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[[file:Honda Freddy Spencer.jpg|300px|right|thumb|NS500 フレディ・スペンサー車]] |
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[[File:Honda NS500 1982.jpg|thumb|right|250px|1982年型NS500(F.スペンサー車)]] |
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'''ホンダ・NS500'''(エヌエスごひゃく)は、[[ホンダ・レーシング]]('''HRC''')が[[ロードレース世界選手権]]('''WGP''')・GP500クラス参戦用に開発した競技専用の[[オートバイ]]。 |
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'''NS500'''(エヌエスごひゃく)は、[[本田技研工業]]が開発した[[排気量]]500ccの[[ロードレース (オートバイ)|ロードレース]]専用[[オートバイ]]である。[[1982年のロードレース世界選手権|1982年]]に[[ロードレース世界選手権]](世界グランプリ)にマルコ=ルッキネリ、[[片山敬済]]、及び[[フレディ・スペンサー|フレディー=スペンサー]]の3名によりアルゼンチンGPにてデビューし、[[1983年のロードレース世界選手権|翌1983年]]にはフレディ・スペンサーが[[搭乗]]し[[ロードレース世界チャンピオンの一覧|ワールドチャンピオン]]を獲得した。 |
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== 概要 |
== 概要 == |
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当時の世界グランプリ最高峰クラスの500ccクラスを戦うために、ホンダが開発した[[2ストローク機関|2ストローク]]エンジンの[[ワークス・チーム|ファクトリー]][[機械|マシン]]である。このNS500の最大の特徴は、当時の500ccクラスのマシンは2ストローク4気筒エンジンが主流だったのに対し、挟み角112°の2ストローク[[V型3気筒]]だった点にあり<ref>『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(2014年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-2033-1(p.28)</ref>、ライバルである[[ヤマハ・YZR500|ヤマハYZR]]や[[スズキ・RG|スズキRG]]といったスクエア4気筒勢に対してピークパワーでは劣るものの、前面投影面積が狭く、最高速度域のハンディキャップは最小限になると考えられた。 |
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[[本田技研工業|ホンダ]]は[[1977年]]にWGPへの復帰を表明。[[1979年]][[イギリス]]GPで[[4ストローク機関|4ストローク]]の[[ホンダ・NR|NR500]]をデビューさせた。しかしNR500は[[1981年]]までに優勝はおろか1ポイント(当時の得点制は1位15点~10位1点)も挙げることができなかった。[[1980年]]の時点では[[スズキ (企業)|スズキ]]の市販レーサー[[スズキ・RGB500|RGB500]]や、[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]の市販レーサー[[ヤマハ・TZ500|TZ500]]にもまったく歯が立たない状況だった。 |
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また、実際にレース周回数の合計タイムと平均速度から産出した数値では、最高速度の高さよりも、その速度域に達するまでの加速性能の高さが重要と考えられたためである。これは当時世界GPで存在した350ccクラスのラップタイムが500ccクラスと比較しても遜色ないレベルであったことからも実証されており、ヤマハTZ350が350ccクラスに参戦していたプライベーターによって3気筒化された例もあり、実際に1977年の350ccクラスの年間チャンピオンは3気筒化されたTZ350を駆った[[片山敬済]]であった点に着目したためである。 |
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1981年[[8月]]のイギリスGPに、USホンダ所属の[[フレディ・スペンサー]]がスポット参戦、NR500で一時は5位を快走する。しかし、逆にそのことでチャンピオン経験者でもある[[片山敬済]]や、それを上回る走りを見せたスペンサーをもってしてもトップを狙うことができないNRの現状が明らかになり、'''NRブロック'''の総責任者である[[入交昭一郎]]がNRと並行するかたちでNS500を開発することを決断した。 |
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NS500に搭載されたV型3気筒エンジンは4気筒エンジンよりも軽量であり(クランクシャフト数がスクエア4やV4の2本に対してNS500のV型3気筒では1本であるため部品点数も少ない上にクランクマスも)、マスの集中化という利点を生かして軽量コンパクトな車両に仕上げられた<ref name="racers01_13">『RACERS Volume 01』(p.13 - p.17)</ref>。 |
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エンジンレイアウトは112度バンクの[[水冷エンジン|水冷]][[2ストローク機関|2ストローク]][[V型3気筒]]。1軸クランクエンジンで、[[リードバルブ]]が採用されたはじめてのグランプリマシンである。NS500は前1気筒、後2気筒のレイアウトだったが、後に市販された公道用スポーツバイク[[ホンダ・MVX250F|MVX250F]]、[[ホンダ・NS|NS400R]]は前バンクが2気筒、後バンクが1気筒。また、点火タイミングは2気筒同爆の1気筒単体爆発とNS500との関連性は低いものになっている。 |
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[[1982年のロードレース世界選手権|1982年]]に世界グランプリにデビューすると同年には3勝を上げ、[[1983年のロードレース世界選手権|1983年]]にはNS500に乗る[[フレディ・スペンサー]]がライダース・タイトルを獲得した<ref>[http://www.motogp.com/en/Results+Statistics/1983/RSM/500cc/World+Standing 500cc World Standing 1983]</ref>。ホンダは[[1966年のロードレース世界選手権|1966年]]に500ccクラスのマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得していたものの<ref name="MotoGP_78">ジュリアン・ライダー / マーティン・レインズ『二輪グランプリ60年史』(2010年、スタジオ・タック・クリエイティブ)ISBN 978-4-88393-395-2(p.78)</ref>、ホンダのマシンに乗るライダーが最高峰クラスのライダース・タイトルを獲ったのはこの年のスペンサーが初である<ref name="racers01_52">『RACERS Volume 01』(p.52 - p.53)</ref>。[[1984年のロードレース世界選手権|1984年]]からはホンダ・ワークスの主力マシンの座を[[V型4気筒]]の[[ホンダ・NSR500|NSR500]]に譲ったが、NSRの不調もあってNSは1984年にもスペンサーと[[ランディ・マモラ]]のライディングで4勝を上げた<ref name="racers01_96">『RACERS Volume 01』(p.96 - p.97)</ref>。 |
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500ccの排気量で、350ccの車体と運動性。最高出力よりもトータルバランス。独創よりも実戦。そのコンセプトは見事に当たり、初年度の[[1982年]]から勝利を挙げる、翌年、フレディ・スペンサーの手によりチャンピオンマシンに。以降、さまざまな派生型を経て、1990年代初頭までWGPを走る長寿モデルとなる。 |
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マモラが[[1985年のロードレース世界選手権|1985年]]に挙げた1勝がNS500の世界グランプリでの最後の勝利となったが、その後もマシンやエンジンは有力なチームやプライベーターたちに供給され、度々上位に入る成績をあげた<ref name=racers01_96 />。また、1983年にはNS500をベースにした市販レーサーの[[ホンダ・RS|RS500R]]が販売されて多くのプライベーターに歓迎された。 |
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あらゆるライダーによって活躍したNS500ではあるが、反面勝ち星を挙げたライダーは少ない。しかし表彰台を獲得した回数は多い。このことから、NS500は当初の実戦的な扱いやすい車両というコンセプトを高レベルで達成していたことが伺える。 |
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==歴史== |
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なお、市販レーサーである[[ホンダ・RS|RS500R]]はNS500の量産型と言えるものである。 |
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[[File:DKW RM 350 im museum mobile, Ingolstadt.jpg|thumb|right|250px|V3エンジンのDKW350RM]] |
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===開発までの経緯=== |
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[[1967年のロードレース世界選手権|1967年]]を最後にグランプリから撤退していたホンダは、[[1979年のロードレース世界選手権|1979年]]から500ccクラスに復帰するに当たり、当時主流であった2ストロークエンジンの[[車両]]ではなく、[[楕円ピストンエンジン|オーバルピストン]][[4ストローク機関|4ストローク]]エンジンの[[ホンダ・NR|NR500]]という前例のない実験的なマシンを送り込んだ。しかし、あまりに斬新なNR500の開発は思うように進まず、グランプリで勝利するどころか完走もままならず1ポイントも獲得できないという状況が続いていた。当時はいわゆる[[HY戦争]]の真っ最中であり、[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]や[[スズキ (企業)|スズキ]]といったライバルに勝つどころかまともに勝負することすらできない状態に社の内外から非難が集中し、中でもレースの成績が販売成績に直結する[[ヨーロッパ]]の現地法人や関係者からの突き上げは特に厳しかった<ref name=racers01_50>『RACERS Volume 01』(p.50)</ref>。そしてついに、朝霞研究所内のレース専任部隊であるNRブロックのブロックリーダーでありホンダの取締役でもあった[[入交昭一郎]]は、新たな「勝てる」2ストロークマシンを開発することを決定した。新型マシンの開発には社内に新たな開発チームを立ち上げるのではなく、NRブロックの中にNR500開発チームとは別に新型マシン開発チームが編成され、車両開発総責任者(LPL)にはNR500のLPLでもあった[[福井威夫]]が任命され、1981年1月に2ストローク500ccGPマシンの開発が正式にスタートした<ref name=racers01_52 />。 |
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NS500のV型3気筒エンジンの開発は、1980年にNRブロックに合流した[[モトクロス]]グループの責任者である宮越信一が入交に提案したことに端を発する。宮越はコースによっては350ccクラスのトップタイムが500ccクラスでも上位に入れるタイムであることに着目し、4気筒のマシンにパワーで劣っていても、350cc並みに軽量コンパクトなマシンであれば十分に戦えると考えた。3気筒エンジンのマシンは4気筒よりも軽く作ることができ、重い4気筒よりも運動性に優れた軽快なマシンにすることができる。エンジン幅が短くなることで前面投影面積をおさえてトップスピードをかせぐこともできると思われた。更に、モトクロスで実績のあった2ストローク125ccエンジンをわずかに拡大して三つ並べれば、短い期間で500ccエンジンを作ることができる、というのが宮越のアイディアだった<ref name=legend_79>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.79)</ref>。 |
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== 主なエピソード == |
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*[[1984年]]、ホンダは水冷2ストロークV型4気筒(90度Vバンク)の[[ホンダ・NSR500|NSR500]](I型)をデビューさせるが、先進的すぎるパッケージングや初期トラブルによる運用の不安定さ、信頼性の低さが目立っていた。エース・スペンサーには、ニューマシンのNSRとともに1983年のチャンピオンマシンであるNS500の熟成型を選択する使用権があったため、サーキットによっては1984年型NS500を選択し、見事に勝利を収めてみせた。結局、1984年シーズンのスペンサーはサーキットによってNSとNSRを使い分けることになった。 |
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*レース直前にエンジントラブルが発生し、日本からエンジンを手荷物で空輸。この際、運んだ場所が[[アルゼンチン]]であったため、担当者は日本、アルゼンチン間ゼロ泊3日の珍記録を作ってしまった。 |
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*リードバルブの採用により始動性が圧倒的に優れており、ロータリーディスクバルブを採用していたヤマハやスズキのライダーが懸命に始動を試みている間にあっという間に走り去り、アドバンテージを築くのが必勝パターンであった。当時はWGPのスタート方法が[[押しがけ]]スタート(エンジンを停止した状態からライダーが人力でバイクを押し出して始動する方法)であったため、この始動性の良さがNSの大きな武器となる。 |
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*リードバルブの採用により過渡特性に優れ、コーナーからの立ち上がりスピードが高かったと言われる。高回転域ではロータリーディスクバルブが優れているとされていたが、レースでは最高速よりもパーシャル状態が重要な場面も多く、これもNS500の武器だったと言われる。リードバルブは[[モトクロス]]用マシン(モトクロッサー)に多用されていた方式だが、NS500の成功以後[[ロードレース (オートバイ)|ロードレース]]用マシンにも多用されるようになった。 |
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*一般的には非力な車両とされているが、レース中の最高速度を達成したこともある。ヤマハやスズキ(あるいは同じホンダのNSR500)などの4気筒マシンに比べると、3気筒のNS500は絶対パワーは低いが、前述のように中速域でパワフルな上、車体が小さくて軽くコーナリング性能の面でも有利だった。結果、立ち上がり加速が高く、コース状況によっては直線での最高速の面でも有利に働いたようだ。 |
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*さまざまな派生型があり、[[M-TEC|無限]]製のパーツで強化が図られた車両も存在する(1987年キリ車)また、市販型であるRS500Rとの互換性が高く、有力なプライベートライダーのRSにはNSの部品が組み込まれ、ワークスのサポートに回ったこともある。 |
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*1982年から1983年のNSは、スペンサー車以外は市販RS500Rの先行開発車だったという説がある。この説を裏付けるものとして、片山及びルッキネリのフレーム号機と外観上のスペンサー車との相違点が挙げられる。よく車体を比べると、スペンサー車とそれ以外はスイングアーム、サイレンサー、クランクケースなどに違いが見受けられる。また、スペンサー車とそれ以外にはパワー差があったとされる。 |
