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「御茶ノ水駅」の版間の差分

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またJR東日本の駅は、[[特定都区市内]]制度における「[[特定都区市内#設定区域一覧|東京都区内]]」、類似の制度である「[[東京山手線内]]」に属している。
またJR東日本の駅は、[[特定都区市内]]制度における「[[特定都区市内#設定区域一覧|東京都区内]]」、類似の制度である「[[東京山手線内]]」に属している。

== 歴史 ==
駅名の元となった地名の由来については[[御茶ノ水]]を参照。

=== 甲武鉄道による開業 ===
現在の中央本線の[[新宿駅|新宿]] - [[八王子駅|八王子]]間は、[[私鉄]]の[[甲武鉄道]]が建設した。その後甲武鉄道は東京市街地中心部への路線延長を図り、1895年(明治28年)4月3日に[[飯田町駅]]まで[[蒸気機関車]]による運転で開通した。この飯田町駅は[[飯田橋駅]]よりも東側にあった駅で、後に貨物駅となり1999年(平成11年)に廃止となった。さらに甲武鉄道は、列車運転本数の増加を図るとともに、蒸気機関車の運転による音や煤煙の公害を軽減する目的もあって、路線の[[鉄道の電化|電化]]を行って[[電車]]の運転を開始し、路線の市街地方面へのさらなる延長を行った。こうして1904年(明治37年)12月31日に飯田町から御茶ノ水までの路線が当初から[[複線]]電化で開通し、御茶ノ水駅がこの際に開業した。御茶ノ水 - [[中野駅 (東京都)|中野]]の間で1日28往復、新宿までは10分間隔の運転であった<ref name = "飯田町駅ものがたり">[[#飯田町駅ものがたり|「飯田町駅ものがたり」]]</ref>。当初の御茶ノ水駅は現在地よりも新宿より、[[御茶ノ水橋]]を挟んで反対側に所在していた。この当時の駅舎の跡地には[[神田警察署]]お茶の水交番が所在している<ref name = "市街線点描">[[#市街線点描|「甲武鉄道の市街線点描」]]</ref>。駅舎は洋風木造平屋建てのものであった<ref name = "駅のはなし_140">[[#駅のはなし|『駅のはなし』p.140]]</ref>。またプラットホームは相対式ホーム2面2線であった<ref name = "今昔50年_55">[[#今昔50年|『中央線 オレンジ色の電車今昔50年』p.55]]</ref>。

この区間の建設に当たっては、東京市区改正委員会から道路への影響を避けるように求められ、結果として[[外濠 (東京都)|外濠]]の内側を走る経路が選択された。また土手や崖地の景観をできるだけ保全するように求められ、さらに湧水にも苦しめられる難工事となった。こうした条件から、御茶ノ水駅は[[神田川 (東京都)|神田川]]と崖が迫る狭隘な場所に建設される結果となった<ref name = "バリアフリー検証_75-76">[[#バリアフリー検証|「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」pp.75 - 76]]</ref>。

甲武鉄道はさらに御茶ノ水駅より東側の区間の建設を進めていた。しかし1906年(明治39年)10月1日に[[鉄道国有法]]により甲武鉄道は国有化され、御茶ノ水駅は国鉄の駅となるとともに、御茶ノ水駅より東への延長工事も国鉄へ引き継がれた。1908年(明治41年)4月19日に[[昌平橋駅]]までが開通して、当駅は中間駅となった。また同年10月12日に[[国鉄・JR線路名称一覧|国有鉄道線路名称]]が制定されて、御茶ノ水駅が所属する路線は中央本線と命名された<ref name = "飯田町駅ものがたり" />。

=== 総武本線の乗り入れ工事 ===
1923年(大正12年)9月1日には[[関東大震災]]に見舞われ、御茶ノ水駅は駅舎が一部焼失する被害を受けた。しかしこれは応急復旧されてそのまま使用された<ref name = "バリアフリー検証_76">[[#バリアフリー検証|「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」p.76]]</ref>。また神田川に面した崖が大規模に崩落し、この箇所を復旧した形跡は今もなお残されている<ref name = "今昔50年_55" />。

それまであまり輸送量の大きな路線ではなかった中央本線は関東大震災後、復興資材となる砂利の輸送が拡大し、通勤輸送についても輸送量が急増することになった。さらに失業対策事業の一環もあって、大正末期に御茶ノ水 - 中野間の[[複々線]]化工事に着手することになった<ref name = "百年史9_184-185">[[#百年史9|『日本国有鉄道百年史』9 pp.184 - 185]]</ref>。またこの頃、[[総武本線]]は[[両国駅]]を起点とする路線で、旅客は[[バス (交通機関)|バス]]に乗り換えて他の路線の駅に向かわなければならない状況であった。総武本線を市街中心地まで延長して他の路線と連絡させる計画は古くからあったが、関東大震災で市街地が焼失したことを契機に区画整理が行われることになったことから、これに合わせて線路用地を買収して、両国と御茶ノ水を結ぶ高架路線を建設することになった<ref name = "高架線工事_846">[[#高架線工事|「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」p.846]]</ref>。

この工事に伴い、御茶ノ水駅はそれまでの所在地より東側の、御茶ノ水橋と[[聖橋]]の間に移転することになった。出入口は御茶ノ水橋と聖橋の双方のたもとに設けられた。[[プラットホーム]]は島式ホームを2面設置して、両国と連絡する総武本線の線路を内側、中央本線の線路を外側にした方向別配置とした。総武本線の線路は御茶ノ水を出ると、33[[パーミル]]の上り勾配で登って中央本線の上り線を跨ぎ越す構造とされた<ref name = "高架線工事_847">[[#高架線工事|「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」p.847]]</ref>。総武本線は中央本線の緩行線・急行線の双方ともに連絡でき、かつ折り返しもできる配線とされた。プラットホームは完成時点では全長152.2[[メートル]]、幅は川側の中央本線上り・総武本線下りホームが6.5メートル、山側の総武本線上り・中央本線下りホームが5.8メートルとなった<ref name = "画報_39">[[#画報|「御茶の水両国橋間高架線建設工事に就て」p.39]]</ref>。

工事は、中央本線の電車が行き交う脇で、しかも[[駿河台]]の民家に近接して高さ12メートルにおよぶ[[擁壁]]を構築する必要があるなど、困難なものとなった。施工は大倉土木(現在の[[大成建設]])が請け負った<ref name = "高架線工事_848">[[#高架線工事|「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」p.848]]</ref><ref name = "画報_38-39">[[#画報|「御茶の水両国橋間高架線建設工事に就て」pp.38 - 39]]</ref>。総武本線側の工事が完成して1932年(昭和7年)7月1日から御茶ノ水駅に総武本線の電車が乗り入れを開始し、続いて1933年(昭和8年)9月15日に御茶ノ水 - 飯田町間の複々線化工事が完成して中央線急行電車(現在の[[中央線快速]])が運転を開始した<ref name = "百年史9_184-185" />。

