ホンダ・ロードレーサー
この記事には百科事典にふさわしくない内容が含まれている可能性があります。 |
ホンダ・ロードレーサーは、本田技研工業が製造したロードレースに使用する競技用オートバイである。
モデル一覧
[編集]Cシリーズ
[編集]- C70Z
C70Zは、1957年型250 ccワークスマシンのロードレーサーである。第2回全日本オートバイ耐久ロードレースでは、4位 - 7位となる。ホンダはこのレースのためにC70Zを自家用機で空輸した[1]。
- C75Z
C75Zは、1957年型350 ccワークスマシンのロードレーサーである。C75Zの350 ccエンジンは、250 ccマシンC70Zのエンジンのボアアップ版である。第2回全日本オートバイ耐久ロードレースでは、1位 - 5位となる。ホンダはこのレースのためにC75Zを自家用機で空輸した[1]。
- C80Z
C80Zは、1957年型125 ccワークスマシンのロードレーサーである。第2回全日本オートバイ耐久ロードレースでは、3位、4位、6位となる。ホンダはこのレースのためにC80Zを自家用機で空輸した[1]。
CRシリーズ
[編集]- CR71
CR71は、1959年型250 ccロードレーサーである。レーシングライダーを対象としたモデルで、販売あるいは貸与された[3]。ヤマハのロードスポーツYDS1(ロードレース用キットパーツあり)に対抗するために製造される[4]。
- CR72
CR72は、1963年型250 cc市販ロードレーサーである。ホンダが建造した鈴鹿サーキットの開業イベントレースとなる1962年11月3日と4日の第1回全日本ロードレース選手権で、ホンダに開業記念となる優勝をもたらすために製造されたマシンであり、このレースでデビューする[6]。ヤマハTD1に対抗するために製造される[4]。
1963年のロードレース世界選手権(WGP)には高橋国光がCR72で出場したが、市販ロードレーサーではワークスマシンに勝てるはずがなかった[7]。高橋はシーズン途中からワークスマシンRCに乗れることになったのだが、チーム監督から日本への帰国を命じられ、シーズン途中でWGPから離脱せざるを得なかった[8]。
- CR77
CR77は、1963年型305 cc市販ロードレーサーである。ホンダが建造した鈴鹿サーキットの開業イベントレースとなる1962年11月3日と4日の第1回全日本ロードレース選手権で、ホンダに開業記念となる優勝をもたらすために製造されたマシンであり、このレースでデビューする[6]。
- CR93
CR93ベンリィレーシングは、空冷4ストロークDOHC直列2気筒125 ccエンジンを搭載した1962年型市販ロードレーサーである。第5回全日本モーターサイクルクラブマンレース(九州 雁ノ巣)で優勝する[10]。CR93はロードスポーツとして販売された当時のスーパースポーツであるが、レースキットが発売され、ロードレース世界選手権や日本国内のモトクロスでも使用された[11]。
当時CRシリーズは公道走行不可の競技専用車両に付与される車名であるが、1962年に限っては全日本モーターサイクルクラブ連盟(MCFAJ)がノービスクラスの車両規定に運輸省(現・国土交通省)の型式認定をホモロゲーションとして規定したため、ホンダはこの規定を満すためにCR93を市販した[12]。このクラブマンレースに出場するためのバイクは生産台数50台以上市販されており、50 ccクラスのCR110カブレーシングと共に製造販売された公道走行可能モデルである。
車体は、カウルを除去しバーハンドルに交換こそされているが、大幅に後退させた調整式ステップ・カムギアトレーン4バルブDOHCエンジン・前輪⌀200大径ドラムブレーキ・乾式クラッチなどレーサーそのものに保安部品を装着したと言っても過言ではないモデルである。
販売価格はCB92が155,000円とされた当時にほぼ倍となる300,000円。総生産台数も極少数[13]で、多くは輸出やレースで使用されたため残存する個体は極めて少ない。
CR93の仕様
- 諸元
車名 | CR93ベンリイレーシング |
---|---|
全長×全幅×全高(m) | 1.960×0.600×0.915 |
ホイールベース(m) | 1.275 |
最低地上高(m) | 0.145 |
最小回転半径(m) | 2.150 |
整備重量(kg) | 127.5 |
最高速度(km/h) | 135(レーシングカウル装着時 155) |
エンジン型式 | 空冷4ストローク4バルブDOHC直列2気筒 |
バルブ駆動 | カムギアトレーン |
総排気量 | 124.8 cc |
内径×行程(mm) | 43.0×43.0[14] |
圧縮比 | 10.8 |
最高出力 | 16.5 PS / 11,500 rpm[15] |
最大トルク | 1.05 kgf-m / 10,700 rpm |
点火方式 | マグネト |
キャブレター | ケーヒンRP28-22P6 |
始動方式 | キック |
潤滑方式 | 圧送飛沫併用式 |
潤滑油容量(L) | 1.1 |
燃料タンク容量(L) | 10 |
クラッチ | 乾式 |
変速方式 | 左足動式 |
