイングDDT]]
: トップロープを蹴り上げてから繰り出す型を主に使用している。タッグマッチでは対戦相手を踏み台に旋回しながら放っていく型も見られる。
; [[フェイス・バスター#コンプリートショット|コンプリートショット]]
: 下記プルマ・ブランカへの繋ぎ技として使用。相手の攻撃に合わせる形で放たれるカウンター式を得意としている。
; [[マンハッタン・ドロップ]]
: [[ロス・インゴベルナブレス]]加入後に使用され始めた技のひとつで、主にタッグパートナーとの連携で見られる。
; [[DDT (プロレス技)|ブリティッシュ・フォール]]
: [[ジョニー・スミス]]のオリジナル技。ボディスラムのように相手の体を担いでから首をフックしたまま相手を足から着地させ、リバースDDTに移行する技。
: 主にデスティーノへの繋ぎとして使用され、内藤の場合は相手の足が着地したのとほぼ同時に繰り出していくのが特徴。
; [[ネックブリーカー]]
: 相手と背中合わせの状態で放つタイプのものを使用する。カウンターで相手のラリアットを掻い潜って放つ型、雪崩式、串刺し攻撃を狙ったところを相手がフロントキックで迎撃しようとした際に両足を捉えて、セカンドロープに投げ入れてから仕掛けるパターンも得意とする。
; [[デスバレーボム#派生技|エボルシオン]]
: いわゆるリバース・デスバレーボム。2011年のG1決勝戦にて初披露されたが、技自体が綺麗に決まることが少なかったため、現在では全く使用されない。
: 技名はスペイン語で「'''進化'''」の意。
; [[ヘッドシザーズ・ホイップ]]
: かなりの頻度で使用して技だが、L・I・J結成後から使用されなくなった。
; 変型[[バックブリーカー]]
: リバースDDTのクラッチから片膝を立てながらしゃがみ込み、相手の背中を膝に叩きつける。バックブリーカーの後、座り込んだ相手に対してロープリバウンドして背後から低空ドロップキックを見舞うのが内藤の定番ムーヴ。


6月9日、大阪城ホールで行なわれたDOMINION6.9においてIWGPインターコンチネンタル王座をかけて飯伏幸太と対戦。22分06秒デスティーノからの体固めにて勝利し第22代チャンピオンになった。
=== 絞め・関節技 ===
; プルマ・ブランカ
: [[肩固め|足掛け式肩固め]]。うつ伏せとなった相手を[[肩固め]]の要領で組み付き、自らの左足を相手の首に引っかけ、相手の右腕を抱え込みながら頸部を締め上げる。[[2013年]]度のG1に向けて開発した秘策とされているが内藤が新技「プルマ・ブランカ」公開、前年の2012年度G1公式戦における[[天山広吉]]戦でそれらしき技を披露しているカードファイト!! ヴァンガード PRESENTS NJPW 40th anniversary Tour G1 CLIMAX 22 ~The One And Only~ – 東京・後楽園ホール – 第5試合。披露当初は、[[首投げ]]の要領で相手に飛びついて巻き投げ、相手の体をうつ伏せに寝転がして極める型を使用していたが、[[2015年]]頃より上記コンプリートショットから一連の流れで極める型を多用するようになっている。L・I・J結成以後は、首に引っかけた左足をより頸部に食い込ませるよう、相手の体を仰向けにさせて極める型を使用している。
: 技名はスペイン語で「'''白い翼'''」の意。
; トランキーロ・レッグロック
: 変形の膝固め。ジュニア時代から使用される足への[[キーロック]]。ショート・レッグ・シザースとも呼ばれる技で、多くの膝攻めのレパートリーの中でも頻繁に使用される。
; [[足4の字固め|メキシコ式足4の字固め]]
: インゴベルナブレス加入後から使用された技。通常の型と違って、右足一本で相手の足を4の字に固めながら、空いている左足を4の字に折り曲げた相手の右膝に引っ掛けて、相手の膝を痛めつける。相手がロープブレイクした際には自分から技を解こうとせず、[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]に技の解除を求めるシーンが見られる。
; [[リバース・インディアン・デスロック]]
: うつ伏せの相手の両足を交差させ、自分の片足を掛けた状態から後方に倒れ込み、両足にダメージを与える技。ここから鎌固めに移行することもある。


6月27日、スポーツ雑誌Numberが発表したプロレス総選挙 THE FINALで棚橋弘至に逆転を許し3年連続1位にはならなかった。
=== 飛び技 ===
; [[セントーン#サンセットフリップ|サマーソルトドロップ]]
: ロープの反動を利用して放つ。非常にフォームが綺麗で、ポストを利用しないセントーン・アトミコに近い。
; コーナーミサイル<ref name="スポーツアルバムNo.58、55-58頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、55-58頁。</ref><ref>{{cite web|url=http://kopw.jp/today_card/backnumber.html?type=5#card1|title=BT10-046 コーナーミサイル 内藤哲也|accessdate=2014-8-26|publisher=キング オブ プロレスリング トレーディングカードゲーム}}</ref>
: コーナーにもたれ掛かる相手を片足で蹴り上げながらエプロンサイドに着地し、相手の足を払って尻餅をつかせた後、サードロープを踏み台にジャンプした反動を利用して、座っている相手に串刺し[[ドロップキック#種類|低空ドロップキック]]を放つ。2013年に右膝前十字靭帯断裂の怪我から復帰した時期より使用しており、内藤のオリジナルムーブとして認知されている。
; [[ドロップキック#ミサイルキック|ミサイルキック]]
: ポストは跨がず片側のトップロープに両足を乗せ、一旦静止する武藤スタイルを使用している。
; [[フランケンシュタイナー#雪崩式フランケンシュタイナー|雪崩式フランケンシュタイナー]]
: 内藤が使用する数少ない雪崩式の技。主にビッグマッチを中心に使用される。
; [[ドロップキック]]
: [[プロレス技#ロープ・ワーク|ロープワーク]]の攻防から、走ってくる相手に対して繰り出すカウンター式を主に使用する。L・I・J結成後はあまり使用されない。
; [[フランケンシュタイナー#リバースフランケンシュタイナー|リバースフランケンシュタイナー]]


7月、G1 CLIMAX 29にBブロックでエントリー。初戦で[[矢野通]]、2戦目でタイチに敗北。開幕2連敗を喫してしまうが、3戦目で後藤洋央紀、4戦目で石井智宏から勝利。2勝2敗に戻すが、[[ジョン・モクスリー]]に敗れ、3敗目を喫してしまう。だが、そこから[[ジュース・ロビンソン]]、[[鷹木信悟]]、[[ジェフ・コブ]]に勝利し、5勝3敗まで勝ち点を伸ばした。8月11日、最終戦で[[ジェイ・ホワイト]]と対戦。勝てば優勝決定戦進出だったが、ブレードランナーを喰らってしまい。敗北。優勝決定戦進出とはならなかった。
=== クイック技 ===
; ポルボ・デ・エストレージャ
: 2011年メキシコ遠征帰国後から使用し始めたリストクラッチ式のグラウンド・コブラツイスト・ホールド。
: 上述のグロリアの要領で相手を捕らえた後、持ち上げずに後方に倒れ込みながらピンフォールを奪う。
: 技名はスペイン語で「'''星屑'''」の意。
; [[フォール技#ジャックナイフ|ジャックナイフ式エビ固め]]
: 走り込みながら仰向けに倒れている相手の手前で前転し、両足を抱え込みながら丸め込む。内藤の場合は、着地の際にブリッジせず相手に覆い被さる型を使用しており、タッグマッチにおいてはパートナーが相手を[[ラリアット]]で倒した後に素早く決める場合が多い。
; [[フォール技#カサドーラ|飛びつき前方回転エビ固め]]
: いわゆる[[フォール技#カサドーラ|カサドーラ]]と呼ばれる丸め込み技で、ヘビー級選手でコンスタントに使用するのは珍しい技のひとつ。丸め込みは他にも[[フォール技#メキシカンローリングクラッチホールド|高角度前方回転エビ固め]]や[[フォール技#ローリングバッククラッチ|回転足折り固め]]も得意としている。


8月下旬、SUPER J-CUP決勝戦でBUSHIと組んで、ジェイ・ホワイト&[[石森太二]]組と対戦。試合終了後、ジェイにブレードランナーでKOされ、自身が持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦表明をされる。そして31日のイギリス大会でSANADAと組み、ジェイ・ホワイト、[[チェーズ・オーエンズ]]組と対戦。試合終了後、またしてもジェイに急襲されるも、延髄蹴りからのデスティーノで仕返しに成功。
=== 合体技 ===

{{Main2|高橋裕二郎との合体技|NO LIMIT (プロレス)#合体技}}
9月、IWGPインターコンチネンタル王座次期挑戦者にジェイ・ホワイトが決定。シリーズを通して抗争が始まり、22日の神戸大会でタイトルマッチが決定。そして当日、王座を懸け対戦。内藤は最終局面でバレンティアを出そうとするも、ジェイが着地しそのままブレードランナーを喰らってしまい、29分47秒で決着。ジェイが勝利し、内藤は王座から陥落してしまう。
; OUT OF CONTROL

: [[渡辺高章|EVIL]]との合体技。向かい合わせになるように待ち構えながら、ロープに振り跳ね返ってきた相手の体を高々とリフトアップし息を合わせるように相手の足を払いながら勢いよく相手の身体を反転させて、背中からマットに叩きつける。
11月、大阪大会にてタイチとの5度目のシングルマッチが決定。掟破りのブラックメフィストからのデスティーノで勝利。G1の借りを返すことに成功。その後、IWGPインターコンチネンタル王座を防衛したジェイ・ホワイトの前に現れ、同王座に挑戦。
: 内藤のかつてのタッグパートナーである高橋裕二郎とのオリジナルホールドで、当時は「リミットレス・エボリューション」という名称で使用されていた。
これにより東京ドーム2連戦初日の1月4日にジェイとのタイトルマッチが決定した。

==== 2020年 ====
1月4日、東京ドームで行われた[[レッスルキングダム (プロレス興行)|レッスルキングダム14]]の1日目に、ジェイ・ホワイトを破りIWGPインターコンチネンタル王座に返り咲く。続く1月5日の2日目、前日飯伏幸太を下してIWGPヘビー級王座を防衛したオカダ・カズチカとの二冠戦において、終盤にレインメーカーをカウンター式デスティーノで返してから、2年ぶりにスターダスト・プレスを繰り出す。その後バレンティアからの正調デスティーノを決め勝利。IWGPインターコンチネンタル王座を初防衛し、並びにIWGPヘビー級王座を奪取。前々から発言していた、史上初のIWGP二冠を達成した。しかしその後、同じように前々から発言していた「東京ドームでの大合唱」をする直前、[[KENTA (プロレスラー)|KENTA]]が乱入し妨害。Go 2 sleepを喰らいKOされ、大合唱は阻止された。

2月9日、ダブルタイトルマッチという形で、KENTAと大阪城ホールで防衛戦を行った。だらだらと時間を稼がれたり、ジェイ・ホワイトの介入などもあったが、高橋ヒロムがジェイを排除し窮地を免れる。
go2sleepを切り返してのデスティーノで流れを掴むも、金具が剥き出しのコーナーに振られて額から流血。顔面を血染めにしながらも最後はバレンティアからのデスティーノでKENTAを葬り、二冠を防衛した。
試合後は締めのマイクで旗揚げ記念興行で愛弟子・ヒロムとのシングルマッチでの対戦を誓った。しかし、[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]禍で旗揚げ記念大会を含む興行が中止となり、3月4日に本来3日の旗揚げ記念大会で対戦するはずだったヒロムとトークショーを行った。

6月15日、新型コロナウイルス禍による興行休止から110日ぶりの再開となった無観客試合「Together ProjectSpecial」のメインイベントにて新技'''エスペランサ'''を披露し、再開後一発目で白星を獲得した。

7月12日、[[BULLET CLUB]]に寝返ったEVILがNJC覇者として内藤の2冠に挑戦。終盤にてBUSHIのマスクを被った[[ディック東郷]]による乱入もあり、最後はEVILを喰らい王座陥落となってしまった。
7月25日、内藤の仇を討つために同門の高橋ヒロムが2冠王者EVILに挑むも敗北。直後に内藤はリングに登壇。「最近よく正義って言葉を使ってるようだけど、正義って言ってみたり、ダークネスって言ってみたり、もしかしてEVIL、迷ってるの?そんなEVILに2本のベルトは荷が重た過ぎるだろ? ベルトのレンタル期間は終了だ。その2本のベルト、そろそろ返してもらおうか?」とリマッチを要求した。この結果、8月29日に21年ぶりに開催される[[明治神宮野球場]]大会にて内藤の挑戦が決定した。

8月29日、21年ぶりの明治神宮野球場大会のメインイベントでダブルタイトルに挑戦。中盤でディック東郷、外道の乱入があったが、BUSHIとSANADAが蹴散らし、1vs1にしたところでジャンピングエルボー、エスペランサ、バレンティアと得意技を出していき、最後はデスティーノを喰らわせて勝利。落とした2つのタイトルの奪取に成功した。

10月、G1 CLIMAX30に自身では初のIWGPヘビー級王者として出場した。SANADAとの同門対決、元パレハのEVIL、最終日にKENTAの3人負け、勝ち点12でSANADA、EVILに並ぶもオポネントにより落選した。

11月7日、POWER STRUGGLE IN大阪にてIWGPヘビー級王座・IWGPインターコンチネンタル王座を同王座ともにEVILとの防衛に挑んだ。ディック東郷、SANADA、ジェイ・ホワイト、飯伏幸太が次々に乱入してくる中、辛くも初防衛に成功した。翌日記者会見では1.4で飯伏幸太に二冠ベルトをかけて戦い、その試合の勝者及び二冠王者が、挑戦権利証をもつジェイホワイトと1.5でベルトをかけ戦うのはどうか?と提案し珍しく内藤の意見が通り実現した。

====2021年====
1月4日、飯伏幸太と二冠王座をかけて戦い、飯伏の現在の最上級のフィニッシュ・ホールドであるカミゴェを2回もキックアウトしたが、激闘の末最後は3度目のカミゴェでピンフォール負けを喫し両王座とも失った。試合後には悔しさを露わにしながらも、IWGPヘビー級王座・IWGPインターコンチネンタル王座を自身の手で渡し、飯伏幸太の腕を上げ、勝利を称えた。バックステージコメントでは、今後の目的が見当たらないと発言しつつも「この東京ドームのメインイベントにまた”必ず”帰ってくるから」と宣言した。なお、内藤自身は2018年のイッテンヨンのメインイベント敗退後のバックステージでも「”必ず”この舞台(メインイベント)に戻ってくる」とコメントし、2020年にメインイベンターとなった経緯がある。本人曰く「必ず」という言葉を使うことを嫌っているため、特別な意味が込められている。

2月11日、広島大会にて王座を防衛した飯伏幸太の前に現れ、IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦表明を行った。理由は飯伏が提案したIWGPヘビー級王座とIWGPインターコンチネンタル王座の統一を阻止するためである。これにより、2月28日の大阪城ホール大会にてタイトルマッチが決定。結果は27分50秒カミゴェ→体固めで敗北。インターコンチネンタル王座奪還とはならなかった。

3月4日、NEW JAPAN CUP2021にエントリー。日本武道館での旗揚げ記念日大会にて1回戦が行われた。対戦相手は[[グレート-O-カーン]]であり、これが初シングルである。試合後半で技の読み合いから延髄蹴りをヒットさせるも、-O-カーンのラリアットを喰らってしまい、膝固めからの膝十字固めでレフェリーストップ負けを喫する。この結果2019年大会以来4度目の1回戦敗退となった。

4月26日、[[広島サンプラザホール]]大会メインイベントにて、NEW JAPAN CUPで敗れたグレート-O-カーンと再戦し、勝利した。

6月2日、後楽園ホール大会にて、SANADA、BUSHIとのタッグで[[NEVER無差別級6人タッグ王座]]に初挑戦。結果はBUSHIがYOSHI-HASHIのバタフライロックでギブアップ負けをしたため、初戴冠とはならなかった。

6月7日、ザック・セイバーJr.&タイチ組が保持する[[IWGPタッグ王座]]への挑戦を表明。パートナーにSANADAを選んだ。そして7月11日、[[真駒内セキスイハイムアイスアリーナ]]大会にてタイトルマッチが決定。結果はザックから勝利し、第90代王者となった。また、IWGPタッグ王座を戴冠したのは2010年1月4日以来約11年半ぶりである。試合後、前王者組がリマッチを要求してきたため、7月25日の東京ドーム大会で前王者組を相手に初防衛戦を行うことが決定した。

7月25日、 東京ドーム大会にてザック・セイバーJr.&タイチ組とのリマッチを行い、37分58秒ヨーロピアンクラッチでザックにフォールされ初防衛に失敗。

9月18日、エディオンアリーナ大阪で行われたG1CLIMAX31の初戦でザック・セイバーJr.と対戦し27分05秒タップアウトで敗れる。

9月21日、新日本プロレス公式HPにて9月18日の試合で左膝内側側副靭帯損傷・半月板損傷と診断され、G1 CLIMAX31は全戦欠場、リーグ戦は不戦敗となる事が発表された(なお、全治未定との事)。