総武本線の乗り入れ工事に合わせて、2代目の御茶ノ水駅舎の建築が行われた<ref name = "駅のはなし_140-142">[[#駅のはなし|『駅のはなし』pp.140 - 142]]</ref>。この頃の建築界では、過去の様式にとらわれずに新しい建築材料にもっとも適した建築をしようという[[ウィーン分離派]](ウィンナー・セセッション)の動きが出ていた<ref name = "百年史9_259">[[#百年史9|『日本国有鉄道百年史』9 p.259]]</ref>。そして鉄・ガラス・コンクリートといった材料を使って、無装飾で実用本位な建築を行う[[インターナショナル・スタイル]]が誕生し、日本においてもこうした[[モダニズム建築]]の動きが見られるようになった<ref name = "世界の駅_41-44">[[#世界の駅|『世界の駅・日本の駅』pp.41 - 44]]</ref>。こうしたモダニズム建築の様式による駅舎の設計を行ったのは、[[東京大学|東京帝国大学]]建築学科を卒業して[[鉄道省]]に入省した、建築家の[[伊藤滋 (建築家)|伊藤滋]]であった。設計に際しては、[[湯島聖堂]]の近くにあるから東洋趣味を重んじたものにするように、との外部団体からの要望も寄せられたが、伊藤はこれを一蹴し、震災復興橋梁として先に完成していた聖橋(1927年完成)、御茶ノ水橋(1931年完成)との調和を重視した設計を行った。それまでの駅はいったん乗客を待合室に滞留させてからプラットホームへ導くものであったが、伊藤は駅は道路の一部であるとして旅客流動を重視した設計を行い、やってくる乗客を次々に捌く新しい電車時代の駅を設計した<ref name = "世界の駅_45">[[#世界の駅|『世界の駅・日本の駅』p.45]]</ref>。これは駅舎設計の根本的な転換で、以降の通勤電車の駅の設計の基本となった。これ以降、乗降客数は比べ物にならないほど増加したものの、御茶ノ水駅はその機能を果たし続けている<ref name = "駅のはなし_140-142" />。

[[第二次世界大戦後]]は、国鉄の駅にはプラットホームの延長や上屋の設置といった工事が行われた。1954年(昭和29年)1月20日には[[東京地下鉄丸ノ内線|営団丸ノ内線]]の御茶ノ水駅が開業し、1969年(昭和44年)12月20日には[[東京地下鉄千代田線|営団千代田線]]の[[新御茶ノ水駅]]も付近に開業している<ref name = "今昔50年_55-57">[[#今昔50年|『中央線 オレンジ色の電車今昔50年』pp.55 - 57]]</ref>。

=== 駅改良工事 ===
JR発足直後に、老朽化した駅舎を建て替えるために、新駅舎のデザインを募集するなどの大規模なプロジェクトが行われた際、[[ニコライ堂]]を模したデザインが選ばれた。しかし、ホームが擁壁と神田川に挟まれていること、駅舎がホームより高い位置にありかなり狭隘な場所にあることなど、不利な条件がいくつもあるためか、その後計画は立ち消えとなってしまった。

このような構造上・立地上の問題から[[バリアフリー]]対応が十分に行われず、[[車椅子]]用のリフトはあるが、[[エレベーター]]や[[エスカレーター]]は設置されていない。周辺に[[大学病院]]などの大規模な[[病院]]が数多くあり、外来で通院する[[高齢者]]などから苦情が寄せられていたため、[[2002年]]に周辺の8病院が連名でJR東日本にバリアフリー対応の要請を行い、また、[[2006年]]12月下旬からエレベーターとエスカレーターの設置を求める[[署名運動]]が行われて、2008年に約1万2000人分の署名を千代田区長に提出して対策推進を要望した<ref name = "バリアフリー検証_77">[[#バリアフリー検証|「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」p.77]]</ref>。

これに対して、JR東日本は長らく費用面から及び腰であったが、[[2010年]][[3月26日]]に、当駅で2010年度末からバリアフリー整備を行うことがJR東日本より発表された。また同日千代田区もJR東日本と連携して駅前広場の整備事業を行うことを発表した。その内容は、線路上空に人工地盤を設置し、改札内に連絡通路を新設し、御茶ノ水橋口駅舎および聖橋口の駅前広場機能の整備を行う。また、聖橋口駅舎を人工地盤上に移設してエレベーターやエスカレーターなどを設置することによりバリアフリー整備を行うものであった<ref name = "バリアフリー検証_78">[[#バリアフリー検証|「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」p.78]]</ref><ref name = "PR20100326">{{Cite web | url = http://www.jreast.co.jp/press/2009/20100322.pdf | title = JR中央線御茶ノ水駅バリアフリー整備について | publisher = 東日本旅客鉄道 | date = 2010-03-26 | format = PDF | accessdate = 2013-09-08}}</ref>。これには、聖橋口前での旧[[日立製作所]]本社ビル(御茶ノ水セントラルビル)跡地での大型複合ビル建設など、病院の町としてだけでなく新たなオフィスビルの集積を目指した都市改造プロジェクトが進められていることから、新たな客層獲得がJR東日本の改修工事着手を後押しすることになったと推測されている<ref name = "バリアフリー検証_79-80">[[#バリアフリー検証|「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」pp.79 - 80]]</ref>。

今回の計画は、同駅が狭隘な位置に立地していることから非常に難易度の高い大規模な工事になり、それに伴い列車の運行を変更する可能性もあるという。2010年度内に概略設計や関係者との調整を行い、同年度末の工事着手を目指して検討が進められる<ref name = "PR20100326" />。2013年の秋以降は、駅構内や周辺の耐震補強を含めた本格的な駅改良工事へ入り、バリアフリー整備関連は2018年度まで、駅前広場機能整備は2020年度の完成を目標としている<ref name = "PR20130903">{{Cite web | url = http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130902.pdf | title = JR中央線御茶ノ水駅バリアフリー整備等の本体工事着手について | publisher = 東日本旅客鉄道 | date = 2013-09-03 | format = PDF | accessdate = 2013-09-08}}</ref>。