トランスミッション | 常時噛合5段 |
1速 | 2.000 |
2速 | 1.429 |
3速 | 1.227 |
4速 | 1.083 |
5速 | 1.000 |
1次減速比/2次減速比/ | 3.700/2.500 |
フレーム形式 | パイプバックボーン |
サスペンション(前) | テレスコピック |
サスペンション(後) | スイングアーム |
キャスター(°) | 26.0 |
トレール(mm) | 97.0 |
タイヤ(前) | 2.50-18 |
タイヤ(後) | 2.75-18 |
ブレーキ(前) | 機械式ツーリーディングトレーリング(⌀200) |
ブレーキ(後) | 機械式リーティングトレーリング(⌀175) |
標準現金価格 | 300,000円 |
- CR110
CR110カブレーシング(シーアールひゃくとうカブレーシング)は、空冷4ストローク DOHC 単気筒50 ccエンジンを搭載した1962年型市販ロードレーサーである。第5回全日本モーターサイクルクラブマンレース(九州 雁ノ巣)で優勝した。[10]。CR110には市販ロードレーサーとロードスポーツの2車種があり、ギアボックスは、初期生産型のロードスポーツが5段、[16]中期、および後期ロードレーサーが8段である。上述のCR93と同じ理由で市販された[12]。
車名にカブが含まれるのは、クランクケースをカブ系横型エンジンをベースとしたことに由来するが、前傾35度空冷4ストロークカムギアトレーン4バルブDOHC単気筒エンジンはまったくの新設計とされた。
販売価格は1960年発売のスポーツカブC110が58,000円とされた当時にほぼ3倍となる170,000円。総生産台数も極少数で、多くは輸出やレースで使用されたため残存する個体は極めて少ない。
なお短期間での製造にも関わらず初期型・中期型・後期型の3種類に分類されるモデルが製造された。
CR110の仕様
- 初期型
- 公道走行可能なモデル。7 PSエンジン・5段ミッションを搭載。スクランブラータイプとされ、セミアップマフラー・アップハンドルを採用する。有力ディーラーのみで49台が販売された。
- 中期型
- レーシングオプションの「Yキット」を組み込んだモデルで83台が製造された。初期型と比較すると以下の変更点を持つ。
- 保安部品未装着のレース専用車
- セパレートハンドル・ダウンマフラーを装備
- 最高出力が8.5 PS / 13,500 rpmに向上
- 後期型
- 116台製造。中期型から以下の改良を実施。
- 50 ccクラスレギュレーションの限界まで近付けるためエンジン内径を40 mmから40.4 mmに拡大
- クラッチの操作性を向上させるためシフトギアスピンドルの爪を2個から4個に倍増し形状も大型化させ耐久性を向上
- このためクランクケースクラッチ上部幅が拡大
CYBシリーズ
[編集]- CYB350
CYB350は、ロードスポーツの1968年型CB350にHRCの前身であるRSC(レーシングスポーツクラブ)製のキットパーツを組み込んだロードレーサーである。キットパーツは主にエンジンおよびギアボックス関連である。車体には大幅な改造が加えられている。1968年に開催された第4回東京モーターショーに出品された[17]。
MTシリーズ
[編集]- MT125R
MT125Rは、市販モトクロッサーCRのエンジンをHRCの前身であるRSC(レーシングスポーツクラブ)製のフレームに搭載した1976年型125 cc市販ロードレーサーである[18]。
NRシリーズ
[編集]- NR500
NR500(エヌアールごひゃく)は、水冷4ストロークV型4気筒楕円ピストン500 cc エンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
- NR750
NR750(エヌアールななひゃくごじゅう)は、水冷4ストローク750 ccV型4気筒楕円ピストン750 cc エンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
NSシリーズ
[編集]- NS500
NS500(エヌエスごひゃく)は、水冷2ストロークV型3気筒500 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
NSFシリーズ
[編集]- NSF250R
NSF250R(エヌエスエフにひゃくごじゅうアール)は、4ストロークDOHC4バルブ単気筒250 ccエンジンを搭載した市販ロードレーサー。2011年12月販売開始。
NSRシリーズ
[編集]- NSR250
NSR250(エヌエスアールにひゃくごじゅう)は、水冷2ストロークV型2気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
- NSR500
NSR500(エヌエスアールごひゃく)は、水冷2ストロークV型4気筒500 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
- NSR500V