11月、WORLD TAG LEAGUE2021にSANADAとのタッグで出場し、復帰。最終的に勝ち点16でタイチ&ザック・セイバーJr.組、EVIL&高橋裕二郎組と並ぶも優勝決定戦への進出はならなかった。

==== 2022年 ====
1月5日、ジェフ・コブとシングルマッチを行い、デスティーノで勝利。メインイベント終了後、[[IWGP世界ヘビー級王座]]を防衛したオカダ・カズチカの前に現れ、同王座への挑戦を表明した。そして2月13日の大阪府立総合体育館ではSANADAと組み、オカダ・カズチカ&棚橋弘至と対戦し30分以上の激闘(33分28秒、内藤哲也◯ ×棚橋弘至、デスティーノ→片エビ固め)を制し勝利を手にした。

そして同月20日にオカダ・カズチカに挑戦するが、敗れる(29分34秒、オカダ・カズチカ◯ ×内藤哲也、レインメーカー→片エビ固め)。

3月2日より開催された「NEW JAPAN CUP 2022」にエントリー。1回戦で高橋裕二郎、2回戦で外道、3回戦で棚橋弘至、準々決勝でジェフ・コブ、準決勝でオカダ・カズチカを破り決勝進出を果たすも、決勝にてザック・セイバーJr.に敗れ準優勝となる。

5月1日、福岡、福岡PayPayドームにて行われた「WRESTLING DONTAKU2022」の第9試合IWGP世界ヘビー級選手権試合においてオカダ・カズチカと今年だけで3度目の対戦も、レインメーカーで沈められ3度目の敗北。ベルト獲得を逃した。

==== 2023年 ====
1月4日、東京ドーム大会にて、SANADA&BUSHIとのタッグで、武藤敬司&棚橋弘至&[[海野翔太]]と対戦。自身は武藤との対戦はなく、試合もBUSHIが3カウントを喫し敗北した。

1月21日に行われた[[プロレスリング・ノア]]との対抗戦では、「L・I・J対[[金剛 (プロレス)|金剛]] シングル5番勝負」の大将戦として[[拳王 (プロレスラー)|拳王]]と対戦し勝利。試合後には放送席で解説を務めていた武藤敬司から、2月21日に東京ドームで行われる「[[KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE〜HOLD OUT〜]]」での自身の引退試合での対戦相手に指名され、受諾する構えを見せた。

2月21日、東京ドームにて武藤と対戦。最後は必殺技のデスティーノで3カウントを決め、引退する武藤を介錯した<ref>{{Cite web|和書|title=【ノア】内藤哲也「こんな幸せなプロレスラーいない」武藤敬司の勝利への執念に心打たれる - プロレス : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/battle/news/202302210001426.html |website=nikkansports.com |access-date=2023-03-25 |language=ja}}</ref>。

3月5日より開催された「[[NEW JAPAN CUP|NEW JAPAN CUP 2023]]」にエントリー。1回戦で[[エル・ファンタズモ]]、2回戦で[[チェーズ・オーエンズ]]に勝利し、準々決勝へ進出するも、同門の[[SANADA]]に敗れ敗退。試合後、[[SANADA]]は「[[Just 5 Guys]]」へと加入した。

4月27日、広島大会にて[[DOUKI]]とスペシャルシングルマッチで対決。デスティーノで勝利した。

5月7日、[[全日本プロレス]][[大田区総合体育館]]大会に参戦。BUSHIとのタッグで[[宮原健斗]]・[[安齊勇馬]]組と対戦し、デスティーノで安齊から3カウントを奪い勝利。

6月4日、『[[G1 CLIMAX|G1 CLIMAX33]]』へのエントリーが発表された。

6月9日、[[新日本プロレス]]・全日本プロレス・[[プロレスリング・ノア]]の3団体合同興業『[[ALL TOGETHER (プロレス興行)|ALL TOGETHER AGAIN]]』に参戦。鷹木信悟・BUSHIをパートナーに、[[永田裕志]]・[[諏訪魔]]・安齊組と対決するも、BUSHIが諏訪魔のラストライドに3カウントを許してしまい敗北。

8月10日、G1 CLIMAX33船橋大会で[[ヒクレオ]]から、同月12日両国国技館大会でオスプレイから勝利し決勝戦に進出、翌日13日にオカダ・カズチカとの優勝決定戦を制し6年ぶりのG1優勝を果たした。直前のAEW、CMLLへの遠征で日を追う毎に膝の状態が悪化し、帰国後には右膝が90度に曲がらず大きく腫れ上がり、容体が改善されないままこのリーグ戦を迎えた中での快挙であった。優勝に際し「引退がチラつくというか、常に頭の片隅には置いている感じですね」と自身の引き際について語りつつ「オレはいまの世代のトップとして真正面からドンと構えているし、いま新日本プロレスの先頭、このリングの真ん中には俺がいる」と覚悟を示した<ref>週刊プロレス NO.2258 2023年8月30日号 11ページ</ref>。

==== 2024年 ====
1月4日、[[WRESTLE KINGDOM 18]]東京ドーム大会において、SANADAの保持するIWGP世界ヘビー級王座に挑戦。25分に及ぶ激闘を制し、同王座初戴冠を果たした。試合後にはEVIL&[[ディック東郷]]の乱入もあったが、SANADAの助けもあり、ついに東京ドームでの大合唱を果たした。

2月24日、札幌大会にてSANADAとのリマッチを制し初防衛に成功。

== 得意技 ==
; デスティーノ


== タイトル歴 ==
== タイトル歴 ==
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|image1 = Tetsuya Naito IWGP Heavyweight Champion.jpg
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}}
}}
; [[新日本プロレス]]
; [[新日本プロレス]]
* [[IWGPヘビー級王座]] : 1回(第64代)
:* [[IWGP世界ヘビー級王座]] : 2回(第8・10代)
: 最多戴冠記録保持者、最年長戴冠記録保持者。
* [[IWGPインターコンチネンタル王座]] : 3回(第15・18代・20代)
* [[NEVER無差別級王座]] : 1回(第2代)
:* [[IWGPヘビー級王座]] : 3回(第64・70・72代)
: 第70代・72代は第24代・26代IWGP IC王座との2冠。
* [[IWGPタッグ王座]] : 1回(第55代)
:* [[IWGPインターコンチネンタル王座]] : 6回(第15・18・20・22・24・26代)
: パートナーは高橋裕二郎。
: 最多戴冠記録保持者。
* [[IWGPジュニアタッグ王座]] : 1回(第22代)
:* [[NEVER無差別級王座]] : 1回(第2代)
: パートナーは[[高橋裕二郎|裕次郎]](現:高橋裕二郎)。
: NEVER無差別級王座提唱者。
* [[G1 CLIMAX]] 優勝 : 2回(2013年、2017年)
* [[ニュージャパン・カプ|NEW JAPAN CUP]] 優勝 : 1回(2016年
:* [[IWGPジュアタグ王座]] : 1回(第22代
: パートナーは裕次郎(現:[[高橋裕二郎]])。
:* [[IWGPタッグ王座]] : 2回(第55・90代)    
: パートナーは高橋裕二郎→[[SANADA]]。
:* [[G1 CLIMAX]] 優勝 : 3回(2013年、2017年、2023年)
:* [[NEW JAPAN CUP]] 優勝 : 1回(2016年)
:* [[WORLD TAG LEAGUE]] 優勝 : 1回(2024年)
: パートナーは[[高橋ヒロム]]。
; [[プロレス大賞]]
; [[プロレス大賞]]
* 2016年度プロレス大賞 最優秀選手賞
:* 2016年度プロレス大賞 最優秀選手賞
* 2017年度プロレス大賞 最優秀選手賞
:* 2017年度プロレス大賞 最優秀選手賞
* 2018年度プロレス大賞 技能賞
:* 2018年度プロレス大賞 技能賞
:* 2020年度プロレス大賞 最優秀選手賞
:* 2020年度プロレス大賞 年間最高試合賞
:*: (ベストバウト): [[オカダ・カズチカ]]×内藤哲也(1月5日/新日本・東京ドーム : IWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタル ダブル選手権)
:* 2023年度プロレス大賞 最優秀選手賞
:
; テレビ朝日ビッグスポーツ賞
; テレビ朝日ビッグスポーツ賞
* 第52回テレビ朝日ビッグスポーツ賞ワールドプロレスリング賞
:* 第52回テレビ朝日ビッグスポーツ賞ワールドプロレスリング賞


== 入場テーマ曲 ==
== 入場テーマ曲 ==
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== 決め台詞 ==
== 決め台詞 ==
* トランキーロ、焦んなよ!
* '''トランキーロ、焦んなよ!'''
: 2015年のメキシコ遠征から帰国して以降、多用している台詞。
*: 2015年のメキシコ遠征から帰国して以降、多用している台詞。あまりの人気が伸び悩んだため、ラ・ソンブラの人気に便乗しようと使用を始めた
: トランキーロ(''Tranquilo'')は[[スペイン語]]で「静かに、落ち着け」などの意味する言葉。すなわちその後に続く「焦んなよ」と同義。但しこれにオカダ・カズチカが異常なまでの拒絶反応を示し、「レッスル・キングダム2018」前哨戦において、内藤が発し始めた際花道から猛ダッシュでリングに戻り完了させずに遮るほど。
*: トランキーロ(''Tranquilo'')は[[スペイン語]]で「静かに、落ち着け」などの意味する言葉。すなわちその後に続く「焦んなよ」と同義。但しこれに[[オカダ・カズチカ]]が異常なまでの拒絶反応を示し、「レッスル・キングダム2018」前哨戦において、内藤が発し始めた際花道から猛ダッシュでリングに戻り完了させずに遮るほど。
* ノスオトロス・ロス・インゴベルナブレス・デ!! ハ!! ポン!!
* '''ノスオトロス・ロス・インゴベルナブレス・デ!! ハ!! ポン!!'''
: スペイン語で「俺たちはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンだ!!」の意味で、締めの言葉で使用される台詞。
*: スペイン語で「俺たちはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンだ!!」の意味で、締めの言葉で使用される台詞。
: L・I・Jメンバーの名前を挙げていき、最後に自分の名前を言って前置きしつつ、「デ!! ハ!! ポン!!」の部分で観衆と共に大合唱する。
*: L・I・Jメンバーの名前を挙げていき、最後に自分の名前を言って前置きしつつ、「デ!! ハ!! ポン!!」の部分で観衆と共に大合唱する。
: 会場によってはメンバー紹介から合唱が始まる場合がある。
*: 会場によってはメンバー紹介から合唱が始まる場合がある。
*ブエナス・ノーチェース、○○〜
*'''ブエナス・ノーチェース、○○〜!'''
: ブエナス・ノーチェスはスペイン語で「こんばんは」の意。
*: ブエナス・ノーチェスはスペイン語で「こんばんは」の意。比較的浅い時間帯であるときには
: ○○には興行の開催地の名前が入る。
*: ○○には興行の開催地の名前が入る。
: マイクの最初に放つ言葉。
*: マイクの最初に放つ言葉。
*: スペイン語で「こんにちは」を意味する'''ブエナス・タルデス、〇〇〜!'''となることもある。
*:
*'''カブロン!'''(Cabrón)
*:スペイン語で「馬鹿野郎」、「クソ野郎」などの意味。相手を侮辱・挑発する意味合いでバックステージコメントやマイクアピールなどで使われる。
*'''一歩踏み出す勇気'''
*:2018年4月29日、[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の影響により約2年5ヶ月ぶりの開催となった熊本大会において、メインイベントで[[IWGPインターコンチネンタル王座]]を獲得した内藤は被災したファンに向けて「変わらないこと、あきらめないことはもちろん大事。でも、変わろうとする思い、変わろうとする覚悟、そして、'''一歩踏み出す勇気も俺は大事なことなんじゃないかなと思います'''」とマイクを通じて発言。同年10月2日 [[YouTube]]上に公開されたロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン6人目のメンバーを示唆する動画でも使われるなど、マイクパフォーマンスやバックステージコメントなどで頻繁に使われるようになる。


=== 決めポーズ ===
=== 決めポーズ ===
* Abre los ojosポーズ
* Abre los ojosポーズ
: 読みは「'''アブレ・ロス・オホス'''」。親指と人差し指を使いながら目を見開く。スペイン語で「目を開け」の意<ref name="決めポーズ">参考文献『新日本プロレスBi-Monthly (ビーマンスリー) vol.8』2016年 2/25号、頁63掲載 「決めポーズ解説⑧内藤哲也」より。</ref>。
*: 読みは「'''アブレ・ロス・オホス'''」。親指と人差し指を使いながら目を見開く。スペイン語で「目を開け」の意<ref name="決めポーズ">参考文献『新日本プロレスBi-Monthly (ビーマンスリー) vol.8』2016年 2/25号、頁63掲載 「決めポーズ解説⑧内藤哲也」より。</ref>。
: 2009年のメキシコ遠征中、「[[アジア系民族|アジア人]]は目が細い」という固定観念がある現地のファンから「オマエら、目開いてんのか!?」と[[やじ]]が飛んできたことを逆手にとり、「俺の目は開いてるぞ」という意味合いで目を広げて対抗したのがポーズのキッカケ<ref name="決めポーズ"/>。2010年に凱旋してからは最初の短期間のみ使用されていたが、会場で観戦する子供たちが真似していたことから、日本でも継続して使用するようになった<ref name="決めポーズ"/>。2015年にロス・インゴベルナブレスに加入してから凱旋して以降は、インゴベルナブレスポーズ(右手で胸を2回叩いて拳を天に突き上げる)と合わせたものに進化を遂げている<ref name="決めポーズ"/>。
*: 2009年のメキシコ遠征中、「[[アジア系民族|アジア人]]は目が細い」という固定観念がある現地のファンから「オマエら、目開いてんのか!?」と[[やじ]]が飛んできたことを逆手にとり、「俺の目は開いてるぞ」という意味合いで目を広げて対抗したのがポーズのキッカケ<ref name="決めポーズ"/>。2010年に凱旋してからは最初の短期間のみ使用されていたが、会場で観戦する子供たちが真似していたことから、日本でも継続して使用するようになった<ref name="決めポーズ"/>。2015年にロス・インゴベルナブレスに加入してから凱旋して以降は、インゴベルナブレスポーズ(右手で胸を2回叩いて拳を天に突き上げる)と合わせたものに進化を遂げている<ref name="決めポーズ"/>。


== 人物 ==
== 人物 ==
=== プロレスファン ===
=== プロレスファン ===
幼少期の頃から熱心な新日本プロレスファンであり、当時の新日本ファンクラブ「闘魂戦士」にも入会していた。高校時代は部活終わりにそのまま観戦に出かけたり、都内だけでなく地方に遠征までするようになった<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26頁"/>。選手になった今も「一選手である前に一ファンでありたい」という気持ちでファンクラブに入会しているという異色の選手である。
幼少期の頃から熱心な新日本プロレスファンであり、当時の新日本ファンクラブ「闘魂戦士」にも入会していた。高校時代は部活終わりにそのまま観戦に出かけたり、都内だけでなく地方に遠征までするようになった<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26頁"/>。選手になった今も「一選手である前に一ファンでありたい」という気持ちでファンクラブに入会しているという異色の選手である。


==== 武藤敬司について ====
==== 武藤敬司について ====
内藤は筋金入りの[[武藤敬司]]ファンであったと公言している。オレンジタイツ時代からファンであり、武藤ファンとしてプロレスごっこの際にできるだけ完璧に武藤の真似をしたいがために、ビデオに録画していた武藤の試合を終始スローで見て研究し動きをマスターしようとしていた<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25頁"/>。また高校時代プロレスラーになるにはどうしたらいいのか考え、憧れの武藤が学生時代に[[柔道]]を経験していたことから、それに倣おうとしたこともある<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26頁"/>(最終的に内藤は柔道部に入らず、サッカー部に入部している)。幼少期のプロレスごっこの影響のためか、プロレスラーとなった内藤の試合の中で、何気ない動きのどこかに武藤の名残が感じられると言われており<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25頁"/>、解説者の[[金沢克彦]]は「オレンジタイツ時代の武藤そのもの」と肯定的な見解を述べている。しかし、2012年1月4日東京ドーム大会にて武藤と対戦が決まった際の記者会見では、武藤に対して「過去の人間」と位置付けた上で「プロレスを好きになったキッカケ」「プロレスラーになりたいと思ったキッカケ」とあくまでファンであったことは過去の話であると言い切っている<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/41827|title=「武藤さんは過去の人間!」内藤が宣戦布告!! 真壁は高山の土下座要求に大荒れ!! 1.4東京ドーム全カード決定!|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2011-12-10}}</ref>。
内藤は筋金入りの[[武藤敬司]]ファンであったと公言している。オレンジタイツ時代からファンであり、武藤ファンとしてプロレスごっこの際にできるだけ完璧に武藤の真似をしたいがために、ビデオに録画していた武藤の試合を終始スローで見て研究し動きをマスターしようとしていた<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25頁"/>。高校時代プロレスラーになるにはどうしたらいいのか考え、憧れの武藤が学生時代に[[柔道]]を経験していたことから、それに倣おうとしたこともある<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26頁"/>(最終的に内藤は柔道部に入らず、サッカー部に入部している)。幼少期のプロレスごっこの影響のためか、プロレスラーとなった自身の試合の中で、何気ない動きのどこかに武藤の名残が感じられると言われており<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、25頁"/>、解説者の[[金沢克彦]]は「オレンジタイツ時代の武藤そのもの」と肯定的な見解を述べている。だが、2012年1月4日東京ドーム大会にて武藤と対戦が決まった際の記者会見では、武藤に対して「過去の人間」と位置付けた上で「プロレスを好きになったキッカケ」「プロレスラーになりたいと思ったキッカケ」とあくまでファンであったことは過去の話であると言い切っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.njpw.co.jp/41827|title=「武藤さんは過去の人間!」内藤が宣戦布告!! 真壁は高山の土下座要求に大荒れ!! 1.4東京ドーム全カード決定!|work=新日本プロレス公式サイト|accessdate=2011-12-10}}</ref>。