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もっとも、2ストロークV型3気筒というエンジン形式のレーシングマシンは1950年代に[[ドイツ]]の[[DKW]]が350ccのファクトリーマシンを造っている<ref name=MotoGP_25>『二輪グランプリ60年史』(p.25)</ref><ref>[http://www.audi.com/com/brand/en/company/audi_history/model_evolution/1945-1965/dkw_motorcycle/dkw_rm_350_singende_saege.html DKW RM 350 "Singende Säge", 1955]</ref>。またパワフルな4気筒に軽快な3気筒で対抗するという戦略は1960年代にホンダのマシンに対して[[MVアグスタ]]が採った手法であり、どちらもホンダの完全なオリジナルのアイディアというわけではない<ref name=GPMC_66>『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(p.126 - p.66)</ref>。いずれにしても、[[1980年のロードレース世界選手権|1980年]]6月の[[オランダグランプリ (ロードレース)|ダッチTT]]で実際のグランプリを視察した宮越は自らの考えに自信を深め、宮越の報告を受けた入交は3気筒マシンの開発にゴーサインを出した<ref name=legend_79 />。NR500の開発に注力しているエンジニア達に納得してもらい、社内を説得して予算を通すための材料として、プロジェクト立ち上げの目的のひとつには「ヤマハの[[ヤマハ・TZ|TZ]]やスズキのRGに対抗する市販レーサーを造る」というものが挙げられていた。ホンダのレース部門ではロードレースのことを「スプリント」と呼称していたことから、新型マシンは「ニュースプリント」を意味する'''NS'''と名づけられた<ref name=racers01_50 />。 |
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== 主なライダー == |
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NSで活躍したライダーは下記のとおり。 |
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NS500のエンジンは、それまでの経緯もあって宮越をはじめとするモトクロスチームが中心となって設計された。まず[[モトクロッサー]]の250cc2気筒エンジン<ref name=legend_195>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.195)</ref>をベースに166.2ccの[[単気筒エンジン]]が試作され、半年後の8月には3気筒エンジンのベンチテストがスタートした<ref name=racers01_52 />。軽量コンパクトにまとめるために1軸[[クランクシャフト|クランク]]のV型3気筒とすることは開発の初期段階から決定しており、ドライバビリティ向上を狙って[[点火時期|点火タイミング]]は120度の等間隔とされた<ref name=racers01_68>『RACERS Volume 01』(p.68 - p.69)</ref>。1軸クランクの外側2気筒を直立に近く、中央の1気筒を前傾させて配置された<ref name=GPMC_126>『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(p.126 - p,127)</ref>V型エンジンのVバンク角は、バンクの間に[[キャブレター]]を収めるために必要なスペースとして112度となった<ref>『RACERS Volume 01』(p.62)</ref>。キャブレターはベースになったモトクロッサーに使われていた[[ケーヒン]]製のものをアレンジしたタイプが使われた<ref name=racers01_70>『RACERS Volume 01』(p.70 - p.71)</ref>。吸気方式はライバルのヤマハYZRやスズキRGが[[ロータリーバルブ|ロータリーディスクバルブ]]だったのに対して最初から[[リードバルブ|ピストンリードバルブ]]が採用されていたが、これもベースとなったモトクロッサーと同じ仕様としたためである。結果としてこのリードバルブと等間隔の点火タイミングはNSの良好な始動性に寄与し、当時の押しがけスタートのグランプリにあってはNSのライバルに対する[[アドバンテージ]]のひとつとなった<ref name=racers01_70 />。一方で[[シリンダー]]の内壁にも当初はモトクロッサーと同じハードクロムメッキが使われていたが、モトクロスに比べて[[アクセルペダル|アクセル]]の全開時間がはるかに長いロードレースでは明らかに信頼性が不足しており、後に改良されるまではシリンダーの歪みによる[[焼きつき]]への不安に悩まされ続けることになった<ref name=legend_84>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.84 - p.85)</ref>。 |
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*[[フレディ・スペンサー]]([[1983年]]、[[1985年]]GP500チャンピオン) |
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*[[片山敬済]]([[1977年]]GP350チャンピオン) |
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モトクロッサーでの実績を生かす方向で開発されたエンジンに対し、開発期間を短縮するために車体周りにはNR500の開発で養われた技術が活用された。[[フレーム (オートバイ)|フレーム]]は当初はリスクを避けて実績のある[[鉄|スチール]]で製作されたが、スチールフレームの完成後すぐに[[アルミニウム|アルミ]]フレームの設計が開始されており、1982年の実戦デビューから数ヵ月後にはアルミフレームが投入された<ref name=racers01_72>『RACERS Volume 01』(p.72 - p.73)</ref>。足回りではリンク式のモノショック[[リヤサスペンション (オートバイ)|リヤサスペンション]]とアルミ製スイングアームは専用のものが新たに造られたが、[[フロントサスペンション (オートバイ)|フロントフォーク]]やブレーキシステムはNRからほぼそのまま流用された。前面投影面積の低減と低重心化のために、1981年途中からNR500で採用されていた16インチのフロント[[車輪|ホイール]]を使用することも最初から決まっていた。[[タイヤ]]はNR500では[[ダンロップ]]、[[ブリヂストン]]、[[ミシュラン]]など様々なメーカーのものが使われていたが、NSとなってからは[[ホンダ・RC212V|RC212V]]で[[ブリヂストン]]を採用するまでホンダワークスでは[[鈴鹿8時間耐久ロードレース|鈴鹿8時間耐]]などの他のレースでも一貫してミシュランを使用した<ref name=racers01_74>『RACERS Volume 01』(p.74 - p.77)</ref>。 |
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*[[ランディ・マモラ]](GP500ランキング2位複数。無冠の帝王) |
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*[[ワイン・ガードナー]]([[1987年]]GP500チャンピオン) |
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車体周りで開発陣が苦労した点のひとつが、排気[[チャンバー]]の取り回しである。最も理想的なのは断面形を真円構造とした上でできるだけ直線に近いストレートタイプとすることだが、そうすると下側の2番シリンダーから出るチャンバーの最も太くなる最大膨張部がステップの下のあたりに来てしまい、コーナーリング時のバンク角を確保できなくなってしまう。しかし、バンク角を稼ぐために接地部を削って断面形を三角形にすると今度は必要な断面積を得られなくなって、チャンバー自体がエンジンパワーに負けて破損してしまうことが分かった。そこで、ここでもモトクロッサーが参考にされ、最大膨張部の直前で一旦180度曲げて膨張部をエンジン真下のスペースで前方に向かって伸びる形で収め、その後もう一度180度曲げて細くなった部分を後方に向かって伸ばすという、複雑な取り回しとすることで問題が解決された。このエンジン下で渦を巻くチャンバーは、「トグロチャンバー」などと呼ばれてNS500の外見的な特徴のひとつとなった<ref name=legend_86>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.86 - p.87)</ref>。 |
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*[[ロン・ハスラム]](別名ロケットロン。[[1987年]]ランキング4位) |
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*[[マルコ・ルッキネリ]]([[1981年]]GP500チャンピオン。ホンダ移籍後低迷) |
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=== 1982年 === |
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*[[ピエール・フランチェスコ・キリ]]([[原田哲也]]([[1993年]]GP250チャンピオン)のチームメイトとして著名。[[1987年]]にNSで4位入賞) |
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1981年の1月にプロジェクトが正式にスタートした後、10月には[[プロトタイプ]]が完成してテストライダーの飯田浩之によって[[シェイクダウン (モータースポーツ)|シェイクダウン]]された<ref name=racers01_52 />。この間、NR500の実戦開発も平行して進められており、8月の[[イギリスグランプリ (ロードレース)|イギリスGP]]で[[フレディ・スペンサー]]が一時5位を走るという快走を見せたものの、結局この年もグランプリではポイントを獲得することはできなかった<ref name=legend_61>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.61)</ref>。12月にはNS500のプレス発表が行われ、アメリカの[[ラグナ・セカ]]でスペンサーによるテストも行われた<ref name=legend_78>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.78)</ref>。そして翌1982年2月に本番用車両が完成し、3月の開幕と同時にNS500も実戦デビューを迎えた。[[1982年のロードレース世界選手権|1982年]]の世界グランプリでホンダファクトリーと契約してNS500に乗るのは、[[片山敬済]]、前年スズキで世界チャンピオンを獲得した[[マルコ・ルッキネリ]]、そしてフレディ・スペンサーの3人である<ref name=racers01_13 />。なお、NR500の開発も継続され、NRには[[ロン・ハスラム]]が乗ることになった。 |
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*[[レイモン・ロッシュ]]([[1983年]]ランキング3位、以降ヤマハ、ホンダ、カジバ乗り継いだ後、スーパーバイク世界選手権に参戦) |
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NS500のデビュー戦は、1982年3月14日に開催された[[全日本ロードレース選手権]]の開幕戦、[[鈴鹿サーキット|鈴鹿]]2&4だった。このレースで片山敬済が4位、[[阿部孝夫 (モーターサイクル)|阿部孝夫]]が7位でフィニッシュし、NR500が完走すらままならなかったことを考えればNS500は十分に戦えるマシンであることを証明した<ref name=racers01_52 />。そして、2週間後の世界グランプリ開幕戦[[アルゼンチングランプリ (ロードレース)|アルゼンチンGP]]でNS500はグランプリデビューを果たし、スペンサーがいきなり予選2位から決勝では3位表彰台に上るという活躍を見せたのである<ref name=racers01_96 />。 |
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その後、NS500に乗るライダーは3人とも上位入賞する速さを見せていたが、勝てそうで勝てないレースが続いていた<ref name=legend_84 />。シーズンが始まってからもNSの改良は続けられ、第6戦[[オランダグランプリ (ロードレース)|オランダGP]]からはアルミフレームと[[炭素繊維強化プラスチック|カーボン]]製スイングアーム、同じくカーボン製フロントホイールの投入により大幅な軽量化を果たした<ref name=racers01_13 />。そして続く第7戦[[ベルギーグランプリ (ロードレース)|ベルギーGP]]までの間に、シリンダー内面の表面処理にそれまでのハードクロムメッキに代えてドイツの[[マーレ]]社の技術であるニカジルメッキが導入され、ウィークポイントだった焼きつきの不安が解消され、混合比をそれまでの25:1から30:1にまで薄くすることが可能となった。これらの改良が加えられたNSは、ついにベルギーGPでスペンサーの手によって初勝利を上げる<ref name=racers01_68 />。スペンサーにとっても初勝利であると同時に、ホンダにとっては1967年の[[マイク・ヘイルウッド]]以来となる15年ぶりのグランプリ優勝であった。シーズン後半に入ってからもNS勢は好調さを維持し、第10戦[[スウェーデングランプリ (ロードレース)|スウェーデンGP]]では片山敬済が勝利、第11戦[[サンマリノグランプリ (ロードレース)|サンマリノGP]]ではスペンサーが2勝目を上げた。結局この年NS500は3勝を上げ、スペンサーは2勝を含む5回の表彰台という活躍でシーズンランキング3位となった<ref name=racers01_96 />。 |
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=== 1983年 === |
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初年度から3勝を上げ、開発コンセプトが間違っていなかったことを実証したNS500だが、[[1983年のロードレース世界選手権|1983年]]のタイトル獲得を目指してシーズンオフの間に更なる改良が加えられた<ref name=legend_95>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.95)</ref>。改良にあたってはグランプリフル参戦1年目にしてすでにチームのエース格となっていたスペンサーの意見が多く取り入れられ、1983年型NS500は「フレディ・スペシャル」とも言えるマシンとなった<ref name=legend_97>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.97)</ref>。その最も分かりやすい例がエンジンで、もっとパワーが欲しいというスペンサーの要求に応え、もともとパワーバンドが狭かったエンジンを更に高回転型の特性とすることで130psのピークパワーを絞り出し、前年型から10ps以上のパワーアップを実現した<ref name=racers01_36>(p.36 - p.39)</ref>。その上で、市販車やモトクロッサーですでに実績のあった[[排気デバイス]]ATAC(オートコントロールド・トルク・アンプリフィケーション・チャンバー)を装着することで低中速域でのトルクを補った<ref name=legend_95 />。また、とにかくエンジンを回せるだけ回すというスペンサーのライディングスタイルに合わせ、最大パワーを発揮する11,000rpmから更に2,000rpm回せるように[[オーバーレブ]]特性を改良した<ref name=legend_97 />。 |
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車体関係に関しては外見は大きな変更は見られず、1982年型の正常進化とも言える細かな改良が加えられ、アルミフレームは形状や構成はほとんど変わらないものの中身は全面的に見直された<ref name=legend_97 />。コーナリング時のタイヤ接地面積の拡大を狙ってリアホイールは18インチから16インチとなり<ref name=racers01_72 />、フロントフォークのインナーチューブはカーボン素材となって更なる軽量化が図られた<ref name=racers01_74 />。アッパーリンク式だったリアサスペンションはボトムリンク式となり、軽量化と剛性アップが果たされた<ref name=racers01_74 />。リアブレーキディスクもカーボン製となったが、もともとスペンサーはリアブレーキをほとんど使わないことで知られており、この変更もブレーキ性能の向上というよりは軽量化のためだった<ref name=racers01_36 />。 |
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[[File:Honda Freddy Spencer.jpg|thumb|right|250px|1983年型NS500]] |
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これらの改良が加えられた1983年型NS500は、前年と同じスペンサー、片山、ルッキネリの3人に加え、前年はNR500の開発を担当していたロン・ハスラムにも与えられて4台体制となった<ref name=racers01_13 />。デビューしたばかりのNS500が最初からトップ争いに加わる活躍を見せたこともあってNRブロックは完全にマシン開発の軸足をNSの方に移しており、ついにNR500の実戦開発は1982年シーズンをもって終了となった。同時に1982年から1983年にかけてチーム体制にも大きな変更があり、1973年に別組織となっていたホンダのレース活動をサポートする会社であるRSC(レーシング・サービス・センター)と、ホンダ社内の2輪レーサー開発部門であるNRブロックが統合される形で1982年9月に[[ホンダ・レーシング|HRC]](株式会社ホンダ・レーシング)が設立(初代社長は入交)され、マシン開発とワークス活動の主体はHRCに移された<ref name=racers01_52 />。 |
