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2016年6月8日 (水) 05:36時点における版

森本 敏
もりもと さとし
2012年8月3日アメリカ国防省レオン・パネッタ国防長官との会談で
生年月日 (1941-03-15) 1941年3月15日(83歳)
出生地 東京府東京市
出身校 防衛大学校
タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士課程
所属政党 無所属
公式サイト 森本敏公式ホームページ

日本の旗 第11代 防衛大臣
内閣 野田第2次改造内閣
野田第3次改造内閣
在任期間 2012年6月4日 - 2012年12月26日
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森本 敏(もりもと さとし、1941年(昭和16年)3月15日 - )は、日本国際政治学者航空自衛官外交官拓殖大学第19代総長[1](2016年3月-)、特任教授、防衛大臣政策参与、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)運営委員、防衛法学会顧問。元防衛大臣第11代)。東京都出身。

来歴

東京府東京市(現東京都)生まれ、大阪府豊中市育ち。豊中市立第六中学校大阪府立豊中高等学校防衛大学校本科(電気工学専攻、第9期生)卒業。1965年航空自衛隊入隊。1977年から外務省アメリカ局(現北米局)安全保障課に出向。1979年に航空自衛隊を除隊し、正式に外務省入省。航空自衛官退官時の階級は3等空佐。1980年タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士課程を修了する。その後在ナイジェリア日本国大使館参事官、情報調査局企画課安全保障政策室長、外務大臣官房領事移住部領事移住政策課長等を経て、1992年に外務省を退官。その後は野村総合研究所主席研究員(1992年-2001年)を務める傍ら、慶應義塾大学中央大学政策研究大学院大学聖心女子大学東洋大学等で教鞭を執る。2000年拓殖大学国際学部教授に着任し、2005年から拓殖大学海外事情研究所所長 兼 大学院教授を務める。2013年に拓殖大学を定年退職し、同特任教授(非常勤)を務める。日本国際フォーラム参与[2]、研究員[3]

2009年8月、麻生内閣の要請を受け浜田靖一防衛大臣の下、初代防衛大臣補佐官(現:防衛大臣政策参与)に就任したが、同月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙自由民主党が大敗し鳩山由紀夫内閣が発足したため解任。

民間人初の防衛大臣

2012年6月、野田第2次改造内閣で、参議院問責決議が可決されていた田中直紀の後任の防衛大臣に任命され初入閣を果たした。民間人の防衛担当閣僚の就任は、前身の防衛庁時代を含めても初(それ以前の警察予備隊保安庁時代まで含めれば、初代保安庁長官の木村篤太郎は就任後約半年間は民間人閣僚だった[4])となる。森本の防衛相起用について自民党の石破茂らは「森本先生は第一人者。人格も立派」など一定の評価をしたが、民主党内の鳩山由紀夫元首相をはじめ与野党の国会議員沖縄県は懸念を表明していた[5][6][7][8]共同通信社が2012年6月4日、5日に行った内閣改造に関する世論調査によれば、森本の防衛相就任を「評価する」は60.5%、「評価しない」は21.1%であった[9]

同年10月に発足した野田第3次改造内閣でも留任したが、12月26日、野田内閣の総辞職に伴い防衛大臣を退任。防衛相就任以前から強い関心を示していた普天間基地移設問題においては大きな進捗が見られなかったものの、既に活動が形骸化していた自衛隊ハイチPKO派遣及び治安悪化から自衛隊員の安全確保を最優先させるべく自衛隊ゴラン高原派遣の終結命令を発令、退任直前に発生した北朝鮮によるミサイル発射に対する対応を行った。

防衛大臣退任後

退任後は各種情報番組に出演し、防衛政策における論客活動を展開。2015年10月16日付で防衛大臣政策参与に任命[10]された。

2016年1月、拓殖大学第19代総長に選任される[11]。任期は、2016年3月1日から2020年2月29日まで。

人物

2007年10月25日撮影

発言・主張

  • 2012年8月韓国李明博大統領が竹島を訪問した際、「韓国の内政上からくる要請によるもの」と発言した。これが「韓国の内政上の問題」と報じられたことから騒動になり、自民党の谷垣禎一総裁は「真実ならば問責に値する」としたほか、複数の議員から罷免を要求する発言がなされたが、森本が「そのような発言をした覚えはない」と強く反発し、実際の発言内容が改めて報道されると騒動は一気に終息した。
  • 日本のTPP参加の是非について、日本のTPP参加は「日米同盟の選択」を意味するとして、日米同盟を堅持するならば参加しない選択肢は無いとの見解を述べた[12]

著書

単著

共著

編著

共編著

監修

  • 『岐路に立つ日本の安全――安全保障・危機管理政策の実際と展望』(北星堂書店、2008年)ISBN 978-4590012360
  • 『漂流する日米同盟――民主党政権下における日米関係』(海竜社、2010年)

出演番組

脚注

  1. ^ 学校法人拓殖大学 新総長の選任について
  2. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  3. ^ 研究員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  4. ^ 1952年10月に第4次吉田内閣で保安庁長官に就任し、翌1953年第3回参議院議員通常選挙で初当選。
  5. ^ 朝日弘行、念佛明奈、吉永康朗 (2012年6月4日). “内閣改造:防衛相に森本氏 長官時代含めて初めて民間人”. 毎日jp (毎日新聞社). オリジナルの2012年6月4日時点におけるアーカイブ。. http://megalodon.jp/2012-0604-1519-01/mainichi.jp/select/news/20120604k0000e010175000c.html 2012年6月6日閲覧。 
  6. ^ “新防衛相、「政治家より期待」の一方で不安も…”. 読売新聞. (2012年6月4日). オリジナルの2012年6月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120609004211/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120604-OYT1T00622.htm 2012年6月6日閲覧。 
  7. ^ 佐藤敬一、福永方人 (2012年6月4日). “内閣改造:森本氏の防衛相起用 沖縄は期待と不安”. 毎日jp (毎日新聞社). オリジナルの2012年6月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120606225638/http://mainichi.jp/select/news/20120604k0000e010188000c.html 2012年6月6日閲覧。 
  8. ^ “森本氏起用、「文民統制」批判に論拠薄く”. 産経新聞. (2012年6月5日). オリジナルの2013年11月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131114065306/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120606/plc12060600580002-n1.htm 2012年6月6日閲覧。 
  9. ^ “森本防衛相始動、首相全面支援 有識者懇発足”. 産経新聞. (2012年6月6日). オリジナルの2012年6月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120605203553/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120606/plc12060600550001-n1.htm 2012年6月6日閲覧。 
  10. ^ 防衛省発令(政策参与人事)
  11. ^ 学校法人拓殖大学 新総長の選任について
  12. ^ TPP 日米同盟堅持なら「NO」の選択肢ないはずと拓大森本敏氏」『SAPIO』2011年12月7日号、NEWSポストセブン、2011年11月18日、2013年2月10日閲覧 

外部リンク

公職
先代
田中直紀
日本の旗 防衛大臣
第11代:2012年
次代
小野寺五典
学職
先代
渡辺利夫
拓殖大学総長
第19代:2016年3月 -
次代
現職