しかしながら、2023年2月21日「[[KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE〜HOLD OUT〜]]」にて武藤の引退試合の相手を務めた後のインタビューにて、「オレは武藤敬司選手にあこがれを抱き、武藤敬司選手のようになりたくてプロレスラーを目指し、今ここまで歩んできました」と切り出し「最後の最後までレスラーとして上を目指そうとした武藤敬司選手の姿に心打たれるものがあったし、武藤敬司選手にあこがれてプロレスラーになってよかったなって思いました」と述べ、「こんな幸せなプロレスラー他にいないんじゃない」と語った<ref>{{Cite web|和書|title=内藤哲也、武藤敬司を介錯…「こんな幸せなプロレスラー他にいない」…2・21東京D全成績 |url=https://hochi.news/articles/20230221-OHT1T51239.html |website=スポーツ報知 |date=2023-02-21 |access-date=2023-03-25 |language=ja}}</ref>。


==== 棚橋弘至について ====
==== 棚橋弘至について ====
地方に遠征してまで観戦するほどプロレス熱が高い内藤だが、格闘技の聖地と言われる[[後楽園ホール]]での観戦は意外にも遅く、[[1999年]]10月10日。それまでビッグマッチしか行ったことがなく、若手の試合を見るのが初めてだった内藤は、そこで[[棚橋弘至]]のデビュー戦を目の当たりにする。それまで武藤ファンであった内藤は棚橋のデビュー戦を見て感銘を受け、棚橋がデビューした翌[[2000年]]は武藤がアメリカ長期遠征へ出てしまったこともあり、内藤はその年以後棚橋を楽しみに観戦するようになり始め大ファンとなった<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26-27頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、26-27頁。</ref><ref name="レスラーヒューマンストーリー II、31頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、31頁。</ref>。2002年に内藤が右膝前十字靭帯断裂の怪我を負って気持ちが沈んでいた頃、2003年4月23日に[[広島サンプラザ|広島サンプラザホール]]にて開催された[[IWGP U-30無差別級王座|U-30初代王者決定リーグ戦]]の決勝戦、棚橋 vs [[真壁刀義|真壁伸也]]戦を生観戦し、その際に「プロレスに勇気をもらう」「元気をもらう」ということを初めて感じた日だと述べている<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、27-28頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、27-28頁。</ref>。
地方に遠征してまで観戦するほどプロレス熱が高い内藤だが、格闘技の聖地と言われる[[後楽園ホール]]での観戦は意外にも遅く、[[1999年]]10月10日。それまでビッグマッチしか行ったことがなく、若手の試合を見るのが初めてだった内藤は、そこで[[棚橋弘至]]のデビュー戦を目の当たりにする。それまで武藤ファンであった内藤は棚橋のデビュー戦を見て感銘を受け、棚橋がデビューした翌[[2000年]]は武藤がアメリカ長期遠征へ出てしまったこともあり、内藤はその年以後棚橋を楽しみに観戦するようになり始め大ファンとなった<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、26-27頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、26-27頁。</ref><ref name="レスラーヒューマンストーリー II、31頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、31頁。</ref>。2002年に内藤が右膝前十字靭帯断裂の怪我を負って気持ちが沈んでいた頃、2003年4月23日に[[広島サンプラザ|広島サンプラザホール]]にて開催された[[IWGP U-30無差別級王座|U-30初代王者決定リーグ戦]]の決勝戦、棚橋 vs [[真壁刀義|真壁伸也]]戦を生観戦し、その際に「プロレスに勇気をもらう」「元気をもらう」ということを初めて感じた日だと述べている<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、27-28頁">[[#レスラーヒューマンストーリー II|レスラーヒューマンストーリー II]]、27-28頁。</ref>。


内藤がプロレスラーとしてデビューして間もなくの頃、棚橋から「'''早く俺のとこまでこいよ'''」と言われたこともあり、内藤自身もかつてファンだった武藤が全日本に移籍して何を楽しみに新日本を見に行っていいか分からないときに、棚橋がいたからこそプロレス熱が冷めることなくずっと来れたから、棚橋をトップの座から引きずりおろす役目は自分が担いたいと語っている<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、31頁" />。2017年1月4日、レッスルキングダム11にて棚橋との一騎打ちを制し、試合でも棚橋を上回る声援が送られ、世代交代を印象付けた内藤は試合後、リング上で大の字に横たわる棚橋の胸に拳を突き立てた後に深々と一礼。さらにバックステージでのコメントではかつて見上げる存在だった棚橋に対して「'''早く俺のところまで戻ってこいよ'''」と、メッセージを送っている<ref>{{cite web|url=https://www.daily.co.jp/ring/2017/01/05/0009803431.shtml|title=内藤V2 棚橋の息の根止め「一つの時代が完全に終わった」|work=デイリースポーツ online|accessdate=2017-1-5}}</ref>。
内藤がプロレスラーとしてデビューして間もなくの頃、棚橋から「'''早く俺のとこまでこいよ'''」と言われたこともあり、内藤自身もかつてファンだった武藤が全日本に移籍して何を楽しみに新日本を見に行っていいか分からないときに、棚橋がいたからこそプロレス熱が冷めることなくずっと来れたから、棚橋をトップの座から引きずりおろす役目は自分が担いたいと語っている<ref name="レスラーヒューマンストーリー II、31頁" />。2017年1月4日、レッスルキングダム11にて棚橋との一騎打ちを制し、試合でも棚橋を上回る声援が送られ、世代交代を印象付けた内藤は試合後、リング上で大の字に横たわる棚橋の胸に拳を突き立てた後に深々と一礼。さらにバックステージでのコメントではかつて見上げる存在だった棚橋に対して「'''早く俺のところまで戻ってこいよ'''」と、メッセージを送っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/ring/2017/01/05/0009803431.shtml|title=内藤V2 棚橋の息の根止め「一つの時代が完全に終わった」|work=デイリースポーツ online|accessdate=2017-1-5}}</ref>。


=== 広島東洋カープ ===
=== 広島東洋カープとの関わり ===
プロレス界きっての[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[広島東洋カープ]]ファンを自称している。かつて合宿所に住んでいた頃、部屋には広島カープのグッズが所狭しと飾られており、ロス・インゴベルナブレス加入以前に着用していた赤と白を基調としたコスチュームも「カープカラー」をイメージしたものとされている<ref name="スポーツアルバムNo.58、60-61頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、60-61頁。</ref>。少年時代は元々[[読売ジャイアンツ]]に所属する[[原辰徳]]のファンだったが、1995年に原が現役引退したことより本人曰く「ポッカリ穴が開いた」状態で野球への楽しみ方を模索していたところ、広島カープの足を使う野球に魅了され1996年から応援をスタートさせた<ref name="スポーツアルバムNo.58、60-61頁"/><ref>{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/battle/column/ring/news/1722665.html|title=プロレス界の「神ってる」男・内藤哲也のカープ愛|work=日刊スポーツ : nikkansports.com|accessdate=2016-10-11}}</ref>。
プロレス界きっての[[日本プロ野球|プロ野球]]・[[広島東洋カープ]]ファンを自称している。かつて合宿所に住んでいた頃、部屋には広島のグッズが所狭しと飾られており、内藤がロス・インゴベルナブレス加入以前に着用していた赤と白を基調としたコスチュームも「カープカラー」をイメージしたものとされている<ref name="スポーツアルバムNo.58、60-61頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、60-61頁。</ref>。少年時代は[[読売ジャイアンツ]]に所属していた[[原辰徳]]のファンだったが、1995年に原が現役引退したことより内藤曰く「ポッカリ穴が開いた」状態で野球への楽しみ方を模索していたところ、広島の足を使う野球に魅了され1996年から応援を始めた<ref name="スポーツアルバムNo.58、60-61頁"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/battle/column/ring/news/1722665.html|title=プロレス界の「神ってる」男・内藤哲也のカープ愛|work=日刊スポーツ : nikkansports.com|accessdate=2016-10-11}}</ref>。


現在もファンクラブに入会している他、シリーズの合間を縫っては観戦に訪れており、[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもライトスタンドから観戦していた<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/594360/|title=新日プロレスラー内藤哲也 今のイチオシはカープ田中選手|work=東スポWeb|accessdate=2016-9-18}}</ref>。レスラー引退後には広島移住も視野に入れており、「[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダスタジアム]]の年間シートを購入して、毎試合観戦してみたい」と将来に対する展望について語っている<ref name="スポーツアルバムNo.58、60-61頁"/>。
内藤は現在もファンクラブに入会している他、シリーズの合間を縫っては観戦に訪れており、[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもライトスタンドから観戦していた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/160868|title=新日プロレスラー内藤哲也 今のイチオシはカープ田中選手|work=東スポWeb|accessdate=2016-9-18}}</ref>。レスラー引退後には広島移住も視野に入れており、「[[MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島|マツダスタジアム]]の年間シートを購入して、毎試合観戦してみたい」と将来に対する展望について語っている<ref name="スポーツアルバムNo.58、60-61頁"/>。
2017年には、球団歌『[[それ行けカープ]]』の2017年2018年バージョンの映像に、自身が注目している選手・[[田中広輔]]の2016年からの背番号「'''2'''」が入ったユニフォーム(2017年版・ビジター用、2018年版・ホーム用)を着用して歌唱参加している。また、2017年8月27日のマツダスタジアムでの[[中日ドラゴンズ]]戦において初の始球式を行った。結果はストライクゾーンから大きく外れてしまったものの、元野球少年らしい見事なフォームでの投球だった<ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/746742/|title=新日本プロレス・内藤哲也がマツダスタジアムで始球式|work=東京スポーツ新聞社|accessdate=2017-8-28}}</ref><ref>因みにこの試合はカープは敗退。対戦相内藤のファンを公言している[[小笠原慎之介]]が勝利ている。</ref>。
球団歌『[[それ行けカープ]]』の2017年2018年、2019年バージョンの映像に、自身が注目している選手・[[田中広輔]]の2016年からの背番号「'''2'''」が入ったユニフォーム(2017年版・ビジター用、2018年版・ホーム用)を着用して歌唱参加している。また、2017年8月27日のマツダスタジアムでの[[中日ドラゴンズ|中日]]戦において初の始球式を行った。結果はストライクゾーンから大きく外れてしまったものの、元野球少年らしい見事なフォームでの投球だった<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20170828144311/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/746742/|title=新日本プロレス・内藤哲也がマツダスタジアムで始球式|work=東京スポーツ新聞社|accessdate=2017-8-28}}</ref>因みにこの試合で広島は敗れたものの、勝利投となったのは内藤のファンを公言している[[小笠原慎之介]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/192435|title=中日・小笠原 新日・内藤と対面感激!合言葉は「トランキーロ」|work=東京スポーツ新聞社|accessdate=2017-03-15}}</ref>である
2018年よりカープの応援歌(チャンステーマに内藤の入場曲の一節が取り入れられている
2018年よりカープのチャンステーマに内藤の入場曲の一節が取り入れられている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hiroshima-athlete.com/articles/-/599|title= Me gusta la “CARP”! 内藤哲也の制御不能なカープ愛
第12試合 チャンステーマの『STARDUST』が、ついに入場曲として神宮球場に!|work=アスリートマガジン: hiroshima-athlete.com|accessdate=2023-03-11}}</ref>。


=== メキシコとの関わり ===
=== メキシコとの関わり ===
ロス・インゴベルナブレスを日本に持ち帰り、制御不能と化したのキッカケにブレイクした内藤のプロレス人生において、メキシコという国は欠かせないものとなっている。2009年5月に初めてメキシコに遠征した内藤は、元々異国の地がさほど好きではない上にイメージ的にも最悪な印象しか持たなかったことから、当初は「行くのが嫌でしょうがなかった」と振り返っており、試合と練習以外のときはほとんど出歩くことをしなかったという<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、62-63頁。</ref>。しばらくして内藤はアニマル浜口ジム時代から付き合いのある[[BUSHI]]とメキシコで再会すると、BUSHIに連れられる形で外出するようになる。そこから徐々にメキシコに対する意識が変わり始め、メキシコでの生活を楽しめるようになったとのこと<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。
内藤はロス・インゴベルナブレスを日本に持ち帰り、制御不能と化したのキッカケにブレイクした自身のプロレス人生において、メキシコという国は欠かせないものとなっている。2009年5月に初めてメキシコに遠征した内藤は、元々異国の地がさほど好きではない上にイメージ的にも最悪な印象しか持たなかったことから、当初は「行くのが嫌でしょうがなかった」と振り返っており、試合と練習以外のときはほとんど出歩くことをしなかったという<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、62-63頁。</ref>。しばらくして内藤はアニマル浜口ジム時代から付き合いのある[[BUSHI]]とメキシコで再会すると、BUSHIに連れられる形で外出するようになる。そこから徐々にメキシコに対する意識が変わり始め、メキシコでの生活を楽しめるようになったとのこと<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。


現地[[CMLL]]においても、[[アレナ・メヒコ]]大会のビッグマッチにおける[[デスマッチ#髪切りデスマッチ|髪切りマッチ]]で、メキシコ人レスラーから勝利するという30年ぶりの快挙を成し遂げたことからポジションを確立。街を出歩けば声を掛けられることも多くなり、一気に知名度を上げることに成功した内藤は公私ともに充実した日々を送るようになった<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。
現地[[CMLL]]においても、内藤は[[アレナ・メヒコ]]大会のビッグマッチにおける[[デスマッチ#髪切りデスマッチ|髪切りマッチ]]で、メキシコ人レスラーから勝利するという30年ぶりの快挙を成し遂げたことからポジションを確立している。街を出歩けば声を掛けられることも多くなり、一気に知名度を上げることに成功した内藤は公私ともに充実した日々を送るようになった<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。


制御不能と化した後、スペイン語を織り交ぜた独特なコメントが目立つ内藤が、これは2015年にインゴベルナブレスに加入し、帰国したときのコメントでポロっとスペイン語を出したことがキッカケとなっている<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。直すのが面倒くさいと考えた内藤は以降スペイン語を混ぜてコメントするようになり、後に「日本に居るのに間違ってスペイン語が出てしまうぐらい充実してた」と述べている<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。
制御不能と化した後、スペイン語を織り交ぜた独特なコメントが目立つ内藤であるが、これは内藤が2015年にインゴベルナブレスに加入し、帰国したときのコメントでポロっとスペイン語を出したことがキッカケとなっている<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。直すのが面倒くさいと考えた内藤は以降スペイン語を混ぜてコメントするようになり、後に「日本に居るのに間違ってスペイン語が出てしまうぐらい充実してた」と内藤は述べている<ref name="スポーツアルバムNo.58、62-63頁"/>。


=== 会場マニア ===
=== 会場マニア ===
会場マニアという一面があり、体育館だけでなく野球場やサッカー場といった箱に興味がある内藤は、プロレスラーとなった現在自身のブログやツイッターなどで開場前の会場写真をアップする習慣が定着しつつある<ref name="スポーツアルバムNo.58、64-65頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、64-65頁。</ref>。特に「建物の外観」と「体育館の名称が書いてある看板」を撮影したいと思っているが、会場に集まるファンの中で外観を撮影することができないため、会場の中の写真や場内のさまざまな場所を散策することが趣味となっている<ref name="スポーツアルバムNo.58、64-65頁"/>。
会場マニアという一面があり、体育館だけでなく野球場やサッカー場といった箱に興味がある内藤は、プロレスラーとなった現在自身のブログやツイッターなどで開場前の会場写真をアップする習慣が定着しつつある<ref name="スポーツアルバムNo.58、64-65頁">[[#スポーツアルバムNo.58|スポーツアルバムNo.58]]、64-65頁。</ref>。特に「建物の外観」と「体育館の名称が書いてある看板」を撮影したいと思っているが、会場に集まるファンの中で外観を撮影することができないため、会場の中の写真や場内のさまざまな場所を散策することが趣味となっている<ref name="スポーツアルバムNo.58、64-65頁"/>。2020年頃からは、地方大会の前夜にレンタカーを借りて会場を訪れ、会場の外観を撮影して自身のTwitterに投稿することが多い