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NRが姿を消した一方で、NS開発当初からの予定通り1983年にはNS500をベースとした市販レーサーRS500Rの販売が開始された。すでに旧式となっていたヤマハTZかスズキRGという選択肢しかなかったプライベーターたちに、最新のワークスマシンとほぼ同じスペックを持つRS500Rの登場は歓迎された。RS500Rは約600万円で販売されたが、関係者によると「売れば売るほど損をする」価格だったという<ref name=legend_106>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.106 - p.107)</ref>。この年の片山とハスラムのNS500にはRS500Rのフレームがそのまま使用されていたが、スペンサー/ルッキネリのNSのフレームとはディメンションがわずかに異なる以外にはほとんど差異はなく、アルミ素材はもとより基本諸元から手曲げによる製造工程まで同じだった<ref name=racers01_65>『RACERS Volume 01』(p.65)</ref>。エンジンについては、構造はほぼ同じながらNSが[[クランクケース]]などに高価な[[マグネシウム]]素材を使っているところをRSでは一般的なアルミ素材に置き換えるなど、量産車としてのコストダウンが図られていた<ref>『RACERS Volume 04』(2010年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0931-2(p.79)</ref>。 |
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こうして始まった1983年のグランプリは、NS500のスペンサーとヤマハYZR500の[[ケニー・ロバーツ]]による熾烈な戦いが後々まで語り継がれるシーズンとなった。全12戦で争われた全てのレースをスペンサーとロバーツが6勝ずつで分け合った上、2位になった回数も両者同じ3回ずつという、一歩も譲らない戦いを繰り広げた。この年の全レースのポールポジションも6回ずつ二人で分け合っている<ref name=legend_104>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.104)</ref>。この間、NS500に加えられた大きな改良点としては、シーズン半ばからフロント同様にカーボン製となったリアホイールと<ref name=racers01_74 />、当初は上側の1,3番シリンダーのみに装着されていたATACがシーズン終盤に下側の2番シリンダーにも装着された点が挙げられる<ref name=racers01_70 />。信頼性を増したこの年のNS500は深刻なトラブルを起こすことも少なく、超高速コースの[[ザルツブルクリンク]]でクランクシャフトの破損によってリタイヤした[[オーストリアグランプリ (ロードレース)|オーストリアGP]]が1983年のスペンサー唯一のノーポイントだった<ref>『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(p.34 - p.35)</ref>。そして最終戦まで続いたスペンサーとロバーツのタイトル争いは、3位入賞が1回あったことが決め手となり、わずか2ポイント差でスペンサーの初タイトル獲得で幕を閉じた<ref name=legend_104 />。また片山のサポートも功を奏し、NS500はホンダに1966年以来のマニュファクチャラーズ・タイトルももたらした。 |
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=== 1984年以降 === |
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[[File:Honda NS500 1984.jpg|thumb|right|250px|1984年型NS500]] |
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デビュー2年目でタイトルを獲るほどの活躍を見せたNS500だったが、パワーアップしてくるライバルの4気筒に対して3気筒で立ち向かうには遠からず限界がくることを見越していたホンダは、1983年の春には次期主力となる4気筒マシンの開発をスタートさせており<ref>『RACERS Volume 08』(2011年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-1154-4(p.11)</ref>、ホンダの関係者は、NS500のファクトリーマシンとしての開発作業は1983年で終了したと明言している<ref name=racers01_65 />。そして[[1984年のロードレース世界選手権|1984年]]シーズンは[[V型4気筒]]の[[ホンダ・NSR500|NSR500]]をデビューさせてスペンサーに与え、チームメイトのハスラムと片山をNS500に乗せた。しかし[[燃料タンク (自動車)|ガソリンタンク]]と排気管を上下逆に配置するという斬新なレイアウトだったNSR500はアイデアは良かったものの熱い排気管が発する熱気をキャブレターが吸うことによりキャブレターセッティングが非常に困難で、結果を残せないNSRに業を煮やしたチームとスペンサーは第5戦[[ドイツグランプリ (ロードレース)|ドイツGP]]でNS500を使うことを決めた<ref>『RACERS Volume 08』(p.52 - p.53)</ref>。久しぶりに3気筒に乗ったスペンサーは[[ポール・トゥ・ウィン]]というこれ以上ない結果を出し、これ以降スペンサーはコースによってNSRとNSを使い分け、第9戦ベルギーGPではNSによる2勝目を上げた。また、この年のシーズン途中からチームに合流した[[ランディ・マモラ]]が第8戦オランダGPと最終戦サンマリノGPで勝利を上げ、NS500は全12戦の1984年シーズンのグランプリで通算4勝というNSRやYZRと並ぶ勝利数を上げた<ref name=racers01_96 />。 |
|||
1984年の教訓もあり、[[1985年のロードレース世界選手権|1985年]]シーズンのスペンサーの[[ピット (サーキット)|ピット]]にはNSR500と共に常にNS500が準備されていた。しかしタンクをエンジンの上に置くオーソドックスなレイアウトに戻った1985年型NSR500とスペンサーの組み合わせはあらゆるコースで圧倒的な速さを発揮し、予選で数回使用した以外は1985年シーズンのレースでスペンサーがNS500に乗ることはなかった<ref>『RACERS Volume 16』(2012年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-1539-9(p.79)</ref>。一方、この年もNSR500は言わばスペンサー専用であり、片山やマモラ、[[ワイン・ガードナー]]といったスペンサー以外のホンダサポートライダーのマシンは依然としてNS500だった。前年までは4気筒勢と互角の走りを見せたNSだったが、チームやメカニック個人のレベルでの様々な改良が加えられたとはいえ日進月歩のレーシングマシンにおいて2年前に開発が終了したマシンの戦闘力不足は否めず、スペンサーのNSRはもとより[[エディ・ローソン]]や[[クリスチャン・サロン]]のYZRからも遅れを取るレースが続いた<ref name=racers01_80>『RACERS Volume 01』(p.80 - p.81)</ref>。そんな中で雨のレースとなった第7戦オランダGPではスペンサー、ローソン、サロンの転倒リタイヤにも助けられてマモラが勝利、ハスラムとガードナーが2,3位となってNS勢が表彰台を独占した。このマモラの優勝が、NS500がグランプリで記録した最後の勝利となった<ref name=racers01_96 />。 |
|||
[[1986年のロードレース世界選手権|1986年]]シーズンになるとスペンサーのチームメイトとなったガードナーにもNSR500が与えられ、NS500は有力プライベーターへのサポートとして貸し与えられ、後の[[セミワークス|サテライトチーム]]のような位置づけである。この年に[[レイモン・ロッシュ]]と[[ディディエ・デ・ラディゲス]]が乗ったマシンは、NSRと同じ[[ツインスパーフレーム|ツインスパー]]タイプとなったRS500RのフレームにNS500のエンジンを搭載したものだった<ref name=racers01_80 />。この年は第9戦イギリスGPでラディゲスが獲得した2位表彰台が、NS500の最上位だった<ref name=racers01_96 />。 |
|||
[[1987年のロードレース世界選手権|1987年]]はNS500がグランプリで上位を走る活躍を見せた最後のシーズンとなった。V4エンジンのワークスマシンが10台以上エントリーし、ワークスマシンでなければポイント獲得すら難しいという状況になっていたこの年、チーム・ガリーナの[[ピエールフランチェスコ・キリ]]はRSのツインスパーフレームに[[M-TEC|無限]]がチューンしたNSのエンジンを積んだマシンに乗り、開幕戦の[[日本グランプリ (ロードレース)|日本GP]]で4位に入り第8戦[[フランスグランプリ (ロードレース)|フランスGP]]では2位表彰台を獲得するなど、度々ワークスマシンに割って入ったのである<ref name=racers01_80 />。キリはこの活躍によって翌[[1988年のロードレース世界選手権|1988年]]にはワークスNSR500が与えられ、この1987年のフランスGPを最後にNS500に乗るライダーが表彰台に上ることはなくなった。 |
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== 主要諸元 == |
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{| class="wikitable" style="text-align:center ;" |
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! |
|||
! プロトタイプ |
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! 1982年型(前期) |
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! 1982年型(後期) |
|||
! 1983年型 |
|||
! 1984年型 |
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|- |
|||
! 社内コード<ref name=racers01_72 /> |
|||
| NS2A-1X |
|||
| NS2A-2X |
|||
| NS2A-AL |
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| NS2B |
|||
| NS2C |
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|- |
|||
! エンジン形式 |
|||
| colspan=5 | [[2ストローク機関|2ストローク]][[水冷]][[V型3気筒]] |
|||
|- |
|||
! 排気量<ref name=racers01_68 /> |
|||
| colspan=5 | 498.6cc |
|||
|- |
|||
! ボア×ストローク<ref name=racers01_70 /> |
|||
| colspan=5 | 62.6mm × 54.0mm |
|||
|- |
|||
! 吸気方式<ref name=racers01_68 /> |
|||
| colspan=5 | [[リードバルブ|ピストンリードバルブ]] |
|||
|- |
|||
! シリンダー挟み角<ref name=racers01_68 /> |
|||
| colspan=5 | 112° |
|||
|- |
|||
! 爆発間隔<ref name=racers01_68 /> |
|||
| colspan=5 | 120°等間隔 |
|||
|- |
|||
! 点火方式<ref name=racers01_70 /> |
|||
| colspan=3 | トランジスタ点火 |
|||
| colspan=2 | [[キャパシター・ディスチャージド・イグニッション|CDI]]点火 |
|||
|- |
|||
! エンジン重量<ref name=racers01_72 /> |
|||
| 37.7kg |
|||
| colspan=2 | 38.24kg |
|||
| 38.5kg |
|||
| |
|||
|- |
|||
! 最高出力<ref name=racers01_72 /> |
|||
| 113ps/11,000rpm |
|||
| 122ps/11,000rpm |
|||
| |
|||
| 130.1ps/11,000rpm |
|||
| |
|||
|- |
|||
! クラッチ<ref name=racers01_70 /> |
|||
| colspan=5 | 乾式多板式(6速ミッション) |
|||
|- |
|||
! フレーム形式<ref name=racers01_74 /> |
|||
| colspan=2 | [[鉄|スチール]]製[[フレーム (オートバイ)|ダブルクレードル]] |
|||
| colspan=3 | [[アルミニウム|アルミ]]製ダブルクレードル |
|||
|- |
|||
! トレール<ref name=racers01_72 /> |
|||
| 86mm |
|||
| 88.7mm |
|||
| 90.9mm |
|||
| 89.5mm |
|||
| 92.0mm |
|||
|- |
|||
! キャスター<ref name=racers01_72 /> |
|||
| 24°40′ |
|||
| 24°40′ |
|||
| 24°36′ |
|||
| 25°28′ |
|||
| 25°40′ |
|||
|- |
|||
! ホイールベース<ref name=racers01_72 /> |
|||
| 1,374mm |
|||
| 1,376mm |
|||
| 1,392mm |
|||
| 1,376mm |
|||
| 1,374mm |
|||
|- |
|||
! ホイールサイズ<ref name=racers01_72 /> |
|||
| F: 16in<br />R: 18in |
|||
| F: 16in<br />R: 18in |
|||
| F: 16in<br />R: 18in |
|||
| F: 16in<br />R: 18 → 16in |
|||
| F: 16in<br />R: 16in |
|||
|- |
|||
! 車両重量<ref name=racers01_72 /> |
|||
| 121.7kg |
|||
| |
|||
| 118kg |
|||
| 113.26kg |
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| |
|||
|- |
|||
! 初走行<ref name=racers01_72 /> |
|||
| 1981年8月 |
|||
| 1982年2月 |
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| 1982年6月 |
|||
| 1983年3月 |
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| 1984年3月 |
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|} |
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== レース戦績 == |
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=== ロードレース世界選手権 === |
|||
(※) ''斜体のレースはNS500以外のマシンによる成績''<ref name=racers01_96 /> |
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{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%" |
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! 年 |
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! ライダー |
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! 1 |
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! 2 |
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! 3 |
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! 4 |
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! 5 |
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! 6 |
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! 7 |
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! 8 |
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! 9 |
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! 10 |
