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* 2000年1月、民主党の「解散・総選挙の実施を求める 運動本部」の事務局次長に就任。
* 2000年1月、民主党の「解散・総選挙の実施を求める 運動本部」の事務局次長に就任。
* [[2003年]]1月、[[衆議院]][[予算委員会]][[野党]]筆頭理事に就任(~[[2004年]]5月)。
* [[2003年]]1月、[[衆議院]][[予算委員会]][[野党]]筆頭理事に就任(~[[2004年]]5月)。
* [[2003年]]8月、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わる<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[2003年]]8月、[[静岡空港]]建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わる<ref>[http://web.archive.org/web/20090307071308/http://kuukouno.hp.infoseek.co.jp/kokaiginsyomei.htm 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会](2009年3月7日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[2004年]]5月、衆議院[[決算行政監視委員会|決算行政監視委員長]]に就任(~[[2009年]]7月)。
* [[2004年]]5月、衆議院[[決算行政監視委員会|決算行政監視委員長]]に就任(~[[2009年]]7月)。
* 2005年6月、[[東アジア]]諸国との新たな関係を築くために日本の近現代史の再検討を行う目的で民主党内に設けられた「日本の近現代史調査会」の事務局長に就任
* 2005年6月、[[東アジア]]諸国との新たな関係を築くために日本の近現代史の再検討を行う目的で民主党内に設けられた「日本の近現代史調査会」の事務局長に就任

2017年9月4日 (月) 15:09時点における版

細川 律夫
ほそかわ りつお
生年月日 (1943-08-08) 1943年8月8日(81歳)
出生地 日本の旗 高知県吾川郡吾北村
出身校 明治大学法学部
前職 越谷総合法律事務所所長
衆議院議員(民主党埼玉県総支部連合会常任顧問、民主党埼玉県第3区総支部長)
現職 弁護士
所属政党日本社会党→)
社会民主党→)
旧民主党→)
民主党菅グループ)
称号 法学士(明治大学・1966年
弁護士
旭日大綬章
公式サイト 細川律夫 -ウェブサイト-

内閣 菅第1次改造内閣
菅第2次改造内閣
在任期間 2010年9月17日 - 2011年9月2日

選挙区旧埼玉4区→)
比例北関東ブロック→)
埼玉3区
当選回数 7回
在任期間 1990年2月19日 - 2012年11月16日
テンプレートを表示

細川 律夫(ほそかわ りつお、1943年8月8日 - )は、日本の引退した政治家弁護士民主党所属の元衆議院議員(7期)。

衆議院環境委員長、衆議院決算行政監視委員長厚生労働大臣第13代)、第89代裁判官弾劾裁判所長などを歴任。

概要

高知県吾川郡吾北村(のちの高知県吾川郡いの町)出身。明治大学法学部卒業後、弁護士となる。大森勧銀事件では被告人の弁護を手がけ、冤罪を晴らし逆転無罪を勝ち取る。

その後、政界に転じ、1990年第39回衆議院議員総選挙にて初当選。

日本社会党社会民主党を経て、1996年旧民主党の結成に参加した。

1998年、旧民主党、民政党新党友愛民主改革連合が合流した民主党の結党に参加する。鳩山由紀夫内閣菅内閣厚生労働副大臣を務め、菅改造内閣では長妻昭に代わり、副大臣から昇格する形で厚生労働大臣に就任。

2010年9月29日、中国建国記念レセプションに出席した[1]

2011年発足の再改造内閣でも留任した。同年9月に発足した野田内閣では政府から離れ、民主党の代議士会長に就任した。

2012年12月16日執行の第46回衆議院議員総選挙では、埼玉3区小選挙区で出馬するも、自由民主党新人の黄川田仁志に敗れ落選。比例復活もならず、7期続いていた衆議院議員の議席を失った。

2014年12月14日執行の第47回衆議院議員総選挙では、埼玉3区の小選挙区で出馬するも、再び落選。比例復活もならず議席を回復できなかった。投開票日翌日、ホームページ上で政界引退を表明した。2015年11月、旭日大綬章受章。

政策・主張

  • 永住外国人への地方選挙権付与にどちらかと言えば賛成[2]
  • 選択的夫婦別姓制度導入を、同制度導入の民主党案作成にもかかわるなど、積極的に推進している[3]。なお、2014年時点の調査への回答では、「どちらかと言うと賛成」としている[4]
  • 戦後補償問題について、自身を第二次世界大戦前及び大戦中の強制連行・強制労働問題について真の解決を望む立場と位置づけ、戦後補償問題に誠実な対応をしてきたとは思えないと質問主意書を提出している[5]