=== その他 ===
=== その他 ===
* 中学時代は、当時サッカーの強豪校だった[[愛媛県立南宇和高等学校]]へのサッカー留学を考えていた。
* 中学時代は、当時サッカーの強豪校だった[[愛媛県立南宇和高等学校]]へのサッカー留学を考えていた。
* 2011年6月から2015年5月まで[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]として活動していた内藤は、地域によって[[ブーイング]]を受けることがある。特に大阪大会で行われるビッグマッチでは、内藤が攻勢をかけたり、アピールを行うと強烈なブーイングが発生するようになり、この現象は2014年頃から顕著に見られるようになった。ロス・インゴベルナブレス加入以降、内藤へのブーイングは全国各地で発生するようになったが、2015年下期頃になると徐々に内藤を支持する声が徐々に増え始め、2016年に入ると内藤およびL・I・Jに対する支持者が急増していった。
* 2011年6月から2015年5月まで[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]として活動していた内藤は、地域によって[[ブーイング]]を受けることがある。特に大阪大会で行われるビッグマッチでは、内藤が攻勢をかけたり、アピールを行うと強烈なブーイングが発生するようになり、この現象は2014年頃から顕著に見られるようになった。ロス・インゴベルナブレス加入以降、内藤へのブーイングは全国各地で発生するようになったが、2015年下期頃になると徐々に内藤を支持する声が増え始め、2016年に入ると内藤およびL・I・Jに対する支持者が急増していった<ref>{{Cite web|和書|title=新日本プロレス・内藤哲也、デビューから9年は挫折の日々「勝ったらブーイングの嵐」 |url=https://nikkan-spa.jp/1840016 |website=日刊SPA! |date=2022-07-11 |access-date=2023-03-25 |language=ja |last=週刊SPA!編集部}}</ref>
*[[飯伏幸太]]、[[鷹木信悟]]、[[東京スポーツ]]岡本記者らと共に昭和57年会を結成している。メンバーには[[石森太二]]、[[岡林裕二]]、[[宮本裕向]]、[[KAZMA SAKAMOTO]]らがいる。
*[[飯伏幸太]]、[[鷹木信悟]]、[[東京スポーツ]]岡本記者らと共に昭和57年会を結成している。メンバーには[[石森太二]]、[[岡林裕二]]、[[宮本裕向]]、[[KAZMA SAKAMOTO]]らがいる。
*忘れ物が多いことで知られ、2008年10月にNO LIMITとして初めてジュニアタッグ王者になって僅か5日後の埼玉久喜大会(G1 TAG LEAGUE公式戦)ではチャンピオンベルトを忘れ、更にその2週間後の後楽園大会ではコスチューム一式を忘れ、ヤングライオンから借りた黒のショートタイツで試合を行った。試合後のバックステージでもパートナーの裕二郎にそのことを突っ込まれている。
*ゴルフがあまり好きではなく、父はブリヂストンを定年退職する際にゴルフセットをくれたが、2017年の時点では1回打ちっぱなしに行った程度である<ref name="chichi"/>。
*ゴルフがあまり好きではなく、父はブリヂストンを定年退職する際にゴルフセットをくれたが、2017年の時点では1回打ちっぱなしに行った程度である<ref name="chichi" />。
*父は会社員時代に営業トークとしてしばしばプロレスラーの内藤の話題を持ち出していた<ref name="chichi"/>。
*父は会社員時代に営業トークとしてしばしばプロレスラーの内藤の話題を持ち出していた<ref name="chichi" />。父も大のプロレスファンであり、退職後は地方も含めほぼ全ての新日本の興行を観戦するほど。
*定期的にファミレスへ東京スポーツ記者を呼びつけて不満をぶちまけている。そして相手に支払いさせ自らは居なくなるという記事が定例化されつつある。
*定期的に[[ファミリーレストラン|ファミレス]]へ東京スポーツ記者を呼びつけて不満をぶちまけている(通称『ファミレス招集』)。そして不満をぶちまけた後、何らかの理由をつけて席を外し、そのままいなくなり相手に支払いさせるという記事が定例化されつつある<ref>{{Cite web|和書|title=プロレスラー内藤哲也のファミレスマッチ【制御不能】 |url=https://www.village-v.co.jp/news/media/10324 |website=www.village-v.co.jp |access-date=2023-03-25 |language=ja}}</ref>。[[SANADA]]など内藤以外のL・I・Jのメンバーも同様の行動を行っていることがある。また、2019年には広島東洋カープの[[九里亜蓮]]と共に東スポの記者を広島まで呼びつけた<ref>{{Cite web|和書|title=「プロレス界一の鯉党」内藤 広島・九里と“聖地”ファミレス対談 |url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/115414 |website=東スポWEB |date=2019-01-03 |access-date=2023-03-25 |language=ja}}</ref>。
*旅先での観光には興味が無く、高校時代の1999年10月に新日の札幌大会として行われた[[蝶野正洋]]&[[AKIRA (プロレスラー)|AKIRA]]&[[大仁田厚]]vs[[武藤敬司]]&[[天山広吉]]&[[ヒロ斉藤]]の6人タッグマッチを観戦した際に行った札幌に行ったからこその行動は、札幌の[[ラーメン]]を食べて[[コンサドーレ札幌]]の上下ユニフォームと靴下を購入した程度<ref>『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 pp.44-45</ref>。
*[[トイ・ストーリー]]シリーズの大ファンであることをブログなどで公言している。
*旅先での観光には興味が無く、高校時代の1999年7月、札幌中島体育センターにて行われた新日本の6人タッグマッチ[[蝶野正洋]]&[[AKIRA (プロレスラー)|AKIRA]]&[[大仁田厚]]vs[[武藤敬司]]&[[天山広吉]]&[[ヒロ斉藤]]を観戦した際の内藤の行動は、札幌名物の[[ラーメン]]を食べて[[コンサドーレ札幌]]の上下ユニフォームと靴下を購入した程度<ref>『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 pp.44-45</ref>。
*プロレスラーらしからぬ少食かつ偏食家であり、本人も「一度気に入ったものをとことん食べる」<ref> https://sp.njpw.jp/307853</ref>と語っている。「食べたことないものを口にするのに抵抗があるので知っているものを食べたい」という理由から海外興行の際にはどこへ行くにしても[[サブウェイ]]を探し、3食利用することも普通にあったという。


== 出演 ==
== 出演 ==
<!--バラエティ・情報番組は準レギュラー以上のみ記載して下さい-->
<!--バラエティ・情報番組は準レギュラー以上のみ記載して下さい-->
=== ドキュメンタリー ===
*[[プロフェッショナル 仕事の流儀]](2018年11月19日 [[NHK]])

=== バラエティ ===
*[[めちゃ×2イケてるッ!]](2007年2月24日 [[フジテレビジョン]])

=== TVドラマ ===
=== TVドラマ ===
* [[ファイヤーレオン]] 第3話、第4話、第6話、第20話(2013年、[[TOKYO MX TV]])内藤哲也(本人)役
* [[ファイヤーレオン]] 第3話、第4話、第6話、第20話(2013年、[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX TV]])内藤哲也(本人)役
* [[日曜劇場]][[99.9 -刑事専門弁護士-|99.9刑事専門弁護士]]SEASON2第6話ゲスト(2018年、[[TBSテレビ|TBS]])内藤哲也(本人)
* [[日曜劇場]][[99.9-刑事専門弁護士-]] SEASON2 第6話ゲスト(2018年、[[TBSテレビ|TBS]]内藤哲也本人


=== ラジオ ===
=== ラジオ ===
*[[シティエフエム静岡|FM‐Hi]]のゆうラジRadio Soulに月一で出演。ゆるラジ・ゆるテレで活動中。
*[[シティエフエム静岡|FM‐Hi]]のゆうラジRadio Soulに月一で出演。ゆるラジ・ゆるテレで活動中。
*[[オールナイトニッポンX]] 週替わりで出演


=== ゲーム ===
=== ゲーム ===
*「[[龍が如く6 命の詩。]]」(2016年12月8日、[[セガゲームス|セガ]]) - JUSTIS六狂人・内藤哲也 役<ref>{{cite web|url=http://www.gamer.ne.jp/news/201611220010/|title=【セガフェス】「桐生会」を最強の組織に!大人数バトル&組織育成がアツい「龍が如く6」の「クランクリエイター」ゲームプレイが初公開|accessdate=2016年12月15日|date=2016年11月22日|publisher=Gamer}}</ref>
*「[[龍が如く6 命の詩。]]」(2016年12月8日、[[セガ]] - JUSTIS六狂人・内藤哲也 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gamer.ne.jp/news/201611220010/|title=【セガフェス】「桐生会」を最強の組織に!大人数バトル&組織育成がアツい「龍が如く6」の「クランクリエイター」ゲームプレイが初公開|accessdate=2016年12月15日|date=2016年11月22日|publisher=Gamer}}</ref>


=== 映画 ===
=== 映画 ===
* [[パパはわるものチャンピオン]](2018年9月、ショウゲート)- もんじゃ屋の客 役<ref>{{Cite news|title=パパはわるものチャンピオン : 作品情報 - 映画.com|url=https://eiga.com/movie/87659/|accessdate=2018-07-06|language=ja-JP|work=映画.com}}</ref>
* [[パパはわるものチャンピオン]](2018年9月、ショウゲート)- もんじゃ屋の客 役<ref>{{Cite news|title=パパはわるものチャンピオン : 作品情報 - 映画.com|url=https://eiga.com/movie/87659/|accessdate=2018-07-06|language=ja-JP|work=映画.com}}</ref>


==書籍==
=== CM ===
*新日本プロレスブック ランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1 (2018年7月15日 発売
* 新日本プロレスオフィシャルマホサイ内藤哲也ファミレス編


== 関連項目 ==
== 著書 ==
* 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 1』(2018年7月15日、[[イースト・プレス]]){{ISBN2|978-4-7816-1687-2}}
* [[ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン]]
* 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 2』(2019年6月16日、イースト・プレス){{ISBN2|978-4-7816-1795-4}}
* [[NO LIMIT (プロレス)|NO LIMIT]]
* 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 3』(2020年8月19日、イースト・プレス){{ISBN2|978-4-7816-1910-1}}
* 『手のひら返しdeあっせんなよ 内藤哲也のホンネ録』(2019年12月11日 ベースボール・マガジン社){{ISBN2|978-4-583-11259-6}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン]]
* [[NO LIMIT (プロレス)|NO LIMIT]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tetsuya Naitō}}
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* [https://www.njpw.co.jp/profile/708 新日本プロレス 公式プロフィール]
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* [http://ameblo.jp/naito-tetsuya/ 内藤哲也のSTARDAST-ALK] Ameba オフィシャルブログ
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2024年12月8日 (日) 09:10時点における最新版

内藤 哲也
Tetsuya Naito
内藤 哲也 Tetsuya Naitoの画像
プロフィール
リングネーム 内藤 哲也
本名 内藤 哲也
ニックネーム 制御不能なカリスマ
制御不能な男
スターダスト☆ジーニアス
身長 180cm[1]
体重 102kg[1]
誕生日 (1982-06-22) 1982年6月22日(42歳)[1]
出身地 東京都足立区[1]
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 サッカー
野球
トレーナー アニマル浜口
天山広吉
中邑真輔
山本小鉄
飯塚高史
デビュー 2006年5月27日[1]
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内藤 哲也(ないとう てつや、1982年6月22日 - )は、日本男性プロレスラー東京都足立区出身。血液型AB型。新日本プロレス所属。

来歴

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少年時代

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学校は中学時代は東京都足立区立東島根中学校、高校時代は東京都立足立東高等学校に通っていた。内藤も、父親の影響で小さい頃から自然とプロレスを見るようになり、学校の教室ではプロレスごっこで遊んでいたという[2]。放任主義的な家庭に育ったが「人との約束は守れ」ということだけはよく言われ、学校の宿題を怠った時に父から「宿題っていうのは先生との約束だろ?」と叱られた[3]。しかしあくまで約束にうるさいだけで、勉強しろとは言われなかった。内藤は小学1年から中学3年まで父がコーチを行っていた少年野球のチームに在籍し、内藤が小学5年生でキャプテンになる頃から内藤を手伝っていたが、周りから息子を依怙贔屓していると言われないように内藤の父はチームで練習している時には敢えてあまり指導しなかった[3]。幼稚園の年中から高校3年まではサッカーを経験。中学時代は野球とサッカーを掛け持ちしながら両方ともキャプテンを務めていた[4]

プロレス初観戦は5歳の頃であり、幼稚園児の頃から1人で電車に乗れた内藤は、仕事帰りの父と会場の最寄駅で待ち合わせてプロレス観戦に行ったという。内藤の父はジッと見ているだけであったが、プロレスへの熱い思いは持っており、たまに「初代タイガーが活躍していた頃は…」というようなことを語っていた。それと内藤に対して父はアントニオ猪木をさん付けで呼ぶように教えた[3]

プロレスファン歴が長い内藤だったが、実際にプロレスファンというよりも新日本プロレスファンであった。父親から見せられていた団体が新日本だったこともあるが、その後いくつになっても新日本以外の団体に興味を持つことはなかったという[† 1]。プロレス初観戦も新日本だった内藤は、初めて自分でチケットを買って見に行った1997年6月5日の日本武道館大会にて、「これがお客さんの前でできてお金もらえるなんて、こんないいものはない」と思い、プロレスラーになることを決意した[† 2][5]

高校3年の夏に最後の大会を終えてサッカー部を引退した後、2000年9月にアニマル浜口トレーニングジムに通い始める。内藤もプロレスラー志望者のためのプロコースを選択してトレーニングを開始し、高校卒業後もアルバイトをしながらジムに通い続け、スパーリング技術を身につけていった。「そろそろ新日本の入門テストを受けよう」と思い始めた矢先、内藤は2002年にジムでのスパーリング中に右膝前十字靭帯断裂、全治9か月の重傷を負い、同年の入門テスト受験を断念する[6]2003年は負傷した膝のリハビリ中のため、2004年ベンチプレスで肩を負傷のためと3年連続で受験のチャンスを逃したが、2005年11月3日、後楽園ホールにて行われた入門テストにようやく参加[7]。自分でも合格への手応えをハッキリ感じた内藤はテストに合格を果たし、12月1日に新日本に入寮した[8]

新日本プロレス

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2006年

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野毛道場での練習を順調にこなした内藤は、入門から半年後の2006年5月27日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会にてリキプロ宇和野貴史を相手にデビューを飾る[8]。入門テストでずば抜けた成績があったとはいえ、アマチュアで特に大きな実績があっての入団ではない一若手のデビューとしては、かなりのスピードだったが、試合は逆エビ固めに敗れる[9]。試合後のバックステージでは「試合前はすごい緊張したけど、リングに上がったら緊張はなくなって、すごく居心地のいい場所でした」とコメントを残している[9]。後に内藤はデビュー戦について、試合内容は覚えていないが、スポットライトを浴びて自分がリングから四方を見渡す状況に快感を覚え、その気持ちよさが印象的だったと振り返っている[10]。デビュー当初より周囲から動きの良さやプロレスセンスを高く評価された内藤は、9月のシリーズにて「試練の5番勝負」が行われ、獣神サンダー・ライガー邪道外道金本浩二らとそれぞれシングルマッチで対戦(結果は5戦全敗)[9]。5番勝負での経験を生かした内藤はその後、10月29日の神戸ワールド記念ホール大会で平澤光秀からプロ初勝利を収めた[9]

2007年

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2007年1月4日の東京ドーム大会にて、プロ初勝利を挙げた試合がワールドプロレスリング主催の2006ヤングライオンベストバウト賞を受賞し、対戦相手の平澤と共に表彰。試合に出場こそしなかったが、内藤にとっては初めてドームのリングに足を踏み入れた日となった[11]。6月1日、出場予定だった邪道の負傷欠場を受けて、BEST OF THE SUPER Jr.に急遽エントリーし初出場を果たす。同日の開幕戦で外道からジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールドで金星を挙げ、さらにリーグ戦ではエル・サムライからも勝利を収め、2勝をマークした[11]。10月8日のEXPLOSION'07では、IWGPジュニアヘビー級王座の次期挑戦者を決めるニュージャパンランボーに出場。最後の二人まで生き残ったが、最後は金本に敗れた[11]。この頃より新日ジュニア戦線で徐々に頭角を現し始めるようになり、また同月20日の山口大会では6人タッグマッチながら、かつて大ファンであった棚橋弘至との初対決が実現した[11]

2008年

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2008年2月、それまでタッグを組む機会の多かった裕次郎(現:高橋裕二郎)とタッグチームNO LIMITを結成し、それに伴いコスチュームも赤を基調としたショートタイツに変更した。4月13日の後楽園ホール大会にて、ライガー & AKIRA組が保持するIWGPジュニアタッグ王座に初挑戦[12]。王座奪取とはならなかったがチームとしてジュニアの最前線で通用することを証明した[12]。NO LIMITとして新風を吹かす中、新日本がZERO1-MAX(現:ZERO1)との対抗戦を本格化させたことから、内藤も対抗戦に出陣し3月2日の後楽園大会でZERO1に参戦。スターダスト・プレスを初公開して敵地で勝利を収めた[12]。さらに4月5日には棚橋のパートナーとして全日本プロレスに参戦し、諏訪魔 & 征矢学組から勝利を収めた[12]。9月6日にはプロレスリング・ノアが主催する日本武道館大会を高橋と共に観戦した。場内でアクションこそ起こさなかったが、試合後の会場外でGHCジュニアタッグ王座を保持する金丸義信 & 鈴木鼓太郎組に対して宣戦布告を行い、同月27日に同王座に挑戦したが王座奪取はならなかった[12]