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! 11 |
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! 12 |
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! 13 |
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! 14 |
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! 15 |
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! 順位 |
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| |
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|- |
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! rowspan=4|[[1982年のロードレース世界選手権|1982]] |
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|align="left"| {{flagicon|USA}} [[フレディ・スペンサー]] |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[アルゼンチングランプリ (ロードレース)|ARG]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|dns}}| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNS |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />4 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />DNF |
|||
| |
|||
| |
|||
| |
|||
! 3 |
|||
| |
|||
|- |
|||
|align="left"| {{flagicon|JPN}} [[片山敬済]] |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[アルゼンチングランプリ (ロードレース)|ARG]]<br />6 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />9 |
|||
| {{MsStatsC|dns}}| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNS |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />6 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />7 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />8 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />5 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />4 |
|||
| |
|||
| |
|||
| |
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! 7 |
|||
| |
|||
|- |
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|align="left"| {{flagicon|ITA}} [[マルコ・ルッキネリ]] |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[アルゼンチングランプリ (ロードレース)|ARG]]<br />5 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|dns}}| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNS |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />5 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />5 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />6 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />8 |
|||
| {{MsStatsC|f}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />17 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />5 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />6 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />5 |
|||
| |
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| |
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| |
|||
! 8 |
|||
| |
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|- |
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|align="left"| {{flagicon|ESP}} [[アンヘル・ニエト]] |
|||
| [[アルゼンチングランプリ (ロードレース)|ARG]]<br />- |
|||
| [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />- |
|||
| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />- |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />DNF |
|||
| [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />- |
|||
| [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />- |
|||
| [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />- |
|||
| [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />- |
|||
| [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />- |
|||
| [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />- |
|||
| [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />- |
|||
| [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />- |
|||
| |
|||
| |
|||
| |
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! - |
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|align="left"| 第4戦のみのスポット出場 |
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|- |
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! rowspan=4|[[1983年のロードレース世界選手権|1983]] |
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|align="left"| {{flagicon|USA}} [[フレディ・スペンサー]] |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />4 |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />2 |
|||
| |
|||
| |
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| |
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! 1 |
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| |
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|- |
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|align="left"| {{flagicon|JPN}} [[片山敬済]] |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|dns}}| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNS |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />5 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />4 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />5 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />4 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />6 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|dns}}| [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />DNS |
|||
| |
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| |
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! 5 |
|||
| |
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|- |
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|align="left"| {{flagicon|ITA}} [[マルコ・ルッキネリ]] |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />9 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />10 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />7 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />9 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />7 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />4 |
|||
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| |
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! 7 |
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|- |
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|align="left"| {{flagicon|GBR}} [[ロン・ハスラム]] |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|dns}}| [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />DNS |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />8 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />7 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />9 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />9 |
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| |
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! 8 |
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|||
|- |
|||
! rowspan=6|[[1984年のロードレース世界選手権|1984]] |
|||
|align="left"| {{flagicon|USA}} [[ランディ・マモラ]] |
|||
| [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />- |
|||
| [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />- |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|3rd}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />3 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />1 |
|||
| {{MsStatsC|2nd}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|1st}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />''1'' |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|1st}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />1 |
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|align="left"| 第3戦からホンダと契約<br />第10戦はNSR500で出場 |
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|align="left"| {{flagicon|FRA}} [[レイモン・ロッシュ]] |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />2 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />2 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />2 |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />2 |
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|align="left"| {{flagicon|USA}} [[フレディ・スペンサー]] |
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| {{MsStatsC|dns}}| [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />''DNS'' |
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| {{MsStatsC|1st}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />''1'' |
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| [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />- |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />''2'' |
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| {{MsStatsC|1st}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />1 |