政治活動

ネクスト法務大臣として

厚生労働副大臣として

  • 2009年1月15日、製造業への労働者派遣を禁止することを柱とした労働者派遣法改正案を今国会に提出することを発表した[8]
  • 政府の緊急雇用対策本部内に設置された「緊急雇用創造チーム」のリーダーに就任。介護・農林・地域NPOなどが参加する社会的企業の3分野での雇用創出に意欲を見せた[9]
  • 2010年10月12日の衆議院予算委員会の質疑において、自民党河野太郎から厚生労働省天下りの実態について質問されたが、事前の質問通告がなかったことを理由に答弁を回避した。また翌13日の予算委員会でも、自民党の西村康稔から子ども手当の支給額及び支給の時期について質問されたが、ここでも事前の質問通告がなかったことを理由に答弁を回避した。
  • 子ども手当の趣旨について、2011年2月8日の衆院予算委員会で鳩山由紀夫内閣総理大臣が「自民党の児童手当とは、趣旨・制度の内容が異なる」としてきた趣旨を撤回し、「子どもの成育を支援する現金給付政策である点で児童手当と共通する」との認識を強調した。
  • 子ども手当の財源については「地方の負担」(養控除の廃止による地方の増収分)を求める方針を強調し、第45回衆議院議員総選挙マニフェストである「全額国庫負担」を履行を主張する枝野幸男内閣官房長官と対立した[10]
  • 2011年3月4日参議院予算委員会にて自民党の世耕弘成から、専業主婦国民年金3号被保険者切り替え忘れ問題で、 2010年12月に厚生労働省の担当課長が通達で救済策を出した事について「知らなかった。不明を恥じる」と陳謝した[11]。この通達では、過去2年間を遡及して払込めば「国民年金を満額支給する」内容であった為、「きちんと支払いした人が不公平だ」との不満が続出。この救済策では、国民年金法を改正せず「課長通知」で済ましてしまった点を問題視、さらにその申請を受理してしまった人には「磁気テープが金融機関に送られており、振込を止めるのは不可能だ」と答弁した[12]。また細川は2011年3月10日の参議院予算委員会で、監督不行き届きの責任をとり就任から同年4月までの自らの大臣俸給を返納することを表明。公明党草川昭三が身を引くべきと追及したことに対し、「3号被保険者の不整合を解決し、年金に対する国民の信頼を取り戻すことが責務」としてその考えがないことを述べた[13]

国会活動

細川が筆頭提出者であった法案

  • 雇用保険法改正案
  • 内定取消規制法案
  • 労働者派遣法改正案
  • 道路運送法改正案
  • タクシー適正化特措法案
  • 交通基本法案
  • 死因究明法案
  • 法医科学研究所法案
  • 児童ポルノ法改正案

人物像

  • 叔父二人が戦死していることもあり、靖國神社には日を決めず不定期に参拝していると2011年8月15日に述べている[20]閣僚として終戦の日や春季・秋季例大祭に参拝したことはない。
  • 第171回国会において提出された議員提出法案約40本のうち、細川が提出者であった法案が8本、うち筆頭提出者であった法案が6本で、これは全議員中最多数[21]。また継続審議となっていた法案36本中、細川が筆頭提出者であった法案が3本あり、前述の新規提出分とあわせると、第171回国会で審議された衆法中9本の筆頭提出者が細川で、この数字も全議員中最多数[21]
  • 趣味はスポーツ、特にソフトボール・水泳[22]

略歴

所属していた団体・議員連盟

著書

  • 「生活を10倍楽しくする法律情報」(現代書林)
  • 「新市民時代の選択」(現代書林)
  • 「逆転無罪」(現代史出版会、共著)
  • 「法律家の見た新しい中国」

家族

脚注

  1. ^ 中国建国記念レセプション 日本の議員50人出席もあいさつなし - MSN産経ニュース
  2. ^ 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
  3. ^ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
  4. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
  5. ^ ILO専門家委員会報告に関する質問主意書 [1]
  6. ^ 民主党:(談話)死刑執行に対する談話 [2]
  7. ^ [3]
  8. ^ 民主党:製造業派遣を禁止へ 「3年後」で調整・労働者派遣法改正案、今国会提出へ…社民、国民新と共同提出 [毎日新聞 2009年1月15日 2時30分][4]
  9. ^ 政府の雇用チームが初会合 地域戦略会議の設置要請へ - 共同通信 2009/11/06 [5]
  10. ^ 子ども手当めぐり閣内不一致が露呈 厚労相が枝野氏発言を牽制 - 産経新聞(2011.2.8 10:19)[6]
  11. ^ 細川厚労相「責任」を転嫁するのか 年金救済策、長妻前大臣との関係
  12. ^ “課長通知「知らなかった」=救済策、長妻氏が決定-年金切り替え漏れ・細川厚労相”. 時事通信. (2011年3月4日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201103/2011030400586 2011年5月2日閲覧。 
  13. ^ 運用3号通知問題で身内に甘いと追及 草川氏
  14. ^ 民主党ホームページ:【衆院予算委】細川議員、鹿野道彦議員に業際研との関係を質す [7]
  15. ^ 民主党ホームページ:野田国対委員長、緊急記者会見を開催し、堀江メールを公表[8]
  16. ^ 民主党ホームページ:【衆院法務委】細川議員、共謀罪の曖昧さに厳しく批判加える [9]
  17. ^ 民主党:「時給最低1000円を目指す」最低賃金法改正案を衆議院に提出 [10]
  18. ^ http://archive.is/05dBi
  19. ^ http://www.hosokawa-ritsuo.jp/challenge/1990-2000.files/118-147_1.htm
  20. ^ “靖国神社、毎年不定期に参拝…細川厚労相”. 読売新聞. (2011年8月15日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110815-OYT1T00553.htm 2011年8月15日閲覧。 
  21. ^ a b 民主 2012年11月号外
  22. ^ 公式プロフィール
  23. ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ

外部リンク

議会
先代
石井一
日本の旗 衆議院決算行政監視委員長
2004年 - 2005年
次代
筒井信隆
先代
北橋健治
日本の旗 衆議院環境委員長
1999年 - 2000年
次代
小林守
公職
先代
長妻昭
日本の旗 厚生労働大臣
第13代:2010年 - 2011年
次代
小宮山洋子
先代
大村秀章渡辺孝男
日本の旗 厚生労働副大臣
2009年 - 2010年
長浜博行と共同
次代
小宮山洋子藤村修
党職
先代
仙谷由人
民主党政策調査会長代行
第2代:2012年
次代
松本剛明