=== 年表 ===
* [[1904年]]([[明治]]37年)[[12月31日]] - 当駅 - [[飯田町駅]]間開通と同時に[[甲武鉄道]]の駅として御茶ノ水橋の新宿寄りに開業。旅客営業のみ。
* [[1906年]](明治39年)[[10月1日]] - [[鉄道国有法]]による甲武鉄道の国有化に伴い、[[日本国有鉄道|国有鉄道]]の駅となる。
* [[1908年]](明治41年)
** [[4月19日]] - [[昌平橋駅]] - 当駅間が開通。
** [[10月12日]] - [[国鉄・JR線路名称一覧|国有鉄道線路名称]]制定により、中央本線の駅となる。
* [[1923年]]([[大正]]12年)[[9月1日]] - [[関東大震災]]により駅舎の一部が焼失したが、応急復旧して継続使用。御茶ノ水付近は崖の崩落を含む施設被害を受ける。
* [[1932年]]([[昭和]]7年)[[7月1日]] - 現在地に改築移転。両国と結ぶ[[総武本線]]が乗り入れ。
* [[1933年]](昭和8年)[[9月15日]] - 御茶ノ水 - 飯田町間複々線化完成、中央線急行電車(現在の中央快速線)運転開始。
* [[1954年]](昭和29年)[[1月20日]] - [[帝都高速度交通営団]](営団地下鉄)丸ノ内線の駅が開業。
* [[1972年]](昭和47年)[[7月15日]] - [[総武快速線]]の開業に伴い、総武本線の起点駅から総武本線支線の終点駅となる。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]により国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
* [[1993年]]([[平成]]5年)[[11月4日]] - 営団地下鉄の定期券うりばが東京駅構内へ移転のため閉鎖。代替措置として、継続定期券発売機を導入<ref>'94営団地下鉄ハンドブック</ref><ref group = "注">[[上野駅]]、[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ヶ関駅]]、[[銀座駅]]、[[新橋駅]]、[[秋葉原駅]]、[[葛西駅]]と同時に導入。翌[[1994年]]に導入された[[後楽園駅]]も合わせて、営団では数少ない継続定期券発売機設置駅であった。</ref>。
* [[1999年]](平成11年) - JR東日本の駅が[[関東の駅百選]]に選定される。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]] - JR東日本でICカード[[Suica]]供用開始。
* [[2004年]](平成16年)[[4月1日]] - 営団地下鉄民営化により、丸ノ内線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]] - 東京メトロでICカード[[PASMO]]供用開始。
* [[2010年]](平成22年)[[3月26日]] - JR東日本と千代田区による、駅のバリアフリー化工事および駅前広場機能整備事業が発表される。


== 駅構造 ==
== 駅構造 ==
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[[File:JRE-Chuo-Line-Ochanomizu-Sta-Hijiribashi.jpg|thumb|250px|JR御茶ノ水駅 聖橋口(2012年5月)]]
[[File:JRE-Chuo-Line-Ochanomizu-Sta-Hijiribashi.jpg|thumb|250px|JR御茶ノ水駅 聖橋口(2012年5月)]]


[[プラットホーム#形状と配置|島式ホーム]]2面4線を持つ[[地上駅]]で、[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。御茶ノ水橋と[[聖橋]]の間にホームがあり、それぞれの橋の南側に出口がある。それぞれ御茶ノ水橋口と聖橋口と称する。駅本屋は御茶ノ水橋側(新宿側)にある。さらに聖橋口より東側(秋葉原側)に平日の朝のみ機能している出口専用の臨時改札口がある。高台の擁壁と[[神田川 (東京都)|神田川]]の間に線路がかれているため、ホームの幅が非常に狭い。[[便所|トイレ]]は御茶ノ水橋口と聖橋口の両改札口内にあるが、ともに多機能トイレはない。
[[プラットホーム#形状と配置|島式ホーム]]2面4線を持つ[[地上駅]]で、[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。御茶ノ水橋と[[聖橋]]の間にホームがあり、それぞれの橋の南側に出口がある。それぞれ御茶ノ水橋口と聖橋口と称する。駅本屋は御茶ノ水橋側(新宿側)にある。さらに聖橋口より東側(秋葉原側)に平日の朝のみ機能している出口専用の臨時改札口がある。高台の擁壁と[[神田川 (東京都)|神田川]]の間に線路がかれているため、ホームの幅が非常に狭い。[[便所|トイレ]]は御茶ノ水橋口と聖橋口の両改札口内にあるが、ともに多機能トイレはない。


御茶ノ水口駅舎は、1932年(昭和7年)7月の総武本線乗り入れに合わせて使用開始された、伊藤滋設計によるモダニズム建築であり、それまでの乗客を待合室に滞留させてからプラットホームに導く駅から、旅客流動を重視して次々に乗客を電車に流し込む、新しい通勤電車の駅のスタイルを初めて確立した<ref name = "駅のはなし_140-142" />。それ以降大きく手を入れられていないが、バリアフリー対策工事に2013年度から着手することになっている。
外側2線を中央線快速が、内側2線を中央・総武線各駅停車がそれぞれ使用する[[複々線#方向別複々線|方向別複々線]]である。並走する[[三鷹駅|三鷹]] - 御茶ノ水間のうち同方向であれば、階段を使わずに乗り換えが可能な唯一の駅である。


外側2線を中央線快速が、内側2線を中央・総武線各駅停車がそれぞれ使用し、同じ方向の列車を同じホームで乗り換えできる、[[複々線#方向別複々線|方向別複々線]]となっている。これを実現するために御茶ノ水駅の前後に立体交差が設置されている<ref name = "東京圏複々線">[[#東京圏複々線|「東京圏複々線区間の配線と運転の興味」]]</ref>。並走する[[三鷹駅|三鷹]] - 御茶ノ水間のうち同方向であれば、階段を使わずに乗り換えが可能な唯一の駅である。
当駅を境に中央線と総武線の各駅停車の列車が[[直通運転|相互直通運転]]を行う。ただし、早朝と深夜は両線で分離して運転を行う。総武線は当駅で折り返すが、中央線は当駅の水道橋方で快速電車が走る[[急行線]]と緩行線との間を転線して[[東京駅]]発着で運転され、この際には快速に使われる[[JR東日本E233系電車|E233系]]が使用される。総武線の上り列車は2番線に到着し、そのまま中央緩行線下り本線に引き上げ、その後3番線に入線して総武線下り列車となる<ref>渡り線までの間隔が十分にあるため1番線の発着には支障はない。</ref>。この時間帯には、[[千葉駅|千葉]]方面から[[新宿駅|新宿]]・[[中野駅 (東京都)|中野]]・三鷹方面、その逆の三鷹方面から[[錦糸町駅|錦糸町]]・[[津田沼駅|津田沼]]・千葉方面へ行く場合は、どちらも当駅での乗り換えが必要となる。