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| {{MsStatsC|1st}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />''1'' |
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| {{MsStatsC|1st}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />''1'' |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />''DNF'' |
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| {{MsStatsC|1st}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />1 |
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| [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />- |
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| [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />- |
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| [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />- |
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|align="left"| 第1,2,4,6,7,8戦はNSR500で出場<br />怪我のため第10戦以降欠場 |
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|align="left"| {{flagicon|GBR}} [[ロン・ハスラム]] |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />3 |
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|align="left"| {{flagicon|AUS}} [[ワイン・ガードナー]] |
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| [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />- |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />''4'' |
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| [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />- |
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| [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />- |
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| [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />- |
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| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />- |
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| [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />- |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|dns}}| [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />DNS |
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|align="left"| 第2戦はRS500Rで出場 |
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|align="left"| {{flagicon|JPN}} [[片山敬済]] |
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| [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />- |
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| [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />- |
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| [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />- |
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| [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />- |
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| [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />- |
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| {{MsStatsC|dns}}| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNS |
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| [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />- |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />8 |
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| [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />- |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />8 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />DNF |
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! 13 |
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|align="left"| 第5戦まで怪我のため欠場 |
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! rowspan=6|[[1985年のロードレース世界選手権|1985]] |
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|align="left"| {{flagicon|AUS}} [[ワイン・ガードナー]] |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|f}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />15 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />2 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />8 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|f}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />16 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />2 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|f}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />14 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />5 |
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|align="left"| {{flagicon|USA}} [[ランディ・マモラ]] |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />8 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|1st}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />1 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|3rd}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />3 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />10 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|f}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />11 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />7 |
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| [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />- |
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| [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />- |
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| {{MsStatsC|f}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />11 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />10 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />8 |
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|align="left"| {{flagicon|JPN}} [[片山敬済]] |
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| [[南アフリカグランプリ (ロードレース)|RSA]]<br />- |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|f}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />11 |
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| {{MsStatsC|dns}}| [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />DNS |
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| {{MsStatsC|f}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />14 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />8 |
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| {{MsStatsC|dns}}| [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNS |
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| [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />- |
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| [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />- |
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| [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />- |
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|align="left"| 第9戦の予選終了後に引退を発表 |
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! rowspan=3|[[1986年のロードレース世界選手権|1986]] |
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|align="left"| {{flagicon|BEL}} [[ディディエ・デ・ラディゲス]] |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|dns}}| [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />DNS |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />9 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />8 |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />2 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />5 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />8 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|ret}} | [[ベルギーグランプリ (ロードレース)|BEL]]<br />DNF |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />9 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />9 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />9 |
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|align="left"| NS500のエンジンを搭載したエルフ3で出場 |
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! [[1987年のロードレース世界選手権|1987]] |
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|align="left"| {{flagicon|ITA}} [[ピエールフランチェスコ・キリ]] |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[日本グランプリ (ロードレース)|JPN]]<br />4 |
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| {{MsStatsC|f}} | [[スペイングランプリ (ロードレース)|SPA]]<br />11 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ドイツグランプリ (ロードレース)|GER]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[イタリアグランプリ (ロードレース)|ITA]]<br />7 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オーストリアグランプリ (ロードレース)|AUT]]<br />10 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[ユーゴスラビアグランプリ|YUG]]<br />6 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[オランダグランプリ (ロードレース)|NED]]<br />9 |