10月13日、DESTRUCTION'08にて & プリンス・デヴィット組から勝利を収め、高橋と共にIWGPジュニアタッグ王座を奪取[12]。ジュニアタッグ王者組としてG1 TAG LEAGUEにも初出場を果たし、12月7日の大阪府立体育会館大会では邪道 & 外道組を相手にジュニアタッグ王座の初防衛に成功した。12月22日後楽園大会では棚橋と初めてシングルマッチで対戦しテキサスクローバーホールドに敗れる[12]

2009年

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2009年1月4日、レッスルキングダムIIIにてモーターシティ・マシンガンズアレックス・シェリー & クリス・セイビン)を相手にジュニアタッグ王座2度目の防衛戦を行ったが、敗戦し王座から陥落[13]。その後、2月15日両国大会でのジュニアタッグ王座の挑戦権を賭けた4WAYタッグマッチを制し、マシンガンズを追って高橋と共にTNAに参戦。タイトル奪還を望み、現地でマシンガンズを相手に2度挑戦するも奪取には至らなかった[13]。結局、ジュニアタッグ王座は日本でApollo 55田口隆祐 & プリンス・デヴィット)が奪取したため、TNAに参戦する理由がなくなったNO LIMITは、遠征先をメキシコCMLLへと移し、5月29日に高橋、ドス・カラス・ジュニアとのトリオでCMLLに初登場を果たす。スターダストプレスで勝利を収めると、対戦相手のエクトール・ガルサを担架送りにしたことで現地のファンに衝撃を与えた[13]。さらに7月31日に行われたインフィエルノ・エン・エル・リングに出場。最後にリング上で取り残されたトスカーノと一騎打ちとなり、ドラゴン・スープレックス・ホールドで勝利する。日本人としてはサトル・サヤマ以来30年ぶりの快挙となるアレナ・メヒコでの髪切りマッチでの勝利を収めたことで、メキシコでの地位を確固たるものとした[13]。12月4日アレナ・メヒコにて、高橋と共にロス・イホス・デル・アベルノ(エル・テリブレ & テハノ・ジュニア)と髪切りマッチとして対戦したが、敗れてしまい坊主姿となった[13]

12月18日に高橋と共に凱旋。翌年の東京ドーム大会にてIWGPタッグ王座への挑戦が決定し、12月23日後楽園大会にて凱旋試合を前にリング上で挨拶した[13]

2010年

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2010年1月4日、レッスルキングダムIVにてNO LIMITとして凱旋試合を行い、IWGPタッグ王者組のチーム3Dブラザー・レイ & ブラザー・ディーボン)、挑戦者組のバッド・インテンションズジャイアント・バーナード & カール・アンダーソン)を交えた3WAYマッチに出場。アンダーソンから勝利を収め、IWGPタッグ王座を奪取した[14]。3月に開催されたNEW JAPAN CUP(以下「NJC」)で2回戦で棚橋と二度目のシングルマッチを行った内藤は、棚橋の膝を破壊してスターダストプレスで棚橋から初勝利を収めた[14]。凱旋帰国後は本隊の一員として活動していたが、4月4日後楽園大会で高橋と共にCHAOSへと寝返り、ヒールとして活動を開始する[14]

NO LIMITとしてはヘビー級タッグ戦線の中心で活動し、バッドインテンションズや青義軍永田裕志 & 井上亘)との三つ巴抗争に明け暮れる。5月3日、レスリングどんたくにて青義軍に同王座を明け渡したが、その後も同じ面子でイリミネーション式3WAYルールや巴戦のタイトルマッチで抗争を展開[14]。同年のG1タッグリーグではNO LIMITとして決勝進出を果たすも、青義軍に敗れて準優勝となった[14]

一方で、シングル戦線ではCHAOSに加入したことで棚橋と敵対関係になり、年内で4回もシングルマッチで対戦。最終的に1勝2敗1分と負け越してしまった[14]

2011年

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前年で棚橋とのシングル4戦で個人としての実力を証明した内藤は、2011年1月4日のレッスルキングダムVにてTNA世界ヘビー級王座を保持するジェフ・ハーディーと対戦したが、不本意な試合内容の末に敗れる[15]。2月には後藤洋央紀との抗争で敗れ、3月のNJCでは1回戦で田中将斗に敗れてしまい、上半期はいまひとつ波に乗れずに苦しむこととなる。タッグ戦線においては、5月3日のレスリングどんたく 2011にて久々にNO LIMITとしてIWGPタッグ王座に挑戦するもピンフォール負けを喫し、試合後に高橋と不協和音が生じた[15]。そして同月26日後楽園大会の試合中にパートナーの高橋と田中に裏切られた内藤は、試合後に入ってきた邪道、外道にも袋叩きに遭いCHAOSから追放され、NO LIMITも解散となった[15]

行き場を失った内藤はなんとなく本隊に復帰し、6月18日、DOMINION6.18にて高橋とシングルマッチで報復を狙うも敗北。その後、メキシコ遠征を経て8月のG1 CLIMAXに2年連続で出場。開幕戦でまたしても高橋に敗れ、3連敗スタートと躓くもなんとか巻き返し、最終リーグ戦で棚橋から勝利を収めるとAブロックを1位で通過。決勝戦で中邑真輔と対戦したが敗北を喫して準優勝止まりに終わり、試合後に涙を浮かべながら退場した[15]

9月19日、神戸大会で未だにシングル戦において未勝利の高橋と対戦しスターダストプレスで初勝利を収めると、メインイベント終了後に棚橋の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦をアピール。10月10日、DESTRUCTION'11にてIWGPヘビー級王座に初挑戦。王座奪取とはならずも棚橋から健闘を讃えられ、試合後にはG1決勝戦に続き涙を流した[15]。11月12日、POWER STRUGGLEにてMVPとのタッグで中邑 & 高橋組と対戦。内藤も執拗なまでに中邑に突っかかると、試合後にも中邑に襲い掛かって大乱闘となり遺恨が勃発。12月4日、愛知大会で中邑とのシングルマッチが行われたがボマイェで敗れた[15]

2012年

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2012年1月4日、レッスルキングダムVIのセミファイナルに登場し、内藤がファン時代に憧れた選手の一人である武藤敬司と対戦した。しかし持ち味を発揮できず、最後は武藤のムーンサルトプレスに敗れたが試合後のコメントで内藤は、「武藤がすごいのは幻想」と言い切り、今年の目標を「武藤ができた、棚橋もできた、29歳でのIWGPヘビー級ベルト(戴冠)」と掲げた[16]。2月12日、THE NEW BEGINNINGにて昨年より抗争を繰り広げた中邑からシングル初勝利を収めると、棚橋を打ち破りIWGPヘビー級王座に戴冠したオカダ・カズチカの前に姿を現し同王座へ挑戦を表明。3月4日後楽園大会で、内藤は新日本プロレス創立40周年記念興行と銘打たれた興行のメインイベントにてオカダと対戦したが、レインメーカーに敗れる[16]。その後も内藤は年頭に掲げた「20代でのIWGP王座戴冠」を目指すため、次期挑戦者の棚橋を差し置いてIWGP王者のオカダに喰らいかかり、挑戦権の強奪を企てるも未遂に終わった[16]

8月7日、仙台サンプラザホール大会にてG1公式リーグ戦のルーシュ戦でジャーマン・スープレックスを着地した際に古傷の右膝靭帯を痛めてしまい、試合に敗れた内藤は担架で運ばれた[16]。右膝を負傷してからも試合には出場し続けたが本調子には程遠く、10月8日、KING OF PRO-WRESTLINGにて対戦した高橋にレフェリーストップ負けを喫すると、試合後に高橋から右膝を椅子で殴打され戦線離脱し長期欠場となった[16]

11月15日、SHIBUYA-AXにて自ら提唱したNEVER無差別級王座の初代王者決定トーナメントが開催され、欠場中の内藤はリング上からの挨拶だけで留まった[16]

2013年

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古傷である右膝前十字靭帯断裂の手術の影響で、2013年上半期はほとんど表舞台に出ることもなくリハビリとトレーニングに費やす。5月3日のレスリングどんたく 2013にて久々に公の場に姿を現し、リング上から復帰戦決定の挨拶をした[17]。6月22日、DOMINION6.22にて因縁深い裕二郎を相手に復帰戦を行い、翼をイメージしたハーフマスクを着用して入場。スターダストプレスで快勝を収めると、自ら提唱し創設されたNEVER無差別級王座を保持する田中将斗に対して「まずは、NEVER」と宣戦布告を行った[17]。この発言に対して田中は「(NEVERは)『まずは』で獲れるベルトなのか!?」と内藤の表現方法に怒りを露わにし、7月20日のKIZUNA ROAD 2013最終戦にてNEVER王座を賭けたタイトルマッチで対戦。スライディングDに敗れ王座奪取とはならなかった[17]

8月には4年連続でG1に出場し、Bブロック1位で通過。11日に決勝戦の舞台で棚橋と激突。この試合に勝利すると悲願の初優勝を果たし、前年より制度化された東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利書を獲得した[17]。G1優勝を経て9月29日、DESTRUCTIONにて田中の保持するNEVER王座に再挑戦するとスターダストプレスで勝利を収めて同王座を奪取。その後、KING OF PRO-WRESTLINGでは裕二郎を相手に初防衛に成功し、POWER STRUGGLEでは前王者である田中のリマッチも退け、IWGPヘビー級王座を保持するオカダの前に姿を現し翌年東京ドーム大会での同王座への挑戦を改めて表明した[17]

11月11日、レッスルキングダム8 in 東京ドームの記者会見にて、オカダvs内藤のIWGPヘビー級王座戦と、中邑vs棚橋のIWGPインターコンチネンタル王座(以下「IC王座」)戦のどちらをドームのメインで見たいかファン投票が行われた結果敗れてしまい、ドーム大会メインイベントの座を逃した[17]

2014年

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前年のファン投票の結果、レッスルキングダム8のダブルメインイベント第1試合に登場し、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。実質セミファイナルに降格という屈辱の中30分超の熱戦の末、最後はオカダのレインメーカーに敗れた[18]。IWGP王座奪取に失敗した内藤はここから失速することとなり、2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAでは観衆から大ブーイングを浴びせられる中、石井智宏に敗れてNEVER王座も陥落。3月15日のNJC1回戦で石井に雪辱を果たしてリマッチへの道を作り、4月6日にINVASION ATTACK 2014にて石井のNEVER王座に挑戦したが敗北した[18]。その後のビッグマッチではタイトル戦線に全く絡めず、目的意識を失いかけた中でG1に出場。最終戦を待たずして予選落ちとなるものの、公式リーグ戦で今大会G1優勝者のオカダ、IWGPヘビー級王者のAJスタイルズから勝利を収めたことで、下半期への闘いに向けて可能性を残すことに成功[18]

9月23日、DESTRUCTION in OKAYAMAにて、棚橋と共にAJ & ドク・ギャローズ組とタッグマッチで激突しギャローズから勝利を収めたが、試合後にAJがIWGP王座次期挑戦者に棚橋を選んだことで自らの挑戦権を奪い取られてしまった[18]。10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGにてIWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持するオカダと権利証を巡って対戦したが、敗れてしまいG1でのリベンジを許した[18]。その後はIWGP王座から陥落したAJと抗争を繰り広げ、翌年東京ドーム大会へのシングルマッチを迫った[18]

2015年

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前年から始まったAJとの抗争に終止符を打つため、レッスルキングダム9にてAJとシングルマッチで対戦したが、雪崩式スタイルズクラッシュに敗れてG1での雪辱を許した[19]。2月のTHE NEW BEGINNING in OSAKAではノーテーマの6人タッグマッチに出場したが、前年に引き続きブーイングの嵐に見舞われる事態に発展し、3月のNJCでも準決勝で飯伏幸太に敗れベスト4に止まり精彩を欠いた[19]

5月23日、約4年ぶりにメキシコのCMLLに遠征。ここでなにかを持ち帰らなかったら浮上の目はないと覚悟した内藤は、現地で親交のあるラ・ソンブラルーシュらが立ち上げたユニット、ロス・インゴベルナブレスLos Ingobernables)に加入する[19][20]。6月26日に凱旋すると、入場時にロス・インゴベルナブレスのキャップTシャツを着用しながら入場するようになり、タッグマッチでは本隊勢と組みながらも連携を成立させず不穏な行動を起こし、試合もふてぶてしい表情を浮かべながら、のらりくらりとしたスタイルに変化していった[19]

また、この頃からレフェリー陣への暴行が過激化(特にレッドシューズ海野には試合後に低空ドロップキックを行う)

7月に開幕したG1では予選落ちに終わるも、ロス・インゴベルナブレスの正装ともいえる黒のスーツと銀色マスクを着用し時間を掛けての入場や、試合では今までと違う間合いで対戦相手を翻弄するなどインパクトを残す[19]。その中で柴田勝頼との遺恨が生まれ、G1閉幕後も抗争が激化。9月27日、DESTRUCTION in KOBEにて柴田とシングルマッチで対戦し勝利を収めると、東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利証を保持する棚橋から次期挑戦者として指名を受けた。これに対して内藤は「結局この会社は棚橋が言ったことが正しいんだろ?」と吐き捨てた上で棚橋の要求を受諾し、権利証に挑戦する大会にて「パレハ」(スペイン語で「仲間」の意)の投入を予告した[21][22]。10月12日、KING OF PRO-WRESTLINGにてIWGP王座挑戦権利書争奪戦として棚橋と対戦。試合終盤にパレハとして引き連れてきたEVILと共に棚橋を痛めつけたが、最後は棚橋のハイフライフローに敗れる[23]

L・I・Jのリーダー的存在として活動する内藤(左)。

11月、EVILとのタッグでWORLD TAG LEAGUE(以下「WTL」)に出場し、Bブロックにエントリー[24]。21日開幕戦の後楽園大会にて、新たに長期欠場中のBUSHIをロス・インゴベルナブレスに引き入れると、翌22日豊橋大会にて本家との差別化を図るため、EVIL、BUSHIらと共に、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンLos Ingobernables de Japón、略称 : L・I・J)として正式にユニット化[19]。公式リーグ戦では5勝1敗という成績を収め、Bブロック1位で決勝に進出するも、決勝戦でG・B・H真壁刀義 & 本間朋晃)に敗れ準優勝に終わった[19]

2016年

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年頭より中邑、AJら主力選手が相次いで新日本プロレスからWWEに移籍したことにより、ここ数年で固定化されていたトップ戦線の面子が変化することになる。前年下半期よりL・I・Jを結成して勢いに乗る内藤は、その間隙へ上手く入り込み、時流を味方につけることに成功する。

2月、3月のNEW JAPAN CUPでは後藤を破り初優勝を飾ると、「お前変わったのはコスチュームだけじゃないのか?」と滝に打たれ白コスチュームの後藤をこき下ろし、挑戦者権利証を手にしたにもかかわらず、マイクアピールで、「両国でIWGP挑戦?勝手に決めんじゃねーよ! 俺は俺のタイミングで、俺が望む形で挑戦する」と言うと、オカダがリング上でマイクアピールで「内藤さん、ビービってんじゃねえよ? 挑戦しないのか?」と挑発、それを受けて内藤「オカダ、そんなに俺に挑戦してほしいのか? そんなに俺にかまってほしいのか? だったら遊んでやるよ」と、挑戦を受託。「オカダがお願いするから、チャンピオンがお願いするからさ、仕方がないから挑戦してやるよ、本当は大阪でやりたかったけどさ、会社は俺なんかの言うことを聞いてくれないからさ」と、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦をしてやると上から目線で表明を受け入れた。

4月10日のINVASION ATTACK 2016にて試合中突如乱入したSANADAのアシストを受けてオカダから勝利を収め、4度目の挑戦にしてIWGP王座初戴冠を果たした[25]。ファン時代から憧れたベルトをついに自分のモノにしたが、「内藤哲也の存在はベルトの価値を超えてしまった」との解釈からベルトを腰に巻かず、それどころか宙高く放り投げる暴挙に出て、ベルトに対して何の感慨もないことを示した[25]。同日よりL・I・Jの新メンバーとしてSANADAを引き入れた内藤はオカダ率いるCHAOSと抗争を開始。

5月3日のレスリングどんたく 2016にて石井の挑戦を退けて初防衛に成功すると、

6月19日のDOMINION 6.19 in OSAKA-JO HALLにてオカダのリマッチを受けたが、レインメーカーに敗れ王座陥落[25]。しかし、戦前より挑発を続けてきた新日本のオーナーである木谷高明を会場に引っ張り出すことに成功させ、内藤は一躍新日本の中心に躍り出る格好となった。