当駅を境に中央線と総武線の各駅停車の列車が[[直通運転|相互直通運転]]を行う。ただし、早朝と深夜は両線で分離して運転を行う。総武線は当駅で折り返すが、中央線は当駅の水道橋方で快速電車が走る[[急行線]]と緩行線との間を転線して[[東京駅]]発着で運転され、この際には快速に使われる[[JR東日本E233系電車|E233系]]が使用される。総武線の上り列車は2番線に到着し、そのまま中央緩行線下り本線に引き上げ、その後3番線に入線して総武線下り列車となる<ref group = "注">渡り線までの間隔が十分にあるため1番線の発着には支障はない。</ref>。この時間帯には、[[千葉駅|千葉]]方面から[[新宿駅|新宿]]・[[中野駅 (東京都)|中野]]・三鷹方面、その逆の三鷹方面から[[錦糸町駅|錦糸町]]・[[津田沼駅|津田沼]]・千葉方面へ行く場合は、どちらも当駅での乗り換えが必要となる。
[[勾配]]の向きに関して、東京方面側では急行線は下り、緩行線は上っていく珍しい構造となっている。


==== のりば ====
==== のりば ====
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* 2番線と3番線の間に総武本線の[[距離標|0キロポスト]]が設置されている。
* 2番線と3番線の間に総武本線の[[距離標|0キロポスト]]が設置されている。
* 4番線に進入する列車は、配線の関係上ホーム直前で大きく揺れる。
* 4番線に進入する列車は、配線の関係上ホーム直前で大きく揺れる。
<!--東京行きの特急もあり、何をさしているのか不明のため、コメントアウト
* [[特別急行列車|特急列車]]は当駅を通過するが、総武緩行線千葉方面から2番線を経由して快速電車用の急行線に入る際に[[分岐器#形状による分類|渡り線]]の信号待ちのため[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]]する。-->
* 2番線の[[発車メロディ]]は、当駅のみで使用されているものである。
* 2番線の[[発車メロディ]]は、当駅のみで使用されているものである。
* [[1995年]]頃から[[東京圏輸送管理システム|ATOS]]が導入されるまで、3・4番線で当駅のみで使用される[[塩塚博]]作曲の[[接近メロディ]]を使用していた。
* [[1995年]]頃から[[東京圏輸送管理システム|ATOS]]が導入されるまで、3・4番線で当駅のみで使用される[[塩塚博]]作曲の[[接近メロディ]]を使用していた。
* [[JR東日本E233系電車|E233系]]の車内に設置されている[[液晶ディスプレイ|LCD]]による乗り換え案内では、「{{Color|#ffd400|■}}中央線各駅停車」「{{Color|#ffd400|■}}総武線各駅停車」と別個に表示される。
* [[JR東日本E233系電車|E233系]]の車内に設置されている[[液晶ディスプレイ|LCD]]による乗り換え案内では、「{{Color|#ffd400|■}}中央線各駅停車」「{{Color|#ffd400|■}}総武線各駅停車」と別個に表示される。

==== 駅改良工事 ====
JR発足直後に、老朽化した駅舎を建て替えるために、新駅舎のデザインを募集するなどの大規模なプロジェクトが行われた際、[[ニコライ堂]]を模したデザインが選ばれた。しかし、ホームが擁壁と神田川に挟まれていること、駅舎がホームより高い位置にありかなり狭隘な場所にあることなど、不利な条件がいくつもあるためか、その後計画は立ち消えとなってしまった。

このような構造上・立地上の問題から[[バリアフリー]]対応が十分に行われず、[[車椅子]]用のリフトはあるが、[[エレベーター]]や[[エスカレーター]]は設置されていない。周辺に[[大学病院]]などの大規模な[[病院]]が数多くあり、外来で通院する[[高齢者]]などから苦情が寄せられているため、[[2002年]]に周辺の8病院が連名でJR東日本にバリアフリー対応の要請を行い、また、[[2006年]]12月下旬からエレベーターとエスカレーターの設置を求める[[署名運動]]が行われたが、技術的に困難として一向に進展しなかった。<!---参考HPはリンク切れ--->
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[[東京新聞]]は、[[2010年]]までに当駅でバリアフリー化を行うことは「'''不可能'''」と報じた。JR東日本は[[高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律|バリアフリー新法]]における2010年までの設置[[努力義務]]に反することになる。
-->

[[2010年]][[3月26日]]、当駅で2010年度末からバリアフリー整備を行うことがJR東日本より発表された。その内容は、線路上空に人工地盤を設置し、改札内に自由通路を新設し、御茶ノ水橋口駅舎および聖橋口の駅前広場機能の整備を行う。また、聖橋口駅舎を移設してエレベーターやエスカレーターなどを設置することによりバリアフリー整備を行う。

今回の計画は、同駅が狭隘な位置に立地していることから非常に難易度の高い大規模な工事になり、それに伴い列車の運行を変更する可能性もあるという。2010年度内に概略設計や関係者との調整を行い、同年度末の工事着手を目指して検討が進められる<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2009/20100322.pdf JR中央線御茶ノ水駅バリアフリー整備について]}}</ref>。2013年の秋以降は、駅構内や周辺の耐震補強を含めた本格的な駅改良工事へ入り<ref>[http://www.jreast.co.jp/press/2013/20130902.pdf]</ref>、バリアフリー整備関連は2018年度まで、駅前広場機能整備は2020年度の完成を目標としている。
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* [[都営バス巣鴨営業所#学07系統|学07]]:[[東京大学本郷地区キャンパス#本郷キャンパス|東大構内]]行(聖橋上乗り場) - 乗車は東側(JR聖橋口)、降車は西側(JR御茶ノ水橋口)となる。
* [[都営バス巣鴨営業所#学07系統|学07]]:[[東京大学本郷地区キャンパス#本郷キャンパス|東大構内]]行(聖橋上乗り場) - 乗車は東側(JR聖橋口)、降車は西側(JR御茶ノ水橋口)となる。
* [[風ぐるま (千代田区)|風ぐるま]]:四谷・あきば便
* [[風ぐるま (千代田区)|風ぐるま]]:四谷・あきば便