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| {{MsStatsC|2nd}} | [[フランスグランプリ (ロードレース)|FRA]]<br />2 |
|||
| {{MsStatsC|f}} | [[イギリスグランプリ (ロードレース)|GBR]]<br />12 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[スウェーデングランプリ (ロードレース)|SWE]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[チェコグランプリ|CZE]]<br />9 |
|||
| {{MsStatsC|ret}} | [[サンマリノグランプリ (ロードレース)|RSM]]<br />DNF |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ポルトガルグランプリ (ロードレース)|POR]]<br />7 |
|||
| {{MsStatsC|pt}} | [[ブラジルグランプリ (ロードレース)|BRA]]<br />9 |
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| {{MsStatsC|pt}} | [[アルゼンチングランプリ (ロードレース)|ARG]]<br />9 |
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! 8 |
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|} |
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=== 主なライダー === |
|||
*[[フレディ・スペンサー]] |
|||
:[[1982年のロードレース世界選手権|1982年]]で2勝を上げ、[[1983年のロードレース世界選手権|1983年]]にNS500でワールド・タイトルを獲得する。[[1984年のロードレース世界選手権|1984年]]にもNSで2勝を上げた。 |
|||
*[[片山敬済]] |
|||
:[[1981年のロードレース世界選手権|1981年]]まで[[ホンダ・NR|NR500]]の開発ライダーを務め、1982年からNS500に乗って1勝を上げる。1983年最終戦で背骨を骨折する重傷を負い、その影響で1984年シーズンのほとんどを棒に振り[[1985年のロードレース世界選手権|1985年]]シーズン中に引退を発表<ref>『片山敬済 AURA LEGEND』(1986年、ベストバイク社/講談社)ISBN 4-06-107376-1(p.185 - p.186)</ref>。[[1986年のロードレース世界選手権|1986年]]にはレーシングチーム・カタヤマを率いて[[レイモン・ロッシュ]]をNS500に乗せた<ref name=racers01_84>『RACERS Volume 01』(p.84 - p.87)</ref>。 |
|||
*[[マルコ・ルッキネリ]] |
|||
:1981年に[[スズキ (企業)|スズキ]][[ワークス・チーム|ファクトリー]]でワールドタイトルを獲得した翌1982年にホンダに移籍。NS500にゼッケン1を付けて参戦したが勝利を上げることはできず、1984年に[[カジバ]]に移籍した<ref name=racers01_84 />。 |
|||
*[[ロン・ハスラム]] |
|||
:1982年にNR500の開発ライダーを務めた後、1983年からNS500ライダーになる。NSに乗ってからは抜群のスタートダッシュを度々見せるようになり、「ロケット・ロン」とあだ名された。1986年からはエルフ・プロジェクトのライダーとなり、NS500のエンジンを搭載したエルフ3を駆った<ref name=racers01_84 />。 |
|||
*[[ランディ・マモラ]] |
|||
:スズキのファクトリーライダーだったがスズキの撤退によりマシンを失い、1984年途中からホンダと契約してNS500に乗る。同年にはNSでの2勝に加え、怪我をしたスペンサーの代役として乗ったNSR500でも1勝を上げてランキング2位。1985年にはNS500にとって最後となる勝利を上げた。NS時代には、前輪荷重を高めるためコーナーリング中に上半身を極端にイン側前方に落とすようになった結果、外足がステップから外れるいわゆる「マモラ乗り」と呼ばれるライディングスタイルが特徴だった<ref name=racers01_84 />。 |
|||
*[[レイモン・ロッシュ]] |
|||
:1983年に[[ホンダ・RS|RS500R]]ユーザー最上位となるランキング10位を得たロッシュは、1984年にNS500を手に入れて開幕戦から3戦連続で表彰台に上る活躍を見せ、スペンサーを上回るランキング3位となった<ref>『RACERS Volume 08』(p.92 - p.93)</ref>。1985年に[[ヤマハ発動機|ヤマハ]]に移籍したが、1986年にはレーシングチーム・カタヤマで再びNS500に乗った<ref name=racers01_84 />。 |
|||
*[[ワイン・ガードナー]] |
|||
:UKホンダのサポートで1983年からRS500Rでグランプリ参戦を開始し、1984年の途中からNS500を与えられる。1985年は度々表彰台に上る活躍でNS勢トップのランキング4位となり、1986年にホンダワークス入りを果たした。[[1987年のロードレース世界選手権|1987年]]にはNSR500でタイトル獲得<ref name=racers01_84 />。 |
|||
*[[ピエールフランチェスコ・キリ]] |
|||
:かつてはスズキワークスのチーム運営を任されていたチーム・ガリーナは[[フランコ・ウンチーニ]]と[[マルコ・ルッキネリ]]というチャンピオンを2年続けて輩出していたが、スズキのグランプリ撤退により徐々に競争力を失い1987年からマシンをホンダにスイッチした。ライダーのキリは旧式のRGΓから[[M-TEC|無限]]チューンのNS500に乗り換えたことで頭角を現し、プライベーター勢としてはトップのランキング8位を獲得、翌[[1988年のロードレース世界選手権|1988年]]にはNSR500が供給された<ref name=racers01_80 />。 |
|||
=== 主なチーム === |
|||
*エルフ・プロジェクト |
|||
[[ファイル:Elf 3.jpg|thumb|right|180px|NS500のエンジンを積んだエルフ3(1986年)]] |
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:フランスの石油会社である[[エルフ・アキテーヌ|エルフ]]の資金により、[[ハブセンター・ステアリング]]や片持ちスイングアームの[[リヤサスペンション (オートバイ)|リヤサスペンション]]といった革新的な車体構造のオリジナルマシンを開発するプロジェクト<ref>『RACERS Volume 01』(p.82 - p.83)</ref>。ホンダは早くからこのプロジェクトに注目しており、1984年発表のエルフ2にはRS500Rの、1986年のエルフ3にはNS500の[[V型3気筒|V3エンジン]]が[[ホンダ・レーシング|HRC]]から供給されていた。1986年にはロン・ハスラムを開発ライダーに迎え、1987年のエルフ4からはNSR500の[[V型4気筒|V4エンジン]]が搭載された<ref>『月刊グランプリ イラストレイテッド 1988年3月号』(1988年、ヴェガ・インターナショナル)雑誌コード 13253-3(p.70 - p.75)</ref>。 |
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*[[モリワキエンジニアリング]] |
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[[File:Moriwaki Monster.JPG|thumb|right|180px|アルミフレームのモリワキ・モンスター(1981年8耐)]] |
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:[[4ストローク機関|4ストローク]]マシンのチューニングやオリジナル[[フレーム (オートバイ)|フレーム]]の製作で定評のあるチューナーだが、1986年と1987年にはNS500で[[全日本ロードレース選手権|全日本選手権]]500ccクラスにも参戦した。ライダーは樋渡治が務め、1987年には雨のレースでNSR500に乗る木下恵司を抑えて優勝している<ref>『月刊グランプリ イラストレイテッド 1987年7月号』(1987年、ヴェガ・インターナショナル)雑誌コード 13253-7(p.92 - p.93)</ref>。また、[[鈴鹿8時間耐久ロードレース|8耐]]用マシンなどでメーカーよりも早くアルミフレームを実用化していたこともあり、ホンダはNS500のアルミフレームの開発にあたってモリワキ社長の森脇護からアドバイスを受けている<ref name=legend_86 />。 |
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== エピソード == |
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*1982年の[[スペイングランプリ (ロードレース)|スペインGP]]で、小排気量クラスのエキスパートである[[アンヘル・ニエト]]がNS500でキャリア唯一となるグランプリ500ccクラス出場を果たした<ref> 『二輪グランプリ60年史』(p.143)</ref>。これは大のモーターサイクルレースファンとしても知られるスペイン国王[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]]の、スペインの国民的英雄であり自身の友人でもあるニエトをグランプリの最高峰クラスで走らせたいという強い要望にホンダが応えたもので、マシンはやはりニエトの友人であるマルコ・ルッキネリのスペア・マシンだった。[[ハラマ・サーキット]]がある[[マドリード]]市内では[[号外]]が出るほどのニュースとなったニエトの500ccクラス参戦だったが、予選14位から決勝では4周目にクラッシュするという結果に終わった<ref>富樫ヨーコ『ホンダ二輪戦士たちの戦い(下)』(2000年、講談社)ISBN 4-06-256431-9(p.53 - p.58)</ref>。ちなみにニエトはこの大会で本職である125ccクラスでは勝利を納め、この年の125ccクラスタイトルも獲得している<ref>[http://www.motogp.com/ja/riders/profiles/Angel+Nieto/The Official MotoGP Website - Angel Nieto]</ref>。 |
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*1983年3月に開催された[[デイトナ・インターナショナル・スピードウェイ|デイトナ]]200マイルレースにスペンサーとハスラムはNS500で出場したが、この時ホンダは[[排気量]]を550cc程度にまで拡大したNSを同時に持ち込んだ。スペンサーはこのマシンを練習走行で走らせたが、500ccのマシンと大きな違いが見られなかったため、決勝では信頼性の高い標準仕様が使われた。このレースでスペンサーのNS500は排気量を700ccまで拡大した[[ヤマハ・YZR500|YZR]]に乗る[[ケニー・ロバーツ]]と変わらないタイムを出したが、エンジンの回しすぎによる[[クランクシャフト]]の破損でリタイヤに終わった<ref>『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(p.14 - p.15)</ref>。 |
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*1983年5月のドイツGPで、スペンサーとハスラムのNSには[[チャンバー]]割れという全く同じトラブルがほぼ同時に発生した。これは構造や設計上の問題ではなく、HRCが設定していた耐用走行距離をギリギリで越えてしまったことが原因で、図らずもHRCの品質管理精度の高さを証明することになった<ref>『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(p.27)</ref>。 |
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[[ファイル:Honda MVX250F.jpg|thumb|right|180px|1983年発売のMVX250F]] |
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*1983年2月にはNS500と同じ[[水冷]][[2ストローク機関|2ストローク]][[V型3気筒]]エンジンの公道用市販車[[ホンダ・MVX250F|MVX250F]]が、1985年5月には同じくV3エンジンの[[ホンダ・NS|NS400R]]が発売された。両車の発表時の[[プレスリリース]]には「NS500の技術を投入して開発した」<ref>[http://www.honda.co.jp/news/1983/2830119.html PRESS INFORMATION: MVX250F]</ref><ref>[http://www.honda.co.jp/news/1985/2850419.html PRESS INFORMATION: NS400R]</ref>との文言があり、[[宣伝|プロモーション]]にスペンサーを起用するなどNS500との関連性が強調されていた。NS400Rのカラーバリエーションには、当時のホンダワークスのメインスポンサーである[[ロスマンズ]]・カラーもラインナップされていた。ただし、MVX250FとNS400RのV3エンジンは上側が1気筒、下側が2気筒と、NS500とは逆のレイアウトとなっている<ref>『RACERS Volume 01』(p.92)</ref>。また、1984年5月には[[ホンダ・NS|NS250R]]が発売されたが、こちらは市販レーサー[[ホンダ・RS|RS250R]]と同時開発されたモデルで[[V型2気筒]]エンジンを搭載していた<ref>『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.138)</ref>。 |
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*1984年頃にNS500用のカーボンフレームが試作されていた。これは後のNSR500のフレームを先取りしたような[[ツインスパーフレーム|ツインスパータイプ]]で実際にテスト走行まで行われたが、テストライダーの[[阿部孝夫 (ライダー)|阿部孝夫]]には不評であり実戦で使われることはなかった<ref>『RACERS Volume 01』(p.67)</ref>。 |
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== 脚注 == |
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{{Reflist}} |
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== 参考文献 == |
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*『RACERS Volume 01』(2009年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0717-2 |
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*『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(2006年、八重洲出版)ISBN 4-86144-045-9 |
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*ケビン・キャメロン『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(2010年、ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-57-8 |
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== 関連項目 == |
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*[[ホンダ・NR]] |
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*[[ホンダ・NSR500]] |
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*[[レプソル・ホンダ]] |
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*[[福井威夫]] |
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2024年10月14日 (月) 22:24時点における最新版
NS500(エヌエスごひゃく)は、本田技研工業が開発した排気量500ccのロードレース専用オートバイである。1982年にロードレース世界選手権(世界グランプリ)にマルコ=ルッキネリ、片山敬済、及びフレディー=スペンサーの3名によりアルゼンチンGPにてデビューし、翌1983年にはフレディ・スペンサーが搭乗しワールドチャンピオンを獲得した。
概要