NSR500V(エヌエスアールごひゃくブイ)は、水冷2ストロークV型2気筒500 ccエンジンを搭載したロードレーサーである。当初ワークスマシンとして開発されたが、後にプライベーターにも販売された。
RCシリーズ
[編集]50 ccクラス
[編集]- RC111
RC111は、4ストロークDOHC4バルブ単気筒50 ccエンジンを搭載した1962年型ワークスマシンのロードレーサーである[20]。
- RC114
RC114は、4ストロークエンジンを搭載した1964年型ワークスマシンのロードレーサーである[21]。
- RC115
RC115は、4ストロークエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである[22]。
125 ccクラス
[編集]- RC141
RC141は、空冷4ストローク2バルブ直列2気筒125 ccエンジンを搭載した1959年型ワークスマシンのロードレーサーである[23]。ロードレース世界選手権第2戦イギリスGP/マン島TT(クリプス・コース)に出場し、8位(田中(木貞)助[24])となる[25]。
- RC142
RC142は、空冷4ストローク4バルブ直列2気筒125 ccエンジンを搭載した1959年型ワークスマシンのロードレーサーである[23]。ロードレース世界選手権第2戦イギリスGP/マン島TT(クリプス・コース)に出場し、6位(谷口尚巳)、7位(鈴木義一)、11位(鈴木淳三)となり、チーム優勝する[28]。
- RC143
RC143は、空冷4ストローク4バルブ2気筒125 ccエンジンを搭載した1960年型ワークスマシンのロードレーサーである[29]。
- 2RC143
2RC143は、RC143の後継機の1961年型125 ccワークスマシンのロードレーサーである。ロードレース世界選手権1961年シーズン後半にデビューする[30]。
- RC144
RC144は、RC141を改良した1961年型ワークスマシンのロードレーサーである。エンジンの出力不足と多発するエンジンの故障によりロードレース世界選手権1961年シーズン途中でRC143の後継機である2RC143に道を譲る[30]。しかし、イギリスGP/マン島TTでは、マイク・ヘイルウッドのライディングにより優勝を勝ち取り[31]、2位となったルイジ・タベリはこれまでのラップレコードを破った(ファーステストラップ 25'35"6、平均速度 142.35 km/h)[32]。
- RC145
RC145は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列2気筒125 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである[33]。
- RC149
RC149は、125 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである[34]
RC149の仕様
250 ccクラス
[編集]- RC160
RC160は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載した1959年型ワークスマシンのロードレーサーである。排気量250 ccのエンジンで4気筒の採用は世界初である。第3回全日本オートバイ耐久ロードレースでデビューし、1-2-3フィニッシュでデビュー戦を飾る[35]。
- RC161
RC161は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載した1960年型ワークスマシンのロードレーサーである。キャブレターを4個装備しており、250 ccエンジンとしては世界初である[36]。
- RC162
RC162は、1961年型ワークスマシンのロードレーサーである。イギリスGP/マン島TTでは、マイク・ヘイルウッドのライディングにより優勝を勝ち取り[31]、5周目まで先頭を走っていたボブ・マッキンタイヤのファーステストラップは今までのラップレコードを破った(ファーステストラップ 22'44"0、平均速度 160.22 km/h)[37]。
- RC163
RC163は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである[33]。
- RC164
RC164は、空冷4ストロークDOHC4バルブ直列4気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである[27]。
- RC165
RC165は、4ストローク直列6気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
350 ccクラス
[編集]- RC170
RC170は、空冷ストロークDOHC4バルブ直列4気筒285 ccエンジンを搭載したロードレース世界選手権350 ccクラス用1962年型ワークスマシンのロードレーサーである。RC163の250 ccエンジンのボアを3 mm拡張して285 ccエンジンとした。過去数年のイギリスGP/マン島TTの記録では、前年(1961年)のマイク・ヘイルウッドが駆る250 ccマシン(RC162)の方が350 ccマシンよりも平均速度が速かったため、285 ccエンジンでもマン島TTを制することができると踏んで開発されたマシンで[33]、ホンダはマン島TTに2台で参戦するが、トム・フィリスはローレルバンクで事故死、ボブ・マッキンタイヤはリタイアとなる[38]。