== 歴史 ==
駅名の元となった地名の由来については[[御茶ノ水]]を参照。
* [[1904年]]([[明治]]37年)[[12月31日]] - 当駅 - [[飯田町駅]]間開通と同時に[[甲武鉄道]]の駅として御茶ノ水橋の新宿寄りに開業。旅客営業のみ。
* [[1906年]](明治39年)[[10月1日]] - [[鉄道国有法]]による甲武鉄道の国有化に伴い、[[日本国有鉄道|国有鉄道]]の駅となる。
* [[1908年]](明治41年)[[4月19日]] - [[昌平橋駅]] - 当駅間が開通。
* [[1923年]]([[大正]]12年)[[9月]] - [[関東大震災]]。御茶ノ水付近は崖の崩落を含む施設被害を受ける。
* [[1932年]]([[昭和]]7年) - 改築移転。[[総武本線]]が乗り入れ。
** この際に急行線(快速電車が走る線)と緩行線の「[[停車 (鉄道)|緩急接続]]」を考慮して、利用者の[[動線]]までも計算に入れた極めて先進的かつ合理的な駅設計が行われた。このため、狭いホーム構造ながら現在まで基本構造を変えないまま多くの乗客を捌くことが可能となっている。
* [[1954年]](昭和29年)[[1月20日]] - [[帝都高速度交通営団]](営団地下鉄)丸ノ内線の駅が開業。
* [[1972年]](昭和47年)[[7月15日]] - [[総武快速線]]の開業に伴い、総武本線の起点駅から総武本線支線の終点駅となる。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]により国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
* [[1993年]]([[平成]]5年)[[11月4日]] - 営団地下鉄の定期券うりばが東京駅構内へ移転のため閉鎖。代替措置として、継続定期券発売機を導入<ref>'94営団地下鉄ハンドブック</ref><ref>[[上野駅]]、[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ヶ関駅]]、[[銀座駅]]、[[新橋駅]]、[[秋葉原駅]]、[[葛西駅]]と同時に導入。翌[[1994年]]に導入された[[後楽園駅]]も合わせて、営団では数少ない継続定期券発売機設置駅であった。</ref>。
* [[1999年]](平成11年) - JR東日本の駅が[[関東の駅百選]]に選定される。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]] - JR東日本でICカード[[Suica]]供用開始。
* [[2004年]](平成16年)[[4月1日]] - 営団地下鉄民営化により、丸ノ内線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
*[[2007年]](平成19年)[[3月18日]] - 東京メトロでICカード[[PASMO]]供用開始。


== 隣の駅 ==
== 隣の駅 ==
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==
* {{Cite journal | 和書 | author = 三宅俊彦 | title = 飯田町駅ものがたり | journal = [[鉄道ピクトリアル]] | issue = 869 | year = 2012 | month = 11 | publisher = 電気車研究会 | pages = 24 - 31 | ref = 飯田町駅}}
* {{Cite journal | 和書 | author = 三宅俊彦 | title = 甲武鉄道の市街線点描 | journal = [[鉄道ピクトリアル]] | issue = 869 | year = 2012 | month = 11 | publisher = 電気車研究会 | pages = 42 - 43 | ref = 市街線点描}}
* {{Cite journal | 和書 | author = 祖田圭介 | title = 東京圏複々線区間の配線と運転の興味 | journal = [[鉄道ピクトリアル]] | issue = 776 | year = 2006 | month = 6 | publisher = 電気車研究会 | pages = 46 - 53 | ref = 東京圏複々線}}
* {{Cite journal | 和書 | author = 西律子 | title = JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証 | journal = お茶の水地理 | volume = 51 | date = 2012-03-31 | publisher = お茶の水地理学会 | pages = 73 - 85 | url = http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/51797/1/07_73-85.pdf | format = PDF | ref = バリアフリー検証}}
* {{Cite journal | 和書 | author = 平井喜久松 | title = 御茶ノ水・両国間高架線工事に就て | journal = 土木学会誌 | volume = 18 | issue = 8 | year = 1932 | month = 8 | publisher = [[土木学会]] | pages = 845 - 856 | url = http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00034/18-08/18-8-12009.pdf | format = PDF | ref = 高架線工事}}
* {{Cite journal | 和書 | author = 平井喜久松 | title = 御茶の水両国橋間高架線建設工事に就て | journal = 土木建築工事画報 | volume = 8 | issue = 8 | year = 1932 | month = 8 | publisher = [[土木学会]] | pages = 33 - 40 | url = http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/08-08/08-08-1677.pdf | format = PDF | ref = 画報}}
* {{Cite book | 和書 | title = [[日本国有鉄道百年史]] | volume = 9 | date = 1972-03-25 | publisher = [[日本国有鉄道]] | ref = 百年史9}}
* {{Cite book | 和書 | editor = 交建設計・駅研グループ | title = 駅のはなし | date = 1997-01-18 | edition = 改訂二版 | publisher = [[成山堂書店]] | ref = 駅のはなし}}
* {{Cite book | 和書 | editor = 小池滋・青木栄一・和久田康雄 | title = 世界の駅・日本の駅 | date = 2010-06-25 | edition = 第1刷 | publisher = [[悠書館]] | ref = 世界の駅}}(御茶ノ水駅に関する部分の執筆は小野田滋)
* {{Cite book | 和書 | author = 三好好三・三宅俊彦・塚本雅啓・山口雅人 | title = 中央線 オレンジ色の電車今昔50年 | date = 2008-04-01 | edition = 初版 | publisher = [[JTBパブリッシング]] | ref = 今昔50年}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2013年9月8日 (日) 06:10時点における版

御茶ノ水駅
右側はJRの駅、左側(地下)は東京メトロの駅。
2005年4月15日
おちゃのみず
Ochanomizu
所在地 東京都千代田区文京区
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細
東京地下鉄(東京メトロ・駅詳細
テンプレートを表示

御茶ノ水駅(おちゃのみずえき)は、東京都千代田区文京区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)のである。

神田川(外堀)南側(千代田区側)にJR東日本の駅が、北側(文京区側)に東京メトロの駅がある。そのため、所在地はJR東日本が千代田区神田駿河台二丁目、東京メトロが文京区湯島一丁目である。

乗り入れ路線

JR東日本の各線(後述)、東京メトロの丸ノ内線が乗り入れ、接続駅となっている。丸ノ内線の駅には「M 20」の駅番号が付与されている。

JR東日本の駅は、当駅の所属線である中央本線と、当駅を終点とする総武本線(支線)との分岐駅となっている。中央本線は当駅以西(新宿駅方面)が急行線(快速線)と緩行線との複々線区間となっており、急行線には東京駅発着の中央線快速電車が、緩行線には総武本線(錦糸町駅方面)と直通運転を行っている中央・総武線各駅停車が乗り入れる。ただし早朝・深夜帯は、東京駅発着で中央緩行線に乗り入れる各駅停車も運行される。