その後も内藤の勢いは止まることなく、G1では最多メインを任されるようになった[25]。 優勝こそ逃すものの、公式リーグ戦でIWGPインターコンチネンタル王座を保持するマイケル・エルガンから勝利を収めたことで、G1最終戦の試合後にエルガンから「ナイトーにリスペクトを教えてやる」と次期挑戦者として指名を受ける。内藤はインターコンチネンタル王座に興味はないと断言した上で「ベルトから近寄ってきた」と挑戦を受諾し、

9月25日、DESTRUCTION in KOBEにてエルガンからIC王座を奪取[25]。初めてインターコンチのベルトを巻くと同時に、この時点で、内藤は新日本の3大主要シングル王座であるIWGPヘビー、インターコンチ、NEVERの3つのベルトを初めて全て巻いたこととなった。

11月5日のPOWER STRUGGLEにてジェイ・リーサルを破り初防衛に成功すると、直後に登場した棚橋がインターコンチネンタル王座挑戦に名乗りを上げ、「最後の晴れ舞台に」と棚橋の要求を受諾した[26]

11月18日に開催されたWTLではパートナーとして本家インゴベルナブレスの一員であるルーシュを引き連れ、WORLD TAG LEAGUE最終戦のセキスイハイムスーパーアリーナ大会で海外武者修行から帰国した高橋ヒロムをL・I・Jに勧誘するなど常に注目を集めた年となり、試合内容のみならずオーナーまで標的とした制御不能な発言でファンから圧倒的な支持を集めたことが評価され、東京スポーツ制定のプロレス大賞で最優秀選手賞を受賞した[27]

2017年

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L・I・J旋風を巻き起こし大ブレイクを果たした内藤は、レッスルキングダム11のセミファイナルにて棚橋と対戦。デスティーノを決めてインターコンチネンタル王座2度目の防衛に成功すると、名実ともに棚橋越えを果たした[28]

2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、マイケル・エルガンとのリターンマッチを受けた。変形、正調とデスティーノを連続で決めてインターコンチネンタル王座3度目の防衛に成功。試合後にNEW JAPAN CUP挑戦を表明するが、出場は認められなかった。

4月4日、高橋ヒロムとのタッグでジュース・KUSHIDAに勝利した直後、インターコンチネンタル王座次期挑戦者としてタイガーマスクWを逆指名。しかし、これも実際に対戦が組まれることはなかった。

4月29日のレスリング豊の国2017大分大会にてジュース・ロビンソンに勝利し、インターコンチネンタル王座4度目の防衛に成功。試合後、棚橋からの挑戦を受け、6月11日大阪大会でのV5戦が決定した。しかし、内藤は挑戦資格なしとしてこれを拒否している[29]

5月12日、新日本プロレスがIWGP USヘビー級王座新設を発表。また、5月18日にはIC王座次期挑戦者の棚橋が米国遠征中に負傷し、シリーズ全戦欠場を発表。内藤はこの二つに触れ、「王者としての要求は無視され、似た理念のベルトを新設される。じゃあこのタイトルはもう必要ないじゃん」「ゴリ押しで挑戦を決めたらもう本番まで無理はしなくていいってこと?」と猛反発[30]。5月18日の後楽園ホール大会でベルトを鉄柱に叩きつける暴挙に出た[31]。この日はベルトが多少歪む程度で済んだものの、5月21日の沼津大会で再びベルトを鉄柱に叩きつけ、破損させてしまった[32]

6月11日、DOMINION大阪城ホール大会にて棚橋弘至と対戦。テキサスクローバーホールドでギブアップ負けを喫し、王座防衛に失敗した。試合後、「IWGPインターコンチネンタル王座、または無いかな。」と、インターコンチネンタル王座戦線から身を引くともとれる発言を行った[33]

7月1日、G1 SPECIAL in USAにおける初代IWGP USヘビー級王座決定トーナメントの一回戦で石井智宏と対戦。垂直落下式ブレーンバスターで3カウントを奪われまさかの一回戦敗退を喫する。

7月17日〜8月11日のG1 CLIMAX 27 リーグ戦にAブロックで出場。7.17開幕戦の飯伏戦で年間ベストバウト級の死闘を演じ勝利を収めるなど勝ち星を重ね、同率1位で並んでいた棚橋とのブロック最終戦にも勝利。7勝2敗(14点)の成績で優勝決定戦進出を決めた。

8月13日、G1 CLIMAX 27 Bブロック1位のケニー・オメガを撃破し、4年ぶり2度目の優勝を果たした。直後の天龍源一郎のコラムでは「それはつまりオカダがいて、棚橋がいてという状況下で優勝した内藤というニュースターが押しも押されもせぬトップグループ入りを果たしたということだよね」「やっぱりメキシコに行ったことは無駄じゃなかったと思う」と絶賛されている。また「その場その場の雰囲気を読んで、ハプニングをインパクトに変える、それが新日本の手法じゃない。4年前(のG1優勝時)は反応が鈍かったというのは読めてなかったんだろうね」と分析している[34]

8月14日、G1優勝決定戦一夜明け会見に出席。IWGPヘビー級王座挑戦権利証の防衛戦について、「組まれるのであれば、俺は石井を指名しますよ。」としながらも、「『俺にやらせろ』という選手がいるなら、ハッキリ口に出すべきですよ。」と発言。挑戦表明を拒まない姿勢を示した[35]

その後のDESTRUCTIONシリーズでは、「名指しされたからオレはそれに対して『やってやる』って言ってるんだよ。」とする石井に対し、「石井がこの権利書を欲しいのか、欲しくないのか、そこが一番大事だからね。」「オレが石井の名前を出したから石井は挑戦する?石井、オマエ…俺の言いなりか!」と挑発するなど、舌戦を繰り広げた[36][37]

10月9日、KING OF PRO-WRESTLING両国大会にて石井智宏に勝利し、挑戦権利証の防衛に成功する。

2018年

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新日本プロレス最大級のビッグイベント、レッスルキングダム12にて初めてのメインイベンターを務める。これにより内藤の中学の頃の夢である『新日本プロレスの選手になる』『IWGPヘビー級王者になる』『東京ドームのメインイベントに立つ』という3つの夢を達成した。入場時には東京ドーム一体の大内藤コールで迎え入れられ、試合はオカダのレインメーカーの前に敗れたが、その後に新たな夢である『6大ドームツアー』をするという野望を打ち明けた。

1月23日、鈴木軍メンバーであるタイチTAKAみちのくが行った興行「タカタイチマニア」にてタイチのプロレスラーデビュー15周年記念の相手として内藤哲也VSタイチが後楽園ホールにて行われた。30分近くにも及ぶ死闘の最中、内藤が勝利を収め、バックステージにてタイチを賞賛し、ヘビー級転向へと薦めた。

2月2日、新日本プロレスとブシモによる重大発表記者会見にてブシロード社長の木谷高明、声優でプ女子の相羽あいな、そして内藤哲也の3人で行われた会見では木谷オーナーに地方大会の観戦を薦めた。

2月10日、YOSHI-HASHIとのスペシャルシングルマッチが組まれ、入場時にYOSHI-HASHIの襲撃に遭い、バタフライロック等で苦しめられるものの最後はデスティーノで破る。その後、退場途中の花道にて背後からタイチの襲撃に遭った。

2月25日、日曜劇場『99.9-刑事専門弁護士-』にて本人役として登場。そこでは同じユニット内の仲間であるBUSHIも登場した。尚、メニュー名は頭文字を横に読んでいくと「ロスインごベルナぶれス」となる。

3月6日、新日本プロレス46周年旗揚げ記念日シリーズにてヘビー級に転向したタイチと対戦、序盤は場外にてタイチのステップキックからパワーボムを喰らうものの終盤はレフェリーをTAKAみちのくにぶつけた内藤はタイチの持つマイクスタンドを後頭部にお見舞い、粉砕し最後はデスティーノで勝利。

3月10日、ニュージャパンカップ1回戦にてザック・セイバーJr.と対決、自身のデスティーノを切り返され最後はザックの新技である、オリエンテーリング・ウィズ・ナパームデスによりギブアップ負けを喫した。

4月1日の両国大会にて試合後マイクパフォーマンスでIWGPインターコンチネンタル王者である鈴木みのるを挑発し挑戦表明。4月29日の熊本大会にて同タイトル戦が決定。

4月27日の広島大会にて、鈴木軍との抗争の中メンバー全員が入場ゲートでそろうと銀の仮面を被った男を連れて入場。リングに上がるとリングアナウンサーに耳打ちをし広島東洋カープ背番号『58』ジェイ・ジャクソンの名を轟かせた。試合は内藤が金丸からデスティーノで勝利、またもマイクパフォーマンスでみのるを挑発した。バックステージでは、内藤がジェイ・ジャクソンを『俺とジャクソン、競技は違うかもしれない。いる場所も離れてるかもしれない。でも、我々は心でつながってるんでね。彼もLOS INGOBERNABLES de JAPONの一員ですよ。』と告げた。

4月29日、レスリング火の国2018でIWGPIC王者鈴木みのるに挑戦し、王座を手にした。

5月4日、レスリングどんたく福岡国際センター大会にて鈴木軍VSLOS INGOBERNABLES de JAPONの試合後に退場中の内藤に観客席からBUSHIのマスクを被った男から襲撃を遭う。そして、その男は1月5日に内藤を襲撃したクリス・ジェリコでありコードブレイカー、凶器攻撃により流血。後日の後楽園ホール大会にてクリス・ジェリコがビデオを通して内藤の保持するIC王座に挑戦表明するとそれを受諾。6月9日、大阪城ホール大会にて同タイトル戦が組まれた。

6月9日大阪城ホール大会(DOMINION)にてクリス・ジェリコと対戦。入場中からラフファイトに苦しめられ流血の上最後は急所蹴りからのコードブレイカーで敗れ王座陥落。試合後、ダウンしている内藤にジェリコは自身のコスチュームにつけていたベルトを腕にまくとムチ攻撃。そこへEVILが内藤を救出しジェリコをラリアットで蹴散らすと共に退場した。

7月10日 スポーツ雑誌Numberが4月11日から5月29日までの約1カ月半の間行った「Numberプロレス総選挙2018」で2017年に続き1位を獲得した。

8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』はBブロック予選を勝ち点12で1位となったが同点に飯伏、ケニー、ザックが並び、勝った相手の勝ち点の合計で一番勝る飯伏に決勝進出を譲る格好となった(いわゆるオポネント落ち)[38]

9月、熊本で行われたIWGPインターコンチネンタル選手権試合で内藤に敗れた鈴木みのるが内藤に標的を絞り、別府大会でノンタイトルのスペシャルシングルマッチが行われた。試合中盤、鈴木の関節技に苦しみ、30分もの死闘となるが、最後はデスティーノを決め勝利する。

10月、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンに新メンバーが加入することを発表。9日の両国大会で同級生かつ内藤と同じくアニマル浜口ジム出身の鷹木信悟が加入し、BUSHI、SANADAとのタッグでCHAOSと対戦する。その後、ザック・セイバーJr.に痛めつけられているEVILを救出し、NEW JAPAN CUP 、G1 CLIMAX 最終公式戦で負けたザックとシングルマッチを要求。

11月3日、大阪大会の第8試合でザック・セイバーJr.とのスペシャルシングルマッチが行われる。この試合で新技バレンティア(垂直落下式ノーザンライトボム)を初披露。そのままデスティーノを決めG1のリベンジに成功する。その次の試合でクリス・ジェリコに敗れたEVILを救出。IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦をアピールし、レッスルキングダム13でタイトルマッチが決定。

11月19日、NHK プロフェッショナル仕事の流儀 『少年の夢、リングの上へ』プロレスラー内藤哲也の特集として、テレビ出演した。

2019年

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1月4日のWRESTLE KINGDOM13で行われたIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合ではクリス・ジェリコと急遽ノーDQマッチで戦い、ラフファイトに苦しめられながらも最後は奪ったベルトをジェリコの顔面に叩き込んでからのデスティーノでフォール勝ち、王座に返り咲いた。

2月3日の札幌・北海道立総合体育センターで行われたタイチとのIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合では飯塚高史が入場中の内藤を襲撃。内藤は首を痛め腕の痺れに耐えながら試合を行い、途中に飯塚が試合へ乱入してイス攻撃を仕掛けるもこれを退け、最終的に21分31秒にデスティーノでフォール勝ち。試合後のマイクパフォーマンスで、タイチに一定の評価を与えつつ更なる奮起を促した[39]

3月10日、兵庫県尼崎市のベイコム総合体育館にて行われたNEW JAPAN CUP2019に出場。1月4日のWRESTLE KINGDOM13から欠場していた飯伏幸太と対決したが、20分38秒カミゴェからの体固めで敗れ2018年に続き1回戦で姿を消した。

4月6日(現地時間)、G1 SUPERCARDにおいてIWGPインターコンチネンタル王座をかけて飯伏幸太と対戦したが、20分53秒にカミゴェによってピンフォール負けを喫した。

4月20日、 愛知県体育館で行われたIWGPインターコンチネンタル王座選手権試合飯伏幸太対ザック・セイバーJr.の試合後にリングへ上がり、初防衛に成功した飯伏幸太に対し「IWGPインターコンチネンタル王座、次の挑戦者、俺が立候補するよ」と挑戦を表明した。

5月4日、福岡国際センターで行われたレスリングどんたく2019で内藤が「6月9日大阪城ホールでIWGPインターコンチネンタル王座をかけて闘おうよ。」と提案。これをうけた飯伏からは「6月9日、大阪城ホールでやりましょう。お願いしますよ。決まりましたから。やりましょう」と回答があり対決が決定した。

6月9日、大阪城ホールで行なわれたDOMINION6.9においてIWGPインターコンチネンタル王座をかけて飯伏幸太と対戦。22分06秒デスティーノからの体固めにて勝利し第22代チャンピオンになった。

6月27日、スポーツ雑誌Numberが発表したプロレス総選挙 THE FINALで棚橋弘至に逆転を許し3年連続1位にはならなかった。

7月、G1 CLIMAX 29にBブロックでエントリー。初戦で矢野通、2戦目でタイチに敗北。開幕2連敗を喫してしまうが、3戦目で後藤洋央紀、4戦目で石井智宏から勝利。2勝2敗に戻すが、ジョン・モクスリーに敗れ、3敗目を喫してしまう。だが、そこからジュース・ロビンソン鷹木信悟ジェフ・コブに勝利し、5勝3敗まで勝ち点を伸ばした。8月11日、最終戦でジェイ・ホワイトと対戦。勝てば優勝決定戦進出だったが、ブレードランナーを喰らってしまい。敗北。優勝決定戦進出とはならなかった。

8月下旬、SUPER J-CUP決勝戦でBUSHIと組んで、ジェイ・ホワイト&石森太二組と対戦。試合終了後、ジェイにブレードランナーでKOされ、自身が持つIWGPインターコンチネンタル王座に挑戦表明をされる。そして31日のイギリス大会でSANADAと組み、ジェイ・ホワイト、チェーズ・オーエンズ組と対戦。試合終了後、またしてもジェイに急襲されるも、延髄蹴りからのデスティーノで仕返しに成功。

9月、IWGPインターコンチネンタル王座次期挑戦者にジェイ・ホワイトが決定。シリーズを通して抗争が始まり、22日の神戸大会でタイトルマッチが決定。そして当日、王座を懸け対戦。内藤は最終局面でバレンティアを出そうとするも、ジェイが着地しそのままブレードランナーを喰らってしまい、29分47秒で決着。ジェイが勝利し、内藤は王座から陥落してしまう。

11月、大阪大会にてタイチとの5度目のシングルマッチが決定。掟破りのブラックメフィストからのデスティーノで勝利。G1の借りを返すことに成功。その後、IWGPインターコンチネンタル王座を防衛したジェイ・ホワイトの前に現れ、同王座に挑戦。 これにより東京ドーム2連戦初日の1月4日にジェイとのタイトルマッチが決定した。

2020年

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1月4日、東京ドームで行われたレッスルキングダム14の1日目に、ジェイ・ホワイトを破りIWGPインターコンチネンタル王座に返り咲く。続く1月5日の2日目、前日飯伏幸太を下してIWGPヘビー級王座を防衛したオカダ・カズチカとの二冠戦において、終盤にレインメーカーをカウンター式デスティーノで返してから、2年ぶりにスターダスト・プレスを繰り出す。その後バレンティアからの正調デスティーノを決め勝利。IWGPインターコンチネンタル王座を初防衛し、並びにIWGPヘビー級王座を奪取。前々から発言していた、史上初のIWGP二冠を達成した。しかしその後、同じように前々から発言していた「東京ドームでの大合唱」をする直前、KENTAが乱入し妨害。Go 2 sleepを喰らいKOされ、大合唱は阻止された。

