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2016年6月8日 (水) 03:16時点における版

てづか さとみ
手塚 理美
本名 手塚 理美
別名義 手塚 さとみ
生年月日 (1961-06-07) 1961年6月7日(63歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都大田区
国籍 日本
民族 日本人
血液型 AB型
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1974年 -
活動内容 1975年:ユニチカ2代目マスコットガール
1982年:『ハイカラさん
1983年:『ふぞろいの林檎たち
1987年:『男女7人秋物語
1993年:『チャンス』、『もう涙は見せない
配偶者 真田広之1990年 - 1997年
著名な家族 長男、二男
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手塚 理美(てづか さとみ、1961年6月7日 - )は、日本女優である。初めはキャンペーンガールグラビアアイドルとしてデビューした。ヴィレッジ エンターテイメント所属。

人物

東京都大田区出身。大田区立梅田小学校、大森第四中学校を経て、東京都立赤坂高等学校卒業。

経歴

生い立ち

5歳の時、オリンピック体操種目の金メダリスト・小野喬の池上スポーツクラブに入門。この頃の夢はオリンピック選手になる事だった。小学生の頃よりジュニアモデルとして活動を始めたが、はじめての仕事は8歳の時で、七五三の撮影でモデルを務める予定だった7歳の女の子が病気になり、代役を頼まれたことによるものだった。

10代

中学入学前に出演した不二家チョコレートCMユニチカのスタッフの目に留まったことから、中学1年生の時に同社の2代目マスコットガール[1][2]に選ばれ、本格的に芸能界デビューした。当時は手塚さとみ名義[3]

1974年昭和49年)にはユニチカのCMに三つ編み、赤の鉢巻、白無地の襟付き長袖体操服に濃紺無地のブルマーという姿で出演、作曲家小林亜星との共演で話題となる。その後テレビ番組、映画への出演や雑誌のグラビアモデル等、様々な分野で活躍し人気を博す。また10代の頃はアイドル歌手としてシングル2枚、アルバム1枚をリリースしているが、人前で歌う事の恥ずかしさから、テレビの歌番組には一度も出演しなかった。

女優

1981年昭和56年)、ヌード写真集『少女だった』(沢渡朔撮影)を発表。前後して活動を女優業へシフト。翌年にはNHK朝の連続テレビ小説ハイカラさん』ではヒロインを務め、 「ハイカラさん」のヒロインには878名の候補者の中から選ばれたが、記者会見での「今の心境は?」という質問に「ガラスの箱の中にいるような気分です。高い台に立たされて、背中まで見透かされてしまっているみたい……」と答えている。 放送中には2冊目のヌード写真集『四色の花火』(篠山紀信撮影:同タイトルのレーザーディスクもあり)を発売している。以降『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどのドラマや『ア・ホーマンス』・『茶の味』などの映画で活躍。

私生活

1990年平成2年)、俳優の真田広之と結婚。1992年平成24年)には長男、1996年平成8年)には次男と二人の男児をもうけたが、真田と女優葉月里緒菜との不倫が報じられた1997年平成9年)に離婚。その後再婚はせずにシングルマザーとして暮らしている。

手塚の家族は兄弟は弟が2人。手塚がモデルの仕事を始めたのは8歳のときだが、弟はそれよりも先に子供服のモデルをやっていたという。

エピソード

  • 少女時代に好きだったミュージシャン井上陽水ビートルズクイーン
  • 高校に入学してすぐ、クラスの男子に交際を申し込まれたが「まだあなたのこと全然知らないし、好きになってもいないのに、交際なんて私にはできません。」としどろもどろになりながら断った。
  • 2枚目のシングル「ボビーに片想い」のレコーディング合宿で、吉田拓郎に「おまえは生意気だ。おまえはちっとも自分の意見を言わないじゃないか。自分の意見をはっきり言えないのは、いつも知ったかぶりで済ませてきたからだ。」と説教された。
  • 初めてのキスシーンはドラマ「娘が家出した夏 家庭ってなァに?」の第2話。
  • 「写真熱気球」ではゲストへのインタビューの最後に必ず「あなたにとっていい写真とは何ですか」と尋ねた。
  • 「ハイカラさん」の撮影中、ヒロイン・文(ふみ)の新婚時代、夫とふたりでベランダの手すりにもたれて外の景色を眺めるシーンがあった。その際、手すりを握る手塚の手に偶然夫役の俳優の手が触れた。ほとんど無意識的かつ反射的に手塚は自分の手をそらしてしまった。そのシーンのオンエアを観た母親は「あれは無いわよ。とても新婚夫婦には見えなかったわよ」と告げたという。

主な出演

テレビドラマ

映画

舞台

  • Good (1984年)
  • 危険な関係 (1988年)
  • 日本橋 (1989年)
  • 昭和歌謡大全集 (1997年)
  • 出雲の阿国 (1998年)
  • 鹿鳴館 (1998年)
  • ラ・テラス (2001年)