またJR東日本の駅は、特定都区市内制度における「東京都区内」、類似の制度である「東京山手線内」に属している。

歴史

駅名の元となった地名の由来については御茶ノ水を参照。

甲武鉄道による開業

現在の中央本線の新宿 - 八王子間は、私鉄甲武鉄道が建設した。その後甲武鉄道は東京市街地中心部への路線延長を図り、1895年(明治28年)4月3日に飯田町駅まで蒸気機関車による運転で開通した。この飯田町駅は飯田橋駅よりも東側にあった駅で、後に貨物駅となり1999年(平成11年)に廃止となった。さらに甲武鉄道は、列車運転本数の増加を図るとともに、蒸気機関車の運転による音や煤煙の公害を軽減する目的もあって、路線の電化を行って電車の運転を開始し、路線の市街地方面へのさらなる延長を行った。こうして1904年(明治37年)12月31日に飯田町から御茶ノ水までの路線が当初から複線電化で開通し、御茶ノ水駅がこの際に開業した。御茶ノ水 - 中野の間で1日28往復、新宿までは10分間隔の運転であった[1]。当初の御茶ノ水駅は現在地よりも新宿より、御茶ノ水橋を挟んで反対側に所在していた。この当時の駅舎の跡地には神田警察署お茶の水交番が所在している[2]。駅舎は洋風木造平屋建てのものであった[3]。またプラットホームは相対式ホーム2面2線であった[4]

この区間の建設に当たっては、東京市区改正委員会から道路への影響を避けるように求められ、結果として外濠の内側を走る経路が選択された。また土手や崖地の景観をできるだけ保全するように求められ、さらに湧水にも苦しめられる難工事となった。こうした条件から、御茶ノ水駅は神田川と崖が迫る狭隘な場所に建設される結果となった[5]

甲武鉄道はさらに御茶ノ水駅より東側の区間の建設を進めていた。しかし1906年(明治39年)10月1日に鉄道国有法により甲武鉄道は国有化され、御茶ノ水駅は国鉄の駅となるとともに、御茶ノ水駅より東への延長工事も国鉄へ引き継がれた。1908年(明治41年)4月19日に昌平橋駅までが開通して、当駅は中間駅となった。また同年10月12日に国有鉄道線路名称が制定されて、御茶ノ水駅が所属する路線は中央本線と命名された[1]

総武本線の乗り入れ工事

1923年(大正12年)9月1日には関東大震災に見舞われ、御茶ノ水駅は駅舎が一部焼失する被害を受けた。しかしこれは応急復旧されてそのまま使用された[6]。また神田川に面した崖が大規模に崩落し、この箇所を復旧した形跡は今もなお残されている[4]

それまであまり輸送量の大きな路線ではなかった中央本線は関東大震災後、復興資材となる砂利の輸送が拡大し、通勤輸送についても輸送量が急増することになった。さらに失業対策事業の一環もあって、大正末期に御茶ノ水 - 中野間の複々線化工事に着手することになった[7]。またこの頃、総武本線両国駅を起点とする路線で、旅客はバスに乗り換えて他の路線の駅に向かわなければならない状況であった。総武本線を市街中心地まで延長して他の路線と連絡させる計画は古くからあったが、関東大震災で市街地が焼失したことを契機に区画整理が行われることになったことから、これに合わせて線路用地を買収して、両国と御茶ノ水を結ぶ高架路線を建設することになった[8]

この工事に伴い、御茶ノ水駅はそれまでの所在地より東側の、御茶ノ水橋と聖橋の間に移転することになった。出入口は御茶ノ水橋と聖橋の双方のたもとに設けられた。プラットホームは島式ホームを2面設置して、両国と連絡する総武本線の線路を内側、中央本線の線路を外側にした方向別配置とした。総武本線の線路は御茶ノ水を出ると、33パーミルの上り勾配で登って中央本線の上り線を跨ぎ越す構造とされた[9]。総武本線は中央本線の緩行線・急行線の双方ともに連絡でき、かつ折り返しもできる配線とされた。プラットホームは完成時点では全長152.2メートル、幅は川側の中央本線上り・総武本線下りホームが6.5メートル、山側の総武本線上り・中央本線下りホームが5.8メートルとなった[10]

工事は、中央本線の電車が行き交う脇で、しかも駿河台の民家に近接して高さ12メートルにおよぶ擁壁を構築する必要があるなど、困難なものとなった。施工は大倉土木(現在の大成建設)が請け負った[11][12]。総武本線側の工事が完成して1932年(昭和7年)7月1日から御茶ノ水駅に総武本線の電車が乗り入れを開始し、続いて1933年(昭和8年)9月15日に御茶ノ水 - 飯田町間の複々線化工事が完成して中央線急行電車(現在の中央線快速)が運転を開始した[7]

総武本線の乗り入れ工事に合わせて、2代目の御茶ノ水駅舎の建築が行われた[13]。この頃の建築界では、過去の様式にとらわれずに新しい建築材料にもっとも適した建築をしようというウィーン分離派(ウィンナー・セセッション)の動きが出ていた[14]。そして鉄・ガラス・コンクリートといった材料を使って、無装飾で実用本位な建築を行うインターナショナル・スタイルが誕生し、日本においてもこうしたモダニズム建築の動きが見られるようになった[15]。こうしたモダニズム建築の様式による駅舎の設計を行ったのは、東京帝国大学建築学科を卒業して鉄道省に入省した、建築家の伊藤滋であった。設計に際しては、湯島聖堂の近くにあるから東洋趣味を重んじたものにするように、との外部団体からの要望も寄せられたが、伊藤はこれを一蹴し、震災復興橋梁として先に完成していた聖橋(1927年完成)、御茶ノ水橋(1931年完成)との調和を重視した設計を行った。それまでの駅はいったん乗客を待合室に滞留させてからプラットホームへ導くものであったが、伊藤は駅は道路の一部であるとして旅客流動を重視した設計を行い、やってくる乗客を次々に捌く新しい電車時代の駅を設計した[16]。これは駅舎設計の根本的な転換で、以降の通勤電車の駅の設計の基本となった。これ以降、乗降客数は比べ物にならないほど増加したものの、御茶ノ水駅はその機能を果たし続けている[13]

第二次世界大戦後は、国鉄の駅にはプラットホームの延長や上屋の設置といった工事が行われた。1954年(昭和29年)1月20日には営団丸ノ内線の御茶ノ水駅が開業し、1969年(昭和44年)12月20日には営団千代田線新御茶ノ水駅も付近に開業している[17]

駅改良工事

JR発足直後に、老朽化した駅舎を建て替えるために、新駅舎のデザインを募集するなどの大規模なプロジェクトが行われた際、ニコライ堂を模したデザインが選ばれた。しかし、ホームが擁壁と神田川に挟まれていること、駅舎がホームより高い位置にありかなり狭隘な場所にあることなど、不利な条件がいくつもあるためか、その後計画は立ち消えとなってしまった。