[編集]当時の世界グランプリ最高峰クラスの500ccクラスを戦うために、ホンダが開発した2ストロークエンジンのファクトリーマシンである。このNS500の最大の特徴は、当時の500ccクラスのマシンは2ストローク4気筒エンジンが主流だったのに対し、挟み角112°の2ストロークV型3気筒だった点にあり[1]、ライバルであるヤマハYZRやスズキRGといったスクエア4気筒勢に対してピークパワーでは劣るものの、前面投影面積が狭く、最高速度域のハンディキャップは最小限になると考えられた。
また、実際にレース周回数の合計タイムと平均速度から産出した数値では、最高速度の高さよりも、その速度域に達するまでの加速性能の高さが重要と考えられたためである。これは当時世界GPで存在した350ccクラスのラップタイムが500ccクラスと比較しても遜色ないレベルであったことからも実証されており、ヤマハTZ350が350ccクラスに参戦していたプライベーターによって3気筒化された例もあり、実際に1977年の350ccクラスの年間チャンピオンは3気筒化されたTZ350を駆った片山敬済であった点に着目したためである。
NS500に搭載されたV型3気筒エンジンは4気筒エンジンよりも軽量であり(クランクシャフト数がスクエア4やV4の2本に対してNS500のV型3気筒では1本であるため部品点数も少ない上にクランクマスも)、マスの集中化という利点を生かして軽量コンパクトな車両に仕上げられた[2]。
1982年に世界グランプリにデビューすると同年には3勝を上げ、1983年にはNS500に乗るフレディ・スペンサーがライダース・タイトルを獲得した[3]。ホンダは1966年に500ccクラスのマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得していたものの[4]、ホンダのマシンに乗るライダーが最高峰クラスのライダース・タイトルを獲ったのはこの年のスペンサーが初である[5]。1984年からはホンダ・ワークスの主力マシンの座をV型4気筒のNSR500に譲ったが、NSRの不調もあってNSは1984年にもスペンサーとランディ・マモラのライディングで4勝を上げた[6]。
マモラが1985年に挙げた1勝がNS500の世界グランプリでの最後の勝利となったが、その後もマシンやエンジンは有力なチームやプライベーターたちに供給され、度々上位に入る成績をあげた[6]。また、1983年にはNS500をベースにした市販レーサーのRS500Rが販売されて多くのプライベーターに歓迎された。
歴史
[編集]開発までの経緯
[編集]1967年を最後にグランプリから撤退していたホンダは、1979年から500ccクラスに復帰するに当たり、当時主流であった2ストロークエンジンの車両ではなく、オーバルピストン4ストロークエンジンのNR500という前例のない実験的なマシンを送り込んだ。しかし、あまりに斬新なNR500の開発は思うように進まず、グランプリで勝利するどころか完走もままならず1ポイントも獲得できないという状況が続いていた。当時はいわゆるHY戦争の真っ最中であり、ヤマハやスズキといったライバルに勝つどころかまともに勝負することすらできない状態に社の内外から非難が集中し、中でもレースの成績が販売成績に直結するヨーロッパの現地法人や関係者からの突き上げは特に厳しかった[7]。そしてついに、朝霞研究所内のレース専任部隊であるNRブロックのブロックリーダーでありホンダの取締役でもあった入交昭一郎は、新たな「勝てる」2ストロークマシンを開発することを決定した。新型マシンの開発には社内に新たな開発チームを立ち上げるのではなく、NRブロックの中にNR500開発チームとは別に新型マシン開発チームが編成され、車両開発総責任者(LPL)にはNR500のLPLでもあった福井威夫が任命され、1981年1月に2ストローク500ccGPマシンの開発が正式にスタートした[5]。
NS500のV型3気筒エンジンの開発は、1980年にNRブロックに合流したモトクロスグループの責任者である宮越信一が入交に提案したことに端を発する。宮越はコースによっては350ccクラスのトップタイムが500ccクラスでも上位に入れるタイムであることに着目し、4気筒のマシンにパワーで劣っていても、350cc並みに軽量コンパクトなマシンであれば十分に戦えると考えた。3気筒エンジンのマシンは4気筒よりも軽く作ることができ、重い4気筒よりも運動性に優れた軽快なマシンにすることができる。エンジン幅が短くなることで前面投影面積をおさえてトップスピードをかせぐこともできると思われた。更に、モトクロスで実績のあった2ストローク125ccエンジンをわずかに拡大して三つ並べれば、短い期間で500ccエンジンを作ることができる、というのが宮越のアイディアだった[8]。
もっとも、2ストロークV型3気筒というエンジン形式のレーシングマシンは1950年代にドイツのDKWが350ccのファクトリーマシンを造っている[9][10]。またパワフルな4気筒に軽快な3気筒で対抗するという戦略は1960年代にホンダのマシンに対してMVアグスタが採った手法であり、どちらもホンダの完全なオリジナルのアイディアというわけではない[11]。いずれにしても、1980年6月のダッチTTで実際のグランプリを視察した宮越は自らの考えに自信を深め、宮越の報告を受けた入交は3気筒マシンの開発にゴーサインを出した[8]。NR500の開発に注力しているエンジニア達に納得してもらい、社内を説得して予算を通すための材料として、プロジェクト立ち上げの目的のひとつには「ヤマハのTZやスズキのRGに対抗する市販レーサーを造る」というものが挙げられていた。ホンダのレース部門ではロードレースのことを「スプリント」と呼称していたことから、新型マシンは「ニュースプリント」を意味するNSと名づけられた[7]。
NS500のエンジンは、それまでの経緯もあって宮越をはじめとするモトクロスチームが中心となって設計された。まずモトクロッサーの250cc2気筒エンジン[12]をベースに166.2ccの単気筒エンジンが試作され、半年後の8月には3気筒エンジンのベンチテストがスタートした[5]。軽量コンパクトにまとめるために1軸クランクのV型3気筒とすることは開発の初期段階から決定しており、ドライバビリティ向上を狙って点火タイミングは120度の等間隔とされた[13]。1軸クランクの外側2気筒を直立に近く、中央の1気筒を前傾させて配置された[14]V型エンジンのVバンク角は、バンクの間にキャブレターを収めるために必要なスペースとして112度となった[15]。キャブレターはベースになったモトクロッサーに使われていたケーヒン製のものをアレンジしたタイプが使われた[16]。吸気方式はライバルのヤマハYZRやスズキRGがロータリーディスクバルブだったのに対して最初からピストンリードバルブが採用されていたが、これもベースとなったモトクロッサーと同じ仕様としたためである。結果としてこのリードバルブと等間隔の点火タイミングはNSの良好な始動性に寄与し、当時の押しがけスタートのグランプリにあってはNSのライバルに対するアドバンテージのひとつとなった[16]。一方でシリンダーの内壁にも当初はモトクロッサーと同じハードクロムメッキが使われていたが、モトクロスに比べてアクセルの全開時間がはるかに長いロードレースでは明らかに信頼性が不足しており、後に改良されるまではシリンダーの歪みによる焼きつきへの不安に悩まされ続けることになった[17]。
モトクロッサーでの実績を生かす方向で開発されたエンジンに対し、開発期間を短縮するために車体周りにはNR500の開発で養われた技術が活用された。フレームは当初はリスクを避けて実績のあるスチールで製作されたが、スチールフレームの完成後すぐにアルミフレームの設計が開始されており、1982年の実戦デビューから数ヵ月後にはアルミフレームが投入された[18]。足回りではリンク式のモノショックリヤサスペンションとアルミ製スイングアームは専用のものが新たに造られたが、フロントフォークやブレーキシステムはNRからほぼそのまま流用された。前面投影面積の低減と低重心化のために、1981年途中からNR500で採用されていた16インチのフロントホイールを使用することも最初から決まっていた。タイヤはNR500ではダンロップ、ブリヂストン、ミシュランなど様々なメーカーのものが使われていたが、NSとなってからはRC212Vでブリヂストンを採用するまでホンダワークスでは鈴鹿8時間耐などの他のレースでも一貫してミシュランを使用した[19]。
車体周りで開発陣が苦労した点のひとつが、排気チャンバーの取り回しである。最も理想的なのは断面形を真円構造とした上でできるだけ直線に近いストレートタイプとすることだが、そうすると下側の2番シリンダーから出るチャンバーの最も太くなる最大膨張部がステップの下のあたりに来てしまい、コーナーリング時のバンク角を確保できなくなってしまう。しかし、バンク角を稼ぐために接地部を削って断面形を三角形にすると今度は必要な断面積を得られなくなって、チャンバー自体がエンジンパワーに負けて破損してしまうことが分かった。そこで、ここでもモトクロッサーが参考にされ、最大膨張部の直前で一旦180度曲げて膨張部をエンジン真下のスペースで前方に向かって伸びる形で収め、その後もう一度180度曲げて細くなった部分を後方に向かって伸ばすという、複雑な取り回しとすることで問題が解決された。このエンジン下で渦を巻くチャンバーは、「トグロチャンバー」などと呼ばれてNS500の外見的な特徴のひとつとなった[20]。
1982年
[編集]1981年の1月にプロジェクトが正式にスタートした後、10月にはプロトタイプが完成してテストライダーの飯田浩之によってシェイクダウンされた[5]。この間、NR500の実戦開発も平行して進められており、8月のイギリスGPでフレディ・スペンサーが一時5位を走るという快走を見せたものの、結局この年もグランプリではポイントを獲得することはできなかった[21]。12月にはNS500のプレス発表が行われ、アメリカのラグナ・セカでスペンサーによるテストも行われた[22]。そして翌1982年2月に本番用車両が完成し、3月の開幕と同時にNS500も実戦デビューを迎えた。1982年の世界グランプリでホンダファクトリーと契約してNS500に乗るのは、片山敬済、前年スズキで世界チャンピオンを獲得したマルコ・ルッキネリ、そしてフレディ・スペンサーの3人である[2]。なお、NR500の開発も継続され、NRにはロン・ハスラムが乗ることになった。
NS500のデビュー戦は、1982年3月14日に開催された全日本ロードレース選手権の開幕戦、鈴鹿2&4だった。このレースで片山敬済が4位、阿部孝夫が7位でフィニッシュし、NR500が完走すらままならなかったことを考えればNS500は十分に戦えるマシンであることを証明した[5]。そして、2週間後の世界グランプリ開幕戦アルゼンチンGPでNS500はグランプリデビューを果たし、スペンサーがいきなり予選2位から決勝では3位表彰台に上るという活躍を見せたのである[6]。
その後、NS500に乗るライダーは3人とも上位入賞する速さを見せていたが、勝てそうで勝てないレースが続いていた[17]。シーズンが始まってからもNSの改良は続けられ、第6戦オランダGPからはアルミフレームとカーボン製スイングアーム、同じくカーボン製フロントホイールの投入により大幅な軽量化を果たした[2]。そして続く第7戦ベルギーGPまでの間に、シリンダー内面の表面処理にそれまでのハードクロムメッキに代えてドイツのマーレ社の技術であるニカジルメッキが導入され、ウィークポイントだった焼きつきの不安が解消され、混合比をそれまでの25:1から30:1にまで薄くすることが可能となった。これらの改良が加えられたNSは、ついにベルギーGPでスペンサーの手によって初勝利を上げる[13]。スペンサーにとっても初勝利であると同時に、ホンダにとっては1967年のマイク・ヘイルウッド以来となる15年ぶりのグランプリ優勝であった。シーズン後半に入ってからもNS勢は好調さを維持し、第10戦スウェーデンGPでは片山敬済が勝利、第11戦サンマリノGPではスペンサーが2勝目を上げた。結局この年NS500は3勝を上げ、スペンサーは2勝を含む5回の表彰台という活躍でシーズンランキング3位となった[6]。
1983年
[編集]初年度から3勝を上げ、開発コンセプトが間違っていなかったことを実証したNS500だが、1983年のタイトル獲得を目指してシーズンオフの間に更なる改良が加えられた[23]。改良にあたってはグランプリフル参戦1年目にしてすでにチームのエース格となっていたスペンサーの意見が多く取り入れられ、1983年型NS500は「フレディ・スペシャル」とも言えるマシンとなった[24]。その最も分かりやすい例がエンジンで、もっとパワーが欲しいというスペンサーの要求に応え、もともとパワーバンドが狭かったエンジンを更に高回転型の特性とすることで130psのピークパワーを絞り出し、前年型から10ps以上のパワーアップを実現した[25]。その上で、市販車やモトクロッサーですでに実績のあった排気デバイスATAC(オートコントロールド・トルク・アンプリフィケーション・チャンバー)を装着することで低中速域でのトルクを補った[23]。また、とにかくエンジンを回せるだけ回すというスペンサーのライディングスタイルに合わせ、最大パワーを発揮する11,000rpmから更に2,000rpm回せるようにオーバーレブ特性を改良した[24]。
車体関係に関しては外見は大きな変更は見られず、1982年型の正常進化とも言える細かな改良が加えられ、アルミフレームは形状や構成はほとんど変わらないものの中身は全面的に見直された[24]。コーナリング時のタイヤ接地面積の拡大を狙ってリアホイールは18インチから16インチとなり[18]、フロントフォークのインナーチューブはカーボン素材となって更なる軽量化が図られた[19]。アッパーリンク式だったリアサスペンションはボトムリンク式となり、軽量化と剛性アップが果たされた[19]。リアブレーキディスクもカーボン製となったが、もともとスペンサーはリアブレーキをほとんど使わないことで知られており、この変更もブレーキ性能の向上というよりは軽量化のためだった[25]。
これらの改良が加えられた1983年型NS500は、前年と同じスペンサー、片山、ルッキネリの3人に加え、前年はNR500の開発を担当していたロン・ハスラムにも与えられて4台体制となった[2]。デビューしたばかりのNS500が最初からトップ争いに加わる活躍を見せたこともあってNRブロックは完全にマシン開発の軸足をNSの方に移しており、ついにNR500の実戦開発は1982年シーズンをもって終了となった。同時に1982年から1983年にかけてチーム体制にも大きな変更があり、1973年に別組織となっていたホンダのレース活動をサポートする会社であるRSC(レーシング・サービス・センター)と、ホンダ社内の2輪レーサー開発部門であるNRブロックが統合される形で1982年9月にHRC(株式会社ホンダ・レーシング)が設立(初代社長は入交)され、マシン開発とワークス活動の主体はHRCに移された[5]。
NRが姿を消した一方で、NS開発当初からの予定通り1983年にはNS500をベースとした市販レーサーRS500Rの販売が開始された。すでに旧式となっていたヤマハTZかスズキRGという選択肢しかなかったプライベーターたちに、最新のワークスマシンとほぼ同じスペックを持つRS500Rの登場は歓迎された。RS500Rは約600万円で販売されたが、関係者によると「売れば売るほど損をする」価格だったという[26]。この年の片山とハスラムのNS500にはRS500Rのフレームがそのまま使用されていたが、スペンサー/ルッキネリのNSのフレームとはディメンションがわずかに異なる以外にはほとんど差異はなく、アルミ素材はもとより基本諸元から手曲げによる製造工程まで同じだった[27]。エンジンについては、構造はほぼ同じながらNSがクランクケースなどに高価なマグネシウム素材を使っているところをRSでは一般的なアルミ素材に置き換えるなど、量産車としてのコストダウンが図られていた[28]。
こうして始まった1983年のグランプリは、NS500のスペンサーとヤマハYZR500のケニー・ロバーツによる熾烈な戦いが後々まで語り継がれるシーズンとなった。全12戦で争われた全てのレースをスペンサーとロバーツが6勝ずつで分け合った上、2位になった回数も両者同じ3回ずつという、一歩も譲らない戦いを繰り広げた。この年の全レースのポールポジションも6回ずつ二人で分け合っている[29]。この間、NS500に加えられた大きな改良点としては、シーズン半ばからフロント同様にカーボン製となったリアホイールと[19]、当初は上側の1,3番シリンダーのみに装着されていたATACがシーズン終盤に下側の2番シリンダーにも装着された点が挙げられる[16]。信頼性を増したこの年のNS500は深刻なトラブルを起こすことも少なく、超高速コースのザルツブルクリンクでクランクシャフトの破損によってリタイヤしたオーストリアGPが1983年のスペンサー唯一のノーポイントだった[30]。そして最終戦まで続いたスペンサーとロバーツのタイトル争いは、3位入賞が1回あったことが決め手となり、わずか2ポイント差でスペンサーの初タイトル獲得で幕を閉じた[29]。また片山のサポートも功を奏し、NS500はホンダに1966年以来のマニュファクチャラーズ・タイトルももたらした。
1984年以降
[編集]デビュー2年目でタイトルを獲るほどの活躍を見せたNS500だったが、パワーアップしてくるライバルの4気筒に対して3気筒で立ち向かうには遠からず限界がくることを見越していたホンダは、1983年の春には次期主力となる4気筒マシンの開発をスタートさせており[31]、ホンダの関係者は、NS500のファクトリーマシンとしての開発作業は1983年で終了したと明言している[27]。そして1984年シーズンはV型4気筒のNSR500をデビューさせてスペンサーに与え、チームメイトのハスラムと片山をNS500に乗せた。しかしガソリンタンクと排気管を上下逆に配置するという斬新なレイアウトだったNSR500はアイデアは良かったものの熱い排気管が発する熱気をキャブレターが吸うことによりキャブレターセッティングが非常に困難で、結果を残せないNSRに業を煮やしたチームとスペンサーは第5戦ドイツGPでNS500を使うことを決めた[32]。久しぶりに3気筒に乗ったスペンサーはポール・トゥ・ウィンというこれ以上ない結果を出し、これ以降スペンサーはコースによってNSRとNSを使い分け、第9戦ベルギーGPではNSによる2勝目を上げた。また、この年のシーズン途中からチームに合流したランディ・マモラが第8戦オランダGPと最終戦サンマリノGPで勝利を上げ、NS500は全12戦の1984年シーズンのグランプリで通算4勝というNSRやYZRと並ぶ勝利数を上げた[6]。