2月9日、ダブルタイトルマッチという形で、KENTAと大阪城ホールで防衛戦を行った。だらだらと時間を稼がれたり、ジェイ・ホワイトの介入などもあったが、高橋ヒロムがジェイを排除し窮地を免れる。 go2sleepを切り返してのデスティーノで流れを掴むも、金具が剥き出しのコーナーに振られて額から流血。顔面を血染めにしながらも最後はバレンティアからのデスティーノでKENTAを葬り、二冠を防衛した。 試合後は締めのマイクで旗揚げ記念興行で愛弟子・ヒロムとのシングルマッチでの対戦を誓った。しかし、新型コロナウイルス禍で旗揚げ記念大会を含む興行が中止となり、3月4日に本来3日の旗揚げ記念大会で対戦するはずだったヒロムとトークショーを行った。

6月15日、新型コロナウイルス禍による興行休止から110日ぶりの再開となった無観客試合「Together ProjectSpecial」のメインイベントにて新技エスペランサを披露し、再開後一発目で白星を獲得した。

7月12日、BULLET CLUBに寝返ったEVILがNJC覇者として内藤の2冠に挑戦。終盤にてBUSHIのマスクを被ったディック東郷による乱入もあり、最後はEVILを喰らい王座陥落となってしまった。 7月25日、内藤の仇を討つために同門の高橋ヒロムが2冠王者EVILに挑むも敗北。直後に内藤はリングに登壇。「最近よく正義って言葉を使ってるようだけど、正義って言ってみたり、ダークネスって言ってみたり、もしかしてEVIL、迷ってるの?そんなEVILに2本のベルトは荷が重た過ぎるだろ? ベルトのレンタル期間は終了だ。その2本のベルト、そろそろ返してもらおうか?」とリマッチを要求した。この結果、8月29日に21年ぶりに開催される明治神宮野球場大会にて内藤の挑戦が決定した。

8月29日、21年ぶりの明治神宮野球場大会のメインイベントでダブルタイトルに挑戦。中盤でディック東郷、外道の乱入があったが、BUSHIとSANADAが蹴散らし、1vs1にしたところでジャンピングエルボー、エスペランサ、バレンティアと得意技を出していき、最後はデスティーノを喰らわせて勝利。落とした2つのタイトルの奪取に成功した。

10月、G1 CLIMAX30に自身では初のIWGPヘビー級王者として出場した。SANADAとの同門対決、元パレハのEVIL、最終日にKENTAの3人負け、勝ち点12でSANADA、EVILに並ぶもオポネントにより落選した。

11月7日、POWER STRUGGLE IN大阪にてIWGPヘビー級王座・IWGPインターコンチネンタル王座を同王座ともにEVILとの防衛に挑んだ。ディック東郷、SANADA、ジェイ・ホワイト、飯伏幸太が次々に乱入してくる中、辛くも初防衛に成功した。翌日記者会見では1.4で飯伏幸太に二冠ベルトをかけて戦い、その試合の勝者及び二冠王者が、挑戦権利証をもつジェイホワイトと1.5でベルトをかけ戦うのはどうか?と提案し珍しく内藤の意見が通り実現した。

2021年

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1月4日、飯伏幸太と二冠王座をかけて戦い、飯伏の現在の最上級のフィニッシュ・ホールドであるカミゴェを2回もキックアウトしたが、激闘の末最後は3度目のカミゴェでピンフォール負けを喫し両王座とも失った。試合後には悔しさを露わにしながらも、IWGPヘビー級王座・IWGPインターコンチネンタル王座を自身の手で渡し、飯伏幸太の腕を上げ、勝利を称えた。バックステージコメントでは、今後の目的が見当たらないと発言しつつも「この東京ドームのメインイベントにまた”必ず”帰ってくるから」と宣言した。なお、内藤自身は2018年のイッテンヨンのメインイベント敗退後のバックステージでも「”必ず”この舞台(メインイベント)に戻ってくる」とコメントし、2020年にメインイベンターとなった経緯がある。本人曰く「必ず」という言葉を使うことを嫌っているため、特別な意味が込められている。

2月11日、広島大会にて王座を防衛した飯伏幸太の前に現れ、IWGPインターコンチネンタル王座への挑戦表明を行った。理由は飯伏が提案したIWGPヘビー級王座とIWGPインターコンチネンタル王座の統一を阻止するためである。これにより、2月28日の大阪城ホール大会にてタイトルマッチが決定。結果は27分50秒カミゴェ→体固めで敗北。インターコンチネンタル王座奪還とはならなかった。

3月4日、NEW JAPAN CUP2021にエントリー。日本武道館での旗揚げ記念日大会にて1回戦が行われた。対戦相手はグレート-O-カーンであり、これが初シングルである。試合後半で技の読み合いから延髄蹴りをヒットさせるも、-O-カーンのラリアットを喰らってしまい、膝固めからの膝十字固めでレフェリーストップ負けを喫する。この結果2019年大会以来4度目の1回戦敗退となった。

4月26日、広島サンプラザホール大会メインイベントにて、NEW JAPAN CUPで敗れたグレート-O-カーンと再戦し、勝利した。

6月2日、後楽園ホール大会にて、SANADA、BUSHIとのタッグでNEVER無差別級6人タッグ王座に初挑戦。結果はBUSHIがYOSHI-HASHIのバタフライロックでギブアップ負けをしたため、初戴冠とはならなかった。

6月7日、ザック・セイバーJr.&タイチ組が保持するIWGPタッグ王座への挑戦を表明。パートナーにSANADAを選んだ。そして7月11日、真駒内セキスイハイムアイスアリーナ大会にてタイトルマッチが決定。結果はザックから勝利し、第90代王者となった。また、IWGPタッグ王座を戴冠したのは2010年1月4日以来約11年半ぶりである。試合後、前王者組がリマッチを要求してきたため、7月25日の東京ドーム大会で前王者組を相手に初防衛戦を行うことが決定した。

7月25日、 東京ドーム大会にてザック・セイバーJr.&タイチ組とのリマッチを行い、37分58秒ヨーロピアンクラッチでザックにフォールされ初防衛に失敗。

9月18日、エディオンアリーナ大阪で行われたG1CLIMAX31の初戦でザック・セイバーJr.と対戦し27分05秒タップアウトで敗れる。

9月21日、新日本プロレス公式HPにて9月18日の試合で左膝内側側副靭帯損傷・半月板損傷と診断され、G1 CLIMAX31は全戦欠場、リーグ戦は不戦敗となる事が発表された(なお、全治未定との事)。

11月、WORLD TAG LEAGUE2021にSANADAとのタッグで出場し、復帰。最終的に勝ち点16でタイチ&ザック・セイバーJr.組、EVIL&高橋裕二郎組と並ぶも優勝決定戦への進出はならなかった。

2022年

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1月5日、ジェフ・コブとシングルマッチを行い、デスティーノで勝利。メインイベント終了後、IWGP世界ヘビー級王座を防衛したオカダ・カズチカの前に現れ、同王座への挑戦を表明した。そして2月13日の大阪府立総合体育館ではSANADAと組み、オカダ・カズチカ&棚橋弘至と対戦し30分以上の激闘(33分28秒、内藤哲也◯ ×棚橋弘至、デスティーノ→片エビ固め)を制し勝利を手にした。

そして同月20日にオカダ・カズチカに挑戦するが、敗れる(29分34秒、オカダ・カズチカ◯ ×内藤哲也、レインメーカー→片エビ固め)。

3月2日より開催された「NEW JAPAN CUP 2022」にエントリー。1回戦で高橋裕二郎、2回戦で外道、3回戦で棚橋弘至、準々決勝でジェフ・コブ、準決勝でオカダ・カズチカを破り決勝進出を果たすも、決勝にてザック・セイバーJr.に敗れ準優勝となる。

5月1日、福岡、福岡PayPayドームにて行われた「WRESTLING DONTAKU2022」の第9試合IWGP世界ヘビー級選手権試合においてオカダ・カズチカと今年だけで3度目の対戦も、レインメーカーで沈められ3度目の敗北。ベルト獲得を逃した。

2023年

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1月4日、東京ドーム大会にて、SANADA&BUSHIとのタッグで、武藤敬司&棚橋弘至&海野翔太と対戦。自身は武藤との対戦はなく、試合もBUSHIが3カウントを喫し敗北した。

1月21日に行われたプロレスリング・ノアとの対抗戦では、「L・I・J対金剛 シングル5番勝負」の大将戦として拳王と対戦し勝利。試合後には放送席で解説を務めていた武藤敬司から、2月21日に東京ドームで行われる「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE〜HOLD OUT〜」での自身の引退試合での対戦相手に指名され、受諾する構えを見せた。

2月21日、東京ドームにて武藤と対戦。最後は必殺技のデスティーノで3カウントを決め、引退する武藤を介錯した[40]

3月5日より開催された「NEW JAPAN CUP 2023」にエントリー。1回戦でエル・ファンタズモ、2回戦でチェーズ・オーエンズに勝利し、準々決勝へ進出するも、同門のSANADAに敗れ敗退。試合後、SANADAは「Just 5 Guys」へと加入した。

4月27日、広島大会にてDOUKIとスペシャルシングルマッチで対決。デスティーノで勝利した。

5月7日、全日本プロレス大田区総合体育館大会に参戦。BUSHIとのタッグで宮原健斗安齊勇馬組と対戦し、デスティーノで安齊から3カウントを奪い勝利。

6月4日、『G1 CLIMAX33』へのエントリーが発表された。

6月9日、新日本プロレス・全日本プロレス・プロレスリング・ノアの3団体合同興業『ALL TOGETHER AGAIN』に参戦。鷹木信悟・BUSHIをパートナーに、永田裕志諏訪魔・安齊組と対決するも、BUSHIが諏訪魔のラストライドに3カウントを許してしまい敗北。

8月10日、G1 CLIMAX33船橋大会でヒクレオから、同月12日両国国技館大会でオスプレイから勝利し決勝戦に進出、翌日13日にオカダ・カズチカとの優勝決定戦を制し6年ぶりのG1優勝を果たした。直前のAEW、CMLLへの遠征で日を追う毎に膝の状態が悪化し、帰国後には右膝が90度に曲がらず大きく腫れ上がり、容体が改善されないままこのリーグ戦を迎えた中での快挙であった。優勝に際し「引退がチラつくというか、常に頭の片隅には置いている感じですね」と自身の引き際について語りつつ「オレはいまの世代のトップとして真正面からドンと構えているし、いま新日本プロレスの先頭、このリングの真ん中には俺がいる」と覚悟を示した[41]

2024年

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1月4日、WRESTLE KINGDOM 18東京ドーム大会において、SANADAの保持するIWGP世界ヘビー級王座に挑戦。25分に及ぶ激闘を制し、同王座初戴冠を果たした。試合後にはEVIL&ディック東郷の乱入もあったが、SANADAの助けもあり、ついに東京ドームでの大合唱を果たした。

2月24日、札幌大会にてSANADAとのリマッチを制し初防衛に成功。

得意技

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デスティーノ

タイトル歴

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新日本プロレス
最多戴冠記録保持者、最年長戴冠記録保持者。
第70代・72代は第24代・26代IWGP IC王座との2冠。
最多戴冠記録保持者。
NEVER無差別級王座提唱者。
パートナーは裕次郎(現:高橋裕二郎)。
パートナーは高橋裕二郎→SANADA
パートナーは高橋ヒロム
プロレス大賞
  • 2016年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2017年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2018年度プロレス大賞 技能賞
  • 2020年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2020年度プロレス大賞 年間最高試合賞
    (ベストバウト): オカダ・カズチカ×内藤哲也(1月5日/新日本・東京ドーム : IWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタル ダブル選手権)
  • 2023年度プロレス大賞 最優秀選手賞
テレビ朝日ビッグスポーツ賞
  • 第52回テレビ朝日ビッグスポーツ賞ワールドプロレスリング賞

入場テーマ曲

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曲名 作曲者 備考
明日なき暴走 Bruce Springsteen デビュー当時に使用。[CD:MHCP-930]
Jumping High 北村陽之介 2007年4月 - 2008年2月まで使用。NO LIMIT結成後は勝利テーマ曲として使用。[未CD化]
No Limit 2 Unlimited 2008年3月 - 2009年4月まで使用。下記「Du Hast」に入場曲を変更して以降、勝利テーマ曲として使用。[CD:PHCR-1910]
Du Hast Rammstein CMLL参戦時に使用。2009年5月 - 2011年7月まで使用。[CD:POCP-7299]
STARDUST KAZSIN 2011年8月 - 現在まで使用。[CD:KICS-1854〜6]

決め台詞

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  • トランキーロ、焦んなよ!
    2015年のメキシコ遠征から帰国して以降、多用している台詞。あまりの人気が伸び悩んだため、ラ・ソンブラの人気に便乗しようと使用を始めた。
    トランキーロ(Tranquilo)はスペイン語で「静かに、落ち着け」などの意味する言葉。すなわちその後に続く「焦んなよ」と同義。但しこれにオカダ・カズチカが異常なまでの拒絶反応を示し、「レッスル・キングダム2018」前哨戦において、内藤が発し始めた際花道から猛ダッシュでリングに戻り完了させずに遮るほど。
  • ノスオトロス・ロス・インゴベルナブレス・デ!! ハ!! ポン!!
    スペイン語で「俺たちはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンだ!!」の意味で、締めの言葉で使用される台詞。
    L・I・Jメンバーの名前を挙げていき、最後に自分の名前を言って前置きしつつ、「デ!! ハ!! ポン!!」の部分で観衆と共に大合唱する。
    会場によってはメンバー紹介から合唱が始まる場合がある。
  • ブエナス・ノーチェース、○○〜!
    ブエナス・ノーチェスはスペイン語で「こんばんは」の意。比較的浅い時間帯であるときには
    ○○には興行の開催地の名前が入る。
    マイクの最初に放つ言葉。
    スペイン語で「こんにちは」を意味するブエナス・タルデス、〇〇〜!となることもある。
  • カブロン!(Cabrón)
    スペイン語で「馬鹿野郎」、「クソ野郎」などの意味。相手を侮辱・挑発する意味合いでバックステージコメントやマイクアピールなどで使われる。
  • 一歩踏み出す勇気
    2018年4月29日、熊本地震の影響により約2年5ヶ月ぶりの開催となった熊本大会において、メインイベントでIWGPインターコンチネンタル王座を獲得した内藤は被災したファンに向けて「変わらないこと、あきらめないことはもちろん大事。でも、変わろうとする思い、変わろうとする覚悟、そして、一歩踏み出す勇気も俺は大事なことなんじゃないかなと思います」とマイクを通じて発言。同年10月2日 YouTube上に公開されたロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン6人目のメンバーを示唆する動画でも使われるなど、マイクパフォーマンスやバックステージコメントなどで頻繁に使われるようになる。

決めポーズ

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  • Abre los ojosポーズ
    読みは「アブレ・ロス・オホス」。親指と人差し指を使いながら目を見開く。スペイン語で「目を開け」の意[42]
    2009年のメキシコ遠征中、「アジア人は目が細い」という固定観念がある現地のファンから「オマエら、目開いてんのか!?」とやじが飛んできたことを逆手にとり、「俺の目は開いてるぞ」という意味合いで目を広げて対抗したのがポーズのキッカケ[42]。2010年に凱旋してからは最初の短期間のみ使用されていたが、会場で観戦する子供たちが真似していたことから、日本でも継続して使用するようになった[42]。2015年にロス・インゴベルナブレスに加入してから凱旋して以降は、インゴベルナブレスポーズ(右手で胸を2回叩いて拳を天に突き上げる)と合わせたものに進化を遂げている[42]

人物

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プロレスファン

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幼少期の頃から熱心な新日本プロレスファンであり、当時の新日本ファンクラブ「闘魂戦士」にも入会していた。高校時代は部活終わりにそのまま観戦に出かけたり、都内だけでなく地方に遠征までするようになった[4]。選手になった今も「一選手である前に一ファンでありたい」という気持ちでファンクラブに入会しているという異色の選手である。

武藤敬司について

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内藤は筋金入りの武藤敬司ファンであったと公言している。オレンジタイツ時代からのファンであり、武藤ファンとしてプロレスごっこの際にできるだけ完璧に武藤の真似をしたいがために、ビデオに録画していた武藤の試合を終始スローで見て研究し動きをマスターしようとしていた[2]。高校時代はプロレスラーになるにはどうしたらいいのか考え、憧れの武藤が学生時代に柔道を経験していたことから、それに倣おうとしたこともある[4](最終的に内藤は柔道部に入らず、サッカー部に入部している)。幼少期のプロレスごっこの影響のためか、プロレスラーとなった自身の試合の中で、何気ない動きのどこかに武藤の名残が感じられると言われており[2]、解説者の金沢克彦は「オレンジタイツ時代の武藤そのもの」と肯定的な見解を述べている。だが、2012年1月4日東京ドーム大会にて武藤と対戦が決まった際の記者会見では、武藤に対して「過去の人間」と位置付けた上で「プロレスを好きになったキッカケ」「プロレスラーになりたいと思ったキッカケ」とあくまでファンであったことは過去の話であると言い切っている[43]

しかしながら、2023年2月21日「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING "LAST" LOVE〜HOLD OUT〜」にて武藤の引退試合の相手を務めた後のインタビューにて、「オレは武藤敬司選手にあこがれを抱き、武藤敬司選手のようになりたくてプロレスラーを目指し、今ここまで歩んできました」と切り出し「最後の最後までレスラーとして上を目指そうとした武藤敬司選手の姿に心打たれるものがあったし、武藤敬司選手にあこがれてプロレスラーになってよかったなって思いました」と述べ、「こんな幸せなプロレスラー他にいないんじゃない」と語った[44]