このような構造上・立地上の問題からバリアフリー対応が十分に行われず、車椅子用のリフトはあるが、エレベーターエスカレーターは設置されていない。周辺に大学病院などの大規模な病院が数多くあり、外来で通院する高齢者などから苦情が寄せられていたため、2002年に周辺の8病院が連名でJR東日本にバリアフリー対応の要請を行い、また、2006年12月下旬からエレベーターとエスカレーターの設置を求める署名運動が行われて、2008年に約1万2000人分の署名を千代田区長に提出して対策推進を要望した[18]

これに対して、JR東日本は長らく費用面から及び腰であったが、2010年3月26日に、当駅で2010年度末からバリアフリー整備を行うことがJR東日本より発表された。また同日千代田区もJR東日本と連携して駅前広場の整備事業を行うことを発表した。その内容は、線路上空に人工地盤を設置し、改札内に連絡通路を新設し、御茶ノ水橋口駅舎および聖橋口の駅前広場機能の整備を行う。また、聖橋口駅舎を人工地盤上に移設してエレベーターやエスカレーターなどを設置することによりバリアフリー整備を行うものであった[19][20]。これには、聖橋口前での旧日立製作所本社ビル(御茶ノ水セントラルビル)跡地での大型複合ビル建設など、病院の町としてだけでなく新たなオフィスビルの集積を目指した都市改造プロジェクトが進められていることから、新たな客層獲得がJR東日本の改修工事着手を後押しすることになったと推測されている[21]

今回の計画は、同駅が狭隘な位置に立地していることから非常に難易度の高い大規模な工事になり、それに伴い列車の運行を変更する可能性もあるという。2010年度内に概略設計や関係者との調整を行い、同年度末の工事着手を目指して検討が進められる[20]。2013年の秋以降は、駅構内や周辺の耐震補強を含めた本格的な駅改良工事へ入り、バリアフリー整備関連は2018年度まで、駅前広場機能整備は2020年度の完成を目標としている[22]

年表

駅構造

JR東日本

JR 御茶ノ水駅
御茶ノ水橋口(2007年7月6日)
おちゃのみず
Ochanomizu
東京都千代田区神田駿河台二丁目6-1
北緯35度41分59.5秒 東経139度45分50秒 / 北緯35.699861度 東経139.76389度 / 35.699861; 139.76389 (JR 御茶ノ水駅)座標: 北緯35度41分59.5秒 東経139度45分50秒 / 北緯35.699861度 東経139.76389度 / 35.699861; 139.76389 (JR 御茶ノ水駅)
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 チヤ
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度-
100,518人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1904年明治37年)12月31日
乗入路線 2 路線
所属路線 中央線(快速)
(正式には中央本線
キロ程 1.3km(神田起点)
東京から2.6 km
神田 (1.3 km)
(4.0 km) 四ツ谷
所属路線 中央・総武線(各駅停車)*
キロ程 5.2km(錦糸町起点)
千葉から38.7 km
秋葉原 (0.9 km)
(0.8 km) 水道橋
乗換 新御茶ノ水駅東京地下鉄千代田線
備考 みどりの窓口
山区 東京山手線内東京都区内
* 正式な路線名称
- 秋葉原方は総武本線支線
- 水道橋方は中央本線
テンプレートを表示
JR中央・総武線各駅停車の列車(2005年1月)。列車の左側に総武線の0キロポストが見える。
JR御茶ノ水駅 聖橋口(2012年5月)

島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。御茶ノ水橋と聖橋の間にホームがあり、それぞれの橋の南側に出口がある。それぞれ御茶ノ水橋口と聖橋口と称する。駅本屋は御茶ノ水橋側(新宿側)にある。さらに聖橋口より東側(秋葉原側)に平日の朝のみ機能している出口専用の臨時改札口がある。高台の擁壁と神田川の間に線路が敷かれているため、ホームの幅が非常に狭い。トイレは御茶ノ水橋口と聖橋口の両改札口内にあるが、ともに多機能トイレはない。

御茶ノ水口駅舎は、1932年(昭和7年)7月の総武本線乗り入れに合わせて使用開始された、伊藤滋設計によるモダニズム建築であり、それまでの乗客を待合室に滞留させてからプラットホームに導く駅から、旅客流動を重視して次々に乗客を電車に流し込む、新しい通勤電車の駅のスタイルを初めて確立した[13]。それ以降大きく手を入れられていないが、バリアフリー対策工事に2013年度から着手することになっている。

外側2線を中央線快速が、内側2線を中央・総武線各駅停車がそれぞれ使用し、同じ方向の列車を同じホームで乗り換えできる、方向別複々線となっている。これを実現するために御茶ノ水駅の前後に立体交差が設置されている[24]。並走する三鷹 - 御茶ノ水間のうち同方向であれば、階段を使わずに乗り換えが可能な唯一の駅である。

当駅を境に中央線と総武線の各駅停車の列車が相互直通運転を行う。ただし、早朝と深夜は両線で分離して運転を行う。総武線は当駅で折り返すが、中央線は当駅の水道橋方で快速電車が走る急行線と緩行線との間を転線して東京駅発着で運転され、この際には快速に使われるE233系が使用される。総武線の上り列車は2番線に到着し、そのまま中央緩行線下り本線に引き上げ、その後3番線に入線して総武線下り列車となる[注 2]。この時間帯には、千葉方面から新宿中野・三鷹方面、その逆の三鷹方面から錦糸町津田沼・千葉方面へ行く場合は、どちらも当駅での乗り換えが必要となる。

のりば

番線 路線 行先 備考
1 中央線(快速) 新宿立川八王子高尾青梅方面  
2 中央・総武線(各駅停車) 水道橋飯田橋市ヶ谷三鷹方面 早朝・深夜は1番線
3 中央・総武線(各駅停車) 秋葉原錦糸町船橋千葉方面 早朝・深夜は当駅始発
4 中央線(快速) 神田東京方面  

(出典:JR東日本:駅構内図

  • 1番線と4番線には主に快速電車が使用するが、中央線と総武線の各駅停車が相互直通運転をしない時間帯(早朝・深夜)には各駅停車も着発する。そのため、駅名標の両隣の駅は神田水道橋(快速の「四ッ谷」も併記)になっているほか、発車標も「中央線(快速)」ではなく単に「中央線」となっている。
  • 2番線と3番線の間に総武本線の0キロポストが設置されている。
  • 4番線に進入する列車は、配線の関係上ホーム直前で大きく揺れる。
  • 2番線の発車メロディは、当駅のみで使用されているものである。
  • 1995年頃からATOSが導入されるまで、3・4番線で当駅のみで使用される塩塚博作曲の接近メロディを使用していた。
  • E233系の車内に設置されているLCDによる乗り換え案内では、「中央線各駅停車」「総武線各駅停車」と別個に表示される。