1984年の教訓もあり、1985年シーズンのスペンサーのピットにはNSR500と共に常にNS500が準備されていた。しかしタンクをエンジンの上に置くオーソドックスなレイアウトに戻った1985年型NSR500とスペンサーの組み合わせはあらゆるコースで圧倒的な速さを発揮し、予選で数回使用した以外は1985年シーズンのレースでスペンサーがNS500に乗ることはなかった[33]。一方、この年もNSR500は言わばスペンサー専用であり、片山やマモラ、ワイン・ガードナーといったスペンサー以外のホンダサポートライダーのマシンは依然としてNS500だった。前年までは4気筒勢と互角の走りを見せたNSだったが、チームやメカニック個人のレベルでの様々な改良が加えられたとはいえ日進月歩のレーシングマシンにおいて2年前に開発が終了したマシンの戦闘力不足は否めず、スペンサーのNSRはもとよりエディ・ローソンやクリスチャン・サロンのYZRからも遅れを取るレースが続いた[34]。そんな中で雨のレースとなった第7戦オランダGPではスペンサー、ローソン、サロンの転倒リタイヤにも助けられてマモラが勝利、ハスラムとガードナーが2,3位となってNS勢が表彰台を独占した。このマモラの優勝が、NS500がグランプリで記録した最後の勝利となった[6]。
1986年シーズンになるとスペンサーのチームメイトとなったガードナーにもNSR500が与えられ、NS500は有力プライベーターへのサポートとして貸し与えられ、後のサテライトチームのような位置づけである。この年にレイモン・ロッシュとディディエ・デ・ラディゲスが乗ったマシンは、NSRと同じツインスパータイプとなったRS500RのフレームにNS500のエンジンを搭載したものだった[34]。この年は第9戦イギリスGPでラディゲスが獲得した2位表彰台が、NS500の最上位だった[6]。
1987年はNS500がグランプリで上位を走る活躍を見せた最後のシーズンとなった。V4エンジンのワークスマシンが10台以上エントリーし、ワークスマシンでなければポイント獲得すら難しいという状況になっていたこの年、チーム・ガリーナのピエールフランチェスコ・キリはRSのツインスパーフレームに無限がチューンしたNSのエンジンを積んだマシンに乗り、開幕戦の日本GPで4位に入り第8戦フランスGPでは2位表彰台を獲得するなど、度々ワークスマシンに割って入ったのである[34]。キリはこの活躍によって翌1988年にはワークスNSR500が与えられ、この1987年のフランスGPを最後にNS500に乗るライダーが表彰台に上ることはなくなった。
主要諸元
[編集]プロトタイプ | 1982年型(前期) | 1982年型(後期) | 1983年型 | 1984年型 | |
---|---|---|---|---|---|
社内コード[18] | NS2A-1X | NS2A-2X | NS2A-AL | NS2B | NS2C |
エンジン形式 | 2ストローク水冷V型3気筒 | ||||
排気量[13] | 498.6cc | ||||
ボア×ストローク[16] | 62.6mm × 54.0mm | ||||
吸気方式[13] | ピストンリードバルブ | ||||
シリンダー挟み角[13] | 112° | ||||
爆発間隔[13] | 120°等間隔 | ||||
点火方式[16] | トランジスタ点火 | CDI点火 | |||
エンジン重量[18] | 37.7kg | 38.24kg | 38.5kg | ||
最高出力[18] | 113ps/11,000rpm | 122ps/11,000rpm | 130.1ps/11,000rpm | ||
クラッチ[16] | 乾式多板式(6速ミッション) | ||||
フレーム形式[19] | スチール製ダブルクレードル | アルミ製ダブルクレードル | |||
トレール[18] | 86mm | 88.7mm | 90.9mm | 89.5mm | 92.0mm |
キャスター[18] | 24°40′ | 24°40′ | 24°36′ | 25°28′ | 25°40′ |
ホイールベース[18] | 1,374mm | 1,376mm | 1,392mm | 1,376mm | 1,374mm |
ホイールサイズ[18] | F: 16in R: 18in |
F: 16in R: 18in |
F: 16in R: 18in |
F: 16in R: 18 → 16in |
F: 16in R: 16in |
車両重量[18] | 121.7kg | 118kg | 113.26kg | ||
初走行[18] | 1981年8月 | 1982年2月 | 1982年6月 | 1983年3月 | 1984年3月 |
レース戦績
[編集]ロードレース世界選手権
[編集](※) 斜体のレースはNS500以外のマシンによる成績[6]
主なライダー
[編集]- 1981年までNR500の開発ライダーを務め、1982年からNS500に乗って1勝を上げる。1983年最終戦で背骨を骨折する重傷を負い、その影響で1984年シーズンのほとんどを棒に振り1985年シーズン中に引退を発表[35]。1986年にはレーシングチーム・カタヤマを率いてレイモン・ロッシュをNS500に乗せた[36]。
- 1982年にNR500の開発ライダーを務めた後、1983年からNS500ライダーになる。NSに乗ってからは抜群のスタートダッシュを度々見せるようになり、「ロケット・ロン」とあだ名された。1986年からはエルフ・プロジェクトのライダーとなり、NS500のエンジンを搭載したエルフ3を駆った[36]。
- スズキのファクトリーライダーだったがスズキの撤退によりマシンを失い、1984年途中からホンダと契約してNS500に乗る。同年にはNSでの2勝に加え、怪我をしたスペンサーの代役として乗ったNSR500でも1勝を上げてランキング2位。1985年にはNS500にとって最後となる勝利を上げた。NS時代には、前輪荷重を高めるためコーナーリング中に上半身を極端にイン側前方に落とすようになった結果、外足がステップから外れるいわゆる「マモラ乗り」と呼ばれるライディングスタイルが特徴だった[36]。
- 1983年にRS500Rユーザー最上位となるランキング10位を得たロッシュは、1984年にNS500を手に入れて開幕戦から3戦連続で表彰台に上る活躍を見せ、スペンサーを上回るランキング3位となった[37]。1985年にヤマハに移籍したが、1986年にはレーシングチーム・カタヤマで再びNS500に乗った[36]。
- UKホンダのサポートで1983年からRS500Rでグランプリ参戦を開始し、1984年の途中からNS500を与えられる。1985年は度々表彰台に上る活躍でNS勢トップのランキング4位となり、1986年にホンダワークス入りを果たした。1987年にはNSR500でタイトル獲得[36]。
- かつてはスズキワークスのチーム運営を任されていたチーム・ガリーナはフランコ・ウンチーニとマルコ・ルッキネリというチャンピオンを2年続けて輩出していたが、スズキのグランプリ撤退により徐々に競争力を失い1987年からマシンをホンダにスイッチした。ライダーのキリは旧式のRGΓから無限チューンのNS500に乗り換えたことで頭角を現し、プライベーター勢としてはトップのランキング8位を獲得、翌1988年にはNSR500が供給された[34]。
主なチーム
[編集]- エルフ・プロジェクト
- フランスの石油会社であるエルフの資金により、ハブセンター・ステアリングや片持ちスイングアームのリヤサスペンションといった革新的な車体構造のオリジナルマシンを開発するプロジェクト[38]。ホンダは早くからこのプロジェクトに注目しており、1984年発表のエルフ2にはRS500Rの、1986年のエルフ3にはNS500のV3エンジンがHRCから供給されていた。1986年にはロン・ハスラムを開発ライダーに迎え、1987年のエルフ4からはNSR500のV4エンジンが搭載された[39]。
- 4ストロークマシンのチューニングやオリジナルフレームの製作で定評のあるチューナーだが、1986年と1987年にはNS500で全日本選手権500ccクラスにも参戦した。ライダーは樋渡治が務め、1987年には雨のレースでNSR500に乗る木下恵司を抑えて優勝している[40]。また、8耐用マシンなどでメーカーよりも早くアルミフレームを実用化していたこともあり、ホンダはNS500のアルミフレームの開発にあたってモリワキ社長の森脇護からアドバイスを受けている[20]。
エピソード
[編集]- 1982年のスペインGPで、小排気量クラスのエキスパートであるアンヘル・ニエトがNS500でキャリア唯一となるグランプリ500ccクラス出場を果たした[41]。これは大のモーターサイクルレースファンとしても知られるスペイン国王フアン・カルロス1世の、スペインの国民的英雄であり自身の友人でもあるニエトをグランプリの最高峰クラスで走らせたいという強い要望にホンダが応えたもので、マシンはやはりニエトの友人であるマルコ・ルッキネリのスペア・マシンだった。ハラマ・サーキットがあるマドリード市内では号外が出るほどのニュースとなったニエトの500ccクラス参戦だったが、予選14位から決勝では4周目にクラッシュするという結果に終わった[42]。ちなみにニエトはこの大会で本職である125ccクラスでは勝利を納め、この年の125ccクラスタイトルも獲得している[43]。
- 1983年3月に開催されたデイトナ200マイルレースにスペンサーとハスラムはNS500で出場したが、この時ホンダは排気量を550cc程度にまで拡大したNSを同時に持ち込んだ。スペンサーはこのマシンを練習走行で走らせたが、500ccのマシンと大きな違いが見られなかったため、決勝では信頼性の高い標準仕様が使われた。このレースでスペンサーのNS500は排気量を700ccまで拡大したYZRに乗るケニー・ロバーツと変わらないタイムを出したが、エンジンの回しすぎによるクランクシャフトの破損でリタイヤに終わった[44]。
- 1983年5月のドイツGPで、スペンサーとハスラムのNSにはチャンバー割れという全く同じトラブルがほぼ同時に発生した。これは構造や設計上の問題ではなく、HRCが設定していた耐用走行距離をギリギリで越えてしまったことが原因で、図らずもHRCの品質管理精度の高さを証明することになった[45]。
- 1983年2月にはNS500と同じ水冷2ストロークV型3気筒エンジンの公道用市販車MVX250Fが、1985年5月には同じくV3エンジンのNS400Rが発売された。両車の発表時のプレスリリースには「NS500の技術を投入して開発した」[46][47]との文言があり、プロモーションにスペンサーを起用するなどNS500との関連性が強調されていた。NS400Rのカラーバリエーションには、当時のホンダワークスのメインスポンサーであるロスマンズ・カラーもラインナップされていた。ただし、MVX250FとNS400RのV3エンジンは上側が1気筒、下側が2気筒と、NS500とは逆のレイアウトとなっている[48]。また、1984年5月にはNS250Rが発売されたが、こちらは市販レーサーRS250Rと同時開発されたモデルでV型2気筒エンジンを搭載していた[49]。
- 1984年頃にNS500用のカーボンフレームが試作されていた。これは後のNSR500のフレームを先取りしたようなツインスパータイプで実際にテスト走行まで行われたが、テストライダーの阿部孝夫には不評であり実戦で使われることはなかった[50]。
脚注
[編集]- ^ 『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(2014年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-2033-1(p.28)
- ^ a b c d 『RACERS Volume 01』(p.13 - p.17)
- ^ 500cc World Standing 1983
- ^ ジュリアン・ライダー / マーティン・レインズ『二輪グランプリ60年史』(2010年、スタジオ・タック・クリエイティブ)ISBN 978-4-88393-395-2(p.78)
- ^ a b c d e f 『RACERS Volume 01』(p.52 - p.53)
- ^ a b c d e f g h 『RACERS Volume 01』(p.96 - p.97)
- ^ a b 『RACERS Volume 01』(p.50)
- ^ a b 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.79)
- ^ 『二輪グランプリ60年史』(p.25)
- ^ DKW RM 350 "Singende Säge", 1955
- ^ 『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(p.126 - p.66)
- ^ 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.195)
- ^ a b c d e f 『RACERS Volume 01』(p.68 - p.69)
- ^ 『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(p.126 - p,127)
- ^ 『RACERS Volume 01』(p.62)
- ^ a b c d e f 『RACERS Volume 01』(p.70 - p.71)
- ^ a b 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.84 - p.85)
- ^ a b c d e f g h i j k 『RACERS Volume 01』(p.72 - p.73)
- ^ a b c d e 『RACERS Volume 01』(p.74 - p.77)
- ^ a b 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.86 - p.87)
- ^ 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.61)
- ^ 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.78)
- ^ a b 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.95)
- ^ a b c 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.97)
- ^ a b (p.36 - p.39)
- ^ 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.106 - p.107)
- ^ a b 『RACERS Volume 01』(p.65)
- ^ 『RACERS Volume 04』(2010年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0931-2(p.79)
- ^ a b 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.104)
- ^ 『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(p.34 - p.35)
- ^ 『RACERS Volume 08』(2011年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-1154-4(p.11)
- ^ 『RACERS Volume 08』(p.52 - p.53)
- ^ 『RACERS Volume 16』(2012年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-1539-9(p.79)
- ^ a b c d 『RACERS Volume 01』(p.80 - p.81)
- ^ 『片山敬済 AURA LEGEND』(1986年、ベストバイク社/講談社)ISBN 4-06-107376-1(p.185 - p.186)
- ^ a b c d e f 『RACERS Volume 01』(p.84 - p.87)
- ^ 『RACERS Volume 08』(p.92 - p.93)
- ^ 『RACERS Volume 01』(p.82 - p.83)
- ^ 『月刊グランプリ イラストレイテッド 1988年3月号』(1988年、ヴェガ・インターナショナル)雑誌コード 13253-3(p.70 - p.75)
- ^ 『月刊グランプリ イラストレイテッド 1987年7月号』(1987年、ヴェガ・インターナショナル)雑誌コード 13253-7(p.92 - p.93)
- ^ 『二輪グランプリ60年史』(p.143)
- ^ 富樫ヨーコ『ホンダ二輪戦士たちの戦い(下)』(2000年、講談社)ISBN 4-06-256431-9(p.53 - p.58)
- ^ Official MotoGP Website - Angel Nieto
- ^ 『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(p.14 - p.15)
- ^ 『RACERS SPECIAL ISSUE 2014』(p.27)
- ^ PRESS INFORMATION: MVX250F
- ^ PRESS INFORMATION: NS400R
- ^ 『RACERS Volume 01』(p.92)
- ^ 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(p.138)
- ^ 『RACERS Volume 01』(p.67)
参考文献
[編集]- 『RACERS Volume 01』(2009年、三栄書房)ISBN 978-4-7796-0717-2
- 『HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND 世界制覇の軌跡 1976 - 1990』(2006年、八重洲出版)ISBN 4-86144-045-9
- ケビン・キャメロン『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(2010年、ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-57-8