棚橋弘至について

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地方に遠征してまで観戦するほどプロレス熱が高い内藤だが、格闘技の聖地と言われる後楽園ホールでの観戦は意外にも遅く、1999年10月10日。それまでビッグマッチしか行ったことがなく、若手の試合を見るのが初めてだった内藤は、そこで棚橋弘至のデビュー戦を目の当たりにする。それまで武藤ファンであった内藤は棚橋のデビュー戦を見て感銘を受け、棚橋がデビューした翌2000年は武藤がアメリカ長期遠征へ出てしまったこともあり、内藤はその年以後棚橋を楽しみに観戦するようになり始め大ファンとなった[45][46]。2002年に内藤が右膝前十字靭帯断裂の怪我を負って気持ちが沈んでいた頃、2003年4月23日に広島サンプラザホールにて開催されたU-30初代王者決定リーグ戦の決勝戦、棚橋 vs 真壁伸也戦を生観戦し、その際に「プロレスに勇気をもらう」「元気をもらう」ということを初めて感じた日だと述べている[47]

内藤がプロレスラーとしてデビューして間もなくの頃、棚橋から「早く俺のとこまでこいよ」と言われたこともあり、内藤自身もかつてファンだった武藤が全日本に移籍して何を楽しみに新日本を見に行っていいか分からないときに、棚橋がいたからこそプロレス熱が冷めることなくずっと来れたから、棚橋をトップの座から引きずりおろす役目は自分が担いたいと語っている[46]。2017年1月4日、レッスルキングダム11にて棚橋との一騎打ちを制し、試合でも棚橋を上回る声援が送られ、世代交代を印象付けた内藤は試合後、リング上で大の字に横たわる棚橋の胸に拳を突き立てた後に深々と一礼。さらにバックステージでのコメントではかつて見上げる存在だった棚橋に対して「早く俺のところまで戻ってこいよ」と、メッセージを送っている[48]

広島東洋カープとの関わり

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プロレス界きってのプロ野球広島東洋カープファンを自称している。かつて合宿所に住んでいた頃、部屋には広島のグッズが所狭しと飾られており、内藤がロス・インゴベルナブレス加入以前に着用していた赤と白を基調としたコスチュームも「カープカラー」をイメージしたものとされている[49]。少年時代は読売ジャイアンツに所属していた原辰徳のファンだったが、1995年に原が現役引退したことより内藤曰く「ポッカリ穴が開いた」状態で野球への楽しみ方を模索していたところ、広島の足を使う野球に魅了され1996年から応援を始めた[49][50]

内藤は現在もファンクラブに入会している他、シリーズの合間を縫っては観戦に訪れており、広島市民球場の取り壊しに伴う公式戦最終試合開催日にもライトスタンドから観戦していた[51]。レスラー引退後には広島移住も視野に入れており、「マツダスタジアムの年間シートを購入して、毎試合観戦してみたい」と将来に対する展望について語っている[49]。 球団歌『それ行けカープ』の2017年、2018年、2019年バージョンの映像に、自身が注目している選手・田中広輔の2016年からの背番号「2」が入ったユニフォーム(2017年版・ビジター用、2018年版・ホーム用)を着用して歌唱参加している。また、2017年8月27日のマツダスタジアムでの中日戦において初の始球式を行った。結果はストライクゾーンから大きく外れてしまったものの、元野球少年らしい見事なフォームでの投球だった[52]。因みにこの試合で広島は敗れたものの、勝利投手となったのは内藤のファンを公言している小笠原慎之介[53]である。 2018年よりカープのチャンステーマに内藤の入場曲の一節が取り入れられている[54]

メキシコとの関わり

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内藤はロス・インゴベルナブレスを日本に持ち帰り、制御不能と化したのキッカケにブレイクした自身のプロレス人生において、メキシコという国は欠かせないものとなっている。2009年5月に初めてメキシコに遠征した内藤は、元々異国の地がさほど好きではない上にイメージ的にも最悪な印象しか持たなかったことから、当初は「行くのが嫌でしょうがなかった」と振り返っており、試合と練習以外のときはほとんど出歩くことをしなかったという[55]。しばらくして内藤はアニマル浜口ジム時代から付き合いのあるBUSHIとメキシコで再会すると、BUSHIに連れられる形で外出するようになる。そこから徐々にメキシコに対する意識が変わり始め、メキシコでの生活を楽しめるようになったとのこと[55]

現地CMLLにおいても、内藤はアレナ・メヒコ大会のビッグマッチにおける髪切りマッチで、メキシコ人レスラーから勝利するという30年ぶりの快挙を成し遂げたことからポジションを確立している。街を出歩けば声を掛けられることも多くなり、一気に知名度を上げることに成功した内藤は、公私ともに充実した日々を送るようになった[55]

制御不能と化した後、スペイン語を織り交ぜた独特なコメントが目立つ内藤であるが、これは内藤が2015年にインゴベルナブレスに加入し、帰国したときのコメントでポロっとスペイン語を出したことがキッカケとなっている[55]。直すのが面倒くさいと考えた内藤は以降スペイン語を混ぜてコメントするようになり、後に「日本に居るのに間違ってスペイン語が出てしまうぐらい充実してた」と内藤は述べている[55]

会場マニア

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会場マニアという一面があり、体育館だけでなく野球場やサッカー場といった箱に興味がある内藤は、プロレスラーとなった現在自身のブログやツイッターなどで開場前の会場写真をアップする習慣が定着しつつある[56]。特に「建物の外観」と「体育館の名称が書いてある看板」を撮影したいと思っているが、会場に集まるファンの中で外観を撮影することができないため、会場の中の写真や場内のさまざまな場所を散策することが趣味となっている[56]。2020年頃からは、地方大会の前夜にレンタカーを借りて会場を訪れ、会場の外観を撮影して自身のTwitterに投稿することが多い。

その他

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  • 中学時代は、当時サッカーの強豪校だった愛媛県立南宇和高等学校へのサッカー留学を考えていた。
  • 2011年6月から2015年5月までベビーフェイスとして活動していた内藤は、地域によってブーイングを受けることがある。特に大阪大会で行われるビッグマッチでは、内藤が攻勢をかけたり、アピールを行うと強烈なブーイングが発生するようになり、この現象は2014年頃から顕著に見られるようになった。ロス・インゴベルナブレス加入以降、内藤へのブーイングは全国各地で発生するようになったが、2015年下期頃になると徐々に内藤を支持する声が増え始め、2016年に入ると内藤およびL・I・Jに対する支持者が急増していった[57]
  • 飯伏幸太鷹木信悟東京スポーツ岡本記者らと共に昭和57年会を結成している。メンバーには石森太二岡林裕二宮本裕向KAZMA SAKAMOTOらがいる。
  • 忘れ物が多いことで知られ、2008年10月にNO LIMITとして初めてジュニアタッグ王者になって僅か5日後の埼玉久喜大会(G1 TAG LEAGUE公式戦)ではチャンピオンベルトを忘れ、更にその2週間後の後楽園大会ではコスチューム一式を忘れ、ヤングライオンから借りた黒のショートタイツで試合を行った。試合後のバックステージでもパートナーの裕二郎にそのことを突っ込まれている。
  • ゴルフがあまり好きではなく、父はブリヂストンを定年退職する際にゴルフセットをくれたが、2017年の時点では1回打ちっぱなしに行った程度である[3]
  • 父は会社員時代に営業トークとしてしばしばプロレスラーの内藤の話題を持ち出していた[3]。父も大のプロレスファンであり、退職後は地方も含めほぼ全ての新日本の興行を観戦するほど。
  • 定期的にファミレスへ東京スポーツ記者を呼びつけて不満をぶちまけている(通称『ファミレス招集』)。そして不満をぶちまけた後、何らかの理由をつけて席を外し、そのままいなくなり相手に支払いさせるという記事が定例化されつつある[58]SANADAなど内藤以外のL・I・Jのメンバーも同様の行動を行っていることがある。また、2019年には広島東洋カープの九里亜蓮と共に東スポの記者を広島まで呼びつけた[59]
  • トイ・ストーリーシリーズの大ファンであることをブログなどで公言している。
  • 旅先での観光には興味が無く、高校時代の1999年7月、札幌中島体育センターにて行われた新日本の6人タッグマッチ蝶野正洋&AKIRA&大仁田厚vs武藤敬司&天山広吉&ヒロ斉藤を観戦した際の内藤の行動は、札幌名物のラーメンを食べてコンサドーレ札幌の上下ユニフォームと靴下を購入した程度[60]
  • プロレスラーらしからぬ少食かつ偏食家であり、本人も「一度気に入ったものをとことん食べる」[61]と語っている。「食べたことないものを口にするのに抵抗があるので知っているものを食べたい」という理由から海外興行の際にはどこへ行くにしてもサブウェイを探し、3食利用することも普通にあったという。

出演

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ドキュメンタリー

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バラエティ

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TVドラマ

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ラジオ

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ゲーム

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映画

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CM

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  • 新日本プロレスオフィシャルスマホサイト(内藤哲也ファミレス編)

著書

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  •  『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 1』(2018年7月15日、イースト・プレスISBN 978-4-7816-1687-2
  •  『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 2』(2019年6月16日、イースト・プレス)ISBN 978-4-7816-1795-4
  •  『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO 3』(2020年8月19日、イースト・プレス)ISBN 978-4-7816-1910-1
  •  『手のひら返しdeあっせんなよ 内藤哲也のホンネ録』(2019年12月11日 ベースボール・マガジン社)ISBN 978-4-583-11259-6

脚注

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注釈

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  1. ^ 内藤曰く「新日本だけでほかは全く見てなかった。自分の中ではプロレス=新日本ってイメージ」と述べている(レスラーヒューマンストーリー II、25頁)。
  2. ^ それまでに将来の夢として「プロ野球選手」や「プロサッカー選手」も視野に入れていたらしく、特にサッカーに関しては小学5年のときに日本プロサッカーリーグが始まったこともあり、プロになりたい思いも強かったと回顧している(レスラーヒューマンストーリー II、26頁)。

出典

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  1. ^ a b c d e 選手名鑑”. 新日本プロレス公式サイト. 2016年11月10日閲覧。
  2. ^ a b c レスラーヒューマンストーリー II、25頁。
  3. ^ a b c d e 週刊プロレス2017年9月13日号pp.52-53.
  4. ^ a b c レスラーヒューマンストーリー II、26頁。
  5. ^ レスラーヒューマンストーリー II、25-26頁。
  6. ^ レスラーヒューマンストーリー II、27頁。
  7. ^ レスラーヒューマンストーリー II、28頁。
  8. ^ a b レスラーヒューマンストーリー II、29頁。
  9. ^ a b c d スポーツアルバムNo.58、20頁。
  10. ^ レスラーヒューマンストーリー II、30頁。
  11. ^ a b c d スポーツアルバムNo.58、21頁。
  12. ^ a b c d e f g スポーツアルバムNo.58、23頁。
  13. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.58、25頁。
  14. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.58、27頁。
  15. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.58、29頁。
  16. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.58、31頁。
  17. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.58、33頁。
  18. ^ a b c d e f スポーツアルバムNo.58、35頁。
  19. ^ a b c d e f g スポーツアルバムNo.58、37頁。
  20. ^ メキシコ遠征中の内藤哲也、ソンブラのユニット「ロス・インゴベルナブレス」に正式加入!? 【5.27アレナメヒコ記者会見】”. 新日本プロレス公式サイト. 2015年5月28日閲覧。
  21. ^ 棚橋が内藤の要求を全面受諾のワケ”. 東スポWeb. 2015年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
  22. ^ 内藤が不気味予告 パレハと一緒に2対1で棚橋潰す”. 東スポWeb. 2015年10月3日閲覧。
  23. ^ IWGP王座挑戦権利証奪取!棚橋「ベルトは目の前だ」”. 東スポWeb. 2015年10月13日閲覧。
  24. ^ 棚橋とエルガンがタッグ結成! 内藤&EVIL! ROHからジ・アディクション、キングダムがエントリー!『WORLD TAG』出場チーム&公式戦決定!”. 新日本プロレス. 2015年11月9日閲覧。
  25. ^ a b c d e スポーツアルバムNo.58、39頁。
  26. ^ 王者内藤、1・4東京ドームで棚橋と防衛戦”. 日刊スポーツ : nikkansports.com. 2016年11月6日閲覧。
  27. ^ 【プロレス大賞】内藤哲也がMVP初受賞! ベストバウトはG1丸藤vsオカダ”. 東スポWeb. 2016年12月14日閲覧。
  28. ^ 【新日1・4ドーム】IC王座V2 内藤ついに棚橋超え!”. 東スポWeb. 2017年1月5日閲覧。
  29. ^ https://web.archive.org/web/20170505053527/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/680679/
  30. ^ https://web.archive.org/web/20170519074459/http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/687155/
  31. ^ http://www.njpw.co.jp/card_result/97159
  32. ^ http://www.njpw.co.jp/card_result/97522
  33. ^ http://njpwworld.com/p/s_series_00442_1_23
  34. ^ 週刊プロレス2017年9月13日号p.55.
  35. ^ http://www.njpw.co.jp/111259
  36. ^ http://www.njpw.co.jp/card_result/111454
  37. ^ http://www.njpw.co.jp/card_result/111445
  38. ^ 『週刊プロレス』NO.1972 2018年9月4日増刊 p.15
  39. ^ 『週刊プロレス』NO.1997 2019年2月20日号 pp.4-9
  40. ^ 【ノア】内藤哲也「こんな幸せなプロレスラーいない」武藤敬司の勝利への執念に心打たれる - プロレス : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年3月25日閲覧。
  41. ^ 週刊プロレス NO.2258 2023年8月30日号 11ページ
  42. ^ a b c d 参考文献『新日本プロレスBi-Monthly (ビーマンスリー) vol.8』2016年 2/25号、頁63掲載 「決めポーズ解説⑧内藤哲也」より。
  43. ^ 「武藤さんは過去の人間!」内藤が宣戦布告!! 真壁は高山の土下座要求に大荒れ!! 1.4東京ドーム全カード決定!”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年12月10日閲覧。
  44. ^ 内藤哲也、武藤敬司を介錯…「こんな幸せなプロレスラー他にいない」…2・21東京D全成績”. スポーツ報知 (2023年2月21日). 2023年3月25日閲覧。
  45. ^ レスラーヒューマンストーリー II、26-27頁。
  46. ^ a b レスラーヒューマンストーリー II、31頁。
  47. ^ レスラーヒューマンストーリー II、27-28頁。
  48. ^ 内藤V2 棚橋の息の根止め「一つの時代が完全に終わった」”. デイリースポーツ online. 2017年1月5日閲覧。
  49. ^ a b c スポーツアルバムNo.58、60-61頁。
  50. ^ プロレス界の「神ってる」男・内藤哲也のカープ愛”. 日刊スポーツ : nikkansports.com. 2016年10月11日閲覧。
  51. ^ 新日プロレスラー内藤哲也 今のイチオシはカープ田中選手”. 東スポWeb. 2016年9月18日閲覧。
  52. ^ 新日本プロレス・内藤哲也がマツダスタジアムで始球式”. 東京スポーツ新聞社. 2017年8月28日閲覧。
  53. ^ 中日・小笠原 新日・内藤と対面し感激!合言葉は「トランキーロ」”. 東京スポーツ新聞社. 2017年3月15日閲覧。
  54. ^ “[https://www.hiroshima-athlete.com/articles/-/599 Me gusta la “CARP”! 内藤哲也の制御不能なカープ愛 第12試合 チャンステーマの『STARDUST』が、ついに入場曲として神宮球場に!]”. アスリートマガジン: hiroshima-athlete.com. 2023年3月11日閲覧。
  55. ^ a b c d e スポーツアルバムNo.58、62-63頁。
  56. ^ a b スポーツアルバムNo.58、64-65頁。
  57. ^ 週刊SPA!編集部 (2022年7月11日). “新日本プロレス・内藤哲也、デビューから9年は挫折の日々「勝ったらブーイングの嵐」”. 日刊SPA!. 2023年3月25日閲覧。
  58. ^ プロレスラー内藤哲也のファミレスマッチ【制御不能】”. www.village-v.co.jp. 2023年3月25日閲覧。
  59. ^ 「プロレス界一の鯉党」内藤 広島・九里と“聖地”ファミレス対談”. 東スポWEB (2019年1月3日). 2023年3月25日閲覧。
  60. ^ 『週刊プロレス』NO.1996 2019年2月13日号 pp.44-45
  61. ^ https://sp.njpw.jp/307853
  62. ^ 【セガフェス】「桐生会」を最強の組織に!大人数バトル&組織育成がアツい「龍が如く6」の「クランクリエイター」ゲームプレイが初公開”. Gamer (2016年11月22日). 2016年12月15日閲覧。
  63. ^ “パパはわるものチャンピオン : 作品情報 - 映画.com” (日本語). 映画.com. https://eiga.com/movie/87659/ 2018年7月6日閲覧。 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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