バラエティー・教養番組

  • 写真熱気球(テレビ東京)

他多数

ラジオ番組

  • サウンド・アプローチ(FM東京

出版

写真集

  • 少女だった(1981年5月20日、小学館)撮影:沢渡朔 - 手塚さとみ名義
    • 雑誌『写楽』1980年9月号で発表されたカット群がベース。ヌードは手塚本人が撮影を希望していたとされる。ロケ地は主にニューカレドニア。まだ少女の面影を残していた頃の手塚の瑞々しく自然な姿が映し出されている。
  • 四色の花火(1982年11月10日[4]、小学館)撮影:篠山紀信 - 手塚理美名義
    • 『少女だった』に触発された篠山の強い要望で製作が開始された。撮影は1981年春から約1年をかけて行われ、ロケ地は京都福井軽井沢秋田。それまでの手塚が持っていた清楚なイメージに加え、内面の激しさが引き出されている。セクシュアルなヌードのカットも数多く、被写体・手塚に対する篠山のアプローチは沢渡と好対照を為している。
  • 妖精たちのレジェンド-ユニチカマスコットガール写真集-(1996年10月10日、あすか書房)

カレンダー

ディスコグラフィー

シングル

アルバム

  • 15才の肖像(1976年)キングレコード SKA-157

雑誌掲載

週刊誌

写真誌

  • アサヒカメラ(1978年2月号、朝日新聞出版)
  • カメラマン(1979年8月号、モーターマガジン社
  • 変身のカメラワーク(1980年7月20日発行、ワニブックス
  • カメラ小僧&ギャルズ50(1980年8月15日発行、講談社)
  • カメラ毎日(1980年12月号、毎日新聞社)
  • 日本カメラ(1981年3月号、日本カメラ社)
  • カメラ毎日写真講座5実践編(1981年11月1日発行、毎日新聞社)
  • CAPA(1982年6月号、学研
  • 写GIRL82(1982年10月15日発行、日本芸術出版社)
  • 紀信の表紙写真館(1988年7月20発行、朝日新聞社)

男性誌

  • 週刊プレイボーイ(1974年12月17日号・1975年9月30日号・1975年11月4日号・1976年1月6日号・1976年1月13日号・1976年3月16日号・1976年3月30日号・1976年6月8日号・1977年3月1日号・1977年9月6日号・1978年4月18日号・1979年1月9日号、集英社
  • DXプレイボーイ特別編集VIRGIN CHI-CHI(1980年12月20日発行、集英社)
  • 20世紀のヴィーナス(2000年12月15日発行、集英社)
  • 平凡パンチ(1974年11月4日号・1975年3月31日号・1976年4月26日号・1976年4月26日号・1976年5月10日号・1976年7月26日号・1976年8月23日号・1977年1月10日号・1977年3月21日号・1977年5月9日号・1977年10月31日号・1978年12月11日号、マガジンハウス
  • ポケットパンチ Oh!(1976年6月1日号、マガジンハウス)
  • GORO(1975年4月24日号・1976年3月25日号・1976年11月11日号・1976年11月25日号・1977年4月28日号・1977年5月1日号・1977年11月10日号・1978年9月14日号・1979年5月24日号・1979年10月11日号・1980年1月24日号・1981年6月25日号・1981年9月24日号・1982年2月11日号・1982年10月28日号、小学館)
  • 別冊BIG GORO 激写(1980年5月1日発行、小学館)

イベント

『四色の花火』発刊記念「手塚理美を囲む会」

東京

  • 1982年10月22日(金)23日(土)ミドリヤ渋谷店B1オーディオビジュアル・センター
    • PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会
  • 1982年10月24日(日)スタジオアルタ7Fスタジオ
    • PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会、篠山紀信とのトークショー
    • PM6:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会

大阪

  • 1982年10月29日(金)阪急イングス2Fイベントスペース
  • 1982年10月30日(土)31日(日)阪急イングス2Fイベントスペース
    • PM1:00/PM3:00 サイン入り写真集即売会、ビデオ上映会

脚注

  1. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 俺たちが愛した美少女選抜BEST30 第1弾・70年代編
  2. ^ 初代は風吹ジュン、3代目は紺野美沙子
  3. ^ 当時の媒体では写真集も含め「手さとみ」と「」の字が現在と1画異なる表記が見られるが、これは1981年に常用漢字が制定される前後であり、旧字体が用いられていたためである。1982年から1983年以降は「手」表記に統一されているが、芸名の変更があったわけではない。
  4. ^ 奥付による。実際の発売日は1982年10月22日。A4判96Pオールカラー。当時の定価は1700円

外部リンク