- RC171
RC171は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1962年型ワークスマシンのロードレーサーで、オランダGP/ダッチTTから投入される[39][40]。
- RC172
RC172は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1963年型ワークスマシンのロードレーサーである[41]。もともとは、1964年ロードレース世界選手権350 ccクラス用マシンとして開発していたが[42]、第4戦イギリスグランプリ/マン島TTに350 ccで優勝すべく投入[41]。その後、最終戦の日本GP(鈴鹿サーキット)に再登場[42]。
- 2RC172
2RC172は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1965年型ワークスマシンのロードレーサーで、RC172の改良型である[39]。
- RC173
RC173は、4ストローク直列4気筒350 ccエンジンを搭載した1966年型ワークスマシンのロードレーサーである[39]。
- RC174
RC174は、4ストローク直列6気筒297 ccエンジンを搭載したロードレース世界選手権350 ccクラス用1967年型ワークスマシンのロードレーサーで、このマシンのエンジンは250 cc直列6気筒エンジンを基に開発された。WGPでは8戦に出走し、7勝する[39]。
500 ccクラス
[編集]- RC180
RC180は、4ストローク直列4気筒500 ccエンジンを搭載したロードレース世界選手権500 ccクラス用の試作機である[45]。
- RC181
RC181は、4ストローク直列4気筒500 ccエンジンを搭載した1966年型ワークスマシンのロードレーサーで、ロードレース世界選手権500 ccクラスでメーカーチャンピオンを獲得した[45]。
- 2RC181
2RC181は、4ストローク直列4気筒500 ccエンジンを搭載した1967年型ワークスマシンのロードレーサーである[45]。
RCBシリーズ
[編集]RCB(アールシービー)は、1976年型ロードスポーツCB750Four(空冷4ストロークSOHC直列4気筒736 ccエンジン)[46]のクランクケースとボアアップしたシリンダーにDOHC化したシリンダーヘッドを組み合わせたワークスマシンのロードレーサーである。主に耐久レースで活躍する。ホンダは1975年のボルドール24時間耐久ロードレースでカワサキZ1改が1-2-3フィニッシュを飾ったことに衝撃を受け、ワークス活動を再開してRCBを開発する[47]。後継はRS1000。1979年型はロードスポーツCB750F。前出とは別にCBR400RR用水冷4ストロークDOHC 直列4気筒 399 ccエンジンをベースに開発されたRCB400が1988年の全日本選手権TTF-3に参戦した。
この節の加筆が望まれています。 |
- RCB480
RCB480は、1976年型ワークスマシンのロードレーサーである。1976年4月25日に開催されたオランダ・ザンドヴォルク600 kmのデビュー戦で優勝する[48]。
- RCB480A
RCB480Aは、1976年型ワークスマシンのロードレーサーである。RCB480Aは2車種ある[49]。
RCB480A(915.2 cc)の仕様[49]
- エンジン - 空冷4ストローク直列4気筒
- 排気量 - 915.2 cc
- ボア・ストローク - 68 × 63 mm
- 最高出力 - 110 PS / 9,000 rpm
RCB480A(941 cc)の仕様[49]
- エンジン - 空冷4ストローク直列4気筒
- 排気量 - 941 cc
- ボア・ストローク - 68 × 64.8 mm
- 最高出力 - 110 PS / 9,000 rpm
- RCB481A
RCB481Aは、新型フレームにクランクを新設計したエンジンを搭載する1977年型ワークスマシンのロードレーサーである[48]。
RCB481Aの仕様[49]
- エンジン - 空冷4ストローク直列4気筒
- 排気量 - 997 cc
- ボア・ストローク - 70 × 64.8 mm
- 最高出力 - 120 PS / 9,000 rpm
- RCB482A
RCB482Aは、クランクケースとシリンダーヘッドを改良した[50]1978年型ワークスマシンのロードレーサーである[48]。
RCB482Aの仕様[49]
- エンジン - 空冷4ストローク直列4気筒
- 排気量 - 997 cc
- ボア・ストローク - 70 × 64.8 mm
- 最高出力 - 135 PS / 10,000 rpm
- RCB483