東京メトロ

東京メトロ 御茶ノ水駅
JR口(2005年6月12日)
おちゃのみず
Ochanomizu
M 19 淡路町 (0.8 km)
(0.8 km) 本郷三丁目 M 21
所在地 東京都文京区湯島一丁目5-8
駅番号 M 20
所属事業者 東京地下鉄(東京メトロ)
所属路線 M 丸ノ内線
キロ程 6.4 km(池袋起点)
電報略号 チヤ
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
51,629人/日
-2011年-
開業年月日 1954年昭和29年)1月20日
テンプレートを表示

相対式ホーム2面2線を有する地下駅

1番線銀座方に池袋方面線路への片渡り線が1本ある。定期ダイヤでの当駅発着列車は2010年現在設定されていないが、池袋 - 御茶ノ水間が開業した時から東京延伸まで引き上げ線として使われた後、淡路町まで延伸開業した際(当時は単線運転)に池袋方面行の電車が渡り線を使用し転線していた名残りである。

かつては定期券うりばがJR口改札前にあったが、1993年11月に東京駅へ移転となり、代替措置として継続定期券発売機が設置された(現在は新規定期券も購入可能)。

JRの駅とは違い、両改札口にエレベーターが設置されている。なお、1番線ホームへの改札口にあるエレベーターは、東京医科歯科大学に直接入ることができる。

2007年6月にホームドアが設置されたが、車両とホームの隙間を調整する工事のため、2008年3月22日まで稼動を一時休止して、翌23日に再開された。

JR口改札前は道路下だが、地形の都合上神田川のに面して窓が設置されている。このため、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)時代に発行されていた広報誌『メトロニュース』で「当駅は実は地上駅です」と紹介されたことがある。

かつては千代田線新御茶ノ水駅との連絡業務を行っていたが、都営地下鉄新宿線小川町駅が開業し、新御茶ノ水駅と淡路町駅が直接つながったことで、新御茶ノ水駅と当駅との連絡を解消した。

のりば

番線 路線 行先
1 M 丸ノ内線 銀座新宿荻窪方面
2 M 丸ノ内線 後楽園池袋方面

利用状況

  • JR東日本 - 2011年度の乗車人員は1日平均100,518人で、同社の駅の中では第35位。
  • 東京メトロ - 2011年度の乗降人員は1日平均51,629人である。

近年の1日平均乗車人員推移は下表のとおり。

年度 JR東日本 東京メトロ 出典
1992年 140,597 31,238 [25]
1993年 138,595 30,427 [26]
1994年 133,762 29,926 [27]
1995年 130,672 28,601 [28]
1996年 127,863 27,644 [29]
1997年 123,631 26,951 [30]
1998年 120,323 26,312 [31]
1999年 [1] 118,211 25,967 [32]
2000年 [2] 116,955 25,759 [33]
2001年 [3] 116,215 25,622 [34]
2002年 [4] 114,721 25,285 [35]
2003年 [5] 111,870 24,962 [36]
2004年 [6] 109,175 25,068 [37]
2005年 [7] 106,964 25,233 [38]
2006年 [8] 105,954 25,674 [39]
2007年 [9] 107,205 26,705 [40]
2008年 [10] 104,632 26,110 [41]
2009年 [11] 103,011 25,989 [42]
2010年 [12] 101,617 25,995 [43]
2011年 [13] 100,518

駅周辺

JR線の北を神田川が流れる。東京メトロ丸ノ内線の駅は神田川の北側にあり、御茶ノ水橋でつながる。聖橋は東、御茶ノ水橋は西に架かる。駅周辺は明治日本順天堂東京医科歯科の各大学などがあり、『日本のカルチエ・ラタン』とも呼ばれる学生街として知られている。また、楽器店やスポーツ用品店、歴史ある有名病院も数多い。

なお、お茶の水女子大学の最寄り駅は当駅ではなく茗荷谷駅護国寺駅である。前身の東京女子高等師範学校湯島聖堂および現在の東京医科歯科大学の敷地内にあったためである。

北側

南側

バス路線

駅西口の「御茶ノ水駅前」停留所に都営バスの路線が乗り入れている。

千代田区福祉タクシー風ぐるま」(日立自動車交通が運行)の停留所が「お茶の水橋」付近にある。

隣の駅

東日本旅客鉄道
中央線
通勤特快・中央特快・青梅特快・通勤快速・快速
神田駅 - 御茶ノ水駅 - 四ツ谷駅
各駅停車(早朝・深夜のみ)
神田駅 - 御茶ノ水駅 - 水道橋駅
1908年から1912年までは昌平橋駅が、同年から1943年までは万世橋駅が現在の神田駅 - 当駅間に設置されていた。
中央・総武線(各駅停車)
秋葉原駅 - 御茶ノ水駅 - 水道橋駅
東京地下鉄
M 丸ノ内線
淡路町駅 (M 19) - 御茶ノ水駅 (M 20) - 本郷三丁目駅 (M 21)

脚注

注釈

  1. ^ 上野駅霞ヶ関駅銀座駅新橋駅秋葉原駅葛西駅と同時に導入。翌1994年に導入された後楽園駅も合わせて、営団では数少ない継続定期券発売機設置駅であった。
  2. ^ 渡り線までの間隔が十分にあるため1番線の発着には支障はない。

出典

  1. ^ a b 「飯田町駅ものがたり」
  2. ^ 「甲武鉄道の市街線点描」
  3. ^ 『駅のはなし』p.140
  4. ^ a b 『中央線 オレンジ色の電車今昔50年』p.55
  5. ^ 「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」pp.75 - 76
  6. ^ 「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」p.76
  7. ^ a b 『日本国有鉄道百年史』9 pp.184 - 185
  8. ^ 「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」p.846
  9. ^ 「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」p.847
  10. ^ 「御茶の水両国橋間高架線建設工事に就て」p.39
  11. ^ 「御茶ノ水・両国間高架線工事に就て」p.848
  12. ^ 「御茶の水両国橋間高架線建設工事に就て」pp.38 - 39
  13. ^ a b c 『駅のはなし』pp.140 - 142
  14. ^ 『日本国有鉄道百年史』9 p.259
  15. ^ 『世界の駅・日本の駅』pp.41 - 44
  16. ^ 『世界の駅・日本の駅』p.45
  17. ^ 『中央線 オレンジ色の電車今昔50年』pp.55 - 57
  18. ^ 「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」p.77
  19. ^ 「JR御茶ノ水駅のバリアフリー化検証」p.78
  20. ^ a b JR中央線御茶ノ水駅バリアフリー整備について” (PDF). 東日本旅客鉄道 (2010年3月26日). 2013年9月8日閲覧。
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参考文献

関連項目

外部リンク