RCB483は、1978年型ロードスポーツCB900F[51]を基に開発された1979年型ワークスマシンのロードレーサーである。CB900Fのエンジン設計は1000 cc対応ではないため、排気量アップの改造には限界があり、1000 ccフルスケールを実現できなかった[50]。
RCB483の仕様[50]
- エンジン - 空冷4ストローク直列4気筒
RCVシリーズ
[編集]- RC211V
RC211V(アールシーにいちいちブイ)は、水冷4ストロークV型5気筒990 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
- RC212V
RC212V(アールシーにいいちにブイ)は、水冷4ストロークV型4気筒800 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
- RC213V
RC213V(アールシーにいいちさんブイ)は、水冷4ストロークV型4気筒1000 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。
RSシリーズ
[編集]- RS1000
RS1000(アールエスせん)は、空冷4ストローク直列4気筒1000 ccエンジンを搭載したロードレーサーである。 1980年から1983年のTTF-1に投入された。前年モデルはRCB。
- RS1000RW
RS1000RW(アールエスせんアールダブリュー)は、水冷4ストロークV型4気筒1025 ccエンジンを搭載したロードレーサーである。 1983年のデイトナ200に投入された。
- RS850R
RS850R(アールエスはっぴゃくごじゅうくアール)は、水冷4ストロークV型4気筒850 ccエンジンを搭載したロードレーサーである。 1983年のTTF-1に投入された。
- RS750R
RS750R(アールエスななひゃくごじゅうアール)は、水冷4ストロークV型4気筒750 ccエンジンを搭載したロードレーサーである。 1984年のTTF-1に投入された。後継はRVF750。
- RS125R
RS125R(アールエスひゃくにじゅうごアール)は、水冷2ストローク単気筒125 ccエンジンを搭載した市販ロードレーサーである。
- RS250R
RS250R(アールエスにひゃくごじゅうアール)は、水冷2ストロークV型2気筒250 ccエンジンを搭載した市販ロードレーサーである。
- RS250RW
RS250RW(アールエスにひゃくごじゅうアールダブリュー)は、水冷2ストロークV型2気筒250 ccエンジンを搭載したワークスマシンのロードレーサーである。有力エントラントにホンダから供給されたスペシャルモデルで後継はNSR250。
1985年にフレディ・スペンサーが駆り、250 ccクラスの世界チャンピオン。同年に小林大が駆り、250 ccクラスの全日本チャンピオンとなる。2009年に青山博一が250 ccクラスの世界チャンピオンとなる。
- RS500R
RS500R(アールエスごひゃくアール)は、水冷2ストロークV型3気筒500 ccエンジンを搭載した市販ロードレーサーである。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『日本モーターサイクル史』(p42, p43)より。
- ^ a b 『日本モーターサイクル史』(p374)より。
- ^ a b c 『日本モーターサイクル史』(p233)より。
- ^ a b 『サーキット燦々』(p187)より。
- ^ a b 『国産二輪車物語』(p76)より。
- ^ a b 『日本モーターサイクル史』(p56, p57, p292)より。
- ^ 『百年のマン島』(p419)より
- ^ 『百年のマン島』(p420)より。
- ^ a b 『日本モーターサイクル史』(p292)より。
- ^ a b 『日本モーターサイクル史』(p57)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p288)より。
- ^ a b 『サーキット燦々』(p185)より。
- ^ 一説には252台と言われる。
- ^ 同時期製造のCB92は、44.0×41.0(mm)。
- ^ 運輸省届出値。軽度のチューニングで実測22 - 23 psまでアップが可能とされた。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p284)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p342)より。
- ^ a b 『日本モーターサイクル史』(p449)より。
- ^ 後輪を保持し、サスペンションの一部としても機能する部品 --『図解でわかる バイクのメカニズム』(p11)より。
- ^ a b 『百年のマン島』(p387)より。
- ^ a b 『百年のマン島』(p412)より。
- ^ a b 『百年のマン島』(p414)より。
- ^ a b c d 『百年のマン島』(p1, p2, p541)より。
- ^ たなか ていすけ。「(木貞)」は、木偏に「貞」--『百年のマン島』(p536)より。
- ^ 『百年のマン島』(p1, p7)より。
- ^ a b 『ホンダ社史・50年史』(p36)より。
- ^ a b c d e f g h 『百年のマン島』(p541)より。
- ^ 『百年のマン島』(p1, p7, p8)より。
- ^ a b c 『百年のマン島』(p319)
- ^ a b 『百年のマン島』(p359)より。
- ^ a b 『百年のマン島』(p376)より。
- ^ 『百年のマン島』(p376, p378)より。
- ^ a b c d e f 『百年のマン島』(p388)より。
- ^ 『百年のマン島』(p507)より。
- ^ a b 『百年のマン島』(p312)より。
- ^ a b 『百年のマン島』(p333)より。
- ^ 『百年のマン島』(p376, p379)より。
- ^ 『サーキットの軌跡』(p40)より。
- ^ a b c d e f g h i j 『浅間から世界GPへの道』(p118)より。
- ^ 『サーキットの軌跡』(p41)には、「アルスターGP(ダンドロッド)から出場させた」とある。
- ^ a b 『百年のマン島』(p403)より。
- ^ a b 『サーキットの軌跡』(p53)より。
- ^ WGP参戦50周年記念冊子
- ^ ホンダコレクションホール解説
- ^ a b c d e f 『浅間から世界GPへの道』(p119)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p455)より。
- ^ 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド』(p158 - p171)より。
- ^ a b c d 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド』(p163)より。
- ^ a b c d e 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド』(p166)より。
- ^ a b c 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド』(p167)より。
- ^ 『日本モーターサイクル史』(p487)より。
参考文献
[編集]- 「『マン島TTレース初出場』。若者たちは、力いっぱい世界にチャレンジした」『Honda社史・50年史』第1部 限りない夢い、あふれる情熱 第5回、本田技研工業、PDF 分割:(11) / p53、PDF:p1/1、2010年1月3日(日)閲覧。
出版物
- 『浅間から世界GPへの道 - 昭和二輪レース史1950-1980』八重洲出版〈ヤエスメディアムック 212〉、2008年12月29日 発行。ISBN 978-4861441158。
- 『日本モーターサイクル史 1945→2007』八重洲出版〈ヤエスメディアムック 169〉、2007年7月30日 発行。ISBN 978-4861440717。
- 『ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンド - 世界制覇の軌跡1976-1990』八重洲出版〈ヤエスメディアムック 143〉、2006年10月4日 発行。ISBN 978-4861440458。
- 大久保力『百年のマン島 - TTレースと日本人』(初版)三栄書房、2008年5月15日 第1刷発行。ISBN 978-4779604072。
- 大久保力『サーキット燦々[さんさん]』(初版)三栄書房、2005年2月13日 第1刷発行。ISBN 978-4879048783。
- 小関和夫『国産二輪車物語 - モーターサイクルのパイオニア達』(新訂版初版)三樹書房、2007年4月25日 発行。ISBN 978-4895224925。
- 小川直紀『図解でわかる バイクのメカニズム』山海堂、2001年11月1日 第1刷発行、2003年5月8日 第3刷発行。ISBN 978-4381077486。
- 中沖満、ピーター・クリフォード、グランプリイラストレイテッド編集部『サーキットの軌跡 - 世界ロードレースGPの歴史』(初版)グランプリ出版、1987年1月26日 発行。ISBN 978-4906189564。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ホンダ
- 社史 - 『Honda社史・50年史』本田技研工業 。2009年9月12日(土)閲覧。
- ロードレーサー展示施設 - ツインリンクもてぎ Honda Collection Hall(ホンダコレクションホール), モビリティランド 2010年2月18日(木)閲覧。 - 他社ロードレーサーもあり。
- ホンダ 500ccクラス/MotoGPクラス 200勝の記録 - Honda : 200 victoires en catégorie reine !, France: emoto.com, (28 juin 06 à 9:27 / 2006年6月28日 9時27分 更新) 2010年1月17日(日)閲覧。
- ホンダ ロードレーサーの展示施設 - 四国自動車博物館 2010年2月18日(木)閲覧。